東京坂道さんぽ

2011年08月

今回は5月以来の新宿散歩です。


新宿樹々景1

ふつうに買い物などで立ち寄る新宿ですけど、視点をいつもと変えてみてみるとやっぱりおもしろいことはいくつかありそうです。

まずは、その中のひとつ。
新宿空景です。
こちらはかなりおひさしぶりの高島屋タイムズスクエアーの最上階あたりからの景色ですが、やっぱりそこは東京。
手前には新宿御苑、遠くには新しく仲間に加わった東京スカイツリーが見えていました。
もうこの時期になるとけっこうな高さまでできているのか、肉眼でもああ、あれか〜という具合になっていて、迷わずぱちりと。


新宿樹々景2

そして手前の新宿御苑の樹々のようすに目をうつしてみました。
なんといってもこの時期は、雨がひっきりなしに降り、太陽も一年で一番長く降り注ぐ時期ということもあり、樹々たちもみるからに元気いっぱいでした。
もうすこししたら、これらの樹々も黄色になったりオレンジ系の色になったりするものもあるのかもしれないですけど、この時期はとにかく同じ緑でも微妙に色の違う樹が重なりあっていて、なんともいえない景色がひろがっていました。
しかも、これらの樹々が人の手によってすべて管理されているのもなんだか驚きかもですね。


新宿樹々景3

最後はやっぱり本来の役割を終えてしまったとはいえ、見ため的にはまだまだいけている(笑)、東京タワーの景色でも。
ちなみに、御苑の向こうに東京体育館と国立競技場、さらにそのむこうにはミッドタウンの高層ビルなんかも見えていましたよ。


というわけで、今回はさらりとこんな感じですが、どうも最近はこのブログ、坂道話ばかりになり(そりゃあそうですけどね)、ブログや投稿記事で坂道記事書こうとすると、どうも気持ち的にお腹いっぱい感がでてきていて(これはいかんなあということで)、やはりこの散歩カテゴリーも気晴らしがてらもうすこし力入れなおしていきますので、あしからず。


住所
渋谷区代々木2

もう気がつけば今週になってしまいましたが、週末の28日(日曜日)に僕も坂道記事を寄稿しているみちくさ学会のイベントがあります。
ただ今回もユースト中継ありそうなのでいろいろ個人的な事情もあり顔出しの発表は控えさせていただきますけど、イベント自体はおもしろそうなので会場には顔だして応援しようと思ってます。
そんなわけでお知らせがてらですが、よろしくなりです。

『みちくさ学会の発表会』 第二回の開催決定!(byみちくさ学会)


あっ、あと上の話とは全然関係ないですけど、今日エントリーを更新しようとかなと管理ページ開いてみたらアクセス数がぼんとあがっていたので、なんでだろ?と思ってリンク先調べてみたら、ヤフーニュースさんの記事にこのブログをリンクしてくださったみたいです。
どうやらテレビ番組「全力坂」の放送が1000回を突破したことのニュースのようですよ。(すごいですね。)
ありがとうございまする〜。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/broad_casting/?1314254642
(もしかしたら日替わりページなのでアドレス変わるかもしれないですけど、とりあえず。)


というわけで、今日は本当にさらりとこれだけです。

所在地:千代田区神田駿河台4あたり


ゆうれい坂よぶそうで、別名で光感寺坂や埃坂ともいうそうです。
場所は前回同様御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあり、坂上のほうが本郷通りに面していて、かつては紅梅坂(NO.207)とひと続きになっていた坂のようですが、現在は本郷通りによって坂道は分断されて名称も違うふたつの坂道があるということになっているようです。


幽霊坂(NO.208)1
写真1

まずは坂上からの眺めです。
地図でみると紅梅坂(NO.207)と直線上につながっている小道もあるのですが、今回の幽霊坂はかくっと90度左に曲がってもういちど90度右にまがるとこの坂上あたりの場所にやってきます。
みたところ結構な高低差ぐあいですが、いちおうちらりとですけど、坂下の様子もうかがえます。
しかも坂上と坂下のほうでビル建設の工事をやっていたので、けっこう殺風景な景色がひろがっていました。


幽霊坂(NO.208)2
写真2

すこし坂を下って坂上のほうを見てみました。
右側はみごとに工事の仮囲いに囲まれていてある意味不思議な景色がひろがっていたかもです。

そして、坂上にちらりと見えてますけど、ここにもいつもの坂の碑があり『この坂を幽霊坂といいます。もとは紅梅坂と続いていましたが、大正一三年(一九二四)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた形となりました。「東京名所図会」には、”紅梅坂は””往時樹木陰鬱にして、昼尚凄寂たりしを以って俗に幽霊坂と唱えたりを、今は改めて紅梅坂と称す。”とかかれています。また古くは光感寺坂とも埃坂などとも呼ばれていたこともあるようですが、一般には幽霊坂の名でとおっています。』
とありました。
別名で光感寺坂ともいうとありますが、これはその名のとおりかつてここに光感寺というお寺があったからだと思いますけど、古地図でみた限りではそのようなお寺はありませんでした。


