第195回 教授と學生『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング作)(その五)

讀書會、前回の讀書會から一週間後の山口教授宅。出席者、山口教授、彌生、松島、藤野(松島夫人)、黒田

山口教授 前回の續きだが、ジャック達が「ほら貝」のルールを無視して、海岸で踊り狂ふ有樣に、ラルフはすつかり嫌氣がさし、ピギーに向かひ、「ぼくは隊長をやめるべきかもしれない」と言ふ。本文を讀んで見よう。

 「きみが諦めたらぼくはどうなる」ピギーはぞつとするといふ口調でささやいた。
 「どうにもならないだろ」
 「あいつはぼくを嫌つてる。なぜだかわかんない。なんでもあいつの思ひどおりになつたらーーきみはいいさ、あいつに一目置かれてゐるから。それにーーきみならあいつをぶつ飛ばせる」(中略)
 サイモンが闇のなかでもぞもぞ動いた。
 「いままで通り隊長をやつてよ」
 「何を言つてゐるんだ、サイモン! きみはなぜさつき「獸」なんてゐないと言へなかつた?」
 「ぼくはあいつが怖い」ピギーが言ふ。「だからあいつのことがよくわかる。ある人間が怖いと、その人間が憎くなるけど、その人間のことを考へるのをやめられなくなるんだ。それで、そいつも根はいいやつなんだと思ひこもうとするけど、またそいつを見たら、喘息になつたみたいに息が苦しくなつてくる。言つとくけどさ。あいつはきみのことも憎んでゐるんだよ、ラルフーー」
 「ぼくを? なぜ」
 「わかんないけど。きみは火のことであいつを責めたし、きみは隊長で、あいつはさうぢやないだろ」
 「でもあいつは、自分はジャック・メリデューさまだと威張つてゐるぢやないか!」
 「ぼくは病氣で寢てることが多くて、さういふ時にいろんなことを考へたんだ。だから人間のこともよくわかつてゐる。自分のことがわかるし、あいつのこともわかる。あいつはきみには手出しできない。だけどきみが邪魔者でなくなつたら、きみのそばにゐる人間に手を出すよ。つまりぼくにね」
 「ピギーの言ふとほりだよ、ラルフ。これはきみとジャックの戰ひなんだ。だから隊長をつづけてよ」

 ジャックはラルフを憎んでゐるといふ、このピギーの言葉は、少年達が作つてゐる共同體が極めて不安定である理由を正確に言當ててゐる。ラルフは火を消した事でジャックを責めた、が、それは對立の切つ掛けに過ぎない。事の眞相はラルフが隊長で、ジャックがさうではない處にある。確かにピギーは「人間のこともよくわかつてゐる」。
 無理遣り「時事」に結び附けて冗談を言はうか。ジャックが核兵器開發に血道をあげてゐる北朝鮮の獨裁者で、ラルフがそれを阻止しようとしてゐるアメリカ大統領だとするね。獨裁者は大統領が國際社會を牛耳つてゐる事が腹立たしく、これには我慢出來ない。さうすると、差詰めピギーは、、、。

藤野 (山口教授の言葉を引取つて)ピギーは日本人になりますね。(眞面目に)先生の冗談は少々度が過ぎて笑へません。(しばし沈黙する)
 ジャックが豚を殺し、皆でその肉を食べた時、ジャックは皆に「ぼくはきみたちに肉を食はせてやつた」と繰返し言ひました。他人に認められたい、褒められたいといふジャックの慾求は熾烈なものです。ジャックに取つて、皆から能力を認められる事、それが詰り「隊長に選ばれる」といふ事なのですね。その隊長はジャックではなく、ラルフであるといふ冷嚴なる事實、これがジャックには激しい恥辱、我慢出來ない屈辱となつたのですね。

松島 フランスの思想家シオランの『告白と呪詛』といふ本が、紀伊國屋書店から出てゐます。その中にかういふ興味深い一節があります。讀んで見ます。

 不遇をかこつ人間といふのは、まつたくやりきれない存在で、なんでもかんでも自分に引きつけて考へる。絶えずわれとわが身に讃辞を捧げて、ひとさまが手向けてくれなかつた稱讃の、存分な埋め合はせをするのだが、その自己讃美たるや、とても彼の放つ冷笑と釣り合ふやうなものではない。幸運の子らよ、早くこつちへ來てくれ、と言ひたくもなる。數は少ないにせよ、成功を収め、世に容れられた者たちの中には、時に應じて人さまに先を譲る器量人がゐる。少なくとも、幸運児たちは、恨みつらみに身を焼くやうなことはしないし、その自己満足ぶりも、世に容れられない者たちの尊大さよりは、ずつと慰めになる。(出口裕弘譯)

