東京坂道さんぽ

2008年01月

ブログネタ
街写真 に参加中!
所在地:港区愛宕1



前回の愛宕坂[男坂] (NO.121) に続きという感じですが、この愛宕坂にも、男坂のすぐそばに女坂がありました。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 1
坂下より

女坂といえば、なんとなく階段ではなくスロープのイメージがありましたが、ここは写真のとおり階段坂でした。
ただ、なんとなく気になったので、辞書で「女坂」と調べてみたのですが、「高い所にある社寺に通じる坂道が二つある時、勾配のゆるい方の坂。」と書いてあるだけで、実際は階段でもスロープでもどちらでもいいみたいですね。
それにしてもいいS字の階段坂ですね。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 2
坂の途中より

すこし登った坂の途中で坂上あたりを見てみましたが、まだ頂上は見えていませんでした。
しかも、ここまで来るとあんまり男坂と勾配具合はかわらないんじゃないの?という感じでした。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 3
坂上より

そして、やっとこ坂上にきてみましたが、やっぱりここからみるとかなりの高低差でした。
ただ、やはり男坂のほうがあれだけ派手な坂であり、こちらの坂を気にする人は少ないんだろうなあということと、すぐそばにとなりのビル(左側にみえている)があることもあり、途中あたりまでは歩いていてもあまり落ち着かない感じがあったかもです。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 4

あと、3枚目の写真の立ち位置から振り返ると、ぱっと見はふつうな感じなのですが、なんとも、じーとみているとスルメのように味のある建物(住居なのか、はたまた違う用途で使われているかどうかわかりませんでしたが)を発見。
なんとなく気になったので、一枚撮ってしまいました。。



地図
港区愛宕1

ブログネタ
街写真 に参加中!
所在地:港区愛宕1


タイトルからもわかるかもしれませんが、愛宕(あたご)神社の境内にある階段坂です。
場所は、かの有名な愛宕神社内です、と、いってしまってもいいんですが、以前にとりあげた愛宕グリーンヒルズの北側に神社があり、そこから東へと下りていける階段坂です。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 1
坂上より

神社の側からみたものですが、見るだけでぞくっとするほどの急階段(というか崖)でしたよ。
もう、あきらかにこれは一種の登山かもです。。
ただ、この石段は「出世の石段」とも呼ばれているそうですよ。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 2
境内より

念のため、さらに奥より眺めてみましたが、まわりはうっそうとした木々にかこまれていたため、まわりの景色はあまりみえませんでした。
ただ、この愛宕山は、ご存知のかたも多いとは思いますが、昔からかなり有名な場所で、江戸名所図会にも「当山は懸崖壁立して空を淩ぎ、八十六級の石段は畳々として雲をさすが如くしょう然たり。山頂は松柏鬱茂し、夏目といへどここに登れば涼風凛としてさながら炎暑を忘る」とあり、その挿図もあるようで、いろんな意味でも印象的なところだったのでしょうね。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 3
愛宕神社

うしろをふり返るとすぐそばに愛宕神社の本殿がみえていました。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 4
坂の途中

そして、おそるおそる階段を下りはじめたのですが、その途中で、せっかくなので、勾配具合を記録するためにパチリと。。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 5
坂下あたり

そんでもって、ほとんど坂下に近いあたりまできてみたところで、今度は、坂上のほうを眺めてみました。
下からみると、なんてことないように見えなくもないですが・・・。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 6
坂下より

そんな感じで、階段の全景がみえる場所へ。
う〜ん、こうしてみるとあらためてものすごい坂道です。

ちなみに、ここには(あたりまえですが)いつものような坂の碑は、ありませんでしたが、島崎藤村の「新生」という小説のなかで、大正初期の愛宕山を描写しているところがあり『(略)見上げるやうな急な男坂の石段でも登って行くと、パノラマのやうな眺望がそこに展けて居る。新しい建築物で満たされた東京の中心地の市街から、品川の海の方まで見えるその山の上で、岸本の心はよく谷中の空の方へ行った。』とあり、昔は今ほどは木が生い茂っていなかったのかどうか、はたまた幾分かのフィクションがはいっているのかどうかわかりませんが、あきらかに風光明媚な場所として書かれていたようですね。

