東京坂道さんぽ

2012年08月

またもや今回も無名坂の話です。
しつこいようですが、このあたり、ふらりと歩いていると、けっこう気になる名も無き坂や階段があるんですよ。
もともと高低差のある場所だからそうなのかもしれないですけど、なんとなくスケッチしてみたい階段というか坂道というかそんな感じの坂道風景に出会う確率が多いエリアみたいですね。

それで、この坂の場所なのですが、このまえ取り上げた右近坂(NO.232)とほぼ並行に走り、道ひとつ北側に位置していました。


もう人は通れない地形階段と詩人の坂道1
写真1

そんなわけで、写真1が今回の無名坂の様子です。
いちおう右も坂になっていますが、まずは左の階段です。
階段上は駐車場になっていて、この階段はそこへ行くためのものだったようです。
いちおうまわりをみても人工的に高低差をつくった感じはなく(もちろん道をつくるための造成は別として)地形的な影響からできたものみたいでした。
とにかくすごいことになっていますねえ。
しかも階段左側の擁壁にもびっしりと自然発生したと思われる蔦がはりついていました。
なんか良い感じですね。


もう人は通れない地形階段と詩人の坂道2
写真2

いちおう別角度からも階段をみてみました。
こっちからみるとすこし普通な感じがしますけど、やはりじっとみてるとどこか変な雰囲気。
とりあえず上に行きたい人はこの左側がスロープになっているようなので、そちら側からアクセスしているようですね。


そしてそして、実はこれ以外にも、現地をぶらついていた時はまったく気がつかなくて、帰ってから臼田坂(NO.231)あたりの記事を書いているときに気がついたのですが、実は写真1に写っていた右側の坂道。
臼田坂(NO.231)の記事で坂上あたりに萩原朔太郎の旧宅があると書いたと思いますが、なんと偶然に、写真1の右側の坂をすこし上ったあたりに(「馬込文士村」のサイトによれば)、まさに萩原朔太郎が大正15年〜昭和4年のあいだに住んでいた家があったみたいなんですよ。(驚)
なので、写真1でもおじさんらしき人が自転車おしながら坂道上ってますが、実はそのむこうにちらりと写っているのかもしれないのですよ!(まあ建て替えられている可能性大ですが・・・。)
なので、あきらかにこの坂をかつては萩原朔太郎も上り下りしていたはずなので、この坂道も(この階段ではなく坂道のほうですが)、もしかしたらなにか名前つけてみると以外とおもしろいかもしれないですね。(しかもこの坂下のほうには感じのいい公園もありますしね。)


住所
大田区南馬込3-22あたり

所在地:大田区南馬込3-28あたり


うこん坂と呼ぶそうです。
場所は臼田坂(NO.231)の坂上から西へと向かう道があるのですが、そこをすこし歩くと、今回の右近坂の坂上あたりにやってきます。


右近坂(NO.232)1
写真1

まずこちらが坂上あたりの様子です。
住宅街の狭い抜け道といった感じで、道幅も見てのとおり車一台通れればいいかもといった坂道でした。
あとは、交通看板に12%とあるように、勾配具合は見た目よりはすこし緩やかなかなあと思いましたけど、道路の舗装が例のドーナツリング型の滑り留めになっていることからも、雨の日や雪が降った時なんかは注意を要する坂になるのかもしれないですね。


右近坂(NO.232)2
写真2

坂をすこし下り、いちおう坂上のほうも見てみました。
左側は団地の敷地ということもあって、けっこう立派な樹々が植えてあり道までせり出していました。


右近坂(NO.232)3
写真3

さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
坂道自体は、なんとなく古びた佇まいというかなんというかちょっとなにかがづれているような不思議な雰囲気の坂道風景だったかもです。


右近坂(NO.232)4
写真4

で、写真3よりもうすこし坂を下ったあたりから、坂上のほうをみてみると、なかなか気になる風景がひろがっていました。
個人的には、この坂でスケッチするならこの場所かなと。
まあそんな思いを持ちながらカメラのシャッターをきってみました。


右近坂(NO.232)5
写真5

最後は坂下あたりの様子など。
坂道自体はもう平坦になりこれといったものはなかったです。
ただ、正面に見えている坂の碑のすぐ後ろに橋の手摺のようなものが見えていますが、こちら、この下は川ではないみたいでしたよ。
なので変わった形をしたガードレールなのかもしれないですが、真相は定かではないです。

