東京坂道さんぽ

2008年11月

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やっと見に行くことができましたよ。
えっ、それはなにかって?


とある街の風景(明日の神話)1

これですよ。
岡本太郎の「明日の神話」という巨大壁画が、JR渋谷駅と京王井の頭線渋谷駅をむすぶ連絡通路の途中に、こんな感じで、屋外看板のように公開されていましたよ。
しかもこの絵、11月17日に公開されたばかりだそうです。
たまたま近くを通る機会があったので撮ってみました。

とりあえず、その他の詳しいことなんかは、“渋谷経済新聞”や“岡本太郎『明日の神話』を渋谷へ、運動。 ”とかオフィシャルページなどで書かれていて、壁画をじっくり画像で見れたりもするようなので、よかったらどうぞ。
(まあどうでもいいことなのですが、これらのサイト情報は、自分自身のメモがわりとしてもリンクしているんですけどね。実は。。)


とある街の風景(明日の神話)2

ということで、最後は、井の頭線のほうからパチリと。
現地ではそれほどでもなかったのですが、こうやって写真であらためて見ると、なにやらここを歩く大勢の人たちのあらゆる心模様をひとつの絵として描き出したかのような妄想にとらわれてしまうほど、案外、この場所になじんでいるのかなと思ってしまいましたよ。
まあ、あくまで個人的な意見ですし、数年後にまた移転する可能性もなきにしもあらずということらしいですけどね。。


住所
渋谷区道玄坂1

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今回は、前回とりあげた目切坂(NO.154)の中で書いてしまいたかった話でも。
というのも、目切坂(NO.154)のある道を歩いたことがある方なら、逆に、あれなんで書かなかったの?というような内容だったりするものなもんで。。



元富士跡1

ということで、見てのとおり、こんなものが目切坂(NO.154)の坂上あたりにあったんですよ。
まあ簡単にいえば、富士山のミニチュアが、かつてこの案内板のうしろのマンションが見えているあたりにあったそうです。

また近くには、「目黒元富士跡」と書かれたすこし古めの案内板もあり、その内容をそのままのせてみるとですね、
『目黒元富士跡 上目黒1−8
 江戸時代に、富士山を対象とした民間信仰が広まり、人々が集まって講をつくった。それを富士講という。
 富士講の人々は富士山に登るほかに、身近なところに小型の富士を気づき、これに登って山頂の石祠を拝んだ。
 このマンションの敷地にあった富士は文化9年(1812)上目黒の富士講の人々が築いたもので、高さは12mもあったという。文政2年(1819)中目黒2丁目に新しく富士が築かれ、それを新富士と呼ぶようになってから、ここの富士は元富士といわれるようになった。
 元富士は明治11年(1878)に取りこわされ、石祠の講の碑は昭和18年(1943)上目黒氷川神社に移された。
 昭和58年3月 東京都目黒区教育委員会』
なんてことが書いてありましたよ。

なので、もうここには、かつて12mもあった元富士のことをしめすものはなにも残っていないということになりますかね。
これらの案内板以外は。。



元富士跡2

せっかくなので、かつて元富士があったであろう場所をパチリと。
現在は、この大きなマンションがあるのみでした。
ちなみにも、ちょこっとネットで調べてみると、ここは「目黒元不二」として、広重も「名所江戸百景」で描いていた名所だったんですね。
(いちおうウィキペディア以外にも、江戸東京博物館のサイト内でも見れるページもありましたのでこちらもリンクしておきますね→目黒元不二


住所
目黒区上目黒1−8

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所在地:目黒区上目黒1と青葉台1の間(地図で見るとほんとうに間をぬっていますよ。)


めきり坂と呼ぶそうで、別名で、〆切(しめきり)坂、くらやみ坂ともいうそうです。
場所は、このブログでもたまに取り上げているヒルサイドテラスのすぐ近くでもあり、旧山手通りと東横線が交差しているあたりのすぐ近くにある代官山交番のあたりから南にのびている道をつらつらと歩くと、目切坂の坂上あたりにやってくるという感じです。


目切坂(NO.154)1
坂上より

まずは坂上あたりからみたものです。
今回は旧山手通りからこの道にやってきたのですが、あまりの雰囲気のちがいにちょっとびっくりしたくらいでしたよ。
また、この坂上あたりで、渋谷区と目黒区にわかれているようで、それも名前の由来に関係しているみたいです。


目切坂(NO.154)2
東京富士見坂

すぐそばには、こんなものがありましたよ。
ということは、ここも富士見坂とよんでいいんですかね。


目切坂(NO.154)3
坂の途中より

そしてすこし坂道を下り、坂上のほうを眺めたものです。
ちょうど緑も生い茂っている季節だったこともあって、両サイドの大きな木のおかげで、いい感じの薄暗さとなんともいえない心地よさがただよっていたかもです。


目切坂(NO.154)4
崖下あたり

あっ、そうそう、2枚目の写真の左側に見えていた立派な石垣の奥のほうをのぞくと、以前に取り上げた旧朝倉家住宅が見えていました(そうなんです、じつはこの坂道に隣接して旧朝倉家住宅の敷地があるのですよ)。
なので、旧朝倉家住宅から見えていた庭の奥(崖下)あたりにこの坂道があるということになりますかね。


