北野町広場へと上る階段   / 神戸市中央区北野町3

さてさて、前回はなかなか激しい震災時の写真をたくさんお見せしてしまいましたが、今回はせっかくなので、震災遺構めぐりのついでに神戸の坂道散歩をしたときにまわった坂道などを紹介してみたいと思います。
ただ、いくつかの神戸の坂道については、みちくさ学会の記事「関西坂道ツアー(前編)」で、取り上げていたりしますので、今回は、その他の坂道ということで。


北野町広場へと上る階段1
写真1

まずはこちらの無名階段の坂下からの様子など。(写真1)
場所は、タイトルにもあるとおり、北野町広場という、わかりやすくいえば、異人館街にある風見鶏の館に面している広場があるのですが、そこへと上るための階段がなかなかいい感じでしたので、ちょっと取材してみることにしました。
見た目はすごく人工的ですが、奥に六甲山の山肌というか樹々が見えているとおり、このあたりは斜面地にあるエリアなので、自然の地形による高低差の場所にこの階段を通したものと思われます。


北野町広場へと上る階段2
写真2

ちなみに写真1のすぐ右側にも、こんな感じで坂道がありましたよ。(写真2)
しかも、今回現地には下調べせずふらりと寄ってしまったのでその存在に気がつかず無念だったのが、この場所の南側(海側)にある北野坂の坂上あたりからこのあたり(もしかしたら奥の坂上のほうまで?)までの階段を含む坂道に、”トーマス坂”という名前がつけられていたのですよ。
なので、こちらの坂道については、またそのうちにということで。。


北野町広場へと上る階段3
写真3

次は、階段をすこし上り、坂下のほうを見てみたものです。(写真3)
このあたりで建物1階分くらいの高低差はありそうですかね。
そして、坂下には、トーマス坂がちらりと・・。


北野町広場へと上る階段4
写真4

さらに階段を上り、坂上あたりがちらりと見える場所までやってきました。(写真4)
右側に、風見鶏の館が、ちらりと見えていましたよ。
しかも、遠くのほうに六甲山の山並みも。
こうしてみるとやっぱり山近いですね。


北野町広場へと上る階段5
写真5

そんなこんなで、坂上あたりまでやってきました。(写真5)
正面に見えている建物と比べてみると、どうやら建物2階もしくは3階分くらいありそうな感じでした。
またこの階段からの景色でいえば、ちょっとくらい階段の軸線方向に海でも見えていてもいいはずなのですが、隣接する敷地内の樹々や建物のおかげで海どころか視線が抜ける場所もありませんでした。(ただ、北野町広場内には、ここ以外に景色が開けている場所もありますのであしからず。)


北野町広場へと上る階段6
写真6

そして、最後におまけで、すぐそばに見えていた風見鶏の館です。
ちなみに、Wikipediaにも書いてあるとおり、この風見鶏の館は当初の居住者の名から旧トーマス邸、旧トーマス住宅とも呼ばれているそうで、そういうことから、さっきの写真3でもでてきた坂道にトーマス坂と名付けられたと考えてよさそうですね。


ということで、今回は、思い出してみてもこのブログ初の関東園以外の坂道を紹介してみたわけですが、これからも、たまに東京近郊以外の場所(とくに東京以外に土地勘のある神戸、関西)の坂道も散歩したときは、あわせて取材もして、このブログで取り上げられたらなあとも思っていますので、よろしくです。



地図
兵庫県神戸市中央区北野町3-11あたり


あれから20年。そして今の神戸のこと。

とうとう20年ですか。
もちろん、阪神・淡路大震災と呼ばれている地震が1995年1月17日におきてからということですが。

あの年に生まれた子供でも、もう二十歳なのですね。
忘れたこともあるけれど、やはり忘れられないことも多いあの地震で体験したいろいろなことについては、他の方々が、当時のことやその後のことなどを語っているので、僕自身、この時期が近づくと、もうそろそろいいのではないかと思うことが何度もあったわけですが、時が経てば経つほど色々と気になること、知りたいことが増えていっているというのが今の状況ということもあり、やはり今回もこれまでと同様に気になったことを自分なりというかこのブログなりに振り返ってみたいと思います。

