けんさく。

けんさく。が、いろいろ趣味のことをやるページです。

谷山浩子

水族館はどこですか

 「サカナが見たい?」
 私は私の師匠である司書にそう言った。彼は手近にある辞書の辞書を手に取って、何かが分かるかもしれない辞書を探した。
 「サカナさかなさかなさ・か・な……。ううむ。この近くの書架にはないかもしれないな。ここから先は筆写が荒すぎて読み取れない。誰だこれを描いた司書は」
 片眼鏡を眼窩にはめ込み、目を細めて次第に解れていく文字列を懸命に追う。
 「どうやらここから3眠りほど行った書架に【生物学】と呼ばれるものについて述べた本が集めてあるようだ。そこに行けば、何か役に立つ索引の索引が見つかるかもしれない」
 「いえ、お師匠。私はさかなに関する書を読みたいのではありません」
 司書の師匠は辞書の辞書を書架に戻し、別の目録の目録を取り出しながら、私を見た。
 「私はさかなが見たいのです」
 彼は特になんの感慨もなさそうに私から目録の目録へと目を移し、目的の目録を探し始めた。
 「そうはいうがな」
 ため息交じりの言葉は、このようなことを言う弟子は私がはじめてなわけではないことをにじませていた。
 「さかなとはなんだ。我々はそれをどうやって知ることができる」
 「この目で見たいのです」
 「もちろん、見たり聞いたり触ったり匂いを嗅いだり味わったりすることによって知識は始まる。しかしそれが知識になるためにはそれだけではだめだ。それが人々に共有され、確認されなければいけない」
 どうやらその目録は目的の目録の載っているものではなかったようで、師匠はすぐにそれを閉じて、別の目録の目録を探し始める。彼は自筆の目録の目録の目録を机の下から取り出して、丁寧に書かれた自分の文字を追い始めた。
 「それが図書だ」
 何回も聞いた話だ。そして納得もしている。
 「私がお前を知るためには、お前を見るだけではだめだ。それを言葉にしなくては。なぜなら人の感覚は不安定で頼りにならない。わしが書を読んで解釈間違いを起こしたのを何度も見たであろう。だから言葉を他の司書に確認してもらう。他の司書からの視点が追加される。それによってお前という存在がだんだんと像を結ぶ。単純な場合はただ単に言葉を交わすだけでいいかもしれない。しかし、世界はどこまでも複雑だ。このわしでさえここから旅路3眠り分の書を全て読むことすらかなわない。だから文字にして後々に残さなくてはいけない。もう一度言おう。それが図書だ」
 私は何度も聞かされた話をもう一度聞かされるという罰に、いたたまれなくなってきた。
 「テクストの外なんてものはない。覚えておくことだ」
 師匠はようやく目的の目録の載った目的の目録の目録を見つけ出し、何かを書き写して私に渡した。
 「ここに行くがよい。この書架で必要な地図を探せ。旅をするのも重要な修行だ」
 その次の眠りに、私は夢を見た。
 そこはぼうっと仄明るい場所だった。なのにどこにも灯りらしきものはない。そして天井まで図書が並んでいるはずの壁に何もなかった。書架もないのでのっぺりと平らだ。そして何より不思議なのは図書の向こう側の壁はただの壁なのに、ここの壁は向こう側が透けて見えている。青く、ゆらゆらしている。空気が何か変だ。触って見ると冷たい。
 向こう側は床すらない。下を見ても、だんだんと暗くなって見えなくなってしまい、どこまで続いているのか分からない。階段の手すりから下を見たみたいだ。でも階段の下はすぐに暗くなるのに対し、ここは明るいのにだんだんとぼやけて何も見えなくなってしまう。上を見ると天井全体が光りながらゆらゆらと揺らめいている。一体どんな素材で作ったらあんな風になるのか。
 そのとき、急に光が遮られた。何か巨大なものがゆっくりと近づいてくる。浮いている。私はそのときになって初めて、向こう側が水で満たされていることに気付いた。
 その巨大なものが目の前を横切る。そんな巨大なものは見たことがないのに、私はすぐさま理解した。それが生きていることを。きゅいーーん、ぶわーーーん、という大音響が空気を震わせる。この巨大なものが声を上げているのだ。1枚の透明の壁を間に挟んで、巨体に対して小さく優し気な目と私の目が合った。体が縛り付けられたようになって、一歩も動けない。その目が私に何を訴えかけるのか、それとも何も訴えかけないのか。お互いに初めて見るものを注視しているだけなのか。考えているうちに目が覚めた。
 旅立ちの起床だった。
 私は旅立つ前に、普段生活している図書室からすぐ近くにある私が生まれた図書室に向かった。母親に会うためだ。父親は私が生まれる前に階段の底だ。短く旅へ出る旨の挨拶をした。彼女はそれを素直に喜んでいるようだった。私をこの辺り一番の司書の弟子にするために、彼女は文字通り骨身を削った。彼女はただ文字を読むだけでなく、様々な写本からもともとの文書を再構成することができる司書だった。しかしその彼女が私のために、学のあるものたちは決してやりたがらない単調な写本作業や分類作業などに従事したのだ。学のない司書見習いのする写字は誤字脱字が多い。母はすぐにたくさんの仕事を得た。そして写本机が確保できないときは階段の途中の灯りの下ででも、文字を写し続けた。そうしてようやく手に入れた古代の貴重な書(『代数幾何原論』の5巻以降、『詩学第二部 喜劇論』、『存在と時間 下巻』、『とどのつまりはなにもなし』、『ビット文学の歴史』)を書き写す機会を2倍に使って、もう一冊ずつ書き写し、それを今の師匠への贈り物としたのだ。
 長年の無理がたたって、母の視力はひどく衰えている。視力を失っても、司書としての生きる権利を失わないのは、付近1週間の旅路に渡る書架の内容を把握している司書の王だけだ。そうでないものは、生まれてからずっと書き継いできた自己の記録を製本し、書架に献納して、生まれたときにもらった毛布にくるまれ、階段の手すりから投げ落とされる。存在するのかどうか誰も知らない階段の底へと向けて。
 母はもしかしたら、自分が私が旅から帰ってくる姿を見ることがないと考えているのかもしれない。私はどう考えているのか。私にもよく分からない。
 「最近はどんな書を読んでいるのですか?」
 何となく離れがたさを感じて、あたりさわりのないな話題を探す。
 「最近は新しい書を読む気にはなれなくて、ここの書架のずっと以前に読んだ書を読み直したり、昔の自分の記録を読み直して、思い出にふけったり、編集したりしています」