幽霊坂(NO.208)3
写真3

さらに坂を下り、坂下のほうを眺めたものです。
両サイドで工事していたので、まだビルが道路にせまってなくて幽霊坂と呼ぶ坂にしては明るい感じかもですね。
どちらかといえば光感寺坂というほうがしっくりくる感じでした。
あとは接触を防ぐためだろうとは思いますけど、上空の電線に黄色いカバーが巻きつけられている光景はなんとも不思議な感じでしたよ。


幽霊坂(NO.208)4
写真4

そいでやっと坂下あたりまでやってきました。
両サイドにビルがせまってきてなくていちおうは開けた感じはあるんですけど、この不思議などんより感はなんですかね。
あと遠くにでんと大きく見えている高層ビルは、紅梅坂(NO.207)に隣接している新御茶ノ水ビルです。


幽霊坂(NO.208)5
写真5

最後は、写真4でもちらりと左側の工事中の仮囲いにも見えていますけど、写真4のあたりからさらに坂下のほうへ向かう側に、こんな感じで数個の浮世絵がプリントされていました。
すべてお見せしてもいいんですけど、とりあえずはこの一枚でも。

というわけで、幽霊坂の話はこんな具合なのですけど、実はこのあたりの古地図みていて、どうも最近の坂道の名とは違う坂道名が古地図にいくつか記されいて、あれれと思うこともあったんですけど、とりあえずそれについてはおいおい調べていくとして、今日はこんな感じです。

地図
千代田区神田駿河台4あたり

所在地:千代田区神田駿河台4あたり


いやはやなんとも気が付けばこのブログに限っていえば前回から二ヶ月もたってしまいましたが、やっとメインの坂道の話でも。
そしてやっと新しい場所に移動します。。


こうばい坂と呼ぶそうで、別名で幽霊坂や埃(ごみ)坂ともいうそうです。
場所は御茶ノ水駅から徒歩数分の場所にあるニコライ堂の北隣を東へ下っている坂道です。


紅梅坂(NO.207)1
写真1

写真1は坂上からの風景です。
もうこの位置からも坂下で接している本郷通りがちらりと見えていますけど、かなり緩やかな、はたまた高低差があまり感じられない坂道でした。
もちろん見てのとおり右側にはかのニコライ堂も見えています。
しかもここから見えるまわりのビル(ビルばかりなんですよ!)なんとなく意匠てきにがんばっているようにもみえますけど、やっぱりニコライ堂の存在感にはかないませんかね。

あとは左のレンガっぽい色したビルが知る人ぞしる井上眼科だそうです。
こちらは、神保町へ行こうというサイトに「またニコライ堂近くの井上眼科で出会った女性に、漱石が恋をしたというエピソードは有名。ちなみに井上眼科は、場所を何回か変えたものの、今でもニコライ堂の隣に健在。」とありました。
まあいちおう雑学程度に。


紅梅坂(NO.207)2
写真2

そいで、写真2はもうすこし坂を下り、さらに坂下のほうを眺めたものです。
正面を横切っている道路が本郷通りで、この道を写真でいうと左のほうにてくてくとちょっとばかし(1、2分)歩くと御茶ノ水駅という立地の場所ですよ。

また手前の標識にじゃまされてちらりとしか見えてないですけど、ここにもいつもの坂の碑があり、
『この坂を紅梅坂といいます。このあたりは紅梅町とよんでいたのでこの坂名がつきました。淡路町に下る幽霊坂とつながっていましたが、大正一三年(一九二四)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた形になりました。「東京名所図会」には、”東紅梅町の中間より淡路町二丁目に下る坂あり。もと埃坂と唱えしに、維新以後、淡路町の幽霊坂と併せて紅梅坂と改称せり”とかかれています。』
とありました。
また今度とりあげるんですけど、この坂下には幽霊坂という坂があって、以前はひとつの坂だったようですね。
ただ古地図でみてみるとそれらしき道はないみたいなので江戸時代以降にできた坂道っぽいんですけどね。


紅梅坂(NO.207)3
写真3

そして、坂下までやってきて坂上のほうを見てみました。
ここからだと坂の碑もしっかりみえてますよね。
しかも右側の奥のビル、新御茶ノ水ビルっていうらしいんですけど、写真であらためてみてみるとでかいですね。。
こんな高層ビル駅前にあったっけ?という感じですよ。
そんなわけでこの坂道、勾配具合やらカーブ具合なんかからいったらあまりレベル高くない坂ですけど、やっぱり隣にニコライ堂があるというのが印象深い坂道なのかもしれないですね。
んでもって、よくよく写真みてみると右側のなんだかよくわからない場所にある樹々にくわえてそのほかにも樹々がみられて都心の駅前そばにもかかわらず緑は以外と多いかもです。