そして、やっとここにも坂の碑があることがわかったということで、とりあえず坂の由来を抜粋しておくとですね、
『この坂名の由来については、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたからとか、いろいろな伝説があり、明らかでない。』
とありました。
そうですか。
諸説いろいろあるんですね。
でも”右近”とはちょっと風変わりな不思議なネーミングですよね。
ちなみにこの坂は右曲がりで下ってますが、上るときには左曲がりになるので関係ないかもです。。

また大田区のHPにも説明があり、実はこちらのほうがすこし詳しいので抜粋しておきますね。
『臼田坂を上がりきった南馬込三丁目31番を東に曲ったところにある坂は右近坂と呼ばれています。この坂は江戸末期にできたものといわれています。この坂名の由来については、いろいろな説があります。臼田坂の右近くから谷中におりる坂道であるから右近坂と呼ばれるようになったとか、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたという話、うこん色の着物を着た娘がよくこの坂を通ったことによるなどさまざま。今でこそ住宅街の中の坂道となっていますが、大正期から昭和初年頃は辺鄙な人通りのない寂しい所でした。また、坂道の両側は椎の木などの林で、雨の日はどろんこの道になったそうです。』

ということで、この坂、けっこう古くからあったんですね。
どうりで坂の途中のなんともいえない古めかしさというか、そんな感じの新旧入り交じったような場所があったと思うんですが、それもこれも、この坂道自体の歴史の古さに関係していたのかもしれないですね。


地図
大田区南馬込3-28あたり

今回は、ちょっと遠征して多摩センターにある坂道を取り上げてみたいと思います。
たまたま用事があって寄り道したわけですが、なかなかの無名の階段を発見したのでここにて報告してみたいと思います。


パルテノン多摩の大階段1
写真1

まずは坂上からの風景など。
ここからだけならなんとなくよくありがちなショッピングセンター街の風景という感じに見えなくもないですかね。
施設名的にはパルテノン多摩と呼ばれている場所です。
でも高低差具合といい、景色のひらけ具合といい、なかなか良い感じ。
遠くの小山の手前あたりには、小田急と京王の多摩センター駅があったりします。


パルテノン多摩の大階段2
写真2

で、一気に階段を降りてきて、階段上のほうを見たものがこちらです。(写真2)
かなりの大階段でしたよ。
つくりもなんか壮大なかんじですしね。
ただ最近ではこういう感じの建物に組み込まれた大階段も多くなってきたので前ほどには驚く人も少なくなってきているのかもしれませんが・・。(とくにお台場あたりなど。)


パルテノン多摩の大階段3
地図

そして、これだけではわかりにくいので、グーグルより拝借した航空写真を加工したもので周りをみてみると、こんな感じでした。
赤点線で囲まれたエリアが今回のパルテノン多摩とのことみたいで、さっきの大階段はこのパルテノン多摩の施設の一部のものということみたいで、いうなれば京都駅のあの大階段とかとつくりは同じ感じのものみたいですね。
ただひとつ違う点は、施設全体が崖というか傾斜地に半分くらいはうまっているというところで、航空写真をみてもらえばわかるかもしれないですが、階段上は多摩中央公園(坂上にある公園ですね)と同じ高さレベルとなっていて、そこからの眺めが写真1のような景色ということなんですよ。
なので、この階段は、人工物とはいえ、まわりの地形(高低差)の影響がなければ生まれなかった階段だったかもという予想をたてているんですが、どうでしょうかね。


パルテノン多摩の大階段4
写真3

さらに大階段から離れる方、すなわち坂下方向を見てみるとこんな具合に、微妙な傾斜の坂道が続いていて、実はこの通りは道の両側に大規模なショッピングセンターなどが建ち並んでいて、このエリアのメインストリートてきな役割も担っているようですね。
(今回はがらすきの時にうまく撮ることができましたが、たしか4年か5年前に友人につれられてここに来た時はかなりの人だかりだった思います。)


パルテノン多摩の大階段5
写真4

さらに坂をくだると、正面に小田急の多摩センター駅が見えてきました。
それにしてもここまできても、まだ駅方向にむかって道が下っていますね。
これは坂道さんぽてきには、すばらしいつくりですね♪


