東京坂道さんぽ

2012年07月

今回も無名坂の話です。

場所は池上本門寺のすぐ北側に馬込車両検修場なるメトロ浅草線の車両基地があるのですが、今回の坂道はその車両基地の南に隣接している名も無き坂道です。
また、前にとりあげた池上本門寺の北隣にある眺望坂のすぐ北隣を並行にはしっている坂道でもあります。
しかも、ここも同じく坂の途中から富士山も時期があえばみえるらしいという情報もあり、そんなこともあり今回はこちらの無名坂を歩いてみることにしました。


馬込車両検修場のわきを通る坂道1
写真1

まずは坂下から坂上方向をみたものなど。
位置的には左側に車両基地の広大なスペースがあるんですが、その様子はのちほどということで。
坂道自体は、わかりやすい高低差があったので、傾斜具合もそれなりにあり、左側には大きな建物もなくかなりの空の抜けがあってなかなか気持ち良かったです。
ちなみに右側の大きな樹木はソメイヨシノとのこと。


馬込車両検修場のわきを通る坂道2
写真2

次は、坂を上り、坂の中腹あたりから坂下のほうを眺めたものです。
ここからだと坂下のほうでのなんとなく殺風景な印象だった坂道も、右側の景色の抜けのおかげで、ちょっとちがった感じで見えるんじゃないですかね。


馬込車両検修場のわきを通る坂道3
写真3

そして、写真3は一気に坂上あたりまでやってきて、同じく坂下のほうをみてみたものです。
もうここまでくると坂下ははるかかなたといった感じでした。
あと、坂下あたりですこしくきりと曲がるあたりからこの坂上あたりまでの坂の軸線の向きですが、地図で確認してみると、本当にぴったり富士山の方向に向いているようでした。


馬込車両検修場のわきを通る坂道4
写真4

また写真3の右のほうにのびていた陸橋ですが、実はかなりの距離を渡る橋のようでしたよ。
どどめき橋というそうです。


馬込車両検修場のわきを通る坂道5
写真5

橋からみた今回の無名坂と車両基地の関係はこんな感じでした。
坂と線路の間にある建物の屋根が不思議な勾配具合で、こちらのほうもまた以外とおもしろいつくりとなっていたかもです。


馬込車両検修場のわきを通る坂道6
写真6

さらに写真5の位置より右側に移動してみると、車両基地内が見わたせる場所にやってきました。
線路もたくさんあって広いですねー。
しかもネット情報によると、このあたりからも富士山方向(たぶん左側奥あたり)みると、時期があえば富士山見えるそうですよ。


馬込車両検修場のわきを通る坂道7
写真7

で、写真6の背後には、まさしく車両基地の名にふさわしい電車だらけの風景が!


馬込車両検修場のわきを通る坂道8
写真8

そんでもって、最後は坂の対岸部分というか、写真4で見えていた一番奥の場所にきてみると、正面の道路(第二京浜です)とはこんなにも高低差ありました。
ということは、この車両基地があるあたりは、高低差のあった場所を無理やり造成してつくられた場所なのかもしれないですね。


住所
大田区南馬込6-32あたり

今回も無名坂をとりあげてみますよ。

場所ですが池上本門寺の北西部に隣接していて、、坂の途中で、前にとりあげた「池上本門寺境内の御廟所と歴代墓所の間を通る坂道」とも合流しつつ、西から東にのぼっている坂道です。


池上本門寺の北隣にある眺望坂1
写真1

まず写真1は坂下から坂上のほうを見たものです。
坂道てきには一直線の道になっていて、高低差もそれなりにありそうな感じでした。
また、とりあえず目に飛び込んでくるのが、道の右側にそびえたつ擁壁ですかね。
こちらは、その上が池上本門寺の境内となっていて、ここからはその様子はうかがいしれないですが、どうやらお墓がたくさんある場所みたいです。
しかもその擁壁下は樹々が規則的に植えられていて、これはどういう意味?なんて考えちゃいましたよ。
なんというか擁壁だけだと殺風景なので、お寺らしいこころ使いで樹々を植えてみましたとかそういう感じなのですかね?
でも風景的には良い感じかもですね。


池上本門寺の北隣にある眺望坂2
写真2

また写真1のすぐ右側には「池上梅園」なる有名スポットもあり、写真2はとりあえずその入口あたりまでいってぱちりと一枚。
予想していたより情緒ありました。


池上本門寺の北隣にある眺望坂3
写真3

あと、近くにはこんな幟が。。
そうかあのドラマこのあたりが舞台だったんですね。
(だからといって、このドラマがあったからこのあたりの坂道をとりあげてみようとか決めたわけではないですからね。ただの偶然です。キリ!笑)


池上本門寺の北隣にある眺望坂4
写真4

そして、坂下のほうにはこんな感じで高架ありました。
ただここ、地図で見た感じでは、メトロ関連の線路というか高架みたいなのですが、メトロ浅草線のほうは西馬込が終点駅でこれより南には駅ないはずなのでどうやら通常の線路ではないようで、そういう意味ではけっこうめずらしい存在かもですよ。


池上本門寺の北隣にある眺望坂5
写真5

また高架の下には、こんなものが飾ってありました。(笑)
マニア心くすぐられますねー。
でもこちら、私有地の中の私物なので、もし見つけたかたいれば、こっそり見学でお願いします。
(なのでこの写真、いちおう道上から撮ったものなので大丈夫だと思いますが、もし問題などあればご連絡ください。)


