東京坂道さんぽ

2012年03月

気がつけばけっこう前になってしまったのですが、たまには気分転換に、横浜にぶらりと行った時のことでもさらりと。


臨港パーク@横浜1

いきなりですけど、こんなところあったんですね。
海近すぎです。。

とりあえず場所ですが、あのケーキというかナイフというかそんな形を連想するホテル(ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル)がバーンと見えてますので、分かる人はわかるかもですね。

さすがにここをぶらりとしていた時はここで津波警報なったらどうしよう?ということをひたすら呟きながら歩いてしまいました。。
(まあその時はあそこのホテルだな・・・とか思いながら。笑)

で、ここは正式には「臨港パーク」というそうで、要はみなとみらい駅から徒歩数分の場所にある海辺の公園のようですね。


臨港パーク@横浜2

ただここ、僕自身はじめて訪れた場所で、立地的にも赤レンガ倉庫界隈からも離れていて買い物がてらぶらりと立ち寄るという感じの場所でもなく、ある程度地図で確認して、ここはなに?という具合にして見つけないとわかりにくい場所かもですよ。


臨港パーク@横浜3

そんでもっていろいろぶらぶらとしてみましたが、さすがに釣りをしている人はいなかったです。(笑)
でも遠くには横浜ベイブリッジ見えてました。
機動警察パトレイバー 2で見事に破壊されてしまうあの橋ですね。(といってもわからない人多いのは承知のうえですけど。。)


臨港パーク@横浜4

そしてカモ?も優雅に泳いでました。。


臨港パーク@横浜5

それはさておき、公園内を歩いているとこんなものを発見。
「フルーツ・ツリー」という見た感じそのままのタイトルで・・・、しかもどうやらこれはアート作品のようで、チェ・ジョンファという方が制作されたもののようです。
「でも大根みえてますけど・・・」なんていうと、「あんた左脳はたらきすぎ!」なんておこられそうでこわいですけどね。。


臨港パーク@横浜6

もういっこはすぐちかくにあった「リマちゃんと握手」なる作品。
意味不明ですが、思わず握手。(笑)
下の土台の部分の埋め込み石の並び具合の素朴さがなんともいい感じ。
個人的には二つの作品の配置の意味が知りたかったですけど、まあそこはあまり立ち入らず今回はさらりとスルー。


臨港パーク@横浜7

そんなこんなでまあ他にもいろいろ楽しそうな場所ありましたけど、結局最後にもいちど水際に行って波の音きいて、駅に戻りました。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
神奈川県横浜市西区みなとみらい1

所在地:千代田区神田駿河台1


きちろう坂と呼ぶそうです。
場所は文坂(NO.215)の坂上のほうでちょうど今回の吉郎坂の坂下が接続しており、さらに吉郎坂を下る方には甲賀坂(NO.214)と接続して、要は地図的にみると、十字架の縦長の部分が文坂(NO.215)で左が吉郎坂、右側が甲賀坂(NO.214)という感じのちょっとした坂ずくしの場所でもあったりします。

ただこの吉郎坂という名は区が認めた正式なものではないらしく、かつては胸突坂(むねつき坂)と呼ばれていた時期もあったそうです。(もしくは別名。)
胸突坂の名前については、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」に記載があり、『「新撰東京名所図会」には「胸突坂 袋町の間を東より西に向ひて上る坂あり胸突坂といふ、胸突坂は急峻なりしより起これるなるべし。新編江戸志にも胸突坂とありて、小川町より駿河台の方へと上る坂なり」とある。』と書かれています。


吉郎坂(NO.216)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの風景です。
手前の通りが文坂(NO.215)で、左にリバティータワー、右が大学会館という場所をさらりとかけあがっていく短い急坂となっていて、ここから見る分には道の両側が明治大学の施設ということもあって、どこか学校の施設内に入っていくような気分になってしまいました。


吉郎坂(NO.216)2
写真2

それで次は、ちょっと坂を上って坂下のほうを見てみました。
ちょっと上っただけで、まわりの建物をみてもらうとわかりやすいかもですが、すでに2階床レベルくらいの高さまで上ってきているようでした。
いちおう正面の通りの向こうにある道が甲賀坂(NO.214)なんですけど、ここから見る分には普通の平坦な道のようしか見えませんかね。。

