東京坂道さんぽ

2012年06月

ここも同じく池上本門寺の境内にある坂なのですが、今回は無名坂の話です。


五重塔がある本門寺境内の坂1
写真1

で、こちらがその坂道です。
実はこの風景、紅葉坂(NO.226)の坂下から見たものでもあったりします。
要は紅葉坂(NO.226)の坂下から北側をみるとこんな坂道風景に出会えるというわけです。
なので左側が本門寺公園で右側が池上本門寺の大堂があるあたりということになります。
また坂道自体を見てみると、正面にぼんと道から生え出したかのような巨木がなんとも印象的で、両サイドは背の高い擁壁という、ちょっと変わった坂道風景だったかもです。
あと正面左奥のほうに、樹木で隠れてちらりとしか見えてないのですが、五重塔も見えていたりします。


五重塔がある本門寺境内の坂2
写真2

すこし話はそれますが、こちら(写真2)は写真1の坂下の場所よりさらに南側(坂下方向)から坂上のほうをみたものです。
(奥のほうに例の道から生えている木が見えるのでわかるかとは思いますが。)
またこの背後は、まえにもとりあげた無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の坂下あたりがすぐ近くにある場所でもあります。
とにかくこの道、背の高い樹々に囲まれていてすごく気持ちよかったですよ。


五重塔がある本門寺境内の坂3
写真3

そして、写真2のすぐ右側には、朗峰会館なる池上本門寺の施設が見えていました。

ちなみに、手前の木のむこうにテラス席みえてますけど、こんなところにタモリさんの坂道本でも紹介されていたカフェレストランがあったりしたんですよ。


五重塔がある本門寺境内の坂4
写真4

で、朗峰会館なる施設内に入ると、実は室内からこんな感じで紅葉坂(NO.226)や無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の話でもでてきた松涛園が見えていたというわけです。


五重塔がある本門寺境内の坂5
写真5

そいでもって、話は坂道にもどりまして、今度は一気に坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
坂下でみたときほどはインパクトないかもですが、高低差具合はわかりやすいかもですね。


五重塔がある本門寺境内の坂6
写真6

そして、最後は肝心の五重塔です。
これ以上引いて撮ろうとするとちょうど木がじゃまして全景が撮れないということになってしまったので、とりあえずこの位置からパチリと一枚。
写真5の右側に見えていました。

またこの五重塔、公式HPによると平成13年に全面修復されたばかりだそうでなんだかすごく新しい感じですが、実は関東に現存する4基の幕末以前につくられた五重塔のうち最も古い塔だそうですよ。(驚)


住所
大田区池上1

所在地:大田区池上1-1


もみじ坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺の境内にあり、本殿と大堂の間を西に下る坂道です。

(ということでやっと池上本門寺の境内にやってきましたよ。)

紅葉坂(NO.226)1
写真1

で、まずは坂下から坂上のほうを眺めたものです。
両サイドの大きな樹々がトンネルのように坂を覆っていてなんとも歩いていて気持よかったです。
ただ坂道自体の距離は短く、すでにここからも坂上の頂上あたりが見えていたりします。
あと、帰ってから知ったことなのでこまかい場所までは未確認なのですが、このすぐ近くにあの力道山のお墓もあるそうです。


紅葉坂(NO.226)2
写真2

次はすこし坂をのぼり坂下あたりを見てみました。
このあたりまでは勾配もかなりゆるやかで、高低差具合はわかりにくいですかね。

ちなみに奥のほうが前にもちらりとでてきた本門寺公園ということになり、この坂下の道を左へすこし歩くと前にでてきた無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の坂下あたりにぶつかるんですよ。

そして、ここにもいつものように坂の碑はあったのですが、ほぼ同じ内容で坂の碑の説明よりすこし詳しい内容の説明ページが大田区の公式HPにあったので、そちらを抜粋するとですね、
『池上本門寺の大堂の背後の坂が紅葉坂です。『新編武蔵風土記稿』(注釈1)には、「紅葉坂、方丈の左の坂なり。裏門へ通ふ坂なり。」と記されています。坂付近には紅葉の木が多かったらしく、そのためこの坂名がつけられたものでしょう。ここでいう裏門は、紅葉坂を下った朗峰会館入口付近にあったようです。坂下で交差する道を北へ行くと、西側に松濤園という庭園があります。江戸初期につくられた名園です。慶応四年(1868年)、西郷隆盛と勝海舟がこのあずまやで江戸城明渡しの会見をしたとされていますが、事実ははっきりしません。現在、園内にその記念碑があり、都の旧跡に指定されています。
(注釈1)新編武蔵風土記稿江戸後期の文政9年(1826年)に江戸幕府が編さんした地誌 』
とありました。

松濤園という庭園は無名坂(松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂)の記事でもちらりと触れましたが、写真2でいえば、正面の看板にも案内があるとおり、左にすこし歩くと朗峰会館というお寺の施設があり、その北側(坂からみれば奥)に松涛園があるというわけですよ。
そして、史実のとおり、明治維新の際に、西郷隆盛を参謀とする西軍の本陣がこの地におかれ、その時に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明渡しの会談を行ったというあずまやが松涛園内にあるらしいというわけですね。


紅葉坂(NO.226)3
写真3

で、話は坂道にもどりまして、今度は坂上のほうを見てみました。
なんか渡り廊下が門みたくなっていてかっこいいですね。
しかもこのあたりから坂自体も勾配が急になり高低差けっこうある感じですし。


紅葉坂(NO.226)4
写真4

それでちょっと坂をあがったあたりで左をみると、境内にある五重塔もちらりと駐車場のむこうに見えていました。
そう、この池上本門寺の境内には五重塔があるんですよ。


紅葉坂(NO.226)5
写真5

そんでもって、写真3の右側みるとこんなものが見えてました。
土台あたりが木にとりつけられているようで、これはツリーハウス?それともツリー倉庫?という感じの工作物(建築物?)があったので思わずパチリと一枚。(笑)
ただこのときはこれきりこのまま素通りしてしまったので、またそのうち詳しく調べてみますかね。


紅葉坂(NO.226)6
写真6

そして一気に坂上あたりまでやってきました。
坂中腹の渡り廊下のおかげでなんか不思議な感じの風景になっていますかね。
あとよくみると坂道の道幅けっこうひろいですね。


紅葉坂(NO.226)7
写真7

写真6の右側には、大堂(の裏側)がいい具合に見えていました。
まさに本門寺の境内にやってきたという感じですかね。


紅葉坂(NO.226)8
写真8

反対側を見るとこんな様子でした。
こちらもなんともいい感じですね。
なんか違ったお寺があるみたいですが、こちらのほうに本堂があるようですよ。

というわけで、ひとまず紅葉坂はこれでおわりです。
ただこの坂、名前のとおりお寺の境内によくある男坂でも女坂でもないんですよね。
しかもまだまだ境内には坂道いっぱいありますし。
いやはやなんともおもしろい場所ですね。