目切坂(NO.154)5
坂の途中より2

さらに坂道を下るとこんな感じ。


目切坂(NO.154)6
坂の途中より3

それはさておき、くねくねした道をさらにたんたんと歩いていると、やっと坂下あたりが見えてきました。


目切坂(NO.154)7
坂下より

そんなこんなでやっと坂下までやってきましたよ。
とりあえず、ここからはもう坂上のほうは見えるべくもなかったです。
ただ、あえてここの景色をぼんやり眺めていると、道の両サイドにある一方通行の標識が、なにかやたらと気になってしまいしたよ。
ということは・・・。(あとは想像してみてくださいね。)

ちなみに、ここには写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり
『江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の上目黒村の項には「メキリ坂」という坂名がみえ、渋谷との境にあり石臼の目を切る職人が住んでいたため目切坂となったと記されています。由来については諸説ありますが、1800年代前半には「めきり坂」と呼ばれていたようです。』
とありました。



地図
目黒区上目黒1と青葉台1の間

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今回は坂道散歩をしている時にみつけた無名の坂道のことなど。



とある街の風景(線路をわたる坂道)1

ここは以前にとりあげた代官山坂(NO.152)の坂下と衆楽坂(NO.153)の坂上とをつないでいる道だったのですが、なんだかやけに気になり、パチリと坂上あたりから一枚撮ってみました。。
ちなみに線路のむこうに見えているのが、代官山坂(NO.152)です。



とある街の風景(線路をわたる坂道)2

すこし坂道を下り、坂上のほうをみるとこんな感じでした。
なんだか無理やり崖地をけずってつくられた雰囲気がただよいつつも以前からこの場所はあるような雰囲気もありつつという、なんだか不思議な空気感を感じるさかみちだなあと。



とある街の風景(線路をわたる坂道)3

最後はおまけです。
踏み切りをわたる時に見えていたのですが、ちょうど僕が行ったときはこんな感じでものすごい工事をしていましたよ。
まあ都内ではよくある風景なのですけど(汗)。

ということで、今日はこんな感じです。

住所
渋谷区代官山町(あたり・・・)


追記
タイトル見てあれ?と思ったかたもいたかもしれませんが、前回の「とある街の風景」のエントリーでちょうど180回目になったいうことで、ひとまずナンバリングを(ためしに)はずしてみることにしてみましたよ。
なんかあまりに数が大きくなりすぎたので、自分の中でうんざりしてきた感があったもので。。

あとは、今まで坂道話のほうで名前のある坂道ならなんでもOKみたいな感じで話題にしていたことが多くなってきたので、次回からは坂の碑がなかったり、名称の出所(自分で見た本だったり地図に書かれているものなど)がわからない坂道で気になるものは(なるべく・・)、「とある街の風景」のエントリでさらりとふれる程度にしようかなと思っていますので、あしからず。

今日はひと休みがてらなのですが、今週は、海外でのオバマ氏の当選にはじまり、いろいろなニュースがありましたねえ。
今、ふりかえってみると。


都庁の空

なんといっていいやらわかりませんけど、今日の筑紫哲也さんの訃報といい、数日前の小室哲哉さんの逮捕など、オバマ氏のめでたい話に負けないくらいの気になることが、津波のようにやってきたという具合で、僕にとっては、特に10代・20代のころからテレビなどでよく見ていた方の寂しいニュースが、次々にやってきたこともあり、本当にビックリという感じだったかもです。
(ちょっと月並みな言い方ですいません。)

ちなみに、写真は、こんな時にはうえをむいてあるこうというわけではなく・・・、ただ偶然にこのまえ都庁周辺をぶらりとした時に、撮ったものです。

でも、今の気分は、なんとなくうえをむいてあるこうなのかな。。

ということで、今日はさらりと、こんなところです。

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今回は、何度も通っている場所にもかかわらず、いまごろやっと気がついた場所のことでも。



とある街の風景180(都庁のあいだ)1

どこですか?という感じですが、ここは都庁の真下あたりの場所ということになり、地図でみると、正面の道路はふれあい通りとなっていました。
ただ、ここは人工地盤のようになっていて、写真はその下のほうにあたる場所です。
そのわりには、道幅も広いし、街灯の数もやたらと多いような気がしますけど・・・。



とある街の風景180(都庁のあいだ)2

まあそれはさておき、1枚目の写真をもうすこし左側に行くと、ちょうど上のほうにワイヤーらしきものが蜘蛛の巣のようにはられた橋のようなものが見えるところにやってきました。
なんだかトンネルのように暗いところから、一転して、空の見える場所が現れてきたという感じでした。



とある街の風景180(都庁のあいだ)3

そして上を見上げると、都庁の本庁舎ビルが見えていましたよ。
なので、ここは第一本庁舎と第二本庁舎のちょうどあいだの場所ということになり、地図でも、なんの意味だかわかりませんが、丸い円が書かれているあたりということになりますかね。



とある街の風景180(都庁のあいだ)4

最後は、人工地盤の上のほうにきてみて、ぱちりと。
ここはちょうど一枚目の写真の真上あたりということになり、まあ、なんていうか、ワイヤ蜘蛛の巣の橋といい、このオブジェといい、どれくらいの人がみてきたのだろうと心配になるくらい周辺に比べて人通りが少ない場所で、こんな豪華なつくりというのが気になるところではありましたかな。


住所
新宿区西新宿2

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