東京坂道さんぽ

2008年08月

そういえば、グーグルマップのストリートビューのサービスが始まったのにもかかわらず、このブログでとりあげないのも、あれですし、最近、ネットで、アンケート結果の記事なんかも取り上げられていたこともあり、今回はストリートビューの話題でも。。
ただ、できたばっかしということもあってか、賛否両論といった感じのようですが。。



ストリートビュー01
ストリートビューの画像(いちおう”2008google”と出ているので、だいじょうぶだとおもいますが、問題があれば知らせてください。。)

その中でも、ちょっと気になったのが、写真のプライバシーと無断でこっそりと人の家の写真を撮って掲載するとはどういうこっちゃ・・・ということみたいな話がすこしあったと思うんですけど、それって、けっこうむずかしい問題なのかなと。
たしか、テレビ撮影の場合は、うちの近所でも以前にドラマのロケがおこなわれていたことがあり、その数日前に”テレビのドラマのロケを近所でしますのでご迷惑をおかけします”みたいなチラシがポストに入っていたような気がしますが、これをグーグルが同じように会社のロゴをひっさげて”撮影中です”とか走っているときにクルマに大きく書いていたり、”前もってこの道を撮ります”みたいなことを告知したとしたら、どう考えても、撮影場所は限定されているわけですし、その告知がたとえば、ご近所周辺へのチラシとかでなく、ネットのみでその情報が告知されたら、まあいろいろとたいへんなことになるのかもなあ、なんて思ってしまいましたよ。
なんていうか、そのうち世間がストリートビューやその対応に慣れてくれば、記録の時期だけ過剰な広告看板が道につくられたり、一般の人が家の壁などに宣伝のポスターを貼ってみたり、目立ちたがりの人たちが路上ライブをしてみたりするかもと、まあけっこう怪しんでみるとなにげにいろいろなことがおこりそうな感じはありそうです。(まあたいはんは画像処理などでなんとかできるかもしれませんし、それほどの宣伝効果があるかは、今のところは微妙ですけど、将来どんな発展をするかわからないですしね。。)
でもその反面、前もって訪れる場所の雰囲気が把握できたり、すこし妄想が入っていますが、たとえば有名スポット周辺の観光客がよく通る主要道路に面している家の方たちの感覚のように、写真に写るであろう自分の家の前の、なんてことない道に関しても、実際に住んでいるみなさんの意識が高まって、さらにいい街並み(というか意識の向上なのですかね)になっていくとか・・・、そんなちょっといい面もあるかもなあ、なんて思ってしまいましたよ。(それがいいことか悪いことかは別として、またそれが整然としたものでも、ごちゃごちゃした感じのものでも、どちらにしても、やっぱり歩いていて気持ちのいいほうがいいのかなと思っていたりもするもので。。)
ただ、今のところ、僕にとってのグーグルマップのストリートビューといえば、ちょっとしたゲーム感覚でいじくってみるくらいしか、使うこともないんですけどね。。

ということで、とりあえず、突飛な話もでてしまいましたが、はじめにもすこし書きましたが、このブログもけっこうなストリート写真を載せているので、以前から気にはなっていたサービスだったこともあって取り上げてみましたが、このストリートビューについて書いているとほんときりがなさそうですので、今日はこんな感じです。

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ふじみ坂とよぶそうで、これも赤坂御用地内にかつてあった坂で、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によると、”東京市史稿・遊園篇”の西園記に、
「富士見坂 凌雲道鳳鳴閣へ登る坂路、松林の間に屈曲、千層雲を摩するの思あり」
と、この坂道のことが書かれているそうです。
ただ、これだけ読むとよくわからない感じもありますし、各単語を検索したりしてもよくわからなかったのですが、とりあえず、いまのところ予想できるとすれば、見隠坂(NO.146) の中ででてきた「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、・・・」ということからも、この富士見坂も庭園内に存在した8つのうちのひとつの坂道なのかもしれないということぐらいですかね。

そんな感じで、今回もこれで書くこともなくなってしまったのですが(汗)、とりあえず、なにも写真をのせないのもさびしい限りですので、赤坂御用地まわりの写真(今度は西面を中心に)でも。。


富士見坂(NO.148)1

なんというか、外掘り通りに面してこんな感じの立派でちょっとやそっとのことではつぶれなさそうな塀がずうーと、敷地内の北側にある迎賓館のあたりから続いていて、この写真だけみるとなんてことないようにもみえますが、さすがにこれが数百メートルも続いているとかなりの圧倒感があったかもです。