池上本門寺の北隣にある眺望坂6
写真6


今度は、坂をさらに上り、坂下のほうをみてみました。
位置的には坂の中腹あたりなのですが、もうすでにこのあたりでけっこうな高低差具合になっていました。
そして、ここから見える左側の擁壁はなんだか異様な感じですね。
工場かなにかがありそうな雰囲気ですが、実は墓地。。

そういう意味ではここも丘を削って切通しにしたんですかね。(わかりませんけど。)


池上本門寺の北隣にある眺望坂7
写真7

また写真6の左側は「池上本門寺境内の御廟所と歴代墓所の間を通る坂道」でもとりあげた坂下風景がひろがっていたりします。


池上本門寺の北隣にある眺望坂8
写真8

そして、最後は一気に坂上あたりまでやって坂下のほうを眺めてみました。
もうこのあたりまでくるとかなりの高低差だったので、遠くのほうの景色まで眺めることできました。
あと、実はここ、軸線はすこしずれているのですがいちおう富士山方向に向かって下っている坂道でして、時期があえば、坂の途中から今でも富士山みえるらしいですよ。(ネット情報ですが。)
なので、ここも富士山見えることが確定できれば、この勾配具合やらまわりの景色具合からもなかなか坂道らしいことでもありますので、富士見坂と呼んでもいい坂かもしれないですね。


住所
大田区南馬込6-33あたり

今回はひさびさの無名坂の話です。
場所は、池上本門寺境内の北西部から境内外にでる坂道で、坂上あたりは境内にある御廟所と歴代墓所のあいだを通り、そこから北に下る坂道です。
また車坂(NO.227)大坊坂(池上本門寺の富士見スポット)の坂上とはすこし距離が離れていますが同じ道続きの場所でもあったりします。


御廟所と歴代墓所の間を通る坂道1
写真1

まずは坂上からの様子でも。
左に急カーブでもなく緩いカーブというわけでない、例えていえばちょうどバナナのあのカーブ具合の曲率がちょうど同じくらいかなという具合で曲がりながら下っている坂道でした。
また道幅といい勾配具合といいまわりの擁壁のせまり具合といい、これらのほうでもなかなか良い感じで、左の境内にある大きな樹木も絵にかいたように坂のスケールにちょうどあっているような気がして、ほほーという感じでした。


御廟所と歴代墓所の間を通る坂道2
写真2

そして、写真1の右側には日蓮聖人の御廟所があり、左側には歴代貫首をおまつりしている歴代墓所があるのですが、こちらはその歴代墓所のそば(もちろん境内にあります)からちらりと見えた風景です。
方角てきは境内から西側の方向をみたものです。
しかも、この場所、池上本門寺の公式HPによると、境内でも一番標高が高い場所とのことで、うまく時期があえば富士山も見えるらしいですよ。
なので、今回は見えていませんが、写真2でいえば左側のほうに富士山見える可能性あるようです。


御廟所と歴代墓所の間を通る坂道3
写真3

で、坂道に話はもどりまして、こちらは一気に坂下あたりまでやってきて坂上のほうを眺めたものです。
坂下からみると、坂上からのときはカーブのほうに目がいきがちでしたが、ここからの場合、どちらかといえば両サイドの擁壁の風景が良い感じで気になる坂道風景がひろがっていたかもです。
またこの感じから見ると、この道、地形的にはなんとなく人工的に切通しにした感じにも見えなくもないですが、そのあたりの真相はさだかではないです。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
大田区池上1-3あたり

今年の4月にみちくさ学会の記事でもとりあげた九段坂(江戸時代には海が見えた九段坂)なのですが、その後、いくつかの情報をみつけることができたので、今回はその追加報告です。(メモもかねていますが。。)


まずひとつめは、九段坂の坂名について。
こちら、実は、九段坂や飯田坂とよぶ以外に、別名で「飯田町坂」という呼び名もあったそうです。
(あとは個人的には、富士見坂と潮見坂を追加してほしいところですが。。)


九段坂・今昔メモ1
明治時代の九段坂

そして、2つ目が上の写真です。
こちらはたまたま図書館でみつけた「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」なる本に掲載されていたものです。
要は明治時代に撮影された九段坂の風景写真なのですよ。


九段坂・今昔メモ2
現在の九段坂

で、こちらが一枚目の写真とおそらくそんなに変わらない場所から撮った現在の様子です。

この2枚を見比べてもらうとわかりやすいと思うのですが、現在は遠くのほうはビル(明大のリバティタワーなどはわかりやすいですが)が立ち並んでいる様子しか見えませんが、かつては一枚目の古い写真のように、このあたりからなんとあのニコライ堂も見えていたんですよ。(一枚目の写真左上あたりに見えてます。)

なので、九段坂のことをいろいろ調べていると、与謝野晶子が九段坂からよくニコライ堂を眺めていたとか、田山花袋の「東京震災日記」には震災直後にこのあたりから坂下のほうを眺めると、あたり一面焼け野原で遠くのほうに半ば焼け落ちているニコライ堂が見えたなんてことも書かれていて、「え!本当?」とか思っていたわけですが、そのことがこの写真で証明されたわけで、かなりの驚きがあったというわけなんですよ。


九段坂・今昔メモ3
九段ざか

そしてこれが最後ですが、三つ目はこの浮世絵ですね。
二代目歌川広重による江戸名所四十八景の『九段ざか』なる風景画です。

ただ前はこの風景画を見ても、あまりぴんとこなかったのですが、これまた、さっきも登場した「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」の九段坂の説明の中に、『江戸期には石を積んで9層の石段になっていた坂だった。御用屋敷の長屋が9棟建っていたという。これを九段長屋と呼び、坂を九段坂といった。明治2年に招魂社が建立されたとき、段を取り除いて平らな長坂にした。』の一文を見つけ、それをよんでから、またこの浮世絵をじ〜とみてみると。
おそらく絵の右側は今のお堀とおもわれますので、坂上から坂下のほうを眺めたものを絵にしたものと思われます。
そうすると手前の土の部分が九段坂ということになり、絵では奥(坂下方向)にいくほど道が狭くなっています。
ということは、さっきの抜粋文から推測すると、その先(坂下方向)が階段だった可能性が高いということになりまませんかね?
まあ、適当な予想ではありますが・・・。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
千代田区九段北1あたり

