東京坂道さんぽ

2014年11月

気がつけば、すこし前のことになりましたが、六本木ヒルズのさくら坂をぶらりとしてきましたので、ひさしぶりにさくら坂界隈の話でも。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔1
写真1

いきなりですが、そのときに坂の様子を撮ってみたのがこちらです。(写真1)
坂上あたりから、坂下方向を眺めてみたものですよ。
さすがに、もうこのあたりは六本木ヒルズがなくならない限りは、今の坂道景色が続いていくのだろうなあと思いつつ。
ちなみにこのさくら坂は、2007年に「さくら坂 (NO.77) /港区六本木6丁目」の記事で取り上げていまして、今みると、撮影した時間が夕方だったこともあり、カメラのISOの感度との兼ね合いもあってか微妙なノイズが混ざっていて、なんとも昔のいい思い出といった感じですが(汗)、やはり7年経った今でもほとんど坂道景色に変化がないことだけは確認できるかもですね。

また、この坂のあったあたりは、実は埋め立て地でもあるのですよ。
とりあえず、こちらも7年前に書いた「玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) /港区六本木6丁目」の記事をみてもらうとすこしくらいはわかるかもですが、今のさくら坂の下にかつて街があり、そこに玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) という坂道もあったという話です。

あと、その後の調査で、「六本木六丁目残影」という本にも、当時の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の写真が載っていたことがわかったのですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔2
画像1(「六本木六丁目残景」より拝借)

それがこちらですね。(画像1)
図書館で該当ページだけコピーしたので白黒画像ですが、当時の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂の途中からの様子を記録したもののようでした。
いまは、写真1で紹介したさくら坂 (NO.77)の道路の下にこの風景がそのまま埋まっているのかもしれないですね。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔3
画像2(「六本木六丁目残景」より拝借)

あと、本には数枚ほどの坂の写真がありましたが、その中で気になった画像をもう一枚。(画像2)
なんかこの画像だけみると白黒なのでおどろおどろしい感じですけど、こちらも玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂下あたりの写真らしいです。
また坂を上った上(画像2でいえば、左上に上がっていく坂の上)にさくら坂 (NO.77) の記事でもでてきた妙経寺なるお寺があるとのことが本に書かれてありました。
ただ、この当時の妙経寺の場所は、今のお寺のある場所とはすこし違っているのですけどね。
そして、これも同じく、この風景というか地形がいまのさくら坂 (NO.77)の道路の下にそのまま埋まっているのかもしれないのですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔4
写真2

と、そんなことをこの日、さくら坂 (NO.77) を歩いていて、思い出したので、かつての玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)界隈の地形の痕跡がそのまま残っている場所にも来てみました。(写真2)
この場所は、2011年に書いた「六本木ヒルズの消えた階段」や「六本木ヒルズの階段から古地図見比べ」のブログ記事でも登場した場所です。
これらの記事は、2007年に「玄硯坂(玄磧坂) (NO.78) /港区六本木6丁目」の記事のため歩いた時に、当時、なんとなくもやもやとしていたことが、その数年後に放送されたブラタモリでこの場所が取り上げられて、一気に解消したのを機に取材してみたものでもあるのですよ。
詳しいことは「六本木ヒルズの消えた階段」と「六本木ヒルズの階段から古地図見比べ」の記事を読んでもらうとして、とにかく、写真2の中央に見えている階段が、ずんずんと続いていて、今は埋まってしまってみえないですけど、玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂下あたりまで下り、合流しているというわけだったのです。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔5
1999年の地図

