2007年08月

2007年08月31日

いよいよ明日、非常にムラのある全国ツアーを終えた「狐狸狐狸ばなし」の東京公演が下北沢本多劇場にて幕を開ける。

次の「犯さん哉」に頭も体もほぼかかりっきりだったが、今夜と明日は「狐狸狐狸モード」に切り替えて、いったん「犯さん哉」を放置。

以前も書いたように、近年の俺の演出作の中ではもっとも幅の広い客層に受け入れられるはずの、粋で軽い小品だ。

熟練の板前の腕による和食のようなね。
もちろん板前は俺じゃなくて作者の北條さんと役者なんだけど、と一応謙虚な姿勢を見せたりする。

今更ながらホントに俺、いろんな舞台やってるなあ。

「狐狸狐狸ばなし」が和食だとすると、
「犯さん哉」は食べたくもない駄菓子を腹一杯食わせるような芝居になるだろう。
最初のうちは
「お、キナコ飴だ。お、お、ふ菓子だ」
と喜んでいられるが、そのうち
「もうお腹いっぱいだよー!てか体に悪いよー!」
となる。それでも駄菓子しか出しません。そうした舞台だからだ。
「狐狸狐狸」の観客が皆一様に、作品の出来を80点と採点するとすれば、
「犯さん」は20点をつける人と100点をつける人、真っ二つに分かれることだろう。

スタンダードなこともストレンジなことも、行儀いいことも乱暴極まりないことも、いろいろやれるに越したことはない。

そして12月のナイロンだ。

本チラシのデザイン進行上、本来なら昨日が締め切りだったタイトルとコメント文を、いよいよ今夜中には提出せねばなるまい。

ギリギリだ。
すべてがギリギリだ。

昨日は、松本幸四郎率いるシアターナインス公演「シェイクスピア・ソナタ」のプレビューを観にPARCO劇場へ。

作演は岩松了さん。
相変わらず岩松節が冴え渡り、例によって説明台詞は一切なし、なのに情報量は膨大。
観客は、ごくごく個人的な事情をやりとりしてたかと思えば突然詩的な台詞を吐く登場人物たちの言動の中から様々なディテールを汲み取るしかなく、俺も含めて、すべてを汲み取れてる観客なぞ一人もいないように思えるが、岩松さんは
「だからナニ?舞台ってそういうものでしょ?」
とでも言うかのように、毎度姿勢を崩すことがない。
もはや好き嫌いでしかないな。岩松さんのホンは。

終演後、「キャバレー」の顔合わせを終えて観に来たという秋山菜津子と楽屋へ。

岩松さんに挨拶し、禿禿祭以来に会う高橋克実さんと煙草を吸いながら「岩松演出のしつこさ」について語っていると、時効警察以来に会う豊原功補くんが降りて来たので「マントをつけて登場した時には、十文字のトレンチコートとダブった」とどうでもいい感想を述べる。

秋山が帰り、克実さんが帰り、岩松さんが帰り、豊原くんが帰りする中、まるで俺がこの舞台の演出家のようにいつまでも楽屋前で佇み、何本目かの煙草を吸いながら松本紀保ちゃんにやはりどうでもいい感想を述べていると、ヘロヘロになった緒川たまき嬢がテカテカの顔をして楽屋から現れる。疲れるんだろうねえ。そりゃあ、疲れるさ。お疲れ様。エライエライ。

帰路思ったのは、やはり「いろんな芝居があるよ」ということだった。


keralino at 17:15コメント(30) 

2007年08月30日

最近コメント欄をつけたり無くしたり、紛らわしくて申し訳ありません。

現れたり消えたり、神出鬼没の謎の裏には「なにかトラブルが起こるのではないか」という懸念以上に、半日ぐらい経ってもコメントが一件も書き込まれてない寂しさがあったわけですが、昨日昼間、なんとなく「コメント管理」ってとこを見ていたら、100件以上のコメントが、よくわからないんだけどそこに「管理」されていて、おいおいなんだよコレ、と思って読んでみると、あたりまえだけど「コメント」でした。

