2007年02月07日

呼称変更とメディアの問題について風呂の中で考える。

「精神分裂症」という名称が変えられ、「統合失調症」になってから、どのくらい経つだろう。

詳しいことはわからないし、調べようにも現在バスタブにつかっている俺には調べようがないが、おそらく「統合失調症」と言われてピンとこない人は今でも多いのではないか。

「精神病質」という名称も、いつの間にか「人格障害」と言い習わすことが普通になった。

そもそも、「精神障害」という呼称だって、一昔前には単純に「精神病」と言っていたはずだ。

映像のシナリオでも、舞台の脚本でも、このあたりにうるさい人に関わりながら書くのは煩わしい。

「ピンとこない人が多かろうが、認知度関係なく、変更したからには変更後の名称で書け」

みたいな無茶を要求されることも多い。
しかし、そうとばかりも言ってられないだろう。

例えば、横溝正史の小説には気のふれた人がレギュラー出演しているが、これの映画化シナリオで、

「あの子は幼い頃より人格障害を患っておりまして・・・」

なんて台詞があっては絶対におかしいのだが、まかり間違うと、時代考証そっちのけで、そうさせんとさせる力が、上層部や出資元のバカが一人か二人からかかったりするのがこの世界だ。

26歳の時に書いた「カラフルメリィでオハヨ」の再々々演をした時も、劇中で医者が口にする「痴呆症」という台詞に対して、アンケートには
「今は痴呆症とは言いませんよ。認知症です」
と、いくつも書かれていた。
ご指摘は有り難いものの、あれは携帯電話のない時代のお話である。認知症なんて言ってはまずいのだ。

呼称の言い換えは、メディアが「表現の主体としての自覚」を失いつつある時によく起こる現象だが、精神障害をとりまくこの状況は、それだけが原因ではないはずだ。
「用語の定義づけ」という基礎の枠組み自体が、大きく揺れ動いているということなのだろう。

なんて書くと、現在俺が抱えている仕事に、何か思うことがあるのかと思われてしまうが、その通りだ。
ただし、それは再来年の仕事のことで、「時効」も「グミチョコ」も関係ない。

ああ、のぼせる。






風呂から出ます。




出ました。
服着ます。




着ました。


さて、いよいよ「帰って来た時効警察」撮影準備も大詰め。

6日は衣装合わせ2日め
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とある役で出演してもらう、超デカ超愛想よし超日本語ペラペラなPOPという黒人の俳優さん。
初対面なのに、ついつい、今日にでも親友になれるんじゃないかと思うぐらい人当たりがよい。


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で、お馴染み、池谷のぶえにも出てもらう。ナンセンスをやらせたら、間違いなく、我が国最高の女優だ。
「blog、毎日読んでます」
と言われた。
結構たくさんの役者さんや業界人に読んでもらってるようで、それはそれで、嬉しいような、監視されているような気分になる。

情報は小出しにする方が楽しいからそうするけれど、出演者の8割が、何度も一緒に仕事している人、もしくは旧知の役者さんだ。
俳優部とは非常にコミュニケーションがとりやすい。

時効警察には、一筋縄ではいかない小道具や仕掛けがたくさん出てくるから、演出部制作部はバタバタだ。
すべて、シナリオが遅い俺の責任だ。
なにしろ、クランク・インまで24時間をきった今現在、まだ完成稿が上がっていないのである。
上がっていないのである、じゃない。さっさと書け。
はい、書きます。


keralino at 08:51