 死ぬ準備だ。聞くまでもなく当然の答えだ。なぜこんなことを聞いてしまったのか。
 「生まれたばかりのあなたにせがまれて何度も読んだ本もここにはたくさんありますからね」
 私も気が付くと、さっきからそんな本ばかり手に取っていた。他より挿し絵のたくさん入った本。22文字のアルファベットと文字の区切りとコンマとピリオドの25個の記号の使い方を教える本。ここでないどこか別の図書館について書いた不思議な物語。図書室ホールの形が正方形だったり、2種類の形の部屋を周期を持たずに並べたようなものだったりする、異端すれすれだが子どものための物語だから許されているような書。それらを眺めては、棚に戻す。今読むとどれもくだらないものだ。
 図書室のホールは中央に写本机が並び、司書が書を読んだり、書を分類したり、書を書き写したりしている。床には何人もの司書が毛布にくるまって寝ている。六角形の図書室の三方の壁には天井まで書で埋め尽くされた書架で、残り三方は別の図書室ホールだったり、手洗いや医療室や、階段に繋がっている。
 階段は六角形に内接する円を縦に伸ばした螺旋形で、上下にどこまでも続いている。天井から吊り下げられた灯りに煌々と照らされている図書室と比べて、階段は光に乏しく、上も下もすぐに闇に飲み込まれてしまう。
 以前地図の専門家の話を聞いたことがある。彼は様々な地図がどの書架にあるかについての地図を集めていた。そしてそれらの地図を統合した地図を作成していた。そんな彼でも10年旅をして、いくつもの図書室を通り過ぎ、いくつもの階段を上り下りし続けた結果、ふいに元の図書室に帰ってきてしまったらしい。集めた地図はどう重ね合わせても、原理的に3次元上には実現不可能なものだったうえに、それが図書館全体の中でどういう位置にあるのかは、まるでノンブルのない紙束のようにどこからたどり始めればいいのかすらつかめない状態だった。
 「図書館があるのは、どこか図書館の外なのかもしれない」
 彼は冗談のようにそうつぶやいた。みなその罰当たりな言葉を礼儀として聞き流した。誰でも時には恐ろしい呪いの言葉を吐きたくなることもある。図書館警察の耳に届けば階段の底に送られかねないそんな言葉は、口から漏れ出てもほとんど紙の上の記録にはならないのだ。彼を貶めようとする敵がいなければ、だが。
 長くここにいすぎだ。私は暇乞いを告げ、母と別れた。そしていくつか今読んでいる本を詰めたずっしりと重い鞄を背負って、図書室から次の図書室への延々と続く旅に出る。
 どこまで行っても同じ光景だが、書架に並ぶ本は少しずつ変わる。哲学、政治、法学、経済、数学、自然科学。様々な分野が並ぶ。
 この付近、旅路1眠りほどの書架はだいたい把握している。どんな書物が置いてあるか。どこに重要な目録があるか。もちろんそれを実際に全部を読むことは難しいが。しかしどんな言葉が書いてあるかは想像可能だ。便利な抜粋集や抜粋集の抜粋などが豊富にあるし、用語集なども多い。
 しかし分からないのは、何が書いてあるかだ。政治とは何だろう。政府とはどこにあるのか。法学とは何か。法とはどこにあるのか。経済とは。我々は書と書を、書と食物を交換する。しかし貨幣とは何だろう。自然とは何だろう。食物は医務室にある機械によって配られる。司書として機械に登録されていれば、食物が与えられて、司書はそれを司書の資格を持たない司書見習いを働かせたりすることの対価として配る。自然科学の本には、それらの食物がどうやって作られているかが書いてあるような気がする。しかし、いくら読んでも分からない。太陽とは、土とは何か。水は分かる。しかし川とは、海とは何か。
 「それらは本質的に理解不可能なものなのだ」
 師匠はそう言った。
 しかし本当にそうか。数学の書に書かれていることを私は完璧に理解しているつもりだし、哲学の中のいくつかの書も理解可能に思える。それならばなぜ他の書は理解不可能なのか。一つ一つの文章はどこまでも正しい文法に則っているのに。
 「我々司書の役目は書を理解することではない。分類し、整理し、そして利用者を彼らが必要な所へと導くことだ」
 しかし利用者とは誰か。それはどこにいる。太古の昔にはいたと言われている。図書館学、つまりこの世界の成り立ちに関する書には確かに利用者が何を求めているかについて書いてある。しかしそれすらも理解できない。そもそも彼らはどこから来るのか。図書館を利用するとはどういう意味か。それ以外には何もないものを利用することなどできるのだろうか。
 分からないまま、旅を続けるしかない。階段に突き当たるたびに、底を覗く。あの夢が思い出される。あれは何だったのか。階段の底から風が吹きあがる。階段の底。そこには何があるのか。
 出発するのが遅すぎた。地図を見つけたところで、もう歩けなくなる。ここは前にも来たことがある。地図が多いので人が集まる。本を交換する人々で騒がしいし、床は眠る人たちで足の踏み場もない。その中の一人がいつの間にか死んでいて、階段へと運ばれていく。私は空いた場所に毛布にくるまって横になった。
 そして再びあそこにいた。
 私はあの透明な壁に両側を挟まれた廊下を歩いていた。壁の向こう側の見たこともない大量の水の中には、あの大きな生きている者や、それより小さな生きている者が漂ったり、ひゅっと横切ったりして、私を見ている。珍しいのだろうか。そして時々、きゅぴぴぴぴ、くるるるる、と鳴いている。
 廊下の天井からは、骨が釣り下がっている。最初は手と足を備えて四つ這いで歩くものたったのが、だんだんと変化していっている。手の指は大きく横に広がり平面的になっていき、足はだんだんと小さくなる。その変化の行き先をだんだんと私は理解した。
 最後に釣り下がっているものは、おそらくあの者たちの骨だ。巨大なものも、司書と同じほどの大きさのものもある。背骨があり肋骨があり胸骨があるところなどは我々司書の骨と同じだ。あの体から生えた泳ぐための板のようなものにも、まるで手のような骨があるということだ。しかし足はない。変化の中で消えてしまった。
 その時、私は気づいた。背骨の後ろの3分の2ほどのところに小さな骨が浮いている。私はそれに手を伸ばした。
 「本当は触れていけない決まりなのですが」
 頭の中に突然声が響く。
 「そのような決まりが出来たのも遥か昔のこと。あなたは久しぶりの客人なので、特別に許しましょう。持ってお行きなさい」
 私はその言葉のまま、二つの骨片を手に取った。
