東京坂道さんぽ

2012年05月

所在地:千代田区三崎町1


おぐり坂とよぶそうです。
場所はJR水道橋駅から徒歩2・3分のところにあり、坂上は皀角坂に面しており、そこから南のほうに下る緩やかな坂道です。


小栗坂(NO.219)1
写真1

ではさっそくですが、写真1は坂上から坂下のほうを眺めたものです。
ゆるやかな勾配すぎて、途中に坂の碑がなければ、ここが坂道だと気が付かないくらいの場所だったかもです。
しかもこんなに広い道路なのに一方通行。
そしてまわりの様式の違うビルのファサードのごちゃごちゃ感を補うようになにげに(というか控えめに)街路樹もあったり。
個人的には、なんていうか空見上げるとちょっと気分がくらくらしてきますが、道だけみてると落ち着いた道路に見えなくもないかなあという印象でした。


小栗坂(NO.219)2
写真2

こちらは写真1の左側にあったビルのファサードのアップ。
今時のビルにしては凝ったつくりかもですね。
でもまあしいていえば、ビルのガラス張りの冷たいイメージに、なにげにこのような装飾、しかもこの地域のビルに多い茶色系の色を混ぜることで、なんとかがんばってこの地域にとけ込んでみようかな(みました)という雰囲気をだそうとしてるのかもなあと、ちょっと思ってみたりしました。


小栗坂(NO.219)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみてみました。
なので正面がJRの線路で、その下の道路が皀角坂ということになります。

あと、ここからもちらりと見えていますが、ここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を小栗坂といいます。『江戸惣鹿子名所大全』には「小栗坂、鷹匠町にあり、水道橋へ上る坂なり、ゆえしらず」とあり、『新撰東京名所図会』には「三崎町一丁目と猿楽町三丁目の間より水道橋の方へ出づる小坂を称す。もと此ところに小栗某の邸ありしに因る」とかかれています。明暦三年(一六五七)頃のものといわれる江戸大絵図には、坂下から路地を入ったところに小栗又兵衛という武家屋敷があります。この小栗家は「寛政重修諸家譜」から、七百三十石取りの知行取りの旗本で、小栗信友という人物から始まる家と考えられます。』
とありました。

ちなみにこの坂、江戸の古地図を見てもちゃんと今と同じ位置に道があり、そこに小栗坂って記載ものっていましたよ。


小栗坂(NO.219)4
写真4

で、歴史的にも古い坂道ということはわかったわけですが、この坂、実はビルとの隙間からこんな風景も楽しむことができました。
場所でいえば、写真3の右側あたりにちらりと見えていて、ちょうど左奥が皀角坂ということで、写真左から右へと上り坂になっていてさらに手前から奥へと崖になっている地形なので、ビルの高さ具合と地形のせめぎあいがなんともおもしろい感じで成立している場所でした。


小栗坂(NO.219)5
写真5

そして、あっというまに坂下までやってきました。
そういえば、この記事書いてる時に古地図の本の解説に『坂下の中坊陽之助邸は松尾芭蕉の旧跡、芭蕉蔵で知られる。』とあったので、どこぞや?と思い、地図やら古地図など見つつ調べてみても、結局近くにはそういう場所はなくどこにあるのかわからずじまいだったのですが、その後(といっても1時間後くらいですが、笑)、ネットで調べたらなんと明治大学のサイトにいきあたり、そこに『明治大学は俳人、松尾芭蕉のゆかりの地です。現在リバティタワーがある場所は江戸時代、4000石の旗本・中坊(なかのぼう)氏の屋敷があり、その中の蔵に芭蕉は仮住まいしました。のちにその蔵は「芭蕉蔵」と呼ばれています。』なんてことが書かれていましたよ。
いちおうその知識を得てから、古地図みてみると、小栗坂のはるか坂下の今の明治のリバティタワーがあるあたりに、たしかに中坊陽之助邸という記載がありましたよ。
へえー、そうだったんですね。(笑)
地味な坂だなあと思ってたら以外な史実にぶつかって、不思議な縁を感じてびっくりという思いですよ。
なのでまたそのうち、その蔵がどうなったかも調べてみますかね。


地図
千代田区三崎町1


※はじめにでてきた小栗坂の坂上と接している皀角坂(さいかち坂)については、みちくさ学会ですでに記事にしていますので、そちらもよかったらどうぞ。
電車がすぐそばを走る場所としてロケでもよく使われる駿河台と水道橋を結ぶ眺望坂

