教授と學生『特命使節』(ウィリアム・ゴールディング作)(第190回)

第190回 教授と學生『特命使節』(ウィリアム・ゴールディング作)(その二)

 先に述べたやうに、エウプロシュネーは「爆彈」を用ゐて、皇帝を救つたのだが、皇帝は「爆彈」の起爆装置である「眞鍮の蝶」を海中に投じる。「爆彈」を葬つたのである。いや、「爆彈」だけではない、皇帝は「蒸氣船」の建造をも禁ずる。「爆彈」も「蒸氣船」も敵の手に渡れば帝國を破壊する力を有してゐるからである。しかし、パノクレスは歴史を塗り替へるほどの發明を否定されて納得出來ない。「蒸氣船」はガリー船の漕ぎ手である奴隷を不要にするから、ガリー船を「蒸氣船」にかへれば、奴隷解放が行はれる事になると、さうパノクレスは「奴隷制度」廢止の爲に「蒸氣船」が必要たるゆゑんを熱心に説く。だが、皇帝はかう反論する。
 「御前は政治的には理想主義者なのだ。しかし、この地上から奴隷が消え去ることはないぞ。名稱がなんと變らうと、奴隷はいつの世にも存在する。強者による弱者の支配ーーそれがつまりは奴隷制度ぢやないか。まさか御前は、全人類を平等に出來ると考へてをるわけでもあるまい。」
 成程、皇帝の言ふ通り、修辭を斥けて露骨に言へば「強者による弱者の支配」とは「奴隷制度」に他ならぬ。それゆゑ、「奴隷制度は無くならない」と皇帝が言ふのは、詰り、「全人類を平等」に出來ない以上、「強者は弱者の支配を止めぬ」と云ふ意味である。けれども、「強者による弱者の支配」、詰り「力の正義」にも限界がある。皇帝は強者である。クーデターに際して、皇帝の政治的綱渡りは成功した。が、この種の綱渡りが常に成功するとは限るまい。古代ローマに於て、「皇帝政治」が「民主政治」に移行する事はなかつたが、史實に從へば、西ローマ帝國は「皇帝政治」の最中に、傭兵隊長のクーデターにより一瞬にして崩壊したのである。では「力の正義」たる「獨裁政治」を否定して、「數の正義」たる「民主政治」を採用するのか。しかし、さうなれば衆愚がのさばるだけと云ふ結果となるやも知れぬ。シェイクスピアの悲劇「コリオレイナス」を讀めば、古代ローマが「共和國」であり、「民主政治」を採用してゐた時代、衆愚がいかに政治家の安つぽい扇動に乘せられて右往左往したか、その悍ましさを嫌になるほど知る事が出來る。衆愚は現代日本にも棲息してゐるから、その醜惡無惨の有樣は容易に想像がつく。萬能の政治形態は無い。アリストテレスの言ふ通り、「人間は政治的動物としては失敗作」だからである。
 さう云ふ譯で、老皇帝はパノクレスの發明中、「壓力釜」だけを採用する。そして、エウプロシュネーを后に迎へると言ふ。「驚くことはないぞ、パノクレス。わしが彼女の顔を見るときは、御前の首を絞めるとでも思つてをるのか。いらぬ怖れだ。わしのやうな老齡に達すれば、不幸なことだが、結婚とは名目だけのものだ。しかし、后ともなれば、身の安全、顔の祕密、平和な境涯が保證される。彼女、兎唇(みつくち)であらうが。(中略)可哀さうなのは、マミリウスのロマンチックな戀だ。(中略)彼はわしを怨むであらう。」
 皇帝がエウプロシュネーを后に迎へる事により、皇帝の權力政治の中に彼女の「顔の祕密」が守られ、マミリウスの「戀」もエウプロシュネーの「祕密」も共に救濟されるだらうから、これは秀逸な落ちである。マミリウスは「報はれぬ戀」を主題にした詩を書くだらう。が、ギリシャ人の發明を廻る奇譚はこれで終らず、更におまけが附く。パノクレスは取つて置きの發明を持出すのである。「印刷機」である。パノクレスと皇帝の愉快な會話を要約して引かう。

