十七が坂(NO.268) /目黒区

じゅうしちが坂と呼ぶそうです。

場所は、前に取り上げた馬喰坂(NO.267)の坂上から南西側の道をすこし南下すると、今回の坂道の坂上あたりにやってきます。



十七が坂(NO.268)1
写真1

まずは坂上あたりからの景色でも。(写真1)
とりあえず、ここからは坂下あたりの様子は見えないことや遠くの景色からも結構な高低差具合の坂道ということはわかりますかね。

ちなみに、ここにも写真でちらりと見えているとおり、坂の碑がありましたので、いつものように抜粋するとですね、
『「一七」とは若者をさし、元気な若者たちは回り道せずに、この急坂を利用したことから名が付いたという説や坂の途中にある坂碑型庚申塔に一七人の名が刻まれていることに関連するという説など、由来についてはいくつかの説がある。』
とありました。

まず、「「一七」とは若者をさし、元気な若者たちは回り道せずに、この急坂を利用したことから名が付いたという説」というところ、そのままといえばそうなのですが、もうすこしわかりやすい説明が目黒区のサイトにありましたので、そちらのほうも抜粋するとですね、
『宿山と目黒不動尊を結ぶ庚申道の難関がこの坂越えであったという。そのため、この坂道を利用するのはもっぱら若者ばかりで、老人や子どもは坂下から西方へ迂回して藤の庚申で庚申道に合流する回り道を利用したという。あまりに急であったため、子どもが坂道の途中でころぶと、17歳になったとき不祥事が起きるという話が坂名の由来と伝えられる。』
とありました。
要は、この坂道の西側に迂回路があったようで、目黒不動尊の方から宿山(どうやら中目黒駅の西側にある世田谷公園の近くみたいですね)へと先を急ぐ(逆もしかり)若者がもっぱら利用していた坂道だったからということみたいですね。
ただ、ここでなぜ、子どもが坂道の途中でころぶと、17歳になったとき不祥事が起きるという話が出てくるのかは不明ですが。。


十七が坂(NO.268)2
写真2

あと、写真1の道路の左側になにげに見えていたのですが、坂の途中にはこんな具合に庚申塔があり、「十七が坂上の庚申塔」と書かれた案内板もありました。(写真2)
こちらもせっかくなので、抜粋させていただくとですね、
『江戸時代の農村では庚申信仰がさかんで各集落に講があり、その寄進で庚申塔が建立されました。
庚申塔には、青面金剛や三猿、年号、建立者名などが刻まれていて、村の歴史や人々の生活を知るための貴重な資料です。
この庚申塔は前の十七が坂上にあるので「十七が坂上庚申塔」と呼んでいます。
墓地の中でひと際目立ち、高さ2メートル余もある宝篋印塔型の庚申塔は、寛永3年(1626)に建立されたもので都内でも古いもので菅沼一族8名の名があります。また、この塔の前の板碑型庚申塔には明暦3年(1657)の年号と、その下に17人の建立者名が刻まれています。その筆頭者に「権之助」の名前が見られますが「権之助坂」の名のおこりになった菅沼権之助ではないかと言われています。』
とのこと。

なるほど。
ちなみに、今回は気になったので、すこし調べてみると、目黒区のサイトに「庚申塔(こうしんとう)って何」と、タイトルそのままですが、庚申塔に関するわかりやすい説明が書かれたページがありましたので、リンクしておきますよ。
→ http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/koshinto/nani.html
(各部の名称なんて図もあって、これはいいですよ。プリントアウトして坂道散歩の時は持ち歩きたいくらいですね)
それにしても、説明を読んでみると60日に一度くるという庚申の日には徹夜して過ごした、とありますけど、本当だったんですかね。。

あとは、坂の碑にも書いてあった「坂の途中にある坂碑型庚申塔に一七人の名が刻まれていることに関連するという説」については、これでこの場所が、坂名の由来の可能性であるということもわかりましたかね。
ただ、庚申塔の名が、「十七が坂上の庚申塔」とついているので、この庚申塔については、後から名前がついたことだけは、正しいような気もしますがどうでしょうかね。