なんか、審議してから公にする設定になってたみたい。

よくわからんよ、機械のことは。

もちろんすべてのコメントに目を通し、それらを公表する設定に変えたので、ようやく表記されました。すみません。

ひとまず現在はスルーで表記する設定にしてありますが、俺の判断で削除させてもらうことや、あまり厄介なことになりそうな気配があり次第、閉鎖させて頂くこともあると思うのでご了承くださいな。

特に投稿者同士のケンカは勘弁ね。人間一人一人考え方は違うんだから。

ともかく、試しにしばらくコメントを受付させてもらう所存です。

必ず読みますけど返事は基本的に無理ス。すみません。

で、昨日読ませて頂いたコメント群、どれも、励みになったり参考になったりで、中には中学の同級生のネモキンや高校映画部の後輩窪ちゃんからのコメントもあったりして、なんのひねりもありませんが、フツーに感激しました。
ありがとう、皆さん。すごくやる気が出たよ。
やる気だけじゃやれないんだけど。

取り急ぎ。
以上。


keralino at 16:56コメント(43) 

2007年08月28日

「犯さん哉」稽古初日。無事終了。

台本は読み合わせしてみたら20分しかなかったけれど、みんな笑いっぱなしだったから役者受けは良かったのではないか。

まるで、ノイローゼのお笑い好きな小学生が書いたような台本だ。30分なら笑っていられるだろうけど、これを2時間続けたら、さすがに演る方も観る方もイヤになるかもしれないが、まあ、仕方がない。賽は振られてしまったのだから。今更もう後戻りは出来ない。

話は変わって、昨日のグミチョコ最終ダビングで、またもやプロデューサーのYと衝突した。

今まで幾多のプロデューサーと仕事をしてきたし、衝突するのは俺の場合、ある意味通過儀礼のように毎度の事ではあるものの、衝突にもいろいろあるのであり、クリエイティブな領域での衝突は作品にも良い結果を齎す事が多いし、衝突のあとは清々しい気持ちで和解し、
「いやあ、衝突もいいもんだよね」
と微笑みあえる関係を作ったりもするものだが、彼ほど低レベルの物言いをするバカタレは初めてであり、そんなバカタレのプロデュースの下でこれだけの作品を作り上げた俺は本当にすごい。

もちろん、極めて劣悪な仕切りの下で楽しみながらベストを尽くしてくれた出演者やスタッフの皆さんの力も多大であり、感謝してもしきれない。焼肉奢っても奢りきれない。

撮影監督のアジュこと小澤公則くんや、助監督の窪田君、中村君、管君、伊藤君、音楽のゲイリーさん、録音の中村さん、制作の大沢さんと小野君、スタイリストの佐藤さん、メイクの久美さん、美術の長谷川さん、照明の大賀さん、脚本の第一稿を書いてくれた村上、CGの磯金さん、スチールの今津さん、メイキングの増永さん、音響監督の吉野さん、音響効果の塚本さん、その他にもたくさんのスタッフの尽力がなければ、映画「グミ・チョコレート・パイン」は完成させられなかった。
よくこうした言い回しで謝意を述べるのを見るけれど、グミチョコの場合、本当の本当に「もうダメかも」と思った局面を乗り越えられたのは皆さんの熱意のおかげです。

石田卓也、黒川芽以の二人を筆頭に、キャストが楽しんで演じてくれたのも心の支えだった。くじけそうになっても、こいつらの為にも納得のゆく作品に仕上げねば、と思うことで頑張れたことがたくさんある。

ライン・プロデューサーの東田さん&チーフ・プロデューサーの岩下さんとは、脚本脱稿からクランクアップまでには何度となく言い合いになったけど、今では蟠りはないと信じたい。
特に予算を切り盛りしなければならないラインPの立場で、こんなめんどくさい監督と最後まで付き合ってくれた東田さんには感謝の気持ちでいっぱいだし、チーフP、つまりこの映画の製作的ボスである岩下さんも、我慢に我慢を重ね、突然頭を丸めるなどの謎の行動はあるにせよ、最終的には大人としての言動を見せてくれようとする、その姿勢には最近になって小さな愛おしさすら感じる。

だが、Yだけは本当にもう、人間的にこれほど合わない奴もいるかというぐらい相性が悪い。
さっきも「みんなが迷惑するからもうプロデューサーなんか辞めた方がよいのではないか」とメールしたのだが、まだ返事は来ない。