「この方法を用ゐれば、子供一人を使つて、一千部の書物を一日のうちに作ることが出來ます。」
「ホメロスを十萬部、配布できるのか!」
「お望みとあれば、百萬部でも。」
「しばらく待て。印刷の用意は整つても、それに見合ふだけの作者が揃ふかな? 天才はあまり多數はをらぬ筈だぞ。ホラティウスほどの詩人が何人生まれることか。一方、誰もが筆をとりたがつても、必ずしも良い結果を生むものではない。」
「いや、それもまた結構なことでせう。自敍傳はなかなか興味深いものでしてーー」
「成程、植民地総督の日記も面白からう。『一貴婦人の見た皇帝の宮廷生活』といふ書物も考へられる。それからユークリッド幾何学の第一巻にあらはれた無意識の象徴性。微分法研究序説ーー。政治、經濟、牧畜、農業、個人問題、一般理論、統計、醫術ーー。」
 皇帝は立ち上がつたが、よろめいた。兩手を頭上にあげ、目を閉じて、顔はゆがんでゐた。

 かくて、『特命使節』の物語の讀者が、同時にフローベールの讀者でもあるのなら、直ちに『ブヴァールとペキュシェ』の主題を想起するであらう。稔りの無いありとあらゆる學問の初歩。學習に空しく費やされる膨大な時間。が、幸ひ、皇帝は「ブヴァールとペキュシェ」ほど愚かではなかつた。
 『特命使節』の結末はかうである。パノクレスは皇帝に唯一採用された發明品、「壓力釜」の恩賞として、「絹の國シナ」への「特命使節」に任ぜられた。小説はそこで終つてゐるから、これは、作者ゴールディングが書いてゐない事だが、現代のシナはパノクレスの「蒸氣船」たる「航空母艦」と強力無比の「爆薬」たる「核兵器」を持つてゐるのである。「シナ」は一度手に入れた強力兵器を、皇帝のやうに廢棄はしまい。そして、「航空母艦」であらうが、「核兵器」であらうが、使へるものは必ず使ふに違ひない。(了)

教授と學生『特命使節』(ウィリアム・ゴールディング作)(第189回)

第189回 教授と學生『特命使節』(ウィリアム・ゴールディング作)(その一)

(以下は、『文學研究』「讀書案内欄」に掲載された山口教授のエッセイ「特命使節」である。)