パルテノン多摩の大階段6
写真5

で、いちおう坂上のほうも見てみると、あの大階段もはるか遠くに。
やはりこうしてみると、大階段の位置からもけっこうな高低差ある感じですかね。

ちなみ、奥に見えている大階段を含むパルテノン多摩は、いくつかのサイトをみる限りでも建物扱いされていますのであしからず。


パルテノン多摩の大階段7
写真6

最後は、さっきの写真2の大階段の上にあるきらめきの池広場なる場所で、なぜか、カモ(ですよね?)の親子いました。(ちなみに今回はこの子らに気をとられて写真撮るのを忘れたので広場の写真はありません。)
ということで、おもわず携帯でパチリと一枚。


住所
東京都多摩市落合1あたり

じゃーん。


ガンダムが見れる階段1
写真1

いきなりですが、ガンダムです。
こちらは気がつけば1ヶ月ほど前になってしまいましたが、お台場のダイバーシティー東京に行った時のもので、施設の海側にはこんな感じで巨大な実物大のガンダム像があるんですよ。

で、今回はいまさらそのままガンダム立像をパシパシ撮ってもあまりおもしろくないので、坂道さんぽ的階段目線でガンダムをみてみることにしました。

なのでガンダムに目が行きがちですが、実は手前に階段が見えていたりするのですよ。
で、写真は階段の最上部からものです。
以外と高低差ありました。
そして階段下にはガンダムですよ。
ありえない状況ですが、お台場では当たり前の風景です。
しかも他にも同じように見ている人もいましたよ。
ただし、この日はあいにくの雨だったので、雨除けでここにきているだけの可能性高いですが。(というのも晴れの日に行った時は人いませんでしたので・・・。)



ガンダムが見れる階段2
写真2

せっかくなので、階段鑑賞も。
明らかに人工的な高低差というか階段そのままといった感じですが、このつくりかたはけっこうかっこいいかもですね。なにげに階段部分にライティングまでしてありますし。(建築的目線の傾向が強い自分の場合ですが・・・。)
そして、下に行くほど幅が広がる台形な感じや屋根の曲面の卵っぽい感じは、見る人がみれば、ほほーナルホドネー(まあよくあるつくりではあるけれどetc・・・とかなんとかぼやきつつ。)という感じかもですね。
でもなんだかんだとプロの真似みたいなことをいくらつぶやいてみても個人的にはやっぱり、ここはガンダム鑑賞のための階段と言いたいですかね。(笑)


ガンダムが見れる階段3
写真3

最後はいちおうここの施設に行ったことないかたのためにですが、写真2の右側にはこんな具合にダイバーシティー東京の建物がのっぺりと建っていたりします。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
江東区青海1

今回は、時期てきなこともあり、あまり遅くに公開しても実感ないかなーということで、かなり直近のことですが神宮外苑花火大会が行われた日にちょっと変わった試みをしてみました。


富士見坂から花火1
写真1

まずはこちら。(写真1)
ちょっとわかりにくいかもですが、道路の向こうで花火みえてますよね。
そうなんです。
実は今回は花火見物のまえに、ちょっと下調べをしてみて都内の富士見坂から神宮外苑花火大会の花火が見えるポイントないかな〜と地図とにらめっこしてみるとあったんですよ。

過去記事でいえば、富士見坂 (NO.10)の千代田区永田町にある富士見坂で、場所的にはメトロの永田町駅やら赤坂見附駅が一番近い駅となっている坂道です。


富士見坂から花火2
地図

地図で見てみるとこんな感じでした。(グーグルマップを利用して加工したものです。)
今回の富士見坂 (NO.10)はちょうど東から西へと下っている坂道で坂道の軸線がほんとうに神宮外苑あたりを通っていたんですよ。
地図でいえば、青の点線あたりが富士見坂で、赤の点線で囲われたエリアが花火大会の行われた神宮外苑です。
もうこの位置関係を地図で再確認した瞬間、行かねば〜という感じでしたよ。(笑)


