東京坂道さんぽ

2011年12月

所在地:千代田区神田駿河台1


(気がつけば期間あいちゃいましたので、そろそろということで。)

いけだ坂と呼ぶそうで、別名で唐犬坂とも呼ぶそうです。
場所は雁木坂(NO.212)の坂上とつらなっていて、そこから南西方向に下る坂道です。


池田坂(NO.213)1
写真1

まずは坂上からの景色でも。
普段ならこのあたりはタクシーなどがいつも待機している場所で写真撮る時はあまりうまくないのですが、このときは休日だったこともあり、車もいなくて、学生もほとんど歩いてなくて、なかなか良い感じで坂道を見渡すことができました。
ここからでも坂下の様子が見えているとおり、それほど長い坂でもなく高低差も建物2階分くらいのもののようでした。
また周りの建物も大学関連の施設ばかりということもあり、よくある住宅街やオフィス街にあるようなものとはひと味ちがった雰囲気の風景を体験できたかもです。


池田坂(NO.213)2
写真2

左のほうを振り返ると、ニコライ堂も見えていました。
なので場所関係はこんな感じです。


池田坂(NO.213)3
写真3

そんなわけで、一気に坂下までやってきてしまいました。
とりたててみるべきポイントみたいなものはないですけど、しいていえばここ通るたび、道路がいつも工事中のようなに荒れてるなあというのと、まわりの建物がいい感じの煉瓦色系の建物多いのに、左隣の日大理工学部校舎だけがなんでここだけガラス張りの建物にしちゃんたんだろう?という感じですかね。。

ちなみにここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を池田坂といいます。この辺りに池田姓の旗本が屋敷を拝領したためといいます。「新撰東京名所図会」には「池田坂は、北甲賀町の中央にあり。駿河台より小川町に通ずる坂路なり、其昔坂の際に、池田氏の邸宅ありしより以て名とす、一名唐犬坂といふとぞ。「新編江戸志」には、「池田坂 唐犬坂とありて、池田坂 唐犬坂とありて、むかし池田市之丞殿屋敷に唐犬ありし故、坂名とすと見えたり。」とかかれています。大名・旗本の系譜である「寛政重修諸家譜」によれば、この家は池田政長という人物に始まる九百石の旗本と考えられます。』
といろいろ親切に書かれていました。


地図
千代田区神田駿河台1

なんだかいきなり感ありますけど、このまえなにげに行ってきました。


なんとなく江戸東京博物館1

ひさしぶりの両国訪問だったわけですが、改めて景色をじっくり眺めてみてみると。
駅からこんな風景が見えていました。
なんだかおもちゃのようにも見えなくもない江戸東京博物館とスカイツリーですね。
もうこのあたりからのスカイツリーはほんと大きかったです。
(なるほど、これならこの地域の人がみんなタワー見上げていろいろ取り上げるわけですね。)


なんとなく江戸東京博物館2

当然江戸東京博物館にも行ったわけですが、こちらは記念に建物の地上部分の写真などをぱちりと。
それにしてもかなりのだだっ広さでした。
これつくられた時はなんか意図あったかもしれないですけど、今はあまりうまく活用されてないみたいです。
(もしかしたら夏来れば違うかもしれないですけど)
そして、正面には両国国技館も見えていました。
ということはこの吹き抜け、もしかして駅の東エリアからも国技館が見えるように意図したんですかね?(わかりませんけど。)
でも建築系の専門本なんかを再読してみると、この建物は今ヒルズで開催されているメタボリズム展でも紹介されているメタボリズムの思想を組んだ建築らしいです。
(ただ実際のところはこの建物の設計者の自邸を大きくしてみただけなんて批判もあるみたいですけど、これまた真相はさだかではないです。。)


なんとなく江戸東京博物館3

そんなわけで、建物ネタはこのブログではあまり話を広げたくないので、最後はやっぱり江戸東京博物館の東側を走る清澄通りから2枚目の写真の広場につながる大階段の風景など。
道路と広場とはけっこうな高低差があるみたいでした。
とりあえず広場のだだっ広さはいろいろ考えどころありそうですが、こちらの階段はなかなかおもしろかったです。


ということで、よくよく思い出してみればブログ初登場の江戸東京博物館でしたけど、さっきブラタモリの年内分がおわって来年はじめの放送分が両国ときいてちょっとびっくりしつつ、そんな中、さらりと書いてみた今回のエントリーでした。

住所
墨田区横網1

間違いなのか、本当なのかわからないですけど、西麻布の富士見坂 (NO.7)のすぐ南側にある坂道を「大横丁坂」というかもしれない説があり、ちょっと気になってしまったので立ち寄ってみました。