地図
大田区池上1-1

最近、「標高がわかるWeb地図」という名前そのままの国土地理院のサイトがあることを知ったのですが、いざ使ってみると詳細な場所までは拡大できないことに気がつき、使いにくいなーなんて思ってたら、なんと「mapion」でも標高調べることできたんですよ・・・。


標高地図

やり方はふつうに地図上で調べたい場所に移動して、右クリックするだけ・・・。
いくつかの情報とあわせて「この地点の標高:海抜10m」というふうに表示されます。

ああ、なんということでしょう〜。(驚)


そんなわけで、いくつかの場所を調べてみたのですが、けっこうおもしろいですね。

江戸時代には江戸随一の山といわれた港区にある愛宕山の標高は海抜25mとのこと。(ウィキペディアでも、標高25.7mとかかれてるので、これはだいたい正しいかもですね。)
で、次はなんとなく新宿都庁そばの新宿中央公園でぽちりとしてみたら、なんと海抜36m!
ふつうに標高高いんですね。新宿って。
そして、最近知った都内でもおそらく一番の高さともうわさのある学習院大学の南にある戸山公園内の箱根山。
こちらはぽちりとすると海抜38mでした。
ただここ、ウィキペディアによると、「山頂にある水準点の標高は44.6mである。」と書いてあるんですよね・・・。

ちなみに、お台場のフジテレビあたりは海抜6m、ぐっと西に移動して、JR吉祥寺駅の北口ロータリーのあたりをポチリとしたら海抜55m!
もうよくわからんですよ。

で、気をとりなおして、坂道の高低差も調べてみました。
いちおう松本さんの階段本(東京の階段)に、御茶ノ水の男坂(NO.218)の高低差のデータがあったのでそれをみてみると、高低差13.1mと記載されています。
そしてmapionで坂上をぽちりとしてみると、海抜20m。
次に坂下あたりをぽちりとしてみると海抜9m。
高低差は11mになりますかね。
なので、誤差はおよそ2m!
けっこうありますね。。

いやはや。(汗)

ということで、興味あるかたはどうぞ試してみてくださいな。

またまた渋い無名の坂道みつけてしまいました。
場所的には貴船坂(NO.225)から道ひとつ西にあり、池上本門寺の境内と隣接した場所にある坂道です。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂1
写真1

こちらがその坂道。
坂上あたりから坂下のほうを眺めたものです。
左に良い感じにカーブしながら下っていて、右側が池上本門寺の境内ということで、立派な石垣がちょうど歩くたびに視界に飛び込んできて、その上空には境内の立派な樹々も見えていました。
また坂下の左側にもこんもりと樹々に覆われた山のようなものが見えてますが、あちらは地図でみると境内の東にある本門寺公園ということみたいです。
とにかく道の緑の率が多いというかなんというか、そういう具合の坂道風景でした。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂2
写真2

すこし坂を下り、坂下のほうを見てみるとこんな感じでした。
坂下のさらなるカーブ具合と高低差具合のバランスが、これまた良い感じで、歩いている時はなにかの映画のワンシーンのようなとある妄想が頭をよぎるしまつで、そういう意味でもなかなか楽しめる場所だったかもです。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂3
写真3

そして、最後は坂下から坂上のほうを眺めてみました。
坂上のほうからみた感じほどにはカーブの曲がり具合やら高低差感みたいなものは伝わらないかもですが、左の擁壁と化した石垣やら大きな樹々なんかがアイストップ的に見えていてなんとも壮大な景色でした。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂4
写真4

あと、写真3の左側は池上本門寺の境内なのですが、写真4は境内に入り、その塀の内側の景色を撮った時のものです。(なので写真4の右側に、今回の坂があるということになります。)
見てのとおりなのですが、立派な庭園でした。
どうりで坂側から中を見た時も境内の樹々がすごかったわけですよね。
ちなみに、ここ、正式には「松涛園」とよばれている庭園で、池上本門寺の公式HPによると、作庭者はなんと、あの小堀遠州だそうですよ。(驚)

いやはや。

ということで、坂道の形状およびそこからみえる景色といろんな妄想ができそうな立地がなんともおもしろい坂として、この坂道も無名坂リストに追加しておきましょうかね。


住所
大田区池上1

さて、前回の貴船坂(NO.225)にて本門寺公園内の話もでたところで、またちょっと寄り道です。


本門寺公園内の階段1
写真1

まずはこちら、本門寺公園内にあった案内板(をちょっと加工したもの)です。
この公園、案内板の地図だけではわかりにくいですが、地図の下にある弁天池から斜め上にむかって上る形で傾斜地になっていて、頂上のほうが池上本門寺の境内というなかなか変わった高低差のある公園になっているようで、それだけでも園内をぶらりとまわる価値がありそうでした。
ただ当日はこの案内板をみて、現在地という文字の下にある「本門寺公園由来(石板)」という表示をみて、なぜかボケをかましてしまい、現地では“本門寺公園由来(石段)”と脳内解釈して、公園由来の石段どこだー階段どこ〜という感じで探しまわってしまったわけですよ。(笑)


本門寺公園内の階段2
写真2

で、数十分まわりを歩いてみましたが、それらしき表示のある石段はなく(今思えば当たり前ですが・・・)、かわりにこの階段がもしかしたらその石段ではないかということに、これまた妄想にちかい予想をたてて写真におさめてみたというわけでなんですよ。

ただそういう前置きがあったとしても、階段だけを冷静に眺めてみると、これはこれでなかなかいい階段坂道なのかなあと。
実は手摺と階段部分の素材は同じっぽいですし、なぜか階段左側はあきらかに人の手によって丁寧に積上げられた感じの石垣(擁壁?)になってますしね。
しかも途中には大きな岩がぼんとあって、それをさけるように石垣つくられてますしね。


本門寺公園内の階段3
写真3

そして、写真2の階段下の左側には、こんな感じでかなりワイルドな石垣(擁壁?)までありました。
もうここまでくると、ここはただの公園ではないかもですね。
なので、いちおうグーグルマップの空撮でこの石垣の上あたりもみてみましたが建物らしきものはなかったです。
でも、おそらくこんな立派な石垣があるということは、昔はこの上あたりにお寺に関係する施設かなにかががあったのかもしれないですね。
(いちおう、写真1の地図にこの階段と石垣の位置を示していますのでよかったらどうぞ。)

