けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

愛のかたち(4)

   世界の始まりと終わりと僕
 
  世界の始まりと終わりが会ってしまってはどうもこうもなくなってしまう。
  そもそも、ずっと一緒だった彼女たち仲良し姉妹の間に僕が入り込んだときに、世界はどうにかこうにか存在し始めたのだ。
  始まりと終わりが一緒だったら、それはないってこと。常識で考えれば分かるよな。
  だから、僕のやっていることに言い訳しなくてはいけない点など微塵も無い。
  と言うわけで、二人のスケジュールを綿密に計算して、僕はある日は、世界の始まりを遊園地に連れ出して、別の日には世界の終わりをディナーに誘う。
  幾度か危ういニアミスもあったものの、世界が微妙なバランスの上に成り立っていることは、エコロジスト諸氏が口を酸っぱくしていつも言っていることじゃないか。いまさら騒ぐことじゃないだろう。
  朝、世界の始まりの残り香を感じながらベッドから身を起こすと、彼女の入れてくれたコーヒーで目を覚まし、仕事の関係で今夜はこれないんだとトーストを齧りながらさりげなく伝え、しばらく歩いて唇に残る感触が消えたころ、世界の終わりにメールを送る。今夜部屋へ行く、と。
  僕は彼女たちを騙していたのだろうか。二段構えの議論がしたい。僕の考えるところ否である。そして、たとえ百歩譲って騙していたとしても、それが何であろうか。
  第一段階。僕は、彼女たちそれぞれに、愛しているとは伝えたが、世界で一番愛しているとは一言も言っていない。ニュートン力学だろうが、相対性理論だろうが、量子力学だろうが、時間てのは対称的に出来ているのだ。僕は潔癖症の気があるので、エントロピーは嫌いだ。だから、世界の始まりと終わりのどちらかを選ぶなんて出来ない。そして、彼女たちを愛しているというのも本当だ。最初は違ったかもしれない。ただ、世界を存在させるための方便だったかもしれない。しかし、世界を維持するために、世界の始まりと終わりを行き来する生活を続けるうちに、僕は心の底から、この見分けの付かない姉妹を愛し始めていたのだ。
  第二段階。そう、そもそもこれは、世界を維持するという崇高な使命の下に行われている事業なのだ。そのために、害のない嘘を一つついたからなんだというのだ。
  そう自分に言い聞かせ、得意のアッシェ・パルマンティエと適度に冷やしたワインで僕を待ってくれていた世界の終わりの髪に鼻を埋めて、この終末はずっと一緒だよ、と耳元でささやくのだ。彼女は喉を鳴らしながら、ふと、こう訊いた。
  「香水つけてるの?」
  「え、ああ。最近自分の体臭が気になり始めてね」
  「なんか、女物みたいな匂い。似合わないから変えたら?」
  そのときになって、ずっと以前から気付いていたことをはじめて意識した。何もかもそっくりな世界の始まりと終わりの決定的な違いは、その匂いなのだ。
  その日、終わりが始まった。二人は、すぐに疑念の芽を育て始め、世界の端と端から生えたそれは、すぐに絡み合いはじめ、二つで一つの毒々しい花を咲かせた。
  そして今、僕は世界の始まりと終わりに挟まれて、両側からの強烈な視線に針の筵の上に寝転がって、ぐるぐる回されてそのまま簀巻きにされたような心持だ。二人とも何も言わない。無言のまま、だんだんと接近してくる。彼女たちが僕を押しつぶして合わさったとき、世界は存在しなくなり、存在したこともなくなるのだ。

愛の形(3)

   愛と嘘
      
 頭の打ち所が悪くて、彼女は自分のことを世界だと思い込んでしまった。
  私は、大学の実践形而上学科で詩を、つまり言葉から不純物を取り除いていって最終的には自らも消えていく手法を研究することをあきらめて、工場で働き始めた。
  毎朝六時に起きると、あおなみ線に乗って工場に行き、薄汚れた町の空色の作業服に着替え、ベルトコンベアーの上に乗って次々と流れてくる対称性にすっと刃を差し込んで破っては、ボゾンとフェルミオンを分けていく。
  そして、三原色に塗り分けられ香り付けられたマーク大将のための鳴声三唱を二色の糊でつないでは、光速とプランク定数を最適に調節し、重力質量と慣性質量を正確に一致させる仕事に、毎日くたくたになって部屋に帰った。部屋では、今日も自分が世界で、自分の中に何千億の銀河があり、銀河の中にはまた何十億もの星が輝き、その星の周りには幾つものガスと大地の惑星が周り、そしてその惑星の上にはさまざまな姿かたちの生物たちが、百花繚乱の文明を花開かせ、愛と憎しみで互いを繋いでいると信じ込んでいる彼女が待っている。
  私は彼女が、本当のことに気づかないように、彼女の周りを嘘で固めたのだ。私が工場で身を粉にすることで、何とかまるで、何も無い代わりにに何かがあるかのように見せかけていることができる。
  これはやさしさなんかじゃない。ただ、もし彼女が自分は世界なんかじゃなくて、そして世界なんて本当はどこにもないんだと気づいてしまったら、彼女の妄想であり、彼女自身でもあるこの世界が消えてしまうことを恐れただけなのだ。
  しかしこの恐れは一種の愛であり、世界を成り立たせているものは、愛と嘘、害のない言いかえをさせてもらえば嘘と愛、少々害のある言いかえをさせてもらうと、嘘の愛であり、愛のある嘘なのだ

愛の形(2)

   愛との逃避行
 
  恋に恋する乙女でしかなかった彼女を決定的に変えたのは、男に捨てられた経験だった。男が愛したのは、彼女の愛だった。恋に恋する乙女であった彼女の愛は、それはそれは愛らしい愛だったと言う。男はその愛を愛し、愛もその本性に従って男を愛し、人間と概念の許されぬ愛に走った二人は、彼女を置いて駆け落ちしてしまった。最愛の男と、自分の愛を失った彼女は、残された自分の恋と恋人になるほかなかったが、すでに彼女は恋に恋はしていなかったのだった。

愛の形

   動物園と動物たち

 多くの人は、彼の妻がふしだらにも動物たちになってしまったから、それを閉じ込めるために、彼が動物園になったのだと考えているようだ。常識で人を判断することの愚かさよ。私は彼のことを昔から知っているが、彼は決してそんな人間ではない。
  実際には、彼がある朝突然に、空っぽの動物園になってしまったから、結婚して十数年経っても彼を慕い続けている彼の妻が、自分から動物たちになって、彼の檻の中に入っていったのだ。
  われわれは一生を掛けて、愛の形がさまざまであることを学んでいかなくてはいけない。もうこれで十分、と言える日は決して来ないのだ。
  
        平成二十五年十二月八日
         東山動物園にて記す
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