世界標準から取り残された横並びの日本人インテリ階層と一線を画する、数少ない世界基準の知識人、副島隆彦氏の新作。
「余剰」という人類における深刻な問題をキーワードに近代ヨーロッパの思想史をわかり易く解説した本。
18世紀のヨーロッパの啓蒙思想はライプニッツの主張する「この世の事象は全て合理的である。従って問題は全て解明される。現実にあるものは全て最善である」というオプティミスム(楽天主義)が主導していた。
この能天気な思想の欺瞞を見抜き、オプティミスムを痛烈に批判したのがヴォルテールであり、その懐疑主義(ペシミズム)をベースに独自の経済理論を構築したのがケインズである。その根底は「この世はそんな甘いものではない。目前の問題を解決するすることは容易ではない」という思想であり、それは正に余剰(サープラス)の問題であり、人類にとって余剰こそは解決不可能な最大の問題なのである。
ケインズの提唱した「有効需要の原理」では、「市場は放っておけば神の見えざる手により最善を実現してくれる」ということはなく、人々が消費(需要)するからこそ経済が回るという考え方で、モノとカネを供給していれば景気は良くなるという、現在主流派となっているサプライサイダーとは対極の思想なのである。又、ケインズは剰余価値説を唱えるマルクス主義でさえ市場原理主義の一種と喝破した。
ヨーロッパの近代政治思想の対立軸として自然法と自然権という考え方がある。自然法(ナチュラル・ラー)は、自然の法則に従い無理や無駄なことはせず立場に従って慎ましく生きるという、永遠の保守思想である。一方、自然権(ナチュラル・ライツ)は、人間は誰でも最低限度の暮らしをする権利を持つという人権を認めた思想である。ここからヒューマンライツ(人権派、モダンリベラル)が生まれた。この思想は現代の官僚の思想でもある。ヒューマンライツの思想では貧困者も生き延びる当然の権利があるとされ、政府は国民の面倒を見る義務があるとし、福祉を行うためには税金が必要であるという考え方になる。そしてこの税金によって富の再配分を行うという思考は、「人には生まれながらに普遍意思が備わっており所属が決まっている、従って自動的に納税と兵役の義務を負うのである」とするルソーの絶対平等主義と通じる。この徹底した平等のためには暴力革命も辞さない過激な人権思想は、フランス革命を主導したジャコバン党の指導理念でもあった。
ヨーロッパの思想は、ライプニッツからルソーへ、さらに全体主義(ファシズム)へと、過激に体制主義的になっていったのである。著者は諸悪の根源がルソーの過激なヒューマンライツ思想にあると見る。即ち、税金により平等社会をつくるという思想は、国家の寄生虫(パラサイト)として公務員たる官僚機構が強化されることになり、これは正しく中間搾取以外の何ものでもないからである。そして、このルソーの思想のおかしさを見抜いたニーチェのみが現代の生き苦しさを打開する指針を与えてくれる。
これらのヨーロッパ思想史と一線を画すリバタリアンという思想がある。著者はこの思想に属し、著者の他の著書でも多く取り上げられており、本書でも第3章で解説がなされている。簡単に言うと、国家をあてにせず自分の身は自分で守る、他者からの過剰な干渉を拒否し、独立独歩で生きていくという思想である。厳しい現実社会を、いかに生き延びるか、サバイバルの思想でもある。そこには、綺麗事も理想主義もない。
著者は語る《いまは老人福祉のやり過ぎである。老人ばかり大事にし過ぎた。若者たちのほうがかわいそうだ。若者に職がない問題というのは非常に深刻で、これは政治の失敗とはっきり言い切れる。世の中、すなわち社会体制そのものがズルいのだ。コネで公務員、大企業、特殊法人に就職している人はものすごい数でいる。”就活”をやらないといけない人たちというのは、本当の意味で特権に恵まれない人たちだ。それと地方出身者はコネがない。》《「注意しなさい、用心しなさい、警戒しなさい、疑いなさい」何事に対しても用心、警戒、注意、疑い。これしかないのだ。》(P178~181)著者の若者に対する切実なアドバイスである。世の中は決して甘くはない、騙し、裏切り、困難の連続である。国家の与える教育も所詮は洗脳なのである。何事も自分の頭で考えなければならない。そして自分自身の考えさえも、「本当にこれで良いのか?」と何度も己に問いかけ反芻するという厳しい思考訓練が必要なのである。
「余剰」という問題を語ると「人間の余剰」という問題に行き着く。人類は「人間の余剰」を戦争経済(ウォーエコノミー)で乗り越えてきた。人類は大体80年周期で戦争をしている。日本も戦後70年を迎えた。そろそろ何が起こっても不思議ではない。
ヨーロッパ思想史を学ぶには、簡潔かつ深く書かれており絶好の教科書である。しかし、「余剰」というテーマとの格闘は予言者の域に達した著者をもってしても困難であったのであろう、著者の苦闘の痕跡が感じられる作品であった。著者の多くの作品群の中でも指折りの作品である。若者は本書を読み、思索を深めて、今の不条理な時代を生き抜く知恵を身につけてほしい。
「余剰」という人類における深刻な問題をキーワードに近代ヨーロッパの思想史をわかり易く解説した本。
