東京坂道さんぽ

年始の1月始めですかね、年始にこのブログで取り上げた兵庫県西宮市にある「仁川百合野町地区地すべり資料館」からもすぐの場所だったこともあり同日に歩いた場所なのですが、高低差もなにげに感じれるなかなか興味深いところ(今回の本題ではないのですが)だったので、あまり時間が経たないうちに書いておくことにしました。

場所で言えば、最初でもふれたとおり、仁川百合野町地区地すべり資料館や関西学院大学から近い場所でしたかね。
最寄り駅で言えば、阪急の仁川か甲東園あたりですが、そこからだとあまりに遠い場所なので、僕は歩きましたけど(おかげで途中にいい感じの坂にいくつか出会いました)、普通はバスを使って行くのがいいと思います。


西宮の甲山森林公園をぶらりと1
写真1

そんなわけでいきなりですが、今回はこんな場所だったのですよ。(写真1)
仁川百合野町地区地すべり資料館側から今回、行ったのですが、途中はふつうに土の見える登山道もあったりして、時間でいえば20分くらいでこれましたかね。
写真1は、レストハウスなる自販機だけの休憩所があるのですが、そこからの眺めです。
遠くにこんもりと見えているのが、甲山なる山で、その頂上あたりのものですかね。
かなり昔からある山で、こまかい説明はウィキペディアでも見てくださいな。
なので、このあたりは「甲山森林公園」と名付けられた公園になっています。

ちなみにこのあたりは僕も中学か小学校か忘れましたけど、とにかくその頃に学校の遠足やら家族でお弁当を持って来た覚えがありますが、ここ最近は訪れた覚えがないので、気がつけば30年以上ぶりくらいかもしれないですね。


西宮の甲山森林公園をぶらりと2
写真2

レストハウス内にあった案内図です。(写真2)
写真1で見えていた場所の説明ですかね。
図の左側が今いる場所で、右側が写真1でもはっきり見えていた甲山ですね。
とにかく甲山への軸線感がすごく、ある意味すごいリスペクト感のあるつくりになっていました。


西宮の甲山森林公園をぶらりと3
写真3

実際にシンボルゾーンの部分におりてみました。(写真3)
奥に見えているのが甲山の頂上部分ですね。
このひっそりかんもなかなかなものでした。(といっても地元では有名な場所なのですが)


西宮の甲山森林公園をぶらりと4
写真4

写真3とだいたい同じ場所から、今度はレストハウス側を眺めたものです。(写真4)
奥の木々にまぎれて見えている白いシンプルなつくりの構造物がレストハウスで、写真1の感じからもわかったかと思いますけど、けっこう上のほうにあったんですよ。


西宮の甲山森林公園をぶらりと5
写真5

さらに甲山頂上側に歩いて、くすのき並木のあたりまでくると、両サイドにはオブジェがぽんぽんと置いてありました。(写真5)
今回は紹介しませんけど、作品名なども書かれてありましたね。
ここまでくると奥には甲山やらも見えていることもあり、なにか映画のセットみたい、もしくは映画の世界に迷い込んだみたいな気分になってしまいましたかね。

ただこのあたりは彫刻の道と名付けられていて、公式HPによると『道の両側に立ち並ぶ彫刻群は、開園を記念して行われた「石彫シンポジューム」によって造られたものです。 昭和48年7月、「兵庫県彫刻家連盟」会員14名が、約3ヶ月間にわたって世界各国の大理石に挑み、炎天下猛暑と闘いながら公開製作された作品です。』とありました。
どうやら後付のものみたいですね。


西宮の甲山森林公園をぶらりと6
写真6

そして、写真5の奥にもちらりと見えていた噴水とシンボリックな象がある場所まできて、奥に甲山が見える形でぱちりと。(写真6)
ここは「愛の泉」と名付けられて、目の前の像には「愛の象」なる名前がつけられているみたいです。
なお、愛の泉については、彫刻家の新谷秀夫によるものとのこと。


西宮の甲山森林公園をぶらりと7
画像7

最後は、これまでの説明ではちょっと位置関係がわかりづらかったかもということで、グーグル・マップを拝借してみました。(北が上です。)
写真6の泉のある場所が、画像中央左の丸で囲んだあたりで、これまでの写真で何度も遠くに見えていた甲山頂上が、左側の三角で囲んでいるところということになりますかね。
とにかくこの軸線感覚が壮大すぎて、東京で言えば、甲山を富士山と見立てるとこれまたいろんな妄想が広がってくるかもですね。
ちなみに、最初にでていた「仁川百合野町地区地すべり資料館」は、右側の赤いピンのところがそれです。
なおマピオンで海抜を測ってみると、地すべり資料館のあたりは海抜76m、泉のあるあたりが海抜159mなので、高低差83mくらいでしたかね。(ビルの階数でいえば21階くらい?)
なんとなく位置関係わかってもらえましたかね?