所在地:大田区池上1-17あたり


現在はめぐみ坂と呼ばれている坂なのですが、かつては"あけぼの坂"、別名で"相の坂"ともよばれているそうで、場所は池上本門寺の南東部に隣接している大森第4中学校の西隣を南東方向に向かって下っている坂道です。
最近の坂でいえば、朗師坂(NO.229)のすこし東、またはみちくさ学会での記事でも最近とりあげた妙味坂(池上本門寺の富士見スポットその2)からなら東にひとつ道むこうという場所にあります。


めぐみ坂(NO.230)1
写真1

まずは坂上あたりの様子など。
坂道的にはもうすこし坂下方向にいかないとわかりやすい傾斜は始まらないのですが、この坂上あたり、地図をみてもらうとわかりやすいのですが、このあたりだけでも写真左側には、堤方神社。右側には法養寺や心浄院が隣接しており(しかもご存知のとおり北側(背後)には池上本門寺)、坂の周辺に寺社が点在しているという都内でもなかなかめずらしい立地にある坂道といえるかもですね。


めぐみ坂(NO.230)2
写真2

いちおうこちらが、写真1の左側に見えていた堤方神社の境内の様子です。
こちらの神社もカジュアルというか質素というか、なんだか公園内にぽつんと本堂があるような、そんな気分になるつくりだったかもです。


めぐみ坂(NO.230)3
写真3

また写真1よりさらに坂上のほうを見てみると、池上本門寺の境内にある五重塔もちらりと見えていましたよ。


めぐみ坂(NO.230)4
写真4

で、もうすこし坂下のほうまで歩いてみると、やっと坂道らしい傾斜のある場所が見えてきました。
そして、坂の碑も写真4でもちらりと見えていますがやはりありました。
『現在では、坂の西側にめぐみ教会があるため、めぐみ坂と呼ばれることが多いようである。かつては、昭和四年までこの地にあった料亭「あけぼの楼」にちなみ「あけぼの坂」とも、古くは「相の坂」とも呼ばれた坂道である。』

あと、大田区ではありがたいことに公式HPでも坂の説明があり、坂の碑よりくわしい解説がのっていましたので、そのまま抜粋するとですね、
『池上一丁目18番と19番の間を堤方神社脇まで上がる坂道。坂を上がる左側にめぐみ教会があるため、この名で呼ばれることが多いようです。ところが、昭和5年発行の『大東京川崎横浜復興大地図』では、この坂は「あけぼの坂」となっています。明治時代中期に、徳富蘆花の小説『富士』にもでてくる料亭「あけぼ乃楼」が現在のめぐみ教会の敷地に開業し、それにちなんだ名であろうと思われます。「あけぼ乃楼」は、明治大正期は大変繁盛し、元勲、貴族が連夜宴を催し、日露戦争の戦勝祝賀会も催されたと伝えられていますが、昭和4年に廃業しました。地元の古老の方々によると、この坂は古くは相の坂とも呼ばれていたそうです。』
とありました。

いやはや、ただでさえ坂上あたりに寺社が点在しているというのに、坂の名は、坂の途中にある(坂下にあるんですよ)めぐみ教会が坂の名の由来になっているとはなんともおもしろいですね。
しかも、それ以前の坂名は料亭「あけぼ乃楼」にちなんだものらしいとのこと。
で、その店がなくなり跡地にできためぐみ教会が坂の新しい名になってしまったという。。
ま、そういう意味では、このあたりも文明開化の気分が坂名にもでてしまったという感じなんですかね。


めぐみ坂(NO.230)5
写真5

そして、やっと坂道らしい場所にやってきました。
もうこのあたりからは閑静な住宅街といった雰囲気になっていました。
あと、やはりここもちょうど写真の正面方向が海にむかっているわけでして、どうやらこの地形具合からすると、ビルがない昔なら海みえていそうな雰囲気あるので,ここも別名で潮見坂ともよべそうなのですが、ここもまたそのことについてはそのうちの宿題(江戸の海の定義がわからないので)ということで置いておきますので、あしからず。


めぐみ坂(NO.230)6
写真6

すこし坂を下り、坂上のほうをみてみました。
けっこう急な勾配具合ですかね。
舗装もドーナツリング型のすべり留めつきのものですしね。



めぐみ坂(NO.230)7
写真7

さらに下ると、道がいい感じでくいっと右に曲がっていました。
しかも正面の駐車場のあたりでもうひとつの道と合流していることもあり、手前に見えている「止まれ」マークもいい感じでふにゃりと急カーブにあわせて曲がって描かれているのもなんだか気になりました。


めぐみ坂(NO.230)8
写真8

さらに坂道は下り、今度は左にくねりと。


めぐみ坂(NO.230)9
写真9

そしてそして、左に曲がると、さらに坂はくねくねしながら下り続けていました。
しかもポイントポイントで樹木が両サイドに植えられていてなんだかいい感じ。


めぐみ坂(NO.230)10
写真10

さらに坂を下り、坂上のほうを見るとこんな感じでした。
正面の樹木と右側の上が駐車場の擁壁(しかもコンクリのノッペリ壁)が坂の勾配具合とかさなって、なんとも不思議な雰囲気だしていたかもです。