ちなみに写真ではちょっとわかりにくいですけど、坂下の横断歩道の右側のちょっと手前あたりにこの坂の名が記された石碑が置いてあるんですよ。
ただ、そこには坂の現在の名前(吉郎坂)が記されているのみなのですが、実は明治大学の公式サイト内に、この吉郎坂についての名前の由来の説明が書かれていて、それによるとこの坂は佐々木吉郎という明大の経営学部を創設した先生の名前に由来しているらしく、サイトには『彼は人格的にも「吉ちゃん」と親しまれ、なんと彼の名に因んだ坂もある。駿河台の大学会館とリバティータワーの間、ヒルトップ・ホテルに緩やかに続く坂が「吉郎坂」と命名されている。(確認したい人は、リバティータワーの脇に、「吉郎坂」と書かれた石標を見ることができる。かつて作家の田辺聖子が“とぼとぼと”この坂を歩いていた。)』と書かれていました。

まあなんていうか、なぜこの吉郎先生とこの坂がつながったかは不明で、かなりの強引感はありますけど、とりあえず今回はこれ以上の深追いはしないことにしてみます。


吉郎坂(NO.216)3
写真3

今度は坂上のほうを眺めたものです。
もうこのあたりからも坂上の頂上のほうが見えていました。
あとは狭い道のくせして、左右に歩道があるあたりが、なんだか変な感じというか大学施設にはさまれた、ある意味穏やかな感じのする坂道なのかなあと。


吉郎坂(NO.216)4
写真4

そして、坂上には、写真3からも見えていた山の上ホテルがでんと構えていました。
山の上ホテルについてはかなり有名なので知ってるかたも多いと思いますので、詳しくはウィキペディアの説明でも見てみてください。
ホテルの歴史から建物自体にはじまり作家の定宿としても知られるなど、けっこう見所のあるホテルですので。
山の上ホテル


吉郎坂(NO.216)5
写真5

で、肝心の坂上からの眺めはこんな感じでした。
両サイドにのっぽのビルがあるわりには、なんとなくひらけている感がある景色だったかもです。


216)6
写真6

そんでもって空見上げてみるとまあ、こんな具合でした。
これが出来る前はもっとスカっと空見えてたんでしょうけど、今はなんとなく見下ろされている感がなんともなんともだすなーという感じでした。
そういう意味では、この背後にある山の上ホテルからの坂の眺めも昔はもっと景色がよかったんでしょうかね。


地図
千代田区神田駿河台1

今日であの震災から1年です。
この震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈り致します。

都内では家近くの京王や東急をはじめいくつかの電車で、追憶の気持ちをこめてなのだと思いますけど、今日の14時46分に電車がいっせいに運行を一時停止して黙祷をよびかけるということが行われたようです。
(一種の災害訓練とも言えるのかもしれないですね。)

そんなわけで今回は、14時46分前後にちょうど新宿に立ち寄ったこともあり、そんな3.11の日の街の様子をさらりと。


After-3.11_1

とりあえず都庁周辺に行ってみることにしたわけですが、とりたててなにか行事が行われていたわけではなかったですけど、いちおう都庁内で写真のように震災関連写真のパネル展示やってました。
ただこちらは説明にもあるとおり、都庁内ということもあり、やはり都内における震災当時の記録写真を展示しているみたいでした。
(個々の写真については興味あるかたは現地行ってみてみてください。)

それで、その後、けっこう空いていたのでお決まりの展望台にも登ってみました。。


After-3.11_2

かっこつけていえば、あの地震から1年経った東京の今景色です。
手前のビル街のむこうにスカイツリーもみえていたりします。
いつもの風景が違って見えるのは気のせいですかね。



After-3.11_3

せっかくなので富士山探しもしてみましたが、今日は残念ながら見れずじまい。
でもやはりこの日に富士山(方向)とこの空景を見ていると、これからいつおきてもおかしくない首都直下の地震について考えざるをえませんでした。
「本当にこの景色がそのまま無事でいてくれるのだろうか?」



After-3.11_4

また駅前に戻ると西口地下でもパネル展やっていました。
天井がやたらと低い例の場所ですね。
こちらでは、当時の東京のものから東北地方の被害の大きかった場所の写真が展示されていました。
それとあわせて、なんか気を使ってくれたのかどうかわかりませんが、神戸での地震のときの被害写真に加えて、関東大震災当時の写真まで展示されていました。

それで、このパネル展で遭遇したこともあって関東大震災当時の写真についてちょっと気になったので、家帰ってからネットで検索してみるとけっこうあるものなんですね。
たとえば神田ニコライ堂周辺のものとか→http://mainichi.jp/select/jiken/graph/kantodaisinsai/23.html