富士見坂から花火3
写真2

で、場所を変えて見てみてもやっぱり見えていましたよ。(写真2)
現地では僕が写真取り出しはじめてから人もちらほらと集まりだしてきました。


富士見坂から花火4
写真3

こちらはもうすこしカメラをズームにして撮ってみたものです。(写真3)
とりあえず花火に目がいってしまいますが、ここは富士見坂でもあるので、もし高速やらビルがなければ花火の向こうに富士山が!というロケーションも期待できるかもですが、まあ今の状況では夢の話ですかね。


富士見坂から花火5
写真3

また場所を移動して、坂の途中で花火がよくみえるポイントがあったので、そこにてぱちりと。
高低差具合からするとこのあたりはなかなか良い感じの場所みたいです。
(あと、どなたか知りませんがうしろ姿写ってますが気にしないでくださいな。)


富士見坂から花火6
写真4

そして、さっきのポイントでは花火に見いっていて全然動いてくれなさそうだったので(笑)、またまた移動してみました。
位置的には坂の中腹あたりですかね。(写真4)
ここからもなんとか見えていましたよ。
しかも坂道風景的にはここからのものがたぶん坂道と高速の高架の見え具合がよさげにみえるポイントのひとつでもあるので、これはこれでなかなかよかったかもです。
(でもなぜか警察の警備の人がいて(もしかしたらデモ関連かもしれませんが・・・)あまり落ちついてはみれませんでしたけど。)

ということで、いままでなぜこのことを思いつかなかったのだろう?というくらい写真撮るとき、すごく楽しかったです。あとはこの坂以外にも乃木坂も行ってみたんですが、こちらは地図では坂上のほうでなら下りながらみえるはずだったのですが、現地では完全に花火方向に背の高いビルがあってみえませんでした。また来年の花火大会までにはもっと下調べして他の場所もないかどうか調べてみたいものですよ。


住所
千代田区永田町2丁目あたり

このまえ、町田のほうで開かれた友人の関川くんの自身初のオープンハウスでのことはこのブログでも紹介しましたが、なんとそれからまだ日も経ってないのに、またまた新しい家が竣工したらしく、そのお披露目会というかオープンハウスにお呼ばれしたのでとりあえず行ってみましたので、今回はその報告など。

時期的にはもう気がつけば一ヶ月ほど前の話なのですが、当日はさすがに前回の町田の家から一ヶ月しか経ってないのにまたオープンハウスを開くということをきき、ちょっとびっくりしながらも、ちょうどうまく時間があいている日だったので訪問することができました。

まず、この家の場所なのですが、(お施主さんのプライバシーのこともあるので、だいたいの場所しかいえませんが)JRの大森駅から徒歩10分くらいの場所にありました。
なのでこのブログ読んでくださっているかたならわかると思いますけど、最初、メールでこの家の住所をきいた時は「ええ〜!」という感じでしたよ、笑。(ここ最近取り上げている池上本門寺界隈の坂道から大森駅までは距離的に目と鼻の先ほど近いですからね。)
そんなこともあり、当日はオープンハウス見学とあわせて坂道散歩まで強行してしまったわけですが(汗)、これが以外といろんな視点でみる練習にもなり、建築見学に坂道散歩、さらに友人との再会という具合に、なんとも楽しい一日をすごすことができたかもです。
唯一のこころ残りは、坂道散歩したおかげで、オープンハウスがおこなわれている現地に到着するのが遅くなり、関川くん以外の見学にきた大学時代の同級たちとスレ違いになってしまったことですかね。

そんなわけで、すこし現地見学した時のことに話をもどしましてですね。


またまたオープンハウスです。1
写真1

坂道散歩してくたくたになりながらも大森駅を通過し、教えられた住所までやってくるとありましたよ。(写真1)
白を基調とした外観のかっこいい感じの家でした。
しかも規模も大きかったです。


またまたオープンハウスです。2
写真2

今回は室内の写真もたくさん撮ったのですが、実はまだ工事中のところも多かったので、大半の写真はピカサのほうにおさめつつ、ここではその中から、リビング・ダイニングルームの大空間の様子を撮ったものをセレクトしてみました。(写真2)
もうなんかこれみるだけでもつくりがゆったりとしているというなんというか。
とにかく豪邸でしたよ。
建築面積だけでもおよそですが80坪あるそうです。(驚)
もちろん2階もありますしね・・・。(2階もあわせると約130坪だそうですよ!)
あとは建築的な視点でみれば、前の町田の家ほどには空間的にはそれほど凝ったことはしておらず(敷地内の高低差もないためとは思いますが)、そのあたりはいたってオーソドックスな設計なのかなーといった印象でしたが、設備系はすごく豪華そうなものばかりだったかもです(日本間やらシアタールームもありましたし)。


