芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館

いやはや、気がつけば前回更新してからけっこう時間が経ってしまいましたが、もうしばし関西の話でも。

今回は、再び芦屋にもどってなのですが、年始に、青空文庫に谷崎潤一郎が登録されたという記事を見たこともあり、そういえば、市内に谷崎潤一郎記念館があったよなあ、ということで、ふらりと行ってみたのですよ。
ただ、行った日は正月で記念館は休みだったので、まわりをぶらりとしてみると、ちょっと気がついたことがあったのでそのことでも。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
ちょうど谷崎潤一郎記念館を見下ろせる階段があったのですよ。
右側の手すりにも、記念館はあちらという矢印が見えていますが、写真1でいえば、右側の建物がそれですかね。
高低差的には、建物2階分くらい。
この高低差は大事なので、覚えておいてくださいよ。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館2
写真2

ただ、写真1だけでは、どこ?という感じもありますので、写真1と同じ立ち位置より右側を見てみたものがこちらです。(写真2)
最近、大山さんの記事でも取り上げられていて、知った方もいるとは思いますが、これが防波堤跡の場所ですね。
今でこそ写真のように埋め立て地となり、道があり奥には高層団地も見えていますが、昔はここから右側は海だったのですよ。
昔は、ここでも、ざざ〜んと、波の音が聞こえていたんですねえ。
そりゃあ、その時代を知っている人からすれば、空き缶ひとつでも投げたくなりますよね。。



芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館3
写真3

それはさておき、再び、写真1で見えていた階段にもどりまして、こちらは階段途中から、真横方向を見てみたものです。(写真3)
なんか真ん中あたりに道のようでもあり溝のようでもある場所が見えていますが、ここを歩いている人をいまだかって見たことないですし、それ以前に写真1を見ると、手すりがあって入れない場所ですので、おそらく雨水を逃がす溝だと思われます。
このときは、注意深く斜面一体にきちんと石が敷き詰められているのを見たわけですが、よく思い出してみたら小さい頃からあった風景だったのですよ、ここ。
そういう意味では、改めて驚いてしまいましたかね。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館4
写真4

そして、階段下からの様子です。(写真4)
なんてことない階段(と、言いつつも蹴上げの部分の石のつくりがおもしろいですが)なのですが、要はこの高低差なんですよ。
始めに、この高低差を覚えておいてくださいと言ったように、階段上にはかつての堤防がそのまま残っていて、その奥は埋め立て地なわけなのですが、実はこの埋め立て地の地表レベルが、階段上の高さと同じなのです。
なので、今僕が建っている場所は昔からある場所ですが、実は海側の埋め立て地のほうが、この場所より高い、しかもその高低差が建物2階分ということだったのですね。
こういうのは全国的にみても珍しいんじゃないですかね。

なんというか、この堤防といいこの高低差といい、小さい頃はそんなことも知らず当たり前のようにこの高低差を上り下りしたり、自転車で堤防跡沿いの道を走っていたりしていたとは。。
ちなみにこの堤防跡のことを初めて知ったのは、ずいぶん前に、村上春樹さんの小説(羊をめぐる冒険、ですね)を読んで、あれ?これはあそこのことを言っているのでは?えー!びっくり〜、という感じだったのであります。(笑)


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館5
写真5

こちらは、写真4の背後方向(山側)を見てみたものですね。(写真5)
右側には谷崎潤一郎記念館の建物が見えていますが、塀が高めなので、階段途中から見えていた時よりは見えていなかったですね。。
この記念館は、1988年に開館、設計したのは富家建築事務所なる建築家事務所みたいですね。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館6
写真6

また写真5の左側には、谷崎潤一郎記念館に隣接してある芦屋市立美術博物館の建物も見えていました。(写真6)


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館7
写真7

そして、最後は、左側に谷崎潤一郎記念館の入口を望みながら、奥に例の階段が見えるポイントでぱちりと。(写真7)