所在地:千代田区猿楽町1


おとこ坂と呼ぶそうです。
場所はJR御茶ノ水駅から水道橋駅方面に歩いて徒歩5分くらいのところにある階段坂です。


男坂(NO.218)1
写真1

ではさっそく写真です。
写真1は見てのとおりですが、坂上からのもの。
かなりの急勾配の階段です。
まわりのビルと見比べてみると、おそらく4階分くらいの高低差はありそうですね。
ちなみに松本さんの階段本によるとここは73段で高低差は13.1mだそうですよ。


男坂(NO.218)2
写真2

いちおう坂上から階段入口あたりをみてみるとこんな感じでした。
ふつうに崖ですね。。
しかもここ、いちおう南西にくだる階段なので、もしかしたら昔は富士山見えたかもですね。
ただ正確に言えば、そういうこと書いている資料もなく、軸はかなりずれていて、写真2でいえば右側のほうにみえるはずなのですが、今はちょうど右側にある明治大学の校舎がもろにじゃましているという形なので、現在ネタとしては確認不可能という感じです。
でもこれだけの高低差があって見晴らしもよさげなので、昔もこの地形のままということなら、やっぱり富士山ちらりと見えてたかもですね。
なのでこれは今後の宿題として保留という形で、富士見坂カテゴリーに追加しておきますよ。(とりあえず、わかりしだいみちくさ学会の記事でも紹介してみるかもですので、あしからず。)


男坂(NO.218)3
写真3

そして、坂を半分くらい下りて、坂上のほうを見てみました。
見上げるだけで首が痛くなってきそうです。
坂道風景的には、やっぱり坂上あたりの樹々が良い感じ。
坂上にあるのでなんかすごく大きく感じてしまいました。

あと、写真でも見えているとおり、ここにも坂の碑があり、
『この坂を男坂といいます。駿河台二丁目一一番地の端から猿楽町へ下る石段の坂「女坂」に対して名付けられたものです。この坂のできたのも比較的新しく、大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。男坂は同一場所、あるいは並行してある坂の急な坂を、女坂はゆるやかな坂というように区別されて名付けられています。』
とありました。

ふつう男坂といえば、お寺の境内にある男女坂を思い出しがちですが、ここでは違うみたいですね。
まわりにお寺もないみたいですし。。


男坂(NO.218)4
写真4

最後は坂下からです。
坂下からみると迫力ありますね。
でもやっぱり両サイドの手摺といい、端正な階段のつくりや勾配具合といい、ほんと坂上にお寺の施設かなにかがありそうな雰囲気満載なのですけど、ないんですよね。

とにかく、名前といいこの雰囲気といい、不思議な感じの坂道だったかもです。


男坂(NO.218)5
写真5

最後といっておきながらのおまけ写真です。
なぜか坂下あたりの上空には歩道橋がありました。。
ここからみるとさらに不思議な風景がひろがっていましたよ。


地図
千代田区猿楽町1

そういえば、前にぶらりとしてきましたよ。
渋谷駅のすぐ目の前にあるあの渋谷ヒカリエにですね。


渋谷ヒカリエと宮益坂1

今回はまずヒカリエ裏手の方からまわってみました。
なにげにここも坂になっていて、右と正面のビルがヒカリエで、詳しい場所的には、この右側のビルの向こうが宮益坂ということになっています。
なのでこの坂道はちょうど宮益坂と並行して走っている道という感じですかね。
そして、ここはヒカリエとあわせて整備されたのかつくりもあたらしくなんだか初々しい感じ。
ただ街路樹はまだ小ぶりで、しかもこんな太陽の光あたらなさそうで根本もびっちりコンクリで固められたところに植えられちゃって本当にちゃんと育つんだろうかという心配なぞしてしまいましたよ。。
でも勾配具合はちゃんと残してくれたのか、そういう意味ではなんか懐かしい匂いもする坂道というかなんというか。。


渋谷ヒカリエと宮益坂2

そんなわけでヒカリエ内部に侵入してみました。
とりあえずエスカを使い上に向かっている途中で、思わずぱちりと。
なんと新旧の銀座線が、こんなアングルから。。
銀座線(地下鉄)を日の当たる場所でしかも上部から見るってなんか変な感じですね。