※上記の江戸名所図会と島崎藤村などの文は、江戸東京坂道事典から抜粋させていただきました。

(そのほかにもいろいろあるようで書いているときりがなさそうですので、詳しくは愛宕神社の公式サイトをどうぞ。。)



地図
港区愛宕1

ブログネタ
街写真 に参加中!
今回は、有楽町の無印良品にて、「地震ITSUMO+無印良品」展なる地震というか防災に関係するちょっとした催しものが開かれていることを知り、行ってみたのですが、ふと年末に訪れた日比谷公園もけっこうこの近くにあることをなんとなく思いだしたので、行ってみることにしました。


日比谷公園1

このまえ来たときは、真っ暗で、クリスマスイベントとしておこなわれていたイルミネーションのほうに目がいき、それとともに人の多さばかりが気になる感じでしたが、今日は、このまえの人の多さがうそのように、のどかで、ゆっくりと散歩ができましたよ。

写真は、イベントの時、とてつもなく大きなクリスマスツリーがあった場所でもあるのですが、ほんとうにあのときがうそのように静かで、噴水の水しぶきの音が、けっこう遠くからでも聞こえていました。
ちなみに、このあたりを知っているかたには説明不要なことなのかもしれませんが、奥に見えている建物は帝国ホテルだったりします。


日比谷公園2

噴水のあたりを遠めにみると、こんな感じ。
なんとも広々としていましたが、さすがに真冬なので寒々しい風景にもみえなくもないですね。。
また、あったかい時にでもきてみます。


日比谷公園3

そんな感じで、図書館やそのまわりをぶらぶらと歩いた後、帰り際に、はじめに日比谷交差点のほうから来た時に、あのむこうの崖上のあたりから眺めることができた心字池なる場所をこんどは反対方向から眺めることができるところがあったので、ぱちりと。
ちょうど正面になにげなくみえている頑丈そうな石垣なのですが、なんとこれ江戸時代からあるものらしく、江戸城の日比谷御門の石垣の一部とのことみたいですよ。
あと、この池を上からみると心という形に見えるという話もあるみたいなのですが、地図をみるかぎりはよくわかりませんでした。(知っているかたがいたら教えてください。。)

ということで、スタバ女をさがしに・・、じゃなくて、有楽町のMUJIに行くついでに、なんとなく来てしまった日比谷公園をぶらぶらしながら、ほかにも写真は撮ってみたのですが、いろいろと載せるのもなんですので、今日はこんな感じです。




地図
千代田区日比谷公園

今年2度目の正月が来た気分です。

と、去年と同じはじめかたをしてみましたが、正月というのは、別になにかの祝いというわけではなく、あらたな気持ちになるという意味でのはじまりをあらわす気持ちで使っているわけですが、あの1995年の地震からもう13年ですか。。

今年も正月に神戸に帰省して近所の様子を見てきたわけですが、やはり地震でダメージをうける前とは、その街並みが変わってきているなあという思いは、年を追うごとにふえるいっぽうで、帰るたびに道路は整備され、立派なマンションや家が次々に建っているといってもいいくらい、あれ?、こんなところに・・・。
という感じでした。
なんというか、そこに住んでいる人にとっては、ただもとどおりにしたいため、なんだかんだといって過去の記憶を忘れるため、はたまたひと儲けするため、または、ただ行政のいわれるまま土地をさしださなければいけなかった人(道路や公園の整備のため)など、様々だと思いますが、こんなに急速に街をつくりかえていって、ほんとうにいいんだろうか?
このスピードに住んでいるひとたちは対応できているんだろうか?
この最近新しくできた道だって、かつてはここに家があり、そこで暮らし、愛しあい、人が生まれそして死んでいき、建物の下敷きになって死んでしまった人もいるんだろうなあ。
なんて、思ったりもしながら、かつて慣れ親しんだ散歩コース中心に歩いていたわけです。