 ジャックはラルフが島の集團に於ける「隊長」に選ばれた後も、依然として「聖歌隊・狩獵隊」のリーダーであるのですから、他人の目から見れば、シオランの言ふ「不遇」ではありません。しかし、ジャックの主觀としては、島の少年全員の「隊長」ではない事が、「屈辱」なのですね。「聖歌隊・狩獵隊」は全體の一部でしかありませんから。
 一方、ラルフは「隊長」としての役目を着實に果たす事が出來る、誠實で責任感がある有能な少年なのですが、勿論、彼にも「權力慾」はあります。ジャックより遙かに我慢強く寛容に見えるのは、「隊長」に選ばれた事により、彼は、「時に應じて人さまに先を譲る器量人」たり得てゐるからです。少なくとも彼はジャックのやうに「恨みつらみに身を焼くようなこと」はありません。

黒田 主だつた少年達が代表で調査隊を作り、例の「獸」を探してゐる時、野生の豚に出會します。その時、ラルフの内なる「權力慾」が露呈する優れた場面があります。ラルフが豚に槍を投げ、槍は豚の鼻面に命中しますが、槍が抜けて豚は逃げてしまひます。續きを讀んで見ます。

 「ぼくはやつたんだ」ラルフは腹立たしげに言つた。「槍が命中したんだ。手負ひにしたんだ」
 ラルフはみんなの注意を惹かうとした。
 「豚は通り道をやつて來た。それでぼくは槍を投げた。こんなふうにーー」
 ロバートがラルフにむかつて豚のやうにうなつた。ラルフが芝居の役に入りきつたやうな身振りをすると、みんなは笑つた。みんなはロバートに槍で突きかかる仕草をする。ロバートは逃げまどふ芝居をした。
 ジャックが叫んだ。
 「取り囲め!」
 たちまち輪ができた。ロバートは恐怖に怯えるふりをして、きいきい鳴く。が、そのうち本當に痛がりだした。
 「いたつ! やめて! 痛いよ!」
 槍の尻のはうで背中を突かれながら、ロバートはみんなのあいだをあたふた動いた。
 「押さへこめ!」
 みんなはロバートの腕や足をつかんだ。ラルフはふいに濃密な興奮にかられ、エリックの槍をつかんで、とがつてゐない端でロバートを突いた。
 「殺せ! 殺せ!」
 たちまちロバートは狂亂のていで絶叫しながら暴れた。ジャックが髪をつかみ、ナイフをふりたてる。(中略)
 ラルフも必死に近づかうとした。弱いものの、茶色い肉をつかみとらうとするやうな勢ひだつた。締めあげ、痛めつけようとする慾求が壓倒的に衝きあげてきた。
 ジャックの腕がふりおろされた。少年たちのうねる輪が歡聲をあげ、瀕死の豚の悲鳴を眞似た。それからみんなは地面に黙つて横になり、息をあへがせながら、ロバートの怯えたすすり泣きを聞いた。ロバートは汚れた腕で顔を拭き、けんめいに平静を取り戻さうとした。

 作者は、ラルフの中に「締めあげ、痛めつけようとする慾求が壓倒的に衝きあげてきた」と書いてゐます。たかが遊びとはいへ、ロバートを思ふが儘に嬲り、ラルフはサデイスティックな快楽を覺えてゐるのですが、それはロバートを嬲る事が大仰にいへばラルフの権力への渇望を癒すからだと思ひます。

山口教授 權力欲は「私たち生來のものだ」と、シオランは言つてゐるが、その通りだね。彼は代表作『歴史とユートピア』(紀伊國屋書店)に、かう書いてゐる。

 ある市民団の第一人者たらうとする誘惑を知らぬ者は、政治といふゲームをまつたく理解しないであらうし、他人を服従させて、これを事物にしてしまはうといふ願望も分らぬだらう。侮蔑の秘術を構成するさまざまな要素を見ぬく事も出来ないに違ひない。程度の差はあるにせよ、権力への渇望を抱かなかつた者はまれだ。それは私たち生来のものなのだ。(出口裕弘譯)

 また、シオランはこんな事も言つてゐる。自己の精神、生命力が「衰弱」してゐる時だけ、他人を許容出來る。ゆゑに、本當に自分自身が生きる爲には、他人を拒絶する事が必要である。「自由主義」とは「生命の衰弱」に他ならぬ。
 詰り、我々が生命力の充實を味はつて生きるには、他人に支配される譯にはゆかぬといふ理窟になる。勿論、支配するのは大いに宜しい。(讀書會、續く)