「1980」にせよ「おいしい殺し方」にせよ「時効警察」にせよ、それぞれ辛いことはあったが、そんなことはどうでもよくなるぐらい楽しい経験だった。
思い出されるのは撮影中の様々な一コマだ。
なのに、グミチョコで思い出されることと言えば、三名のプロデューサーとの衝突ばかりだ。

何度降りようと思ったことかわからない。

繰り返すようだが、その度に、出演者やスタッフが心の支えになってくれた。

グミチョコ完成までの道程は、衝突の道程であり、DVDの特典やパンフのプロダクションノートの目玉の一つになるべきは、俺とプロデューサー連中の険悪なミーティングだと思うのだが、当然カメラは回ってないし、ライターの方も核心には触れまい。

ただ、俺が衝突の度に、子供のようにダダをこね、怒鳴り、ムッとされ、負けるものかとムッとしかえし、帰ると言って立ち上がるのを宥められ、いやーな沈黙が何時間も流れ、
みたいな、ストレス溜まりまくる状況を二日に一日は繰り返しながら昨日に至ったからこそ「グミ・チョコレート・パイン」という映画がなんとかこのクオリティでここに完成したわけで、もしも途中でプロデューサーの「金がない攻撃」に屈し、惰性で作品を完成させていたとしたら、観るのも嫌なら観せるのも嫌、名前を出すのも拒否したくなるような代物になっていたことは間違いない。

よく頑張った、俺。

キャスト&スタッフの皆さん、もうすぐ試写会でお観せできますよ。
完成披露試写で舞台挨拶があるようなら、ぜひともY君にも舞台に立ってもらいたい。
面白い裏話をたくさん話してもらえるのではないかと思う。

それ以外ではもう顔も見たくない。
「顔も見たくない人」って、今までの人生でおそらくいなかったけど、初顔も見たくない人登場である。
じゃあ顔以外なら見たいのかと言うと、見たいわけねえだろバカ。
おしまい。
台本書く。

keralino at 19:50コメント(24) 
今、グミチョコ最終タビングの帰路、タクシーの中。

昨日のブログで、どうやら俺は
電気GROOVEを
打ち間違えて
電球GROOVE
と表記したらしい。

「らしい」というのは確認してないからで、じゃあどうして間違いが発覚したかというと、何だか知らないけどこんなどうでもいい間違いに、と言うと卓球達に失礼だが、まあ正直どうでもよい間違いに、4人もの知人が 、面白がったり焦ったり不思議がったりワザとだと思ったりしながら、指摘メールを送って来てくれたからだ。

もちろんワザとではないが、ともかく今は精神的にも肉体的にも余裕が無い中ブログを書いているので、推敲はおろか誤字脱字チェックすらする暇はない。つーか読み返さない。

卓球たちにも、これを機に電球GROOVEに改名するぐらいの思いやりが欲しいものだ

電球GROOVEなら卓球ではない。
卓気だ。

卓気と滝だ。
紛らわしいな。


半年以上前のことになる。
河原雅彦と篠原ともえと三人で飲みに行き、帰ろうとしたら電球GROOVEの二人やスチャダラパーのシンコ達が飲んでいるというので、もう朝方ではあったが、久しぶりだし少し顔を出した。
そして泥酔した卓気にからまれて、というかなつかれて、というかともかくでかい声で好き勝手なことを言われ続け、ひどいメにあった。

ナゴム卒業生に対して殺意に近い感情を抱いたのは
去年のこの特急と
83年クリスマスライヴでの、ぐれ糸リッチ伊豆のまもるに対してだけだ。

まあ、殺意は大袈裟だが、奥さんに電話して数々の悪さをチクってやろうか、ぐらいのことは考えた。

あ、すげー中途半端だけど着いたからおしまい。
こんな日もある。

keralino at 03:03 

2007年08月27日

明日からとうとう「犯さん哉」の稽古が始まるというのに、今日は朝から終日、映画「グミ・チョコレート・パイン」の最終MA。
本日の作業が終われば、9ヵ月に渡って関わりつづけたこの奇妙な青春映画も、ついに、ようやく、本当の本当に完成、あとは観てもらうだけ、と言いたいところだが、エンディングテーマがまだ出来ていないのよ。