ということで、階段風景の写真すくないので、今回もさらりととりあげるのみでしたが、とりあえずこの階段坂道も気になる無名坂として認定しておきますので、またそのうち階段上の謎の場所の再検証とあわせてちゃんと取材するときまで詳細はお待ちください(笑)。



住所
大田区池上1あたり

所在地:大田区中央5

きぶね坂とよぶそうです。
場所は汐見坂(NO.223)の坂上から道沿いに西(坂上方向)へ歩いて5分くらいのところにあり、そこから北西方向に上っている坂道です。


貴船坂(NO.225)1
写真1

では、まずは坂下から見たものなど。
すでに坂上の頂上が見えているとおり、一直線の坂道で、まわりも低層のマンションや住宅ばかりで、勾配具合といい道幅といい、なかなかに気持ちのよさげな坂道でした。
あと手前左側に通学路と書かれた交通看板があったのですが、僕がぶらりとした時は子供も通学で歩く道というわりには、なにげに車の行き来多かったかもです。(たまたまかもしれませんが、汗)
またこのすぐ左側には、池上本門寺の敷地内にある本門寺公園があったりします。

そして、本門寺公園の話がでたついでに、実はこの坂、なにげに本門寺公園との関係も深いらしく、そのこともふくめて大田区の公式HPに坂の説明があったので、そのまま抜粋するとですね、
『池上一丁目6番と中央五丁目7番の間の坂道。坂名は、本門寺公園の中にあった東之院の貴船明神にちなむといわれます。東之院は本門寺の子院の一つで、貴船明神はその鬼門よけとして置かれていましたが、明治初年の神仏分離令により同寺院と分離され、明治45年になって近くの太田神社(中央六丁目3番)に合祀されました。』
とありました。
※貴船明神=神狐の石像でかつては本門寺の鬼門除けとして東之院におかれていたもの。

ちなみに、ここにはいつものように坂の碑があったのですが、実は碑の説明部分がかなり劣化していて読めずじまいだったのですよ。(なので他のサイトさんの抜粋文も確認してみましたが、だいたい上のと同じ内容なので、今回ははぶきますね。)
あと、説明にある太田神社については、過去エントリーの「とある街の風景189(太田神社の階段)」でなにげにとりあげてますので、こちらもよかったらどうぞ。


貴船坂(NO.225)2
写真2

次はすこし坂を上り、坂下のほうをみてみました。
坂下の建物から高さを見比べてみると、ここまででだいたい3階床部分くらいの高低差はありそうな感じですかね。
写真ではえらくゆったりした勾配具合に見えてますが。


貴船坂(NO.225)3
写真3

また右側をみるとこんな具合に隣接する東之院(坂の説明でもでてきてます。)の緑の屋根がひょっこり見えていました。(もしかしたら写真2の右にみえてる緑の屋根のも東之院関連の建物かもしれないですが、こちらは未確認です。)
あとは手前の道路みてもらえれば、この坂の勾配具合もわかりかもですね。


貴船坂(NO.225)4
写真4

さらに坂を上り、同じく坂下のほうを眺めてみました。
景色もひらけていて、ちょうど坂の正面から右側にかけてが池上本門寺の敷地ということもあり、敷地内の樹々がいい感じで見えていましたよ。
しかもいつもはちょっとうっとおしく感じる電線もなんだかすこしだけですがキリリとした感じで風景に溶け込んでるように見えなくもないですかね。。


貴船坂(NO.225)5
写真5

そして、最後は坂上からの坂道風景など。
遠くのほうには高層ビルが見えてますが、地図で確認してみると、ちょうど軸線上に京急蒲田駅があるので、おそらくそのあたりのビルだと思います。
またここから蒲田方面に下る坂道ということは、南東に下る坂ということで、さらにこの地形具合からいえば、やはりこの坂上からもかつては遠くに海が見えたかもしれないですね。
そういう意味ではここもまた別名で潮見坂とつけてもいいのかもなあと思いつつも、まあこのことについてはまたそのうちの宿題ということで。(笑)


地図
大田区中央5

さてさて、ひさびさの建築話といえばそうなのかもしれないですが、6月のはじめに、大学時代の友人の関川くんが独立後に自身で設計した住宅の初の見学会を開くという連絡をいただいたので、めでたくもあり応援気分もあって、気分は、いつもの散歩気分とあわせて、渡辺篤史さんの建物探訪風(そういうテレビ番組がやっているんですよ)というか、そんな気分でオープンハウスに参加してきました。


友人のオープンハウス1
写真1

今回の住宅の場所は、町田市のとある場所にあり、駅前からテクテクと歩いてみたわけですが、やはりこのエリアは多摩丘陵地帯に属する場所なのか、駅から歩いてくるだけでもいくつかの高低差のある場所をとおりぬける感じで(途中、これはブログで紹介してもいいなあと思えるくらいの高低差具合がすばらしい階段にも出会いましたよ。急いでたの写真は撮ってませんが・・・。)、今回の住宅もそんな高低差を感じれる斜面地の途中にありました。

で、前置き長くなりましたが、メインの道路から坂道をテクテクとのぼりやっとたどりついた場所に、こんな具合に住宅が建っていました。
(ちなみに写真の撮った順の時系列はいくつか変えてますのであしからず。)

はじめにぱっと見た時は、道路に対してはすごく閉じた具合なのねという感じでした。
(でも学生の時から彼の設計スタンス(作風)にふれてきた僕としては、あいかわらずというか彼らしいというかなんというかそんな感想も同時にもってみたり。)


友人のオープンハウス2
写真2

そんなわけで中に入ってみました。
こちらは入口あたりの様子です。
外観の印象とはうってかわり、明るい感じ。
しかもドア部分を内部にひっこめることで、ひさしがわりにもなっていて、そのあたりの親切なつくりにまずは感心。
そして、やはり、この家は建築家の作品でもあるんですよね。
そんなこともありキリリと気持ちを引き締めなおして、スリッパをはいて階段を上ると。


n03

写真3

なんとも外の印象からは想像できないほど明るく、広々としたリビングがありました。


友人のオープンハウス4

写真4

さらにリビングを見渡してみると、一段高くなっている場所にキッチンがありました。
ここは、図面みると、となりにテーブル置いて、ダイニングルームとしてもつかえるそうです。
これは気持ちいいかもですね。

またキッチンの手前にちょっと背の低めの手摺が見えてますけど、こちら、なんと一本の木からできてるそうですよ。
(ちなみにこれは関川くんのパートナーのeさん(奥さんで、助手でもあるらしいです。)から教えてもらった話です。そして当日、家の説明してもらったのもほとんどが彼女からの説明でしたよ。まあ関川くんと会うといつも適当にあしらわれるのでまあ慣れたことではありますけどね。。笑)

