
著者:U.エーコ
出版:岩波書店
(1996-06-14)

著者:U.エーコ
出版:岩波書店
(1996-07-15)
さすがである。
「記号」などというものは抽象物であり、それほど「実在する」ものではない(実在するかどうかは、程度問題ではあるが)。
それに対して、「記号機能」の方がより「実在する」ものだ、と書いてある。
だから、記号機能を分類するときに重要なのは、「記号機能」が働く現場、つまり記号を作ったり、記号を解釈したりするときに、我々がする「労働」だというのだ。
これはまさに、クワインが哲学にもたらした「自然主義」(「自然科学を世界観の根底においた哲学」という意味なのだが、これはあまりいい用語ではない気がする。「科学正統主義」とでも呼びたい。ここでの「正統」はチェスタートンの意味での言葉である)に則っている方法論と言って良い。
「コードの理論」としての「記号論」もクワインの「全体論」と相似を成している(もちろん、ガダマーらの言う「解釈学」とも深い関係があるが、記号論の方が自然科学との親和性が高く、将来性がある)。
ヨーロッパの大陸哲学と英米経験論哲学との融合は、ここでは全くもって難しいことではないように見える。
邪魔しているものは一体何なんだろう> 彼らの文化の深層に今も根深く残る、キリスト教の残滓が、自然科学的世界観を受け入れまいとしているのだろうか?
戸田山和久は最近、デネットが「自由意思」を物質や生物の進化と共に発展したものとして描いて「自然化」した手法を応用して、「意味」や「価値」などを自然化しようとしているという。

著者:ダニエル・C・デネット
出版:NTT出版
(2005-05-31)
それはまさに「記号論」の自然化を含むものになるだろう。
その動きに期待したい。