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RWBY

いろいろと謎を残してシーズン1は終わりシーズン2への期待はいやおうにも高まるのであった。

7話でラブコメから一気呵成に物語の本題へと流れを変えた『RWBY』。
ここから、シーズン1のfinale1のフィナーレへと期待は募るが、とりあえず物語りはスローダウンする。
 
犬の名前は「Zwei」。英語発音だと「ズワイ」で蟹みたいだが、もともとはドイツ語の「2」。「ツヴァイ」と発音する。
海外でも人気のある『Cowboy Bebop』に出てくるコーギー「アイン」(ドイツ語で「1」を意味する)が元ネタである。
あと久しぶりのヴェルヴェットの登場。チーム名は「CFVY」で「コフィ」と読む。つまりは「コーヒー」だね。メンバーの名前は、ココ、フォックス、ヴェルヴェット、そしてヤツハシ。
なんでヤツハシやねん、と思った日本人多数。

 
 
先生側の描写もちゃんとしようとしているところに好感が持てる『RWBY』。こういうものすごい早口の研究者は実在する。目撃したことがあるのは、数学者の深谷賢治氏とか。思考スピードに口がついていかず、言葉が詰まってしまう勢いだったことが印象的である。
まあ、それは置いといて、先生はそれぞれが「ハンター」になりたい理由を質問してまわる。なんか面接みたいだな。
そこから各キャラクタの内面掘り下げになるわけだが、ブレイクの口からアダムの名前が出てきてテンションが上がる。ようやく出てきたか。
で、ルビーのピンチ
ところで、最後の「ともだちんこ」は何なんでしょうかね?


これぞ『RWBY』の醍醐味! アクションシーンの連続!
列車アクションはBlackトレイラーっぽいし、個人的には『Final Fantasy 7』を思い出す。そして一直線になっているから、戦線を無駄に拡大せずに狭い範囲で闘えるから、話が作りやすい。一対一にも自然に持ち込める。
製作者にとって都合の良い展開に全て説得力を持たせられる魔法のセッティングなのだ。あと列車が次々と切り離されて、タイムリミットが迫ってくる演出も、良い。これもどこかJRPGっぽい気がする。
もちろん、その上でアクションに全力投球するから素晴らしい作品ができる。
以前『RWBY』は多人数のリアルタイムのアクションが素晴らしいと言ったが、そもそも日本の格闘ゲームから強い影響を受けた作品なので、一対一の戦闘もすごいのだ。
ヤン対ニオは、170センチ対145センチという身長差対決。瞬きするたびに目の色が変わるニオが体格的に勝っているヤンを真っ向勝負で圧倒する燃える展開である。最初のメンチ切りの音楽、静から動へと一気に移る演出、傘を有効に使って相手の攻撃を受け流し幻惑し、しなやかに思わぬ足技や傘の打撃を繰り出す格闘スタイル、何もかもが素晴らしく、vol.2のベストバウト。バック宙で攻撃を避け、優雅に脚を組んで座り、ポーズをとって挑発するように相手を見るところは、まさに王道演出の極み。
ホワイトファングの隊長対ワイスは、Whiteトレイラーをやはり思い出す。魔法陣を次々出して、四方八方から攻撃するのは、格闘ゲームのゲージ技のようである。
ブレイク対ローマンは、ワイスが手渡したダストを使って雪辱を果たす演出が憎い。ワイスとブレイクの間の蟠りが解けていることを表している演出でもあるし(ホワイトファングとしてシュニー社からダストを強奪していた人間に、シュニー社の社長令嬢がダストを手渡しするのだ)、前回自分の能力は逃げているだけだ、という発言の反証にもなっている。戦闘シーンの音楽は毎回素晴らしいが、ここのピアノも出色である。
そしてヤンのピンチに謎の人物登場。どこかで何回も見たことある展開だが、面白いから何回も使われているのだ。細かいところをしっかり工夫し、いつも何か新しい部分を加えようとすれば、まだまだ使える。 
「ともだちんこ」は慣れた。