 「その対の骨があなたの旅の両足となり、あなたが生まれるための揺りかごとなり、終着点への鍵になるでしょう。私たちがかつて帰った故郷への旅の。あなたが両側から旅する旅の」
 私はそれを両側の衣嚢の中に一つずつ入れ、目を覚まして懐をまさぐったが何もなかった。当たり前だ。なのに私は少々困惑していた。
 私は旅を続ける。目的の図書室へと至るために、階段を昇る。段を踏みながら、私はそもそもの旅の始まりを思い出す。書を読んでいたのだ。一人の子供がランプの灯りの下で騎士の絵を描いていた。騎士、という言葉は武装した司書を意味するらしい。それならば分かる。鉛筆が下に落ちて拾おうとしたが何も見えない。これも完璧にわかる。そのとき暗さが透明になり始めて、壁や机の脚が見えるようになってきた。そして指を広げた自分の手も。どこにも分からないところはない。しかし次の文章で急に分からなくなる。
 その手はなんとなく水棲動物のようにひっそりと下を泳ぎまわっていたという。水棲動物とは何だろうか。私は辞書の中をさまよった。そして水棲動物の代表的なものがサカナであることを知ったのだ。そして様々な種類のサカナがいることも知った。いくつかは絵も見た。しかし一体それがどのくらいの大きさなのかも分からない。書に使われている古代の単位系は明らかになっていない。そもそもいくつの視点から描かれようが、それらが一向に像を結ばない。彼らはどこにいたのか。脚も車輪もないのに彼らはどう移動したのか。だいたいどう立ったのか。
 私は手近な図書を一通り当たった。しかし分からないことだらけだ。でもそれはいつものことでもある。真面目に図書を読もうとすれば誰でも感じるもので、司書見習いのうちに慣れておかなくてはいけないものだ。
 しかし、その時はどうしてもそれで済ますわけにはいかない気がしたのだ。このまま書架をぐるぐる回ってもどうにもならないのは分かり切っていた。しかしそれ以外にどうしたらいいかも分からない。この図書館に書架以外のものはないのだ。この図書館にテクストの外なんてものはないのだ。つまりそれがすべてだ。
 私はそれでも図書館の外を夢見た。どこぞなりとも図書館の外へ。文法学者に「図書館の外」なる語法は単純な文法違反で、そういう発言は「図書館」や「外」という言葉の使い方が分かっていないのだといくら指摘されようとお構いなしだ。
 私は異端へと近づきつつあるのか。母が命を懸けて用意した出世の道を台無しにしようとしているのか。
 私は目的の書架の管理者をしている司書に、師匠の紹介状を渡し、初めて見る書架を漁った。
 知っている書のより劣化した写しも多かったが、より品質の良い写しをいくつか見つけたのは収穫だ。以前見た写しでは意味不明になっていたところが、意味のとれる文章になっており、おそらくより原本に近い写しなのであろう。
 また興味深い見たことのない書もいくつかあった。
 しかし肝心のサカナに関する書は見つからない。書架梯子の中途で目録を開いて考えあぐねていると、突然声を掛けられた。
 「何かを探してるの?」
 声は下からしたはずだ。しかし私が顔を上げた時には目の前に顔があった。不思議な彩りに光る瞳が私を見つめていた。
 「き、君は?」
 「わたし? わたしは人が本を探すのを手伝ってるの?」
 「そ、そうなの?」
 服装から司書ではなさそうだ。司書見習いの多くは一生を司書に仕えて終わるものも多い。
 「じゃあ、サカナに関する書を探してくれないかな?」
 私は師匠に彼らに命令するための威厳が足りないと言われ続けていた。とっさに軽い言葉遣いが出る。
 「さかな、ね。分かった!」
 彼女は梯子から軽快に飛び降りて他の書架に走る。年恰好は私と同じように見える。しかし表情や立ち居振る舞いからどこか幼い印象を受ける。しかし私が見つからなかった書をそうやすやすと
 「あったよー」
 見つかるのか。
 あまり期待せずに見に行くと、確かにサカナに関する書だった。期待していたものと違って、絵はあまりない。何かを報告する形式の書のようだ。どこかに意味の要になるような単語がないだろうか。
 「ねえ、この言葉の意味分かる?」
 私は彼女に文字を指差して聞いた。しかし彼女は眉を顰めてその部分を少し見つめただけで、首を横にふるふる降った。
 「ごめんね。文字読めないの」
 椅子から落ちそうになる。
 「文字が読めないのに、どうやってこの本を探したの?」
 ほとんど教育を受けたことのない司書見習いの中には文字を読めない者もいるのは知っているが、そういうものは単純な肉体労働以外しないものだ。
 「あのね、ここの部分を見てね」
 図書の分類ラベルだ。数字と記号で図書を分類している。
 「それでどこに何があるか覚えてるの」
 「それだけ?」
 「うん、それだけ」
 そんなことが可能なのか。文字も読めない司書見習いが目録もなしにここにある図書のほとんどを記憶しているということが。
 「すごいんだね」
 私は素直にそう言った。
 「そうかな。そうかも」
 「じゃあ、水族館についての本があったら教えてくれる?」
 次の瞬間には彼女は走って行ってしまった。そして書架にちょこまかと登っては軽やかに飛び降り、また別のところに登る。それをしばらく見ていると、何冊か図書を抱えて戻ってきた。
 「こんなのどうかな?」
 私はそれらを受け取って写本机まで持って行って1つずつ当たって行く。
 なるほど、水族館とはサカナやその他の水棲生物がたくさん集められているところなのか。そして図書館に利用者がいるように水族館にも利用者がいるとも書いてある。ならば水族館とは図書館と同じようなものなのか。いや、それはあきらかに異端の考え方ではないか。
 そこまで考えていた時、彼女が自分をずっと見つめていたことに気づいた。図書ではなく、あきらかに私の顔を。
 「なに?」
 だんだん気が散り始めたのでそう聞いた。
 「なんにも!」
 元気よく彼女は答える。
 「じゃあ、なんで見てるの?」
 「どんなことが書いてあるのかなあって」
 文字が読めないのに、なにが書いてあるのか興味があるのか。私は仕方なく掻い摘んで説明してあげようとした。彼女は真剣に私の話に耳を傾ける。すると、
 「それに似た話を聞いたことある」
 と言い始めた。
 彼女の記憶力には感心させられたので、
 「それはどこに書いてあったの?」
 と聞く。すると、
 「ううん。書いてあったんじゃないよ。遠くから来た人に聞いたの」
