とある街の風景235(岩崎家玉川廟への階段)

今回は、世田谷区の坂道の寄り道話でも。

というのも、前回の「馬坂 (NO.253)」の坂下あたりに岡本静嘉堂緑地があることは、すこし記事でもお知らせした通りで、散歩当日はせっかくなので寄り道してきたわけですが、実はこの緑地、なんとかつてはあの三菱財閥の創始者岩崎家の持ち物というか敷地だったそうなのですよ。


岩崎家玉川廟への階段1
写真1

そして、この緑地の中心地あたりに、こんなものがあったのです。(写真1)
知っている方もいるかもしれないですが、これは岩崎家代々の納骨堂(お墓)で「岩崎家玉川廟」と呼ばれているそうなのですよ。
しかも、この岩崎家玉川廟を設計したのは、鹿鳴館の設計者としてよく知られていて、東京駅を設計したことでも知られる辰野金吾氏などの日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いたといわれている建築家のジョサイア・コンドル氏とのこと。
こ、こんなところに、という感じでありました。
あと、現地ではこの「岩崎家玉川廟」についての案内看板もありましたが、「せたがや百景」というサイトにて、この緑地のことなどを詳しく説明してくれているようですので、今回は、そちらをどうぞ。


岩崎家玉川廟への階段2
写真2

ちなみに、本題の階段についてですが、まずはこちらから。(写真2)
階段上方向からの眺めですね。
位置的には、この写真2の背後に写真1で写っていた岩崎家玉川廟があります。
なのでいちおう表玄関的な階段のはずです。
ただ、この階段、写真では、気にしてみれば分かるかもしれないですけど、かなり問題があったのですよ。。
というのも、階段の地面を見てもらうとわかりやすいですが、落葉いっぱい落ちていますよね。
実はここ、僕が現地を訪れた時は、廟ということもあってか、通常の見学コースとはされてないようで、こっそり歩くならいいよ(汗)という感じで入れるようになっていて、そのためかどうかわかりませんが清掃も行き届いてなく、これも写真ではまったくわかりませんが、通路上空には蜘蛛の巣もはっていて、しゃがんで歩かないといけない場所まであるくらいだったのですよ。(汗)(というか気分は、ちょっとした探検家という感じでした、笑)


岩崎家玉川廟への階段3
写真3

そして、こちらが階段下あたりからの風景です。(写真3)
坂下からみるとけっこうな高低差具合でしたよ。
あとは、この感じだとさっきの坂上からのものよりは放置具合がわかりやすいんじゃないですかね。
しかも、わかりにくいですが、いちおう写真上のほうには、大きな蜘蛛の巣も見えているのですな。。(汗)
まあ、あれくらい大きな蜘蛛の巣を払おうと思ったら、日常清掃レベルでは、なかなかたいへんだ思うので、そのまま放置されているのかなと思ってみたりしたのですが、深層は謎のままでした。

ということで、この場所は、もし今も、僕が行った時のままならば、青山霊園あたりを歩く気分でいくと、けっこう蜘蛛の巣まみれになるのでかなり気をつけて歩かないといけないですよという一言を加えておいて、今日はこんな感じです。


住所
世田谷区岡本2-23あたり


馬坂 (NO.253)/ 世田谷区

住所:世田谷区岡本1-1あたり


(ちょっと前から時間が空いてしまいましたが、世田谷区の坂道の続きです。)

うま坂と呼ぶそうです。
説明しにくいのですが、東急田園都市線の二子玉川駅から北西に少し歩いた場所(徒歩ならけっこう遠いです)にあり、区指定の有形文化財に指定されている小坂家住宅のある敷地や岡本静嘉堂緑地に隣接している坂道です。


馬坂 (NO.253)1
写真1

まずは、坂下あたりの様子など。(写真1)
右側には、区指定の有形文化財に指定されているという小坂家住宅のある敷地が隣接していることもあり、その敷地内の樹木がかなり印象的に見えていました。


馬坂 (NO.253)2
写真2

次は、すこし坂を上り、写真1でも見えていたいい感じに左側にカーブしているあたりのところまできて、坂上方向を見てみました。(写真2)
ちょうどアイストップとして、大きな樹々が見えていて、こちらもなかなかの景色でした。
左側のマンションとのコントラストがなかなか印象的な場所かもですね。
あと勾配具合は、写真1の場所よりは緩い感じでした。


馬坂 (NO.253)3
写真3

こちらは、写真2とだいたい同じ位置より、坂下方向をみてみたものです。(写真3)
こうしてみると、道の両側に大きな樹木が見えていて、坂下にはおそらく岡本静嘉堂緑地内の大きな樹木も見えていて、見えるところの緑率多いし、回りに建物も少ないのでスケール感もなんだかくるってきてしまいそうでしたよ。


馬坂 (NO.253)4

写真4

さらに坂を上り、今度は坂上方向を見てみました。(写真4)
とりあえず、坂下あたりから、同じ勾配具合の坂道がさらに上まで続いているという感じでした。


馬坂 (NO.253)5
写真5

こちらは、写真4とそれほど変わらない場所から、さっきとは逆の坂下方向を見てみたものです。(写真5)
この感じでは、あまりにもわかりにくいですが、実は、奥のカーブしているあたりの道路左側に、坂の石碑が写っているのですよ。(といいつつ写真1や2にも写っているのですが・・・。)
ちなみに、この馬坂の坂の碑については、今回、散歩の途中では残念ながら気がつかなかったのですが、帰ってから他のいくつかの坂道サイトの情報から坂の石碑はあるらしいという情報を得て、もしかしたらと思い探してみたら、今回もまた一眼カメラ特有の解像度のおかげで、石碑を発見できたというわけなのですよ。(汗)
ただ、その碑には、坂の説明までは書かれていないらしく、坂名の由来についてもいつもお世話になっているいくつかの坂道系のサイトでもわからないままだったのですが、「世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介」というサイトにて、この馬坂のことについて、区などの資料から由来を探してくれていたようで、それによると、かつて、このあたりは道の勾配が国分寺崖線を横断する場所のためかなり厳しく、馬ではどうしようなかったことから、新たに馬でも歩くことができるこの坂道をつくったことから、馬坂と呼ばれるようになったとのことみたいですね。


馬坂 (NO.253)6
写真6

そんなこんなで、なかなか距離の長い坂道で写真5あたりからはだいたい同じような景色だったので、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下方向を見てみたのがこちらです。(写真6)
あいかわらず緑率多いですね。
あと、写真6の左側中央あたりに、区指定の有形文化財に指定されている小坂家住宅のある敷地(瀬田四丁目広場)への入口があったのですが、今回散歩した時は閉まってて入れませんでした。
なので、また近いうちに、今回の坂道散歩の記事書きの仮定で新たに発見したいくつかの坂道をめぐろうと思っていますので、その時にこの施設が開いていれば、ついでに回ってみようと思っていますので、その時まで、少々お待ちくださいな。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区岡本1-1あたり

  at 23:31  | トラックバック(0) |   坂道[No221〜]  │このエントリーを含むはてなブックマークパーマリンク