大横丁坂かも?1
写真1

ちょうど富士見坂 (NO.7)の坂下にあるルーマニア大使館の横から南にぬける道を入ると、この坂の坂下とぶつかり、ここから東に向かって上る坂道となっているようでした。
なので、写真1でいえば、左側がルーマニア大使館の敷地ということになりますかね。

とりあえず道にはりだした樹木に両サイドの立派な擁壁といい、なかなか興味をそそられる坂下の風景だったかもです。


大横丁坂かも?2
写真2
こうしてみると高低差具合もわかりやすいですかね。
そしてひさびさに登場のドーナツリングの舗装道路が、この坂の急勾配具合を示してくれています。
正面にそびえ建っているマンションもなかなかこの界隈らしいおしゃれなつくりっぽいです(ここから見る分にはですけど)。

大横丁坂かも?3
写真3

次は写真2とだいたい同じ場所(写真1のちょうど勾配がゆるく平坦気味に見えていたところ)までやってきて、さらに坂上方向を眺めたものです。
坂下から見ると平坦になっているなあと思ってきてみると、さらに坂は続き、勾配具合もなかなかある感じでした。


大横丁坂かも?4
写真4

そして一気に坂上あたりまでやってきて、坂上あたりの様子など。
手前のなんとも風情のある落ち着いた雰囲気の向こうにヒルズのあのビルが見えていたりして、これまたなんとも不思議な気分になりつつ。


大横丁坂かも?5
写真5

やっと坂上までやってきました。
この右ひとつ隣の道が、富士見坂 (NO.7)ということでもあるので、もしかしたらここからもかつては富士山が見えたかもしれないですね。


住所
港区西麻布3

やっとですが今回は、前にみちくさ学会で書いた「西麻布の各国大使館が密集している富士見坂」の記事でのせきれなかった話でも。


西麻布の富士見坂こぼれ話1
写真1

まずは西麻布の富士見坂の坂下あたりにかつて笄橋という橋があったらしいのですが、写真1は古地図で見た感じのかつて笄川があったであろう道路です。
ブラタモリでいえばシュワーと正面を走っている車にあわせて川の風景CGがでてくる感じだとは思いますけど、ここでは無理です。。
そしてちょうどそれと直角に道が走ってますけど、おそらくこの交差上に橋があったのかもしれないですね。
そして道を左に行くと現在の外苑西通りに、右に行くとちらりと(実は)坂の碑が見えているんですけど、「牛坂」がありこのあたりからぐいぐいと登リ坂となっていたりします。

ちなみに笄川は、上の写真1では南の方向を見ているのですけど、写真とは反対の北側にてくてくすこし歩くと六本木通りとぶつかり、ここの坂は「笄坂」と呼ばれています。

あと、実はこの坂、MINATOあらかるとなる区のサイトによると、別名で「大横丁坂」と呼ばれていたらしいです。
ただ今回は、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」の分類を参考にして、別物の坂ということで扱ってますのであしからず。
(でも古地図にはそれらしき道がないんですよね・・・。(汗))

そんなわけで、残りは軽く富士見坂周辺の散歩写真などどうぞ。


西麻布の富士見坂こぼれ話2

やっぱり今話題のギリシャ大使館は外せません。。
しかも建物自体は前から建っていたマンションの再利用ぽくて、なかなかお金かかってなさそうで良い感じです。(笑)


西麻布の富士見坂こぼれ話3

そしてこちらは坂下のほうにあったルーマニア大使館。
門が半開きですけど・・・・。
いいんですかね。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
港区西麻布3

再びヒルズに話はもどって、ちょっと散歩話題でも。


六本木の住宅カプセル1

いきなりですけど、こんなものがヒルズの六本木通りに面した入口そばに置いてありました。
まあ見てのとおりですけど、森美術館で現在開催されている「メタボリズムの未来都市展」の宣伝用のいまとなってはオブジェといってもいい住居ユニットです。
また知っているかたは知ってると思いますけど、これ、銀座というか新橋というか、今もあるはずの「中銀カプセルタワー」の住宅カプセルと同じものだったりします。
それでも中銀カプセルタワーとは?という方は、このブログ過去エントリーでも見てください。
新橋というか銀座のカプセルマンション
(過去エントリーにもありますけど、以前ここに友人が住んでいたんですよ。)


六本木の住宅カプセル2

いちおう丸窓部分から中をのぞいてみました。
なんだか建物の室内というより船室みたいなつくりですかね。
さすがに中には入れないようでした。


六本木の住宅カプセル3

そいでこちらは上の2枚とは違う日にヒルズを訪れた時のです。
その日は残念ながら雨だったので、あまりうつりよくないですけど、けやき坂通りをあの銀色タワーの展望台より眺めたものです。
ちょうどクリスマスイルミネーションらしきものもはじまっていたのでなかなか良い感じでしたよ。