でも、地震当時のままで残っていてもらっても困るわけでそのあたりのバランスは難しいところではありますけど・・・。
そんな中、まちの南と北にある海と山だけは街中とは違いのんびりと変わっていってくれているのは(正確にいえば、海辺のほうは昔から計画されていたであろう開発が実行されているようで、風景はかなり変わってはいるのですが、これは数十年前から聞かされていたことでもあるので・・)、ある意味、僕にとってはほっとできる場所であったかもしれません。

そんなこともあって、正月なりに年に1回は最低でも神戸に帰省するようにして、このことを目と体でたしかめたいことも実はあるわけで、今の僕にはなにもできないしなにかだいそれたことをしようとも願っていませんが、数年帰らなかったら街が跡形もなく変わっていたなんて悲しいことにならないようにも、これだけは今後も忘れないように続けていこうと思っています。
そして、これらの習慣とともに13年前のあの地震のことも。

ブログネタ
街写真 に参加中!
所在地:港区赤坂1


しんえのき坂と呼ぶそうです。

この坂道は、桜坂 (NO.114) の坂上から北へとぬけることができる坂道なのですが、どうやら軽く調べてみるとつい最近命名されたあたらしい坂(しかも家にある2002年発行の地図にはこの道はありませんでした)のようで、この近くにある以前にとりあげたスペイン坂 (NO.66) と同じようにこのあたりの再開発によりできたものらしく、この坂下が榎坂(写真の日付の都合上で今度とりあげます・・)という坂道とつながっているということから新榎坂となっているみたいです。

なら、なぜ新桜坂ではないのでしょう?ということは聞かないでくださいね。。(笑)



新榎坂 (NO.120) 1
坂上より

見てのとおりかなり新しい道という感じで、きれいに整備されていましたよ。



新榎坂 (NO.120) 2
標識

また、このすぐそばにこんな坂道名をしるした標識がありました。

これは、”坂道コレクション”というサイトで説明されていたのですが、どうやらこの標識は港区が設置したものではないらしく、一枚目の写真の右側に見えている赤坂インターシティの敷地内の案内標識と同じデザインらしく、そんなことからビルオーナーが設置したものだろうとのことみたいで、実際に僕は赤坂インターシティの中を確認していないのでなんともいえませんが、そういうことみたいです。

まあなんというか森ビルに対抗(これは僕の中ではスペイン坂 (NO.66)のことですが )してうちもつけるぞ〜という感じで名前をつけたのかもしれませんが、どうなんでしょうかね?



新榎坂 (NO.120) 3
坂下より

そんな感じでさらりと坂下まできてみました。

さすがに後から計画された坂道だけあって、歴史的な深みはないように見える(といってもかつてこの道のうえにあったであろう建物などのことを思うとすこし切なくはなりますが)この坂道に名前をつけて親しみをかもしだそうとしている点には好感がもてますし、もともとの地形的な特性もあってか勾配具合もよく、カーブの具合といい道幅といいなかなか散歩するには悪くない坂道だったかもです。



地図
港区赤坂1

ブログネタ
街写真 に参加中!
所在地:港区虎ノ門2あたり


えどみ坂とよぶそうです。
場所は、ホテルオークラの敷地の南側にあり北側へと下る坂道で、前回の汐見坂 (NO.118) とは坂下でつながっていたりします。


江戸見坂 (NO.119) 1
坂上より

やっぱり江戸見坂といえば、坂上からの眺望を期待したいところだったのですが、現在の坂上からは街を見渡すどころか、まわりにみえるのは同じようなビルが雑然と見えるだけでした。

ちなみに、ここにはいつものように坂の碑があり、
『江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたために名づけられた坂である。』
とありました。


