Supershipになります

株式会社nanapiというものを2009年6月くらいからやっていたのですが、2015年11月1日をもって、Scaleout、Bitcellerと3社で合併して、Supership株式会社という会社に生まれ変わりました。

2007年12月くらいから、株式会社ロケットスタートとしてやっていて、2009年6月くらいから、本格的にスタートして、2009年9月にnanapi.jpをリリースして、2012年4月くらいに株式会社nanapiになり、2014年10月から、KDDIグループ入りしたりと、いろいろなステージがありました。

そんな中、今までの出来事で一番のインパクトが自分自身にあって、それは何でだろうと思ったのですが、ざっくりいって「僕が代表取締役の法人」としては一つの区切りになったからではないかと思いました。

そんなこんなで、11月1日から、心境的にも体制的にも、かなり新しいスタートを切ったという感じです。

起業してから今に至るまで

せっかくの機会なので、今に至るまでの歴史を書いてみます。

2007年12月、リクルートのいながら、株式会社ロケットスタート、というものを立ち上げたのが最初です。こんな記事で残っていました。

オフィスはSkype 「ギリギリ狙う」5人のベンチャー「ロケ☆スタ」

もう8年くらい前の話なので、「若い頃は痛いことを言っているんだろうなぁ」と思って読み返してみたのですが、あまり変わっていませんでした。

コミュニケーションはSkypeが一番。リアルの会話よりも便利といい、実際に会って話しながらSkypeでチャットもする――という“ハイブリッドな”コミュニケーションもしているという。「リアルの会話は、履歴を検索できないのが不便で」(古川さん)。Skypeならグループチャットの履歴が蓄積されていくから、オフラインのメンバーも後から履歴を確認できる。

「リアルの会話にコードは貼れないから」(村上さん)――Skypeで「このコードで何で動かないんだろう」と見せ合ったり、URLやファイルをやりとりしながら、サービスを共同構築していく。

今の若い人は信じられないかもしれませんが、当時はSlackというものが存在していなくて、Slackが存在していない世界で、どういう風に仕事が進むのか全く想像もつかないという人も多いでしょうが、当時はSkypeが主流だったので、それを使っていました。

インターネットでインターネットユーザー向けのサービスをつくっているので、なるべくインターネットを経由してコミュニケーションを取るほうが主にしたほうがいいという思いもあり、一方でそれでは足りない部分はリアルでやるという形でした。

要は、たとえば、リアルでの接客が重要な職種でも、連絡でメールを使ったりなど、インターネットを活用するよね、というのの逆みたいなもので、ネットでのやり取りが重要だけど、対面で会議をしたりと、リアルを活用したりするよね、というイメージです。主従が逆という感じですね。

会社としての目標は、特に設定していないという。「『Yahoo!JAPANを追い抜けるようなサービスを作りたい』という話はするが、『いつか○○したい』という遠い将来の話はあまりしない。今やりたい→今つくろう→今リリース!という感じ」(古川さん)

で、こういう感じにしたいというのがあって。僕はやはりYahoo!JAPANを追い抜けるようなサービスを作りたいというのは割とあって、10年くらい言い続けています。したらばJBBSがライブドアに事業譲渡されたときも、堀江さんに「Yahoo!JAPANを抜けるようにしたい」といって、堀江さんも「いや、できるでしょ」といってたのがすごい印象的でした。

Yahoo!JAPANは素晴らしいサービスですし、昨今のアプリとかサービスの質の高さも相当なものだと思いますが、なんかずーと1位が独走しているというのもつまらないなあ、と思っていて、まずはYahoo!JAPANというサービスを抜きたいなあ、というのがあったのですね。

ただ、まあ、ロケットスタートをやって思ったのは

  • 副業じゃ本気になれない
  • オフィスはSkypeじゃないほうがいい

ということです。

いろいろ個人とかチーム単位でサービスを作っていたりしたのですが、やはりヒットしても、なかなか続かなかったりする。

佐々木俊尚さんにインタビューしていただいて、こんな本まで出したのに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。いや、将来的にはオフィスも相当いらなくなってくると思いますし、今でも少人数のチームならいけると思いますが、2008年には時代を先取りすぎたのかもしれません。