またまたオープンハウスです。3
写真3

で、こちら(写真3)は関川くんの後ろ姿です。(笑)
見学者になにやら説明をしているようでした。
ちなみにこちらの部屋は写真2と同じくリビング・ダイニングルームです。

そして、これ以外にも見学途中でパートナーさん(奥さんですね)が操作中に天窓が閉まらなくなり壊れた〜と騒ぎになったり(これはこのあと解決しました)、帰りにはおみやげものをいただくなどもして、なにげにサプライズあったりして。
そういう意味ではいろんな意味で楽しめましたので、感謝ですなり。


ということで、今回は日記がてらのエントリーなのでさらりとこんな感じですが、いちおうさきほども書いたとおり、このほかにも室内の様子を撮った写真をピカサ(ウェブアルバムです)にたくさんあげてありますので、気になるかたはよかったらそちらもどうぞ。

→ ピカサの写真ページ(大森の家by関川)

今回も無名坂です。
このあたりはほんと気になる無名坂多いですが、今回は特に事前に狙ったものではなく、前にとりあげた大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂を歩いていた時に見つけた坂道です。


ごつごつ坂道と文豪1
写真1

まずこちらですが、「大田区南馬込4丁目の臼田坂そばの富士山が眺められる坂」(長い・・)の坂下あたりからふと北側方向をみるとなんだか気になる坂道が目に飛び込んできたので、思わずぱちりと。


ごつごつ坂道と文豪2
写真2

で、そのままテクテク歩き、坂下あたりまでやってきてしまいました。
なんかプラモデルのジオラマのようなつくりの坂道にちょっと感動。
坂の右側の斜面部分のなんともいえない荒々しさに加えて、左側の擁壁は斜めに傾いていたりして、なんかいちいち気になってしまいましたよ。
本来ならこういう感じの路地坂道はありがちなのですが、今回のはそのディテールがおもしろくて、いろんな表情が見える感じ。


ごつごつ坂道と文豪3
写真3

そして、坂道右側の斜面部分をアップで見てみると。
荒々しいですねー。
丹精につくられた擁壁のうえには溶岩がんそのまま固まったようなごつごつとした斜面のコンクリート。
しかも、かつては危険防止の柵がわりにもなっていたであろう石の車止め支柱も6本のうち4本が折れていて良い感じ♪♪。


ごつごつ坂道と文豪4
写真4

そしてそして、こちらは写真2で見えていた坂上あたりから左に折れるとさらにゆるやかな坂道となっていました。
ただここ、坂道的には普通な感じなのですが、実は家帰ってからわかった事実として、この坂上の青のトラックのさらに上のほう右側にかつて、あの三島由紀夫が住んでいた家があるそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
時期てきには昭和34年から亡くなるまでのころみたいです。

これにはちょっとびっくりという感じでした。
この事実を知っていればちゃんと奥まで歩いたのにですね。(といっても僕の場合、村上春樹さんの影響もあって三島由紀夫氏の作品はまだ2作くらいしか読んでなくてあまりよい読者ではないんですよ。ただ実家には母が好きみたいで全集あるようですが。)

しかも、それ調べていたら、なんと写真1の道をさらに奥、徒歩でいうと1分くらいの場所に、あの稲垣足穂が大正12〜昭和5年のあいだ住んでいた家もあったそうですよ(馬込文士村のサイトによれば)。
ただこちらは三島由紀夫の自邸と比べると、自邸ではないみたいで、馬込文士村のサイトには『神戸時代の同級生だった衣巻省三の家に転がり込んで以来酒浸りの人生。馬込のモダンボーイ。』なんてことが書かれていましたよ。
いやはや。