渋谷ヒカリエと宮益坂3

そしてさらに上層階に行くと、今度は展望台という名はどこにも書いてないけれど、明らかに展望台としての機能をはたしている階(11階だったかな?)にやってきました。
なんだかこうしてみると渋谷ってまだまだ開発中の街なんですね。。
ちなみに下にみえているのは、宮益坂下の交差点あたりと渋谷駅前のバスロータリーの風景ですよ。


渋谷ヒカリエと宮益坂4

それで、同じ位置より遠くのほうを見てみたのがこれです。
気がついた方もいると思いますけど、この向きは宮益坂から昔富士山が見えであろう方向を向いているわけでして、そんなわけで、ここからならタイミングがあえば正面のマークシティーの右側あたりに富士山見えるかもですね。(もしかしたらマークシティーに隠れて見えない可能性もありますが。。)


渋谷ヒカリエと宮益坂5

一応、宮益坂方面も展望できたので見てみたのですがさすがに道沿いの背の高いビルのおかげで坂道はほとんど見えず。。


渋谷ヒカリエと宮益坂6

ちなみに展望スペースはこんな雰囲気でした。
以外と広々としていて天井も高く開放的な場所でしたよ。


渋谷ヒカリエと宮益坂7

そして最後は、やっぱり宮益坂にもどり、坂の途中から富士山方向を見てみました。
まあなんていうかかんていうか。。
なんですかねこの感じ。

というわけで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区渋谷2

所在地:千代田区猿楽町1


(気がつけば久しぶりの御茶ノ水の坂話ですが、とりあえず前の続きということで。。)

きんか坂と呼ぶそうです。
場所は、御茶ノ水の山の上ホテルや明治大学(リバティータワー)の校舎のすぐ西側にあり、南北に続く長い坂道です。


錦華坂(NO.217)1
写真1

で、さっそく写真ですが、こちらは錦華坂の坂上あたりの様子です。
道幅の割に両サイドの建物の背が高いせいか御茶ノ水界隈の道にしてはすこし狭く感じる坂道で、しかも遠くには明治のリバティータワーなぞも見えていて、なんていうかすごくスケール感の違うものが混在していて、うまく言えないですけど変な風景画を見ているような気分になってしまいました。


錦華坂(NO.217)2
写真2

もうすこし坂を下ると坂下のほうまで見わたせる場所があったので、とりあえず坂下のほうを眺めてみました。
あいかわらず道幅は狭いですが、まわりは山の上ホテルをのぞけばすべて大学の施設ということもあり、緑も多めで、ふつうの街なかにみられる坂道風景とはすこしちがったなんか独特な雰囲気が漂っていましたよ。
そしてこのあたりからは、坂下のほうを見てもらえればわかると思いますが長い直線の坂道で高低差もけっこうある感じでした。


錦華坂(NO.217)3
写真3

さらに坂を下り、写真2でも見えていた横断歩道のあるところまできてみました。
坂道はまだまだ続きそうな感じですが、ここではなんといっても、左手にみえている山の上ホテルですかね。
といってもまあ、ここで見えているのはホテルの裏側なんですけどね。
どちらかといえば表の風情のあるものとはすこし趣が変り淡々とした感じだったですかね。


錦華坂(NO.217)4
写真4

あと写真3の左側にはこんな風景が広がっていました。
右側の山の上ホテルの本館をみながらの急勾配の坂道に、坂上の別館というなんともいえない風景。
ただこの坂道には名前はついていないようでした。


錦華坂(NO.217)5
写真5

そして、写真3の位置よりさらにさらに坂を下り、今度は坂上のほうを眺めてみました。
位置的には正面にみえているトラックのむこうあたりが山の上ホテルということになります。

またこのあたりに、いつものように坂の碑があり、『この坂を錦華坂といいます。名称は坂下に錦華小学校があるからです。この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。この坂は大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により新らしく作られた道路です。「議決要綱の三」には"南甲賀町より袋町三番地を横断して裏猿楽町二番地先錦華小公園東側に通ずる六米街路を新設"とあります。』
とありました。

