東京坂道さんぽ

2009年06月

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今回もひさしぶりの場所をぶらりと。
といっても新宿ですけどね。。


新宿だけど渋谷区からの夜景1


なんとなく光を取り込みすぎて変なオーラをだしているようにも見える正面のビルは、新宿バルト9などのシネコンもあるマルイのビルです。

このビルの中(映画や買い物で)に入った人は多いかもしれないですけど、意外と外からこうやって眺める機会ってあまりないような気がしますけど、どうなんでしょうかね。

あと、光の洪水みたいに見えているのが、おそらく明治通りです。

ただマルイのビルを見ていると僕としてはどうしてもバルト9の映画館のほうばかり気になってしまい、かつ、その映画館で最近なかなか楽しみな映画(といってもシリーズものが多いですけど・・・)が目白押しということもあり、やっぱり映画館でもちゃんと見る機会もつくりたいなあという気分になってしまいましたよ。
(しかも、この一週間くらい家のメインのデスクトップパソコンに不具合が生じてうまく動かなくなり、復旧作業に追われっぱなしなんですよ(泣)。。だからDVDも見たくても見れず、だから気分もすぐれず・・・(笑)。そんな具合なので、今はサブのノートでこのブログを書いてますよ。サブといっても、ここ最近は移動時用PCでもありつつ、昔はメインのPCだったんですけどね。。)

とまあ、話が脱線してしまいましたが、この時期は雨も多く湿っぽくて、街を普通に歩いているだけでも、じっとりと汗が吹き出てきて、なんだか気分も湿りがちになる季節ではありますけど、ここから東新宿の夜景を眺めながら夜風に吹かれているとなんとも、ちょうどよいというかなんというか、まあ悪くない感じでしたよ。

あっ、そうそう、ちなみにここの詳しい場所は、以前このブログでも登場した新宿高島屋の屋上というかレストランフロアにある展望スペースといってもいい場所です(正式名は”ホワイトガーデン”とよぶそうで、屋上庭園にもなっているようでしたよ)。


新宿だけど渋谷区からの夜景2



住所
渋谷区千駄ヶ谷5−24

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すこしまえにたまたま池尻大橋駅近くをぶらりとした時のことでも。


目黒川緑道1

ここはタイトルにもあるとおり目黒川緑道なる遊歩道で、正面に見えているのが首都高渋谷線の高架です。
また名前のとおり、この道はかつての目黒川にふたをして(そのはずですです)、写真のように遊歩道にしたもののようですよ。
(この目黒川の暗渠について、以前のエントリーでもちょこっとふれていたりしますよ。)

いちおう、遊歩道の左側にせせらぎが見えていますけど、いくつかのサイトをみたところによると、ここの水は下水処理水だそうで、このせせらぎに限らず、(ウィキペディアによれば)“目黒川を流れる水の大部分は新宿区の東京都下水道局落合水再生センターで下水を高度処理したものを導いている。”のだそうです。
(なんだか区の運営施設で書いてそうなことばかりで、あれですが。。)

なので、ついでに、落合水再生センターでちょこっと検索してみると、その区の施設のサイトもやっぱりあったりして、そこには“水の流れがほとんどなく、河川環境が悪化していた渋谷川・古川、目黒川、呑川の三河川へ落合水再生センターで高度処理した再生水を送水しています。”だそうです。

ふむふむ。
そうでしたか。(笑)

まあ、そんな具合で、川をそのまま昔のように残すのもたいへんな世の中なのだなあと思いつつも、ふたたび写真をじっとみてみると・・。

ということは、ここは、暗渠の上にせせらぎが流れていることになるんですかね。
そいで、もし暗渠の下にも目黒川が今もきちんと流れているとしたら(もしかしたらからっぽかもしれないですけど・・・)、このあたりはなかなかおもしろい構造をした川ということになりますかね。

地上と地下で川が流れているという。。(笑)


目黒川緑道2

あとこれはおまけがてらで、一枚目の写真とちょうど反対の方向を見たものです。

このあたりはちょうど世田谷区と目黒区の区境にあたる場所のようですね。
なので、この写真は世田谷区側を見たものということになりますよ。


住所
世田谷区池尻3と目黒区大橋1あたり



所在地:千代田区外神田2


みょうじんおとこ坂と呼ぶそうで、別名、明神石坂とも言うそうです。
場所は神田明神のすぐ東隣にあり、神田明神の境内から東へと下る階段坂道です。



明神男坂(NO.164)1
坂上より

見てのとおり坂上からの風景です。
言葉で説明するまでもなく、かなりの急坂で、階段という選択以外にはありえないくらい坂上と坂下での高低差(例のごとくまわりのビルと見比べてみてください・・)があり、まさに崖につくられた階段という感じでした。

ちなみに、ここには写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり、
『この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。「神田文化史」には「天保の初年当時神田の町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。』
とありました。

ただ、ここからの景色は、この坂道の名前や歴史的なイメージ、かつてここからの景色が絶景だったというからすると、なんともあまりありがたみがないというか、電線やら形も色もばらならなビルが建ち並んでいるのが見えているだけで(ひさしぶりに建築的視点で・・・(笑))、遠くをみてもビルばっかりで(おそらくあの秋葉原の)、う〜ん(汗)という感じだったかもです。

