東京坂道さんぽ

2010年10月

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前回の名もなき坂道の坂下の道をてくてくと北へ歩いて行くとちょうど道沿いにあったのでちょっと立ち寄ってみることにしてみました。



森鴎外旧居跡1

見てのとおり、文豪森鴎外がかつて住んでいたという場所のようで、さすがに道路からこれだけ目立つ看板とホテル名があればやっぱり僕みたいなものはふらりと入ってしまいますよ。(笑)
でも外観はふつうのビル風情のホテルという感じでした。



森鴎外旧居跡2

あと一枚目でも見えていた「森鴎外居住の跡」なる看板下に案内板と石碑があったので、これまたパチリと一枚。

例のごとくせっかくなので看板に書いてあることを抜粋してみますとですね、
『森鴎外は文久二年(一八六二)正月十九日、石見国津和野藩典医森静雄の長男として生まれた。本名を林太郎という。
明治二十二年(一八八九)三月九日、海軍中称赤松則良の長女登志子と結婚し、その夏に根岸からこの地(下谷区上野花園町十一番地)に移り住んだ。この家は、現在でもホテルの中庭に残されている。
同年八月に「国民之友」夏期附録として、「於母影」を発表。十月二十五日に文学評論「しがらみ草子」を創刊し、翌二十三年一月には処女作「舞姫」を「国民之友」に発表するなど、当地で初期の文学活動を行った。 一方、陸軍軍医学校教官としても活躍した。
しかし、家庭的には恵まれず、長男於菟が生まれた二十三年に登志子と離婚し、翌十月、本郷区駒込千駄木五十七番地に転居していった。 』
だそうです。
なんだか国語の教科書に書かれていそうな内容ですね。。
気になる方は検索でもかけてみて、さらなるディープな世界をお楽しみください。(笑)



森鴎外旧居跡3

そんなこんなでビルというかホテル内にはいり、すこしうろついた後にやっとそれらしき入口を見つけることができました。
この奥はホテルの中庭になっているみたいです。



森鴎外旧居跡4

そして奥にはホテルの外観からは想像もしていなかった日本家屋がそのままぽつねんと建っていました。
なのでここに森鴎外が住んでいたということみたいですね。
ふつう、こんな立派な日本家屋(しかもここは森鴎外の旧居!)なんてのは、高い塀に囲まれていてなかなかおいそれとは見れない場合が多いのですが、ここはホテル内にはいる勇気さえあれば誰でも見ることができるという気楽さがなんともすごいかもです。

ただここを訪れた時はなかで宴会かなにかが開かれていたので、家の中までは見学できなかったです。



森鴎外旧居跡5

今の精度の高い透明な窓ガラスに慣れている目としては、なんだかガラスのむこうに見えている室内の風景がなにか別の次元の世界のようにぼんやりと見えていたのがなんとも不思議な感じだったかも。


というわけで、森鴎外とこの家のことなどを調べだすときりがなさそうですので(しつこいですけど気になるかたは自分で検索するなり文献検索するなりしてディープな世界をお楽しみください・・・)、これ以上深入りしないようにして(汗)、今回はさらりとこんな感じです。

住所
台東区池之端3

今回も名もなき坂シリーズです。

前回の上野東照宮の男坂かも?で歩いた階段坂道の坂下のすぐ東側にゆるやかでくねりとした勾配緩めの坂道があったので、これはもしかして上野東照宮の女坂かも?ということで、ふらりと歩いてみました。



上野東照宮の女坂?1
坂下より

坂下からの風景です。
「とある街の風景(上野東照宮の男坂?)」の坂上のほうで登場した伊豆栄梅川亭へ車で行き来できる道でもあるみたいで、写真のようななかなかしぶい看板が設置してありました。
坂道自体は緩やかな勾配で樹々にかこまれている感じがなんだか東京離れしているというか、どこかのリゾート地にありそうな、とにかくそんな気分にさせてくれる感じでした。
でもよく写真みると一方通行なんですね。。
ということは出口専門?
じゃあ入口はどこなんですかね・・・?



上野東照宮の女坂?2
坂の途中より

もうすこし坂を上り、坂下のほうを眺めたものです。
樹々のむこうには不忍池があるはずですが、やっぱりこの時期は樹々が元気なためなにも見えていませんでした。
左側の石垣も北西に顔をむけているためか苔が一杯ついてますね。



上野東照宮の女坂?3
坂の途中より2

そしてそれほど変わらな立ち位置より坂上のほうを見てみました。
道の舗装は継ぎはぎだらけっぽいですけど、まわりを見てみると、左右の石垣のつくりが違っていたり、とにかくでかい樹々が正面にいくつもあり、さらにそれらがよく見えるようにあたかも演出したんじゃないかと思えてしまうほど微妙に道がS字にカーブしていたりと、なかなかぼんやりと風景を眺める分にはなかなかいい感じだったかもです。



上野東照宮の女坂?4

また3枚目の写真にはおさまりきらなかったんですけど、すぐ左側には、例の伊豆栄梅川亭の建物も見えていました。



上野東照宮の女坂?5
坂上あたりより

最後は坂上あたりまでやってきて坂下のほうを眺めたものです。
はじめに言うのを忘れてましたが、写真左側にちらりと建物の一部が見えていたりしますが、こちらは上野精養軒のものです。
なので、ここは伊豆栄梅川亭と上野精養軒にはさまれている坂道ということになりますかね。