 
vol.2のフィナーレ。
前回と比べると、アクションの出来も盛り上がりかたも、少し落ちるところもあるような気がするが、収穫はエメラルド、そしてなによりチーム「CFVY」の戦闘シーンであろう。
パワータイプのヤツハシ、スピードタイプのフォックスとヴェルヴェット、そしてリーダーのココだが、見た目からキャラ立ちしていていい感じ。フォックスがオーラで相手を破裂させたとき、後ろでヤツハシがヴェルヴェットをかばっているのもポイント高い。ココがフォックスの尻を触って褒めるのも、セクハラ女上司な感じでいいんじゃないでしょうかね。ここの音楽もテンションアゲアゲだが、ココの戦闘シーンと同時に女性ヴォーカルに変わるなど、細かいところにも気が利いている。
さてさてストーリーの方は、とりあえず事態は収拾し、ローマンは捕まり、チーム「RWBY」の活躍で敵の計画を一個潰した結果にはなっているんだけど、シンダーは「成功」と言っているし、どうなることやら。
アダム、そして謎の女(ヤンの母親だろうか?)も登場して、シーズン2への期待はいやがおうにも高まるというもの。
それまでは「ともだちんこ」を見るしかないのかなあ 

ダンスパーティはアメリカドラマの華中の華。ドラマ部分もいいじゃん 『RWBY』

『RWBY』は時間が短いので、ドラマ部分はどうしても駆け足気味になり、どうも描写不足な感じが出てくる部分も多いが(vol.1最後のワイスとブレイクの和解とか、ベルベットへの苛めとか)、それでも定番を堅実にこなす意思によって、そこそこのものになっているように感じられる。「定番」とはこのためにあるのだ。

ピュラさんは、実力者だとは言われながら、大活躍と言えるような機会には恵まれていなかったが、ここに来て八面六臂の大乱舞である。少し不満を言えば、ほとんどの場面で一対多と見せかけた一対一だが、本当の一対多を描くのは難しいのでまあいいや。マーキュリーの蹴り中心のスタイルも今後に期待だね。小気味よくスローを挟むのが心地よい。
それはそれとして、ダンスパーティがあるらしい。イケメンヘタレのジョーンの鈍感ぷりは正統派男主人公という感じですな。ピュラはどうも薄幸なオーラをかもし出しているので、ジョーンの男の見せ所、というわけですかね。


ブレイクがブレてるのにかこつけて、vol.1ではあまり描かれなかったヤンのキャラクタの掘り下げ。ブレイクは猫娘としての存在意義を発揮。そして、ワイス→ネプチューンが確定的になり、ピュラ→ジョーン→ワイス→ネプチューンと恋愛関係はだんだん複雑に。ちなみに、アメリカの大学の寮(コエド=co-edと呼ばれる)では男女共同が当たり前。非常に安く、実家から通える位置にあっても、寮に入るのが常識になっている。学生結婚が増えるわけで、少子化や高学歴の晩婚化対策のためにも、日本でも導入すべきであろう。それにしても、男女同室の場所でタオル一丁だったり、女友達がヘッドフォンつけてる横で、「ボーイズトーク」したりするのは、悪いジョーク以外の何者でもないが。湯冷めしますよ。
あと、ワイスの細かい仕草が可愛いね。


音楽がいい。
映像作品にとってどれだけ音楽が重要かが思い知らされる。今やってる『寄生獣』のアニメ版とか見ると、ひどいもんな。
ダンスシーンに歌を重ね、まるで熟練のDJのつなぎのように戦闘シーンの音楽に移り、見事にアクションシーンに盛り上がりを重ねる。
いいね。
この演出でラブコメ回から自然に本題に入っていくのである。シンダーさんの台詞が元ネタのシンデレラを踏襲しているのもいいが、普通の人なら見逃しちゃう恐ろしく速い手刀を受けた警備員さんが、妙に嬉しそうな顔をして気絶するところが好き。
ジョーンが女装をするのは、元ネタのジャンヌ・ダルクの逆。これで逆に男を上げた。ネプチューンはかっこつけを卒業し、更なるネタキャラへと進化できるか。というかそれ踊れるか踊れないかという問題じゃないのでは?
よく見るとDJはダフトパンクみたいな奴らですね。

7話でかかっていた曲『Shine』


ダンスシーンのすげ替え

全体的なクオリティが上がってますますよくなっていく『RWBY』。伸び代はどこまで続くのか?