いちおう、この神田明神あたりから海の見える方向が絶景だったことをしめすものとして、広重さんの描いた名所江戸百景の「神田明神曙之景」(ウィキペディアのページへ→go)でこのあたりの景色が取り上げられているみたいでしたよ。



明神男坂(NO.164)2
坂の途中より

次は、すこし階段を下り、坂上のほうを眺めたものです。
なんというか正面の赤と白の壁がなんとなくこの場の印象を神聖なものにしているようにもみえますけど、それ以外はふつうの階段といった感じですかね。

あとちょっと一味違う視点でみると、階段の一段の高さ(蹴上げ)をだいたい20cmとして計算してみると、すでのこの段階で18段くらいありそうなので、坂上とは3.6mくらいの高低差があることになりますかね。。(ようは建物約一階分ですよ。)



明神男坂(NO.164)3
坂下より

そして、あっというまに坂下まで下りてしまい、坂上を見たものです。

男坂という名前からして、なんとなく坂道の坂下にある鳥居をくぐって神社の境内に入るというイメージが僕の中にはあったのですが、どうもここはそのようなものではないみたいで、しかも、ちょっと今回は行った時期があまりよくなくて、坂道の両サイドで建物が工事中だったため、すこし違和感のある風景になってしまっていたかもです。



地図
千代田区外神田2

とりあえず、今日のところは散歩話もひとやすみにして、お知らせがてら。

まず、みてのとおりブログのデザインをかなりひさしぶりに変えてみましたよ。
おそらくここまで見た目を変えたのは2年ぶりくらいかもしれないです。
なんというか、中身をいじくりまわしすぎて、自分でもわけわからなくなってきたことと、ブログまわりにもすこしずつかもしれないですけど、あたらしい技術みたいなものもふえているのかもなあと思い、最近公開されたっぽいあたらしいテンプレートをいじくってリニューアルしようと思い立ち、ほんとうは6月の最初あたりに公開しようと思っていたんですけど、気がつけばずるずると今日まできてしまったという感じです。
といっても、これでおわりというわけでなく気がついたら、機会をみてちょくちょくデザインなりをいじくっていこうとは思ってますし、なんかいいブログパーツなりでもあれば追加していこうかな(これは興味本位で坂道話とは関係ないですけどね・・・)と考えてますよ。

あっ、そうそう、そういう意味では、はてなブックマークなんかもいまさらといわれればそれまでですけど(汗)、つけてみましたので、この記事みたよ〜とかあれば、はてブにブックマークなんかしてもらえれば、おそらくこちらでも気がつくとおもいますし(たぶん)、これまではいちいちブログにそれらの記事やブログをリンクしていくとわけがわからなくなりそうだったのでやっていなかった(中断していたともいえますかね)のですが、当ブログのほうでも、気がつけば、はてブのほうにメモがわりにブックマークしていこうかなと思っていますので、よかったらどうぞ。
(でもそれほど頻繁にはやらないつもりですし、いつまでやるかも未定です・・・。)

あと、肝心の散歩のほうは、そろそろ梅雨の時期に入りそうであれだなあという感じではありますが、ぼちぼちと雨の景色なんかも眺めながら、都内を中心にぶらぶらとしていこうとは思っていつつ、最近はなんというかただ写真をとりつつ散歩してブログ書くというだけでは終わらない、なんか(それが観察記なのか紀行エッセイみたいなものなのか、はたまた写真記録日記みたいな既製のものになるかはわからないですし、このブログのツール的な感じを生かしたなにかがあるかもしれないですしね)を考えていきたいなあと思いつつも、それじゃあ、それはなんだろう?と思うと、気がおもくなりますし、なんか違う方向に話がいきそうなので、とりあえず、今はたんたんと、街を坂道を散歩して、気になったことを撮り書いていくという感じで、のんびりと続けながら考えていけたらなあと、思う今日このごろです。

ということで、気がつけばもう今年の半分あたりまできてしまいましたが、これからも気楽にお付き合いください。

(追記:このブログを無料で使う場合、必ず表示させなければいけない記事の最後に表示される広告スペースなのですが、いままでのグーグル広告を選択すると、一部のページでどうもへんなところに広告が表示されたりと意味不明の不具合がでるみたいなので、現在は、もうひとつのマイクロアドなるものを選択しています。でもこれちょっとグーグル広告に比べるといろいろと納得のいかない広告やら画像が表示される場合も多く、(せっかく広告だされている方にはもうしわけないですけど)やっぱりう〜んと嘆くことが多いのですよ。。ちなみにこのサイドバーの下のほうにあるグーグル広告については、自主的にとりつけているものです。ということで、あしからず。)

所在地:文京区湯島1


みょうじん坂と呼ぶそうで、別名、湯島坂、本郷坂とも言うそうです。
場所は、神田明神と湯島聖堂の間を通り、坂の中腹あたりで昌平坂(NO.162)の坂上と合流しつつ、東へと下っていく坂道です。