ということで、今回はこんな感じです。


地図
兵庫県西宮市甲山町(甲山森林公園)

まずは、つい最近、トラベルジェイピーの記事にて『ドラマ「西郷どん」で登場!四ツ谷駅すぐ、歴史的舞台ともなった東京・紀尾井坂めぐり』と題して、2つの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。
なお、記事で取り上げた紀尾井坂と清水谷坂はまだブログでは取り上げていませんのであしからず。

とにかく、2月の終わり頃から取材に行こうかなとのんびり準備していたところ、3月最初の西郷どん(第9話:江戸のヒー様)で紀尾井坂がどどんと大きく取り上げれたのを知った時はあせりましたね。(笑)
ドラマ内では、記事で取り上げた内容以外にも、ランドマークとして紀尾井坂が江戸の地図に記載される形でもでていましたよね。

なお余談ですが、主演の鈴木亮平さんはなにげに地元の芦屋つながりの人でもあるので、個人的にはそちらのほうでも大河ドラマ以前から関心を持っていたりしていまして、そんなこともあり今回も陰ながら応援していたりもするのですよ。(迷いましたけど、やっぱり書いておくことにしました。すっきり。笑)


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)1
写真1

そんなわけで、話はもどりまして、記事では軽く取り上げるだけでしたけど、取材時は、紀尾井坂の坂名の由来ともなった『紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、井伊家の「井」』のそれぞれの場所も巡っているのですよ。
写真1は、紀伊徳川家の「紀」にあたる場所ですね。
現地にはこんな具合に立派な石碑と案内板があったんですよ。
場所でいえば、東京ガーデンテラス紀尾井町とニューオータニを挟んだ道路沿いにありました。
要は弁慶橋のそばですね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)2
写真2

次は尾張徳川家の「尾」にあたる場所ですね。(写真2)
こちらも立派な石碑と案内看板が道路沿いに設置されていました。
なお詳しい場所については記事のほうでもふれていますので、そちらを読んでみてください。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)3
写真3

そして、井伊家の「井」にあたる場所にも立派な石碑と案内板がありました。(写真3)
こちらは、ホテルニューオータニの敷地内にありました。今回でいえば、喰違見附側の場所といえばわかりやすいですかね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)4
写真4

あとは、紀尾井坂の坂上あたりにつくりはシンプルなのですが、なかなかしぶいつくりの建物があったのでぱちりと。(写真4)
「カトリックメリノール宣教会」なる施設の建物みたいでしたね。
いちおう調べてみたら、高垣建築総合計画なる建築設計事務所が設計した建物みたいでした。
竣工は1996年とのこと。
写真ではなんだか最近できたものみたいに見えてますけど意外と昔からあったんですね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)5
写真5

紀尾井坂にくるといつも気になる自販機があるのですが、これなんですよ。(写真5)
だしの自販機。(笑)
坂下にさらりと置かれてますので、気になる方は買ってみてはどうでしょうかね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)6
写真6

そして、清水谷坂の坂下あたりにある、村野藤吾設計による紀尾井町パークビル(旧・紀尾井町南部ビル)ですね。(写真6)
外観は昔とそれほど変わってないようですが、ビル名が紀尾井町パークビルに変わるときに(けっこう最近みたいです)中もリニューアルしたみたいですね。(これは受付の人に聴きました。)
とにかく、こちらも渋いビルですよね。


紀尾井坂(NO.303)、清水谷坂(NO.304)7
写真7

最後はこちらですね。(写真7)
清水谷坂の坂上あたりにあったビルです。
一風変わった感じの外観だったの、写真に撮っておいたのですが、帰ってから調べてみると「オークラヤ麹町ビル」と言って、大林組一級建築士事務所が設計したビルらしく、2013年にグッドデザイン賞を受賞しているビルみたいでした。
なるほどなるほど。
ちなみに道路のほうをみると坂道の傾斜具合もわかりやすいですよ。


ということで、坂道関連のことについていろいろ取り上げている長くなりそうですので、今回はこんな感じです。

トラベルジェイピーの記事(ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう)にて、いろは坂を取り上げたわけですが、今回はいろは坂の中でもちょっと気になっていた階段を写真自体はけっこう前(2017年の1月頃)になりますが、当時の写真を交えながらすこしばかりこまかく取り上げてみます。

なお、いろは坂(NO.296)その1にあたるブログの記事はこちら(今回は、耳をすませばの聖地でもある、いろは坂についてです。)です。
書いた時はお知らせがてらの記事だったのでナンバリングしていませんが、坂上の洋菓子店の写真など、今思えば貴重な写真も載せているので、ここにて再度。


いろは坂(NO.296)その2-1
写真1

こちらは映画「耳すませば」の劇中で、月島雫が自分で創作した物語を創造しながら一気に階段を駆け下りるシーンで登場する階段でもあり、現実のいろは坂でいえば、坂上あたりにある階段ですね。(写真1)
地図を見てもらうと一番わかりやすいのですが、いろは坂は京王の聖蹟桜ヶ丘駅の方向から北側のかなりの高低差のある台地に上る坂道のため、途中は急カーブの折り返しの道が連続していて(これを「つづら折り」やら「ヘアピンカーブ」と言います)、そのため、ヘアピンカーブをそのまま歩くとたいへんなので、横切る形で階段がつくられています。
それがこれですね。
時期がよければ緑に囲まれて気持ちいいんでしょうね。


