東京坂道さんぽ

2013年08月

所在地:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり


ちょっと今回は、品川の新シリーズが始まったばかりでなんですが、夏休み遠征ということで(といっても行ったのはすこし前なので、勝手にこじつけですが・・・)、箱根にある坂道をすこしばかりとりあげてみたいと思います。


坂の名は「こうえん坂」と呼ぶそうで、場所は箱根登山鉄道の強羅駅のすぐ近くにある坂で、名前のとおり駅前の通りから坂上にある箱根強羅公園へと上る坂道です。


公園坂(NO.241)1
写真1

まずは坂下の様子です。
写真1でいえば右側に駅前のお土産物屋さんが建ち並ぶエリアがあり、そこから坂上にある公園へと向かう道に公園坂という名がつけられたみたいですね。
そして坂上のほうをみると坂道の向こうに箱根の雄大な山々がちょうど目に飛びこんでくる場所でもあり、なかなかいい感じでしたよ。

ちなみに、ここの海抜は(マピオンによると)、545mとのことです。
なので余談ですけど都内でいえば、スカイツリーの展望台の場所よりはすでに高い場所にあったりするんですね。


公園坂(NO.241)2
写真2

あと現地では、こんな感じで坂の案内がありました。
ただこれ、都内での坂の碑のように坂の説明は書いていないようでしたよ。


公園坂(NO.241)3
写真3

次はすこし坂を上り、坂上のほうを眺めてみました。
左側は季の湯雪月花という旅館、右側は土産物屋さんや食事処ということで、これまた都内ではなかなかみられない坂道風景が広がっていました。
しかも勾配具合もなかなかのもの。


公園坂(NO.241)4
写真4

いちおう坂下のほうも見てみした。
坂下にちらりと見えているのが箱根登山鉄道の線路ですね。


公園坂(NO.241)5
写真5

さらに坂を上り、坂上のほうを見てみました。
まだこのあたりは写真3と同じく旅館とお店が両側にあって、なんだか箱根にいるなーという気分がまだ続いていました。
またこのすぐ右側には八代亜紀さんのお店(みた感じで確定ではないですが写真がバシバシ張ってあったので)ありましたよ。
(どうりですこし前にネットでもちょっと話題になった(かも?)、エヴァの曲を彼女が歌っててなかなかいい感じだったというニュースがあったと思うのですが、おそらくここともすこしばかりは関係していたのかなーとちょっと想像してみたり・・・。)


公園坂(NO.241)6
写真6

それはさておき、さらに坂を上ると、突然まわりを樹々に囲まれました。
しかも道の舗装もドーナツ型になるくらい、ちょっときつくなってきました。
あとこの道の曲がり具合はすごくいい感じかもですね。


公園坂(NO.241)7
写真7

そして、樹々のトンネルをぬけると、また坂道は直線になっていました。


公園坂(NO.241)8
写真8

さらに坂を上り、今度は坂下のほうを見てみました。
むむむ。なんかうまく説明できないですけど、いい感じでしたよ。
左側の樹々といい、右側のお店といい。
しかもこのあたり、けっこうな勾配具合だったんですけど、ただの舗装道でした。
都内であれば、ドーナツ型すべり止め舗装になりそうなくらいの場所だったんですけどね。


公園坂(NO.241)9
写真9

そして、やっと坂上までやってきました。
坂名の由来ともなった強羅公園もこのすぐ坂上側にあります。
もうこのあたりまでくると、途中の樹々のトンネルエリアのおかげで坂下のほうはまったく見えなかったので、またまたマピオンでここの海抜を調べてみるとですね、ここは573mとのこと。
ということは高低差28m!
なんとマンションでいえば8階分くらいの高さということになるみたいですよ。。
いやはや。


公園坂(NO.241)10
写真10

またこのすぐそばには、写真10のように坂の案内板が設置されていました。
なのでここが公園坂の坂上ということで大丈夫みたいですね。
あとはこの坂道が箱根の古道とどういう関係にあるかということを調べればすっきりするのですが、それはまた別の方におまかせするとして、今回はこんな感じです。



地図
神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり

去年の神宮外苑花火大会では、とある街の風景191(富士見坂から花火を眺めてみる)の記事のようなことをしてみたわけですが、先日行われた花火大会でも同じく地図とにらめっこして、富士見坂ではないですのですが、坂道の途中から花火が見えそうなところを探してみて、とりあえず行って見物してみるという試みをしてみました。


