東京坂道さんぽ

2012年10月

最近、また九段坂についての気になる史実が書かれた本を見つけたので、今回はちょっとその話でも。


九段坂の高低差と燈明台1

いきなりですが、こちらは『色刷り明治東京名所絵・井上安治画』という本にあった九段坂の名所絵です。(ただしデジカメで、風景を撮る感じでぱちりと絵を撮ってみたものを加工したものですので、絵が一部歪んでますのであしからず。)

で、この名所絵ですが、参考本のタイトルにもあるとおり井上安治なる絵師によるものだそうですよ。
(前に、「九段坂・今昔メモ」という記事で登場した明治時代の九段坂の写真と見比べてみてもおもしろいかもですね。)
ただこの上の絵を見る限りでは、常燈明台も今の位置になる前の坂の北側(靖国神社側)にあり、ほんとうに坂の上の頂上からのもののようで、見た感じかなりの丘の上の風景といった感じが誇張しているのかなあとすこし思ったわけなんです。

でも、実はそうでもなさそうなんですよ。

そこでまずは絵の解説文として本に書かれてあった一文をすこし抜粋してみますね。
『戦前には、陸軍将校クラブであった偕行社があり、構内に常燈明台が建っていた。(略)。明治三年招魂社として創建された靖国神社のために献燈として明治四年(一八七一)建てられたという。標高二五メートルという東京の最高所だから品川沖を航行する船の唯一の目標になるというので評判になったのも無理はない。』

ふーん。そうなんですね。
そして、抜粋分ではちょっとした常燈明台の史実とともに“標高二五メートルという東京の最高所”なる一文があるんですよ。
要は標高25メートルといえば、あの都内の自然の山としては最高峰の標高でもある港区にある愛宕山でも(だいたいの標高が測れる地図サイト)マピオンによれば海抜25m(ウィキペディアでは標高25.3m)ということなので、江戸から明治時代のころであれば、ここから海方面にかけては愛宕山に負けないくらいの高低差があり、かなりの高所だったということになりそうなんですよ。
いちおう愛宕山と同様にマピオンで九段坂の海抜を計ってみると坂上のほうはたしかに海抜25mという表示がでてきました。
そんなわけもあり、前にみちくさ学会の九段坂の記事でもこの坂は潮見坂であると予測はしてみたものの、あんな立派な常燈明台が九段坂の坂上あたりにありきちんと本来の役割もはたしていたというのは現在の景色をみると想像しにくいこともあり、やっぱり気になるなーと不思議に思っていたんですけど、この史実やデータをみるとやっぱりそうだったんだなあーとちょっと納得してしまいました。


九段坂の高低差と燈明台2

ちなみに現在の常燈明台はこんな感じです。
位置は坂の南(日本武道館側)に移動していますけど、上の絵と見比べてみてもそれほどつくりというかデザインの違いが感じられないので、今の常燈明台はほぼ昔と変わらない形で残っているのかもしれないですね。


あと、この他にも、参考本には、
『この常明燈は、漱石の「三四郎」のなかでは、広田先生に「時代錯誤」と批評されている。ヨーロッパ留学で、本場の建築になじんできた漱石としてはもっともな意見ではあっても、いまの時点で明治初年の混乱期のモニュメントとしてみえれば珍重に値する。』
という一文もあり、ちょっと気になったので小説「三四郎」の本文ではどこの部分なんだろうと思い調べてみたらありましたよ♪♪

『「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。』
(以上は青空文庫からの引用です。)

なんとも路上観察学的な会話というかタモリ倶楽部でぱらりとでてきそうな会話のやりとりというか。。(笑)
なんかいい感じですね。


住所
千代田区九段北1あたり

今回もお台場シリーズです。


台場公園の高低差1
写真1

いきなりこんな写真ではじめてみたのですが、これだけみるとなんじゃこれという感じですかね。

で、その場所なんですが、この階段、台場公園内にあったものなんです。
台場公園といってもぴんとこない方もいるかもしれないですけど、要はフジテレビとレインボーブリッジの間にある知る人ぞ知る砲台跡のある場所といえばわかりますかね。
そして、そんな場所に写真1のようなどこぞやの登山道かと間違えそうな階段があったというわけなんですよ。