ということで、今の気分でしか書けない新宿周辺(だけで恐縮ですが)の2012年3月11日の様子を今日撮ってきたばかりの写真も加えてメモがてら記録してみることにしました。
とりあえず、今日はいろんな思いが交錯する日なのかもしれませんが、見た目的にはイベントとかデモとかそんな騒々しい感じもなくいたって普通な感じの新宿だったかもです。


ちなみに話変りますけど、去年の地震の直後に渋谷にいくつかある坂道周辺を歩いた時の話というかレポート記事をみちくさ学会で書いた記事ありますので、この機会なのであわせてよかったらどうぞ。
→ 坂道から地震後の渋谷を眺めてみる。
あの当時はほんと、東京の夜は暗かったんですよね。

所在地:千代田区神田駿河台1あたり


前回の甲賀坂(NO.214)の坂上と交差している道路で、現在は明大通りとよばれている大通り自体が今回の坂道ということになり、御茶ノ水駅からも徒歩5分くらいの場所にあります。
ちなみにこの坂道には、いつものような坂の碑はなかったのですが石碑があり、そこに「文坂」と刻まれているのみだったため、実際のところここを「ふみ坂」と読むのか「ぶん坂」と読むのかどうかまではわかりませんでした。
しかもこの坂、千代田区のHPの坂紹介ページにもないんですよね。。(まあいちおう坂道本で紹介しているものはいくつかありますけどね。)


文坂(NO.215)1
写真1

で、こちらは文坂の坂下あたりであろう場所から坂上の方を眺めたものです。
わかる方はわかるかもしれないですけど、左右を走っている道路は靖国通りで、この左側エリアが神田古書街ということになります。
坂道自体は、写真ではわかりにくですけど、ゆるやかなんだけど歩いているとそれなりに傾斜具合を感じることができる坂道という感じでした。


文坂(NO.215)2
写真2

すこし坂を上って坂下のほうを見てみるとこんな感じでした。
両側あわせて5車線なのでかなり道幅広いですね。
いちおう古地図見てみましたけど、ここはやはり昔からある道みたいですけど、かつてはここまで幅広な道ではなさそうでしたよ。


文坂(NO.215)3
写真3

そして、もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てみました。
写真ではほんとわかりにくいですけど、いちほう上り坂になってます。
しかも左側にでーんと高層ビルみえてますけど、こちらが明治大学の校舎(リバティータワー)で、建物的にもいろいろ工夫されている有名建築らしいです。
あと、写真左にはなまるうどんの看板みえてますけど、ここから左へと抜ける道路が、実は富士見坂 (NO.5)だったりします。


文坂(NO.215)4
写真4

写真4は撮った時期は違うんですけど、これが通り(というか文坂)からみた富士見坂 (NO.5)です。
ちょうど文坂側が坂上になっています。
ということは・・・。
この文坂(NO.215)も歩いた限りではどう考えても坂の途中から富士山ちら見えしてた可能性高いので、確定ではないですしだれも言ってないことですけど「富士見坂」と別名で呼んでもいいのかもしれないですね。(なので、これも「みちくさ学会」で取り上げようか迷ったんですけどね。ただもしかしたらもうすこし丁寧に調査したらいろいろな史実でてくるかもしれないのでだいぶあとに取り上げる可能性もなくはないですけどね。)


文坂(NO.215)5
写真5

そんでもって、写真5はさらに坂を上り坂下のほうを眺めたものです。
このアングルからだと坂の勾配具合や高低差具合、わかりやすいんじゃないですかね。


文坂(NO.215)6
写真6

ただすこし坂を上ると、もうこのあたりから勾配具合はかなりのゆるゆる度で、よくよく考えれば、右にリバティータワー、左に日本大学法科大学院の建物(こちらも有名建築だったりするのですが)があるので、階段で言えば踊り場のような場所になっているのかもなあと。


文坂(NO.215)7
写真7

最後は写真6からだいたい同じ場所より坂上のほうを見たものです。
見た感じではここからまたすこしだけ上り傾斜になっていますかね。
そして、正面にみえている東京医科歯科大学のビルの手前あたりが神田川ということになります。
それにしてもやっぱり道幅広いですね。
でもまあこれぐらいの道幅だと道のほうに意識いくので坂道散歩の時はおもしろいちゃあおもしろいんですけどね。


地図
千代田区神田駿河台1あたり

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