つまり、エンドロールだけがまだ手つかずのままなのだ。

エンディングテーマは電球GROOVEに書き下ろしてもらうことになっているのだが、(何年ぶりかのシングルだとか)まだ歌詞もメロディーも曲調も、なぁんにも渡されていない。
歌詞は滝が書くとか書かないとかの噂。
ダイジョブなのか?
なんで監督が自分の映画のエンディングテーマについて噂しか聞いてないんだよ。

卓球、WIREとかやってんじゃないよ。
アリーナだっけ?あんな広けりゃ誰か別の人間にレコードかけさせてもわかんねえんじゃない?
卓球っぽぉくしてればさ。

正月映画ってことは、12月の半ばには公開なのである。
間に合うのか、宣伝。試写会とかチラシとか雑誌とかさ。
俺、もう雑誌のインタビューなんか受けてる暇ないよ。受けても「犯さん哉」のことばっか喋っちゃうよ。
今回のパブリシティは全面的に原作者の大槻に任せた。あと石田卓也や黒川芽以ら若者に任せた。
なぁんて言いながらも、結局はねじこまれてやることになるんだろうなあ、取材。
いい人だからなあ、なんだかんだ言って、俺。
山羊座のA型はなあ・・・・。

そんなことを憂いている場合ではないのだよ俺は。始まるんだよ稽古が!バカ!

昨日は久しぶりに、後ろめたい気持ちを背負いつつ、亀戸の「狐狸狐狸ばなし」公演に顔を出し、9月1日から始まる東京公演の為のチェック。って亀戸も東京なんだけど。

元気そうな皆の顔を見て、疲労が少しだけ癒された。



keralino at 06:08コメント(23) 

2007年08月22日

今、演劇界は「笑い」にとって荒野だと言っても過言ではないのだ。

と「時効警察」のサブタイトルみたいなことを言ってみた。

「笑える芝居」はたくさんあるだろう。
だが、「笑えるだけの芝居」は極めて少なくなった。

言い換えれば、「手段としての笑い」はあるが「目的としての笑い」が絶滅状態にあるということだ。
笑って笑って、あとに何にも残らない芝居。
もちろん泣けたりしてはいけない。
「笑えて泣ける」なんて言語道断。
「ホロリ」とか「じ〜ん」とかは必要ない。俺が言っているのは「笑えて笑える」芝居だ。

感動もダメ。
哲学的なのもダメ。
ゾォッとするのも勘弁。
ともかく他の何かに奉仕してはいけない。
笑いが奉仕するのは笑いのみ。
笑いの為の笑い。

そんな芝居を劇団単位で続けているところが、今いくつあるだろう。

今俺が即座に思い付くのは
「拙者ムニエル」と「動物電気」ぐらいだ。劇団じゃないけれど「PYPER」もそうなのかな、随分前に一本観たきりだからよくわからない。

少し前なら、これに「猫ニャー」と、やはり劇団じゃないけど「ジョビジョバ」と「ハイレグ・ジーザス」がリスト加わったことだろう。

演劇をよく知らない人が読んでも何が何やらだろうが、少ないのである、そうした舞台が。

では、何故少ないのか?

それはもう、求められていないからのような気がする。創る方にも観る方にも。

じゃあ何故求められていないのか?

お笑いの連中でそれは充分事足りてるからではないか。
と誰かは言う。

んー、それも一理あるかもね。

お笑い芸人たちの技術とセンスは、俺達の青春時代と比べると飛躍的に伸びた。

バナナマンとか、さま〜ずとか、おぎやはぎとか、もう抜群に上手いし面白い。

ことにここ最近のバナナマンの呼吸は(「せりふの時代」の連載にも少し前に書いたけれど)絶妙というしかなく、何度見返しても笑えるネタがいくつもある。たしかに日村の顔も面白いが、コンビとして旬だと思う。

ただ、小劇場シーンが彼らの影響で笑いを放棄しているとは、俺にはなかなか考え難い。
笑いを欲する人間が、小劇場を選ぶのを辞めて、あるいは捨てて、お笑いを選んでいるようには思えないのだけど、どうだろう。

