賢太郎の物書き修行

日々の事件やビジネスに関するコラム

カテゴリ : 国内

鳴り物入りで民主党政権に入閣した与謝野大臣は「税と社会保障の一体改革」を担っている。団塊世代が年金受給期に入るに連れて急増する社会保障費。年金と保険は「付課方式」になっているが、年金を支払う世代が受け取る世代より遥かに多かった時代には維持出来たこの方式も、その構成比率が逆転した現在では持続可能な制度ではなくなっている。

年金にせよ、保険にせよ、“税金”とは違うのだから「再分配」の制度として扱ってはいけない。「積立て」=〉「運用」=〉「(必要な時に)受け取り」というサイクルが必要である。ところが、年金も社会保険も集めたものを基本的には単年度で支給する。だから、年金や保険は払う世代が多かった時代には支払いが安かった上に支給しても余ったので、バカみたいな「ハコモノ」が沢山建てられた。

基本的には積立て方式に以降するべきだと思うが、今受け取っている人には積立てがない。一方でこの世代が一番金融資産を保有している。ならば、ある程度の積立てが賄えるまで金融資産に課税すれば良い。

金融資産に課税した上で相続税や譲与税は廃止する。一定額の課税控除を設ければ、高齢者の手元で塩漬けになっている資産が若年層に移転する。若年層は社会保障が「積み立て方式」になることで無用な将来不安を持たなくなるため、活発に消費するようになる。資産が移転することで金融資産課税の徴収額は減るだろうが、消費が活発になることで税収は上がる。税収の一部を積み立てに補填する。

積み立て不足がある程度解消されたら、年金事業は民間に売却する。人員も含めて民営化し、政府機能をスリム化する。売却益は国債の償還にあて、国債利払いの軽減を図る。社会保障も民営化出来るものは民営化して、国債を少なくしていく。年金も保険も自動車保険の自賠責のような仕組み(強制)と希望者が入る二本立てにするべきだと思う。

菅首相は「たとえ支持率がゼロになろうとも」「石にかじりついてでも」総理の座から下りないと言っている。ただ、菅政権の支持率は民主党の支持率に影響を与えるので、さすがにゼロになったら与党からも圧力がかかるだろう。もしかしたら与党から賛成者が出て不信任が可決するかもしれない。

菅首相は予算関連法案を人質に野党を引きずり出そうとしているが、野党は是々非々であたるべきだ。菅首相には、有権者は協議に応じない野党を支持しないという期待を持っている。これはある程度実現するだろうが、それによって形振り構わない政治姿勢が認められれば支持率は急降下するのではないだろうか。

すると4月危機よりも予算成立後の5月や6月の危機もあるのではないか。

菅首相官邸ブログで面白い提案があったそうです。

「第12話【孤立】「一人ひとりを包摂する社会」特命チームスタート!」
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/01/20110119-3.html


「包摂」という言葉はマル経用語なんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82

<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E6%91%82>

Wikipediaの解説より引用

「経済・社会は、捨象して抽象化することが可能な人間相互の関係である。他方、現実の経済・社会は、自然科学の法則を合目的的にシステム化した技術、生物としての人間、自然環境、空間など、さまざまの外生的な存在を取り込まない限り存続することができない。
これらはいずれも、自然的存在であって、自然科学が究明する独自の運動法則をもつ統一体である。経済や社会は、このような自然的存在のうち有用な性質だけを取り込んで(包摂して)活用しようとするが、自然は統一体として存在しているのであるから、有用な性質の包摂は、同時に、経済・社会にとって障害となる要素も同時に包摂せざるを得ないことを意味する。その結果、この障害となる要素が、経済・社会にさまざまの否定的帰結をもたらす。これが、経済・社会にとって外生的なものの形式的包摂(formal
subsumption)である。
そこで、経済・社会の主体は、この自然の存在が障害をもたらさないように、この自然存在を作り変えなければいけない。これは、経済・社会による人為的な自然の生産過程である。人為的自然が適切に生産されれば、形式的包摂に際して存在していた障害は消滅する。これにより、経済・社会は、外生的な自然を実質的包摂(real
subsumption)したことになる。」

これを「人」に適用するのですか。経済・社会の外生的存在となっている「孤立した個人」を社会に取り込むが「一人暮らし高齢者、児童虐待、不登校、DV、離婚、貧困、非正規雇用、孤独死、そして自殺」という『障害』も取り込んでしまう(=形式的包摂)。だから障害が起こらないように「孤立した個人」を社会に適合するべく『作り変えないと』いけない(=実質的包摂)。

おお!恐ろしい。『再教育』ですか。収容所思想ではないですか!
もしかしたら、「孤立した個人」に適合するように社会を作り変える気かもしれません。
それまた恐ろしい全体主義ですね。