というわけで、「週に5回くらいは出社する」という、とんでもない大きなハードルを設定して、6人いるメンバーに問うたところ、他の4人のメンバーはやはり無理ということでした。6人のうちの僕と和田だけがやるということになり、2009年6月から2人でフル稼働で働くことになったのが、株式会社nanapiの原型です。

ただ、何をするか全く決めていなかったですし、いろいろな本で調べたところ、新規事業はうまくやっても8回に1回くらいの成功確率が一般的、と聞いたので「会社が潰れないようになんとかがんばって、その上で10個くらいサービス作れば1個くらい当たって、そこからはそのサービスに集中する」という、極めて雑な戦略を立ててやりました。

そのはじめのサービスがnanapiというサービスです。

nanapiのきっかけは至極シンプルで、個人投資家の小澤さんという、よくわからない人と知り合っていて、その人に新宿のルノアールに呼ばれて「ハウツーサービスを作りたいんだけど、受託しない?」と言われたことです。

当時僕らは、独立したものの、何もすることが決まっていなかったので、オフィスの雑草を刈ったり、オフィスの排水口の虫を退治してたりしたのですが、その傍らで受託も受けていたのですね。そういう形で、開発受託ができないか?という相談をされたのです。

小澤さんはちょっと変わった方で、ルノアールで何か甘い飲み物を頼みつつ、そこに砂糖を大量に入れていたので、すごい甘党なんだなあ、と思ったりしました。

で、オフィスにかえって二時間くらいで資料を作ったのですが、「これは自社サービスとしてやってみてもよいかも!」と思ったので、次に会った時か何かに「これ、一緒にやりませんか」とこちらから提案したのですね。

ちなみにその時の資料がこれです。

ネットで見れる企画書!創業時の「nanapiのナマ企画書」を公開します。

今考えると、すごい条件だったのですが、小澤さんは「よしわかった、まずいくら必要か教えてくれ。そのお金をまずあげる。もしサービスがうまくいかなかったらそのお金はあげよう。サービスの受託費にしよう。うまくいった場合は、株か何かにしよう。その株の条件も、俺からは一切条件を出さないし、いくらでも何%でもいい」という、有利不利とかのレベルじゃないくらい僕らにとってやりやすい条件でした。

そんなこんなで、受託を半分くらいやりながら、残りの半分くらいの時間を使って、nanapiをリリースしました。1ヶ月半くらいで作った記憶があります。

ええと、このペースで書くとすごい分量になるので、紙面の都合上、飛ばしますね。

そんなこんなでリリースしたあとに、クラウドソーシングの仕組みで記事を生み出すようにしたり、(当時はクラウドワークスとかなかったから自前)、そのあと資金調達したり、たくさん人を雇ったり、新規サービスをやってみたり、少し気の多い私なりに泣いたり笑ったりしたりして、今に至るという感じです。

自分のこと

で、今まであまり話していなかった自分のことなんですが、この6年間、どうだったかと振り返ってみたのですが、一言でいうと、お金に追われていた、というのが一番かもしれません。

2000年くらいからWebサービスを作るのが楽しくて楽しくて、そればっかりやりたくて、いいサービスを作りたくて生きてきて、それを全力でやるために作った会社のはずが、常にお金に追われるわけですね。

初期の頃は人数は5人くらいだったので、月の半分、僕とCTOの和田が受託をすれば、まあ食っていくのはできる、という日々でした。しかし、2010年の6月くらいから、半年後には1人、正社員で入ってくる人とかを約束しちゃったので、なんとかしないといけない、という状況と、nanapiワークスというクラウドソーシングのサービスをはじめてから、鬼にようにお金が出て行くので、あ、これやばいな、という状況になりました。

