東京坂道さんぽ

2010年06月

ブログネタ
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今回は、前回のSAMURAI BLUE PARKにてなにげに坂本龍馬さんが登場したこともあり、龍馬さんつながりの散歩話でも。



勝海舟邸跡1

坂本龍馬さんといえば、勝海舟ということで、最近、みちくさ学会の写真撮りなどのために赤坂あたりをぶらりとした時に、ちょっと思いついてきてみました。
ちなみに写真は、本氷川坂 (NO.130)の坂下あたりから坂上のほうを眺めたものです。
この坂道についてのことは過去記事を参考にしてもらうとして、今回は、過去記事の最後のほうでもちょこっとふれている勝海舟邸跡地がちょうど左側に見えていて、写真でいうと、白いタイル張りのマンションが建っている場所がかつて勝海舟邸があった場所とのことみたいですよ。



勝海舟邸跡2

それで、そのマンションの道路に面したわかりやすい場所に写真のような木碑があり、その下には「勝海舟邸跡の記」と称して、アルミかステンレスらしき板に説明文が長々と書いてありました。

ということで、その説明文には、

 港区赤坂六丁目一〇番三十九号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(一八五九)から明治元年(一八六八)まで住んだ旧跡である。
 海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当初居住中の十年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。
 海舟は号で、名は義邦。通称麟太郎、安房守であったから安房と称し、後に安芳と改めた。夫人は民子。
 海舟は文政六年(一八二三)、本所亀沢町の旗本屋敷=現墨田区両国四丁目の両国公園の地=で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸=のちの福吉町、現赤坂二丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂議員宿舎などの地=に通って蘭学を学び、その縁から新婚二十三歳で赤坂田町中通り=現赤坂三丁目十三番二号のみすじ通り=の借家で所帯を持った。
 三十六歳からは赤坂本氷川坂下=もとひかわざかした、のちの氷川町=のこの地に住んだ。
 明治元年四十五歳で、引退の徳川慶喜に従って、ここから静岡市に移ったが、明治五年(一八七二)再び上京し、満七十六歳で亡くなるまで赤坂区氷川町四番地=現赤坂六丁目六番十四号=に住み、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら氷川清話などを遺した。この時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成五年(一九九三)春まで区立氷川小学校敷地として使われた。
 当初に住み始めた翌年の安政七年(一八六〇)、幕府海軍の軍艦頭取=咸臨丸艦長として上司の軍艦奉行木村摂津守、その従僕福沢諭吉らを乗せ、正使の外国奉行新見豊前守を乗せた米艦ポーハタン号に先行して渡航、日本の艦船として初めて太平洋横断・往復に成功した。
 文久二年(一八六二)十一月、海舟を刺殺しようとして訪れた旧土佐藩士坂本龍馬らに、世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。
 明治元年三月には、幕府陸軍総裁として、官軍の江戸城総攻撃を前に征討総督府参謀西郷隆盛と談判を重ね、無欠開城を決めて江戸の町を戦火から救った。
 第一回会談は高輪の薩摩藩邸=品川駅前の、のちの高輪南町、現港区高輪三丁目のホテルパシフィックの地=で行われた。第二回については芝田町薩摩藩邸=のち三田四国町、現港区芝五丁目芝税務署辺りの地=または、三田海岸の薩摩藩蔵屋敷(くらやしき=倉庫)の表側にある民家=現港区芝五丁目の三菱自動車ビル周辺=まで行われたとの両説がある。いずれも当所居住中のことである。
 明治維新では、明治元年五月、海舟の留守中に一部の官軍兵士がここの勝邸に乱入したが、海舟の妹で佐久間象山未亡人の瑞恵(旧名・順)が家人を励まして一歩も引かずに応対し、危急を救った。
 海舟は終生赤坂の地を愛したが、郊外の風光にも惹かれ、初めは葛飾区東四ツ木一丁目に、次いで洗足池畔に面して造られ、自ら建てた西郷隆盛を偲ぶ碑と共に大田区文化財に指定されている。

 平成七年十一月吉日 』
と書いてありましたよ。(汗)

さすがに文が長すぎて、現地で読むにはかなり苦しい感じではありましたけど、最近話題の「龍馬伝」なんかのストーリーを思い起こしながら、どのあたりが該当するのかなあ、なんて思いだしながら読んでいくとなかなか興味深い説明文かもですね。

ということで、もしかしたら、かつてここにあった勝海舟邸から、勝海舟さんと坂本龍馬さんが肩をならべながら(一人かもしれないですけど、そこはどうでもいいです(笑))、坂上にある氷川神社に、この本氷川坂 (NO.130)をとおって日本の未来なんかについて考えながら、お参りにいったのかもしれないなあなんて思いながら、同じコースを歩いていると、これまた感慨ひとしおというか、坂道をみる感覚みたいなものがまた違った感じで見えてきたかも、なんて思った今回の散歩でした。