坂道からの神宮外苑花火1
写真1

それがこちらですね。
まあこれだけじゃあよくわからないかもしれないですが、青山のキラー通りからのものです。
ここは知っている人も多いかと思いますが通りがかなりいい感じの坂道になっていて、しかも神宮外苑のすぐお隣といってもいい場所だったので、音といい近さといいかなりの大迫力で見れました。
キラー通りについては、まえに3回にわけてこのブログでもけっこう前ですがふれてますので、よかったらどうぞ。
(→キラー通り1キラーどおり2キラー通り3
ちなみに「キラー通り」という名はあくまで通り名であって坂道名ではありませんのであしからず。


坂道からの神宮外苑花火2
写真2

そして、すぐ近くには陸橋があるのを思い出したので、そこに行ってみるといい感じでキラー通りが見わたせました。
写真2は坂上方向を眺めてみたものです。
たださすがにこの日は花火大会のおかげで通りも大渋滞。


坂道からの神宮外苑花火3
写真3

そしてそして、そこからの花火風景がこちらです。
かなりしっかり見えました。(ピンぼけ気味でもうしわけないですが。)


坂道からの神宮外苑花火4
写真4

最後は陸橋からのキラーストリートと花火の景色など。
坂下方向を見ながら、なんとか僕のカメラでも写ってくれましたよ。(あとで広角レンズのカメラもってきてたらなあと後悔はしましたが、とりあえずなんとかという感じです・・・。)

ということで、今回は国立競技場がもうしばらくしたら建て替えられるかもしれないということで花火大会も今年が最後かもというプチうわさもあったのでかなり気合を入れてきてみたわけですが、あとでまわりの地図を確認してみたら、まわりには神宮球場もあるしラグビー場や絵画館前の広場(というか球場?)もあるし、よくよく考えてみたらそれほどあせらなくてもよかったのかもなあと思った花火大会だったのでした。



住所
渋谷区神宮前2あたり

所在地:品川区北品川5-20あたり



大田区馬込界隈の坂道散歩からだいぶ時間が経ってしまいましたが、このまえやっと品川駅界隈の坂道をいくつかまわることができましたので、今回からはそのあたりの坂道を取り上げてみたいと思います。
(というわけで。)


ごてんやまの坂と呼ぶそうです。
場所は、品川駅からはすこし遠いので、大崎駅の東側にあると言ったほうがいいと思いますが、そこに御殿山と呼ばれる高台があるのですが、そこを上り下りするためにつくられたであろう坂道に御殿山の坂という名がつけられています。


240)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
なんとなく右側の建物(これ、上に電車でも走ってそうな感じですが、違うんですよ)のせいかすこしごちゃごちゃしているように見えますが、それでも現地では坂道のまわりの雰囲気は落ち着いた感じでした。

またこの坂道はいつ頃から「御殿山の坂」と呼ばれたのかは不明ですが、坂の途中には、区が設置した坂の案内板があり、さっそく抜粋しちゃいますが、
『このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。もとは急な坂であったが、何回かの修理でゆるやかになった。』
とのこと。
とりあえず、そのままという感じなのですかね。

ちなみに坂の名にもでてくる御殿山、こちらも坂の途中に案内板があったので、せっかくなのでこちらも抜粋しておきますとですね、
『御殿山は、長録年間に大田道灌の館があったと伝えられています。また江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢滝和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文期頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、亨保6年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客で賑わったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が堀崩され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼き討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。また、縄文時代前期の貝塚として知られる「御殿山貝塚」では、最近の調査で御殿山台地縁辺より弥生時代後期と古墳時代前期の住居跡が発掘されています。』
ということでした。
いろいろな歴史もあっておもしろそうな山(でいいのかな?)みたいですね。


240)2
写真2

また左側をみると、川の向こうにゲートシティ大崎のビル群が見えていました。


240)3
写真3

そして、坂をすこし上ってみました。
このあたりで坂はぐぐんとカーブしていました。
またこの位置からだと左側の例のものが建物だということもわかりやすいかもですね。


240)4

写真4

さらに坂道を上り、今度は坂上のほうを見てみました。
このあたりから坂道は直線になり、街路樹がとても印象的なアクセントになっているようでした。


240)5
写真5

こちらは写真4の位置よりすこし坂を上った場所のものです。
このあたりまでくると坂の頂上もちらりちらりと見え出してきていました。
また坂の舗装も例のドーナツリング型の舗装にふさわしく、歩いていてもけっこうな急勾配具合でした。


