教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(第187回)

第187回 教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(その九)

前回の續き「ブヴァールとペキュシェーー愚者の勘違ひ」(『文學研究』)

 フローベールは何故『ブヴァールとペキュシェ』のやうな二人の愚者の愚かな物語を書いたのだらうか。作者は二人に絶望してゐたのか、それとも共感してゐたのか。レーモン・クノーは「ドン・キホーテ」と「ブヴァールとペキュシェ」とを比較してかう書いてゐる。「セルバンテスが、はじめドン・キホーテを愚かな狂人として登場させ、ついで第九章に入るや、セルバンテス自身の思想の表白にほかならぬ美しい臺詞を語らせ、以後、この主人公に對して共感を抱き續けるといつた變化と軌を一にして、この二人の「お人好し」、及びこの書物全體の意味についてのフローベールの意見も、作品が展開していくに從つて變つていく。」(渡辺一民譯)先に引用したやうに、フローベールは、『ブヴァールとペキュシェ』執筆中に、友人に宛ててかう書いた。『ブヴァールとペキュシェ』は、「私自身が彼らに成りきつてしまつたと言へるほどにまで、私を一杯に滿たしてゐます。彼らの愚鈍は私のものであるし、私はそのために死にさうです。」セルバンテスがドン・キホーテに共感してゐたやうに、フローベールもブヴァールとペキュシェに共感してゐたのである。そして、フローベールは「二人のお人好し」の「愚行」を物語るに際して、語り手である自分を消した。物と人とが存在し絡み合ふ、その樣態を、語り手の主觀拔きで、註釈を附けずに語らうとしたのである。勿論、ミドルトン・マリが「フローベール論」で言ふやうに、「作家はある主題を選ばなければならないし、それを選ぶにはそれなりの動機があるはず」である。フローベールは金錢によつて計られる價値を極度に嫌つた。俗物が支配するフランス十九世紀の世俗を嫌惡した。大衆を憎惡した。出世作『ボヴァリー夫人』の主題が、フローベール最後の作品の中に甦る。フローベールは『ボヴァリー夫人』執筆中にかう云ふ手紙を書いてゐる。

 自分が生きてゐる時代の愚さといふものに、僕は恐ろしい憎惡を感じて息が詰る。締め附けられた腸のやうに、口に汚らしいものが込み上げてくる。だが僕はその愚しさをとつておきたい、凝固させたい、固形化させたい。それで練粉を拵へて十九世紀に塗りたくつてやりたい、丁度牛の糞でインドの塔を黄金に彩るやうに。(『フローベール全集9書簡II』、筑摩書房)

 フランス十九世紀リアリズム小説の完成者と目される、フローベール生涯の主題は、「恐ろしい憎惡を感じ」る「時代の愚さ」によつて拵へられた「現實的なもの」、その對極にある「夢想」の美しさを描く事にあつた。『ブヴァールとペキュシェ』は「夢想」が「現實」に悉く敗北する記録である。そして、そこには「笑ひ」がある。友人に宛てた手紙に、「まだ誰も思想的な喜劇を試みたことはない」と、フローベールは書いてゐるが、『ブヴァールとペキュシェ』こそが、「思想的な喜劇」と呼び得る「造形的に美しい」作品なのである。(「ブヴァールとペキュシェーー愚者の勘違ひ」終り)


讀書會、山口教授宅。出席者、山口教授、黒田、葉月、松島、藤野(松島夫人)

山口教授 福岡にゐる澤田と中村夫妻がまだ院生だつた時、ゼミの讀書會で「ボヴァリー夫人」を取上げた。(本ブログ、教授と學生「ボヴァリー夫人」参照)二人とも實に研究熱心で、筑摩書房から出てゐる「フローベール全集」に入つてゐる書簡集三巻を夢中で讀んでゐた。ある作家を論じる爲には、その作家の信念なり、思想なり、生涯なりを知る事は極めて大事だが、その資料として、フローベールの場合、書簡集の研究は必須だよ。