 そんな馬鹿な、とまず思った。文字に起こされていないことの不安定さは何回も師匠に叩き込まれている。
 しかし、今師匠の元から離れているこの場所で、師匠の引いた道を歩いていても、今までと同じ道をぐるぐる回っているだけという印象を強く受ける。たまには目の前のこの少女を信じてもいいのではないか。
 「ねえ、この本と似た本を知らない。『平行植物』という本なんだけど」
 これのかなり劣化した写本を故郷の書架で見た覚えがある。あまりに劣化してとても意味が取れなかったが、私はてっきり幾何の図書だと思ってちゃんと理解したいと思っていたのだ。今回どうやら幾何の図書ではないと判明して少し残念だか、この図書で彼女を試してみることにした。
 「うーん。この近くにはないけど、歩いて一回寝るくらいの距離の本棚におんなじ題名の本があるって聞いたことあるよ。それはこっちの扉をまっすぐ行って階段を一回降りて……」
 本物だ。ならばなにを聞こう。彼女に聞けばもっと水族館に関する図書を集めることができそうだ。それらの中の主要なものを写し、抜粋集を作り、目録を作れば、師匠も私を認めてくれるだろう。
 しかし私の唇はそれとは別の言葉をすでに紡ぎはじめていた。
 「じゃあさ。水族館、ってどこにあるか知らないかな」
 彼女が眉をひそめる。
 「ええと。水族館の本がある本棚じゃなくて?」
 「うん。水族館はどこなのかなって」
 彼女は周りをキョロキョロ見回した。ここでは話しにくいのだろうか。異端に関わる内容。明らかに彼女は何かを知っている。
 「じゃ、ちょっとお手洗いに行こうか」
 「え、でも別にトイレになんか」
 「いいのいいの」
 お手洗いの個室の中で彼女から話を聞き出した。決して文書の形にはならない伝説。師匠なら唾棄すべきものと切り捨てたであろうもの。しかし今の私には一筋の光明、誰かが余白に残したありがたい但し書きに思えた。
 「まずはヒトについての本棚を探すんだね」
 「うん、そう聞いてる」
 「そうか。この近くにあればいいけど」
 「よかったら、わたしが案内しようか?」
 「いいの?でも危ないかも」
 「大丈夫だよ。そんなことよりわたしお腹すいちゃって……」
 そこで私は図書館が支給する饅頭を二人で分け合って食べた。食べるとすぐに彼女は寝てしまう。
 「ちょっと?毛布は?」
 「ないよー」
 気軽に言うが、彼女がどんな生い立ちなのだろうか。仕方がないので私の毛布を分け合って寝た。毛布の中に自分以外の体温を感じるのは母親以来だった。
 そして私はまたあの透明な壁の前にいた。今度はもっと小さいもので、天井に青い僅かな灯りも見える。そして水の中には半透明の傘状のものがふわふわと開いたり閉じたりしながら浮いている。何筋もの紐のようなものをつけているものもいる。区切りごとに別の種類のものが浮いているようで、様々な大きさ、様々な形だ。皆青い光の中、気持ちよさそうに浮いている。
 よくみると下の方に細かいかけらのようなものが沈んでいる。壁を砕いたものに似ているが磨いたように丸い。そこに形は浮いているものに似ているが不透明で赤や紫や緑など様々な色のものがへばりついて、紐のようなものを水中にふわふわ動かしている。
 他にもこれまた赤や青や緑と様々な色のスポンジ状ものや、にょきにょきと上に伸びたり水平に広がったりする図書館の装飾のようなものが、透明な壁に囲まれた空間の下や横にへばりついている。
 これらも生きているのだろうか。しかしあの大きなものと違って意思は感じない。
 しかしよく見ると透明な壁に薄っぺらい何かがへばりついている。それは少しずつ前へ這いながら進んでいるようだ。進む方向がある。そのことに私は少し感動した。
 私は暗い廊下を歩きだす。次の壁の中では先ほど壁を張っていたものと同じような小さなものが、今度はひらひらと体をくねらせて水中を前へ進んでいる。
 小さな変化だ。しかし、意味することは全く違う。
 この小さな空間ではこの生きているものはどこへも行けない。しかしこの変化によってこの生きているものはどこにでも行けるようになったのだ。どこまでも行けるようになったのだ。周りを見るとたくさんの生きているものが水の中を、水の底を、ゆっくりと、あるいは素早く、自由に動いている。背中に棘が生えたいくつもの足で底を歩くもの、何本もの節くれだった足を動かして水の中を動くもの、硬い渦巻き状の殻の中からいくつもの足を出して浮いたり沈んたりするもの、顔の真ん中から生えた一本の手を動かしながら水の中をさまよう5つの目を持つもの、排水溝のような口を開いたり閉じたりしてしながら体の横に生えたいくつもの板状のものをひらひらと動かして水中を移動していく他よりずっと大きなもの。いくつもの生きたものが動いていき、私を誘う。見れば廊下はいくつもの道へと分かれている。どちらに行けばいいのか。その一つだけが正解だということは何となく分かる。まるで木だが、辞書を読むのとは勝手が違いすぎる。
 途方に暮れている私の耳に、どこか遠くからピキキキキとあの声が届く。私を導いてくていれるのだ。
 私は道の一つを選んで歩き出す。後ろを振り返ると、一本の道がすでにずっと後ろの出発地から続いている。戻る道は一本道なのだ。起きてからもずっとそのことを私は考えていた。彼女の案内で私はまずヒトについての図書を集めた書架へ向かった。
 「おっきなカバンだね」
 彼女は私に言った。
 「図書がたくさん入ってるんだ」
 「そっか。それだけおっきなカバンなら、すぐ目印になるね。どこにいても分かるよ」
 「そうかな」
 「そうだよ」
 道連れができると旅が苦痛でなくなる。お互いにどうでもいいことを話していたら、時間は早く過ぎ去っていく。
 「ヒトってなんなの?」
 図書を調べている私に彼女は聞く。
 「分からない。2本足で歩いて、手が器用で道具を作ることができ、脳が大きく知能が高いので、言葉を操り存在しないものについて語ることができるらしい。でもここに書いてあることは、単に司書や司書見習いについてのことに見える。もしかしたら司書や司書見習いのことを昔はヒトって呼んだのかも」
 「へえ、そんなことがすぐにわかっちゃうんだ。本てすごいね」
 「あなたの方がすごいよ。聞いたことをなんでも覚えちゃうんだから」
 「そうかな」
 「そうだよ。もしかしたら文字を読めないからなのかも」
 「そうかもね」
