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マイリトルポニー最終回 感想 取り急ぎ

本日2019/10/13日、アメリカでMy Little Pony Friendship is Magicが最終回を迎えました。
私は2012年のシーズン3が始まる前にハマったので足掛け7年ハマってたことになります。
当時興奮して、かなり長い連続評論を書いたのも懐かしい思い出です。

http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1492286.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1497113.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1497292.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1498711.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1498755.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1500025.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1499801.html
http://blog.livedoor.jp/kensaku_gokuraku/archives/1500094.html

さて、最終回ですが、基本的に上記の評論で書いた神話的な世界観が貫徹されたことも嬉しく感じました。しかし、7年の間に、マイリトルポニーには様々な要素が付け加わりました。その年月にも想いを馳せずに入られません。

当時私が注目したのは、世界各地に伝わる神話の構造やモチーフをこのアニメが見事に拾っていることです。世界各地の神話に同様な構造やモチーフが存在するのは、ある意味ではそれが我々人類にとってわかりやすくて面白いからです。それを有効に活用するのはとてもいいやり方です。
例えばマイリトルポニーにはアースポニー・ペガサス・ユニコーンの三種族が存在しています。アニメ内時代劇においては、それぞれ農民、戦士、天界の運行を司る魔法使いとして描かれていて、これは「主権・戦闘・生産」の三つの区分がインド・ヨーロッパ語族の神話に共通して見られると言うデュメジルの「三機能仮説」に一致します。馬の姉妹というのも、デュメジルがインド・ヨーロッパ神話に共通して見られる「馬の兄弟」のパターンと似ています。それが太陽と月と関連づけられることも、珍しくありません。
また、S1の冒頭を飾るナイトメアムーンとの戦いは、天岩戸の神話と同様に日食を意味する同時に、夏至の祭りに太陽が一度死に再び復活すると言う、新しい季節の一周りを祝う「死と再生の神話」でもあります。
そして、S2の冒頭を飾るディスコードとの戦いは、世界各地の神話に繰り返し語られる、混沌に対する秩序の勝利そのものです。
それらの世界観の裏に「調和」という軸が存在します。三種族が仲違いをした時、その調和が崩れ、恐ろしいウィンディゴが世界を極寒の破滅へと突き落とします。この不調和こそ、エクエストリアにとって、どんな悪役より一番恐ろしいものなのです。
そして、三種族を調和させるものこそ、副題にもある「友情」なのだ、ということがこの物語の大きなテーマなのです。

上記評論を書いたS2までは、そのような神話的世界がマイリトルポニーの大きな魅力でした。しかし、
S3でトワイライトはプリンセスになります。おそらく、当初の予定ではこれくらいで物語を終える予定だったのではないでしょうか。しかし、物語はまだまだ続き、マイリトルポニーにはそれから濁流のような様々な要素を受け入れ続けるのです。

S3の後では、エクエストリアス・ガールズという、「人間化(擬人化という言葉は不正確なので私は使いません)」シリーズが始まります。最初は不安がられましたが、一作目がそこそこ好評で、二作目『レインボーロックス』が作られ、これがものすごい大傑作だったことによって、今でも続くスピンオフシリーズになっています。
トワイライトのロマンスの相手で1作だけの予定だったフランシュセントリー君が、ファンの間でプチ炎上したことにより、その後微妙な変遷を経ることになることはもはや懐かしい思い出です(日本では彼を爆破するMADが流行りました)。
また一作目の敵役サンセット・シマーは二作目以降第二の主人公となり、私の一番好きなマイリトルポニーのキャラの一人にもなりました。

S4では古くからのファンには故郷のように懐かしいあの場所が失われショックを与えられると同時に、ドラゴンボールにも例えられる戦闘シーンが注目を浴びました。実際、予算が上がったのか、背景や動きのクオリティがかなり上がったように思えました。