なんというか、とりあえず意味なくひかれる坂道というのも調べてみておくものですね。


ごつごつ坂道と文豪5
写真5

で、こちらが写真2で見えていた坂上あたりから坂下のほうを眺めてみました。
まあここからの風景だけみればいたって普通な感じですかね。


ごつごつ坂道と文豪6
写真6

でも坂の左側(写真5の)みると、こんな崖のような荒々しい斜面になっているというわけですよ。

なので、生前の三島由紀夫もこの坂道の風景みながら、よく上り降りしたのかもしれないですね。



住所
東京都大田区南馬込4-33あたり

このあたりはどうも多いのですが、今回も名前のない坂道をとりあげてみたいと思います。

もうタイトルだけでほとんど伝えること書いちゃってますが、前にとりあげた臼田坂(NO.231)の坂上あたりに西の方に折れる道(臼田坂(NO.231)のページで言えば、写真4の右側)があるのですが、そこがちょうど良い感じの坂道になっていて、しかも(ネット情報によれば)そこから時期があえば富士山も見えるということで、歩いてみたわけですよ。


南馬込4丁目の臼田坂そば1
写真1

で、こちらが、坂上からみたものです。
距離は短いので、すでにここからも坂下の様子が伺いしれてますけど、高低差具合はけっこうあるみたいなので、なかなか良い感じの風景がひろがっていました。
位置的には今立っている場所が臼田坂(NO.231)の坂道上ということになります。
おそらく臼田坂(NO.231)を歩いていて、風景を気にしながら歩いていれば、おお!という感じでなにげに立ち止まってしまう場所でもありそうでしたよ。

そして、肝心の富士見坂の話ですが、富士山の方角は坂の軸線からは写真1でいえば、左にずれているみたいなので、ここからだと建物がじゃまで見えなさそうなので、どうやら坂をもうすこし下ったあたりからなら時期があえば富士山見えるかもですね。(ネットで見かけた写真と見比べてもですね。)

あとは、写真1の左側に勾配16%という標識があるのもみものですかね。
なんとなくこれあると、こっそりと大田区の関係者の方々が実はここおすすすめの坂なんですよ〜、とかなんとか言ってるような気がするんですよ。(笑)

また、写真では写ってないですが、写真1の左側にはマンションがあって、その名前が「ふじグレースマンション」という名で、はじめに“ふじ”とつけられていることも、興味深い事実になりそうですかね。
おそらく建てられるまえなら、坂上からも富士山見えた可能性あるわけですから。


南馬込4丁目の臼田坂そば2
写真2

そして、一気に坂下までやってきて坂上のほうを眺めてみました。
まあとりたてていうことありませんが、あえていえば、(馬込文士村のサイトによれば)この坂の途中に臼田甚五郎なる文学者のかたが住んでいたそうですよ。


住所
大田区南馬込4-43あたり

所在地:大田区南馬込4-46あたり


うすだ坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた汐見坂(NO.223)の坂下から西へ徒歩数分の場所に龍子記念館なる施設があるのですが、今回の坂はそこから東へ徒歩2,3分のところにある坂道です。


臼田坂(NO.231)1
写真1

まずは、坂上あたりの様子です。
閑静な住宅街にある坂道で、このあたりはそれほど勾配はなくなだらかな傾斜道でした。
ただ坂道自体はけっこう長めのつくりなので、坂下のほうまでは見えていませんでした。


臼田坂(NO.231)2
写真2

また写真1の左側をみるとちいさな稲荷らしきものがありました。
ただこの場所については現地でもメモしていなくて写真だけ撮っただけなので詳しいことはわかりませんが、どうやら、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によれば、この稲荷の敷地内かこの写真の左側のほうに磨墨塚なるけっこう有名な塚があるらしいですよ。
詳しくはウィキペディアにも説明ありましたので、気になるかたいればそちらのほうをどうぞ。
→ 磨墨塚

あと写真2でも見えているのですが、ここにもいつもように坂の碑があり、『坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起つたといわれている。』と書かれてありました。

これ以外に、大田区の公式HPにも坂の説明があり、実はこちらのほうがかなり詳しく坂の由来などが書かれていたので、こちらのほうも抜粋するとですね、
『大田文化の森前から北西に曲って荏原町へ抜けるバス通りの坂道です。昔から馬込より大森へ出るには、この坂と闇坂が主な道でした。このバス通りを昔は田無街道と呼んでいました。馬込を抜け、荏原町から三軒茶屋を経て田無へ通じる街道でした。明治4年に東京府制が施行されてからもこの道路は府道第56号大森田無線と呼ばれています。臼田坂の坂名については、坂のあたりに臼田姓の家が多かったので、この名が起ったといわれています。また、坂周辺には大正末期から昭和初期にかけ、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住み、「馬込文士村」という言葉も生まれました。文士村のメインストリートであったこの坂も、当時は今日と異なり赤土の急坂でした。萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。』
と、ありました。