そして、もちろんその日はこの展望台はおまけだったわけでして、本命は「メタボリズムの未来都市展」ですね。

とりあえずはらりと展覧会を見てみて思ったのは良い意味でも悪い意味でもなんだか、都庁とかどこかの区の施設内の展示室で開催されてそうな感じのものが大きくなった感じなのかもなあと。
(もしかしたら各施設や都市計画プロジェクトの内容については、いちおうこれでも建築学科出身なもので(汗)、過去の授業やら本や建築散歩などを通して見聞きしたことばかりだったのでそう思っただけかもしれないですけどね。)
あとはやっぱり大阪万博関連のコーナーは、気になっていたのでいろいろ興味深くみることはできたかもです。
ただどうしても、僕は大阪万博をタイムリーでは体験してないのでマンガと映画にもなった「20世紀少年」のいろんなシーンが頭をよぎりまくりでしたけどね。
そして、上でもふれた中銀カプセルタワーの紹介もあったカプセルユニットのコーナーも楽しかったです。
でも実は外に置いてあったあの白カプセルが個人的には一番興味深かったのかもなあなんて思ってみてみたり・・・。(あとは各エリアにあった「リキスツール」なる六角系のダンボール椅子、これ家にもなぜかあって小さい頃よくおもちゃを三角形のすきまに詰め込んでいたのでかなりなつかしかったです〜。)

そんなわけで、この住宅カプセルを眺めていると、個人的には、このカプセルには実はタイヤがついてて(これは展覧会での黒川さんのアイディアみての希望ですけど)、キャンピングカーみたいな扱いできて、週末は観光地で暮らし、それ以外のときは都心の駐車場(笑)か、マンガ的な妄想ですけど、このカプセルがビル(中銀カプセルタワーのような感じの)にもがちゃりと合体して、ういーんと機械式の立体駐車場のようにカプセルが縦横無尽に動いて(しかもファサードが次々と変わりつつ。ただいつも動いているのでそこで住むとなればたいへんそうですが。。)眺めのよいマンション暮らしのような暮らしもできるという感じ(笑)のものができたら、これは不動産なのかそれとも車なのかという判断が人によってわかれそうで、そういう意味でもなんか楽しい感じになりそうだなあなんてちょっと妄想してしまった今回のエントリーでした。。


住所
港区六本木6

というわけでやっと本題です。
そして今回も同じく神田明神つながりの話です。


神田明神曙之景と坂道風景1

まずは神田明神男坂の坂上からの眺望など。
とりあえず、この坂のこまかいことについては、過去の記事を見てもらうとして、この景色を見てもわかるとおり、この神田明神は湯島台地の東端にあるので、こんな具合に急勾配な崖に近い高低差のある坂道があるわけですけど、やっぱり遠くを見るとビルばかりです。

でもこの前、神田明神の公式HPを見てたら、実はこの神田明神男坂についての記載があり、『天保年間に神田の町火消4組が石段と石灯籠を奉献した。眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれた。又、当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれる。』
とありました。

それでいちおう神田明神男坂の過去記事を改めてみてみても灯籠らしきものはなかったですが、石段は多少の改良工事はあったとはいえ、写真で見た感じでは、おそらくそれほど変化してないのではないかと考えらます。
そして、もうひとつが江戸時代は眺めがいまよりもよくて観月が行われ、さらには灯台の役目もはたしたとのこと。
まあこれはもちろん坂道の話というより、神田明神のことだとは思いますけど、やっぱりそれほどまでに景色がよかったんですかね。


神田明神曙之景と坂道風景2

そこで、当時の風光明媚具合を知りたかったので、こんなものを見つけてきました。(笑)
広重さんの「神田明神曙之景」なるタイトルの浮世絵です。
こちらは神田明神境内から東の海側方向を描いたものらしいのですけど、こうしてみると当時はほんとうに景色がひらけていたんですね。
しかも早朝の朝焼け具合もすごく良い感じで描かれてます。
これなら、ここが昔、灯台の役目もはたしたということもなんとなくわかるかもですね。

なので、おそらくこのすぐ隣にあったであろう神田明神男坂も似たような景色が坂上ではひろがっていたのかもしれないですね。


神田明神曙之景と坂道風景3

ちなみに、絵の雰囲気から、現代の境内の場所を推測してみるとたぶんこのあたりかなあという場所で、同じく東の海のある方向を眺めながらぱちりと一枚。

そんなわけで、もしかしたら、浮世絵に描かれているようにゆっくりすわって景色を眺められる眺望場所が境内からなくならず昔からずっとここに残っていたなら、現代のここから眺めることができる風景もちょっと違ったものになっていたかもなあなんて妄想もしつつ、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区外神田2

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