そして重要なS5。スターライトグリマーの登場です。
彼女はある意味サンセットシマーの鏡のような存在でした。どちらも闇のトワイライトスパークルとしての属性を持っています。しかしサンセットシマーは他人を蹴落とす「行き過ぎた利己主義」の化身として、スターライトグリマーは全ての人間が自己を抑圧する「ゆきすぎた平等主義」の化身として。
共産主義のパロディとも見られたディストピアストーリーはヒューゴー賞の候補にもなりました。
マイリトルポニーが、このような政治的とも見られるテーマを扱うことに驚く声も聞きました。
しかし、これはシーズンが長続きするにあたって、とても自然なことだと今では私は思っています。
マイリトルポニーの面白さは、「友情」を「調和」の源と見なして、神話的に意味づけする一方、「友情のとても身近な問題」にとても細かい目配りをしてくれるところでした。
神話的なファンタジーに見せかけて普段している話は「一緒にオーディションを受けたら友達しか受からなくて、嫉妬してるんだけど応援しなくちゃいけない」「友達の友達がガラが悪くて付き合いにく。この前その子が万引きするところを見てしまった」みたいな、非常に(胃が痛くなるほど)リアルな友情問題なのです。
そして、S4以降、主人公たちがだんだんと大人になっていく、という変化が起こります。彼女たちは、エクエストリアの大人のポニーとしてキャリアアップして、様々な環境の変化を被って行きます。その中で友情問題として、社会の様々なリアルな問題を自然に扱って行きます。
一足とびに政治問題に直結させないところもマイリトルポニーの丁寧さではありますが、そこまでいけば少し足を伸ばせば簡単に政治信条の問題にもなるわけです。
それが、調和を見出すものとしての「行き過ぎた利己主義」と「行き過ぎた平等主義」。
これって、いわゆる「自由」と「平等」という、民主主義の要でありながら相矛盾しかねない二つのものの問題なわけです。そして、どうしてフランス共和国の標語は「自由、平等、友愛」だったのか、という問題にもつながるかもしれません。
それをサンセットシマーとスターライトグリマーという二人の魅力的なキャラに結実させるのは見事というしかありません。
特にスターライトグリマーは、最初仲間になると知った時、サンセットシマーとキャラが被らないかと心配だったんですが、S6以降、mane6とはまた違うトラウマ持ちの大人として見事なキャラ付けをされて、本当に惚れ惚れとしてしまいました。トリクシーとの関係性も、関係性のオタクはぜひ見て欲しい塩梅に仕上がっております。

mane6が大人になっていくことによって、マイリトルポニーは政治的なニュアンスを隠し持つようになります。
つまり、単純な調和の神話ではなく、「民主主義の神話」としての要素を持ち始めたのです。
私は別に民主主義を完璧な政治制度だとは思ってはいません。しかし、マイリトルポニーの歌い上げる「民主主義の神話」にはかなり感動させられたと告白します。
「民主主義の神話」と聞いて怖気付きそうな人には、「そんな怖いものじゃないし、基本的には身近な友情のメンテナンスをひたすらする話だから安心して」とも念のために言っておきます。
友情という身近な問題と、民主主義の問題、そして世界の調和が、なんとなく地続きになってるのが、マイリトルポニーの世界観の魅力だと、最終的には考えています。

その象徴が、トワイライトが作った友情の学校なんだと思います。
友情の学校によって、トワイライトはポニー以外の様々な種族との調和を図ろうとします。
多種族との調和は、初期のシーズンでもバッファロー相手にテーマになったことがありますが、羊は無造作に扱われ、おそらく特にテーマとして考えられてなかったと思われます。
しかしトワイライトがプリンセスになったあたりから、急に裏テーマとして少しずつ導入されました。
それを、学校という場を舞台に様々な種族の6人の生徒を中心に描き始める。
これも、ファンの間では賛否両論あったと記憶します。
6人の生徒の失敗が描かれるわけですが、これはmane6がやっていたことの繰り返しではないか。mane6はそれだけでシリーズ全体を引っ張るように入念に造形されていますが、この新たな6人の生徒はそれと比べるとキャラが弱いのではないか。
全て、一理あると私は思っていました。
しかし、この展開はかなり計算されたものだったと最終回後は思えます。
つまり、友情の神話を民主主義の神話に繰り上げするに当たって、学校という場、そして友情の魔法の伝授が必要とされたのでしょう。
世界を支えるものである以前に、社会を支えるものとしての「友情」と「調和」。そしてそれを次の世代へ引き継ぎ社会を支える施設としての「学校」。
そのために、難しい生徒6人のキャラ作りにあえて挑戦したのでしょう。
そして、これが最終回への大きな伏線になるわけです。

