2009年05月03日

清志郎さんのこと。

忌野清志郎さんの訃報を聞いて、多くの方々同様に、大きなショックを受けている。
緒川さんもだ。ちなみに俺は奥さんのことを緒川さんと呼んでいる。

80年代の後半から90年代初頭に、清志郎さんと一緒のステージに立って歌わせてもらったことが、二度か三度あるが、そしてどれも、複数のバンドが参加する大規模なイベントのフィナーレだったから、ステージ上には溢れんばかりの人間がいたわけだが、あの人の存在感は圧倒的で、皆が清志郎さんを囲んでいるような印象に、自然になってしまっていた。

92年に秋元康氏のプロデュース、堤幸彦氏の演出でオンエアされた「忌野清志郎アワー」というテレビ特番では、ウチの劇団員が大挙して清志郎さんとコントを演じた。

03年に公開された俺の初監督映画「1980」に清志郎さんが中途半端な感じで出演してくれている。これは、撮影当日までまったく予定していなかったことで、及川ミッチーとの学祭イベントを終えた清志郎さんが、自転車に乗って現場にやって来て、「通行人でいいから出たい」と言ってくれたからだが、あんな目立つ人を通行人なんかで出してしまったら観客は気になって仕方ないだろうから、慌てて役を作ったのだった。

仕事上でご一緒させてもらったのはそれぐらいだ。

それより、単なる一オーディエンスとして、高校時代に通った渋谷屋根裏での2DAYSライブ、同じく4DAYSライブ、ライブ盤になった久保講堂のコンサート、「トランジスタ・ラジオ」を「新曲です」と紹介した日比谷野音、シーナ&ザ・ロケッツとプラスチックスと3バンドで開催された「ポップンロール300%」とかなんとかいうタイトルの武道館でのジョイントコンサート、そして1980年の秋のいくつかの学祭でのステージ。

あの頃のRCサクセションから受けた感銘は筆舌に尽くしがたい。

結果的に俺はロックンロールやブルースに捧げるような人生を選ばなかったけれど、そして選ばなくて良かったけれど、マイクを振り回しながら歌っている清志郎さんを観ていると、あるいはその隣で腰を屈め、目をつむってギターをストロークする仲井戸さんを観ていると、到底ガラじゃないのに、「うん、たしかにロックンロールこそ最高だ」と思えてしまいそうになるティーンエイジャーの俺がいたわけで、後にも先にも、心からそんな風に思えたのはRCに心酔していた数年間だけだった。

有頂天が、ニューウェイヴだテクノだと言いながらも、無機質な音楽をやるグループではなく、パッショネイティブなバンドであり続けたことには、もちろんパンクの影響も大きいが、RCの存在も意識されていたに違いない。

こんな時に傲慢な言い分に聞こえるかもしれないが、ある時期から「スローバラード」が、かつて程の切実さを感じさせてくれなくなったような気がして、俺はRCサクセションのライブに通うのをやめた。

コアなファンなら周知の通り、RCには「暗黒期」と呼ばれる低迷期がある。

シングル「スローバラード」と、同曲を含むアルバム「シングルマン」が売れ行き不振の為に瞬く間に廃盤になる中、続くシングル「わかってもらえるさ」をリリースしようとしていた、1976年、まさに「暗黒期真っ只中」のライブ映像がYouTubeに上がっている。

この中で歌われる「スローバラード」や「わかってもらえるさ」や「九月になったのに」や「まぼろし」における、25歳の「わかってもらえないバンドマン」の悲痛な叫びは、心底胸に迫るものだ。

6年後のライブ映像を観ると、編成やアレンジやビジュアルの変化より、徹底的な抑圧から解放された人間の躍動感が大きな魅力になっているのがわかる。

清志郎さんは、あの時期、ついにわかってもらえたのだ。わかってもらえた人間の威力はすごい。

ただ、わかってもらえた代わりに手放さざるを得なかったものもあったはずだ。

とは言え、もしあのままわかってもらえてなかったらと考えるとゾッとする。

あまり頭を整理できぬまま書いているので、あれだが、つまり、だから、清志郎さんの人生はとてもとても幸せだったと思う。

なにしろわかってもらえたのだから。
これ以上ないだろうというぐらいに。

清志郎さん、どうか、安らかになんか眠らずに、ずっと、歌い続けていってください。


keralino at 08:56コメント(20) 