『首相、事務次官に協力訴え 「政治家にも行き過ぎ」  「政治主導」修正、政官一体の取り組み指示』
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819481E0E3E2E2918DE0E3E2E3E0E2E3E39C9CE2E2E2E2;bm=96958A9C93819481E0E3E2E2978DE0E3E2E3E0E2E3E39F9FE2E2E2E2

「菅直人首相は21日午前、首相官邸で各省の事務次官に訓示した。「事務次官と政治家が積極的な協力関係をつくり上げてほしい。政治家にも行き過ぎや不十分さがあった」と述べ、政権交代以来の「政治主導」を軌道修正した。」

菅民主党が官僚の軍門に下りました。恐らく、陰日なたに重ねられたであろう官僚のサボタージュの賜物です。

日本には権力と国民の間の中間集団は「官僚組織」しかありません。この官僚は解雇規制や人事院などというものに守られて永続的に権力と国民の間にあります。アメリカなどでは政権ごとに官僚組織の上層部は入れ替わります。これはそれぞれの政党がシンクタンク(政策立案集団)をもっているためで、政権をとると同時にそのシンクタンクのメンバーが官僚組織の上層部に入り、解雇された官僚は野党のシンクタンクに入ります。日本にシンクタンクが無いのは、喩え政権をとってもシンクタンクのメンバーを政治任用で官僚組織のトップ=事務次官に据えることが出来ないためです。シンクタンクにいても、政策実現には手出しが出来ないのであれば、実現可能性がない政策を自己満足で作文しているだけで、優秀であればあるほど他の道を選ぶでしょう。

菅首相や民主党が「政治主導」を目指したのは正しいことで、行き過ぎどころか最初の一歩すら踏み出していません。問題は政治家の打ち出すコンセプトを官僚組織を含めた既得権益者に遠慮しない政策に纏め上げ、それを実現可能なプランに落とし、その実現を官僚に強制する、能力と権力を持つ実務者がいないことです。既得権益の代表となってしまっている官僚にそれを求めることは出来ません。政治主導を本当に成し遂げたいのであれば、政治任用が出来るポストを拡大し、それと同時に一定以上の地位の官僚の解雇が出来る様にしていかなければいけません。

本来であれば、民主党が政権をとった直後にそれに着手するべきでした。しかし、官公労の抵抗にあった民主党は「政治主導」という掛け声だけで本当の意味での政治主導改革を怠ったのだと思います。

菅第二次改造内閣に自民党の枢要を担った与謝野氏が入ったことで、彼を橋渡しとする所謂“大連立”を待望する声が聞かれる。改造前から識者の中でも大連立を唱える人もいるし、彼の大新聞の主筆は熱心に働きかけている。しかし、敢えて言う。

「譬え、日本が破綻しようとも大連立には反対する」

反対の理由は「人は満腹になってもお菓子に手を出すもの」だからだ。空腹を満たすという当初の目的が果たされても、そこにお菓子があれば手を出してしまうものだ。「自民党」は「防共」「社会党対策」の為に“大連立”から合併に至った。それがソ連崩壊、中国の転向と目的が果たされても合併したままだった。

あまつさえ、社会党を保守対抗馬としておだてあげることで、その延命に協力した。自民党という一種の「一党独裁体制」は戦後日本を共産革命の浸透から守り、敗戦から素早く立ち直るための「方便」に過ぎなかった。それが「戦後は終わった」と言われても維持されたのは、自民党という共同体が権力を手放したくなかったからだ。それは小沢一郎の「反乱」によって崩壊するかに見えたが、自民党という共同体を破壊したのは小泉純一郎という奇才の登壇まで待たなければいけなかった。

“一党独裁”自民党支配が終焉を迎えた今、日本は改めて多党政治―民主化―に進まなければいけない。“防共”を理由にした保守合同や戦争を理由にした翼攅会政治の再来は民度の成熟を妨げるだけだ。「たちあがれ日本」は保守理念の旗を掲げた。「みんなの党」はリバタリアンに近い。自民党と民主党はどちらもコミュニタリアンとリベラリストが混在していて有権者の選択を妨げる。

日本経済が破綻に直面して危機だからというのは理由にしてはならない。私たちは再び民主化の機会を逃す。第一、敗戦という最大の破綻を短期間で克服した私たちが、財政破綻程度を恐れてはいけない。それよりも二度と破綻しない社会をどのように再建するかを徹底的に議論して選択するべきだろう。