と、それはさておき、(このブログを読んでくださっている方ならもしかしたら想像しやすいかもしれないですが)実はキッチンとリビングの部分の段差の部分に腰掛けることもできるそうですよ。
そして、さっきとりあげた長い手摺はカップがおけるくらいの幅に実はなっていて、ちょっとしたテーブルがわりにもなり、そこでぷふぁーと座りながらお茶もできるとのこと。
個人的にはこういう仕掛けはかなり好きな感じです。


友人のオープンハウス5
写真5

そして、リビングからはこんな景色が見えていました。
手前から奥へと傾斜地になっていたので、景色ひらけてますねえ。
空もひろいです。(いいなあ。)


友人のオープンハウス6
写真6

で次は、写真4のキッチンの下階に写っていた部屋に移動して、リビングのほうを見てみたものです。(左上がリビングです。)
ちょうどこの階が玄関と同じ高さの部屋で上のリビングが半階上というつくりになっているようでした。
なのでこの階が、写真1でみた道路レベルということみたいです。
そしてこの半階下にはお風呂やら寝室やら外には庭とかあるみたいで、要はこの家、渋谷の東急ハンズのように0.5階ずつのフロアレベルのつくりになっているようでしたよ。


友人のオープンハウス7
写真7

そしておまけ写真。
写真6の部屋からですが、実はここからも空みえました。(いいなあ〜ww)


友人のオープンハウス8
写真8

そして最後は、この家の設計者の関川くん(もちろん建築家)です。
ちなみに彼は、前にもこのブログに登場してくれてますよ。
S氏のあつまり


ということで、個人的にはめでたい話でもあるので今回は彼の応援もかねて(いちおう僕個人のブログでもありますので)、しかもいつもの坂道散歩のノリで住宅内外部を歩きまわる記事にしてみましたがどんなもんだったでしょうか。。
あ、あと、もし彼に家たのみたいとかそういうのあれば、また別途連絡でもくだされば関川くんに連絡でもしますんでよろしくなりです。(そっちですか、笑)


住所
東京都町田市あたり

今回はさらりとですが、無名坂の話など。(ただ坂の写真すくないのでこのカテゴリーです。。)


今回の無名坂は蓬莱坂(NO.224)の南西、徒歩で言えば2,3分の場所にある太田神社境内にあった階段です。
要は境内にある階段なので、もしかしたら「男坂」とよんでもいいのかもしれませんが、とりあえずそのような坂の名はなさそうなので、無名坂ということにしてみました。


太田神社の階段1

で、こちらが今回の坂というか階段です。
両側に樹々が生い茂り、なかなかワイルドな感じの階段でした。
また水色のちょっとレトロな手摺もめずらしいかもです。
どこかの観光地のような。。

あとはこの階段、地図でみるとわかりやすいのですが、南東方向に下る階段でこの階段の北東にある蓬莱坂(NO.224)と高低差具合もだいたい同じで、写真みてもらってもわかるとおり、なかなか高低差のある階段でした。

あとは、ここ、坂上から坂下に南東方向にくだる階段ということですので、蓬莱坂(NO.224)と同じく、この高低差具合からすると、冬とかで樹木が生い茂ってなければ、もしかしたらここからも昔は階段の向こうに海見えたかもですね。
そういう意味ではここも潮見坂?


太田神社の階段2

いちおう場所関係見る意味での写真も載せときますね。
1枚目の写真とだいたい同じ位置から背後(北西側)をみるとこんな感じでした。
奥には太田神社のこぶりな本殿も見えていましたよ。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区中央6-3あたり

所在地:大田区中央5-20あたり


ほうらい坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた汐見坂(NO.223)の坂上と今回の蓬莱坂の坂上がつながっており、そこから南東のほうにくだる坂道です。


蓬莱坂(NO.224)1
写真1

まずは坂上からの風景など。
いきなりですがここの坂道風景はちょっとやばいです。(笑)
勾配具合といい、道幅といい、坂下の見え具合といい、まわりも住宅エリアで高さ制限もあるのかどうかわかりませんが、背の低い家ばかりで景色も適度にひらけていていい感じでしたよ。

あと前はこのすぐそばに坂の碑があったみたいですが(大田区の公式HPに写真ありましたので)、今回散歩した時はそういうのは見当たらなかったです。
で、せっかく話にでてきたので、HPにあった坂の説明を抜粋するとですね、
『中央五丁目20番と23番の間を東南に下る長い坂。付近は閑静な住宅地です。坂名の由来は、坂近く、中央五丁目4番2号にある稲荷社にちなむといわれています。江戸時代、三代将軍家光のころ、稲荷社の境内で珍しい黒い鶴が捕らえられ、これを将軍家に献上したところ、吉兆であると喜ばれたと伝えられています。蓬莱とはその吉兆を象徴した名であり、そこから現在の坂名がつけられられたようです。また、この坂上の東方の高台には、縄文時代の横穴古墳群(桐ヶ谷横穴群といわれている)もありました。』

そして、ここにかつて坂の碑があったということは、ネットでその情報がある可能性大なので調べてみるとやっぱり複数のサイト(東京23区の坂道などなど)できちんとメモしていただいていました。
なので、それをそのまま掲載させていただくとですね、
『坂上の東北(中央五丁目四ノ二)に、通称「黒鶴稲荷」という稲荷社がある。伝説によるとその境内で捕獲された黒い鶴を、将軍家に献上したところ、吉兆であると喜ばれたという。「蓬莱」とは、縁起のよいことに使われる意味もあり、坂名はその黒鶴伝説に因みつけられたのであろう。』
と書かれていたそうですよ。

ちなみに、坂の説明ででてくる「黒鶴稲荷」という稲荷社は、たしかに今でも坂上の北東側にあります。
ただこの稲荷、こまかいこと言うと、実は汐見坂(NO.223)のほうが稲荷との距離が近く、坂のすぐ北隣にあるんですよ。(汗)

ということは、坂の説明から考えようによっては、現在の汐見坂(NO.223)のほうが黒鶴稲荷に近く、というか隣にあるのであちらが「蓬莱坂」で、実はこのエントリーの坂(ややこしい・・)が「汐見坂」だったという可能性もあるのですよ。
というのも、この坂、はじめに書きましたが、南東にむかって下る坂ということなので、地図で確認してみると、実は海からも近く、この坂の軸線も海のほうむいているんですよ。なので、この地形具合からすると坂上から昔は坂下の風景とともに海見えたかもというのが僕の推測です。
(ただこう話を広げといてなんですが、江戸の海というのがどういう定義(どのあたりの海のことなのかですね)なのかというところが実はまだあいまいな感じなので、これもまたそのうちの宿題ということで・・・。自己完結、笑)