めぐみ坂(NO.230)11
写真11

そして、やっと坂下あたりまでやってきました。
このあたりまでくると、勾配具合もゆるやかになってくるなか、左側には坂名の由来ともなっためぐみ教会への入口も見えていました。

ちなみにめぐみ教会の公式HPには、このあたりのことを「めぐみの丘」とよび、『邸内には三代将軍、徳川家光お手植えの梅(樹齢約380年)があり、五代将軍綱吉の時の昌平坂学問所の学頭木下順庵(1621-98)が隠居地として住んでおり、今でも教会の門の傍らに「木下順庵先生墓跡」という石碑が建っています。また、明治の初めに「あけぼの楼」という有名な料亭が建てられ、日露戦争の国家的勝利の祝宴が開かれたと言われています。』と、説明がありましたよ。


めぐみ坂(NO.230)12
写真12

で、最後はさらに坂下まで歩き、坂上のほうをみてみました。
見た目はふつうな感じですが、よく写真みてください。
ちょっと左の塀、なんか和風ですよね。
実はこの左横に妙雲寺なるお寺があるんですよ。
なので、ここから見る坂道風景は、奥が西洋で手前が和風という、なんとも和洋折衷な雰囲気というなんというか。。
このあたりの隣接具合がなんとも不思議というか土地の思想みたいなものが希薄な日本らしい風景というか、そういう感じの場所なのですかね。(わかりませんけど。。)



地図
大田区池上1-17あたり

所在地:大田区池上1-32


ろうし坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺の境内にあり、此経難持坂(NO.228)の東側に朗師会館なる建物があるのですが、今回の朗師坂はそのすぐ隣を北に向かって上っている階段坂道です。


朗師坂(NO.229)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
ここも歴史的には古い坂のはずなのですが、見た感じでは新しい感じのつくりですね。
階段を通すためだけにつくられたような立派な擁壁に急勾配の階段。
でもその割には階段の右側は、まだ木で土留をしていたりと未完成な感じがなんともおもしろいかもです。


朗師坂(NO.229)2
写真2

次は坂下からひとつめの踊り場まで上り、坂下のほうを見たものです。
こうしてみるとけっこうな勾配具合。


朗師坂(NO.229)3
写真3

で、同じ位置より坂上のほうを見るとこんな感じでした。
こちらもかなりの急勾配具合ですかね。
まわりの樹々は良い感じですが、坂上のほうに、なにげに墓石見えてるあたりがちょっと不気味なにおいがしなくもないですかね。。
あとは階段のつくりもこのあたりから、手作り感でてきてるようでした。


朗師坂(NO.229)4
写真4

そして、一気に写真3で見えていた墓石のある踊り場そばまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。
もうあきらかに崖ですね、ここ。。
正面の学校の建物の高さから見ても4階床分くらいの高低差はありそうかもです。


朗師坂(NO.229)5
写真5

写真4と同じ位置より坂上のほうをみると、やっとこのあたりから勾配がゆるやかになってきていました。
またこのあたりからさらに坂道は手作り感がでてきて、ちょっとした昔にタイムスリップ気分になってくるのでありますよ。


朗師坂(NO.229)6
写真6

さらに階段をのぼってみると。。
もうそこは、あきらかに墓地でしたよ。
なんだかゲゲゲの鬼太郎でもいそうな雰囲気。
ただ写真にもうつっていますが、ここにもいつものように坂の碑ありましたので、ここが朗師坂の坂上あたりということは確定というわけなんですよ。

で、せっかく坂の碑のことがでてきましたので、碑の説明を抜粋するとですね、
『日蓮聖人の愛弟子日朗聖人は、祖師入滅後ささやかな草庵をつくり山上の日蓮聖人御廟所へ、毎日この坂を上って参詣したといわれる。』
とありました。

また坂の碑よりちょっとくわしい内容の説明が大田区の公式HPにもありましたので、そちらも抜粋しておきますね、
『大田区民会館脇を曲折して上る石段坂。坂名の朗師とは日蓮(1222年から1282年)門下六老僧の一人、日朗(1243年から1320年)のこと。日朗は祖師入滅後、寺窪(現在の照栄院付近)に草庵をつくり、以後三十有余年毎日この坂を上り、山上の日蓮御廟所へ参拝したといわれます。幼少の頃より日蓮の門下僧となり、師孝に厚く奉仕した日朗の美談は『日蓮聖人伝』に数多く描かれています。』


朗師坂(NO.229)7
写真7

いちおう写真6でも見えていた坂の碑あたりより坂下のほうもみてみました。
右側は朗師会館の建物、左側は大きな境内の樹々ということで、景色はまったくひらけてませんでした。


朗師坂(NO.229)8
写真8

ただ写真5と写真6の途中に景色がすこしひらけたビュースポットはありましたよ。
そして方角的には南に向いているわけでして、この景色と地形ぐあいからすると、やはりここも別名でかつての潮見坂と呼べるかも?と思えるわけですが、そのあたりの断定はまたそのうちの宿題(ここも同じくどこまでが江戸からかつて見えた海として断定していいのかまだわからないからですね。)ということでよろしくなりです。


地図
大田区池上1-32

所在地:大田区池上1-32


場所は池上本門寺境内にあり、此経難持坂(NO.228)に隣接している階段坂道です。
そして、名前からもわかるとおりなのですが、この坂は此経難持坂(NO.228)があまりの急勾配の階段なために、此経難持坂(NO.228)=男坂に対しての女坂という位置付けで10年ほど前にあたらしくつくられた坂のようです。