 名作『蠅の王』の作者ウィリアム・ゴールディングは、「特命使節」(宇野利泰譯)と云ふ餘り世に知られてゐない中編喜劇小説を書いてゐるが、六十年前に書かれたこの作を、私は、最近頗る愉快に讀み、また色々考へさせられる事もあつた。本欄を借りて作品内容を紹介したい。(ハヤカワ文庫『ありえざる傳説』所収)
 さて、舞臺は帝政時代の古代ローマである。ギリシアもエジプトもローマの屬國になつてゐる。老いたるローマ皇帝はマミリウスと云ふ名の孫を溺愛してをり、出來れば皇位を譲りたいと思つてゐたが、それが不可能であると承知もしてゐた。マミリウスはこの上の無い好青年であつたが、詩歌にしか興味を持たぬ軟弱者で、しかも頗る附きの政治音痴だつたからである。老皇帝は自分と孫の命を守る爲、遠征中の野心家ポストゥムス將軍を已むなく後継者に指名した。皇帝は孫に「用心が肝要」だ、「わしはおまえの無事息災」を願つてをる、「野心を抱くなよ」と言ふ。「權力への野望は、わたしに縁のないものです」と孫は應じるが、なほも、祖父は「その氣持をポストゥムスに信じさせるのだ」と言ひ、孫を危險なローマから遠ざける爲に、マミリウスをギリシアかエジプトか、ともかく「植民地の太守」に任ずるつもりだとの考へを明かす。そこに、パノクレスといふ名のギリシャ人が妹エウプロシュネーを連れて現れる。彼女は顔をヴェールで被つてゐるが、揺れるヴェールを通して信じ難いほどの美貌が覗はれる。
 パノクレスは奇蹟に等しい發明をしたと言ひ、世界を變へる力を持つ發明について説明する。それは「蒸氣船」と「爆薬」と「壓力釜」だつた。皇帝は「材料そのものの香氣を生かした料理」を可能にする「壓力釜」をいたく氣に入り、その報酬として多額の費用を要する「蒸氣船」の建造と「爆薬」の製造を許可する。「蒸氣船」が無敵の軍船であり、「爆薬」が途轍も無い威力を持つてゐる事よりも、皇帝は「壓力釜」の方に興味があるかに見える。やがて「蒸氣船」が完成し、試運轉を見物すべく老皇帝とマミリウスは港に行く。「爆薬」も完成し、大樽に詰められ、出來上がつた「大樽爆彈」から眞鍮製の蝶の形をした雷管が突き出てゐる。投擲機も港に据ゑつけられて、外海に照準を合はせてゐる。そこに軍船の群れが姿を現した。ポストゥムスがクーデターを企てたのである。皇帝はマミリウスに言ふ、奴は「皇帝の孫が、軍船と戰鬪武器に興味を持ちはじめたと聞いて、その勢力が増大するのに恐怖を感じだしたのだ。あの男は現實主義者だ」。部下を率ゐたポストゥムスがやつて來て、皇帝の前で、部隊長にかう命令した。「全軍の兵士に、船を捨て、この突堤に上陸するやうに言へ。その間、皇帝は勿論のこと、随行者全員、この場所を離れる氣持はない筈だ」。ポストゥムスの部下による「蒸氣船」の破壊が始まつた。皇帝はかう言つた、「わしは待たされるあいだ、この突堤に集結してをる優秀な兵士の査閲を行ひたいと思ふが」。ポストゥムスは寬大にもこれを許可する。既にクーデターは成功したと思ひ込んだからである。「現實主義者」らしからぬ致命的な判斷ミスであつた。ポストゥムスの部下による「蒸氣船」の破壊が大慘事を引き起こした。「船体中心部」が火災を起し、操船不能に陥つた怪物の如き軍船は港の中で旋回を始め、ポストゥムスのガリー船群の中で暴走し、ガリー船を次々と破壊していつた。ポストゥムスは大慌てで、避難指揮を執るべく皇帝の船「御座船」に乘込んだ。
 解放された皇帝は「突堤に集結してをる優秀な兵士の査閲」を始めた。かう云ふ具合である。

「いつから軍隊に勤務してをる?」
「その傷は、どこの戰鬪で受けた? 槍に突かれたのだな。」
「おまへ、身長はどのくらゐある? 軍隊が好きか? その傷はどこで受けた? 投石機の石にあたつたらしいな。部隊長! この兵士は、石彈の破片で傷ついてをるぞ。至急、装備補給官に聯絡して、新しい槍をあてがつてやるがいい。」
「たしかおまへは、第九軍團の所属だつたな。ギリシャへの遠征で、顔を見た記憶がある。あれは古い昔だ。昇進がだいぶ手間どつてをるやうだが、部隊長! その理由はどこにある? 」
「おまへの傷は、ひどく化膿してをるぞ。どんな手當をしてをる? それにしても、偉いものだな。 いや、まつたく感動させられる。それほどの傷があるのに、行嚢を三個も背負つてをるとは。わしらにはたうてい不可能なことだ。名前は何といふ? 」
「おや、おまへ、片目を失つたな。もう一方の目は大丈夫か? 」
 この調子で査閲が進み、遂に、皇帝は軍隊の行動を左右する質問を投げかける。
「そこの兵曹、わしが、「右向け右、いそいで行進!」と號令したら、それに從ふ氣があるか?」
 兵曹の目に軍紀を重んじる光がきらめいて、横を見、下を眺め、「陛下!」と、思ひ切つたやうに言つた。「わたしの首、甲冑、その他すべてのものに賭けて、申し上げます。喜んで、ご命令に従ひます。」 