黒田 フローベールは手紙マニアで、友人知己に宛てた夥しい手紙の中で、執筆中の作品について、創作上の苦勞や惱みや、作品の意圖について、詳しく語つてゐるからですね。

山口教授 「ボヴァリー夫人」を書いてゐる時、こんな手紙を友人に出してゐる。「人々は私が現實的なものに一生懸命になつてゐると思つてゐる。ところで僕はそれが厭で堪らないのです。何故なら僕がこの小説(「ボヴァリー夫人」)を企てたのは、レアリスムを憎惡する氣持からだつたのです。」(『フローベール全集9書簡II』)フローベールは人生に「理想」を、「夢」を抱いてゐた。「理想」や「夢」が無ければ、現實は憎惡すべきものにならない。ボヴァリー夫人やブヴァールとペキュシェの愚行を、フローベールは詳細に描いたが、同時に、彼はボヴァリー夫人になり、「ボヴァリー夫人は私だ」と言ひ、ブヴァールとペキュシェの「愚劣」で、心がはち切れさうになつた。その爲に「死にさうです」とまで、手紙に書いてゐる。

松島 小説の中に、作者が註釈を書込む事を、自らに禁じた爲に、フローベールは出來事の客觀的な描寫だけで、作品の意圖を讀者に示さなければならなくなりました。この點、ドストエフスキーは對極的で、自らの思想を登場人物の會話の中で延々と展開しますし、トルストイの小説では全知の作者が小説中に勝手に顔を出し、平氣でお説教を垂れます。フローベールに較べれば、小説として全く垢抜けしませんが、作者の意圖を讀者に効率良く傳へると云ふ點では、これは隨分經濟的な方法ではありますね。

山口教授 完璧な藝術作品を作る爲に、フローベールは膨大な時間を費やし、直接的に己が「夢」を讀者に語る事を自らに禁じて、まことに禁欲的な小説「ブヴァールとペキュシェ」を書いたのだが、この作品を書いてゐる時に、「ブヴァールとペキュシェ」とは全く別の方法で書かれた作品、詰り、小説の中の架空の人生に「美しい夢」を託して、それを赤裸々に語つたとも云ふべき、短編小説「まごころ」を創作してゐる。「まごころ」の主人公フェリシテについて、フローベールは友人に宛てた手紙の中で、こんな解説を書いてゐる。

 これは誰にも知られないある生涯の物語です。信心深く神祕家で、けつして昂ぶることはないが献身的で、作りたてのパンのやうにあたたかな田舎娘の生涯の物語です。彼女の愛する對象は、ひとりの男、主人の子供たち、甥、世話をしてやつてゐる老人、鸚鵡といふ風に次々に變はつていきます。鸚鵡が死ぬと剥製にしてもらひ、自分が死ぬ時にはこれが聖靈に見えてくるのです。お解りでせうが、この作品には皮肉なところは少しもありません。反對に極めて眞摯な、極めて悲しい物語です。私は自分が感じやすい人間なので、世の感じやすい人々に憐れんでもらひ、涙を流してもらひたいのです。(戸田吉信譯)