おんな坂01_写真1
写真1

こちらがそのおんな坂の坂下の様子です。
見てのとおりですが、かなり新しめの階段でした。
前は、ネット情報(東京23区の坂道や坂学会さんのサイト)によれば、このあたりに坂の案内看板(簡易なもの)があったようですが、今回訪れたときはありませんでした。
で、いちおう書いてあった内容はというと、
『おんな坂(今年四月一日開通※)この坂を登ると本門寺の境内に着きます。正面の石段(此経難持坂)よりもずっと楽に歩けますのでどうぞ歩いてみてください。(但し宗務院の建物には入れませんので念の為)』
とあったそうです。
※今年とは2002年のことです。
まあ、抜粋するほどの内容でもなかったですが、いちおう。

階段的には、段数が見えているだけでもかなり多くなってますが、その分、一段一段の高さが低くなっていて、高齢者のかたにはやさしい階段になっているようでした。


おんな坂02_写真2
写真2

そして、こちらが、此経難持坂(NO.228)と一緒に映っているおんな坂の様子です。
写真2では右のほうにちらりと見えていますよ。
なので高低差てきには此経難持坂(NO.228)と同じ坂と考えてもらえればよさそうです。


おんな坂03_写真3
写真3

そんなわけで、階段内部に突入。
階段はこの道幅で上までずっと続いていくわけなのですが、なんと此経難持坂(NO.228)の最後でも登場した猫しゃんがこんなところでもごろごろしてましたよ。
位置的には、坂下からの最初の踊り場のところのものです。


おんな坂04_写真4
写真4

別角度から・・・。
猫しゃんに無視されてる感じがなんともですかね。(笑)


おんな坂05_写真5
写真5

そして、だいたい同じ位置より坂上のほうを見上げてみました。
外階段の手摺とは思えないくらい銀色てすりが眩しいです。
なんていうかもうどこかのマンション内の階段のようにも思えてきたかもです。


おんな坂06_写真6
写真6

もうすこし階段のぼると、坂下あたりが眺められる場所ありました。
まださっきの猫しゃん寝ておりました。。


おんな坂07_写真7
写真7

階段、階段、階段!


おんな坂08_写真8
写真8

で、すこし上にくると、此経難持坂(NO.228)の踊り場と接続している場所にでてきました。


おんな坂09_地図
おんな坂地図

と、ここで、もう僕もそうだったのですが、今ってどのあたりの位置なのよ?
という感じになりかけているかもですので、ウル覚えの記憶と写真をたよりにおんな坂の経路描いてみました。
地図でいえば、赤の点線が今回のおんな坂で、,箸数字書いてあるのが、写真1=,箸いΧ餽腓紡弍しています。
なので参考によかったらどうぞ。


おんな坂10_写真9
写真9

そんなわけで、地図を見てもまだ坂の中腹あたりということで、写真はまだまだ続きます。
とにかくきれいな曲線描く階段に感心しきりでした。


おんな坂11_写真10
写真10

そして、また此経難持坂(NO.228)の踊り場と接続している場所にやってきました。
地図確認してみると、どうも写真8と場所があまりに近い感じがしますかね。
でもこの地図、グーグルマップを拝借して、その上をなぞって描いたものなので、それなりには正しいかとは思いますのであしからず。


おんな坂12_写真11
写真11

踊り場をぬけると、今度は気持ちのよさげなカーブの階段が続きます。
右に見えている建物はおそらく日蓮宗宗務院かと思われます。


おんな坂13_写真12
写真12

さらに階段をのぼると、大きくUターンする場所ありました。


おんな坂14_写真13
写真13

Uターンすると、また上り階段です。
いちおう復習すると、このあたりは地形的には右から左にくだる傾斜地という具合です。
それにしても右側の擁壁、いい感じでデザインされてましたよ。
そして左の銀の手摺もよくみると、見える範囲では全部つながっていて、なにげにびっくり。
このカーブや高低差具合にあわせて手摺を曲げているのかと思うと、なんだかすごい感じのような気がします。


おんな坂15_写真14
写真14

さらに上り、写真13の正面に見えていた踊り場あたりからの様子がこちら。
まだまだ階段はのぼり続けるようです。


おんな坂16_写真15
写真15

で、写真14の上に見えていた踊り場からは此経難持坂(NO.228)の坂上あたりが見えてましたよ。
なんか良い感じですね。


おんな坂17_写真16
写真16

写真15と同じ場所で上をみると、どうやら頂上らしき場所が。(写真ではわかりにくいですが。)


おんな坂18_写真17
写真17

ちなみに写真16の階段途中で右側をみるとこんな具合でした。
さっき歩いた此経難持坂(NO.228)との接続地点もはるか下。
なんかもう気分は登山という感じでしたよ。(たしかにそのとおりなのですが。。)


おんな坂19_写真18
写真18

そして、坂上の頂上にでると、こんな立派な像がありました。
なんでも「日蓮大聖人説法像」とのことで、昭和58年に建立されたもので、像の材質はアルミというちょっとしたハイテク像らしいですよ。(ということはかなり軽い?)