こちらは、1999年の今の六本木ヒルズのある場所と同じ位置を記録しているゼンリンの住宅地図(要はヒルズができる前の地図です)が図書館にあったので拝借してみました。
前に玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)や写真2の階段を取り上げた時は、航空写真だけでしたけど、こうして詳細な住宅地図を眺めてみると、地図には玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)という記載もあるし、写真2に写っている階段とその左に写っているビルもそのまま地図に記載されていましたよ。(地図の水色に塗っているところが該当箇所です。ニッカ池は違いますけど。)
ちなみに水色でマークした現在の消えてしまった階段の左側には、さきほどふれた開発前の妙経寺の記載もあり(この地図ではわかりにくいですが、お寺のマークが見えていますよね。というかわざと粗くしてみにくくしているのですが・・)、この地図と画像2を比べてみてもなんとなく、画像2がどの位置で撮られたものかが想像できるかもですね。
また同じく、古地図(1999年ですが・・)と画像1と2を見比べてみると、画像1についてもなんとなく撮影場所が想像できてしまい、僕の予想では画像2の坂上側(画像2の右上あたり)からすこし坂を上ったあたりから坂上方向に撮ってみたのが画像1ではないかと思っているのですが、どうでしょうかね。

あとは、江戸東京坂道事典の玄硯坂(玄磧坂) (NO.78)の坂の説明を再度抜粋させていただきまして、
『藪下に下りる坂なので藪下坂ともいった。六本木六丁目四番と十五番の間をテレビ朝日通り桜田神社前から南東、日々窪へ下る狭い急坂で、坂の南側に日蓮宗妙経寺がある。』
という、この文と1999年の地図と見比べながら、地図を追っていくとかなり興味深いですよ。


六本木ヒルズさくら坂と玄硯坂の今昔6
写真3

最後は余談ですが、同日、さくら坂 (NO.77)をそんなセンチな気分で歩いた後に、ヒルズのイベント広場にいくと、なんとあのパトレイバーにでてきたイングラム立像が持ち込まれておりましたよ。(写真3)
いやはや。(二重のセンチ。)

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区六本木6-16あたり

また寄り道です。
場所は、前にとりあげた「まむし坂(NO.252)」の途中にある無名階段です。


瀬田隧道の真上を通っている階段1
写真1

こちらが、その階段です。(写真1)
見てのとおりですが、坂下からの様子です。
またこの階段は「まむし坂(NO.252)」の記事の7枚目(写真7)でもちらりと登場しています。
高低差具合はもちろん、S字にくねくねと曲がっているなかなか視覚的にもおもしろい階段でした。


瀬田隧道の真上を通っている階段2
写真2

次はですね、こちらも「まむし坂(NO.252)」の記事の8枚目(写真8)で登場したものなのですが、この写真、penで撮っていたおかげで元画像はかなりの高解像度で記録されていたため、画像は粗いですがこのような拡大写真が作成できたわけなのですよ。(写真2)
で、そこにはなにが写っていたかというと、瀬田隧道の扉だったんですよ。

実は、このまむし坂(NO.252)を記事にしているときに、まむし坂(NO.252)沿いに、瀬田隧道なるものがあるということを知り、もちろん現地では素通りしてしまい、写真1でも、存在に気がついていれば一枚の写真におさめることも出来たのですが、残念ながら今回はその様子をとらえていなかったので、このようなことをしてみたわけなのです。
なので、写真2の右下に、Googleマップより拝借した画像で写真1と同じアングルの瀬田隧道のトンネルの扉が右のほうに写っているものも貼り付けてみました。

ちなみに瀬田隧道の”隧道”とは、僕自身はトンネルという意味でとらえていましたけど、やはりコトバンクで調べてみても「地中に掘った,墓室に通じる通路」や「トンネル」という意味がでてきますので、瀬田隧道の場合は、トンネルととらえていいと思います。
またこの瀬田隧道、ネット情報によれば(なので確定情報ではありませぬ)、写真2の場所からトンネルになっていて、まむし坂(NO.252)などでもでてきた坂下にある丸子川につながっているそうです。(しかも、場所は「整体協会」の隣にあるという情報もあったので、Googleマップで調べてみるとそれらしい入口らしきものを見つけましたが、今回は撮影していないので、括弧書きです。。)
とにかく、今まで歩いたこのあたりの地形具合を考えると、写真2の扉の場所と丸子川までは高低差があるはずなので(扉側が高くて、丸子川側が低い)、水を流すにはちょうど良さそうな感じになっているかもですね。

あと、「ウルトラシリーズロケ地探訪」なるサイトにも瀬田隧道のことが取り上げられていまして、なにごとかと思ったらウルトラマンの「ミイラの叫び」の回やウルトラQの「育てよ!カメ」の回で、この扉が登場するとのこと。


瀬田隧道の真上を通っている階段3
写真3

しつこいですが、こちらも”まむし坂(NO.252)”の記事の写真6を拡大表示させてみたものです。(写真3)
ここにもちらりと見えておりました。(汗)
(今度、ぶらりとしたときは、絶対に階段とあわせて撮ります!)


