2018年02月22日18:57
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2017年11月14日21:23
2017年10月14日21:13
2017年08月22日00:55
2017年08月22日00:19
その日は雨が降っていた。
さらさらとした雨音が聞こえ、雨粒はあまり感じない霧雨だった。
遠くにはもやのようなものがかかっていて、遠くを見渡すことは難しい。
そんな霧雨も森の木の葉に受け止められたら少しずつ溜まって行き、ふとした拍子に落ちる。
ぱたぱたっ。ぽたぽたっ。
踏み固められた土の道は自然と木々のアーチがかかっており、こぼれ落ちた雫によって水溜りがあちこちに出来ていた。
そこを少年がばしゃばしゃと足音を立てながら走って来た。
まだ背も低く、ほっそりとした身体はいかにも子供らしい。
元気そうな目と、それを裏付けるような生傷がいっそ微笑ましさを感じさせる。
村から走って来たのだろう。
少し息が上がって、あちこち泥で汚れている。
少年はすぐそこに建った東屋の前で立ち止まった。
誰が建てたのかは誰も知らないし、何の為にあるかもわからない。
ただ、昔からそこにあり、きっとこれからもここにあり続けるんだろうと思わせる佇まいを見せていた。
「姉さん。」
少年は東屋の中に座っていた姉、ソーニャに声をかけた。
「あんた・・・どうしたの?何でこんなところに?」
東屋の中にある、切り株を流用した椅子から立ち上がった。
どうやら雨宿りをしていたようだ。
「姉さんがどこか行くって聞いて・・・旅に出て、ずっと帰らないだろうって鍛冶屋のじいさんが・・・。」
ソーニャは横を向き、小声でつぶやく。
「あのジジイ・・・余計な事を。」
ライルは切羽詰った様子でさらにソーニャを問い詰めようと語気を強めて行った。
「本当なの?行方不明になった母さんを探しに旅に出るって・・・本当なの!?」
「あー・・・まぁ、そうよ。本当ならあんたにも内緒で行くつもりだったんだけどね。」
「どうして・・・黙って行くなんて!」
「そりゃあんた、ついて来るって言うでしょ。」
ライルは押し黙った。
ソーニャの言う事はまさに正しく、自分の意図を正確に把握されていたからだ。
「困るのよね・・・あんたまだ8歳なんだから、長旅に耐えられる訳ないじゃない。体力も知識も何もかも持っていないあんたについてこられたら足手まといにしかならないでしょ?いっくらわたしだって知らない街であんたのフォローまで出来ないわよ。」
ソーニャに真正面から正論を突きつけられ、ライルは何も言えないでただ下を向いて立っていた。
悔しくて、唇を噛み締めながら震えている。
(僕が子供だから姉さんは・・・くそっ!)
重苦しい空気を払拭しようと、ソーニャが声をかけた。
「ま、とりあえずこっち来なさい。そこ濡れちゃうから、東屋で話そう?」
服についた水滴を払いながらソーニャは言った。
「あんたが悔しいのって、実は私、少しわかるのよ。」
「えっ・・・?」
ライルには理解出来なかった。
ソーニャはいつだって何でも出来た。
川や山での男の子の遊びから、花摘みや編み物みたいな女の子の遊びまで、ソーニャが出来ない場面なんて見た事がない。
鍛冶屋に入り浸って、そこでの作業も鍛冶屋の爺さんの助手を立派に努めていた。
そして魔法。
当然誰にでも使えるものではないし、それなりの修行が必要とされているもの。
それが物心つくかつかないかの頃に突然魔法の才能が芽生えたのだ。
その反動で元々ライルの髪と同じ茶色の髪が銀髪になってしまったのだけれど、本人は気にした様子もない。
魔法使いの言い伝えに従って本当の名前を隠し、ソーニャと名乗るようになったらしいが、ライルは詳しく知らなかった。
とにかくソーニャは何でも出来た。ある意味、大人よりも。
同じ8歳の時点で比べても、ライルより数多くのスキルを持っていた事は間違いない。
それでもソーニャがライルの悔しさを理解出来るなんて、ライルには理解出来なかった。
ライルが黙り込んでいると、ソーニャがぽつりと呟いた。
「私はね、追えなかった。」
「誰を・・・?」
恐る恐る尋ねるとソーニャは小声で、しかしはっきりと答えた。
「母さん。」
ライルはそこではっと気付いた。
ライルにとっての母親とは想像上の謎の人物でしかないが、ソーニャは幼いながらもそのぬくもりに触れている。
その母が何らかの理由でどこかへ旅立つ時、ソーニャはきっと今のライルと同じ様に追おうとしたのだろう。
自分がしている様に、必死にすがりつこうとして。
しかしソーニャは追えなかった。意思を止められる力もなく、追いすがる力もなかったから。
「わたしはね、ライル。その時の後悔を埋める為に行くの。仮に見つからなくてもいい。自分の足で探して、大事なものを取り戻しに行く。」
「姉さん・・・。」
「母さんの存在は目的だけど、それ以上にきっかけでもあるの。私が過去に出来なかった事を今なら出来るんだって事を証明する為に旅に出るのよ。この先どうなるかわからないけど、何かを探しに行くの。同じ様な事を繰り返す・・・過ちだったとしてもね。」
ライルは何も言えなかった。
たかが8歳の少年が理解するにはまだ足りないものが多すぎたのだ。
でも、だからこそソーニャは自分を旅に連れて行ってくれないのだと言う事は理解出来た。
どうする事も出来ずにライルは黙って俯き、呆然と立ち竦んだ。
「ねえ、ライル・・・?」
ソーニャはすっとライルの頭を抱きかかえ、耳元で囁く。
「私は子供で、弱かった。あの日追う事も出来ず、止める事も出来ず、目の前でかけがえのないぬくもりが去って行くのを見届けるだけだった。」
いつもからかう様な態度を崩さないソーニャが、初めてライルに真剣に言い聞かせる言葉。
「あんたもあの時の私と同じ。あんたは強くなりなさい・・・私もこれから強くなるから。いつかあんたも旅に出る事があったら・・・私を見つけてごらん。そして」
抱きしめられてうろたえ、雰囲気にうろたえ、ライルはかなり混乱していた。
「いつか私を・・・守りなさい。」
そう言ってソーニャはライルの頬にキスをし、何事もなかったかのように離れた。
呆然と佇むライルを置いて東屋に置いてあった荷物を背負い、東屋から出て行くソーニャ。
いつの間にか雨もやみ、旅立ちを止めるものはどこにもなく、この姉弟の未来はどうなるのか、誰にもわからない。
ソーニャは過去を取り戻しに行き、ライルは未来へ向かって行くだろう。
その先にはきっと、ソーニャの語った言葉の意味が、今のソーニャの行動の意味が、ライルにも理解出来ているはずだ。
雨も上がり、空には鮮やかな虹の橋が描かれていた。
「さぁて、まずはどこに行こうかしら。」
ソーニャはひとり呟いて、ゆっくりと歩き始めた。
鍛冶屋からかっぱらって用意した馬を東屋に繋いだまま、忘れて。