蓬莱坂(NO.224)2
写真2

で、お次は坂をすこし下り、坂上のほうを眺めたものです。
閑静な住宅街ぽいエリアみたいで、道の風景というか街並みもけっこう落ち着いた感じでした。


蓬莱坂(NO.224)3
写真3

さらに坂を下り、坂の中腹あたりから坂下のほうを眺めてみました。
いやー、こんだけ家々の屋根がみっちり見える坂の風景というのも珍しいかもですよ。
たいていは写真右側のように家が坂と同じレベルに建っているので、奥は見えないのですが、ここは坂のむこうが崖かなんかになっていて一段低くなっているのか、隣接する家の屋根まで見えてましたよ。


蓬莱坂(NO.224)4
写真4

そして、最後は坂下からです。
いやはや、緑は少なめですが、やっぱり坂の高低差具合と距離や道幅、そして周りの家々の高さなどの比率みたいなものがいい感じかもですよ。(根拠はなんもないですけどね。)

ちなみにこのすぐそばにもかつては坂の碑があったようですが、今回は見当たりませんでした。
工事してそのまま忘れちゃったんですかね。。



地図
大田区中央5-20あたり

今回はひさびさに無名の坂で、ちょっと気になるところがあったので、とりあげてみたいと思います。


大田区中央5丁目のとある坂1
写真1

いきなりですが、こちらが今回とりあげる坂道です。
見てのとおり写真1は坂下から坂上のほうを見上げているものです。

ここは前回とりあげた汐見坂(NO.223)とは坂下でつながっていて、
実は散歩当日、坂の北側エリアからてくてくと汐見坂(NO.223)に向かって歩いていた途中に見つけた坂なのですよ。

左側は広大な校庭を持つ専門学校があって樹々が道までせり出してきていて、それだけでもいい感じなのですが、坂道自体に目をむけても勾配具合やスロープと階段の合わせ技といい名前のない坂にしておくのはもったいないくらいの坂道でした。


大田区中央5丁目のとある坂2
写真2

また坂の中腹あたりは写真2のような感じでした。
左の学校の樹々に加えて、右側にも緑がたくさんで、勾配具合も中腹まできたのにあいかわらずキツイままで楽しい感じ。。
左の階段も頂上まで続いているみたいです。
それとカーブミラーもいたるところに取り付けられているのも丁寧かもですね。
でもここまでなら、他の場所にもありそうな坂の風景かもです。


大田区中央5丁目のとある坂3
写真3

そこで、この風景ですよ。
写真3は坂上までやってきて坂下のほうを眺めたものです。
かなり景色ひらけてました。
もうここまでくると坂下も見えず、まわりに高さを比べることができる建物もなかったので詳しくはわからなかったのですが、とにかくかなりの高低差具合でした。

そして、現地でも地図と見比べながらある程度は気がついていたんですが、実はこの坂、帰ってからさらにこまかく見てみると、この坂の軸線がちょうど皇居あたり、まあ昔で言うと江戸の中心地あたりのほうに向いているようなのですよ。
なので、この高低差具合(これが重要です)で江戸時代にもここに同じようにこの坂が存在していたとしたら(可能性的にはかなり低いですが)、今でも都内の市街地がけっこう見えることからも江戸市中(江戸城も?)が坂の景色とあわせて坂上から遠くに見えていたかもと推測しているわけなんですよ。
そんなわけでこの坂、(推測どおりであれば)「江戸見坂」と呼んでもいいような気もしまするがどうでしょうかね・・・。
(↑これはあくまで推測ですので、当時の古地図とかもしあれば調べてみて再検討してみますよ。また他のエリアにもこういう坂みつけることできたら報告したいと思いますので、よろしくなりです。)


住所
大田区中央5

ブログネタ
地域文化 に参加中!
所在地:大田区中央5


しおみ坂と呼ぶそうです。
場所は、鐙坂(NO.222)の坂下から南へ徒歩10分くらい歩いたところにある黒鶴稲荷神社のすぐ南側にある坂道です。

ちなみにこの坂についても大田区の公式HPに説明があったので、しょっぱなからなんですが抜粋しておきますね。
『中央五丁目12番と13番の間の坂道。坂名について、かつてこの坂から大森の海や舟の白帆、海苔ひび(注釈)などがよく見えたため、この名で呼ばれるようになったといわれます。昭和の初めに耕地整理が行われるまでの汐見坂は、今より道幅も狭く、赤土の坂道で上る左側は畑でした。また、この坂道は池上本門寺へ通じる池上道の近道でもありました。今日では大森方面にビル群が建てこみ、惜しくも海などは見られなくなってしまいました。
※(注釈)海苔ひびとは、海苔を付着させるため、海中に立てておく木や竹の枝をたばねたもの』
なので、予想どおりというかやっぱり、汐見坂という名はついてますがこの坂からも海は見えないというわけで、期待されたかたは残念でした。。


汐見坂(NO.223)1
写真1

そんな落胆ムードの中(笑)、まずは坂下のほうから坂上のほうを眺めてみました。
この坂、ゆったりとした勾配に長い道という具合に、以外と他のエリアでもありそうでない坂道形状をしているようで、まわりの家も坂の名前の響きもあってかどうかわかりませんが、道にたいしての景観意識が高いようで各家々で道に対してひらかれた緑化というかガーデニングをしているところも多く、歩いていてなにげに気持ちよかったです。


汐見坂(NO.223)2
写真2

次はすこし坂を上り、同じく坂上のほうを見てみたものです。
すでに遠くのほうにこの坂の頂上あたりが見えていたりします。
またこのすぐそばには、いつものように坂の碑があり、
『かつて、この坂から大森の海や白帆・海苔浜などがよく見えたため、汐見坂と呼ばれた。また、この坂道は池上本門寺への旧池上道の近道でもあった。』
とありました。

ちなみに(突然ですが)、この汐見坂の“汐見”っていう言葉、なぜこういう名前ついたんですかね。いつも潮見坂とか汐見坂とか歩いているとき、ふと思うんですよね。自分でふっておいてなんですが気になるかたは辞書でも調べてみてください。(脱線・・・)

あと写真2の左側には公園があるのですが、実はこの公園内の案内板にも汐見坂の説明があったんですよ。
なので(しつこい感じになりますが)、こちらも抜粋しておきますね。
『この坂は、かつてここから大森の海や海苔ひび(海苔を付着させるために海中に立てておく木や竹をたばねたもの)がよく見えたことからこの名で呼ばれるようになりました。現在は、大森付近の埋め立てが進みビルも建ち並んで当時のように海は見られません。またこの付近は、江戸時代には桐々谷村と呼ばれ、東海道品川宿の助郷村(宿場に人馬を提供することを課せられた村)に指定されていました。その後、明治22年に荏原郡池上村に編入された大字桐々谷村、昭和7年の区政実施で大森桐里町、さらに昭和40年住居表示実施で現在の中央五丁目となりました。この中央五丁目公園は、昭和51年開設し昭和59年に現在の広さに拡張しました。傾斜地を利用したロッククライミングや擬木すべり台、季節の植物を配した植栽が特徴となっています。』