 老皇帝はポストゥムスの精鋭部隊を完全に掌握した。指揮官が駄目なら部下は「號令」に從はないが、皇帝は老いてなほ勇敢、有能な戰場の軍人だつたのである。「倉庫から油が湧出して、海上一面に焔」が擴がり、ポストゥムスが突堤に戻つて來た。そこにマミリウスが「皇帝の近衛兵」を率ゐて現れポストゥムスを捕へるが、しかし、ポストゥムスは隙を見て反皇帝派の兵士達と共に逃げる。すると今度はパノクレスの妹エウプロシュネーが「大樽爆彈」を用ゐてポストゥムスを吹き飛ばしてしまふ。かくてクーデターはものの見事に失敗した。
 いささか「ドタバタ喜劇」に墮してゐる嫌ひはあるが、皇帝が「兵士の査閲」を利用して、クーデターを挫折せしめる箇所は實に優れてゐる。何故、突堤に集結したポストゥムス派の兵士達は皇帝に從ふ事になつたのか。クーデターには理由があつた筈で、ポストゥムスの側に立つて考へれば、次期皇帝に指名されてゐる私をないがしろにして、強力な新發明の軍船を建造し、「爆薬」まで拵へるとは何事か、私を用済みにしようと計つてゐるのではないか、さうポストゥムスが邪推するのも無理がないと云ふ事になる。おまけに皇帝の孫は統治能力のかけらも無い。結局、皇帝は皇位をマミリウスに譲るつもりだらうが、當の皇帝御自身、無能なマミリウスに統治される事になれば、帝國はどうなるか、その行く末を案じる爲體ではないか。それなら、ローマ帝國の爲なら、私ポストゥムスを次期皇帝に指名した約束を忠實に守つて欲しい。守る氣が無いならクーデターを起すまでだ。それなのに何故私が捕へられたか。惡いのは私を裏切つた突堤上の兵士達である。さう、ポストゥムスは考へたに違ひない。ポストゥムスは皇帝に訊ねる。

「突堤上の兵士達に何をなさつた? 陛下は魔法を心得てをられるのか?」
「魔法などとはとんでもない。わしは査閲を行つただけだ。いつもの通りにな。しかし、わしはそれを究極まで押し進め、最大の効果をあげた。」

 政治の世界に於ては「力が正義」である。皇帝は軍隊を見事に操つた。「正義」は皇帝にある。一方、ポストゥムスはクーデターに失敗した。それゆゑ、ポストゥムスは死ぬ羽目になつたのである。假にクーデターが成功してゐれば、ポストゥムスの側に「正義」があつた事になる。「正義」は相對的だからである。では究極の「正義」はどちらにあるのか。皇帝にか、ポストゥムスにか。
 詭弁を私は弄してゐるのではない。政治に於ては、「力が正義」なのだから、パスカルの口眞似をして、「正しい者が強いか、強い者が正しくなければならない」と言ひ切つても、その「正しい」と云ふ事、それ自體が政治的立場により異なるのである。それゆゑ、皇帝もポストゥムスも「自分が正しい」と言張り、御互ひに絶對譲らない。利害が正面から對立してゐる重大案件を、双方が譲らない儘、對立してゐる状態で放置する譯にはゆかないから、力による衝突は不可避で、その結果「勝つた方が正しい」、詰り、この場合、皇帝が正しいとせざるを得ない。(續く)

教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(第188回)

第188回 教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(その十)

(讀書會、續き)

黒田 結局、『ブヴァールとペキュシェ』で、究極の處、フローベールが表現したかつた事は何か、解り難いです。フローベールが生きた十九世紀フランス社會憎惡を讀者に示すにあたつては、『ボヴァリー夫人』の場合、人生ロマンティックな「悲劇」であつて欲しいと願ふエンマの奮闘を、慘めな失敗に終らせる事により、エンマの「破滅」を際立たせ、逆説的に、俗物どもの世俗的價値觀を作者が否定してゐる事が、讀者に良く傳はるのですが、「ブヴァールとペキュシェ」の挫折は一體何を物語るのか、何かはつきりしない物を、讀後に感じます。フローベールは書簡に、自分の生きてゐるフランス社會は、「牛の糞を塗りたくつてやりたい」ほど愚劣なものであると書いてゐますが、それほど絶望的な状態であるならば、最早、フランス社會の「愚劣」を抉り出した小説を以てしても、社會が「健全」となる筈もないと思ひます。

葉月 エンマは若くして結婚し、結婚後、華やかなロマンスを實生活に夢見るのですから、そこには常に自己充足の「可能性」がありますが、「ブヴァールとペキュシェ」は老年になつて、人生の遣り直しを試みるのですから、出發點に於て、既に手遅れです。失敗は必然であり、チボーデに言はせれば、「生命と自然の法則を侵犯する事例」と云ふ事になります。