2014年7月に始まった『RWBY』のシーズン1のvol.2。
事前に公開されたトレイラーなどから高クオリティの映像は期待されていたが、出てきたものはいい感じに期待を裏切り、拍子抜けする代物だった。

トレイラーの最後のシーンは皆てっきり話のクライマックスのものだとばかり思っていたのに、いきなりである。
部品部品が再利用可能で、キャラクターはそのままで背景をいくらでも弄れる、3Dアニメーションならではの、フェイクな予告であろう。
レンがネギを持って戦うのとかは、もしかしたらvocaloidネタなのかもしれない。
しかし制服のスカートも「combat skirt」仕様であったとは……これのおかげで気兼ねなくアクションさせられるのでいいけど。
背景のクオリティもものすごく上がって、モブにも全員顔がついた。特に街の様子はかなり自然になって驚かされる。


と言うわけで二話から話は本番。ジョーンは相変わらず馬鹿っぽくていい。「リーダーの素質があると言われた」という発言への、ワイスの「お母様に言われたのですか?」という突っ込みはジョーンにぴったりだが、それを除いても汎用性があってよい切り返し。今度使おう。
くっついてきたルビーにワイスが「触らないで下さる」と言いながらハグし返すのは、なんというか日本的なギャグとアメリカ的なギャグの幸福な結婚という感じだ。


新しいコスチュームはどれも良い感じだ。
3Dのモデル自体も、vol.1では手が長すぎるように感じたり、どことなくぎこちなかったかが、vol.2ではほとんど違和感を感じない。表情も微調整を重ねながら、どんどんよくなっているように感じる。ワイスの作り笑いを見てそう感じた。


そしてvol.2の前半の山場、ロボット戦。
やはりこのリアルタイム感が『RWBY』の華であろう。二人ずつの連携の組み合わせを次々と変えていくのもいい。
ちなみにルビーが叫んでいるのは、ファンの間でのチームrwbyの二人ずつの「shipping」の名前で、「shipping」とは「船での輸送」ではなく、日本語で言う「カップリング」のことだ。
なぜ「shipping」というのかというと、「relationshipping」の約まったものなのだとか。ちなみに「relationship」とか「sportsmanship」とかの「ship」は「船」ではなく、「shape」つまり「形」ね。ドイツ語なら「schaft」。『ゲゼルシャフトとゲマインシャフト』のあれね。
閑話休題
vol.1の8話を思い出させるような連携の面白さ。ワイスが自分の受身を犠牲にしてブレイクを補助するのもいいし、目を真っ赤な警戒色に染めたヤンも格好良い。支持を出しているルビーもすっかりリーダーだ。ここでも当然歌が入る。そして盛り上がりきったところで新キャラ投入、謎の能力の片鱗を見せて即退場、とか日本アニメの定石をしっかり使えていて憎いね。
新キャラ「ニオ」は「ナポリタンアイス(三色)」がモチーフとかで、目の色も左右違う。いわゆる「オッド・アイ」で厨二設定の定番だが、実はさらにひねってある。厨二な設定を使うときは必ず、自分なりのひねりを加えよう。おじさんとの約束だよ!
最後にワイスが珍しくジョークを行ったのに、興奮の冷めないヤンがそれに怒る、というのも、いつもと関係が逆なようで面白い。
サンとネプチューンはだんだんとオチ担当になっていく模様。
(追記:書き忘れていたが、Yellowトレイラー以来の再登場となったジュニアさんの再登場も嬉しい。好きなキャラなのである。また玉潰されに出てくるといいよ。双子ちゃんも何か出番あるといいね。実は皆強キャラなので、なにか見せ場があるのかも)

というところで次回へ続く。

日本アニメっぽさ、日本ゲームっぽさを吸収したうえで、アメリカドラマを展開しはじめて、どんどん面白くなっていく『RWBY』

前回の続き
言葉による説明を排し、リアルタイムで状況を描くアメリカ的演出と、戦いの盛り上がり時に歌を流し、歌の終りと決めポーズをシンクロさせる日本的演出を見事に合成した『RWBY』。
物語は再び、日本のアニメやゲームに影響を受けたと思しき学園物に回帰していくのだが、それでも初期と比べると格段に面白くなっていく。
初期は日本的演出がやりたくて仕方ないという気負いが感じられたが、一通りやってしまったことによって力が抜けて、地力が出てきたのであろう。
キャラクターたちが遠慮会釈なしに本音を言い合うのは、なんともアメリカドラマ的。何回も書くようにドラマとは衝突なので、これでいいのだ。
ワイスはきついことをどんどん言うし、ルビーも人見知りなだけでいったん知り合えば割とはっきり意見を言う。ヤンはそれが誰からかまわずだ。あまり人に口出ししないのはブレイクくらいだ。
『マイリトルポニー』を見たときも、どんどん喧嘩をするのが面白かったのだから、彼女たちにもどんどん喧嘩をして欲しい。でないと、何が面白くてアニメなんか見るのか、とむしろ言いたい。