なので、グロービス・キャピタル・パートナーズというベンチャーキャピタルから資金調達をすることになるわけですが、投資される金額が着金する前日は3万円くらいしか残高がなくて、次の瞬間には100万円以上の支払いがあるみたいな状態だったので、かなりドキドキしました。

んで、そこで3.3億調達したんですが、お金が集まったら楽かというと全くの逆で、今度は上手に使わないといけないわけです。「しばらくは安心だー」とかにはならない。全然ならない。むしろ普通にお金を銀行においておくと無駄以外の何ものでもないので、人をたくさん雇ったりして、投資してサービスを伸ばさないといけない。人を雇うとサービスは伸びるんですが、今度はマネタイズをしないと人を雇った分だけ出費が増えるので、そこを計算していかないといけない。サービスを伸ばすのに投資をすればお金は減りまくるし、それを止めて稼ごうとすると、出資者から余計なことをするなと怒られる。サービスを伸ばすために出資しているのに細かくお金を稼いだら時間の無駄だから当然なのですが、慣れていないとなかなかできない。

これは、いわゆる経営というやつなんだと思います。

で、僕は経営者になりたかったわけでもなく、ビジネスマンとしてイケてたわけでもなく、単にサービス作りたい人なだけだったので、ここが苦労しました。そもそも、社長になった理由って、「けんすうが一番、書類とか作れそうだから(相対的に)」という感じでしたから。普通の人が1ヶ月で出来る書類仕事を、僕なら3ヶ月で出来て、他のメンバーは6ヶ月かかる、というだけの比較でしたからね。

サービス作ってたなーと感じるときはいつかと思うと、やはり2010年くらいまでなんですよね。そこからは、なんか資金調達をしたり、人を集めたり、組織を作ろうとしたり、組織運営で悩んだり、とかのほうが思い出します。もちろんサービスについてでも悩んでたことは多いんですけど、作ってた感はあまりしない。

6年を総括するとすれば、会社経営者としてはひよっこすぎて、うまくできずにうーんうーん唸っていて、サービス開発者としては、バリューがなかなか出せる状態にできずにいた、という感じです。

今回、会社で結果を出せなかったという点に関しては、多くの人を巻き込み、ご迷惑をかけて本当に申し訳ないなと思っています。nanapiでやってたサービスやnanapiで雇用した人たちは引き続きSupershipにいるわけなので、今後の僕の働きでなんとかいい結果を出してリカバリーしていきたいです。

良かった点とすればやはりメンバーに恵まれたことですね。初期から優秀でやさしい人たちがたくさん協力してくれてサポートしてくれて一緒に戦ってくれた事はとても嬉しい出来事でした。具体的に名前を出すとキリがないのでアレなんですが、共同創業者の和田がやはりもっとも一緒に戦った仲間という感じがします。和田とは中高からの同級生なんですが、そのバックグラウンドもあって、コミュニケーションが抜群にとれるので、とてもやりやすかったです。和田から「マックス」っていう文字列がメッセンジャーで来たら「ああ、今日は一風堂のそばを食べにいくために、骨董通りを歩いていて、マックスパーラー前あたりにいるんだな。」くらいの情報は伝わるくらい意思疎通ができます。そんな感じだったので、お互いにサービスに脳を直結させて、その状態で開発できてたというのはとてもエキサイティングでした。

今後

今後についてですが、僕はSupershipの取締役とサービス事業開発本部の本部長として、取締役として経営に携わりつつサービス全般を見ていく予定です。仕事上の求められる責任や目標はここでは書きませんが、個人的には、とにかく良いサービスを作って、大きくしていって、みんなにたのしんでもらいたいなあ、というのが強くあります。

そのために、もっとサービスに向き合いたい、というのもあるので、しばらくインターネットの世界にどっぷり浸かりたいなと思っているこの頃です。インターネットの世界と同化して、インターネットになりたい。インターネットと脳を直結させて、サービスと脳を直結させて、言語化できないあらゆるものもサービスにぶち込んで、おもしろいものができるようにしないと、と思っています。

今後ともよろしくお願いたします。