十七が坂(NO.268)3
写真3

こちらは、すこし坂を下り、坂下方向を見たものです。(写真3)
坂の説明のとおり、けっこうな勾配具合でした。
坂下のほうの建物をみるとわかりやすいですよね。
眺めもなかなかです。
そして、黄色の勾配看板ですね。
写真では見にくいかもですが、10%と書いてあります。
しかも、こちらも恒例の急坂になると登場するドーナツ型の滑り止めですね。
やはりいろんな要素を見てもここは急坂ですね。(笑)


十七が坂(NO.268)4
写真4

さらに坂をくだり、同じく坂下方向を見てみました。(写真4)
下のほうの勾配が緩やかになっているあたりが坂下あたりですかね。
くねくねとしていて、変な形の道のつくりが、古くからありそうな雰囲気を醸し出していましたかね。


十七が坂(NO.268)5
写真5

いちおう、だいたい同じ位置より、坂上方向も見てみました。(写真5)
この写真であれば、急坂具合がすごくわかるんじゃないですかね。(汗)


十七が坂(NO.268)6
写真6

そんなわけで、やっと坂下あたりにやってきました。(写真6)
右側の坂道が、今回の坂道ですね。
ここから見るとカーブ具合がいいですねえ。

しかも、なかなか良い感じのY字路にもなっていました。

ちなみに、最初のほうに出てきた今回の坂道の西側にある迂回路ですが、どうやら写真6に写っている左側の道が、地図でみたところ、その道に該当する可能性が高いみたいでした。
もしその史実が正しければ、ここは歴史的にも古いY字路ということになるのかもしれないのですね。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
目黒区目黒3-3あたり


とある街の風景253(ブラジル色の都庁と階段夜景)

先月末のことですが、リオデジャネイロ五輪の100日前を記念して、都庁がブラジルのナショナルカラーである緑と黄色にライトアップされているのを目撃して、急遽ぶらりとしてきた時のことでも。


ブラジル色の都庁と階段夜景1
写真1

いきなりですが、階段です。
こうして写真におさめてみると、かなり豪華なライトアップが施されていて、改めてびっくりしてしまいましたが、かっこいいですねえ。
なお肝心の都庁は右上に写っております。
場所は、わかる人はわかるかもですが、都庁の南西側にある新宿パークタワーの地下のレストラン街へと降りる階段からのものですね。
なので、ひさびさの新宿パークタワーでもありますかね。
そして、今回はここからのビューポイントを思い出して、この階段に来たのです・・・、と言いたいところですが、実は、その逆で、当日はたまたま地下にあるカフェで休憩して、そのついでにせっかくだからパークタワー界隈の夜景でも撮ろうと思って寄り道していたところ、ふと都庁を見上げてみると、写真のような緑と黄色に都庁がライトアップされていたのですよ。(汗)

しかもこのライトアップイベントは、後で調べてみると、都庁と駒沢オリンピック公園のオリンピック記念塔のみで行われた、なんと一日限りのイベントだったので、かなり貴重なコラボ写真になったんじゃないですかね。
ちなみに、都庁以外で、なぜ駒沢オリンピック公園のオリンピック記念塔なのかも軽く調べてみると前回の1964年東京五輪のシンボル塔だったからという意見が多いようでした。


ブラジル色の都庁と階段夜景2
写真2

せっかくなので、階段上からの写真も。
こうしてみると立派なつくりしていますね。
しかも右側には、パークハイアット東京のエントランスが・・・。
とにかく、階段自体のつくりは良い感じですし、都庁の外観を階段とともにいいアングルで見れるところも少ないと思いますので、今後も、定点観測は続けていきたいと思います。
なおこの階段自体は、いつも気になっていて、過去に写真も撮っていたと思うのですが、実は夜景版も含めてこのブログで紹介するのは初めてのようなので、定点観測と言いましたが、実際のところは観測地点がさらに増えたと思ってもらったほうがよいかもですね。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
新宿区西新宿3-7