江戸見坂 (NO.119) 2
坂の途中より

すこし坂道をくだりすこしカーブしているあたりから坂下のほうを眺めてみました。
道の両サイドには、これでもかーというぐらいビルが立ち並んでいますが、正面にみえているでっかいビルがさらにこの坂道の雰囲気をなんだかよくわからない感じにしているようにも感じてしまいましたが。。
(正面の信号機とビルのスケールをみればのっぺらりんとしたビルのわりに大きいビルだということがわかりやすいかもです。)
ただ、坂道自体の雰囲気や勾配具合などはかなりよかったですし、今立っている位置も、坂下にあるビルの窓からだいたい比べてみてみると三階の床くらいの高さはありそうで、歩いていてもかなりの急坂でしたよ。


江戸見坂 (NO.119) 3

そんななか、2枚目の写真の道路右あたりにもみえている、不思議な森ビルの看板というか標識らしきものを発見。
これは、たしか赤瀬川源平さんが書かれた本だったと思うのですが(てっきり家にある赤瀬川さんの本にのっていたと思い、さっきから調べているんですけどその書かれたページがみつからないんですよ。。でも本でよんだからこの看板にも気がついたわけなので、もしかしたら家にない本だったかもしれないので、また見つけしだい報告しますね。。)、このあたりにある森ビル所有のビルには、なぜかこの看板がついているらしく、しかも、持っている数をみせたいのかどうかわかりませんが、写真のようにナンバリングまでしてあり、ここだけでなくいたるところで見つけてしまいましたよ。


江戸見坂 (NO.119) 4
坂の途中2

そして、今度は坂上のほうをみたものです。
なんだか、坂道の風情とまわりの高層ビルとのコントラストがなんともいえませんでした。


江戸見坂 (NO.119) 5
坂下より

そんな感じで、やっとこ坂下へやってきました。
こうしてみると、ほんとに高低差がものすごい坂道ですね。
どうりで、かつては江戸の街が見渡せたわけですな。




地図
港区虎ノ門2あたり

ブログネタ
日記 に参加中!
今日は、すこし正月モードもぬけつつある状態なのですが、いきなり坂道話へうつる気分ではなく、かといって地元のおみやげ話をするという気分にもなれないので、今日はこんなことろで・・・、

というわけにもいかないので(汗)、今日はさらりとなのですが、地元からなにごともなく東京にもどり、東京でも初詣に行こうかなーと思い、いつもはもっと近所の神社ですます感じなのですが、今年はなんだか気になり去年も訪れた明治神宮に行ってきました。

ただ、今年は正月に京都を訪れたこともあり、和風というか神社の雰囲気に対して例年になく冷静になってしまったのですが、それでも、この数日で京都や東京の神社仏閣めぐりというか、日本の古い時代にあった建物をめぐることで、なにかタイムトラベルをしているかのような気分になってしまいましたが、よくよく考えてみると、これらの神社に(初詣で)訪れる大勢のかたたちは、なにもこの建物自身を見にきているわけではなく(なかにはいるかもしれませんが)、その建物の内部にあるであろう霊的ななにかにふれるため、はたまた習慣みたいなものできているわけで、そういう視点でみてみると、外見だけでもだめだし、ここになにかある〜!みたい霊媒師てきなことをこの場所でいっているだけでもうまくはないし、その両方がうまくあわさってこのようなありがたい場所ができているのかもなあなんて、えらそうに思ってみたりしました。


そして、そんなことを思いながら参拝していたわけですが、今年は初詣にしてはすこし時期が遅かったこともあり、それなりに人はいましたが、思っていたよりは多くは感じなかったですし、参拝時もほとんど待つことがなかったのはありがたかったです。

でも、去年きたときは入れた御社殿の中までははいれませんでしたよ。


ということで、今年の正月はいつも以上に地元周辺の気になった場所へ行き、歩きまわり、写真もパチパチと撮ったわけですが、今回は去年のようには書かず、しかも、明治神宮にいったときは家のパソコンにデジカメのメモリーを残したままカメラだけ持ってきてしまったため(汗)、写真が撮れなかったので、とりあえず今日はこんな感じです。