ということで、今回はくねくねしていて幅も狭い階段だったこともあり、近年まれにみる写真の量になってしましましたが、とりあえず今回はこんな感じです。


地図
大田区池上1-32

所在地:大田区池上1-32


しきょうなんじ坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺境内にあり、車坂(NO.227)の東側に位置し、本門寺大堂の南にある仁王門あたりより南へくだる階段坂道です。


此経難持坂(NO.228)1
写真1

で、いきなりですが、坂上からの風景など。
見てのとおりなのですが、かなりの高低差のある階段坂道で、雰囲気もかなり良い感じでした。
というのも、ここ、池上本門寺のメインの参道であり、他のお寺でいえば男坂にあたる階段のようなのですよ。
なので別名で「池上本門寺男坂」とつけてもいいくらいの存在かもですね。
でも、この階段は「此経難持坂」という一風変わった坂名がつけられているわけなんですよ。
そして、やはりというべきか坂の名の由来の説明のついては、池上本門寺の公式HPにも記載ありましたのでそのまま抜粋するとですね、
『熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進になる。同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。第14世日詔聖人のときである。第22世日玄聖人代の元禄年間(1688−1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
なお、名称の由来は、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文※96字にちなむ。すなわち、末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、信行することの尊さを石段を上ることの苦しさと対比させ、経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる、と言い伝えられている。』
とありました。
※偈文:仏の功徳などを賛美する詩。四句からなる

とりあえず“加藤清正が築造寄進した”という話が、ここをつくるのに全額彼の寄付でやったのか、ただ計画(指示)しただけなのかどうかとか、こまかく想像すると気になることいっぱいですが、まあそういう史実がある階段ということみたいですね。
そして、段数が、詩にちなんで96段になったというのもなんだか興味深いかもですね。
これが108文字(適当な数字ですよ)とかなら108段になっていたかもしれないわけですから。


此経難持坂(NO.228)2
写真2

頂上からの見晴らし具合はこんな感じでした。
この階段の軸線はほぼ南に向いていて、冬あたりでまわりの緑がなければ景色ひらけているので、今もそうかかもしれないですけど、おそらく昔ならビルもないので遠くのほうには海も見えたかもしれないですね。
そういう意味では、ご想像のとおりですが、男坂に続いて別名で「潮見坂」と呼んでもおかしくないかもですが、こちらはとりあえずの保留という形で・・・。(それいうと都内のけっこうな坂が潮見坂となりそうですので。)


此経難持坂(NO.228)3
写真3

次はすこし坂を下り、坂上のほうをみたものです。
坂上奥のほうにちらりと見えているのが仁王門です。
今の仁王門は昭和20年4月に空襲で焼けてなくなり、昭和52年に再建されたものらしいですよ。


此経難持坂(NO.228)4
写真4

そして、坂の中腹あたりにやってきました。
まだこのあたりでも建物3階分くらい(たぶん)の高低差はありそうでした。
いちおう軽く計算してみるとですね、この階段、坂の説明によれば全部で96段らしいので、その半分で48段。で、1段の階段高さが20cmくらいとしてみると、960cm。なのでまあ建物一階分の高さが3mくらいとするとおよそ3階分くらいの高低差かなーという感じになりそうですよ。

と、まあそれはさておき、見ため的には、このあたりから目の前の樹木もなくなりだしてきて、ちょうどよい感じで景色がひらけて見えていたのは印象的だったかもです。


此経難持坂(NO.228)5
写真5

まただいたい同じ位置より、坂上のほうを見るとこんな具合でした。


此経難持坂(NO.228)6
写真6

で、坂下付近までやってきて、さらに坂下のほうを見てみました。
正面に見えているのが、総門です。
こちらは仁王門と違い、昭和20年の戦災を免れた貴重な存在の建築物らしいですよ。


此経難持坂(NO.228)7
写真7

あと、写真6の右側をみるとこんな感じで、灯籠みたいというかお墓みたいというか小さな塔のようなものがあったり、坂の碑もあったりしました。(坂の碑の説明については、上の抜粋文のほうが詳しいので、ここでは割愛させていただきますね。)


此経難持坂(NO.228)8
写真8

そしてそして、やっと坂下までやってきました。
写真8は見てのとおりですが、坂上のほうを眺めたものです。
ここからみると、これまた違った雰囲気があっていい感じでしたよ。
高低差にあった傾斜具合やらも、きちんと計算されてつくられた感じがぷんぷんしてますが、なんといってもやはり四百年という時を経ているせいか、もうそんなことはどうでもいい感じという風情ですかね。


此経難持坂(NO.228)9
江戸自慢三十六興・池上本門寺会式

ちなみに、この此経難持坂、広重さんの浮世絵(1864年作)としてものこされてました。
奥の階段が此経難持坂ということみたいですよ。
あとは、この当時、坂下の総門はなく坂上の仁王門だけが描かれてあり、これが広重さんのデフォルメなのかどうか、そのあたりの真相はさだかではないですのであしからず。


此経難持坂(NO.228)10
写真9

あと、写真7の奥のほうに実は見えていたのですが、理境院なるお寺もありました。
写真8でいえば、左側のほうにですね。
こちらは、知ってる方もいるとは思いますが、慶応3年(1869)の幕末に官軍参謀の西郷隆盛が本門寺に駐屯した際、この理境院を宿舎にあてたという史実があることでも有名な場所です。


此経難持坂(NO.228)11
写真10

そして最後はおまけです。
実はこちらも写真6の左側でひそかに寝転がっていた猫なのですけど、けっこう長い時間このあたりでうろちょろしつつ、無防備に寝ていたのでぱちりと一枚。(笑)


(ということで、けっこうヘビー級な坂というか階段坂でしたが、なんとかおわらせることできました(ふ〜)。。ではでは、今日のところはこんな感じです。)