富士見坂(NO.148)2

ただ、さらに外掘り通りを南下していくと(下っていくと)、紀伊国坂(NO.142) でもちらりと見えていたかもしれませんが、こんな感じで塀が奥のほうにいってしまい、そのあいだに緑地帯みたいなものができて、松林とはいかないかもしれませんが、なんとなく上の西園記ででてきた松林を想像させてくれる松が何本か見えていたりもしました。

ということで、今回(今日の投稿)は、山屋敷坂(NO.147) とあわせて、さらりとそれぞれ流そうと思い、2エントリーをいっきにアップしてみたのですが、いざ各エントリーを書いていたら以外とあれもこれもとなってしまった感じですが、よかったら前回の分とあわせて、どうぞ。。



地図
港区元赤坂2あたり

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やまやしき坂とよぶそうで、これまた赤坂御用地内にあった坂で、今はない坂なのですが、坂上に山屋敷とよぶ茶亭があったから、そうよばれるようになったそうです。(江戸東京坂道事典より。)


山屋敷坂(NO.147)01

では、資料もこれ以上ないので今日はこんな感じで・・・・・、
というのもそっけないので、今回も坂とは直接は関係ないのですが、紀伊国坂(NO.142)でもある外掘通りを坂下からとぼとぼと上がると、こんな立派な赤坂御用地内へと入れる門があり、なんとも唖然としてしまいましたよ。
別の視点でみると、迎賓館側(北側)から外掘通りを南へ歩いていても、この門に出会うわけで、とにかく洋風な雰囲気にひたっていたら突然、こんな門に出くわすわけなので、どっちにしても歩いていると唖然とさせられる風景なのかもしれませんけど。。
ちなみに、山屋敷坂は見隠坂(NO.146) のエントリーの「赤坂区史」の一文の中でも、「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり」という感じで、でてきていたのですが、その文の中に、それとあわせて邸内には坂だけでなく、「門は十五を数え」と書かれていたこともあり、そういえば紀伊国坂(NO.142) の坂上のほうにも門が道から見えていたなあということで、この写真をのせてみました。


地図
港区元赤坂2あたり

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みかくし坂、あるいは、みかくれ坂とよぶそうです。
この坂も現在はない坂で、誉田坂(NO.145) と同じく現在の赤坂御所の敷地内にあったもので、江戸時代に紀州藩邸だったときに、その庭園にあった坂道ということです。



見隠坂(NO.146)_1

なので、とりあえず、今回は、赤坂御用地の北側にある若葉東公園から敷地内の迎賓館がなにげに見える場所があったので、そこからパチリと。



見隠坂(NO.146)_2

ただ、一枚目の写真にもちらりと見えていたと思いますが、写真のような看板があり、現在、赤坂迎賓館の建物は12月まで改修中とのことらしく、その外観を残念ながらみることはできませんでしたよ。



見隠坂(NO.146)_3

また、そのすぐ横には、なんとも立派な鉄柵もありました。(まあ、迎賓館の鉄柵だからあたりまえなんですけど・・・。)
なので、ここから御用地の中が見れたりするのですよ。



見隠坂(NO.146)_4

ということで、中をのぞいてみました。
やっぱり迎賓館には足場が組まれていてなにも見えませんね。。
でも、手前の芝生はいい感じでした。

ちなみに、はじめにでてきた紀州藩邸の庭園は「西園」とよばれていたそうで、「赤坂区史」に、
『この宅邸の規模構造は、殆ど幕府の大城に擬せられ、壮麗広大を極め、邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、門は十五を数え(中略)殊に庭園は、紀州家に於てこれを「西園」と称し、千宗左、千賀道円等が頼宣の命によって築造したもので、頗る林泉台樹の風趣に富み、江戸時代の名園の一に数へられてゐたのである。』
と書かれているそうです。
あと、文中に「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、・・・」と書いてあるということは、坂が8つも敷地内にあるという意味なんですかね??
うーん。。

(ということで、これらのことのいくつかは、いつものとおり”江戸東京坂道事典 ”を参照させていただきました。)



地図
港区元赤坂2あたり

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ほんだ坂とよぶそうです。

場所は、と言いたいところですが、今は現存しない坂です。
というのも、この坂道は、現在の赤坂御用地の敷地内を通っていた坂で、明暦3年末にこの後用地の場所が紀州藩の屋敷になるまでは、今の、新宿区南元町にある鮫河橋から東南の方向にある赤坂4丁目のほうに通ずる道があったらしく、それが誉田坂の道筋にあった坂道なのではないかと言われています。(ちなみに、このことは、いつもお世話になっている”江戸東京坂道事典 ”を参照させていただきました。)