いろは坂(NO.296)その2-2
写真2

ちなみに、写真1の背後を見下ろすとこんな感じでした。(写真2)
まあこれがヘアピンカーブのひとつですね。
いろは坂ではこういうわかりやすい急カーブの場所が2箇所みられます。


いろは坂(NO.296)その2-3
写真3

写真1の場所から階段ではなく、道路のほうをすこし坂上に歩き、坂下方向を見たものです。(写真3)
写真1でいえば、右側方向に歩いていったものですね。
なので、左側には坂下の聖蹟桜ヶ丘駅界隈の高層ビルも見えていたりします。

この部分だけ切り取ってみてもいい感じの坂道でしたね。


いろは坂(NO.296)その2-4
写真4

写真3からほんのすこしだけ坂を上ってみたものです。(写真4)
ちょうど急カーブの真ん中あたりから見たものなので、坂上と坂下に向かう道の両方が見えていましたね。
もうすこし広角のレンズがあれば全景撮れたかもですが、それでもなんとかこの急カーブを伝えることはできたかなと。(笑)
なので、写真1の階段は、この奥を左側から右側へと上っているというわけですね。


いろは坂(NO.296)その2-5
写真5

さらに坂を上り、坂上方向を見たものです。(写真5)
写真4からはほんのすこし移動した場所からですね。
もうこのあたりは坂上と言っていい場所なので、右側には丘の上の住宅がいくつか見えていましたね。


いろは坂(NO.296)その2-6
写真6

こちらはさらに坂を上り、坂上あたりからの景色です。(写真6)
単純に、坂道の景色がいい感じだったので、載せておきました。


いろは坂(NO.296)その2-7
写真7

そして、やっとここですね。(写真7)
写真1の階段の最上部でもある場所です。
左側の道を下って行くと、写真6の景色が味わえるという場所ですね。

今更ですが写真見ながら気がついたのは、バイク走行禁止標識ですかね。
やはりツーリング気分で走る人も多いのかな。


いろは坂(NO.296)その2-8
写真8

そんなわけでトラベルジェイピーの記事にも載せた坂上からの写真を再び。(写真8)
まあいろいろと妄想してみてくださいな。(笑)


いろは坂(NO.296)その2-9
写真9

おまけですが、階段の途中からのものです。(写真9)
坂上の家もなかなかおしゃれな雰囲気をかもしだしていて、階段下から上って行くときはなかなかの高揚感だったかもですね。
坂下からはけっこうな距離でバテバテでしたけど、この景色みるとなにか上にありそうということで元気でたので、歩いた当時はこの写真を撮ったのだと思います。


いろは坂(NO.296)その2-10
写真10

トラベルジェイピーの記事でもでてきましたけど、映画で同級生の杉村が月島雫に告白した神社のモデルになったと言われる金比羅宮の境内ですね。(写真10)
けっこう映画の描写そのままのところもあっていろいろ妄想が広がりました。(笑)

あ、そうそう。記事では書いておかなかったですが、このあたりにはかつて砦があり、新田義貞軍と北条泰家軍の戦いがあった場所とも言われているそうです。(金比羅宮の案内看板に書いてありました。)
それで、気になりちょっと調べてみたらありましたよ。


いろは坂(NO.296)その2-11
画像11

それがこちらですね。
江戸名所図会3巻に掲載されている「関戸天守台」という絵ですね。
「江戸・東京デジタルミュージアム」という東京都のサイトで紹介されていたのですが、そのページの解説によるとですね、
『元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉幕府を攻めた「関戸の戦い」と呼ばれる戦いにおいて、このあたり一帯は戦場となり、義貞軍が北条泰家軍を敗走させた後、本陣をここに置いたと伝えられています。これが「関戸天守台」という名前の由来で、現在の多摩市桜ヶ丘にある金比羅宮(琴平社)あたりが「天守台」と呼ばれ、一帯の山を「城山」とも呼んでいます。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる景勝の地でもありました。』
とあるのですよ。
なるほど、そういうことだったのかという感じでしたね。
記事では、「天守台(関戸城跡)」としても取り上げていますが、実はこのブログでも関連して過去記事で取り上げています。
→「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道

おそらく絵にある階段が、ブログの記事「「聖蹟桜ヶ丘の天守台(関戸城跡)の階段と坂道」」で取り上げた階段の可能性が高いですが、もしかしたら今回取り上げた階段という可能性もあるのですよ。
あとはもう、この金比羅宮との位置関係と奥に広がる景色などから調べていくしかないですが、ちょっとこの絵だけはわかりかねるというのが現在の状況といえるかもです。
ただ、金比羅宮の境内にあった案内文には、境内に「物見の松」といわれる老木があったとも書かれていて、絵を見ると巨木が階段上にも見られるので、もしかしたらもしかするかもしれませんし、奥に描かれている川らしきものが多摩川かもしれないですが真相は定かではありません。

ということで、今回はこんな感じですが、それにしてもおもしろい史実に出会ったかもですね。


地図
多摩市桜ケ丘

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