うまく説明できないのがもどかしいけれど、肌合いが元々違う気がして仕方がない。
特にお笑いライヴの観客席に座ってみると強く感じることで、なんというか、あの、はっきり言うと、お笑いライヴの観客は始末におえません。

なんて書いちゃうとお笑いの方々に大変失礼かと存じますが、客席の雰囲気が嫌でお笑いのライヴに行くのを躊躇している人は俺の周りにもたくさんいるし、なにより俺がその第一人者です。

第一人者ってこたぁなかったが、「果たして、観てもらうべき人に観てもらえているのだろうか」と感じたお笑いのライヴは多い。

つまり、あまりこちらに流れてきて頂かなくて結構なお客様ばかりがお笑いシーンを支えてらっしゃるように思えるわけでして、俺と致しましては、やはり「元々別の人種」と考えさせて頂いた方が都合がよろしゅうございます。

では、改めて、何故小劇場には「笑い」が枯渇したのだろう。

「泣き」あるいは「シリアス」へのニーズの変化が、大きなヒントになりはしないか。

シビアになるばかりの世相が、「バカ笑いしててよいのか」と思わせるのではないか。

「泣き」の位置づけの変化によって、「笑い」のポジションが否応なしに変わってきたとは考えられないか。

笑って済ますなんてもっての他。
今はそんな呑気な世の中ではありません。

ただし、と皆考える。
ただし、問題を深く考える糸口としてならば、笑いもアリなんじゃないか?


ちゃんちゃら可笑しい話だ。
「ちゃんちゃら」っていいね。よくないか。どっちでもいいや。

俺も「笑いの為の笑い一筋」の道を30歳の時に捨て(何故なら気が狂うのが嫌だったから)、以来「ホロリ」や「じ〜ん」や「ゾォッ」や、時には「ポカーン」などに浮気している人間だから、エラソーなことは言えないが、それでもライフワークは最後の最後まで「笑いにのみ奉仕する笑い」だと思っている。

ニーズがないのにライフワークだとか言ってても、展望は開けまいが、理屈や計算で決めたことではないから仕方ない。

好きだからやりたい。やりたいからやるのだ。

「犯さん哉」が、甘えきった「泣き」に対する、ささやかな抵抗になればよいと考えてはいるものの、「抵抗」が目的になってしまったらもともこも無い。罠はそこかしこに潜んでいる。



keralino at 06:47コメント(75) 

2007年08月21日

ようやく筆が滑りだした。ありがとう、筆。
とりあえず、日産10枚(400字詰め原稿用紙)を目標にすることに、俺内会議にて決定。

昔は20枚以上を一日で書けた時期もあったけれど、あの頃はどうかしてたのである。

今は頑張っても12枚か13枚がいいとこだ。もちろん執筆以外に何か大きな仕事がない場合に限る。

もし一日10枚を死守できれば、28日の稽古開始には、全体の半分ぐらいの台本があることになり、そんなことは22年のエンゲキニン人生で唯の一度もなかったことだから、これはもうあなた、軽い奇跡である。

ナイロン100℃の役者は稽古初日に台本が1枚も無いことに慣れている。大抵1枚も無いからだ。
さして必要のない、だらだらと長いだけのト書きが2枚か3枚あって、それでおしまい。
ごく稀に、初日に20枚とか書いて行ったりすると(たしか「ナイスエイジ」がそうだった)稽古場がちょっとしたパニックになる。
それぐらい、稽古初日には何もないのが常となっている。

だが、そんな時代も終わりだ。

そう言い続けて20年が経つけれど、今回こそ、いや、今回から遺作まで、ずっとプチ奇跡は続くのである。
なんつて今回が遺作にならぬよう、ほどほどに節制しつつ頑張るつもりだ。