中曽根大勲位が谷垣総裁と会談して、野党第一党として政権を狙え、もっと“バンカラ”に、と言ったそうだ。

谷垣総裁は“あの”加藤紘一の子分だった人だ。加藤紘一は“あの”加藤の乱を起こし政界から弾き出された人だ。何のために未だに議員をやっているのかさっぱり分からない。

加藤紘一は宏池会を河野洋平から奪い、加藤の乱の失敗で谷垣総裁に譲った。河野洋平は総理になれなかった唯一の自民党総裁だ。加藤紘一はYKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)の中で最も総理に近い男と言われた。谷垣総裁はこのままでいくと総理になれないかもしれない。宏池会の会長には“呪い”がかかっているのかもしれない。

河野洋平にせよ、加藤紘一にせよ、「公家集団」と言われた宏池会の品の良さがあるが、それは「駆け引き下手」とも通じるようだ。河野洋平は野党から政権復帰を遂げる直前に加藤紘一の裏切りによって橋本龍太郎に総裁の座を譲った。加藤紘一は小泉純一郎の怒りを買い、徹底的に潰された。加藤紘一が情けなくも撤退する時に涙ながらに励ましたのが谷垣総裁だ。

民主党が内部紛争に明け暮れるなか、自民党は全くつけこめていない。そんな内ゲバを無視して政策論争に場を移すことも出来ない。そもそも、野党の党首である谷垣総裁が幾ら声を張り上げようとメディアが取り上げない。

いや“張り上げる”くらいエキセントリックであれば取り上げられるかもしれないが、谷垣総裁の品性がそれを許さない。その意味で甲高い声を張り上げて相手を撃破した小泉純一郎には劣る。谷垣総裁が自覚しなければいけないのは、「どんなに良いことであっても聞いてくれる人がいなければないのと同じ」だということだ。そう“つかみ”は大事なのだ。

菅首相退陣が囁かれるが、総選挙にならない限り政権は民主党のままだ。それまでに、谷垣総裁が泥臭くても魅力的なメッセージを発信出来なければ、政権交代後の総理に彼が座ることはないだろう。いや、そもそも政権交代すら難しい。

日経新聞 1月6日 朝刊 二面 寸言より
社民党の福島党首が「開国元年といったが日本は開国していなかったのか。(中略)開国元年ではなく生活再建であるべきだ」と記者会見で発言したらしい。本当にこの人が消費者担当大臣をやめてくれて良かった。菅首相は、野党に対抗する意味もあろうが、自由貿易協定への参加に意欲を見せた。それを批判する福島党首が「生活再建」を謳うのはおかしい。

福島党首は、民主党の旧社会党勢力も、生活再建の為に企業に雇用の拡大や賃上げを要求する。昨夜のビジネスサテライトでは多くの経営者が新規雇用や賃上げには応じられないと答えた。企業が雇用を増やすのは、新たな需要が見込め継続することが見通せる時だ。しかし、日本は人口減少が続き、消費が増える可能性が低い。雇用が増えてみんなが豊かになれば消費が増えるというが、世界一豊かな個人に溢れる日本ではいくらひとり一人がこれ以上お金を得ても消費は増えない。

日本で最も豊かな層は「老人」である。彼らは有り余るお金を使う当てがない。貧しいのは若者だ。彼らは収入が増えても老後の為に貯蓄する。貧しいとは言え、彼らは十分に持つべきものを持っている。

自由貿易協定にサインすると何が起きるか?安い衣食が入ってくる。収入が増えない消費者にとって、これは福音だ。モノが安くなることで相対的に収入が増えるからだ。

貿易相手国の収入が増えると彼らが日本の高付加価値商品を買える様になる。日本の成熟し、これ以上買うものがない消費者から、途上国のいくらでも欲しいものがある消費者にターゲットが代わる。しかも、彼らは何も日本企業が自分達の商品を劣化再生産したものが欲しいのではなく、日本で売られている高品質の商品が欲しいのだ。斯くして新たな継続する需要が見いだされ、企業は新規雇用を増やす。

国内では介護や付加価値の小さなサービスで労働者需要が増えるだろう。それを担うのは移民や出稼ぎだろう。ただでさえ日本の若者は老人を経済的に支える。その上にサービスまで求めることは出来ない。

この移民や出稼ぎは実際には多くの消費を行う。コツコツ貯めたお金で百貨店で一張羅を買うというのはかって日本人が豊かになる過程に重なる。移民や出稼ぎが増えることで、様々なトラブルが起きるかもしれない。それもまた日本人が経てきた過程だ。

私たちは戦後とても豊かになった。そんな私たちはもっと賢くこの変化を楽しめるのではないだろうか?そんな私たちのタフネスを信じない福島党首は、実は有権者を蔑視しているのではないだろうかと思う。

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