18世紀のヨーロッパの啓蒙思想はライプニッツの主張する「この世の事象は全て合理的である。従って問題は全て解明される。現実にあるものは全て最善である」というオプティミスム(楽天主義)が主導していた。
この能天気な思想の欺瞞を見抜き、オプティミスムを痛烈に批判したのがヴォルテールであり、その懐疑主義(ペシミズム)をベースに独自の経済理論を構築したのがケインズである。その根底は「この世はそんな甘いものではない。目前の問題を解決するすることは容易ではない」という思想であり、それは正に余剰(サープラス)の問題であり、人類にとって余剰こそは解決不可能な最大の問題なのである。
ケインズの提唱した「有効需要の原理」では、「市場は放っておけば神の見えざる手により最善を実現してくれる」ということはなく、人々が消費(需要)するからこそ経済が回るという考え方で、モノとカネを供給していれば景気は良くなるという、現在主流派となっているサプライサイダーとは対極の思想なのである。又、ケインズは剰余価値説を唱えるマルクス主義でさえ市場原理主義の一種と喝破した。
ヨーロッパの近代政治思想の対立軸として自然法と自然権という考え方がある。自然法(ナチュラル・ラー)は、自然の法則に従い無理や無駄なことはせず立場に従って慎ましく生きるという、永遠の保守思想である。一方、自然権(ナチュラル・ライツ)は、人間は誰でも最低限度の暮らしをする権利を持つという人権を認めた思想である。ここからヒューマンライツ(人権派、モダンリベラル)が生まれた。この思想は現代の官僚の思想でもある。ヒューマンライツの思想では貧困者も生き延びる当然の権利があるとされ、政府は国民の面倒を見る義務があるとし、福祉を行うためには税金が必要であるという考え方になる。そしてこの税金によって富の再配分を行うという思考は、「人には生まれながらに普遍意思が備わっており所属が決まっている、従って自動的に納税と兵役の義務を負うのである」とするルソーの絶対平等主義と通じる。この徹底した平等のためには暴力革命も辞さない過激な人権思想は、フランス革命を主導したジャコバン党の指導理念でもあった。
ヨーロッパの思想は、ライプニッツからルソーへ、さらに全体主義(ファシズム)へと、過激に体制主義的になっていったのである。著者は諸悪の根源がルソーの過激なヒューマンライツ思想にあると見る。即ち、税金により平等社会をつくるという思想は、国家の寄生虫(パラサイト)として公務員たる官僚機構が強化されることになり、これは正しく中間搾取以外の何ものでもないからである。そして、このルソーの思想のおかしさを見抜いたニーチェのみが現代の生き苦しさを打開する指針を与えてくれる。
これらのヨーロッパ思想史と一線を画すリバタリアンという思想がある。著者はこの思想に属し、著者の他の著書でも多く取り上げられており、本書でも第3章で解説がなされている。簡単に言うと、国家をあてにせず自分の身は自分で守る、他者からの過剰な干渉を拒否し、独立独歩で生きていくという思想である。厳しい現実社会を、いかに生き延びるか、サバイバルの思想でもある。そこには、綺麗事も理想主義もない。
著者は語る《いまは老人福祉のやり過ぎである。老人ばかり大事にし過ぎた。若者たちのほうがかわいそうだ。若者に職がない問題というのは非常に深刻で、これは政治の失敗とはっきり言い切れる。世の中、すなわち社会体制そのものがズルいのだ。コネで公務員、大企業、特殊法人に就職している人はものすごい数でいる。”就活”をやらないといけない人たちというのは、本当の意味で特権に恵まれない人たちだ。それと地方出身者はコネがない。》《「注意しなさい、用心しなさい、警戒しなさい、疑いなさい」何事に対しても用心、警戒、注意、疑い。これしかないのだ。》(P178~181)著者の若者に対する切実なアドバイスである。世の中は決して甘くはない、騙し、裏切り、困難の連続である。国家の与える教育も所詮は洗脳なのである。何事も自分の頭で考えなければならない。そして自分自身の考えさえも、「本当にこれで良いのか?」と何度も己に問いかけ反芻するという厳しい思考訓練が必要なのである。
「余剰」という問題を語ると「人間の余剰」という問題に行き着く。人類は「人間の余剰」を戦争経済(ウォーエコノミー)で乗り越えてきた。人類は大体80年周期で戦争をしている。日本も戦後70年を迎えた。そろそろ何が起こっても不思議ではない。
ヨーロッパ思想史を学ぶには、簡潔かつ深く書かれており絶好の教科書である。しかし、「余剰」というテーマとの格闘は予言者の域に達した著者をもってしても困難であったのであろう、著者の苦闘の痕跡が感じられる作品であった。著者の多くの作品群の中でも指折りの作品である。若者は本書を読み、思索を深めて、今の不条理な時代を生き抜く知恵を身につけてほしい。
ヴォルテールは
『あなたの著作を読んでいると
人は四つ足で歩きたくなります。』
とルソーに皮肉をこめた手紙を送っています。
ルソーは、それに対して、
『四つ足に舞い戻ろうと試みたりしないでください』
とに下手な皮肉で答えていました。
『人間不平等起源論 岩波文庫』
人間も動物の一種だという、
アリストテレス=ヴォルテールの立場と
人間を動物ではなく理性的存在者と定義する
ルソー=カントの断裂面がここに垣間見えます。