瀬田隧道の真上を通っている階段4
写真4

と、そんなこんなでやっと階段を上りはじめ、坂下のほうをみてみたものがこちらです。(写真4)
じっくり眺めてもらうとわかるかもですが、この階段、なかなかつくりが凝っていて、特に気になったのが右側の擁壁も兼ねている白い壁が微妙にななめりながらカーブしているんですよ。
しかも、その手前(下?)の白の擁壁と階段の間にあるコンクリートのしきりみたいなものも、実はなくても問題なさそうなものなのに存在していて、手前の90度カーブしているところのつくりなどはなんともきれいに曲線を描いていて、この階段、特に坂上になにか有名な施設があるわけでもなく、どこにでもあるような抜け道的な用途のためのものだったので、ちょっとびっくりしてしまいました。
やはりこれは瀬田隧道の影響ということになるんですかね。


瀬田隧道の真上を通っている階段5
写真5

さらに階段を上り、坂下方向をみてみたものです。(写真5)
踊り場のしきりと擁壁というか白い壁のカーブ具合も良い感じ。


瀬田隧道の真上を通っている階段6
写真6

そして、やっとこのあたりが坂上ということになります。(写真6)
坂下とはかなりの高低差具合でした。
また、この階段の下に、おそらく瀬田隧道のトンネルがあると思われます。


瀬田隧道の真上を通っている階段7
写真7

いちおう、写真6の背後もみてみました。(写真7)
さきほども触れたとおり、なにか変わったものがあるというわけでもなく、ふつうに閑静な住宅街でした。
ただ、地図で確認した感じでは、この道路と丸子側が地図上で交差するところに「整体協会」(もうかたほうの瀬田隧道の入口)があるようなので、この道路の形状にあわせて瀬田隧道が地下を通っているのかなあと予想はしているのですが。


ということで、今回はこんな感じです。


住所
東京都世田谷区瀬田1-3と2の間あたり

所在地:世田谷区瀬田1-5あたり


この坂道は、漢字ではなく、ひらがなで”まむし”と書いてまむし坂と呼ばれているようです。
場所については、東急大井町線の上野毛駅の北側に多摩美術大学があるのですが、その大学の敷地の北側を駒沢通りが東西に通っていまして、今回の坂道はまさにその駒沢通りが坂道自身という具合のところであります。


まむし坂(NO.252)1
写真1

まずは坂下からの様子など。(写真1)
(はじめに多摩美術大学のことにふれましたが、大学は坂上のほうにありますのであしからず。)
このあたりはかなり緩やかな勾配具合の坂道でした。
まわりの雰囲気もなんとなくゆったりとした感じで、奥に見えている東急の線路とその右側に五島美術館の敷地があるためか、背の高いマンションが視界にはいらずかなり空が広く見えていました。(その分、電線が目立ちますけど。)


まむし坂(NO.252)2
写真2

あと、写真1のそば、坂下あたりには、やはり行善寺坂(NO.250)などでも出てきた丸子川が坂を横切っていて、勾配具合などの見た目はかなり違いますが「国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段」と同じくここも国分寺崖線に由来する坂道だということがこの川のおかげでわかりやすく視覚化されていたかもです。(写真2)


まむし坂(NO.252)3
写真3

すこし坂を上り、坂下方向を見たものです。(写真3)
ここからだと、ただの平坦な道という感じでしたが、微妙にS字に曲がっている具合や数種の街路樹などのせいか、はたまた奥の視線の抜けている方向に多摩川があるためか(ふつうなら家なりビルが見えるものですが)、ちょっと他の場所とはなんか違う景色に感じてしまいました。