ちなみに、坂の碑には「この坂を勧学坂と呼ぶのは誤りです。」とありますが、これ江戸東京坂道事典によれば、「“異本武江披砂”によれば、江戸時代はこの坂を勧学坂、または勧学坂と名づけている。」と書いてあるんですよ。
本ではそのあとこの勧学坂の名前の由来についてあれこれ推測しているんですが、ここではその話は置いておいてとりあえず江戸時代の古地図を見てみたわけです。
するとどうやら、たしかにこの錦華坂とよばれている道は増設された様子が伺われるわけなんですよ。でも古地図で見比べた感じでは坂上のほう、写真でいえば写真2あたりの道は江戸時代にもあったみたいなので、かつては坂上あたりの場所を勧学坂と呼んでいたのかもしれないですよ。
そしてこの写真5のあたりは、坂の碑にあるとおり大正一三年以降に増設された坂道というのが僕の予測です。

そんなわけなので、個人的にはこの坂道、坂上と坂下で名前変えてほしいなあというのが僕の希望です。(笑)
坂上が勧学坂、坂下が錦華坂という具合にですね。。

あと、地図みると実は錦華坂の名前の由来になった錦華小学校が見当たらないんですけど、実はこの小学校、1993年4月に小川小学校、西神田小学校を併せて統合され、お茶の水小学校となったようで、そのお茶の水小学校は現在、ちょうど明治大学の西隣にあったりします。
またこの錦華小学校知ってる方も多いとは思いますが、あの夏目漱石も学んだ小学校でもあるらしいですよ。


錦華坂(NO.217)6
写真6

そんなわけで、やっと坂下あたりまでやってきて、さらに坂下のほうを見てみました。
写真では左側に明治大学の校舎、右側には錦華公園の樹々がたくさんみえていました。
なので今では錦華坂の名前の由来に関係する地名といえば、この錦華公園ということになるんですかね。。
でもこの錦華公園も実は大名屋敷の庭園であったというなんとも歴史のある公園らしいです。(しかもこの公園、つくり的にも高低差満載の公園なんですよね。。)
なんかいろいろでてきますね。

ということで歴史好きな人はここから漱石さんの話とか色々続けていくんだろうとは思いますが、ここではとりあえずこんな感じです。。


地図
千代田区猿楽町1

今日はさらりとです。

気がつけば先月の話になっていたのですが、花見のシーズンということもありひさびさに代々木公園にいってみました。


代々木公園ライトアップ1

例によっていつものように公園内の噴水が見える場所に行ってみると、なんと写真のようにライトアップされていました。

今までちょくちょくここにはきていたのに(夜も昼も)こんなことまでしていたとは知りませんでしたよ。。(驚)

そんなわけで、とりあえずは一枚目の写真のように赤色にライトアップされた噴水が出迎えてくれました。

写真だけみるとなんかおばけみたいですけど。。

でも現地ではもうすこしまわりも他の街灯とかで明るくて、さらに花見シーズンということもあり人も多くて賑やかな感じでしたよ。


代々木公園ライトアップ2

そしてしばらくすると、今度はブルーに変色。
ちょっと精霊っぽい雰囲気。
しかも妄想に想像をかさねるとなんか人の姿のように見えなくもないし。。


代々木公園ライトアップ3

それはさておき、お次はイエローですね。
照明による黄色は実際の色とひと味ちがっていて、なんていうか、あまりインパクトないかなあという感じでした。
どちらかというと、まわりの樹々と空の暗闇コントラスト具合のほうが気になるかなあと。


代々木公園ライトアップ4

そんでさらに、また色が変わって今度はグリーンになりました。
よくみたらけっこう上のほうとんがりまで緑色になっていましたよ。
現地では気が付かなかったですが。。


代々木公園ライトアップ5

そして、最後はパープル。
色の力なのか、なんだか明るく感じますね。
このあたりは明度とか彩度とかそういう話になっちゃうんですかね。

そんなわけで、こうしてブログでならべてみると、カラフルでなかなかいい感じじゃないですかね。
(そんな気持ちもあってわざわざ記事にしてみました。)

あと写真はこれでおわりなのですが、実はこの色違い、ねらって撮ったわけではないんですよ。。
現地ではただ噴水が大きくなるたびにカメラをむけていただけで、実は写真におさめた噴水のライトアップの色がすべて違っていたことに気がついたのは帰ってから写真整理していた時なんですよ。(おそすぎ・・・。でもこういう偶然があるからブログ書くのは楽しいんですけどね。)

ということで今日はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区代々木神園町2

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