台場公園の高低差2
写真2

ただ写真1の左側をみるとこんな景色が見えていました。
こちらもこれだけだとちょっとわかりにくいですけど、手前に見えている橋はレインボーブリッジだったりします。
かなり近いですね。


台場公園の高低差3
写真3

ちなみに階段下から見るとこんな感じでした。
緑いっぱいなのですが、どこか人工的というか手入れがものすごいされている感じがなんともあれですかね。
個人的には、現地でこれ見た時はなんかジブリ映画にでてきそうな風景っぽいなあと勝手に想像してしまい、思わずぱちりとしてみたわけなんですが、この写真だけだとあまりそんな感じはないかもですね。。(笑)


台場公園の高低差4
写真4

しかも、写真3の右側をみると、なにやら立派な石垣にはさまれた水路のような抜けがあり、その奥には海とレインボーブリッジが見えているなど、気になる景色が広がっていました。
なんか草ぼーぼーな感じですけど住所を確認すると、ここはいちおう港区だったりします。(笑)


台場公園の高低差5
写真5

で、今度は、位置でいえば写真3の背後にもこんな階段がありました。
なかなかの高低差具合に両サイドの緑が良い感じ。
こちらの緑もすごく手入れされてる感いっぱいでした。
階段自体も、写真をあらためてじっとみてみると、荒い石のかたまりのようなものと四角く人工的な石(もしかしたら木かも。現地では確認してなかったです。汗)が交互に組まれていて、かなり渋いつくりになっているようですね。
こういうつくりの階段はなかなか見ないかもです。


台場公園の高低差6
写真6

いちおう坂上というか階段上からも坂下方向を見ながらパチリと一枚。
遠くのほうには当たり前ですけど、海が見えてます。


台場公園の高低差7
写真7

そいでもって、写真6の右側をみると、ドアップのレインボーブリッジが。。


台場公園の高低差8
写真8

そして、写真6の左側を見ると、台場公園の全景とともに、奥にはあのフジテレビのビルも見えていましたよ。

ちなみに、この台場公園内にも、まちでよくみかける案内板があったので、最後にそのまま抜粋しておきますね。
『台場公園(第三台場):「お台場」の名で知られる品川台場は、江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた砲台跡です。設計者は伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍で、ペリーが浦賀に来航した翌年の嘉永六年(一八五三年)八月に着工、一年三ヶ月の間に六基が完成しました。現在は大正一五年(一九二六年)に国の史跡に指定された第三、第六台場だけが残されています。このうち第三台場は、昭和三年東京市(都)によって整備され、台場公園として開放されています。周囲には、海側から五〜七mの石積みの土手が築かれ、黒松が植えられています。また内側の平坦なくぼ地には、陣屋、弾薬庫跡などがあります。』

あ、あと説明に江川太郎左衛門英龍なるこの砲台の設計者の名が書かれていたのでちょっと調べてみたらウィキペディアにありましたよ。
江川英龍
たぶんこの人だと思うんですが、気になったのは“日本のパン業界から「パン祖」と呼ばれている”というところで、説明によれば日本ではじめてパンを焼いた人となっているみたいでしたよ。
ほほー。(笑)

というわけで、今回はこんな感じです。



住所
港区台場1

今回はタイトルは建築とついていますが、いちおう話的には階段というか坂道話です。(無理矢理感ありますが・・。)
ちょっと前の暑いさかりにお台場に行った時に見かけて気になったものです。


お台場の階段建築1
写真1

見てのとおりなのですが、ふらりと埋立地を歩いていると屋根というか屋上というかそういう部分が階段になっていた建物を発見してしまいました。
ちなみにここは「有明清掃工場」というごみ処理施設のようで、見た感じでは高低差もあっていかにも歩いてみてくださいという階段だったので、「おおー、この階段上って海を見てみたい〜!」と思ったわけですが、実際、入口までいってみると残念ながら中には許可なくは入れないようになっているようでした。。
そういう意味ではなんと無駄なつくりだろうという感じですが・・・。(笑)
ただ階段の方向的には北東を向いているので、階段上からの景色を予想すると海よりも陸地や川そしてスカイツリーなんかがうまくみえるんだろうなーという感じかもですね。