汐見坂(NO.223)3
写真3

そして、こちらはみてのとおりですが園内にあったすべり台です。どこが擬木なのかは不明ですが(もしかしたら説明文の擬木のあとに句読点があいだに入るのかもしれないですが・・)、とにかく地形の高低差をいかした滑り台がおもしろそうだったのでおもわずぱちりと。


汐見坂(NO.223)4
写真4

あとは公園内から汐見坂のほうをみると(汐見坂のほうからでも見えますが)、こんな木ありました。
案内板をみると「ナンジャモンジャの木」という木だそうですよ。
案内板の説明によると、
『この木は俗にナンジャモンジャの木と呼ばれ、この名の由来は、一般通説として、水戸黄門が参勤交代のおり、下総神埼神社に参詣され社殿横の大木(御神木)を御覧になり家臣は此の木の名も知らず、困りとっさに「モンジャ」ですと答えたといわれ、それ以来この神木を、ナンジャモンジャの木と呼び大切に保護したと伝えれます。(略)この木は明治神宮外苑にある大木より実生したもので、毎年5月中旬に白黄色の花をつけ、その風景はまるで雪が積もった様な美しさと云われています。珍木であるため異称が多く、その他ロクドクボウ(六道木)アンジャモンジャ、ナンジャモンジュ(南社門樹)等色々な呼び名があります。』
なんてことが書かれてありました。
なんともこんな普通な感じの公園の一角にある木の説明に神木やら珍木なんて書かれていたのでものすごく気になってしましましたよ。
なのでこちらも思わずぱちりと。(笑)
しかもこの水戸黄門のエピソードはウィキペディアのナンジャモンジャの木の説明にも記載ないみたいなんですよ。
いやはや。。


汐見坂(NO.223)5
写真5

そんなわけで、話が脱線しましたが、最後は坂上までやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
高低差はそれほどない坂のはずなのに、今でもけっこう遠くのほうのビルなども見えてますね。
なのでこの地形の感じなら、坂の説明にもあったとおり、昔ならそれなりに海見えたかもしれないですね。



地図
大田区中央5

所在地:大田区南馬込4


あぶみ坂とよぶそうです。
場所はおいはぎ坂(NO.221)の坂上から東に道をひとつ隔てて歩いて2・3分といった場所にあり、南北に走っている坂道です。


鐙坂(NO.222)1
写真1

まずこちらは坂下あたりより坂上のほうを眺めたものです。
ゆるーくS字カーブしてますが、みてのとおりいたって普通の住宅街の道路という感じでした。
ただ坂道自体はS字カーブと勾配具合のバランスはなかなか良い感じで、まわりも住宅ばかりなので空もひろいですね。

またこのすぐそばには、坂の碑があり、
『大正末期から始った耕地整理によって出来た坂道で、もとは狭い農道であった。坂の名は、伝説によると、梶原景季の愛馬磨墨が、鐙を谷に落としたところという、鐙谷の地名から名付けられたものという。』
と書いてありました。

あとはもうすこし詳しい坂の説明が大田区の公式HPにあり、
『南馬込四丁目4番と12番の間、馬込桜並木通り交差点の日本たばこ営業所脇から上る坂。坂名は、鎌倉時代の武将、梶原景季(かじわらのかげすえ)(1162年から1200年まで)の愛馬、磨墨(するすみ)の鐙(あぶみ)が落ちたという伝説にちなむ鐙谷の地名から名づけられました。鐙谷は臼田坂上バス停あたりから南西の低い地の一帯をいいます。坂自体は、大正13年頃に行われた耕地整理によってできたもので、それ以前は幅1メートルほどの農道でした。その農道も坂下から先は水田であったそうです。なお、磨墨伝説の磨墨塚は、南馬込三丁目19番にあります。』
とありました。

なのでこれらの説明によれば、ここは比較的新しい坂のようですね。
ちなみに坂の説明ででてきた梶原景季という武将についてのことはウィキペディアにもありました。しかも、ページひらくと歌川国芳の絵もあったのには驚きましたよ。
梶原景季


鐙坂(NO.222)2
写真2

次は、坂の中腹あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。
空がひろくみえるとやっぱり電線目立ちますかね。


鐙坂(NO.222)3
写真3

そして、一気に坂上までやってきました。
中腹からではわかりにくかった坂の高低差具合ですが、ここからならけっこうわかりやすいかもです。
しかも地図てきにはそれほどカーブしてないように見えましたけど、実際はけっこう曲がってる感じでした。
あと、写真みてて気がついたんですが、道路の地面部分に「徐行」という文字あるんですけど、これって他でもこんな感じで書かれているものでしたっけ?
「止まれ」じゃなくて、徐行です。
もしかして坂下側からくればよく見えるのでここだけ特別に地面に表示してみたとかそういう話なら、それはそれでおもしろそうですが。


鐙坂(NO.222)4
写真4

あと、最後に。
こちらは散歩ガイドてきなことですが、坂下から西側(写真1の左側)にすこし歩いたところ(徒歩1分くらい)に熊谷恒子記念館なる施設がありましたよ。
ここは書道界の巨匠(こういう説明が入口にあったんですよ)といわれる熊谷恒子の旧居だそうで、現在はそれを再利用した記念館として見学ができる施設になっていました。
いちおう見学もしてみましたが、建物の保存状態もよく、僕の世代の感覚で言えば祖母の家といったどこか懐かしい風情で今の最新住宅に比べると全体的に背の低い人向け(もしくは女性向け?)に対応したこじんまりとしたつくりでしたが、そういうスケール感が当時の雰囲気を醸し出していて熊谷恒子さんの作品説明とあわせてなかなか楽しめた施設でしたよ。


地図
大田区南馬込4

所在地:大田区南馬込4


(さて、やっとお茶の水界隈の坂道の取材分がおわりましたので、今回からは、場所をかなり南下しまして、大田区は西馬込界隈という江戸時代には郊外だった場所なのですが、以外に歩いてみるとおもしろい坂にたくさん出会えたり、実はかつてこのあたりは文士村としても有名なところだったりとなんとも味のある地域を取材した時の坂道話でもしたいと思います。)