 主人公フェリシテについて物語るフローベールは、「無私な鏡」としての役割に徹して、讀者の心にフェリシテの生涯を反射して見せたのではない。語り手は「無感動な鏡」ではなく、「感動する一つの目」として、「作りたてのパンのやうにあたたかな田舎娘の生涯」を物語つたのだ。「ブヴァールとペキュシェ」の創作技法は「まごころ」のそれの對極にある。作家は「無私な鏡」では有り得ないといふ、作家の「本能」とも「性理」とも言へる精神作用に逆らつて、自分の「感動」を作品に投入する事を自らに禁じ、フローベールは「ブヴァールとペキュシェ」を書いた。その爲に、當時知られてゐたあらゆる學問を利用した。モーリス・ナドーが言ふやうに、ドン・キホーテは「騎士道小説」におのが人生の夢を託したが、ブヴァールとペキュシェは「科學」を信じたのである。フローベールが作品構築の爲に拂つた代價はいかほどの額であつたか。友人宛の手紙に書いてゐる。「私の二人の好人物(ブヴァールとペキュシェ)を書くために、私がこなさなければならなかつた書物はどの位の數に達してゐるか御存じですか。千五百册以上なのですよ。ノートの類は八センチの高さに達してゐます。」(全集10書簡III)
 ミドルトン・マリは『ブヴァールとペキュシェ』のやうな「内容の空疎な作品に彼が費した年月のことを思ふと、われわれは一種暗澹たる氣持になる」と、隨分手嚴しい事を書いてゐるが、僕は、モーリス・ナドーの評語、小説の最後の邊りに辿り着くと、ブヴァールとペキュシェは「滑稽であるより感動的」であると云ふ評語に與するね。最も、この作品は未完に終つてはゐるのだが。(讀書會、續く)

教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(第186回)

第186回 教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(その八)

續、續、續「ブヴァールとペキュシェーー愚者の勘違ひ」(『文學研究』)

 ヴィクトールとヴィクトリーヌの母親は死に、父親は刑務所に入つてゐるのだが、彼等は、どのやうな生活をしてゐたのか、またブヴァールとペキュシェによる文盲の子供達への識字教育は如何に行はれたのか。本文にはかうある。

 子供たちは、いざこざの絶えたことのなかつた掘立小屋の中のことをよく思ひ出した。
 ある夜のこと、父親が手を血まみれにして歸つて來た。しばらくすると、憲兵がやつて來た。それから彼等は森の中に移つて、そこにおちついた。木靴つくりの職人たちが、いつもおふくろを抱いた。母親は死んでしまつた。二人は一臺の荷馬車で運ばれて行つた。彼等はいつもぶたれてばかりゐた。そこで逃げ出した。(中略)だから、八ヶ月たつて、またもや勉強が始まつたのを見て彼等はびつくりし、顔をしかめた。ブヴァールは女の子、ペキュシェは男の子を引き受けた。(中略)
文字合せも、習字帳も、玩具の活版道具も、ひとつとして成功しなかつた。そこで一つの計略を思ひついた。
 ヴィクトールは食ひしんぼだつたので、料理の名前を教へてやつた。すると間もなく『フランス料理法』をすらすらと讀むやうになつた。ヴィクトリーヌはお洒落だつたので、仕立屋に註文の手紙が書けたら着物をつくつてやる、といふことにした。ところが、三週間たらずで、彼女はこの奇蹟をやつてのけた。これは子供たちの缺點に媚びることであり、危險な方法ではあつたが、とにかく成功した。(新庄嘉章譯)

 利益で釣つて、ともかく、讀み書きの教育には成功したのである。だが、初歩に終つたとは云へ、あらゆる學問を囓つたブヴァールとペキュシェの「學識」を以てしても、つひに、善惡の區別を二人の子供に理解さす事は出來なかつた。知識を得るよりも、物事の善惡を知る方が遙かに大事なのだが、それを教育するのに、自由で自然な子供の成長を重んじるルソーの教育方法も、過失と釣り合つた罰を與へるべしといふベンサムの教育哲學も、全く役にたたなかつた。先づヴィクトールが取返しのつかぬ惡戲をやらかす。作者は書いてゐる。

(召使の)マルセルは手を合せて、叫んでゐた。
 「出してやんなさい! あんまりだ! あんまりひどい!」
 鍋の蓋が、炸裂した砲彈のやうな勢ひではねあがつた。灰色の塊が天井まで飛びあがると、今度は恐ろしい悲鳴をあげながら、狂つたやうにきりきり舞ひをした。
 それは猫だとわかつた。(中略)ひつきりなしに唸つてゐたが、炉の中に飛込んで、見えなくなつたと思ふと、灰の眞中に落ちて、ぐつたりと動かなくなつてしまつた。
 こんな殘忍なことをしたのはヴィクトールだつた。二人の先生はびつくり仰天し、あまりの恐ろしさに色を失つて引き下がつた。子供は叱られると、巡査が自分の子供について、また小作人が自分の馬について言つたと同じやうに、
 「だつて! おれんだもの!」
 と惡びれた樣子もなく、まるで無邪氣に、本能をみたした落ち着いた態度で答へた。(新庄嘉章譯)