コメント一覧

1. Posted by Kはた   2009年05月03日 09:38
ケラさんの投稿で清志郎さんの訃報をききました 癌再発のニュースの後、まだお若い年齢なのでその後はどうだろうかと思っていたのですが 私が清志郎さんを初めてみたのは坂本龍一さんと共演のいけないルージュマジックで、当時小学生だった私には衝撃的なビデオクリップだったんだけど その後 RCサクセションを知って清志郎さんは別格ですきなミュージシャン
再発で可能性は分かっていたけど残念です
2. Posted by バニラ   2009年05月03日 10:07
キヨシローの訃報に接し、ケラさんの「GUN」を思い出してここに来ました。

こうやって、自分が愛してきたものを失っていくことが歳をとるっていうことなんでしょうかね。

5. Posted by Akemi♪   2009年05月03日 15:48
5 清志郎さんは天国に遠征ライブに行ったんだって思ってます。
きっと天国を最高のライブ会場に変えているに違いない!!
痛みや苦しみから解放されて、大好きなロックをおもいっきりやってるって☆
だから、いつか自分が天国の清志郎さんのライブチケットを手に入れられるように、清志郎さんから学んだことを胸に、自分の人生を全うしようと思います。
『1980』を観た時、清志郎さんが出ていたのに驚いたし、すごくうれしかったのを覚えてます☆


6. Posted by うな   2009年05月03日 15:58
ロックの神様は、きっと天国でも歌い続けていると信じます。
い・け・な・いルージュマジックで衝撃を受けた小学生時代。。
どかどかうるさいロックンロールバンド、大好きだったな。。

7. Posted by 由紀   2009年05月03日 16:47
5 神様〜みてきました!本当に毎回書いている人が同じとは思えない最後のシ???ンやられた〜と納得しました。6月のイヌケラも楽しみにしております!
8. Posted by tetsu   2009年05月03日 17:58
ベタな言葉しか見つかりませんが、本当に稀有な方だったと思います。
残念です。
新曲を聴いたり、新しいパフォーマンスを観たりすることは出来なくなりましたが、このまま忌野清志郎さんは忌野清志郎さんのままであり続けていくのだろうと思います。
「安らかになんか眠らずに」とか
「冥福なんか祈らない」とか
言ってもらえるってすごく幸せなことだと思います。

9. Posted by らぢお   2009年05月03日 20:54
初めてコメントします。
ケラさんの清志郎さんに対する距離感は多くのファンにとって同感出来るものなんじゃないかなぁと思います。
10. Posted by ぱら   2009年05月03日 22:28
5 >ある時期から「スローバラード」が、かつて程の切実さを感じさせてくれなくなったような気がして、俺はRCサクセションのライブに通うのをやめた。

 訃報に際して、敢えてこう書く貴方に、RCに対する愛情を感じました。
 私、ケラさんとは同学年。ブレイクした1980年には、受験よりRCが大事な高校3年生でした。勉強ほったらかしで、ずいぶんライブにも足を運びました。 
 1月の屋根裏からクリスマスに武道館をいっぱいにするまで、すごい1年でしたよね。
 そして売れていくなりの理由もあった。自分もずいぶん救われました。

 9日は青山に、お別れを言いに行く予定です。清志郎さんと、あの頃の自分に。

 
 
 
12. Posted by ぴ〜す   2009年05月03日 22:52
未だに言ってるのは私だけかもしれませんが、ケラさんの御結婚で失恋の胸の痛みを久々に体験し、レンアイとかコイとかってのを久々に思い出し、
まぁ私もナゴムギャルだったのはもの凄く昔で 今は娘2人の母でオバサンで、
わかってますが、ケラさんのブログ読む気になれなくて、勝手なファン心理ですが、
でも今日は きっとキヨシロウさんのことを書かれていると思い 久々ブログ見ました。鶚鶚鶺廖 RCのレコードを聴いてみようと思いました鶚鶚


13. Posted by 大黒   2009年05月03日 23:05
私は熱心なファンでは全然なかったけれど、こんな私ですら、中学や高校の頃聴いてた時期があった。
きたない所がない、えばらない、面白い、本当にかっこいい大人だと思った。
画面でキヨシローさんのニヤニヤした、いつも幸せそうな顔をみると、お日さんにポカポカ照らされているような、楽しい気分になった。

ほんとは今もどこかで、ニヤニヤしてるんじゃないのかな?