応援してくださってる方々、俺の知ってる人も知らない人もありあとさん。
メールとか、なかなか返せず申し訳ない。

井上ひさし先生は、今まで幾度初日を延ばしたことだろう。

それでもオファーがあとを絶たないというのは、それはそれですごいことだと思うが、俺にはとても初日を延ばす勇気はない。



keralino at 02:26 

2007年08月20日

17日と18日は終日、映画「グミ・チョコレート・パイン」のダビング作業をしていた為、ただでさえ捗ってない「犯さん哉」の台本執筆は一文字も進まなかった。

正月映画として公開されることになったグミチョコの公開館は、あれほどプロデューサーに切望したにも拘わらず、渋谷ではなく新宿に決定。

一気にやる気がなくなり、主役の石田卓也と
「モチベーション下がるよなあ。舞台挨拶とか辞退しようか」
とメールの交換。
ハタチの若者とメールでプロデューサーへの不平を言い合う44歳の監督ってのもどうなんだろうと思うが、俺も卓也も「なるべく新宿には行きたくない派」だから仕方ない。

いつからこんなに新宿が嫌いになったのだろう。
THEATER TOPSや紀伊國屋ホールにも、好きな劇場なのに滅多に行かなくなってしまったのは、街に魅力がなくなったからだ。
紀伊國屋サザンは特に行きたくない。通路より後ろに座るとテレビを観てるみたいでまったく臨場感がない。この劇場は出来た時から好きになれなかった。街とはあまり関係ない。

魅力のない街について書いても時間の無駄だからやめる。

さて、一昨日の書き込みでは疲れて書ききれなかった、最近したミーティングの話のつづき。


バンドのミーティングをした。

メンツはシンセサイザーズのバンマス三浦と、ドラムのYANAさん(元ゼペットストア)、ベースの平井くん。

なんか4人で出来ないだろか、と三浦が召集をかけた。
先月のクアトロでのシンセ活動休止ライヴ直前にも一度集まって、漠然とした話をした。
二回めだから、とりあえずいろいろなCDを持ち寄って聴いてみよう、ということになったが、やはり漠然としたミーティングであることには変わりなかった。

バンドは音を出してみないと何も始まらないのだなあ。

フットワークを軽くするために4人、というのは分かるが、ロックバンドっぽくなりすぎることに抵抗がある。せっかくロックバンドが活動休止するなら、ポップス寄り、あるいはアコースティック寄りの音楽をやってみたい、というのは、有頂天を解散してLONG VACATIONを始めた時と同じ指向の流れだ。

違うプロジェクトでやるのならば、賑やかな音楽はもうしばらくいいかな、とも思う。
そうした音楽は、またシンセサイザーズでやればよい。

さっきふと思った。三浦がギターではなくキーボードに徹して、ギターレスというのはどうか。
ギターを弾くにしてもストロークを辞めるとか。

ミーティングで言えばよかった。

別プロジェクトで、アコースティック・ライヴの計画もある。
チェロ、パーカッション、シンセ、ピアノ、俺の5人に、適宜ホーンやストリングスを加える。
もちろん客席は椅子席だ。


そんな話をしていると夢ばかり広がってすぐに時間が経つ。

わかっている。
わかっているよ。
わかってるってばさ。
大切なのは執筆だ。
稽古開始まであと8日。
頑張るよ・・・。

keralino at 03:09 

2007年08月18日

ミーティングを一日一本はしている。

机の前に座って一文字も書けずに数時間、を何日も続けていると、ミーティングの時間だけが唯一、人とのライブなコミュニケーションだ。気晴らしにもなるし、ヒントにもなる。

岡田義徳とミーティングした。
12月のナイロン公演に出てもらうにあたり、不安なので少し話したいと言われたのだが、ほとんど何も決まってないから、こんな状況で話したところでかえって不安を煽るのではないかと思いきや、雑談の中には、義徳にとっても俺にとってもヒントがいくつもあった。

会ってよかった。
そして彼は相変わらずコーラをよく飲む。
ミーティングの最中にも当然コーラを飲みながら、追加注文すると言うから何か食べ物でも頼むのかと思ったらコーラだった。

昨年の秋、「漂う電球」で一緒にツアーを廻っていた時、あれは福岡だったか、居酒屋でコーラを取扱ってないと聞いた義徳はひどく不機嫌になり、コンビニへ行って缶コーラをおいおいちょっとそれどうなんだと思うほど買い込んできた。