2015年は震災後20年ということで、神戸市が、それに先駆けて阪神・淡路大震災の記録写真約1000枚をオープンデータとして提供するサイト「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」を昨年の12月9日に公開したというニュースを知り、さっそく、「阪神・淡路大震災『1.17の記録』の公式サイトで、写真を調べてみると、やはり今までに歩いたことのある場所の写真がちらほらと見られ、いろいろと当時のことを思い出すよい機会になったとも言えるので、今年は、このオープンデータを使わない手はないという考えから、公開されている写真の場所が特定できたところを年末年始に実家の神戸に帰省したときに現地取材してきました。

関連リンク:
「神戸市:「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」を公開しました」
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2014/12/20141209070301.html 

「阪神大震災の写真約1000枚、神戸市がCCライセンスで公開 2次利用OK - ITmedia ニュース」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1412/10/news073.html 

「阪神・淡路大震災『1.17の記録』公式サイト
http://kobe117shinsai.jp



01_阪急会館前moto
画像1 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c047.php

まずは、こちらから。(画像1)
これは、「阪神・淡路大震災『1.17の記録』からの写真(以下紹介する震災直後の写真はすべて同じですのであしからず)で、1995年(詳しい日時は不明ですが、明らかに直後のものです)に撮影されたものだそうです。
最初から、なかなかきつい感じですが、ご容赦を。
場所は、阪急三宮駅の駅前にあったターミナルビルがあったあたりで、左側が阪急会館という名のビルで、右側がサンキタ通りという商店街ですね。
どこからでてきたの?というくらいの瓦礫がビルの横の地面に散らばっているのが印象的な写真ですかね。


02_阪急会館前
写真1

そして、こちらが、現在の様子です。(写真1)
見てのとおりですが、サンキタ通りのアーケードの部分はそのまま残っていました。
左側のかつての阪急会館は、神戸阪急ビル東館として前とおなじく駅ビルとして建替られていましたが、外観については赤を基調としたシンプルなものになっていて昔の面影はまったくない感じでした。
あと、ここは、本当に三宮の駅前北口という場所なので、たいていの人はこの場所を通ったことがあるんじゃないかとは思いますし、僕自身、あまりに今の神戸阪急ビル東館の赤のビルが普通に感じてしまっていたのですが、かっての阪急会館の写真を見直してみると、ああそういえば、たしかにあれあったよねと思い出してしまったことも事実ではありました。


03_下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺moto
画像2 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c010.php

次は、さきほどの駅前から西側へすこし歩くと生田神社があるのですが、その近くでの当時の写真です。(画像2)
撮影日は、1995年1月17日というまさに震災当日のもののようで、撮影場所として、下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺という説明が加えられています。
道の両側で、かなりはげしくビルが崩壊している様子が記録されています。



04_下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺
写真2

こちらが、現在の様子です。(写真2)
正面に見えている茶色のビルは、画像2でも写っていて現在も残っているので、場所はすぐ特定できましたが、ビル名はワシントンホテルではなく、ザ・ピー神戸という名前に変わっていました。
ちなみに、この写真に写っている通り沿いには震災前からあった東急ハンズもあり、通りを奥のほうにすこし歩くとお店があるので、このあたりは三宮界隈でもけっこう有名な場所(繁華街)だったと思います。


以上、これまでの分は、三宮駅の北側エリアについてだったのですが、今度は南側エリアのことも取り上げておきたいと思います。



05_神戸交通センタービルmoto
画像3 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c016.php