240)6

写真6

そして、しばらくとことこと歩くと、坂の頂上あたりにやってきました。
このあたりまでくるとまわりは閑静な住宅街といった感じでした。


240)7
写真7

最後は、坂上からの景色など。
ただここからだと、街路樹が元気良すぎて、さらに坂下にある背の高い会社ビルなどのおかげで、景色は見てのとおりで、坂下からはけっこうな高低差具合のはずなのですがひらけていませんでした。
でも江戸時代の頃にもこの道があったならば、今よりはもっと景色がひらけてて海も遠くに見えただろうなということは想像できる場所だったかもです。



地図
品川区北品川5-20あたり

前から今回取り上げる坂道を通るたびに気になっていたので、すこし前にこのあたりを歩いた時の話でも。

場所は渋谷駅の東に位置する國學院大学から東4丁目という交差点までの東のほうに下る坂道で、しかもその途中にはなんと御用邸が隣接しているという実は知る人ぞ知るという場所の無名坂だったりします。


渋谷國學院と御用邸の横の坂1
写真1

まずは坂上からの景色など。
実をいうとここは坂道自体でみると、なんてことない感じの、勾配具合が気持ちいいどこにでもありそうな坂なんですけど、やはりここの特徴は(見てのとおりといえばそれまでなんですけど)、坂の左側に隣接している立派な塀と樹々の存在なのかもですよ。
とにかくここを通るたびに良い感じだなあーと思っていた坂だったので、どこがいいのだろうと考えてみるとやっぱりこの要素がつよいのかなと。


渋谷國學院と御用邸の横の坂2
写真2

ちなみに坂上には、國學院とともに江戸時代後期の儒学者、松崎慊堂宅の跡地に建てられた「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」なる区の施設があったのですが、そこの一郭にこんな松がありました。
この松は、白松とかいて”はくしょう”と読むのだそうで、全国的にも非常に数の少ない稀種だそうで、大正の末ごろに中国北京から持ち帰ったもので、内田治という方が昭和53年に区に寄贈したものだそうです。
ふーむ。


渋谷國學院と御用邸の横の坂3
写真3

話は坂道に戻りまして、すこし坂を下り、坂下の方を眺めてみたものです。
けっこう長めの坂で、左側の御用邸(あ、いきなりでてきましたがそうなんですよー。あとで詳しく書きますが)あいかわらずですかね。


渋谷國學院と御用邸の横の坂4
写真4

今度はだいたい同じ位置より、坂上のほうを見てみました。
こうしてみると意外と高低差具合もありそうですね。
また坂上のほうには國學院大學のキャンパスもちらりと見えていたりしました。(たしか写真で見えている近代的な感じのキャンパスの建物は最近、日建設計が設計したものだったような。とにかくそれなりに知る人ぞしる建築だったと思います。)


渋谷國學院と御用邸の横の坂5
写真5

そして、やっと坂下あたりにやってきました。
もう左側の御用邸の立派な樹々がものすごい感じですね。


渋谷國學院と御用邸の横の坂6
写真6

ちなみに現地では、この坂下にやってくるまで、この左側の敷地になにがあるのか実は知らなかったのですが、写真5の左側はこんな感じで写真6のように御用邸への入り口になっていて、奥に警備の方がいたのでそこで尋ねたら、なんとここは御用邸だったというわけなんです。
ちなみにちなみにこの御用邸は、正確には「常陸宮邸」または「常磐松御用邸」というそうですよ。(これ以上は深入りしないですが、もうこれで誰が住んでらっしゃるのかは明白ですよね。)


渋谷國學院と御用邸の横の坂7
写真7

そして、最後は坂下よりです。
今回はすこし変則的な位置からの眺めですが、御用邸と坂道がよく見える場所があったもので。

ちなみに(しつこいですが)、この坂下の交差点(しかもここ6差路なんです)の向こう側には、前にこのブログでもとりあげた羽沢坂(NO.159)の坂下があったりするんですよ。

ということで、今回はこんな感じです。



住所
渋谷区東4-6あたり

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