 「子供に責任はない、子供は道徳的だとか不道徳的だとかいふことはありえない」と云ふルソーの説を、ブヴァールが持出しても、何の慰めにもならない。ペキュシェの言ふ通り、ヴィクトールは「もう分別のある年齢」に達してゐたからである。この子には、「頭もなければ、更に心」も無く、あるのは、加虐の快樂を求める殘忍な本能だけである。ヴィクトリーヌも同じであつた。農家を渡り歩くロミシュといふ名の仕立屋が、もう半月もブヴァールとペキュシェの家に逗留してゐた。本文を引かう。

 彼はただれ目の傴僂(せむし)だつたが、その肉體的な缺陷を、道化た氣質で補つてゐた。(中略)夜は、宿賃を儉約するためにパン焼室へ寢に行つた。
 ところが、ある朝早くのこと、寒くてしかたがなかつたので、ブヴァールは火を焚かうと木屑を取りにパン焼室へ行つた。
 そしてその場の情景に茫然として立ちすくんだ。
 壊れた長持のかげにある藁布団の上で、ロミシュとヴィクトリーヌが一緒に寢てゐるのである。
 ロミシュは片腕を少女の胴にまわし、猿のやうに長い片手で、彼女の膝をおさへ、目は半ば閉ぢたままで、顔は快樂の痙攣でまだ歪んでゐた。少女は、仰向けに寢たまま、薄笑ひを浮べてゐた。はだけたシュミーズからのぞいてゐるまだ子供つぽい乳房には、傴僂男の愛撫で、赤い斑點ができてゐた。ブロンドの亂れ髮は寢床をはひ、夜明けの光が二人の上に朧げな明るみを投げてゐた。
 それを見た瞬間、ブヴァールは胸を力一杯なぐられたやうな氣がした。それにつづいて、恥かしさに、身動きも出來なくなつた。切ない思ひに惱まされた。
 「あんな子供のくせに! もう駄目だ! 駄目だ!」
 それから彼はペキュシェを起しに行き、一言で事の一切を知らした。
 「ああ! 可哀さうに!」
 「われわれにはどうすることも出來やしない! 落ちつくがいい」
 そして二人はいつまでも向かひ合つたまま、溜息ばかりついてゐた。(新庄嘉章譯)

 男の子の「暴力」に對して、女の子の「性」に對して、ブヴァールとペキュシェの教育は完全に無力であつた。ヴィクトールが盗みを働くに至つて、萬事は休し、二人は子供達の教育を諦める。しかし、「ブヴァールとペキュシェの心はいつも仕事を求め、彼等の生活には目的」が必要だつた。次に二人は「大人の學校を設立」する事を考へた。そこで、この小説は終つてゐる。作者のフローベールが死んだからである。死後遺された草稿によれば、村長が子供達を引取る事になる。子供達はあれ程世話になつたブヴァールとペキュシェに冷淡であり、それを好人物の二人は悲しむ。作者が死なずに物語が書き繼がれたとしても、何とも救ひの無い結末になつたのである。それは一體、何故だらうか。
 ヴィクトールが猫を鍋で煮殺した事、ヴィクトリーヌがロミシュと寢たこと、この二つの「惡事」は道德に關はり、道德の問題に安直な解決はない。何故、猫を殺してはいけないのか、何故ロミシュと寢てはいけないのか、この二つの問ひに對して、ブヴァールとペキュシェはヴィクトールとヴィクトリーヌに納得のゆく説明をする事が出來ない。世の中には、何故「してはいけないのか」説明出來ない事があり、しかも我々の「幸」と「不幸」とは、その「してはいけない」事を守れるか否か次第なのだと、チェスタトンなら自信を持つて、二人の子供に言ふかも知れない。チェスタトンは『正統とは何か』に、かう書いてゐるからである。

