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ロジャー・コーマン

メイクはチャチだが、ロジャー・コーマンの地味な佳作 『蜂女の恐怖』

ネタに困ったらロジャー・コーマンの映画をレビューする流れに……
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出演:スーザン・キャボット、フレッド・アイズリー、バルボーラ・モリス、マイケル・マーク
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(2008-01-11)
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でも前回の『X線の目を持つ男』と比べたら、特に語ることもないかなあ。
DVDのジャケットがネタバレだが、蜂女のメイクというかかぶり物がチャチいとか、この蜂女、翅もないのにブンブン羽音がして変だなとか、ポスターの「蜂女」が顔と体の変換が逆で嘘じゃねえか! とか、でも全体的には出来が良くて普通に楽しめる優良低予算映画(さすがコーマンだね)だとか、なんだか語りつくされたことばかりしか語れない予感。

無理やりこじつければ、スズメバチのローヤルゼリーから抽出した「若返り成分」を注射することによって、「蜂女」になってしまうのは、科学的には馬鹿らしいが、呪術的にはフレイザーの『金枝篇』にいう「類感呪術」、すなわち「結果は原因に似る」であり、様々な通俗物語に出てくる似非科学の多くは、これと同類であり、我々の直観的な部分には、相変わらずこのようなプリミティブな部分が残っていることが証明できる、みたいな議論を展開できるが、これもなんだか他の人がどこかで展開していたような気がするので、やめる。
そして今日はつかれているのでさっさと寝よう。
初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
著者:ジェイムズ・ジョージ フレイザー
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ロジャー・コーマンの低予算映画の教科書的佳作 『X線の目を持つ男』

X線の眼を持つ男 [DVD]X線の眼を持つ男 [DVD]
出演:レイ・ミランド
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安くて短くて、そしてそこそこ面白く、損した気分にさせない。これこそ低予算映画だよなあ、という感じのエンターテイメント。こういう映画って、今どこに行っちゃったんだろうなあ、昔はたくさんあったのになあ、とノスタルジーに浸っちゃったよ。

「人間は電磁波の一部しか見えていない。増幅された視覚を持てば、もっと世界が良く見え、社会的にも役立つはずだ」と言う科学的信念の追求が悲劇をもたらすという、マッドサイエンティスト物の古典の一つだが、この時代の作品で、今見て眠くならない、と言うだけでもかなり偉いと思う。いまほど、テンポよく物事が起きる方法論が徹底されていなかったんで、名作と言われる物でも、今見ると、山場が来るまでは眠くて仕方がないものが多いのだ。
ジョナサン・デミに「観客をあきさせないために、始終カメラを動かすんだ」と教えたコーマンらしい映画。とにかく早いテンポで仕掛けてくる。
特に、自分を実験台にして、増幅された視覚を経験するところの、主人公のまわりをカメラがまわりこんで、後頭部からカメラが主人公の脅威の視覚と重ね合うところは出色のできである。

この映画を特に印象深くしているところは、最後のシーンである。
主人公(エグザビア博士。名前からしても「越える」+「見る」である)の研究の暴走を止めようとした友人を殺してしまい、警察に追われる身になった主人公は、見世物小屋の芸人になったり、奇跡をうたうモグリの民間療法士になったり、ラスヴェガスのカジノで一攫千金をもくろんだりと、身を隠しながらどうにか研究資金を得ようとするが、カジノで目の秘密がばれたことから警察に見つかってしまう。
そこから、低予算の中でよく工面したなという、ヘリコプターに追われるカーチェイスシーン。そして、事故。傷ついた主人公は、狂信的なキリスト教徒の集会らしきところに迷い込んでしまう。
そこの説教師の問いかけに、主人公は語る。
「君は罪人か? 救われに来たのか?」
「いいや、わたしは見たものを話しに来たのだ。暗闇が広がる……時空を越えて……その闇の彼方に、輝き揺れ動く光がある。宇宙のまん中に、我々全員をじっと見ている目がある」
それに対して説教師は言う。
「君が見たのは罪と悪魔だ。だが神が救ってくれる。マタイ伝第五章。汝の眼、罪を犯さば、くり抜くべし!」
そして信者による「くり抜くべし!」の大合唱。主人公も「くり抜くべし」を静かに唱和し、自分の目に両手をあて……
人間の限界を越えて、世界を見ようとした科学者の哀れな末路である。

科学の欲望「好奇心」と言うのは、別に道徳的に正しいものでもなければ、道徳的にニュートラルなものでもない。「知りたい」と言うのは「食欲」や「性欲」よりは多少高度だが、「支配欲」とか「破壊欲」などとだいたい同レベルな、幼児的で奥深い欲望である。それは、放っておけばいずれ長く続いてきた人間の限界を越えようとし、その限界を受け入れることによって成立する「古き良き世界」を壊してしまう。そしてそれを、多くの宗教は罪深いものとして諫めてきた。
わたしはなんとなく、フレイザーの「科学は原始呪術に似ていて、それに対立するのがキリスト教などの宗教だ」という議論を思い出す。
今は、それほど表だっていないかもしれないが、じきに科学が本質的に道徳や宗教と対立する性質が明らかになるだろう。その時人類は一体どちらを選ぶのであろうか。対立から目を背けずに選びたいものである。
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