あ、そうそう。
左側に銀色のプレートとその奥に巨石が見えていますが、じつはこれも谷崎潤一郎記念館の重要アイテムみたいなのですよ。
いつものように、プレートに書かれていた内容を抜粋するとですね、
『この重さ十五トンもある巨石は、神戸市東灘区岡本の旧谷崎邸にあったものです。 この家は昭和三年に谷崎潤一郎が建て、約三年間住み、「蓼食う蟲」などを書いたところです。
昭和十三年、六甲の山津波が起こり、芦屋川をはじめ各河川が氾濫して、芦屋も大きな被害を受けました。その情況は潤一郎の名作 「細雪」に見事に描かれていますが、当時梅の谷と呼ばれた旧邸のあたりもすざまじい土石流に襲われました。
この石は、その山津波で旧邸内に流入し、そのまま庭石として置かれ、五十年の星霜を経ました。そして、阪神大水害五十周年に あたる今年、谷崎潤一郎記念館の竣工に際し、旧邸の所有者文箭智行氏のご好意により、この地に移されました。
この石が、文豪のゆかりと、自然の脅威や治山治水の大切さを後世に伝えるよすがとして、末永く記念館を見守ってくれることを 願うものです。
昭和六十三年七月 芦屋市・芦屋市観光協会』
とのこと。

ちなみに、細雪で書かれている災害や当時の様子などについても、今回取り上げようかなとも思いましたが、それはまた来年以降、詳しく調べてからということにして、とりあえず今回は「No.135 阪神大水害(その2)  「細雪」に見る災害」という防災情報新聞なるサイトの記事が詳しいですので、そちらをリンクしておきますので、気になる方はどうぞ。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
兵庫県芦屋市伊勢町12−25あたり


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年

今年もこの日がやってきてしまいました。
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、早いもので、もうあれから21年ですか。

そして、昨年の1月17日のブログでも「これからも今まで同様、震災遺構の旅(散歩?)を続けよう」と言ったこともあり、今年も年始に引き続きいくつかまわってきましたが、今回はその中のひとつだけを紹介してみたいと思います。

今年の年始は、久々に地元のいつもの同級生のメンツに加えて、すこし疎遠になっていた小学校から同じ学校だった近所の同級とも一緒に会うことができて、変わらないところ変わったところ、参加メンツを通じて聞く、今回はきていなかった他の同級のうわさ話などから、自分たちが過ごしてきた年月の長さを感じた年始めのなか、今年はどこをまわろうかな?と思っていたところ、ふと昨年のブログの記事で「神戸ルミナリエの悲喜こもごも。」という神戸ルミナリエに関する記事を書いたこともあり、そんなことからも神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地を選んでみることにしました。

ただ、東山遊園地といえば、今日の新聞やテレビなどでも報じられているとおり、午前5時から「1・17のつどい」が開かれている場所でもあり、自分の中でも心理的ハードルが高く、いつか1・17のつどいに参加して、その様子を書こうと思っていた場所でもあったのですが、今回、いろいろと調べているうちに、公園内に「慰霊と復興のモニュメント」という震災関連のモニュメントがあることを知り、20年も過ぎたことだしという心理も働いて、今回、思い切って行ってみることにしたというわけなのです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年1
写真1

東山遊園地の場所ですが、三宮駅からフラワーロードという大通りをすこし南下すると、神戸市役所があるのですが、今回の公園は、市役所のすぐ南側(海側)にあります。
そして、この写真ですが、これが「慰霊と復興のモニュメント」です。(写真1)
東山遊園地のフラワーロード側の公園中央あたりにあり、規模も大きめでした。
見た感じはまさに地形模型といった感じでしたが、もちろんそこにはいろいろな思いが込められているようでした。

この「慰霊と復興のモニュメント」は、地震で亡くなった方々の慰霊と、復興を願い、市民の募金によって2000年1月17日につくられたものだそうです。
またこのモニュメントを計画するにあたって、指名コンペがおこなわれ、安藤忠雄氏、植松奎二氏、楠田信吾氏、福岡道夫氏らの応募作品の中から、造形作家の楠田信吾氏の作品が選ばれたそうです。
作品名は、あとでも軽くふれますが、「COSMIC ELEMENTS」というそうです。

そして、この作品のコンセプトも神戸市の公式サイトには書かれていて、それによると、このモニュメントのコンセプトは、「地、太陽、空、水、風、石、ガラス」にわかれているそうです。
まず写真1の黒い石の説明碑の手前の正方形のタイルが敷き詰められた地面の部分が、「地」にあたるそうで、白い大地=新しく生まれる神戸の街、を意味しており、写真1の左に見えている木の部分が、「風」にあたり、草木=風の流れ、時の流れ、となり、レンガ色の地形模型の段差の部分が、「太陽」で赤い丘=生命と力の源・生命の暖かさ、永続性、を意味しているとのこと。
なるほど。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年2
写真2

もうすこしアングルを変えて見てみました。(写真2)
この真ん中の割れ目のところは、意味のある通路になっていて、奥にある地下の瞑想空間へとつながっています。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年3
写真3