誉田坂(NO.145) 1

なので、誉田坂の坂上か坂下かわかりませんが、坂の端っこに位置する、鮫河橋坂(NO.143) の時の話でもでてきたかつての鮫河橋界隈でもあった「みなみもと町公園」の入口にあった案内看板に、当時の鮫河橋界隈の様子が描かれた江戸名所図絵なども案内文とあわせてあったので、パチリと。
あと看板の案内文の中で、
「みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、周囲の土地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、赤坂の溜池にそそいでいました。」
という最初のほうの一文があるのですが(いちおう鮫河橋坂(NO.143) の中でも書いていますけど・・・)、いまあらためて読み直すと、もしかしたら、この鮫河は、はじめに書いたかつての誉田坂とだいたい並行に流れていたんじゃなかろうか、なんて、想像してしまいましたが、どうなんでしょうかね。。



誉田坂(NO.145) 2

もう一枚は、せっかくなので、赤坂4丁目方面(というか青山通りですけど・・・)からみた赤坂御用地の様子など。
といっても、ただただ当時の坂道のイメージなどをこの風景から想像するしかないんですけどね・・・。(笑)



地図
港区元赤坂2あたり

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所在地:新宿区南元町あたり

あんちん坂と呼ぶそうで、別名で、権田原坂、権太坂、権太原坂、信濃坂ともいうそうです。
場所は、鮫河橋坂(NO.143) の坂下でつながっていて、同じ道を神宮外苑のほうへと上がっていく坂道です。



安鎮坂(NO.144) 1
坂下より

坂下からの風景です。
ここから見ると、左側が赤坂御用地ということになりますが、やっぱり、この坂も鮫河橋坂(NO.143)と同様、街路樹が気持ちよく育ち、いい具合にカーブしながら上っていく感じはなかなかのものでした。
車やバイクで走ると、ほんと気持ちよさそうな道なのですかね。



安鎮坂(NO.144) 2
坂の途中より

すこし坂道を上がり、坂下の方を眺めたものです。
坂下の信号のある場所からさらに向こう(坂下方向)にいくと鮫河橋坂(NO.143)の坂下があるのですが、ここからみると以外と左へと曲がる急なカーブを描いていたので、もう鮫河橋坂(NO.143)の様子はなにも見えていませんでした。
なので、ここから見ると道の曲がり具合もわかりやすいんじゃないですかね。



安鎮坂(NO.144) 3
坂の途中より2

そして、さらに坂を上がり、さらに坂上の方を見たものです。
坂下からの高低差があるのか、以外と勾配具合もあり、ここから見る分には、まだ坂上のほうは見えておらず、さらに坂道の上空を街路樹が商店街のアーケードのように道を覆うように茂っていて、坂下とはうってかわり、すこし薄暗くなっていました。
でも、その分、ひやりとした風がながれていてここちよかったですけど。。



安鎮坂(NO.144) 4
坂上より

そいでもって、やっと坂上あたりまできてみましたが、ここまできてもあいかわらず坂下から続く同じような風景が続き、坂上だからといっても景色がひらけているわけでもなく、ただただ気持ちのよい街路樹が見えているだけでした。(なんというか写真でこの坂道を撮ってみると、以外と坂道のどの場所から撮っても同じ感じに見えてしまうところは、なんとも苦しいところかもしれません。なので、この坂道は実際に五感を使って歩いてみるのが一番いいかもです。。)
また、この近く(もうすこし坂上のほうです)の道路沿いに明治記念館の建物が見えていましたが、メインの入口ほうは道路と反対側にあるようでしたので、今回はその写真は撮っていませんので、あしからず。

ちなみにここには、いつものような坂の碑があり、
『付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので坂の名になった。武士の名からできた付近の地名によって権田原坂ともいう。』
とありました。



地図
新宿区南元町あたり

所在地:新宿区若葉1あたり

さめがはし坂と呼ぶそうです。
場所は、前回の紀伊国坂(NO.142) のすぐ西側の位置にあり、赤坂御用地の敷地に沿って南西に下っている坂道です。



鮫河橋坂(NO.143)1
坂上より

坂上から見たものですが、左側には赤坂御用地があり、その敷地内の緑や、坂道の街路樹が青々と茂っていてなんともいえない雰囲気をつくりだしていました。
なんというか、街路樹の高さや茂り具合、そんでもって道路の幅なんかのバランスがとてもここちいい感じのスケールなのかなと思いました。。