最近は海外のアニメでも学校で制服着ているのが多い。『ビリー&マンディ』ですら制服だ(あんなフリーダムな学校なのに)。
可愛ければ良し! (なお教室で制服じゃなくなっているのは単なるミスで、修正版も公開されている)
人に見せたくない本を出してしまい、あたりをうかがうブレイクの表情などが、可愛くて感心する。


日本の感覚だと「そこまで言うか!」という会話が面白い(森でのルビーとワイスの喧嘩も相当だったが)。
先生たちの台詞もそれなりに説得力のあるものになっており、脚本家の実力をうかがわせる。
仲直りも早くて後腐れがないのもアメリカドラマ流か。
二期まで見たものの感覚だと、この時期は背景が一昔前の3Dゲームみたいにチャチくて、逆に面白い。他が面白くなってくると、モブが黒いにもどうでもいいや、という気分に。


ここからもう1人の主人公ジョーンが中心に。
童話がモデルのチームrwbyに対して、チームjnprは歴史や神話上の「女装および男装」をした人物の、性別を反転させたものがモチーフ(凝ってて面白い)。それぞれ、ジョーンはジャンヌ・ダルク、ピュラはアキレウス、ノーラは北欧神話の雷神トール、レンは中国のムーラン。




リーダーであることに悩んだルビーがジョーンにアドバイスをして、それがジョーンの成長につながる。ワイスとルビーのリーダー争いの喧嘩が、ここに繋がるのは堅実で良い。このリーダー論はいかにもアメリカ、という雰囲気が感じられる。
正直「オーラ」について何も知らなかったジョーンは、作中の概念を視聴者に説明するために用意されたような無知キャラに感じられ(『スレイヤーズ』ではガウリイがその役を任じられていた。もちろん彼はそれだけのキャラクターではないが)、その安易さが鼻についた。
しかし、ここまで来て、日本アニメ的要素を詰め込んだ『RWBY』に駄目男が努力に努力を重ねて屈強な男を倒しヒロインを勝ち取るという、ハロルド・ロイド以来のクラシックなハリウッド作劇の王道を導入するためのキャラクターであったことが分かる。
実際、ジョーンが話の中心に来ると、ものすごくアメリカ青春ドラマっぽくなって、それが日本アニメ的要素と化学反応を起こして、かなり面白いのだ。


そして、シーズン1のラストエピソード。
明かされるブレイクの過去。チーム内の軋轢。
しかし、やはり驚かされるのは、君たち忌憚なさすぎ、という部分で、獣人(ファウヌス)への差別(コードウェイナー・スミスを思い出すな)に関する話は、少しずつ小出しにしていたのだが、主人公チームの1人(カーディンのように、最初から否定的に描かれているキャラクターならともかく)に明らかな差別意識の篭った発言をさせるというのも、大きな冒険である。
現実だったら、絶交物の事態にさすがに見ているものも安穏とはしていられない。
もちろん、そこに差別に押しひしがれてテロ組織に入らざるを得なかった側と、テロによって身内に被害をこうむった側の、どうにもできないわだかまりをちゃんと描写しようとしている。
テロリズムと抵抗運動、独立運動との区別は流動的なもので、結局勝ってしまえばテロではなく、圧制を倒した英雄になってしまうのが世の常である以上、「全てのテロは悪」などと単純な図式は当てはめられない。ワイスの発言は明らかに短絡的な差別思想だが、家族がテロの標的になったとなれば、テロ組織、ひいてはその背景にある思想や人種に怨嗟を持つのは自然だとしか言いようがない。
世の中のさまざまな問題の多くは決して「解決」などしない。できることはただ「乗り越える」ことだけである。
短い時間の中で駆け足気味ながら、立場の違う人物の衝突を逃げずに描こうとする姿勢は、好感を感じるし、ぶつかり合えば最後には分かり合えるという、『12人の怒れる男』的なアメリカの楽観主義も、現実的かどうかはともかく物語として心地よいものである。

そしてラストバトル。
何も言うことない。
映像を見ていただければ分かる。
まだ日常シーンや、日常の延長のアクションなどのモーションは荒いものの(地面の上を滑ってるように見えたり、重さが感じられなかったり)、戦闘シーンの動きはどんどんすごくなってる。
ちなみにニコニコはスペースキーで停止と再開ができるので、スペースキー連打するとスロー再生になる。とても肉眼で追えない動きも丁寧に描いてることが分かるので、一度はやってみよう。