ちなみにこの道は、駒沢通りと言いましたけど、実は今の段階では(地図をみてもらうとわかるのですが)、奥のほうにある多摩川沿いの道路(多摩堤通り)と駒沢通りとは現在つながっていないのですが、どうやら地元の人らしき方々のブログの情報から、二子玉川ライズの再開発により新しい道ができるみたいですね。


まむし坂(NO.252)4
写真4

次は、写真1でも見えていた東急の高架が間近に見える場所まできてみました。(写真4)
このあたりから坂道らしい勾配具合が続いていくようでした。


まむし坂(NO.252)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向をみてみました。(写真5)
高架を渡る電車もそうなのですが、左側の五島美術館内にあると思われる大きな樹々がえらい高さになって見えているなあと、帰ってから写真を見直して不思議に思ったのでGoogleマップの航空写真の45度バージョンで確かめてみたら、まさにあのあたりは崖の上に樹々が育っていて、五島美術館の建物自体も崖の上に建っているという感じでしたよ。
なので、このことから(あとで地図を確認してもらうとわかりやすいのですが)、この坂道は、まむし坂という名がつけられてますが、実際のところ駒沢通りなので、20m以上の高低差のある国分寺崖線に対して一気に最短距離で横切る道をつくってしまうとかなりの急勾配な道となってしまうので、このように道を蛇行させて勾配具合を押さえたのだろうと思われ、そのため坂下にいくほど、道の両側が崖になっており、目の前に見えている東急の高架やらものすごく背の高く見える樹木やらやたらと高い擁壁(右側にあるやつです)などが目の前に広がっていたのだなあと。


まむし坂(NO.252)6
写真6

すこし坂を上り、今度は坂上方向を眺めてみました。(写真6)
良い感じで道が右にカーブしながら上っているわけですが、やはり左側には背の高めの擁壁がちらちらと見えていましたよ。


まむし坂(NO.252)7
写真7

また途中には、こんな階段もありましたよ。(写真7)
まさに崖地を上り下りするための階段という感じですかね。


まむし坂(NO.252)8
写真8

さらに坂をのぼり、背の高い擁壁が印象的な場所にて、坂下方向をみてみました。(写真8)
このあたりは坂の中腹なのですが、この擁壁の高さ具合を見る限り、まだ坂上との高低差はありそうでした。



まむし坂(NO.252)9
写真9

さらに坂を上っていくと、坂道はまだ続いていて、しかもいままでの中で一番勾配具合の急な場所が見えてきました。(写真9)
それにしても右側の樹木が大きいですね。


まむし坂(NO.252)10
写真10

あと写真9の右側あたりに、なかなか渋いつくりの標識があったんですよ。(写真10)
マヤ遺跡っぽいというか、建築学的には、フランク・ロイド・ライト風というか。
内容は、「おもいはせの路(国分寺崖線散歩道)」というもので、『坂を巡る  穏やかに伸びる坂道は、まだ見ぬ光景を予感させる。一見、平板な印象を与える都市が、実は多くの傾斜、多くの坂道の集積であることに気付くとき、人々の持つ都市のイメージは、一変する。』
と書かれてありました。
いわゆる坂道ポエムというやつですかね。
ただ、肝心のまむし坂のことについての説明はなくて、地図上に”まむし坂”という記載があるのみでした。


まむし坂(NO.252)11
写真11

さらに坂を上りまして、今度は坂下のほうを眺めてみました。(写真11)
なぜここだけ、左側のような立派な街路樹が植えられていたのかは謎でしたけど、景色的にはなかなかいい味だしていたかもです。


まむし坂(NO.252)12
写真12

そんなこんなでやっと坂上あたりまでやってきました。(写真12)
もうこのあたりまでくると、道はほぼ平坦になっていました。


まむし坂(NO.252)13
写真13

また写真12の左側は、多摩美術大学の敷地で、ちょうどこんな感じで大学の出入口なんかもありましたよ。(写真13)