こちらも撮影日は、1995年1月17日とのことで、場所は神戸交通センタービル周辺とあります。(画像3)
当初、この写真を見たときはどこどこ?という感じで、わからなかったのですが、よくよく回りの景色や神戸交通センタービルという名前から思い出してみると、この場所は、三宮駅の南側の国道2号と接しているあの大きな交差点の場所だということが分かりました。
ちなみに、この写真では、道路にビルから落ちてきたであろうものが散乱しているだけで(というかそれだけでも本当はすごいことなのですが・・・)、建物自体に大きな損傷が写っていませんが、神戸交通センタービルの公式HPによると「1995年1月17日、阪神淡路大震災に被災、旧ビルは5階部分で座屈倒壊しました。幸い2階部分以下は致命的な損傷を受けていなかったため、残存部分を補強し、上部に8層を積み上げ10階建ての耐震性に優れたビルに生まれ変わりました。」という記載がありました。
とにかく、この写真を見て思うのは、東京に限らず、一見頑丈そうに見える10階建てくらいのビル(要は背の高いビル)でもあれほどの地震の揺れになると、建物ががらりと壊れなくても、これくらいのガラスなどが空からふってくるかもしれないということも意識しておかないといけないということかもですね。
そういう意味では、地震が起きたとき、建物側のへこんだ部分(入口など)に逃げ込むのか、道路側に逃げるのか、こういう写真を見てしまうとどうすればいいのか迷ってしまいそうなところではありますかね。
もちろん、画像1のような状態になるともうどうしようもないのですし、ああいう時はたいてい前もって予測して気をつけようといっても限界があり、気がつけば、いつのまにか怪我をしていたということが多いとは思いますが・・・。


06_神戸交通センタービル
写真3

そして、こちらが現在の様子を撮ってみたものです。(写真3)
この感じだと、ああここね!と思える人も多いんじゃないですかね。
人がわらわらと横断歩道を渡っているところとそのむこう側が、三宮交差点(地図見てはじめて名前を意識したのですが・・・)ということになり、右側の道路が国道2号線ということになります。


07_小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望むmoto
画像4 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c075.php

次は、もうすこしさきほどの場所から2号線沿いに東へ移動すると、上空に三宮のポートアイランドに行くためのポートライナー(電車のような交通機関)が走っているのですが、画像4は、その高架がよくみえる場所にて撮影した写真のようでした。(画像4)
撮影場所は「小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望む」とあり、1995年1月21日という地震から4日後の写真のようです。
高架はたいへんなことになっていて、よくまわりのビルに倒れこまなかったなあというのが、正直な感想だったかもです。


08_小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望む
写真4

こちらが、似たようなアングルから撮ってみた現在の様子です。(写真4)
よくよく見てみると、震災当時のものは、もうすこし奥の場所で撮ったもののように見えますが、現地ではちょっとそこまで気がつかず撮影してしまいました・・。
でも、高架の補強具合や、奥のビルの変わり具合はわかりやすいと思いますので、ご容赦を。


09_御幸通6丁目1 太平ビルmoto
画像5 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c021.php


最後はこちらです。(画像5)
ここは、画像4の場所からすぐ近くの場所なのですが、これまで紹介した中で、ビルの崩壊具合が半端なく写っていることからもこの写真を選んでみました。
撮影日は、1995年1月18日とのことで、撮影場所は御幸通6丁目1 太平ビルという記載になっていました。
おそらく左側の崩壊しているビルが太平ビルと思われます。
とにかく、このビル内に当時どれくらいの人がいたかと思うと、心が締め付けられる思いですが、立地がらここはオフィスビルのはずで時間帯も早朝なので、人はほとんどいなかったことを願うばかりという感じです。



10_御幸通6丁目1 太平ビル
写真5

そして、こちらが現在の様子です。(写真5)
左側に写っている茶色のビルが現在の太平ビルらしいです。
また正面奥には、ポートライナーの高架が見えているので、ここが写真4とかなり近い場所だということもわかりやすいんじゃないですかね。

なお、これまでに紹介したポイントを地図上にめもしたものをGoogleマップにてつくっておきましたので、もしよかったらどうぞ。
地図→https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=zKBG4az99qPw.kTMLfQOldmfs


ということで、今年は三宮界隈に絞って過去と現在の状況を見てきたわけですが、やはり僕自身もこれだけ当時の写真を見てると(もちろんこれらは防災館などで展示されているつくりものではないわけなので、特に壊れたビルの中に震災当時、人がいたかもしれないなどと想像すると)かなり気が滅入ってきてしまい、ここまで記事を書き進めるまでに予想していたよりけっこう時間がかかってしまいましたが、今年はあの地震から20年、そしてそれにあわせてオープンデータの写真が公開されたことから、今回のような記事を書いてみました。
また今後も、今回のようなことをするかはわかりませんが、またこれとは違った形での震災遺構の旅(散歩?)についてはこれからも続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。

  at 20:08  | トラックバック(0) |   地震  │このエントリーを含むはてなブックマークパーマリンク