というわけで、そもそも本編があることすら予想外だった『RWBY』。こうして一期が終わってみると、二期への期待が膨らむ作品になっていた。
なんでもクリエータのモンティはシーズン6くらいまでは考えているということ。
とりあえず、黒幕も出てきたことだし、物語が動き出すのだろうか、というところで次回。

今世界で一番かっこいいアクションが描けるアニメ、「RWBY」を見ないのはとても損をしている

とりあえず「基本のき」として、未見の方はこれを見ましょう(過去記事へのリンクです)。
Red(そうかもう二年前になるのか)
While
Black
Yellow

episode 1

こう見てみるとrwbyについて、一年以上記事を書いていなかったわけだが、言い訳すると(言い訳する必要があるのかは謎だが)、最初のうちはテンション落ちてたんだよなあ。


なんか、『ティーン・タイタンズ』を見ているような気分で、複雑だったのだ。
『ティーン・タイタンズ』は表情のデフォルメや漫符などの表現など、日本アニメの手法を大きく取り入れた作品で、そういう意味では興味深かったが、心の底から楽しめた回はそれほど多くない。
やはり下手でこなれていなかったし。
rwbyも爆発したりチビキャラになったりと、「いかにも」で「ステロタイプ」な日本アニメの表現を使っていて、少々薄ら寒かった。あとモブが真っ黒なのは、資金と時間的に仕方なかったのかもしれないけど、どうしても伝説的な『みなみけ おかわり』を思い出す。
そして決定的なことに、肝心のアクションが足りなかった。
やはり動くことがアニメーションの魂。アメリカン・アニメーションは動きを省略することなく丁寧に描くことに、最大の長所がある。それに対して日本アニメは、予算人員時間の少なさをカヴァーするためとはいえ、出崎統や金田伊功ら天才が開発した、「対して動いていないのにものすごく動いているように見せるアニメーション技術」を開発した。たとえば、『明日のジョー』や『コブラ』のラストで、劇画調の止め絵になるのは「ハーモニー処理」と言って、キャラクターと背景を同じ描線で描く手法だが、これによって、止め絵で時間を持たせることができ、出崎統が発展させた。一枚を描く労力は増えても、動画を何枚も描くことに比べたら楽なのだ。
また、金田伊功はその天才的なデフォルメとエフェクトのセンスによって、実際以上に動いている画面を作り上げた。間接は明らかに無理な方向に折れ曲がり、レーザー光線は直進せずまるで破裂し、まるで魚眼レンズで撮ったかのように手前のものは大きく拡大されたが、止め絵では異様に見えるそれらが、動かすと驚くほどかっこよかった。
しかし、東映アニメーション出身の宮崎駿や大塚康雄が体現していたように、本来の王道はちゃんと動かすことだった。
しかし、80年代、アメリカのテレビアニメーションが予算の枯渇の中、底なしの没落をしていたときに、さまざまな窮余の策を開発しながら質の高い作品を輩出していた日本のアニメ作品は、アメリカのアニメーションファンに強い影響を与えた。
それらが90年代以降の、第二期アメリカンアニメーションの黄金時代、いわばアメリカンアニメーションのルネッサンスを準備した。
『パワーパフガールズ』を見れば、カット割りや省略、突然の絵柄の変化などで動きを間接的に表現するという、日本アニメの技法を見事に生かしているのを目撃できる。
それが何より気持ちよかった。
それに対して『ティーンタイタンズ』の日本アニメ需要は、表情だの漫符だの、どうも表面的に感じたのだ。というかぶっちゃけた話をすると、それは私にとって日本アニメの嫌いな部分だったのだ。誤魔化さないでちゃんと描け、と。
アクションに関して言えば、『ティーンタイタンズ』は動きを省略せずに丁寧に描くという、とても伝統的なアメリカのアクションアニメのように感じられた。
そこがどうもちぐはぐだった。
ああ、またか、とrwbyを見てそう思いかけた。
しかし、話が進んでいくと、どうやらこれはなかなかすごい作品かも、と思わされ始めた。




日本アニメに影響されたキャラデザインに、アメリカっぽい細かい仕草や表情の変化が乗って、とても可愛らしくなってきた。
キャラクターも一見類型的でありながら、アメリカ的に皆我が強くぶつかり合う。『マイリトルポニー』と一緒で、脚本を書く段階で、仲間がいがみ合い、誰かが傷つくことを恐れていない。ドラマとは衝突なのだから当然だが、日本アニメで衝突の弱い脚本の多いことよ。
これなら、下手に日本風の演出などせずに、キャラデザインだけ日本風で、脚本演出はアメリカ風でいいんじゃないか。そう思えた。
実際、制作側もそちら側にシフトし始めているようにも思えた。
そんな中、完全に認識を改めさせられたのが次の回だった。