藤野 チボーデがこんな事を書いてゐます。獄中のソクラテスが死の前日、ある音楽家に竪琴を一曲教へてくれるやう頼んだところ、件の音楽家はかう言つたさうです。「君は死ぬのにそんな事をして何になるのだ」。ソクラテスは、かう答へた、「死ぬ前に知つておきたいのだ」。フローベールは、このエピソードを「高邁」であると考へ、次いで「滑稽」だと思つたさうです。つまり、フローベールは二人の年老いた「愚者」に、「高邁」であると同時に「滑稽」な行ひをさせたのです。チボーデはかうも書いてゐます。「ブヴァールとペキュシェが自分達の爲だけに生きる時、彼等はフローベールに愚者として描かれてゐるが、自分達よりもなほ愚劣な人々と接触する時には、彼等は批判的知性を代表するものとなる」。『ブヴァールとペキュシェ』に登場する村人達は度し難いほどの「俗物」であり、「低俗」であり、「愚劣」です。結局、「ブヴァールとペキュシェ」は形を變へたドン・キホーテだと思ひます。ドン・キホーテは精神的には「騎士道物語」に支へられ、現實には「風車」に撥ね飛ばされましたが、「ブヴァールとペキュシェ」は、知性の世界で「學問」の「初歩」を生甲斐とし、現實の生活では「民衆」である「村人」に打倒された譯です。そして、さうした二人の姿を、この上なく「滑稽」に、フローベールは描いたのです。

黒田 成程さう考へれば、『ボヴァリー夫人』と『ブヴァールとペキュシェ』の世界が重なつて來ますね。チボーデの言ふ通り、ボヴァリー夫人が「感性の世界で演じた破産劇」をブヴァールとペキュシェは「知性の世界で演ずる」のですから。

山口教授 遂に未完に終つた『ブヴァールとペキュシェ』結末のプランが、フローベールの死後に發見された。それを紹介しよう。(本を開く)

 ある日、ふたりは(工場の反古紙のなかに)ヴォコルベイユから縣知事閣下に宛てた手紙を見つけた。
 縣知事はヴォコルベイユに、はたしてブヴァールとペキュシェは危險な狂人と見なすべきか否かを問ひただしたのだつたが、醫者の返事は「親展」として、この兩人は無害な愚者にすぎない旨の報告書であつた。この手紙は兩人のすべての行動と思想とを要約して、讀者にとつてこの小説の批評となるべきものである。
 「この手紙をどうしよう?」
 「へたの考へ休むに似たりだ! 寫さう!」
 かくて兩人の寫し原稿は黑々と字に埋まり、<<記念碑>>はここに完成せざるをえないーーすべて、善と惡、美と醜、無意味と有意義とは同じものであり、眞實なものといつては假象しかないのである。
 善良なる御兩人が寫字机の上に身をかがめて寫しを取つてゐる光景で小説は終る。(山田譯、「フローベール全集5」、筑摩書房)

 ブヴァールとペキュシェは農園經營を手始めに、あらゆる學問の研究を行ひ、しまひには孤児の教育にまで手を出す。こうした二人の試みが全て失敗に終り、二人は最早人生に對する一切の興味をなくす。一生、好きな事をして暮らせる金を手に入れるまで、二人は「筆耕」を生業としてゐた。小説の結末(プラン)で、二人はあれ程嫌つてゐた「筆耕」といふ出發點に戻る。これは何を物語るか。チボーデは「パロディ」だといふ。學者や教育者などを演じて見ても、「パロディ」は遂に「パロディ」でしかなく、當人が學者や教育者になれる譯ではない。『ブヴァールとペキュシェ』は、「人生に失敗したあげく、書物と社會から得たまぼろしでもつて、もう一度人生を遣り直さうとする老人」(チボーデ)の姿を、「笑ひとパロディ」で描いた作品であり、ヴァールとペキュシェは、「知性の世界」に於ける「夢想家の典型」として文學史に永遠に殘るだらう。モーリス・ナドーによれば、二人は「おのれの力を超えたところを狙つた」のであり、この作品は「愚劣についての叙事詩」といふより、「常に錯誤を犯し、常に前進する知性の叙事詩」なのである。
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