日本が世界で勝つかを考えていたら・・・


先日、とある雑誌の対談をしたのですが、そこで「アメリカ的な文化というものは、そのまま『グローバル』というものにつながっているけど、そのグローバルな時代に、日本が勝つにはどうしたらいいか?」みたいな話題がありました。

そこで僕は「それぞれの国が持っている文脈(コンテキスト)を活用したものでないと、世界では到底ユニークにはなれない」という風な発言をしてたのですが、「いやいや、そもそも日本が今まで勝ってきたものの共通点は何だっけ?」と思ったのです。

いろいろ考えたのですが、アメリカは「ハッカー文化」であるが、日本は「オタク文化」であり、オタク文化とは「手段を目的化することで、ユニークなものができる」という仮説にたどり着きました。

というわけで、そのことについてブログを書いてみます。

アメリカ文化とはどういうものか


では、まず対比として、アメリカ文化について考えてみます。

アメリカ文化とは、基本的にハッカー文化と呼べるのではないかと思うのです。

ではハッカー文化とは何か?それは、一言でいうと「目的のためなら手段を選ばない」というところです。世界を変える、Change the worldというのは、目的重視の言葉なのですね。

目的のために、手段をハックしまくって、一番効率的に世界を変えようという表れです。アメリカの強さの原動力はこのあたりじゃないかと思っているのですね。目的こそが大事、という考えです。

目的こそが大事なので、物事を疑い批判していき、手段はガンガンと変えていきます。そして、目的のために何かを打倒するという気持ちもあります。イノベーション文化と言い換えてもいいかもしれないですね。

世界がよくなるためだったら、法律を破ってもいい、あとから法律を変えればいい、みたいに考えるのもハッカー的な考え方ですし、極論としては、世界平和のためだったら戦争をしてもいい、みたいな考え方も非常にアメリカ的なのかもしれません。

日本文化とはどういうものか


一方で、日本文化はオタク文化と呼べるのではないかと考えています(個人的には日本と限定せずに、アジア的と考えてたりはするのですが、いったん日本に限定します)。

オタク文化とは何か?それは、一言でいうと「手段のためなら目的を選ばない」というところです。

たとえば初音ミクですが、「いい音楽を届けたい、そのためだったらボーカルは機械でもいいじゃないか」と考えるのがアメリカ的といったら、日本では「初音ミクを使いたい。そのためだったら、どんな目的でもいい」という考えになります。

目的を邪魔するものを打倒しようとするハッカーと違って、物事を取り込んでいくというのもオタク文化かもしれません。おもしろいものならなんでも取り込んでいく、というネタ文化的な部分もあります。

自動車でも、アメリカでは「車によって生活を変えよう」的なもので作ってたのだと思うのですが、日本では「車をつくるということをとにかく最適化しよう」というように考えていたのかもしれません。ウォークマンも(本当かどうかはわかりませんが)、持ち運べるものを作ろうとして始まったプロジェクトではなくて、とにかく小さくしよう、というところがスタートだったという話を小耳に挟んだことがあるのですが、そういうことかなあ、と。「音楽を持ち運べる世界へ」みたいな目的じゃなくて「プレイヤーをとにかく小さくする」という手段ありきだったのかなと。

こう考えるといろいろ整理できます。つまり、日本は目的はなんでもいいのです。日本は外圧に弱いとか、外からのプレッシャーじゃないと変わらないと言われますが、目的はどうでもいいからかもしれません。

日本文化の強みを活かそう


日本でも最近、「起業家は目的をしっかり作ろう」「世界を変える、みたいな意識でいよう」みたいな啓蒙がされていますが、これ自体は極めてアメリカ的、ハッカー文化的なのですね。そこをやっても、もともとそういうコンテキストがあるアメリカには勝てません。

逆に日本のオタク文化的なコンテキストを持ったサービスは十分な競争力があります。

Pixivのビジョンは「お絵かきがもっと楽しくなる場所を作ること」です。目的を設定するのではなくて、手段の部分をとにかく磨いていく。Pixivは絵を描いてどうこうしたい、ではなくて、絵を書くという手段そのものが楽しいから投稿している、だからこそ日本ならではのユニークなサービスになっているのではないかと。

日本人は目的を考えて作り、それに向けてがんばるより、もしかしたら手段そのものがエキサイティングなもののほうが爆発するのではないかと思っています。

iPhoneはアメリカ的な製品で、ガラケーは日本的な製品です。ガラケーは機能の多さや安定性など、やはりレベルがケタ違いに高かった。テレビは見れるわ、お財布にはなるわ、交通機関をどこでも移動できるICカードになるわ、デジカメ並のカメラになるわで、やはりすごかったのですね。それは日本的な突き進み方だったのではないかなあ、と。

イノベーションの起こし方が違うといえばいいのでしょうか。手段が決まり、その手段を磨けといわれれば、目的を忘れて磨き続けて、最終的に目的地とは違うところに到達してしまうのが日本だと。

日本から世界に通用するもの、というものは目的から生まれるイノベーションではなくて、手段から生まれてしまったイノベーションが大事なのではないかと考えています。

単純にアメリカのうまくいっているパターンをトレースするのもいいですが、コンテキストにあった戦い方をしたほうがグローバル時代では戦いやすいのではないかと考えています。

というわけで


こんなことを考えてみました。ちなみに、かなり定性的というか、感覚値的なものかつ実験的な思考なので、「こうじゃないか」とか「こういう考え方もあるのではないか」みたいなものがあったらコメント欄で投稿してもらえるととてもうれしいです。