明神坂(NO.163)1
坂上あたりより

坂上からの風景です。
道幅もひろくかなりゆったりとした感じに見えますが、実際はけっこうな勾配具合の坂道でした。



明神坂(NO.163)2
神田明神

1枚目の写真を見て、あれ?と思ったかたもいたかもしれませんけど、あれはわざとあの位置から撮ってみたんですよ。。
はじめに“神田明神と湯島聖堂の間を通り”なんてことを書いているとおり、1枚目の写真の立ち位置のすぐ左側を見ると、見てのとおり神田明神と参道が見えていました。
まあ、なんていうのか、いまでこそ、この神田明神の歴史の深みのようなものを知りつつあるので(かも?)、“おお”と思ったりもしますけど、以前(かなり前です、このブログを書くかはるか前、学生時代に近くの母校のメイン校舎に用事で訪れたついでに、ぶらりとこのあたりも散歩したことがあったんですけど、当時は、ぱっと見た時“おっ、奥になんかあるなあ、中華街でもあるのかな・・・”なんてことを恐れ多くも想像してしまったことを思い出してしまいましたよ。(汗)



明神坂(NO.163)3

今度はその道路向かいに、湯島聖堂(の裏側)が見えていましたよ。
こうみると意外と大きい建物だったんですね。



明神坂(NO.163)4
坂の途中より

また坂道のほうに話をもどしまして、これは坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
道幅がひろくて左側の湯島聖堂の塀が立派なため、あまり目だっていませんけど、まるで、ジオラマ模型かなにかに飾られているつくりものの木のように、均等に規則ただしく植えられている街路樹も意外と気になったというかいい味だしているなあと。
しかも、電柱もないので、樹ものびのびしているような。。


明神坂(NO.163)5
坂下より

そいで、最後は坂下からの風景です。
ここから見ると坂上からみたときより、さらにゆるやかな勾配具合の坂道に見えてしまっているような気がしますけど、気のせいですよね。。
おそらく建物の3、4層分くらいの高低差はあるはずなんですけどよ・・・。(かなり適当でもうしわけないです。)

ちなみに、この明神坂、今回は人も少なくてゆっくりと歩けましたが、これが神田祭がある時などはすごい人手(身動きできない状態)になるんですよ。
(その祭りの日の様子なんかも神田明神のサイト見えるみたいなので、よかったらどうぞ。→神田明神 )

あっ、あとこの坂道にはいつもの坂の碑などはありませんでしたよ。


地図
文京区湯島1


おまけ


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所在地:文京区湯島1あたり


しょうへい坂と呼ぶそうです。
場所は相生坂(NO.161)の坂下あたりから北へと上っていく坂道で、地図で確認すると坂下から坂の半分くらいまでは千代田区外神田2で、そこから坂上までは文京区湯島1という具合になっているようです。



昌平坂(NO.162)1
坂下より

坂下からの風景です。
見てのとおりここからも坂上の様子がうかがえるほど短い坂道でした。
ただ、なんとなくゆるやかに見える坂道ですが、右側の建物の位置を坂上と坂下で見比べて見ると建物一層分くらいの高低差はありそうなので、おそらく2mから3mくらい(かなりおおざっぱですけど・・)あるんじゃないですかね。
こうやって写真でみると、やっぱり左側の樹々が印象的なのですが、実際歩いている時は、そこまで上空を見上げて歩かないからかもしれませんが、それほど気になる感じではなかったかもです。



昌平坂(NO.162)2
坂上より

そして、あっというまに坂上まできてしまいました。
なんかここから風景をじっくりとみていると、けっこういろんなものが見えていますね。
あえてあげてみると、正面のとてつもなく大きな塀のようにそびえたっている工事中のビルやら坂下には電柱があるのに、坂上には電柱がないとか(これはあとで地図で確認したところ、坂上の文京区の部分には電柱がないみたいですね)、右側の塀がやたらとレトロというか風情があるというのかわかりませんが、そんなものが見えていたりと、なかなかおもしろい景色だったかなあと。。

ちなみに、ここの昌平坂については、相生坂(NO.161)のほうでも若干ふれていたりしますが、さらに、写真でもちらりと見えているとおり、坂の案内板があり、

湯島聖堂と東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂をひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。
 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次のような和歌に詠んだ。

   萬代の秋もかぎらじ諸ともに
      まうでヽ祈る道ぞかしこき

とありました。
(しかも案内板には、昌平坂の所在地は湯島1丁目1と4の間であると書かれていましたよ。。でも坂下の千代田区内にあるであろう部分に昌平坂と彫られた石の小さな標識らしきものもあったんですよね・・・。うーん。まあ余計なおせっかいですけどね。(笑))



昌平坂(NO.162)3


昌平坂(NO.162)4

最後は、おまけがてら。
2枚目の写真の右側に見えていた立派な塀の石垣のすきまからたくましくというべきかなんというかわかりませんが、ぺんぺん草(おそらく)なんかも含めた名無し草が数種ほど生えていてなんだか気になりぱちぱちと。。



地図
文京区湯島1あたり

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