地図
大田区池上1-32

そなエリア東京?
と、思ったかた多いと思いますが、こちらはお台場にある東京臨海広域防災公園内にある防災体験学習施設のことなんですよ。

そんなわけで、先月のことですが、いつか行こうと思いつつなかなか行けてなかったわけですが、やっと見にいくことができました。


そなエリア東京に行ってみた。1
写真1

とりあえず、すこしさびしげな駅前をぬけ、防災公園内に入りそなエリア東京と園内の地図に書かれた施設に向かい、中に入るとまずはこんな感じでいきなり気になるコーナーありました。
なんとなくキャラデザインされていてテーマパークっぽいアトラクションという感じですが、なんといってもここは公共施設でもありますので内容はいたってまじめなようでした。

その内容てきには、どうやら、東京で直下の大地震(7.2とか)がもし起こったとして、そのあとの72時間をどうすごすかということを防災体験ツアーできるとのこと。


そなエリア東京に行ってみた。2
写真2

で、実際に体験してみると、ツアコンの方の説明をうけつつ、DSをつかって防災クイズに答えながらロールプレイングする形式で施設内を進んでいくという、やっぱりというかなんというか、どうしてもテーマパークぽくはなってしまうわけですが、そういう体験学習をしながら安全な場所に脱出を試みるという体験ができるというわけですよ。
ちなみに写真2は、被災地を実際に歩くというコーナーでこっそりパチリとしたものです。
以外とリアルな感じ。
でもそのせいで当時のこと(阪神大震災の被災経験です)がすこし頭の中でオーバーラップしてきましたが、それでも入館する前に心配していたほどひどい混乱には陥らずにすんだかもです。


そなエリア東京に行ってみた。3
写真3

そなエリア東京に行ってみた。4
写真4

そして、被災地コーナー(変な言い方ですが・・)をぬけると、つぎは避難場所コーナーなるところがあり、写真3と4のようなパネルがいくつかありましたよ。
写真3が消化器の使い方で写真4が空き缶の再利用方ですね。
文字小さいかもですが、いちおうなにかの参考にでもなればと思いまして、いちおうぱちぱちと。


そなエリア東京に行ってみた。5
写真5

次は体験コーナとは別の場所にある防災学習ゾーンにあったパネルの一部をぱちりと。
地震がおこるまえに準備しておけばいい、10のそなえなる教訓みたいなことが書かれていましたよ。

いちおう絵は違いますが、同じ内容のものが東京消防庁のHPにありましたので、リンクしておきますのでよかったらどうぞ。
→ 地震に対する10の備え

そんなわけで、施設内にはほかにもいくつかの防災学習コーナーがあったわけですが、このあたりを見て体験しておけば、実は楽しくもあり、今後のための予習にもなるかもなあというわけでセレクトしてみました。


そなエリア東京に行ってみた。6
写真6

ちなみに、この施設、外からみるとこんな感じでした。
建物的にもけっこうかっこよかったですよ。(笑)


そなエリア東京に行ってみた。7
写真7

また入口あたりはこんな具合。
一面ガラスで見た目はかっこいいですが、地震きたら大丈夫なの?と思っちゃいましたが、地震防災施設なので大丈夫なんでしょうね。


そなエリア東京に行ってみた。8

写真8

あと、実はこの施設の屋上は、ちょっとした屋上庭園になっていました。
でも潮風がすごいのか、写真の場所にあった樹は風になびいてかたむいたまま固まっていましたよ。。


そなエリア東京に行ってみた。9
写真9

で、最後は屋上庭園から海のほうの景色など。


ということで、最近は東京でも地震なにげに多いことですし、もし近くに寄ることでもあれば気持ちがちょっとひきしまると思いますので、見学にぶらりと立ち寄ってみるのも悪くないかもですよ。


東京臨海広域防災公園


地図
江東区有明3-8

ブログネタ
神社・仏閣 に参加中!
所在地:大田区池上1-1


くるま坂とよぶそうです。
場所は、池上本門寺境内にあり、坂上は紅葉坂(NO.226)とつながっていて、境内を南にむかってくだるカーブのきれいな坂道です。


車坂(NO.227)1
写真1

まずは坂上から坂下のほうを眺めたものです。
車坂という名前からなんだか人工的なイメージが先行していた坂道だったのですが、いざ現地にきてみると、道の両サイドの樹々の育ち具合がものすごく、それがまた両サイドの背の高い擁壁とあいまってすごくいい感じの坂上風景だったかもです。
あと、手前の黄色い交通看板には勾配9%と書いてありました。


車坂(NO.227)2
写真2

で、写真1の左には、こんな感じでお寺の境内らしい建物も見えていました。
休憩処のむこうに見えるのが大堂ですね。
写真ではひとつの建物みたいに見えなくもないですけど。。
あとは手前の道(脇かな?)に赤というかピンクというかそういう色の花がぽつねんと咲いている感じがいい味だしてました。


車坂(NO.227)3
写真3

すこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
まさに緑のトンネルといった感じ。
それにしてもまわりの樹々、でかすぎです。(いい意味で、笑)


車坂(NO.227)4
写真4

次は、写真3とだいたい同じ位置より坂下の方を眺めたものです。
このあたりからいい感じで坂道がカーブしだしてます。
あとは左右の擁壁が直角でなく上にいくほど道の外側に傾斜しているわけですが、これはすばらしい発想というかつくりですよね。
でもまあ、これも道とまわりの土地に空きがあるからできたことだろうとは思いますが。