おいはぎ坂というそうで、別名で牛洗戸坂とも呼ぶそうです。
場所は都営浅草線の西馬込駅から東に徒歩5分くらいの場所にある坂道です。


おいはぎ坂(NO.221)1
写真1

で、さっそく写真1です。
こちらが坂下からの様子です。
一方通行の標識があるとおり、道幅はせまい坂道のようで、ここには(名前のせいなのか)坂の碑も見あたりませんでした。

ただし、大田区の公式HPにはこの坂の記載があり、
『南馬込四丁目9番のひばり児童遊園脇から北東へ上がる急坂。道幅も狭く、曲がりくねっており、よく昔の形をとどめています。坂名は、かつて通行人がたびたびおいはぎの被害にあったことから生まれたといわれます。また、この坂は牛洗戸坂とも呼ばれたようです。坂を上がる右側は、昔から北向上台稲荷と万福寺の墓地でした。大正頃は、反対側には木が繁り寂しい雰囲気の坂道であったようです。坂上あたりに鐘塚というところがあり、昔万福寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造したといわれていますが、その場所は確認できません。』
とありました。

また、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典にもこの坂のことが取り上げていて、
『新版大森風土記には”おいはぎ坂 西1丁目(馬込)森氏の居所をたちうど(立人)と称し、この地から小径を塚越に行く道があり、左方の墓地附近を俗に鐘塚と称してゐる。往古万福寺の梵鐘を鋳造した場所である処からこの俗称が起った。亦此処から下る坂をおいはぎ坂と呼ぶ、その昔よくおいはぎ被害に逢ふことから揶揄的に皮肉なあざなが生れるに到った。この傍に北向台上稲荷がある。”と書かれている。』
とありました。


おいはぎ坂(NO.221)2
写真2

また写真1に赤い小さな鳥居が見えていましたが、北向稲荷神社(鳥居には出世稲荷神社と記載、階段のぼったあたりがひばり児童遊園ということみたいです)なる小さな神社が階段を上るとありました。
ちなみにこの神社の奥の小さな拝殿は北を正面としているということで、神社としてはけっこうめずらしいつくりなものだそうですよ。


おいはぎ坂(NO.221)3
写真3

あと鳥居の右側みるとこんな感じの傾斜地でした。
なぜか井戸もぽつんとありましたよ。


おいはぎ坂(NO.221)4
写真4

話は坂道にもどりまして、次はもうすこし坂を上り、坂下のほうをみたものです。
ちょうど写真1の奥をくいっと右に曲がってすこし上ったあたりになります。
神社の背の低めの樹が坂道までせり出してきていて、そのためかすこし暗闇感ありました。
ただ坂道的にはおもしろい形状してますかね。


おいはぎ坂(NO.221)5
写真5

次は写真4とだいたい同じ位置より、坂上のほうを眺めたものです。
このあたりから坂は直線形状になってきます。
また道路の舗装がドーナツリンク型なことからもわかるとおり、けっこうな勾配具合でした。


おいはぎ坂(NO.221)6
写真6

そして一気に坂上あたりまでやってきました。
このあたりまでくると、左隣は善照寺というお寺の境内ということで高い建物もなく景色もひらけていて坂下の樹々もここから見えればいいあんばいで、坂下のくねくねとした坂道好きをうならせる形状美に対して、こちらは風景美な坂道の眺めといった感じでした。




地図
大田区南馬込4

このまえ「テルマエ・ロマエ」見てきました。
たまたまファーストデイの日に映画みたくなり、いくつか迷った末にこの作品を都内のとある映画館にて。

ただこの映画、内容が荒唐無稽なだけに人によってはDVDでてからでいいかな、という人もいそうな感じですが、僕は今の気分的に、劇場内で他の観客と一緒に(銭湯気分で)笑いながら映画を観るのも楽しいかもなあ、というわけで行ってみたわけです。

ただ今回も映画の感想やら内容についてもこまかくはふれませんけど、結果的には喜劇的なノリの映画を期待していたこともあるので個人的にはおもしろかったですよ。阿部さんのローマ人に驚きつつ、前半は笑いっぱなしで、銭湯とローマ人の話のくっつけ具合がなんともで、銭湯やらテルマエの映像も大画面でいっぱいあじわえたし。
気分は平たい顔族、日本さいこー。銭湯さいこー。でした。(笑)

そしてやっぱり、銭湯行きたくなる映画ですね。

あとは個人的に映画の中でぽつりとでてきたハドリアヌス(こちらは実在したローマ皇帝)が実は建築家だったということにもアンテナたててしまい、どうりで昔、学生時代にローマなども含めたイタリアを旅行中に、むこうの人とたまたま話す機会があって自分は建築を学んでいる学生だと自己紹介したときに、向こうの人の態度がしゃきり〜と変わったときのことを思い出して(こういう歴史的な背景とも関係しているのかもなあといらぬ推測をしてみて)すこしなるほどな〜と(自己完結です・・・)思い出してみたり。(笑)


ひさしぶりの映画館で1
写真1

そんなわけで、いきなりですが。
今回も、映画の話をきっかけとしつつも実は散歩日記にしたかったのであります。(笑)

当日は劇場内にこんな廊下のあるところで見てきました。
(携帯で撮ったものなので、ちょっと画像は荒い感じでなんですが。)
原作のマンガはまだ読んでいないのですが、ルシウスさんが浴場設計専門の建築家ということくらいは公式サイトを見るなどしていちおう知っていたので、当日はせっかくだからと個人的に思い出のある映画館を選んでみたというわけです。(あんまり詳しく書くとわかる人にはわかっちゃいますが、ここは以前仕事先でお世話になった方がここの劇場の設計をされていたという場所なのです。きりり!)
なので個人的にはかなりの虚実入り混じった感を映画観ながら体験できて、さらによかったかもです。

そして、映画みおわったあと、ふと僕自身、大学時代の卒業制作で、都内のとある場所に温浴施設を設計するという課題を自分に課していたことを思い出し(これは映画みおわった夜、家でお風呂入っているときに突然思い出したのです!←遅い、笑。。)、当時はそのリサーチのためにいくつかの温浴施設(スパや銭湯)をまわったり、温浴施設の設計資料を読み漁った経験があったので、映画みてる時はなぜだかすごくルシウスさんの視点というか行動にも共感できるところがあり、なぜだろうなあーと家帰るまで疑問に思っていたので、そのことにすこしばかり答えがでた感じでした。
(だからといってルシウスさんみたいになりたいとかそういうことを言っているわけでもありませんのであしからず。笑)