俺が出会った人間の中で「最もコーラを好む男」、英語で言うとCOLER。それが岡田義徳。つーか俺の中ではもう岡田コーラ。


斉藤ネコさんとミーティングした。
「犯さん哉」の音楽を担当してもらうのだ。

ネコさんと最初に会ったのは、80年代の終わり。

有頂天の「カラフルメリィが降った街」という素晴らしいアルバムがあって、その中で一曲、「いつもの軽い致命傷の朝」という、有頂天には珍しかったバラード調の曲があって、ちなみにこの曲はつい最近ある人にホメてもらってすごく照れたのだが、ともかくそういう曲があって、どうせバラードやっちゃうなら開き直るか、と、ニューウェイブのバンドにはあるまじき、「ストリングス・オーケストラ」の導入に踏み切ったわけだ。

アレンジャー兼マエストロとしてスタジオに現れたネコさんは、いきなり「マイクの立て方」についてエンジニアの助手をもんのすげえ剣幕で怒鳴りつけた。

「こんなマイクの立て方で録音できるわけねえだろおおおお!!!!!!」

俺達バンドメンバーは、主役なのにもうビクビクだ。
嫌ぁな人呼んじゃったなあ、と思った。

演奏は素晴らしい効果をあげたとはいえ、「とにかく怖い人」という印象は拭えなかったから、20世紀いっぱいはこちらから接触を働き掛けることは一切なかった。

昨年の終わりだったか、仕事の打ち合わせをする為に待ち合わせをしていた下北沢のバーに入ろうとすると、店員さんが「今日はライヴだがいいか」と聞いてきた。
週に数度、その店ではジャズやボサノバや、ともかく大人の音楽の生演奏を行っているのは知っていた。
待ち合わせの相手を待つ間、たまにはそうしたアダルティな世界に浸るのもよいかな、と思い、店に入った。

ご想像通り、現れたのは、20年ぶりに見る、あの怖い人率いる、減額死重僧、いや、弦楽四重奏「斉藤ネコカルテット」だったわけだ。

俺が今回ネコさんに仕事を依頼したということからもお分かりの通り、ライブ終了後に酒を呑みながら話したネコさんの印象はとてもよかった。

「あの頃は、バンドブームでロクでもない仕事ばかりきて、イライラしていたんだよ、お金にはなったけどね」とのこと。
「いや、有頂天はよかったよ」

本心かどうかはともかくとして、そうフォローしてくれるのが嬉しかった。

なんだ、すげえいい人じゃん。全然怖くない。

じゃあ避けていた20年はなんだったのかと思うくらい和気藹々と会話は進み、それから(偶然が多いとはいえ)ちょくちょくその店で会ったりする仲になった。

随分と長い説明になってしまった。

それにしても、「ネコ」というのは思い切ったネーミングだ。
犬山だって、芸名を「犬山イヌ」にする勇気はなかっただろう。
やはり「イヌ」にはなにかつけなくては駄目だ。
「ネコ」だと不思議にしっくりくる。

ネコさんは秋に、松本修さんが演出するカフカの二本立ての音楽も担当する。
忙しい中、無理矢理お願いした。
マイクの立て方さえ気をつければ、うまくやってゆけそうな気がするのだ。

疲れたので打ち切る。17日、18日はグミチョコのダビング。
長いことかかったけれど、とうとう完成する。

keralino at 04:52 

2007年08月16日

ついさっき近所のローション、いや、ローソンに行ったら、会計の時に店員の黄さん(名札にそう書いてあった)がヤケに俺の顔をシゲシゲと見るので、一体どうしたのかと思ったら、レジにこんなモノが山積みされていた。
db795a8d.jpg表紙の二人組のうちの一人と俺がよく似ていると思ったらしい。
あたりまえだ、俺なんだから。