 次はサルだ。次の書架へ向かう間も、彼女は様々などんな図書にも載っていないような怪しい話をしてくれた。図書館の奥底にいる司書を食べてしまう化け物の話や、司書ではない様々な生きているものの話、それらがみな似たような姿になって楽しく生きていける場所の話。声に出されてすぐに消えてしまうのに、少しずつ姿を変えながらも長く生き残り続ける物語たち。
 サルは司書と同じように4本の指と向かい合った親指を持つ。これなら本を持つことや、開くこともできるだろう。また2つの目が両方前を見ているから、物が立体的に見えるし、色を見分けることもできる。彼らに色とりどりに塗られて飛び出す仕掛けの入った本を見せてあげたい。
 ヒヨケザル。彼らは空を飛ぶ。書き損じの紙を折って作ったおもちゃのように。ツパイ。彼らは酒を飲む。図書館から酒が支給されるのはよほど高位の司書だけだ。
 ネズミ。これは聞いたことがある。図書館の壁の中に住み、壁に穴を開けて出入りして、司書の食べ物を荒らすという。架空の生き物だと思っていた。彼女に聞いたら実際に見たことがあるとすら言う。「こんなに大きかった」と明らかに嘘だろうという大きさに腕を広げた。私はそれを見て笑い転げて、あやうく階段から転げ落ちそうになった。
 何日も私たちは旅をした。もうずいぶん前から辞書や目録や地図に頼らなくなっていた。自分たちが出発地点からどのくらい進んだかもわからない。戻ろうと思っても戻れるかどうか分からない。進むときは一本道なのに、戻ろうとすると木のように分かれていく。
 そうだ、木だ。私は木とは計算論に出てきて、辞書を効率よく読むときに使う枝分かれする構造のことだと思っていたが、どうやら違うようだ。昔、そこら中の床から生えて枝分かれして、生き物たちの住処になっていた緑色の、動かない生き物。どんなものなのだろうか。そして枝分かれを間違えて後戻りすると私たちはどこへ行ってしまうのか。
 その先には様々な生き物がいるのだ。モグラ・ウシ・ウマ・コウモリ・ネコそしてクジラ。
 クジラ。これはなぜか見覚えがある。そうだ、夢の中でだ。透明な壁の中を覗き込んだ私の目の前で、何本もの太い紐状のものが何かの塊に絡まりついている。それはどうやら肉のようだ。ひも状のものは肉に食らいついているのだ。
 「彼らが食べているのは我々の死骸です」
 あの声がまた脳裡に響く。
 「これがサカナなの?」
 私は彼らに問いかける。
 「ある意味ではそうです。しかし別の意味では違います。それはあなたがたが決めた名前に過ぎず、多様に変化していく命を測るにはしなやかさが足りなさすぎます」
 私は階段を昇った。そこはまた壁が一面透明になっていて、向こう側には膨大な水があった。そこに赤い色の、緑の色の、黄色の、さまざまないろのサカナが泳いでいるのが見えた。
 「満足ですか。それが見たかったんでしょう」
 クジラの声が響く。その声はすでに答えを知っている声だ。
 「不思議だけど、ここが目的地じゃなかったって分かる。どこか、もっと先に行かなくちゃいけないって分かる」
 「それはどこでしょう」
 「図書館。図書館はどこ」
 「はて、資料室なら上の階にありますが。そこへ何しに」
 「誰かとそこで会わなくちゃいけないの」
 私は壁を覗きこんで、上を見上げた。ここも天井がゆらゆらして、灯りもないのに光っている。
 「あれは何?」
 「あれとは?」
 「上の方。なぜ光ってるの?」
 「上? 今は昼で、太陽が照っているからですよ」
 「昼? 太陽? それは何?」
 「おやおや、どうやら深海から出ておいでなのですな」
 私は階段をさらに上った。そして私は彼女と階段を下りていく。
 「トカゲ? これは前に別の本で見たことあるね」
 「うん。トカゲに似てるね。でも実は全然違うんだよ。口の中にいろんな形の歯がある。私たちと一緒だ。でもこれもトカゲもみんな、羊膜に包まれて生まれる。私やあなたと同じにね」
 「おんなじなんだ」
 「そう。兄弟みたいなもの。この卵を産むネズミのような生き物を食べていた二本足の生き物もこの首の長い大きな生き物もみんな兄弟だ」
 「ふうん。ね、兄弟いる?」
 「え、いないよ」
 「いないんだ。じゃあおんなじだね」
 「あ、兄弟いないんだ」
 「うん。おんなじ」
 「おんなじかあ」
 「兄弟みたいにね」
 「いや、兄弟じゃないけどね」
 彼女といるとすぐに話が横滑りしてしまうが、不思議と腹が立たなかった。次の道順を手帳に書きつけると、図書を閉じて、立ち上がった。周りには私たち以外誰もいない。この辺りは故郷からずっと遠い場所で、司書もめったにこないようだ。
 「ここからさらに遡るためには、階段をどんどん下りないといけないみたいだ」
 降りていくと階段の灯りがだんだんと暗くなっていくような気がする。しかし私は彼女といればどこまでも行けるような気がしてどんどん下りていく。だんだん図書室への扉が少なくなっていき、階段ばかりがどこまでも続く。私と彼女はそこを歌を歌いながらひたすら降りていくのだ。
 「「階段の一番上に、明かりがついたよ」」
 「「階段の途中のどこか、明かりがついたよ」」
 「「おりて行こう、螺旋階段。下へ下へと どこまでも。おりて行こう、まわりながら。夢の底へと続く道」」
 歌が急に止まった。彼女が立ち止まったのだ。
 「ごめん。ここから先には行けない」
 急にどうしたのか。いぶかしんで私も振り返る。
 「どうして」
 「あたし、あんまりにも縄張りから離れちゃったし、それに」
 口ごもる。
 「ここから先はあたしたちは息ができないから」
 「それなら私だって息ができないはずだよ」
 彼女は笑顔で首を横に振った。
 「ううん。大丈夫だよ。向こうで待っててくれるから」
 一体何が私を待っていると言うのだろうか。分からない。しかし彼女に問いかけても答えが返ってこないことはわかる。
 私は片方の衣囊を漁った。何かが指に当たる。私はそれを当然のことと考える。
 「じゃあ、あなたも私を待ってて」
 少し暗い笑顔が急に明るく弾ける。
 「うん!」
 「この図書館でね」
 「分かった。そのおっきなカバンが目印だね」
 私の背中を指差して言う。
 「そうだね。これなら間違えようがないね。約束だよ」
 「やくそく!」
 「じゃあ、約束の印にこれも持ってて」
 と手に持ったものを彼女に渡して両手で包み込むように握らせる。クジラの腰の骨。その痕跡、彼らが通って来た長い道のりの痕跡の片方。私たちの長い道のりの道しるべに。
 「うん。ずっと持ってる!」
 「じゃあね」
 「じゃあ!」