住所
港区赤坂6

たまたま渋谷に用事があったので、そのついでに代々木公園もぶらりとしていたら、公園に隣接している場所にて「SAMURAI BLUE PARK」なるフットサルコート+パブリックビューイングにもなっている場所ができていて、なんと無料で入場できたので、これまた気がつけばこのブログをはじめてから二回目のワールドカップということで、せっかくなので。。



SAMURAI BLUE PARK1

入口のテントをぬけると、フットサルコートの向こうに大きなスクリーンとともに坂本龍馬さんの巨大な像が見えていましたよ。
龍馬さんの像はなんだかちょっと怖い感じに見えなくもないですけど(笑)、近くにNHKもあることだし、なんかうまいこと場所のイメージも使ってやっているなあと意味もなく思ってみたり。。
その横には代々木体育館なんかもみえていて、個人的に、ほおーと思いつつ、そういえば、この体育館を設計デザインした建築家もサッカーでいえば、W杯優勝に値するといってもいい世界的な建築の賞をとった人だったなあと、おそらくこのまわりでそんなことに気がついている人はだれもいないだろうなあ、なんて思いつつ(笑)、再度眺めなおしてみたり。。



SAMURAI BLUE PARK2

そして、テント内は熱気むんむんといった感じでした。
まあ、それもそのはずでこの数時間後に、日本対オランダ戦があったんですよ。
この時点では、オランダも倒すぞーという雰囲気みたいなものも会場内になんとなくあったこともあってか、ここにいたであろう多くの20代(おそらく)の若者たちの目もきらきらしていて、おおー、なんだかいい感じだなあ、なんて根拠もなく思ってみたり。。(笑)

ちなみに、このSAMURAI BLUE PARKで検索してみると、いろんなイベントがここで行われたみたいで、今後もいくつかイベントがあるみたいですね。



SAMURAI BLUE PARK3

ということで、このテント内でふらふらしていたら、特製巾着袋をいただきました。
まあふらふら散歩もわるくないかもですね。

とりあえずこれを家の壁にでもはって、今度のデンマーク戦の勝利を願って応援してみますかね。


住所
渋谷区神南2

最近は、個人的な出来事はこのブログであまり書いてなかったので、なんとなく殺風景というかたんたんとしていた感もあるような気がしていたので、たまにはいいかなと思い、とあるイベントのことを(日があくのもなんですので)、ちょこっと日記がてら。

S氏の祝い1

最近、大学時代の友人がめでたく結婚しました。
それで、先週のとある日、恵比寿駅そばの新富士坂(NO.180)近くにある会場で結婚記念パーティーが開かれたので、まずはそのついでに、夜の坂道風景をぱちりと・・・。(笑)

ちょっと感度良すぎて明るくうつってますけど、すでにまわりは暗くなっていましたよ。
しかも、夜のほうが坂上のほうまで街灯のおかげでよく見えていますかね。
そして、信号下にある「道しるべ」なる古くからある道しるべも、まわりに幽霊なんかがうつることなく(笑)、けっこうしっかり見えていたりしましたよ。



S氏の祝い2

ということで、とりあえず坂道のことはおいておいて。(汗)
まずは、会の様子なぞ。
会場はしゃれてましたけど、けっこうフランクな感じでした。

せっかくなので友人についてひとこと加えておくと、彼とは大学時代は同じゼミで、さらに卒業後の数年間ほど(彼の誘いで)、経費節約も兼ねてルームシェアをしていたこともあります。
なんというか、苦楽をともにしたゼミ仲間でもあり、それと同時に僕に兄弟がいないせいか、すこしばかり弟扱い気分で彼にずうずうしく接してしまうせいか、ちょっとけむたがられる時もありますけど(笑)、まあそんなゆるい関係の友人です。

そんな彼が結婚するという話を聞いて、やあやあ、おめでとう!と大学仲間たちと年明けくらいに飲んだ時に、奥さんになる人のことを聞いてこれまたびっくり。
なんと彼が教えている建築系の専門学校での元生徒さんというではありませんか。
さらにくわしくきくと学校で学ぶまえは、なんと最近勢いのある某有名女性歌手グループの初期のころの作詞を担当するなどして活動していたとのこと。
これには、ちょっとびっくりで、作詞という仕事については、僕の祖父が詩人としても活動していたこともあって個人的に以前からすこしばかし興味があったこともあり、興味津々で「なんでそんな人が建築学ぼうなんておもったんだろうね」なんて友人に聞いてみたんですけど、友人は「わからない」の一言・・・。(笑)
ただ、今後彼女は作詞家活動も続けながら、すでに独立して個人で建築設計の活動をしている友人の手伝いもするということみたいですよ。
(パーティーでもこれらのことにはふれていたので、書いても大丈夫だと思いますし、いちおう、このブログに二人の写真をのせつつなんか書きますと了解とってますので、あしからず。)

ということで、せきかわ君(友人の名前です)のすぐれた設計能力に彼女のたぐいまれな想像力が加わってできた建築をいつかみてみたいなあなんて思いつつ、せきかわ君は彼女のパワーに負けないようにがんばってくださいな。