最終回、三種族の不和によるウェンディゴの出現を止めるきっかけになったのは、粗末な箱の上に乗った演説でした。
英語ではsoapboxといえば、演説のための間にあわせの台のことです。on a soapboxで演説をしているという意味になりますし、soapbox自体が演説することを意味する動詞にもなります。
それによって事態が好転することが、民主主義の神話でなくしてなんなのか、と言いたい。
英雄ではなく、異種族が合わさって調和を実現することによって、世界を救う物語が、民主主義の神話でなくしてなんなのか、と言いたい。

そして最終回、全2話で高らかに神話を歌い上げたのにバランスを取るような、いつもの日常回。
ラストバトルの後にmane6が向かったドーナツ屋と同様に、S1のラストを思い起こさせ、ファンへの思いやりを感じます。
ここで友情はもう一度、調和という神話的概念でもなく、民主主義という政治的概念でもなく、いつもどこか調子悪くて、いつもメンテナンスしなくてはいけない、厄介だけど付き合ってはいけない身近な問題に戻ります。
友情は面倒なものです。なのであまり背負いすぎず、上手に荷を下ろして上手く付き合いましょう。そうすれば悪いものではないですよ。といういつもの順当であまり面白くないかもしれないけど、何度確認しても忘れがちな結論に帰ってくるのです。
これぞマイリトルポニー。まさにマイリトルポニー。
いいアニメでした。

渡米しなきゃ

毎年言ってる気がする
 
今回も音楽が小気味良さそうで期待だ。
あと、ポニーの映画もやるんだよね、確か 

マイリトルポニーといえば尻だよな

というわけで、ポニーの尻でも見て心を落ち着けよう。

これで辛い世界でも強く行きていけるね
 

歯茎ケア用の歯磨きアセスLが赤いことにずっと疑問を抱いてきたが

これはもしかしたら、歯茎から血が出ていても分からなくして、使用者を安心させるための工夫なのではないか、という気がしてきた。

なんというか、歯茎と同じようなサーモンピンク色しているんだ、これが。
しかし、これよりもアクアフレッシュのほうに異様さを感じない感性がいつの間にか育てられていることにも驚きを感じるが。
Minuette_id_S2E3
ちなみに、このポニーは本来「Minuette」という名前ですが、ファンの間ではあちらの歯磨き粉とよく似た色合からその商品名「Colgate」と呼ばれ、二次創作では歯医者とかにされてます。キューティマークは砂時計なのにね。歯ブラシのキューティーマークを手に入れるためにタイムスリップするフリーゲームとかある。
これもよく考えるとすごい色合だが、向こうの人たちは、歯磨き粉どころか、こんな色の飴なんかを平気の平左で舐めてたりするから怖い。 

もうすぐ『Equestria Girls2』がアメリカで公開されるなあ

 アメリカ行くしかないのか……

今回も、曲がよさげである。もちろん、前回も曲は良かった。

でも前回は、あくまで劇中曲やミュージカルだったが、今回は、テーマが「バンドバトル」であるだけに、ものすごく「バンドっぽく」できてて良い感じである。
具体的には、コーラスの掛け合いがいいのだ。
私はもともと、このコーラスによる掛け合いが好きなのだ。
あんまりいい例がすぐには思いつかないが。
 
 

こういう感じ(どんな感じだ)がもともと好きなので、今回もなんかいいのである。
やはりアメリカへ行かねばならないのか。 
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