 そこからは一人。いやここからも2人だ。私は階段を降りる。灯りは本当にかすかになる。書架があっても管理もされず朽ち果てていて、図書も疎らで損傷がひどい。文字も乱れて読めたものではないか、そもそも見たことのない文字で描かれている。どこからか図書の敵である湿気が這い寄っているのか、絵も黴に滲んでしまっている。乏しい灯りの中懸命に見て取れたのは、水の中から顔を出したり泥の中を這い回ったりしている扁平な顔のトカゲというよりサラマンダーのような生き物。
 水の中はどうなっているのだろうか。少し頭を下げる。すると、目の前の少し濁った水の中をサカナがゆっくりと動いている。
 水の中には緑色の障害物が縦横に満ちており、サカナはそれを体に生えた肉質の板状の器官でかき分けて前に進む。時々水面から顔を出して息継ぎをしている。水面の下から上はどう見えているのだろうか。ゆらゆらと揺れる水面に映る、いくつもの大きな木。頭上を埋め尽くすその緑色の葉の隙間からわずかに見える青。あれはなんだ。
 このサカナのものであろう、歯が展示されている。断面が複雑に入り組んでおり迷路のようになっている。まるで私がここまで来るのに辿った道のりだ。師匠は、母はどうしたであろうか。旅から帰ってこない私をどう思っているであろうか。心配しているに決まっている。しかし今考えると何処かで誰かがこの道を辿らなくてはいけなかったことがわかる。軽率に旅立ってしまったが。さかなが水面から顔を出して短く鳴いた。それに呼応してクキュルルルと言うあの声が遠くから私を呼んだ。私は迷路のように入り組んだ4つの文字で書かれた長い長い暗号から顔を上げた。水の匂いがする。もうすぐそこなのだ。私は図書を書架に戻して立ち上がった。私は衣囊に手を突っ込んで骨の片方を確認する。階段を降り始めると同時に階段を上がり始め、衣囊の中でもう片方の骨を指で転がす。階段の周りの壁が透明に透けていく。何百という魚が周りで渦を巻く。上の方から太陽の光が水の中を幾筋も通り抜け、さかなの背を銀色に輝かせる。私はその光に向かって登っていき、仄暗い階段の底から聞こえる地鳴りのような水音へと降りていく。もう光はほとんど見えない。朽ちきって塵となった図書がそこここに散らばっている。壁から水が染み出す。あの絵の中にあったものが壁からにょきりと突き出してうねうねと伸びている。根だ。ここは根なのだ。だからもうどちらから辿ってももう一本道ではありえない。壁は触るだけでぼろぼろと崩れていく。土だ。落ちていた図書を持ち上げるとボロボロと崩れていく。図書も土に帰るのだ。地面に落ちた紙の破片から懸命に読める文字を読もうとするが、あたりが暗いからか、文字も、そして知識も土に帰ってしまったからか、うまく読めない。ようやくはっきりした文字を見つけたと思ったら、それはかさかさと節足を動かして這っていく。虫だ。本物を初めて見た。眩暈を起こしている私を、階段の底の方から湧きおこるグオーンという声が上へと誘う。イルカたちが二重螺旋を描いて私の周りを踊る。私の旅路の終わりが近づいたのを祝福するように。衣嚢の中で骨が震える。イルカたちの息の泡が大きくなりながら上を目指す。それを太陽の光がきらきら輝かす。イルカたちが自分たちの作った泡を体当たりで壊すと、光の粉のような小さな泡になる。そしてそれらはすべて、何条もの光に貫かれたゆらゆら揺らめく水面を目指す。その向こうにあるのはあの青だ。空だ。溜まらずに駆け上がる。もう片方の衣嚢の骨が共振する。転がり落ちるように朽ちかけた階段を駆け下りる。何かに躓く。もう灯りはないので、何も見えない。手探りでそれを触る。毛布に包まれた死体だ。腐りかけている。それが幾つもいくつも転がっている。それを踏み越えて、這いながらさらに降りようとしたとき、伸ばした指先に何かが振れた。水だ。水面だ。水面を覗き込もうとする。何も見えない。当然だ。だがひどく動揺した。何とかして向こう側を見ないと。私はとっさに衣嚢に手を突っ込んで、骨を取り出した。なぜそれでうまくいくと思ったのかは分からない。しかしそれはほのかに光っていて、その光を使って水面を覗き込むと、そこには水面の下から水面の上を覗き込むと、そこには手に持った骨を水面の下の私へと差し出そうとする私は、水面の上の私に手に持った骨を差し出そうとする私は、同時に手に持った骨を水面に映った骨へと触れさせ、二つの骨が合わさった。
 周りで透明な壁が一瞬で砕けちり、階段の底の闇から水が吹きあがった。
 脆弱になった階段や壁を破壊しながら、水が押しあがる。すぐさまいくつもの図書室が水に飲まれ、図書が藻屑となる。
 伝わった衝撃波で透明な壁は次々と割れ、廊下に水がなだれ込み、太古の生き物の骨は水の底へと沈んでいく。
 水はどこまでも上がっていき、図書館全体の構造を破壊していく。それまで司書たちの誰も存在を覚えていなかった維持システムが浸水で機能を停止し、土台ごと水に押し流される。死んだ司書を放り投げたあとはあえて意識にあまり昇らせないようにしていた場所である階段の奥底から噴き出した塩辛い水に司書たちはなすすべもなく飲み込まれていく。
 管理された世界から自由になったクジラたちは大海原へと乗り出し、喜びと不安の入り混じった歌を歌う。
 何百年か何千年か、どれだけの年月に渡って積み重ねられてきたのかすら忘れられてしまった書架は全て崩壊し、秘められた知識を蔵した紙と司書たちの死体は水を吸ってぶよぶよになり、急激に有機物へと分解されて、海の雪となって深海へと降り注ぐ。
 何もかもが形を失い、再び形を成していく、海の時間。
 気づいたときには、私は空を見上げていた。そう、空だ。それを空と呼ぶことを私はなぜか知っていた。
 水がひたひたと寄せては返し、髪を濡らす。
 体を起こすと、そこは海岸の波打ち際だった。下が岩だったので体が痛い。自分が寝ていたところを見ると、潮だまりが出来ていて、ヒトデ、貝、魚、ヤドカリ、エビ、イソギンチャクなど数えきれないほどの生き物であふれている。
 私はそれをずっと見ていて不思議と飽きなかった。
 しかしふと気づいて顔を上げる。ここはどこなのだろう。分からない。何かものすごい噴火のようなものがあって、ここに投げ出されたようだ。背中にはどこまでも続く海、目の前には森が広がっている。
 どこかへ行かなくてはいけない。そう思った。傍らに落ちていた鞄を背負って、歩き出す。
 どこかへ。
 そうだ図書館だ。
 図書館に待っている人がいるのだ。