ブログネタ
写真日記 に参加中!
あけましておめでとうございます。


もう3日というか日付がかわり4日になりましたが、現在は、地元というか実家にもどって、そこで書いていたりします。

あと、こんなところで書いていいのかどうか迷いましたが、僕の父親が1日生まれということもあり、二重のお祝いみたいなこともあるので、よほどのことがないかぎりは帰ることにしているので、昔から読んでいただいている方なら気がついているかたもおられるかもしれませんが、結局、このブログをはじめてからの正月は、この地元神戸からの話になってしまっていますよ。

しかも、今年もというべきかわかりませんが、この正月は東京に住んでいる地元組の面子も神戸にもどってきているみたいで、結局はこちらでも集まったりしました。



新年1

そんななか、僕はこの一年で周辺がどれくらい変わったのかなあと思いつつ近所や近くの海や山(しかも山はかるい登山になってしまいましたが・・・)を散歩してみたり、まる一日ひまな時間ができたので気がつけば8年くらい訪れていなかった京都にも行ってみたりしたわけですが、京都のほうはひさしぶりということもあり名所というか観光スポット中心にぶらぶらとしてみました。

でもさすがに、正月の京都は予想通り人が多く、大賑わいといった感じでしたが、よく観察してみるとメインの通りはたしかに混んでいたのですが、一歩裏のほうに入るとさすがに人通りも減り、気楽に歩くことができ、ちょっとした一人の時間を楽しむことができましたよ(←この一文でばれましたが結局1人でぶらぶらとしていたのです・・・)。

ただ、すこし道に迷ったりしましたが・・・。(汗)

まあ、地元(神戸)の場合だと、山が見えているほうが北という感じでわかりやすいのですが、京都の場合、どこを見ても山(これは盆地だからなのですが)ばかりということと、 なにぶん8年ぶりくらいということで土地勘がうすれて住所で把握できなかったことが、意味もなく歩きまわってしまった原因なのですけどね・・・。


そんな感じで、ひととおり京都散歩を楽しんだあと、JRで帰ろうと思い、京都駅にてぶらぶらしていた時に気になる現象に出くわしてしまったのですよ。

ふと、駅ビルの大階段を上にいこうとエスカレーターにのってみたところ、関西ではだいたい右側に人が立ち止まり左側を歩いて上に行く(追い越し車線みたいなもの)習慣だったと僕個人は(どちらかといえば当然のように)思ってしまっていたのですが、ここでは左側に立ち右側を空けるというよく関東でみられるスタイルになっていたんです。

おかげで僕はこの一年くらい左立ち式になれていたこともあり、すこし頭が混乱したくらいでしたよ。(笑)

習慣とはおそろしいものですね。。

ただ、そのあとあまりに気になり、エスカレーターの様子を観察してみると、人によって立ち位置が変わっているようで、どうやら京都に旅行できているかたがなにげにいままでの習慣で利用しているのが、実情のようでしたよ。

ちなみにWikipediaによると、”日本では関東、福岡及び北海道、長野、岡山では乗り込む際に左側に立ち右側を空け、関西及び仙台では右側に立ち左空けとなっている。これは大阪万博の際、主に右立ち左空けが標準だった欧米諸国にならい左側を空けるようにしたため関西ではそれが定着し、その後首都圏に次々にエスカレーターが設置されるにあたっては従来からの「追い越しは右側」という習慣によって関東では左右逆となったという経緯があるとされる。”だそうです。

もし、これが本当なら、僕が行ったときの京都にはいろんな地域のかたが旅行にきていたということになりますかね。

でも、実際のところは決まりはないので、どっちでもいいんですけどね。。(笑)



新年2
京都駅ビル内のとあるエスカレーターの様子


ということで、今回は管理人の日記プラス新年のあいさつがてらということもあり、いつものような写真をあまりのせず書いた(でも結局2枚のせてしまいましたが・・・)ので、長々となってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

このページのトップヘ