それでなぜか気になったので建築データも調べてみるとやっぱりありましたよ。
東京都臨海副都心清掃工場(有明清掃工場)
けっこう遠目からみると渋いつくりしていたんですね。


お台場の階段建築2
写真2

そして、写真1の右側をみると、これまた奇妙な外観の建物が。。
こちらは「有明スポーツセンター体育館」という区の施設のようでした。
まさにビルの上にUFOという感じですかね。
いちおうこちらも建築データありました。
有明スポーツセンター


お台場の階段建築3
写真3

ちなみにこの有明スポーツセンターへ道路側から入るためには、こんなふうに道路レベルからまるまる建物1階分の高低差のけっこう立派な階段があったりします。
ここは人工階段で土地や地形の制約も少ないので、たぶん階段的にはこれくらいの勾配具合が理想なのかもしれないですね。


お台場の階段建築4
写真4

最後はおまけですが、有明スポーツセンター体育館、写真2でいえば建物の最上部が横長の長い窓になっていますけど、そこの内部から見えたレインボーブリッジの風景です。

そんなわけで、有明清掃工場の階段については、いつか許可でもとって上り降りしてみたいですが、いつのことになるのやら。。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
江東区有明2-3

今回はちょっと寄り道です。


給水塔のある坂道風景1
写真1

こちらは前回、「大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂」として取り上げた無名坂の坂上には給水塔があると書いたのですが、今回はその無名坂と坂上でつながっていて給水塔の隣を通っている坂道(こちらも無名坂です)があったので、おもわず寄り道がてら歩いてみた時に撮ったものです。

給水塔のスケールと坂道のスケールがなんだかちょうど良い感じかなーと。
ちなみに写真1でいえば、坂上の信号があるあたりが、「大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂」の写真3の坂上あたりということになります。


給水塔のある坂道風景2
写真2

いちおう同じ位置より、坂下のほうを眺めてみるとこんな感じでした。
けっこう坂上と坂下の高低差ありそうですかね。


給水塔のある坂道風景3
写真3

あと、せっかくなので、もうすこしひいた位置より、給水塔を見てみると、手前の新しいものに加えて坂とは離れた奥の位置に古い給水塔もありましたよ。


給水塔のある坂道風景4
写真4

で、こちらはその古い方の給水塔の敷地内の写真です。
とにかく、なんか青々と茂った芝生の上でのこの打ち捨てられた感が印象的だったので、おもわずパチリと一枚。

位置的には写真奥のほうが、今回とりあげている坂道の方向なので、写真3でいえば、奥からこちらを見た方向ということになりますかね。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
大田区西馬込2-16あたり

今回はこのあたりはどうも多くなっている感のある無名坂の話です。
そしてここも坂の途中から富士山が見えるとの報告がある坂道でもあるんですよ。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂1

写真1

というわけで、いきなりですが坂下からの様子など。
場所てきには、前にとりあげた六郎坂(NO.234)の坂上から北東方向に道を曲がるとこのあたりにやってきます。
なので、ここは坂下といっても六郎坂(NO.234)の坂下から見えればけっこうな高低差になっているというわけなんですよ。

で、坂道自体に目を向けると見てのとおり勾配具合もゆるやかで、閑静な住宅街にある坂道といった感じでした。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂2
写真2

お次は、さらにゆるやかな坂を淡々と上っていくと、どうやらもうこの坂の頂上あたりが見えてきだしました。
また、その向こうにはなかなか渋いつくりの給水塔なんかもちらりと見えていました。


大田区仲池上1丁目のテニス場の横を通る眺望坂3
写真3

そして、一気に坂上までやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
左側にはテニスコートもあり、この近くには他にも前にもブログで取り上げた坂の途中にテニスコートがあったとおり、こういうテニスクラブがつぶれないできちんと運営できていることからも、このあたりはそういう趣味を持っている方々がけっこう住んでいるんだなーとちょっと坂道歩きながら思ってみたり。

