東京坂道さんぽ

2010年12月

気がつけば、今日は大晦日ですね。
今年はブラタモリの第2シーズンがはじまり、例にもれず見ていた中で新宿(西新宿ですね)は水の記憶にめぐまれているという話があったことが気になっていたこともあり、今回はひさしぶりにまとまった時間をとってぶらりとしてみました。



水の記憶とともに1

なぜ西新宿には地上レベルに橋がいっぱい架かっているのか。
なぜレンガの壁がいたるところにあるのか。
そういうもろもろのことがブラタモリを見ていてひとつにつながったのはおもしろかったかもです。(番組を見ていないかたにはもうしわけないのですけど。要は、今僕がいるところはかつては貯水場の水の中だったということですね。)
この場所を計画した方々がどこまでここいらの歴史をていねいに洗い出して計画に反映させたかは不明ですけど、そういう土地の記憶みたいなものもこんな高層ビルばかりが建ち並ぶ場所にもちゃんと残していたんですね。
なのでそういう視点(ようは魚になった気分。、僕はどちらかといえば亀的な視点で・・・(笑))でぶらりとしてみると、なるほど〜という場所も多かったですよ。
とりあえず、上の写真でいえば、階段を上り、さらにもうひとつ階段をあがるあたりまである、ちょうどレンガがとぎれているところが今の地上部分で、かつてはそのあたりちかくまで水面があったみたいですね。
そしてこの界隈にやたらめったら橋があるのはかつての貯水池を管理するために使用された地上部分の通路の記憶(のはず)。
とまあそんな感じです。



水の記憶とともに2

そんな中、ちょっとおもしろいものを発見しました。
これは低い場所から高い場所にある橋の部分にいくための階段の途中にあったもので、なんだか気になりぱちりと一枚。
どこだかわかります?
答えは・・・・。



水の記憶とともに3

そしてもう一枚。
ここは都庁からすぐの場所です。
こちらは言っちゃいますけど、手前の花壇に取り付けられているシルバーの手摺がなんだか変な感じですかね。
はっきりいってなんのためにあるのかまったく不明です。(わかるかた、教えてください。。)
もしかして、これをもって力一杯引っ張るとががが〜と花壇が動いたり、なぞの地下室へと行くことのできる入口がでてきたりして・・・。(笑)

ちなみに奥にみえているのが例の橋(バスが上にいますね)で、なんとも頑丈そうで壮大な感じの橋ですけど、こんなのがそのあたりにばんばんと空中を横切っていたりするんですよ。


というわけで、今回は例年とちがいいつもの散歩話でおわりにしてみましたのであしからず。
それではよいお年を〜。


住所
新宿区西新宿2

最近はブログの更新がさらにのんびりモードにはいっているような気もしますが、まあそこは置いておいて、ちょっと前になってしまいましたが、みちくさ学会のほうで坂道記事を追加しましたのでよろしくです。
→ 東京の坂道から富士山を眺めてみる。

今回は自分の中で思い入れもある富士見坂についての記事です。画像もいつもの写真に加えて広重さんの浮世絵やら僕が大学時代に坂道関連の話を題材にした卒業論文で使うために撮ったちょっと昔の富士見坂の写真なんかものせてみましたのでよかったらどうぞ(ただ貧弱な一代昔のデジカメと小さな保存メモリの機能をフル活用してやっと撮った写真なので画質はあまりよくないですけど)。


あと、これは事務局の方からのメールで知ったのですけど、みちくさ学会がライブドアが主催する「日本ブログメディア新人賞」にノミネートされていますよ。
まあ同じ会社内でノミネートしちゃってという意見もあるかもしれませんけど、例えば有名な文学賞なんかは賞を主催する出版社がだした小説を大賞候補にあげたりさらには賞まであげたりもしているわけで、ここまでくると中身の問題になってくると思われるので、それはそれでいいのかもと思っていたりします。
しかも受賞すれば著名人のかたにも執筆依頼なんかできるかも??(笑)
というわけで、そのおしらせ記事を事務局のかたがみちくさ学会で書いているみたいなので、こちらもよかったらどうぞ。
→ 【お知らせ】日本ブログメディア新人賞にノミネート

所在地:台東区上野公園17


しなの坂と呼ばれていたそうで、こちらもすでになくなってしまった坂道です。
場所は屏風坂(NO.197)のすぐ北側というか両大師橋をはさんですぐ隣あたりにあったようです。

いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によれば、
『「新撰東京名所図会」の上野公園之部に「信濃坂 慈眼堂の裏門に在りて下谷坂本へ出る細路なり」とあり、文久の江戸図を見ると、慈眼堂と御霊屋の間から下谷坂本町へ出る坂下門へ続いている。現在の地図でいうと、博物館の東隣にある開山堂(通称両太師)の東北側を上野七丁目へ下る坂だった。』
とあります。

この文章をたよりに地図を見てみると現在の両太師は、学士院の北側にあるのでまあだいたいの場所をメモして行ってみると屏風坂(NO.197)のすぐそばだったというわけですよ。



信濃坂(NO.198)1

まずは両大師橋の上野駅と反対側のほうをメインにぱちりと。
今僕が立っている場所のほうが向こうにみえている上野公園東側のまちの場所よりも高い位置にあるためJRを超えたあたりから人工的にむりやり傾斜をつけて道路が下っているみたいでした。




信濃坂(NO.198)2

そして橋の上から上野公園のほうをみるとわかりやすい高低差のある崖になっていました。
なのでかつての坂道はこの左側から右側へと下る坂道だったのだろうと思いますよ。



信濃坂(NO.198)3

さらに橋をわたり同じく上野公園側のほうを眺めたものです。
奥に見えているのが両太師ですね。
なんとも手前の大規模なJRの線路といい奥に見えているお寺といいなかなかおもしろい風景がひろがっていたかもです。


というわけで、今回はさらりとこんな感じですけど、このあたりのかつてあった坂道と今ある橋とJRと公園の成り立ちの関係はなかなか興味深い関係にあるみたいなので、こんどちかいうちに図書館にでも行って古地図でも見ながらいろいろと検証でもしてみようかなと思いついたので(笑)、またその成果も調べがおわればそのうち(いつになるかは不明ですけど・・・)報告してみようかなと思っていますのでよろしくなりです。


地図
台東区上野公園17

所在地:台東区上野公園7


びょうぶ坂とよぶそうです。
場所は上野駅の北側にあり、かつて上野公園内から東に下っていた坂で現在は残っていません。

ただいつもお世話になっている江戸東京坂道事典には、
『「新撰東京名所図会」公園之部には「屏風坂 慈眼堂の前より下谷へ出るの坂路なり。昔時此所に門を設けたり」としている。現在の地図でいえば学士院の北側を東へ、上野七丁目のほうへ下る坂であったろう』
とあります。

なので、この文をたよりに地図をたどってみると、今も学士院はあるようなので、そのすぐそばの両大師橋なる上野公園から東側の地域へ行くための大きな橋があるのですが、おそらくそのあたりかなと。



屏風坂(NO.197)1

そして、これが両大師橋ですね。
けっこう長くて規模の大きな橋でした。



屏風坂(NO.197)2

それから、橋を渡りながら上野公園やら上野駅が見える場所にてぱちりと。
左奥に見えているのが上野駅で右側には上野公園があります。
おそらくこのあたりに屏風坂があったと思われ、右側から左側に下る坂道だったのではないでしょうかね。

ということで、前にとりあげた桜谷坂(NO.195)もそうでしたが、この上野公園界隈では橋があるところにかつての坂道ありという感じなんですかね。。


地図
台東区上野公園7

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