おとぎの國では、不可解な幸福が不可解な條件に支配されてゐる。箱を開けるとあらゆる災厄が一度に飛び出す。たつた一つの言葉を忘れたばつかりに、數々の都市が姿を消す。ランプに火をつけると戀が飛んで行く。花を摘んだとたん、何人もの人の命が失はれてしまふ。(中略)シンデレラは、降つて湧いたやうに馬車と馭者とを貰つたが、しかし同じやうにどこからともなく命令も受けたのであるーー十二時までには必ず歸つて來るやうに。それに彼女にはガラスの靴もあつた。(中略)たしかに幸福はガラスに似てゐる。女中や猫がうつかり壊しがちなこの物質にそつくりだ。そしておとぎ話のこの感覺もまた私の心の奥底に深くしみこんで、世界全體にたいする私の感受性を決めてしまつたのである。人生はダイアモンドのやうに輝くが、同時に窓ガラスのやうに壊れやすいーー私はさう感じ、そして今もさう感じてゐる。(中略)
 だが、誤解しないでいただきたい。壊れやすいといふことは、壊滅しやすいといふのと同じではないのだ。ガラスを打てば、一たまりもなく壊れてしまふ。だから要するに打たなければよろしい。さうすればガラスは何千年でも元のままである。人間の喜びとは、まさにこれだと私には思へたのだ。妖精の國であらうと地上であらうと變はりはない。幸福は、われわれが何かを「しない」ことにかかつてゐる。ところがそれは、われわれがいつ何時でもやりかねないことであつて、しかも、何故それをしてはならぬのか、その理由は良く解らないことが多いのだ。(『正統とは何か』、安西徹雄譯)

 成程、チェスタトンの言ふ通りだと納得しても、「何かをしない」と云ふ「おとぎの國の倫理學」規則を、我々が現實の世界で守れるとは限らない。チェスタトン自身が言ふやうに、「それは、われわれがいつ何時でもやりかねない」事であり、しかも「何故それをしてはならぬのか」、その理由が確と解らない事だからである。それゆゑ、ヴィクトールの「暴力」もヴィクトリーヌの「放恣な性」も、それを抑へる有効な手立ては無く、二人に「してはいけない」と言つても全くの無駄である。ブヴァールとペキュシェは、「われわれにはどうすることも出來やしない」と言ひ、「いつまでも向かひ合つたまま、溜息ばかりついてゐた」のである。(續く)

教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(第185回)

第185回 教授と學生『ブヴァールとペキュシェ』(フローベール作)(その七)

續、續「ブヴァールとペキュシェーー愚者の勘違ひ」(『文學研究』)

 ブヴァールとペキュシェは神の存在を一旦は否定したものの、「虚無」の觀念に取憑かれ、自殺未遂をやらかした擧句、心の平安を求めて、カトリックに惹かれる。先づペキュシェが、己が犯した罪を司祭に懺悔する「告解」を行ふほどカトリックに歸依したが、ブヴァールは、信者になる事に抵抗する。しかし、ブヴァールは、ペキュシェに逆らつて、信者としての「お勤め」を態と守るまいとしても、キリストが十字架にかけられた日である「聖金曜日」に、肉を食べる事が出來ない。かういふ具合である。

ブヴァールがビフテキを註文した。彼はテーブルについて肉を切つてゐる。(中略)一方ペキュシェは、まじめくさつて鱈の切身の皮を剥いでゐた。
 ブヴァールは片手にフォーク、片手にナイフを持つたまま、ためらつてゐた。やがて、思ひ切つて、一切れを口に運んだ。と、いきなり、彼の手は震へだし、はれぼつたい顔が青ざめ、頭が後へのけぞりかへつた。
 「氣分が惡いのかね?」
 「いやなに! ただ!」
 さう言つて彼は告白した。身に沁み込んだ躾けの爲に(こればかりはどうにもならぬ)、死ぬのが恐くて、今日だけは獸肉は食へないといふのである。(新庄嘉章譯)