ひさしぶりの映画館で2
写真2

そして、すこし現実的な話をするとですね。
たとえば僕も実際に行ったことのある有名温浴施設を例にあげさせてもらうと、写真2のような軽井沢にある「トンボの湯」も、温泉の歴史とあわせて建築的にもすぐれたもので、そういう意味では割合めずらしい施設例なので、興味ある方は一度訪れてみるのもいいかもですよ。
(ただお風呂好き(主にスーパー銭湯好きらしい)の友人にすればかっこよすぎるとの意見もありますが。。)
なので、この施設のどこかにもとりあえずローマ時代に築いたルシウスさんの経験が何かの形で生かされているのかもしれないですし(←もちろん妄想ですよ〜)、彼がみたらどういうでしょうかね(←同じく〜)。(笑)

というわけで、テルマエ・ロマエの話から、なんだか自分の出自のことやら建築てきな話題にまでなり、いろいろ脱線して申し訳ない感じですが、今回はこんな感じです。


<メモ>
その他の「へえ〜」記事(このエントリー書く時にみつけたので、メモがてら。)

→映画『テルマエ・ロマエ』が反日的な内容だというので見に行ったら”日本最強!”な映画だったでござる
http://rocketnews24.com/2012/05/14/212006/

→朝日新聞朝刊の全7面を映画『テルマエ・ロマエ』がジャック
http://www.advertimes.com/20120507/article65282/


ではでは。

所在地:千代田区神田駿河台2


小栗坂(NO.219)でもちらりと話がでてきたついでに、今回はちょっといつもの感じとは違い、なにげにいろいろ思い出したこともあるので補足的な話など。

皀角坂については、この坂道ブログでは初登場なので今回いちおう「皀角坂(NO.220)」という形でいつものようにナンバリングしてみましたが、実は以前にみちくさ学会ですでに取材済みですので、坂道自体の細かい話については、そちらの記事をみてくださいね。
電車がすぐそばを走る場所としてロケでもよく使われる駿河台と水道橋を結ぶ眺望坂


皀角坂(NO.220)0

で、この坂道、坂の途中から富士山がかつて見えた坂であることはみちくさ学会の記事でも書いたとおりです。
で(しつこい、笑)、その富士山が坂道からいつごろまで見えたかということが、今回だいたいわかったので、まずはその報告です。

というのも「江戸の坂東京の坂」という本に『四、五年前までは、昔の絵と変わらない美しい富士を見せてくれた。ことに皀角坂の上からは、靖国神社の大鳥居(今はないが)と大松閣の白い建物とのちょうど中間に、富士が見えたものである。』と記述があり、だけど今はビルで見えないということも書かれてありました。
しかも(著者の横関さんによれば)この坂をなぜ富士見坂ではなく皀角坂と呼ぶことにしたのか不思議だ、ということまで書くほど、かつてはクリアに坂から富士山が見えていたようです。
そして、この「江戸の坂東京の坂」は昭和56年に発行された本です。ということは、本の記述にある四、五年前までは見えていたという話が正しいのだとすると、おそらく昭和51年(1976年)ごろまでは、この坂からも富士山が見えていたということになると思われます。

なので、今ちまたで話題になっている日暮里の富士見坂はこの2、3年でビルが建ってしまい富士山が見えなくなってしまうかもという悲しいうわさが流れていますけど、今回の皀角坂でいえば、1976年ごろにそういう出来事をすでに経験してしまっているわけで、そういう意味では、この皀角坂と呼ばれている坂も、横関さんのいうとおり富士見坂という名前にしておけば、もうすこし結果が違っていたのかなあとすこし思ってしまいました。


皀角坂(NO.220)1
写真1

話は変りまして、まずはこちら。
坂の名を記した石碑らしいのですが、今回坂道歩いた時は、さいかちの“ち”の文字部分が地中に埋まっていましたよ。(笑)
舗装工事の時、石は移動せず、上からタイルで覆った感じがなんともです。。
そしてこれはめんどくさかったからなのか、それとも石をなるべくうごかさないようにそっとそっと〜という、ちょっとしたおもいやりからなのか・・・。(う〜む。)
しかも野草がちょびちょび、タイルと石の隙間から生えてる感じもなんだかですな。
まあこんなちょっとしたところにも坂道の歴史ありという感じですかね。

あ、あと歴史を感じるといえば、坂の途中に「神田上水懸桶跡」なんていうものもあったので気になる方は検索でもしてみてください。


皀角坂(NO.220)2
写真2

そして、実はこんな看板も坂の途中にありましたよ。(笑)
ただどのへんにあるのかは、ここでは明かしませんので、興味あるかたは実際に坂道歩いて探してみてくださいな。


ということで、あとはみちくさ記事でも書いた皀角坂の風景がちりばめられたいくつかの映画を借りてきてみるだけですよ。(笑)

せっかくなので、その作品リストものせときますね。↓

<作品リスト(皀角坂の風景がどこかに写っている映画orTV)>

★映画
『自由学校』(出演: 高峰三枝子など)1951年
屑籠を背負った南村五百助と長谷川金次が歩いていた坂道。

『少年探偵団・妖怪博士』(出演: 岡田英次など)1956年
怪人二十面相がアジトへ少年たちをおびき出すときに歩いていた坂道。

『女がいちばん似合う職業』(出演: 桃井かおりなど)1990年
きぬが佐山吾郎を追ってかけ下りた坂道。

『海猿』(出演:伊藤英明など)2004年
ラストシーンで仙崎大輔と伊沢環菜が歩いていた線路沿いの坂道。

★TVドラマ
『ロングバケーション』(出演:木村拓哉など)1996年
瀬名秀俊と葉山南が歩いていた坂道。

『北の国から(92巣立ち、95秘密、98時代)』1992年〜1998年
黒板純と松田タマコが歩いていた線路沿いの坂道。

『離婚弁護士II』(出演:天海祐希など)2005年  
間宮貴子弁護士事務所近くにある線路沿いの坂道。

『ケータイ刑事 銭形雷』(出演:小出早織など)2006年
銭形雷と岡野富夫が事件終了後に会話していた道。

『めぞん一刻』(出演: 伊東美咲など)2007年
五代裕作が通う「明治予備校」のある坂道。

『猟奇的な彼女』(出演:草なぎ剛など)2008年
眞崎三朗が人力車を引いていた坂道。

『貧乏男子』(出演: 小栗旬など)2008年
オムオムが車の中から白石涼に声をかけて誓約書を渡した道。

『アタシんちの男子』(出演: 堀北真希など)2009年
小金井響子が電話で峯田千里と防犯装置のことを話していた坂道。

『SPEC』(出演: 戸田恵梨香など)2010年
地居聖が電話をかけていた坂道。

『生まれる。』(出演: 堀北真希など)2011年
林田愛美が歩いていた坂道。

(多いですね〜。)

と、いう感じです。


地図
千代田区神田駿河台2

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