紅梅坂(NO.207)4
写真4

あとは以外と坂の碑の中でも赤塗されていてなんだか立派ないでたちのものだったのでめずらしく坂の碑のおひろめです。。(笑)
紅梅の紅から朱色ぽくしてるんですかね?
よくみると平成22年補修とありました。
なのでかなりきれいだったんですね。


紅梅坂(NO.207)5
写真5

そして最後はやっぱりニコライ堂。
もちろん坂の途中で撮ったものです。
ちなみに、江戸東京坂道事典によると、このニコライ堂が建てられた当初は、ドームの上から外国人が皇居を見下ろすのはけしからんと一部新聞が書き立てるような事件もあったそうですよ。


地図
千代田区神田駿河台4あたり

今回もスピンオフ話です。
あっ、もちろんみちくさ学会で最近書いた南郭坂のことですよ。

南郭坂を歩いたついでにまわりを歩いていると、けっこういろんなスポットに出くわしたりして、これ全部記事にしてるときりがなくて、その中には昔からの名所やら有名スポットももちろんあるわけで、そんなわけで今回はなかでもちょっと気になったことでもさらりと。


南郭坂いろいろ1
広尾小学校

まずは坂近くでこんな建物を発見。
場所で言うと、南郭坂の坂上あたりから南(恵比寿側)にすこし歩いたところにありました。
といってもこちらは小学校だったので外からみただけでしたけど、ちかくというか学校の塀に立派なプレートがとりつけてあり、いろいろと説明があったり、その横には登録有形文化財なるプレートもとりつけられていました。

見た感じでも今のよくある学校の外観にない凹凸やら装飾がほどこされているのがわかりますかね。
プレートによると1932年に竣工、設計者が当時の“東京市土木局建築課”となっていました。
なんというかこれだけまわりの家々が建てこんでいるとあまり目立たない存在なのですけど、かといって広い場所にぽつねんとこの学校があれば、周りの人から「古い」とかなんとかいわれて建て替えなんかされていたかもしれないですね。


南郭坂いろいろ2
写真2

次は、南郭坂の坂上を北(渋谷側)へしばらく歩くと突然姿をあらわしました。
もともとは古地図にも記録があった坂の北側に今もある氷川神社に行こうと思って通った道だったんですけどね。
上の小学校と同じような色の外観で、手前の門には「温故学会」なるプレートも見えていて、ちょっと立ち止まってみてみると、塙保己一資料館という案内板もみつけました。
ということでこちらは“塙保己一資料館”なる建物みたいでした。


南郭坂いろいろ3
写真3

敷地内に入ってみると、こちらの建物にも登録有形文化財なるプレートが張ってあり、ほほーと思いつつ、すぐ隣にあった像をぱちりと。
こちらが塙保己一さんとのこと。
江戸時代の国学者だそうです。
中の資料館には、各地の寺社に保管してあった大昔から江戸時代初期までの史書や文学作品がおさめられた“群書類従”の版木が保管されていました。
しかもかつてここにはあのヘレン・ケラーさんも訪れたことがあるそうですよ。
いちおうWikipediaにも塙保己一さんやら群書類従の説明があったので読みましたけど、なんとこの方が今の原稿用紙の400字詰の基本様式を考えだした人みたいで、別の意味でちょっと驚いてしまいました。

塙保己一さんは、1746年に生まれ1821年に亡くなっていて、南郭坂の服部南郭さんは1683年に生まれて1759年に亡くなっています。
ということは、塙保己一さんが13歳のときに服部南郭さんはこの世からいなくなったということですけど、なんかつながりでもあったんですかね?とりあえず、服部南郭さんの別邸からも場所が近いことですし。

ちなみにこのそばには國學院大學もあって、南郭坂の坂上にも広尾高校やら小学校があるようによく考えれば文教地区なので、このような施設は探せばありそうなんですよね。。
ただ個人的には、資料館で説明していただいたときに聞いた、坂下の渋谷川の氾濫から逃れる意味もふくめてここに資料館(というか群書類従の版木の保管場所)を設置したという話が気になりましたよ。
(このあたりは地形的にみても尾根の部分にあたる場所なので、です。)


南郭坂いろいろ4
写真4

最後はおまけです。
ちょうど南郭坂から塙保己一資料館へ向かう途中の電柱にありました。(笑)
おそらくWi-Fi関連の中継機器だと思われます。
記事書くための取材だったことに加えて、こうして形あるものとして、ロゴやら機器があるのをみるとほほ〜なんだか時代だね〜、ふむふむ・・・、という感じの気分になり、おもわずパチリと一枚。。

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