ちなみに、パーティー自体は、同期のみんなとも話をしながら、やはりというべきか、みなさん油がのりだしてきている時期ということもあってかキレキレモードのなか、ぼくだけ迷羊というかかなりののんびりモード気分だったのでちょっとあせりましたけど(笑)、それはそれとして、集まり自体はすごく楽しめましたし、元気もらいましたよ。
そして、僕自身、いろんな意味で人生における忘れ物をしないようにしなきゃいけないなあとふと思った楽しいひとときでした。


最後に、超微力で恐縮ですけど、おふたりの応援がてら。。
★せきかわ君の事務所HP(なんか建築相談でもあれば。)
こちら
★彼女が作詞した曲がいくつか入っているアルバム(CD)
→詳しく知りたい方は個別で連絡お願いします。(笑)



S氏の祝い3

おめでとうございます!


追伸:せきかわ君の要望で今後の二人の活動状況の変化やら反響に対応するため、記事の内容をすこしぼかす意味で修正しましたので、よろしくなりです。

今日はお知らせです。

「みちくさ学会」というlivedoorが運営する“みちくさ”の楽しみ方を提案するブログメディアなる路上観察系(と僕が思っている)のサイトが、6月7日にたちあがったんですけど、そこで、担当のライブドアの大谷さんから記事をかきませんか?というお話をサイト立ち上げ前にいただいたこともあり、こちらにて坂道記事を執筆することになりました。

このブログとの並走(といってもこの東京坂道さんぽのほうはプライベート更新ですのでどうにでもなりますけど)となるので、僕自身、今後どんな展開になっていくか愉しみな面はありますけど、やっぱりいろいろ考えなきゃいけないことはありそうです。
ちなみに、写真も原稿とあわせて僕が撮ったものです。

とりあえず第一回目の原稿がすでにみちくさ学会のほうで掲載されてますので、ライブドアのトップページからでもたどれるみたいですけど、いちおうこちらにもリンクはっておきますのでよろしくなりです。

みちくさ学会

ということで、僕以外にも興味深い執筆者の方々がいろんな視点で記事を書いていておもしろそうな感じになりそうですので、よかったらどうぞ。

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所在地:文京区湯島3


てんじんおんな坂とよぶそうです。場所は、女坂という名前がついているとおり、湯島天神に出入するための坂道で、天神石坂(NO.186)の坂上から北に下っている坂道です。



天神女坂(NO.187)1
坂上より

坂上からの景色です。
なんとなく女坂というとスロープ坂のイメージがありますけど、ここでは見てのとおりの階段坂でした。
この右側に男坂があり、左側は湯島天神の境内ということになります。
高低差具合や道幅のちょうどよさに加え、灯篭やら梅園なんかも一望できてなかなかハイレベルな坂道かもですよ。(笑)



天神女坂(NO.187)2
坂の途中より

すこし坂を下り、坂上のほうを眺めたものです。
手入れされた階段坂道とその右側に見えている石垣、そしてその上に建つ授与所(境内案内図によればです)の建築などがうまくまざりあって、かなりいい感じに見えていましたよ。



天神女坂(NO.187)3
坂下より

そして、一気に坂下まできてみました。
いやいあなかなかのものですね。
左側の梅園に加えて、右側の立派な石垣もいいですけど、さらにその上からも、なにやら生き物のように梅の木がせりだしているのも、なんだかおもしろいですかね。
そういえば、一番手前にすこしだけ見えてますけど、占い師さんがでんと座っていましたよ(いちおう、不思議そうな目で僕を見られていたので「坂道の写真撮ってます」なんて一言を占い師さんにつげながら、なるべく占い師は写らないように今回は写真撮りました)。なにやら机にはられた張り紙にテレビなんかでも取り上げられたとかなんとか書かれていたので、有名なかたかどうかはともかく、この場所でずっと占いをやっているかたなのかもしれないなあと。



天神女坂(NO.187)4

最後は坂下あたりより、梅園を眺めてみました。
ちなみに、この女坂には男坂のような案内看板はなかったのですけど、写真にもうつっている梅園はけっこう有名らしく、江戸東京坂道事典の一文を抜粋すると、『境内の梅樹は湯島の白梅といわれ、いまも樹木の数は多く、泉鏡花の原作を劇化した新派の「婦系図」の濡れ場の舞台として知られる。その舞台は湯島天神の白梅をバックにお蔦と主税がベンチに並んで悲しい恋の涙を流すくだりで、これが映画化されると、「湯島の白梅」なる歌謡曲が流行したりした。元来、小説「婦系図」には湯島天神は出てこないのだが、鏡花の好みで芝居ではこれを登場させたものである。鏡花は一八歳で文学の夢を抱いて故郷の金沢から上京したが、尊敬する尾崎紅葉の門を訪れる勇気がなく、故郷の家での下宿人だった医学生の福山という男を唯一のたよりに、その転居にしたがってあちらこちらと移り住んだ時期、しばらく湯島天神下に暮らしたことがあった。』
と書かれてありましたよ。



天神女坂(NO.187)5
湯島天神本殿


地図
文京区湯島3

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