14. Posted by 貧乏易者   2009年05月04日 00:31
一番なりたくなかった大人じゃないケラさんのコメントは感銘深いです。日本のロックもいろんな人の魂がこめられてきたんですね、某日本のロックボーカルの人が清志朗さんのライブをみておもいとどまった話はいろんな人がしってるんではないでしょうか?僕は少し祈ってます歌えば少しなにかが変わるって、自分がかわらなきゃです。
15. Posted by giga   2009年05月04日 07:18
癌再発を聞いた時から「いつかこの日が来てしまうのかなぁ」と思ったり。「いや清志郎なら完治→また復活するだろう」と思い込もうとしたり。
人生最初のライブが野音のRCでした。
あれからいくつものバンドを好きになり、RCは徐々に二番手、三番手へ。。
若気の至りで金欠時にRCのCDをお金に換えてしまったこともありました。
自分の中で もぅ過ぎた思い出だと思っていたのに、訃報を聞き自分でも驚くほどに号泣してしまいました。RCを卒業してもぅ何十年も経っていたのに。
好きだった人、愛した人が亡くなるってこういうことなんですね。。初めて知った感情でした。
清志郎さん、ありがとう。おつかれさまでした。

16. Posted by メフィスト3世   2009年05月04日 10:35
子供の事を語るきよしろうさんにグッとくるものがありました。小林さんのコメントは大マスコミコメンテーターと一味ちがうなあ。
17. Posted by モルダル鬼神梅久真人   2009年05月04日 10:56
まっぴらごめんねい、緒川さんのウィキとかみました、ごめんなさい。竹久夢二のかみさんからなんですね、三島 由紀夫烈士の本読む女性そういないのではないでしょうか。竹久夢二の(娘はやらん!)みたいな講談聞きました。すごい夫婦だ!清志朗さん少し上の世代なんですが、学生運動とかあって今これからどうなるんだろうとかおもってます。娘さんの事をかたるシーンが胸をうちました。

18. Posted by 小白   2009年05月04日 18:35
清志郎さんの訃報も耳にしてからずっと「ヒッピーに捧ぐ」をきいてはずっと泣いています。
バンドマンなら皆この曲をきいて切なく、涙するのではないでしょうか。。。

ケラさんも体をお大事に。
一昨年、妻と行った下北沢のライブ、生涯忘れません。
ケラさんの楽曲、ライブをこよなく愛する妻に代わり、私からもケラさんのご健勝をお祈りしています。

19. Posted by やすこ   2009年05月04日 19:12
清志朗さんのこと、私も悲しいです。残念でしょうがありません。今でもまだ信じられない。信じたくない。
歴史に残る大物は、どうしていつも早くに逝ってしまうのかと、涙が止まりません。

ケラさんの最後の1行に、私も共感を持ちました。
どこに行っても、歌い続けて欲しいです、。

20. Posted by みく@原っぱ   2009年05月04日 22:12
CDを持っていたわけでもなく、ライブに行ったこともなく、ファンというわけでもありませんでした。
けれど、清志郎のカッコ良さが好きでした。
生き様がカッコイイ人でした。

ずっと清志郎のことが頭から離れません。
偉大なロックンローラーでした。

とあるギタリストの言葉とケラさんの言葉に胸が詰まります。

私も、ずっと ずーっと、歌い続けてほしい。

21. Posted by LEGO CITY   2009年05月04日 22:14
物心がつくかつかないかの頃、記憶に残っている一番最初の歌謡曲って、たぶんベストテンで見た「ルージュマジック」だったと思います。

あれは幼児にも非常にキャッチーでセンセーショナルでした。

それからRCの活動はもちろん、タイマーズの一連の件があったりするわけで、もちろんそれはリアルタイムで知っていたわけですが、本格的に楽曲の良さや面白さに引き込まれたのって、大槻さんが出てらした「アイ・オー」っていう映画だったり(劇中で
大槻さんが「スローバラード」を独唱しながら女性に告白するシーンがあります)、電気グルーヴが子門'Zとしてカヴァーした「トランジスタラジオ」で、そこから逆流して色々聴くようになった感じです。

ちょうどその当時あたりにリリースされた、細野さんや坂本冬美さんと結成されたHISのアルバム。今でもipodに入れて聴いています。言うまでもなく傑作です。
22. Posted by ポチ   2009年05月05日 00:07
同感です!
安らかに眠らず歌い続けて欲しいです!
23. Posted by アバッキオ   2009年05月18日 08:38
それ誤報ですよ!
清志郎さんは生きてますよ(^-^)

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星