九月を意味する「September」の「septem」の部分は英語の「seven」つまり「7」であり、十月を意味する「October」の「Octo」は英語の「eight」すなわち「8」である。もちろん蛸を意味する「octopus」の「octo」でもあり、これは「八本の脚」を意味している。
以下同様に、「November」 は「9月」、「December」は「10月」 を意味している。
なぜ2ズレるのであろうか。
教育者というやつは嘘を教えるのが昔から好きで、いつ誰にだったか忘れたが、確か小学生のとき私はこれを「カエサルとアウグストゥスが自分の名前を月の名前(それぞれJulyとAugust)に加えたからだ」と教わった覚えがある。子ども心に皇帝たちの我儘さが印象付けられたものだ。
それからしばらくして知識人となってデュメジルを読んでたときに、「当時のローマの暦は3月が一年の始まりであり、マルスの化身である老人が町に入ってくる儀式が植物の成長する春の始まりを意味していた」という文章を読んで、強く印象に残った。「March」という月名もそこから来ている(ラテン語では「Martius」)。


なぜ印象に残ったかというと、これも教師に教えられた話で、あれはたぶん浪人時代の河合塾だったと思うが、「Januaryは一年の始まりだから、出入り口の神である二つの顔を持つヤーヌスの名前を与えられた、というのは民間語源で正しくない」という話を覚えていたのだ。そんなこと言っても大概の塾生は理解できないと思うのだがまあよい。
とにかく私は、
「ああ、なるほど、一年の始まりが三月だったら、一年の始まりだからヤーヌスだ、という議論は成り立たないなあ」と感銘を受けた、というわけだ。
それからまた何年も過ぎ、暇な知識人として町を歩いているときにふと私は、月名の数字が2ずれている正しい理由に思い当たったのだ。
三月から一年が始まるとすれば、普通に月名と順番が合うではないか!
勢い込んでWikipediaなどで調べてみると、確かに「July」と「August」はそれまで「Quintilis」「Sextilis」(普通に「五番目の月」「六番目の月」を意味する)と呼ばれていたものを、本人たちが暦を修正したおりに「Julius」「Augustus」と名前を変えただけだ(自分の名前を平気で月名につけてしまう古人のセンスが好きだ)。
どうして今まで気付かなかったのだろう。というかデュメジルを読んでいるときに、気付いてもよさそうなものだ。いや、真実というのは得てしてこのように、伸ばせば手の届くところに無造作に転がっているものなのかもしれないな。
さらにいろいろ読んでみると、古代ローマの最初の暦(伝説上のローマ建国者の名前を取って「ロムルス暦」と呼ばれる)では、一年は10ヶ月で、農業をしない冬の間は月を数えず、春めいてくると王が一年の始まりを宣言していたらしい。それが私がデュメジルの本で読んだ記述なのだろう。
その後、冬の間も月を数えるために、「Ianuarius」と「Februarius」が付け加えられるが加えられた(これは、伝説上の二代目の王の名前をとって「ヌマ暦」と呼ばれている)。
ここでも、まだ一年の始まりは「Martius」だった。
今でも閏年に二月で日数の調整をするのは、二月が一年最後の月だった、このころの名残である。思わず膝を打つ。
この時代は、一年は355日だったので、二年に一回、「Februarius」のあとに「Mercedinus」という月を挟んでいたようだ(この記述を読んだとき、私はラファティの『草の日々、藁の日々』を読みなおして、これに関する記述がないか調べてしまった。ぱらぱら見ただけでは見つからなかった。私の言っている意味が分かる人は友達だ)。
どろぼう熊の惑星 (ハヤカワ文庫SF)
R.A. ラファティ
早川書房
1993-03

てっきり名前の由来は泥棒と商人の神「Mercury」かと思ったら(神出鬼没なところがピッタリだ)、一年の終わりなんで、「賃金」という意味から来ているらしい。まあ、語源は同じか。
ちなみに「April」はギリシャからエトルリアに伝わった「Aphrodite」、「June」は結婚、出産、育児を司るユピテルの妻「Juno」である。「June Bride」という習慣の起源もここにある。「February」が何の神様なのかは、いろいろと物を書き残し始めた時点のローマ人にもよく分からなくなっていたらしい。
その後、紀元前153年にヒスパニアでの反乱への対応のため、執政官が例年の3月15日より早く着任した。これがきっかけで、一年の始まりが1月になったのだ。
その後、閏日を入れる役割を持つ最高神祇官が、政治的理由で好き勝手に閏日を入れたため(昔の人のこういう適当なところが好きだ)、一年が正しい暦から90日もずれてしまった。
カエサルがこれを正すために、紀元前46年に、445日というものすごく長い一年を用意した。カエサルはこれを「ultimus annus confusionis(最後の混乱の一年)」と呼び、人々は「annus confusionis(混乱の一年)」と呼んだ(作品の題名にしたいくらい好き)。 
これ以降カエサルはそれまでの太陰暦である「ローマ暦」を廃止し、4年に一回閏年のくる太陽暦「ユリウス暦」を採用し、7月の名前を自分の名前に変えた。
しかし、その後間違えて3年に一回閏年を入れていたので(昔の人のこういう馬鹿なところが好きだ)、アウグストゥスがそれを調整したおりに、8月の名前を自分の名前に変えたのだ。
ここからグレゴリウス暦まで、しばらく大きな変化はない。そのときのごたごたはこちらへ。

さて、一つの謎は解けたが、まだもう一つの謎は残っている。結局、一月が一年の始まりだからヤーヌスだ、という話はどうなったのだ。
月の名前が2ずれている理由はWikipediaなどを調べればすぐに真相に当たったものの、そこには普通に「一年の始まりだから出入り口の神ヤーヌス」と書いてある。
しかし、今までの話を総合すると、やっぱりそれはおかしい。「Ianuarius」という月名が導入されたときには、まだそれは一年の始まりじゃなかったのだ。
どういうことなんだろうか?
結局「Feburus」がどんな神様かよく分からないように、これも歴史の忘却の彼方に消えてしまったのだろうか。

やっぱり真相は手の届くところになんかないじゃないか、うそつき!