練乳×がぶ飲み×転落人生

やはりあの練乳がまずかったとしか言いようがない。あれが原因で私の転落人生は始まってしまったのだから。それ以来、際限なく転がり落ちていくばかりだ。しかし、慣れれば重力に身を任せ転がり落ちていくのも悪くはない。今まで苦労して坂を登ろうとしたのが馬鹿みたいだ。自然の法則に逆らおうとすることは愚かなだけではなく、罪悪ですらありうるだろう。彼らは宇宙を掻き乱し、徒に世界の調和を崩す。昇っていく者には分かるまい、転がり落ちていく者の平静さが。昇っていく者には体の重さによる優劣がある。体の重い者はより天に近い軽やかな者達を、憧憬と怨嗟のこもった目で見上げるしかない。しかし転がり落ちていく者は平等だ。重い者も軽い者も、みなガリレオが観察したように同じスピードで転落していく。そして基本的平等の上に生きる技芸がある。今まで位置エネルギーを運動エネルギーに変えるやり方に、これほどの種類があるとは思わなかった。もちろん改めて考えてみれば、どんなものにも極めれば極めるだけ様々な技術があり流儀がある。転がり落ちることだって同じだという話だ。私は先ほどの練乳の力の効果でたちまち際限なくぶくぶく太りながら、名古屋大学前から本山に掛けての、はるかな昔名城線名古屋大学駅が出来る以前には何人もの大学生達が自転車で殺人的な滑降を行い、幾多の現地住民に名古屋大学への苦情の電話を行わしめたと伝説に語られている坂を、まるでカボチャを坂に転がしたようにごろんごろんと転がり落ちていった。ああ、このままどこまでも転がり落ち続けられたらいいのに、と私は願った。そしてその可能性を探るために、どうやったら転がり落ち続けられるかを頭の中の地球儀に描こうとして、中心に向かって収斂していく螺旋に目をクラクラさせている途中で、早くも底が見えてきた。しかし、そこには驚くべき光景が広がっていたのだ。それはなんと、牛乳風呂のような一面の真っ白い湖だった。まさか登別か? と一瞬考えたがそんなはずもなく、次に私の脳裏に閃いたのは想像出来る限り最悪の可能性、練乳が追いかけてきて私を待ち伏せしていたのだ。一体、どこまで私を追い詰めれば気が済むのだ、練乳の奴め。私が練乳に何か悪いことをしたであろうか? 私には一向に身に覚えがない。もしこれほどの仕打ちにあう理由を知っているものがいたら、ぜひとも御一報願いたい。私は懸命に体の回転を止め、まるで崖のような坂に身をとどめようとするが、しかし充分以上に加速の付いた体はそうは止まらない。しかも、先ほど飲んだ練乳により今この瞬間にも私の体重は増え続けている。これではますます止まるものも止まらない。私は罠にかかったのだ。やはりこの世は罠だったのだ。そもそも、この世界に生まれ落ちたのが罠に落ちたようなものなのだ。あのときどうして私はこの世界に生まれようなんて考えたのだろうか。私はあのときの判断ミスを一生悔やむことになるだろう。なにしろ、あのとき生まれようなんて思わなければ、一生生まれなかった可能性だって充分あるのだから。まるで、夜店で売ってる水風船のヨーヨーのようになった惨めな私は抵抗空しく粘り気のある白濁液の中に飛び込んでしまい、自分の体重で徐々にその中に没していく。見れば体の軽い子どもたちはこの粘性の高い液体の上で華麗に走り回って遊んでいるではないか。落ちていく者にも体の重さによる貴賎があったのだ。あのときの思わず高揚させられる平等感は所詮かりそめのものに過ぎなかったのだ。彼らは否応なく沈んでいく私の姿を見て指をさして笑っている。私にだって彼らのように身軽な子ども時代があったのだ。あったはずなのだ。それなのに、この世界で大人になるというのは体が重くなるということなのだ。すべては練乳のせいなのだ。私は練乳を呪った。しかし呪っても何も出来はしない。このまま、練乳の湖に没して息絶えるのを待つしかない。それは悔しくて悔しくて仕方なかった。確かに私は落ちるところまで落ちてしまった人間だ。落ちていくのはそれなりに楽しかったし、落ち切ってしまった今、奇妙な満足感も感じ始めてしまっている。しかし、ようやくすべての諸悪の根源がこの練乳であることに気付き、この練乳を絶やしさえすれば、この無意味に費やされる生命の連鎖を断ち切り、私のような生まれ落ちなくても良かった人間をこの世に生まれ落とさなくてもすむことを知ったのに、それに対して何も出来ないのは口惜しかった。しかし、今はもうどうでもいい。もうすぐ口が水面の高さまで沈んでいき、私の中にこの汚らわしい白濁がなだれ込んでくるだろう。その時が私の終わりのときなのだ。そしてその時が来た時、私は気付いた。これは練乳ではない。この味は、私と同じように坂を登ることを諦め、ひたすら坂を転がり落ちることを選んだ人間達が、そのやる気のない態度ゆえにとうとう人間の形を保つ最低限の意思さえ失って液体化してしまった成れの果ての味だ。ああ、そうか。私は一人ではないのか。私は多数の中の一人であり、私はこの大自然から生まれて大自然の中に返っていくのか。私は流れの中の、大河の一滴であったのか。私もあなたもないユートピアが来るのだ。私は嬉しかった。口の中が塩辛くて、自分の涙の味か、他人の汗の味か分からなかった。私もこの巨大な白濁になり、次の生命を生み出す種となり、命をはぐくむちちとなるのだ。私は輪郭を失って溶けていく。そしてその時、湖全体が大きく蠢動し、道路が四方から下り坂になってちょっとした底になっているこの地点から一方に町を破壊し、別にやる気がなかったわけでもない関係ない人々をその中に取り込みながら流れ落ちていく。向かっていく先は決まっている。母なる海の胎内である。
こうして人類の時代は終わり、新しい生命の胎動が始まるのだ!
何書いてるのか分からなくなったからやめます。

おまけ、受験生応援動画。

谷山浩子の世界

谷山浩子は日本音楽界の至宝である。
「みんなのうた」などで聞いたことがある人は多いはずなのに、なぜか名前を知っている人はいないが、他アーティストへの曲提供も多いし、アニメやマンガなどとのコラボレートも昔からやっている。作詞作曲演奏歌何でもこなす上に、小説まで書いてしまい、草創期からのパソコンマニアで、プログラミング言語Rubyの誕生にはこの人のファンコミュニティが大きく関わったと言う話もある(なぜか理系のファンが多い印象がある)。
となんだかよく分からない人なのだが、この人の曲もなんだかよく分からないものが多く、なんと言うかこの人の世界の全貌が掴めない。
そういう妖しい世界にみんなを招待して出て来れなく出来たらいいなあ、と思ってこの記事を作りました。

でいろいろ動画をご紹介しようと思ったのですが、すでに曲を集めた動画を作ってくれている人がいるので便乗させてもらます。
ちょっとどれも長いですが、どうかお暇なときに聞いてやってください。
「谷山浩子の○○な曲たちシリーズ」

「谷山浩子のカオスな曲たち」


「谷山浩子の励ましソングたち」


「谷山浩子の 不気味な曲たち」


「谷山浩子の幻想的な曲たち」

(改訂版もあり)

「谷山浩子のかわいい曲たち」
 

「谷山浩子のせつない曲たち」


「谷山浩子のおかしい曲たち」


「谷山浩子のやすらぎの曲たち」

(改訂版あり)