昨日来た時も黄さんが店番をしていたが、まだこの小冊子はなかったはずだ。

おそらく、今日の夕方店に来て、積まれている冊子の表紙を見て、「ん?」と思ったのだろう。

「コノオトコ、ヨクヨナカニキテ、ポカリスエットトフトマキズシヲカッテユクヘンナカミガタノキャクデハナイカ?」

見つめるばかりでいっこうにレジを打とうともしないので、さすがに聞いた。

「なんスか?」

すると黄さんは急に頬を綻ばせ、ニタニタ笑いながら

「コレ」

と表紙を指し、さも

「ほらあなた載ってますよ、驚いたでしょう」

とでも言わんばかりに表紙と俺を交互に見るので、早くレジを済ませてほしかった俺は

「ああ、ええ、そうなんスよ」

と言うしかなかったが、俺が肯定するのを聞くと、黄さんはやにわに5、6冊の冊子を掴むと俺に差し出す。
記念に持っていけとでも言うのだろうか。
ほら、大盤振る舞いだ、俺は気前がいいんだ、表紙になるなんておそらく人生にもう二度となかろう、友達にも配りたかろう、くにの母にも送ってやるがいいさ。ってことか。

「いや、こんなにいらないス」

と一冊だけ取る。

「スポーツセンシュ?」

「はあ?」

「スポーツデユウメイデスカ?」

俺と古田が、一体なんのスポーツ選手に見えたのだろう。プロレスラー?

「いやいや、違います。演劇。芝居。わかりますか?」


「エンケキ?シッパイ?」

いや、たしかに失敗の連続だけどさ、演劇では。

「ノーノー、シアターディレクター、ユーノウ?」

「・・・・・」

なにが気に障ったのかまったくわからない。
黄さんはそれから不意に口を閉ざし、無愛想に金額と「アリガトザイマシタ」と しか言わなかった。
俺の英語がそんなにヘタだったのか?
それとも、なにか演劇に怨みでもあるのか?

いずれにせよ、しばらくは近所のローション、いやローソンには行きづらくなってしまった。あの冊子が置いてある期間は。


そのこととは関係なく、ここ二、三日は鬱々としている。

台本も進まないし、体調も今ひとつだし、人生いろいろあるのだ。

14日の午後は下北沢ザ・スズナリで行われた入場無料のシンポジウムに出席。

下北の街の道路開発によって、スズナリが存亡の危機に曝されているとなっては、下北の神様としては出席しないわけにはいかなかったものの、不眠に加え、イロイロあってロクな発言ができなかった。申し訳ない。

共に出席したのは柄本明さん、坂手洋二さん、宮沢章夫さん、流山児祥さん、館主で「下北サンデーズ」では半ばコンビを組ませてもらった本多一夫さん、反対運動の委員会SAVE THE SIMOKITAZAWAの下平さん。

開発による利権など、むつかしいことはよくわからない。
区には区の言い分もあるだろうし、街を潰してやれと思ってる人間なぞいないこともわかる。
それぞれの立場で、皆さんもっともなご意見があるだろうし、きっと聞けば理屈は頷けるものだろう。

だが、そんなことは知ったこっちゃない。

俺はスズナリがなくなるのは絶対に嫌だ。
戦争反対を唱えるのにややこしい国勢を熟知せねばならないというわけではあるまい。
愛する家族が、恋人が、ペットが、家が、奪われるのは嫌だ、許せない、イロイロあるのだろうけど、頼むから勘弁してくれ。

そういうことだ。
うまく言えなかったと思う。

初めてスズナリで芝居を打ってから19年、初めてスズナリで芝居を観てからはもう22年経つ。

公演で使わせてもらったのはたったの7回(脚本のみの公演含む)だけれど、俺のエンゲキニン人生には下北が必要だったし、下北にはスズナリが必要不可欠なのだ。

小劇場すごろくなんて関係ない。
スズナリがなくなっては困る。


なんて思いながらテレビのニュースを観ていたら、今日、もう昨日か、は終戦記念日で、嫌だと言おうが困ると叫ぼうが、愛する人を否応なしに連れていかれてしまった方々がたくさん映っていた。

そして、昼にはメールで、つい三時間前の、ある訃報を知った。

残された家族が心配だけれど、今の俺には、冥福を祈りながらただじっと見守ることしかできない。

ローソンチケットの情報誌の表紙を飾ったほどの有名なスポーツ選手である俺なのに、他人の心の傷はなかなか癒やせない。

俺の限界であり、ローソンチケットの限界だ。
自らの卑小さを笑い飛ばして、眠気と闘いながらまた机に向かうしかないのだ。

keralino at 00:26