そしてそして、肝心の富士山の話ですが、こちらはネット情報(坂学会さんとその他の方々)によれば、どうやらこの道の軸線上というよりはちょっと左にずれていて、写真3の手前から電柱が3本見えているあたりの樹木との境界線あたりに時期があえばぽっこりと見えるみたいです。

ちなみにこの坂の高低差をマピオンで調べてみたらなんと1m(坂下20m、坂上21m)という結果がでましたよ。
どうりでゆるやかな坂道だったんですね。


住所
大田区仲池上1-9あたり

原宿表参道のMUJIの隣の階段1
写真1

いきなりですけど、だいぶ前にも取り上げた原宿は表参道の今はソフトバンクショップの裏手といったほうがわかりやすいかもしれないこの階段。
不思議な高低差が忽然と現れている感じがおもしろくてとりあげてみたわけですが、今回はさらにちょっと気になるものを発見。


原宿表参道のMUJIの隣の階段2
写真2

それがこちら。
ちょっとわかりにくいかもですが、奥の階段に対して、手前のマクドナルドへの入口から上る階段の勾配が・・。
一緒なんですよ。
(人が多くてなんですが。。)

ただここはマクドナルドがこのことに気がついて、こんな風につくったのではなくて、実は6年前の写真を見てもどうやらこの建物〈アルテカプラザというそうです〉自身のつくりができた当初からそうなっていたようなんですね。

なぜ当時は気がつかなかったんでしょうね?


原宿表参道のMUJIの隣の階段3
写真3

で、こちらが店内に向かう階段の途中から階段と表参道のほうをみてみたものです。
あらためてじっとみるとなんか変な光景ですかね。

でもやはりこの建物の階段と地形の階段の並列しているこの感じはそうそう都内にもない場所かもですよ。


住所
渋谷区神宮前1

所在地:大田区仲池上1-13あたり


ろくろう坂と呼ぶそうです。
場所はこの前とりあげた無名坂(大田区仲池上2丁目の眺望坂)の坂下の道を北に徒歩1分くらいの場所にあり、そこから北に向かって上っている坂道です。


六郎坂(NO.234)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
写真1でいえば左側の道が六郎坂です。とりあえず、正面に懐かしいというか古いつくりの家があったので、思わずそれメインで撮ってみたので、こんな具合になったわけですよ。

あとは写真にも写っていますけど、ここにもいつものように坂の碑があり、
『坂名は、江戸時代後期、この村のために尽した海老沢六郎左衛門の屋敷が坂にそってあったことに由来する。坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。』
とありました。
なので江戸時代後期の人物の名前が坂名の由来になっていることから、この坂もけっこう昔からあったようですね。


六郎坂(NO.234)2
写真2

次は坂をすこし上り、坂上のほうを見てみたものです。
坂道自体はいい感じで左にカーブしながら上っていっているようで、勾配具合もきつくもなく緩くもなくといった感じの道でした。
でもやっぱり坂の雰囲気が最近取り上げたこの近くにある無名坂や大尽坂(NO.233)など耕地整理によりできた坂道と比べるとなにか違う感じがしてしまうのは気のせいでしょうかね。


六郎坂(NO.234)3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていた土むき出しの場所があったので、思わず近くによってぱちりと。
今時の都内の閑静な住宅街に、こんな具合に忽然と土の風景が現れる感じがなんだかおもしろいなーと、意味も無く見入ってしまいましたよ。。
この土はいつの時代のものなんだろーとか・・・。(笑)


六郎坂(NO.234)4
写真4

さらに坂をのぼると道路自体も直線になり、坂上のほうも見えてきました。


六郎坂(NO.234)5
写真5

そして、坂上までやってきたので、坂下のほうを眺めてみました。
写真4までのものだとちょっと勾配具合がわかりにくかったかもしれないですけど、ここからだとわかりやすいんじゃないですかね。
ちなみに、あまりネタがないので(笑)、前にも登場したマピオンで高低差を調べてみると、なんと高低差は11m(坂上は海抜20m、坂下は海抜9m)もあるみたいなんですよ。
建物でいえば3階半くらいですかね。
これはちょっと驚きだったかもです。



地図
大田区仲池上1-13あたり

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