すげえ!
すごすぎるだろ!
多人数の連携をこんなにちゃんと描けた作品がほかにあっただろうか。しかもリアルタイムで。日本のアニメはどうしても、説明や独白や回想に時間をかけてしまうので、スピードの速い戦闘をリアルタイムでかけない。この内的描写の少なさからくるテンポの良さはまさにアメリカ的。
それをここでは、さすが3Dアニメという空間演出で、説明なしに見るものに分からせている。
rwbyは日本の格闘ゲームに強い影響を受けたモーションが特徴だが、この動きはfpsやmmorpgなど多人数がリアルタイムで動くオンラインゲームの影響なのではないか、と思った。日本のアニメがターン製のjrpgなのと対照的だ。どちらが良いとは一概には言えないが、このリアルタイム演出力の差は、ゲーム経験の違いに起因するのかもしれない。
そして、一番盛り上がるところで歌が入るという、いかにもな日本的演出。燃える。文句なしに燃える。
そうだよ! 日本アニメの影響を受けるんだったら、そういうかっこいいところを受ければいいんだよ!
この回で、このアニメが世界の最先端をいっていることを、再確認でき、どこまでも追いかけていくことに決めたのだった。
次回へ続く。

で、もうちょっとだけ語る。
日本のアニメとアメリカのアニメーションを見ていて強く感じることは、彼らはこちらを良く見、良く勉強し、良く消化して表現しているが、こちらはそんな努力をしていない、ということだ。
もちろん日本の先進的なクリエータは世界を見ている。『Panty&Stocking with Garterbelt』を作りGainaxを去っていたスタッフは(特に今石洋之、吉成曜、若林広海らは)、アメリカのアニメを見事に吸収し、自家薬籠中のものとして表現しきった。
『クレヨンしんちゃん』『マインド・ゲーム』『四畳半神話体系』『ピンポン』などの傑作を生み出した湯浅政明なども、『wakfu』や『アドベンチャー・タイム』など海外のアニメスタジオとの仕事をこなしている(このことはなぜか世界で日本人が評価されるのが好きで、日本アニメが世界一だという偏った意見を定期的に垂れ流す日本のマスコミは報道しない)。
しかし、それが日本アニメの地力を上げることには未だ繋がっていない。
クリエータがいくら勉強しても、鑑賞者が勉強しなければ、実は作品はよくなっていかないのだ。
もちろんクリエータが良い作品を作らなければ、鑑賞者は鍛えられない。
ただ、そこへさらに、良い鑑賞者がいることによってクリエータも鍛えられていく、という流れを加えないとこのフィードバックは循環せず、先細りになってしまう。
健康なジャンルにはこのループがある。日本のアニメには残念ながらそれを感じない。
「批評の貧困」と昔からよくあるタームで総括しておこう。

まあ、硬いこと言ってるが、ようは「アメリカのアニメは面白いなあ、うらやましいなあ」ということなのだ。
何しろこちらより自由度が高く、定期的に信じられないことが起こるし、一年に一作は今まで見たことのなかった作品に出会える。
日本人として、日本アニメにリスペクトをしてくれるのも嬉しい。こう見えても私は常識的なナショナリストで、現状に文句はあっても日本アニメが基本的には好きだからね。
アニメだけでなく、『おかしなガムボール』を見ていても、『アドベンチャー・タイム』を見ていても、『スティーブン・ユニバース』を見ていても『グラビティフォールズ』を見ていても、日本のゲーム文化に対する強いオマージュを感じざるを得ない。『スティーブン・ユニバース』なんてjrpgの香りがぷんぷんする。世界では通用しないだのいろいろ言われたり自分で言ったりした日本のゲームだが、世界の若いクリエータには確実に影響している。問題は、ジャンルが外から自分を見る視線を持たなかったために、自分たちの何がよいのかを見失ったことだ。
新陳代謝を失ったジャンルの衰亡は早い。
考えれば上で、ちゃんと勉強しているクリエータとしてあげた今石洋之も湯浅政明も「金田アクション」という日本で生まれたアニメーション技法の後継者たちだ。
日本のアニメーション技法を極めるためにこそ、アメリカやヨーロッパの表現技法に真摯に向かい合わなければいけないのだ。
結局堅い話になってしまったが。
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