車坂(NO.227)5
写真5

すこし坂を下り、今度は坂上のほうを見てみました。
写真4と同様、両サイドの樹木があるレベルの場所と比べると、この坂の高低差具合がわかりやすいんじゃないですかね。


車坂(NO.227)6
写真6

こちらは、さらに坂を下り、坂下を見たものですが、カーブはまだ続いているようでした。
このあたりから、右側には坂下あたりの街並みがちらちらと見え出してきてました。


車坂(NO.227)7
写真7

で、さらにすこし下り、坂上のほうを眺めてみると、これまたなんともいえない雄大な坂道風景がひろがってました。


車坂(NO.227)8
写真8


道がくねくねしているので、写真一枚ではおさまり切らない場所が多かったので、写真の枚数多くなって申し訳ないですが、今度はさらに坂を下って坂下のほうをみたものです。
またこのあたりから大きく道が右にカーブしていますが、ちょうどアイストップの位置にある大木がすごい感じだったので、おもわずぱちりと。


車坂(NO.227)9
写真9

次は、写真8とだいたい同じ位置より坂上のほうをみるとこんな感じでした。
右側の樹が手前と奥とでかぶって見えていたのでとんでもない大きさなの巨木のように見えていましたよ。


車坂(NO.227)10
写真10

そして、やっと坂下までやってきました。

あまりに途中の美カーブと大きな樹々に圧倒されて忘れてましたが、ここにもいつものように坂の碑があり、
『『新編武蔵風土記稿』に、「車坂、経蔵の背後の坂なり」とあり、また、「池上長栄山本門寺図」天明元年(一七八一)には、車坂が描かれている。昔からある古い坂道である。』
と書いてありました。

また似たような内容ですが、大田区の公式HPにもこの車坂の記載があり、
『池上本門寺の表参道から見て西側、本町稲荷神社脇からカーブしながら本門寺境内経蔵脇へ上がる長い坂で、両脇を大樹が覆う緑の美しい坂道です。『新編武蔵風土記稿』には「車坂、経蔵背後の坂なり。」とあり、また、『池上長栄山本門寺図』(天明元年=1781年)にも、車坂が描かれています。江戸時代にはすでに荷車が使用されるようになりましたから、荷車を通す坂ということで車坂と呼ばれるようになったと考えられます。このように、江戸時代にはすでにあった古い坂道です。』
とありました。

いちおう坂の説明によれば、この坂道、江戸時代からあったんですね。
ということは、まわりの大きな樹々もかなりの老樹ということで、あれだけ大きいのかもという可能性ありそうですね。
ただ古い坂道(古道)の割には道幅はゆったりしていたかもですよ。


車坂(NO.227)11
写真11

そしてそして、こちらは写真10の右側にあった本町稲荷神社なる神社です。
かなり質素な感じでした。
お寺のこんなそばにこんな神社あるんですね。
神と仏の違い、うーん。
まだまだ頭の中で整理せねばならんこと多いみたいですよ。。(泣)


地図
大田区池上1-1

ふと気になったので、ちょっとした復習もかねて、これまでにとりあげた池上本門寺界隈の坂道の高低差を標高が測れるサイト(以外と好評でした)の記事でも登場したmapion地図でぽちぽちして標高計測してみることにしました。


紅葉坂(NO.226)7
写真1

まずは池上本門寺の大堂のあたりの標高を計測してみると、海抜34mでした。
まあこれがとりあえずの今回の池上本門寺境内の標高基準にしてみますね。


紅葉坂(NO.226)1
写真2

そして次は紅葉坂(NO.226)
こちらは、坂上あたりが海抜26m、坂下あたりが海抜19m。
なんだかんだといって高低差7mもあるみたいですね。
建物でいえば、2階か2階半くらいの高さです。


ちなみに、紅葉坂(NO.226)の坂上と実は直結している階段坂で大坊坂という名の坂も本門寺境内にあるのですが、こちらはすでにみちくさ学会の記事で取り上げてますの、よかったらどうぞ。
池上本門寺の富士見スポット

で、その大坊坂もぽちぽちと計測してみると。
坂上が海抜21mで、坂下が海抜10mということみたいです。
なので高低差は11m。
建物でいえば3階か4階分くらいの高さくらいですよ。
うーん。
けっこうな急階段だったわりには、思っていたより数値少ないかもなーという感じです。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂1

写真3

そして、境内を飛び出して、松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂で取り上げた無名坂もいちおうぽちりとしてみると。
坂上が海抜20mで、坂下が海抜13mでした。
こちらも高低差は7m。
ちなみ隣の松涛園のあたりを計測すると、海抜16mとのこと。


貴船坂(NO.225)4
写真4

そして次はお隣の貴船坂(NO.225)をぽちりとしてみると。
坂上が海抜21mで、坂下が海抜10mでした。
高低差11m。
だいたいさっきとりあげた大坊坂と同じくらいの高低差ですね。

ということは、上でとりあげた大坊坂が池上本門寺の西側にあり、この貴船坂(NO.225)が東側にあることからも、この池上本門寺界隈は境内の大堂あたりを頂上とするちょっとした小山になっているということなんですかね。
どうりで境内にむかって上る感じの坂がおおいわけなんですね。


大田区中央5丁目のとある坂3
写真5

そして最後は、大田区中央5丁目の眺望坂ででてきた無名坂。
ここは写真では緑に隠れて見えてなかったのですが、勾配具合を記した標識が坂下のほうにあり、そこにはなんと勾配20%という表示があり、これはかなりの急勾配の部類なので、やはりぽちぽち計測してみました。
そしてでた結果は、坂上が海抜20mで、坂下が海抜8mとのこと。
高低差は12m。
そしてそして、このmapion地図、距離もさらりと測れるので、坂下と坂上の距離を計測してみると直線距離でおよそ90m!
ということは、およそ13%の勾配具合ということになりますね。。

むむー。
どういうことなんでしょう〜。
標識が違うのか、mapionが違うのか。
うーん。。

ということで、どのデータが正しいことやら、どうもわけわかんなくなってきたので、今日はこれくらいでご勘弁を・・・。(汗)

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