ということで今回の坂道を一通り歩いてみましたけど、前回の名無し階段坂の坂下にあったような鳥居は坂上坂下どちらにもなく、そういう意味では、この坂道を上野東照宮の女坂と予想するにはかなり厳しい感じですけど、実際に女坂と名がついている坂道でも鳥居がないところもたしかあったはずなので、結局はなんともいえないのが現状ですかね。


住所
台東区上野公園4

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今回も上野公園内を歩いていた時に見つけた坂道の話です。
でも坂の名はありませんのであしからず。


上野東照宮の男坂?1

今回の坂道は場所的には稲荷坂(NO.193)のさらに北側にあり、モノレールなんかが近くを走っている上野東照宮のちょっと南側にあったりします。
写真はその坂道の坂下からの風景です。
あきらかに立派な石の鳥居があり、石階段のつくりもしっかりしていて、勾配具合といい道幅といいなかなかポテンシャルの高い坂道だったので思わずぱちりと。
おそらくここは不忍池側から上野東照宮へ行くための参道の一部っぽい感じでしたが、鳥居などもふくめてまわりにはなにもそれらしい記載はなかった(見落としていただけかもしれないですけど)です。



上野東照宮の男坂?2

坂というか急勾配の階段を上がっている途中になかなか味のあるつくりの食事処らしきものも見えていました。



上野東照宮の男坂?3

そして坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
なんともかなりの高低差ですね。
いちおう鳥居のむこうのほうには不忍池が見えるはずなのですが、今回は樹々が元気よく視界を遮っていたので見えませんでした。



上野東照宮の男坂?4

どこからが上野東照宮の境内かよくわからなかったのですけど、とりあえず坂上あたりから坂下に背をむけて上野東照宮の本堂に向かう道のほうをみたものがこの写真です。
石灯籠がいっぱい並んでいて、かなりの確率で境内にいるっぽい雰囲気ですかね。
ちなみに、この斜め左方向に上野東照宮の本堂があります。



上野東照宮の男坂?5

またこのすぐ隣には、階段の途中からも見えていた食事処の入口があり、看板には「伊豆栄梅川亭」と書かれていました。
HPをみるとかなり昔からあるお店のようですね。


というわけで、今回はこんな感じで上野公園内にある無名坂をぶらりとしてみました。
なんとなく雰囲気的にも鳥居があって上野東照宮からも近い場所にあるので、個人的にはなにか上野東照宮にまつわる坂名をつけてほしかったなあと思ったりした坂道散歩でした。



住所
台東区上野公園4

上野公園をぶらりとするまえに、みちくさ学会の「寺社と坂道」の記事を書いているときに、赤坂にも時の鐘なるものがあり、それ経由で上野の時の鐘のことも知って、坂道散歩のついでに立ち寄ってみました。



時の鐘1

行く前にネットでだいたいの場所を調べて、やっと見つけたのがこの鐘楼です。
場所は上野公園内にある韻松亭上野精養軒のあいだのちょっとした高台のうえにひっそりとありました。
ふつうに歩いている分にはちょっと気がつかないというか目線に入りにくいひとつ高い場所にあるので、空と樹木のあいだくらいをキョロキョロみながら歩いているとみつかったりするかもです。



時の鐘2

アップで見るとこんな感じ。
なかなか味のある鐘楼です。

ちなみにこのすぐ横に、これまたひっそりと案内板が設置されていました。
せっかくなので、今回もそのまま抜粋してみるとですね、
『 花の雲 鐘は上野か 浅草か

 芭蕉が詠んだ句はここの鐘のことである。
 時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていたが、寛永三年(一六二六)になって、日本橋石町三丁目に移され、江戸市民に時を告げるようになったという。元禄以降、江戸の町の拡大に伴い、上野山内・浅草寺のほか、本所横川・芝切通し・市谷八幡・目白不動・目黒円通寺・四谷天竜寺などにも置かれた。
 初代の鐘は、寛永六年(一六六六)の鋳造。銘に「願主柏木好古」とあったという。その後、天明七年(一七八七)に、谷中感応寺(現、天王寺)で鋳直されたものが、現存の鐘である。正面に「東叡山大銅鐘」、反対側には、「天明七丁未歳八月」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれている。
 現在も鐘楼を守る人によって、朝夕六時と正午の三回、昔ながらの音色を響かせている。
 なお、平成八年六月、環境庁の、残したい「日本の音風景一〇〇選」に選ばれた。 』
とありました。

いろいろとややこしいこともかかれてますが、とりあえず「日本の音風景一〇〇選」のサイトもみてみましたが、やっぱり今でも朝夕6時と正午に撞かれているようですね。

それで、これまた時の鐘の音とはどんなものぜよ?(笑)というわけで、ちょっと気になり動画検索してきたら、やっぱりありました。。(想像だけですましたいかたは見ないほうがいいかもですね。興味あるかたのみどうぞ)
http://www.youtube.com/watch?v=xJJWNtB3F0o

そのほかには「江戸時の鐘−上野」というサイトに上野の時の鐘についてけっこうくわしく書かれていましたので、よかったらどうぞ。


ということで、今回はあまり深入りせず(汗)、さらりとこんな感じです。。


住所
台東区上野公園4

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