そうなんですよ。
現地歩いている時は、すっかり忘れていたんですけど、このあたりはかつて「馬込文士村」と呼ばれていた地域で、説明にもあるとおり萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住んでいたそうですよ。
しかもこの坂が文士村のメインストリートだったんですね。
そして、説明には「萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。」なんてことも書かれているので、ちょっと調べてみたんですが、ありましたよ!
かの有名な青空文庫のサイトにですね。→「」(青空文庫のサイトです)
ただこの「坂」という作品。
坂の説明に臼田坂あたりを魅力的に描写していますとあるのですが、この散文詩を読む限りでは直接的に臼田坂とわかる表現はしていませんが、「馬込文士村」のサイトによれば、萩原朔太郎はこの坂のそばに大正15年〜昭和4年のあいだ住んでいたらしく、この散文詩は昭和2年に発表されたものらしいので、おそらくかなりの確率でこの坂を意識した風景描写がされていただろうと思われます。
なので、とりあえずぱっと読んだだけではわかりにくですが、この散文詩を何度もよめば当時の雰囲気もかなり浮かんでくるのかもしれないですね。


臼田坂(NO.231)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみたものです。
風景自体はなんてことないのですが、実はこの写真3の中央右あたりに見えている黄土色ぽい外観のマンションの右奥あたりに、「馬込文士村」のサイトの情報によれば、かつて萩原朔太郎が住んでいた家があったそうですよ。(確認はしていませんので、もしかしたら今もあるのかもしれませんが・・・。)


臼田坂(NO.231)4
写真4

そして、さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
このあたりから傾斜具合もすこしあがってきているようでした。
またそれほど背の高いマンションもないためか空もひろく見えていました。

またこの坂の軸線方向も実は海方向(南東ですね)に下るかたちでむかっているので、ここも別名で潮見坂と行ってもいいのかもしれませんが、実はこの近くの汐見坂(NO.223)が東方向に向かって下っているのにもかかわらず汐見と坂名ついていますので、潮見(汐見)の指すかつての“江戸の海”の定義がほんとうにわからなくなってきているのが現状ですので、こちらもまた保留ということでお願いします。。


臼田坂(NO.231)5
写真5

途中には良い感じで古くなっている階段もありました。
実はこれ、写真4でも道路左側に見えていたりするんですよ。


臼田坂(NO.231)6
写真6

さらに坂を下ると、これまた良い感じで道がすこし左にカーブしはじめていました。
あとは、道左側に樹々と間違えそうなくらいたくさん蔦のはえた緑の家が見えていて、これまたなんともかんとも。。


臼田坂(NO.231)7
写真7

いちおう写真6とだいたい同じ場所から坂上のほうも見てみました。
風景的にはこれといったものないですけど、高低差具合はわかりやすいんじゃないですかね。


臼田坂(NO.231)8
写真8

で、さらに坂を下ると、やっと坂下あたりもちらりと見えてきました。
また、写真8の左に立派な石垣とその上に大きな松の木などが見えているあたりなのですが、どうやらこのあたりに(「馬込文士村」のサイトによると)川端康成が昭和3年から4年のあいだ、住んでいたらしいですよ。


臼田坂(NO.231)9
写真9

さらに坂を下り、坂上のほうを眺めてみました。
道もゆるやかにカーブしていて、このあたりは勾配具合もけっこうあったのでなかなか良い感じで坂道風景ひろがっていたかもです。


臼田坂(NO.231)10
写真10

最後は坂下あたりの様子です。
このあたりまでくると道も平坦になっていました。
また、写真10の左側あたりに、(これまた「馬込文士村」のサイトによると)石坂洋次郎が大正13年から14年のあいだ住んでいたとのことですよ。

というわけで、散歩当日、ここがかつての文士村のメインストリートであったことを知っていればもうすこしつぶさに調査したんですが、いかんせん今回はこんな具合です。
(なので、そのうちこの史実もあわせてまた調べに行ってみたいと思っている今日この頃ですなり。。)


地図
大田区南馬込4-46あたり

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