「谷山浩子の淋しい曲たち」


「谷山浩子の幸せな曲たち」


その他ここには収録されていない重要な曲たち。
モンティ・パイソンの名曲を華麗にカヴァー


カラオケで歌えるようになった最恐ソング『第2の夢 骨の駅』

第一回 そんなもの子どもに歌わせるな世界大会

無邪気さはときに武器になる。
残酷さ、邪悪さ、不条理さ、などを効果的に演出するために無邪気さと組み合わせて使う、と言うのはいくつも例がある。
そこからホラー映画における子どもや、様々な媒体における子どもの姿をした敵キャラなどの図像学に論考を進めてもいいのだが、ここでは「実際に子どもにやらせる」と言うことについて考えてみる。
僕らは子どもは無邪気なものだという嘘を割と本気で信じているふしがあるので、子どもに残酷で邪悪で不条理なことを実際にやらせると、結構ドキッとしてしまう。作品を作る側にとって見てる人間をドキッとさせることはすごく重要で、だから子どもを使うというのは大きな武器になりうるはずだ。「何をやらせてるんだよ!」という素朴なびっくり感もあるし。
例えば、暴走族映画の傑作『狂い咲きサンダーロード』において、一番印象的な登場人物は暴走族ではなく、小学生にしか見えないドラッグの売人であろうと思う。よくぞあんないかにも悪ガキというふてぶてしいガキを連れてきたものだと感心してしまう。
しかし、子どもの権利をどうこうするとかいう話のせいで、そういうものは確実にやりにくくなっていくだろう。
例えばそういうことに敏感な西ヨーロッパでは、1950年の『恐るべき子どもたち』の時点で姉と弟の美しい近親相姦的愛を描いたこの作品を実際に子どもでやることができなかったりする。演じたのは明らかに20歳超えた大人。萎える。いい映画なのに。
昔の映画はそこのところが適当で良かった。この前1932年製作の『Gland Rags to Riches』と言う映画を見た。ハリウッド史上もっとも偉大な子役であり、そしてその後外交官として活躍するシャーリー・テンプル主演の短編映画なのだが、演じているのはすべておむつをはいた子どもたちで、それが踊り子をやって、踊り子に無理やり結婚をせまるキャバレーの支配人をやって、それを助ける恋人をやるのだ。見ているとなんだかむずむずしてくる。この子どもたちは自分たちのやっていることの意味が分かってるんだろうか分かってるはずないわな。
僕にとっては子どもの権利よりもこのむずむずを守ってほしい気もするのだが、もちろんそんな意見が社会的に通るはずもないことは百も承知。
だからこそ、社会の隙間を縫って、そういうきわどいことを子どもにやらせる人がいると、とりあえず応援したくなる。
今回は音楽の世界で変な歌を子どもに歌わせているいい例を世界中から集めて展示しようという、そういう企画である。
いつも通り前置きが長くなりすぎたが、ここからが本編ですので、ここまで読んだ人はここより前は読みとばして結構です。

アメリカ代表。Richard Cheese 『Beat it』

以前にも紹介したラウンジ・ミュージックの巨匠。どんなアナーキーな曲もパンクな曲もヒップホップな曲も全部レストランにでも流れてそうなイージーリスニングなジャズ調の音楽にしてしまう。
この曲ではとりあえず子どもに「ブッ飛ばせ!」というセリフが言わせたかったというような安易さがいい味を出している。

イギリス代表 『Monty Python's Meaning of Life(人生狂想曲)』 より 『Every Sperm is Sacred』
Monty Pythonは僕の尊敬してやまないイギリスのコメディグループ。これは彼らの四作目にして最期の映画の始めの方、あまりに子だくさんで家計が崩壊したカトリックの家族で(カトリックは避妊を禁止している)、子どもたちを研究所に実験材料として売ることを決めたシーンの直後、子どもたちが「なんで避妊しちゃいけないの?」「コンドームは?」「ペッサリーは?」と質問するのに、父親が答えるシーン。

すばらしすぎる。ちなみにこれに続くシーンでは夜の営みに飽き飽きしているプロテスタントの夫婦が登場し、返す刀で分けへだてなく馬鹿にする手腕、尊敬に値する。
告白すると、夜道でときどき口ずさむくらい好き。

フランス代表 Serge Gainsbourg and Charlotte Gainsbourg 『Lemon Incest』

フランスを代表する作曲家作詞家歌手映画監督俳優、Serge Gainsbourg(セルジュ・ゲンスブール)とその実の娘Charlotte Gainsbourg(シャルロット・ゲンスブール)のデュエット。このときシャルロットは13歳。あまりにあからさまに近親相姦な内容にスキャンダルに。youtubeのコメントにも「This is disgusting.」てのが目立ったりする。
だがはっきり言おう。僕は好きだ。
ちなみにシャルロットは当時全寮制の学校に通っていたので、スキャンダルになっていたことは知らなかったという。
どんなお嬢様学校だったんだよ。普通、学校で話題になっていじめられると思うのだが。
彼女は今でも女優として活躍し、2009年にはカンヌで賞をもらっている。

日本代表 谷山浩子 『穀物の雨が降る』

これがカラオケに無いのは犯罪クラス。まあいずれ近いうちに入るだろうけど。
谷山浩子は『まっくら森の歌』や『恋するニワトリ』などのみんなのうたの曲などで、誰でも一度は聞いたことがあるにもかかわらず、名前はあまり知らなかったりするシンガーソングライター。スタジオジブリの『ゲド戦記』の主題歌『テルーの歌』の作曲者でもある。
しかし、そういう割と普通なものはこの人の作品の中ではむしろ少数で、カオスな曲やダークな曲などを大量に発表するかと思えば、信じられないほど美しい曲を繰り出してきたりする偉人。上記Monty Pythonの曲をカヴァーしてたりする。BL小説も書く。
この曲は彼女いわく、「世界滅亡三部作」の一つ(アルバム『水玉時間』で世界が滅亡する歌が三連続で来るのだ)。人ごみでイライラしていたときに思いついたのだそうだ。『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンの影もちらつく。自我ばかり肥大化した少年の矮小な心理が痛い。そしてそれを思春期にも達していない子どもに歌わせる、というのが恐ろしい。

日本代表次点 谷山浩子 『夢のスープ』(注:出来るだけ夜中にヘッドフォンでお聞きください)

谷山浩子ダーク曲随一の曲。これはちゃんとカラオケにある。無邪気であることの恐怖。


おまけ。
ここまでは一応すべて、子どもに普通歌わせない歌を歌わせることによって、ショックを与えようという目的があるものばかり選んだ。最期におまけとして「子どもに歌わせる」ことを考えつづけた結果出来てしまった怪作を紹介しよう。
『チコタン ぼくのおよめさん』
映像は日本のアートアニメーションを代表する岡本忠成。
前編

後編

淀川長治先生が涙したという作品。

『合唱組曲 日曜日 ~ひとりぼっちの祈り~』


すべての小学生にこれ歌わせるべきだね。
これオンリーの合唱コンクールとかあってもいいかも。
いろんな学校の生徒がやってくるけど全員歌うのはこれ。
どうかな?
地獄だね。

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