取材当日は、写真2の通路を奥に行ってみたのですが、ご覧のとおり、年始のため入ることができませんでした。(写真3)


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年4
写真4

ただ、さっきの格子ごしに奥をみてみると、中がすこしだけ見れました。(写真4)
奥には、地下瞑想空間とよばれる震災で亡くなられた方々の名前が刻まれた空間があるようです。
今回は、見れませんでしたが、ある意味、気持ちが整理できたので、逆によかったのかもしれませんが。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年5
写真5

こちらは、写真2でも見えていたさっきの通路の上、要はモニュメントの頂上あたりの様子です。(写真5)
正面に見えているガラスの部分ですが、これはコンセプトの「ガラス」にあたり、未来を映し出す、ということを意味しているようです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年6
写真6

また、写真5にもちらりと見えていますが、モニュメント作成者の名前などもきちんと残されいました。(写真6)


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年7
写真7

さらにアングルを変え、写真1と写真2の中央右あたりに見えていた滝のように水の流れている場所がよくみえるところにきてみました。(写真7)
位置的には、ちょうど写真2の背後ということになりますかね。
ここは、作品コンセプトでいえば、「水」にあたり、落水=水は新しい命の象徴。復興へのエネルギー、という意味を込められており、その上にある黒い石にも「石」、地球上の物質の象徴=巨石を宙に浮かせる事で人間と自然の儀式的な舞台装置となる、という意味が込められているそうです。
そうですか、意味的にはこの黒い石は浮いているということになっているのですね。
たしかにこのくらい遠目でみるとそう見えなくもないかもです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年8
写真8

こちらは、写真7の場所から奥のほうへ少し歩き、振り返ってモニュメントを見てみたものです。
なので、先の滝の部分は右側に見えていますよね。(写真8)
また奥には神戸市役所の高層ビルも見えていました。
偶然なのかどうかわかりませんが、軸線がちょうどあっているのはやはり狙ってなのですかね?


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年9
写真9

そして、最後にこちらです。(写真9)
位置的は、写真8の中央左あたりにもちらりと見えていますが、これが、「1.17希望の灯り」です。
うしろにコンセプトの太陽にあたる地形模型のような段々が見えていることもあり、これも慰霊と復興のモニュメントと一体に考えてもよいかなと思い、今回、紹介してみることにしました。

これについては、自分で説明してもよいのですが、写真左側の銀色のほうにこの1.17希望の灯りについての説明が書いてありましたので、最後にそのまま抜粋させていただいて、今年はおわりたいと思います。

『 1.17希望の灯り

この碑文には、阪神淡路大震災で奪われたすべてのいのちと
生かされた私たちの思いが凝縮されています。

あの震災から15年、街の復興は進みましたが・・・
愛する家族を、友人を、仲間を奪われた方々のこころの傷はまだ癒えてはいません・・・

マグニチュード7.3を記録したあの大地震の時、
私たちはかけがえのない「いのち」を失うと同時に
国籍や宗教、肩書きなどの違いを超えて、家族や隣人、地域で
お互いに心を結び助け合いました。

電気もガスも水道もない中、手をたずさえて支えあったあの「こころ」は
まさに暗闇を照らす小さな灯火だったのです。

被災地の公園や街角、学校や会社には、亡くなられた方々の「生きた証」として
多くの「慰霊碑」・「追悼碑」・「モニュメント」がつくられています。
これらは失われた多くのいのちを、「個人の死」・「一人の死」としてではなく
「みんなの死」として受け止めた被災した方々のごく自然の営みでした。

ここに点されている灯りは、2000年1月17日午前5時46分
被災10市10町と全国47都道府県から届けていただいた種火をひとつにして、
「生きている証」として点しました。

2010年1月17日記す


1.17 Flame of Hope

5.46am, 17th January 1995
The Great Hanshin Earthquake

This earthquake took many things,
Lives, Jobs, Communities, Our Cityscape, Our Memories,
These things appear safe , permanent,
Even moments before, we cannot know

This earthquake left many things behind,
Kindness, Compassion, Human Bonds, Friendship

This flame links the lives which were taken away,
With our thoughts, the survivors.

Inscribed by Masami Horiuchi




東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年10
写真10

1.17希望の灯り

1995年1月17日午前5時46分 
阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・・たった1秒先が予見できない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの 
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 
奪われた 
すべてのいのちと

生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ




地図
兵庫県神戸市中央区加納町6-4

  at 23:22  | トラックバック(0) |   地震  │このエントリーを含むはてなブックマークパーマリンク