 ブヴァールは、自分がその中で育つた傳統的カトリック文化に呪縛されてゐる。精進日には「獸肉」を食はうとしても、どうしても食へぬ。作者フローベールは「こればかりはどうにもならぬ」と書いてゐる。登場人物を操る作者の姿を、小説の世界から完全に消す事、これがフローベールの「リアリズム小説」の最も基本的な技巧であつた筈だが、ここで、作者が、讀者の前面に現れ、ブヴァールの氣持に註釈を附けてゐる。詰り作者が、「無私な鏡」の役割を放棄してゐる。何故なら、文化の呪縛は理窟ではないから、説明出來ず、たとひ無理に状況描寫を試みても、上手く作者の意圖が讀者に傳はらず、直接作者が讀者に「どうにもならぬ」と云ふよりほかは無いからである。いささか唐突だが、内村鑑三にキリスト教信仰を廻つて、この「どうにもならぬ」と云ふ心持ちがあつたらうか。例へば、「死ねば神の前に立ち裁きを受ける」、それだけは「どうにもならぬ」と、果たして彼は思つたらうか。内村が生きてゐたのは、人を裁かぬ神々の棲息する國、日本國である。
 ブヴァールはカトリックの國フランスに生きてはゐるが、時は啓蒙思想時代を通過した十九世紀であり、樣々な學問の初歩を囓りまくつたブヴァールは、「教理問答」を讀んでも、心中に「理性的かつ合理的」な樣々な疑問が湧上がつて來て、最早「原罪」の教義を、その儘受取る事が出來ない。精進日には「獸肉」を食はないと云ふ「慣習」とは違ひ、「教理問答」の理解には、言葉による知的理解が必要だからである。彼は司祭と論爭してかう言ふ。『ブヴァールとペキュシェ』から引用しよう。

 「神が罪を犯しやすい人間を創つたのだとすれば、人間を罰することは出來ない筈です。それに、惡は人間の墮落よりも前にあつたものですよ。(中略)どうも、この原罪といふ教義はわしの正義の觀念と矛楯するやうですな」
 「どうしてですか?」と司祭は言つた。「これは、證據をあげることはできないにせよ、萬人が認めてゐる眞理の一つですぞ。我々にしたつて、父親の罪は子供たちに負はしてゐるぢやありませんか。(後略)」
 ブヴァールはうなづいた。しかし、地獄にも疑問があつた。
 「だつて、懲罰はすべて、罪を犯した者の改悛を目的とすべきものでせう。ところが、人間が永遠の刑罰を受けるのでは、それは不可能になりますね! どんなに多くの人間がこの刑罰を受けてゐることでせう! 考へてもごらんなさい、古代人の全部、ユダヤ人、回教徒、偶像崇拜者、異教徒、そして洗礼を受けずに死んで行つた子供たちまでですよ。神によつてつくられたこの子供たちは、一體何の爲につくられたのでせう? 身に覺えもない罪の罰を受ける爲にでせうか!」(新庄嘉章譯)

 ブヴァールのこの「疑問」は、「原罪」教義の急所を衝いてゐる。神が人間をつくり、その人間が罪を犯すのであるから、人間の「罪」の責任は人間の創造者たる神にある事になる。(北村註:ベルジャーエフは、此處から、「惡」と「自由」とを廻る壯大な「辯神論」を展開するのであるが、それは本ブログに収録した「教授と學生「大審問官」(『カラマーゾフの兄弟』より)」に書いた。)このブヴァールの「疑問」は、「原罪」の教義に潜む峻嚴苛烈な神の姿を物語つてゐる。それゆゑ、ジョージ・スタイナーも、小説『アドルフ・ヒトラーのサンクリストバルへの移送』に於て、作中人物たるヒトラーにおほよそかう言ふ臺詞を吐かせてゐる。