鮫河橋坂(NO.143)2
坂上あたり

今度は、同じ位置からさらに坂上の方を眺めたものです。
いちおうこのまま道なりに北上すると、それほど遠くないところに四谷駅があったりします。



鮫河橋坂(NO.143)3
坂の途中より

そして、坂道を下り、坂下のほうを見たものです。
なかなか勾配具合もいい感じで、写真でもちらりと見えていますが、この道をずっと下っていくと神宮外苑に行けることもあってかどうかわかりませんが、ジョギングをしている人がけっこういて、歩道で何人もの人たちが僕の横を走りすぎていきましたよ。



鮫河橋坂(NO.143)4
坂下より

そいでもって、坂下まできてみました。
ここから見ると、坂の途中で感じた勾配具合とは違い、思っていたよりすこし緩い感じだったのかなと思ってしまいましたが、坂道の距離自体がけっこう長かったので、高低差はそれなりにあるのかもしれませんが、そう見えただけかもしれないのかなと。
あと、地図でみるとこの道路を境にして、赤坂御所がある右側が港区となり、左側にはなにやら公園らしきものが見えていますが、その公園(みなみもと町公園というそうです)がある場所が新宿区となっているみたいです。

ちなみにここにはいつもの坂の碑はなかったのですが、この左側に見えているみなみもと町公園の案内看板にこの鮫河橋坂に関することも書かれており、
『みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、周囲の土地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、赤坂の溜池にそそいでいました。
江戸時代になってからは水田となり、寛永年間に行われた江戸城の外堀工事の際に余った土で埋め立てられて、町になったといわれています。
鮫河には橋が架かっていて、鮫河橋と呼ばれていました。鮫河橋は「江戸名所図会」にもとりあげられて有名になったので、この付近一帯を鮫河橋と呼んだ時代があり、今でもみなみもと町公園前の坂に「鮫河橋坂」という名前を残しています。』
とありました。
また、永井荷風がこの鮫河橋付近に関する描写などを「日和下駄」の中で(1915年出版とあるので、かなり古い本なので、かなり昔の描写なのですが・・・)書いているのですが、ちょっと長い文なので、今回は引用しませんが、興味があるかたは”永井荷風 日和下駄 鮫河橋”なんかで検索してみるといくつかでてくるみたいなので、どうぞ。。



地図
新宿区若葉1あたり

たまには

それにしても、もう8月ですか。
早いものですね。

上の写真はこのまえのお台場散歩の帰りに撮ったものなのですが、とりあえず、お台場散歩は前回でひと段落して、また次回から坂道散歩(とその周辺・・・)ということで、今日はひと休みです。

ということで、最近はあまり日々のことは書かないようにしようと思い、このブログを始めた当初よりは圧倒的に書かなくなってしまったので、今回はひさしぶりのエントリというかお知らせがてらなのですが、前回ひさしぶりに”街歩き”のカテゴリで書いたあと、ふと過去のエントリを見直してみると、このカテゴリは番号をふってなかったこともあってか、自分でもあまりになにがなんだかわけわからなくなり(汗)、いままでずっと見てくれてきた方ならまだしも、最近見てくれるようになった方にとってはさらに見にくいだろうなあと思い、年代ごとにカテゴリ分けをしてみました。(カテゴリとはサイドバーにあるやつです。)
ただ、”とある街の風景”のほうは、しばらくのあいだは今のままでいこうと思っていますが、そろそろ各エントリのデータも多くなってきたので、これらをどうやって整理していこうかなと考えている最中といった具合です。

あと、最近は淡々とブログの更新をしていたこともあり、あまり意識していなかったのですが、このライブドアブログも色々と便利な機能が追加されていて、今回、カテゴリを再振り分けするのも、このブログを始めたころと比べると圧倒的にラクチンになり、あっというまに作業ができてしまったのは、びっくりという感じでした。
しかもこんだけ、写真を保存しているのにもかかわらず100Mも使っていないとは・・(まだ、70MBくらいです・・)。
でも、まだまだ坂道はあるので(汗)、どんだけ続けるかはわかりませんが、これからも気楽にお付き合いください。
また、こんな穴場ありますよ〜などの情報も、なにかあれば知らせていただくとうれしいですので、このブログのサイドバーの一番下にあるメールフォームからメールでご意見をくださってもかまいませんので、よろしくです。

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