 お前達、ユダヤ人の神は目に見えず、しかも全てを見通す神だ。しかし、異教の世界には樣々な神がゐる。木や岩や川に住んで、意地が惡かつたり優しかつたりする神々だ。尻を撫でたりさすつたりする事が出來る神もゐる。異教徒の神々は目に見える。
 お前達の神は姿が見えない。全てを見通し、心中の動機を探る。「ヨブ記」を見よ。こんな道德上のペテンがあるか。神の人間に對するこんな酷い脅迫があるか。
 だが、これはまだ良かつた。もつと怖ろしい災厄が降りかかつた。あの青白い顔をしたナザレ人だ。あの癲癇持ちのラビはこの世を否定して、その代りに良心の怖ろしい呵責を押しつけた。どの位の數の人間が些細な罪を犯しただけで、地獄墜ちの恐怖に苦しんだか。これに較べたら、俺の強制収容所なんぞ大した事ではない。

 このヒトラーの「演説」に、ユダヤ人ナチ・ハンター達は一言も反論出來ない。スタイナーの小説では、さうなつてゐて、しかも作者スタイナーはユダヤ人なのである。いや、スタイナーの小説に限らない。ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』でも、復活したイエスを嚴しく難ずる「大審問官」にイエスは「沈黙」を守る。「神の創つたこの世に何故惡が存在するのか」との問ひは、「キリスト教神學」に於ける難問中の難問であつて、未だに萬人の納得する合理的な解答は示されてゐないし、それに何より、キリスト教の堅固な信仰を有しても、スタイナーが創つたヒトラーが言ふ通り、「些細な罪を犯しただけ」の者を、「地獄墜ちの恐怖」に苦しめるキリスト教の道徳的嚴酷が緩和される譯ではない。ヒトラーならずとも、「神の人間に對するこんな酷い脅迫があるか」と言ひたくなる。けれども信仰とはとどの詰り合理の世界からの精神の跳躍であり、「神學」の理知的な研究が「信仰」を生む譯ではない。
 さう云ふ譯で、ブヴァールとペキュシェは、カトリックに關する數々の疑問に捕はれ、遂に信仰の生活に入る事が出來ない。作者フローベールも死後の「自我の存在」については確信が持てず、ジョルジュ・サンド宛の手紙にかう書いてゐる。「問題は自我が永久に存在するか否かを知ることにあります。永生を肯定することは私にはわれわれの自負の傲慢にすぎないと思はれます。永遠の秩序に對するわれわれの弱さの抗議です。死は恐らくわれわれに啓示すべき祕密を生よりも持たないのではないでせうか?」(『フローベール全集10』、筑摩書房)しかし、フローベールは自分が生まれ育つたカトリック文化の圈外で、小説を書く事は出來ない。『ブヴァールとペキュシェ』を執筆中に、短編小説「聖ジュリヤン傳」や「まごころ」を書き、チボーデの言ふ「キリスト教文化に於ける勝利の生」を心の底から稱揚してゐる。それゆゑ、フローベールはブヴァールとペキュシェに人生の意味について考へる事を止めさす事は出來ない。死後、神の前に立つ事になるかも知れぬのなら、生きてゐる時に「いかに生きるか」と言ふ問ひと縁を切る譯にはゆかないからである。ブヴァールとペキュシェはカトリックの信仰に歸依する事は出來なかつたが、彼等なりに「いかに生きるか」の探求を續ける。「キリスト教神學」の次に二人が取組んだのは、孤児の教育である。ヴィクトールといふ十二歳くらゐの男の子と、ヴィクトリーヌといふ十歳くらゐの女の子を、この好人物の二人組は引取つたのである。(「ブヴァールとペキュシェーー愚者の勘違ひ」、續く)
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