ちなみに、この坂道には、いつものような坂の碑はありませんでした。
なので、このまむし坂の名前の由来もわからなかったのですが、おそらくこの界隈にまむしが多く出没したとか 長くくねくねと蛇行しているその形がまむしと似ているからとかそういうことから、この名前がついたのだろうと思われます。

ということで、今回は写真だけでもけっこうな数になり長くなってしまいましたが、こんな感じです。


地図
世田谷区瀬田1-5あたり

また世田谷の坂道の話にもどりまして、今回は前に取り上げた行火坂(NO.251)の坂上の道を東の方向にすこし歩いた場所になかなか高低差具合のはげしい階段を見つけたので、その時のことでも。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段1
写真1

まずは坂上あたりからのものなど。(写真1)
なんてことない緩やかな坂道なのですが、奥のほうに大きな木が見えていたので、そのあたりまでとりあえず行ってみることに。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段2
写真2

大木のあたりまで行く途中に、坂の南側(写真1でいえば右側)を見ると、遠くのほうに建設中の二子玉川ライズの高層住宅ビル群がなにげに見えていましたよ。(写真2)
見るからにこの地形的な高台にあるこの場所よりも高いビルということがわかりやすいかもですね。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段3
写真3

大木のあたりまでやってくると、さらに奥のほうに階段が見えてきました。(写真3)
それにしても大木の道への占拠具合がなかなかのものでしたよ。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段4
写真4

写真3の位置からすこしばかり進んで、階段がよく見渡せるところまでやってきました。(写真4)
階段なのであたりまえですけど、正面奥に見えている場所までかなりの高低差があるようで、しかも階段は写真4ではわかりにくいですけど、さらに右に曲がって続いているようでした。
現地では実際のところ、地図を見ながら歩いていたので、ここから国分寺崖線の崖地になっているだろうなということはだいたい予想できていたわけですが、やはりこれだけ山道のように急に降りていく階段をみると驚いてしまいましたよ。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段5
写真5

そして、一気に写真4で見えていた踊り場のような役割の場所まで降りてきて、坂上方向をみてみました。
とりあえずここまでで、建物の2階から1階に降りる分くらいの高低差はありそうでした。
あとは階段途中の樹木と階段との関係がなんとも珍しい感じだったかもです。
なかなか都内の階段でこういうつくりの場所はちょっと思い出せないですかね。



国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段6
写真6

次は、写真5の左側を見てみるとですね。(写真6)
さらに階段は坂下まで続いていて、まさに崖という感じで、階段下には川が流れているようでした。
見た感じの高低差は建物でいえば3階か4階分くらいありそうですかね。
景色的にはまわりの樹木がなければかなりの開け具合なのかもしれませんが、僕が歩いた時には、まわりに樹木を覆われている階段という印象でした。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段7
写真7

そんなわけで、一気に階段下まで降りてきて坂上方向を見てみました。(写真7)
名も無き階段ですが、国分寺崖線の崖地具合を堪能できるかなりダイナミックなつくりの階段だったかもです。
また、写真左側にマンションの一部が写っていて、ここからみるとかなり背のたかそうなマンションに見えますけど、実は同じマンションの屋上部分が写真2の左側にちらりと写っていまして、そのことからもこの階段の高低差具合を想像してもらうとおもしろいかもしれないですね。


国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段8
写真8

最後は、写真7の右側をみるとこんな感じで川が流れていましたよ。
こちらは、行善寺坂(NO.250)でも登場した丸子川とのこと。

ちなみにさきほどから何度も出てきた国分寺崖線ですが、wikipediaの説明を一部抜粋させてもらうとですね、
『国分寺崖線は武蔵村山市緑が丘付近に始まり、西武拝島線と多摩都市モノレールの玉川上水駅付近を通り、JR中央線を国立駅の東側で横切り、国分寺市・小金井市と国立市・府中市の市境に沿って東に進む。さらに野川の北に沿いながら調布市に入って深大寺付近を通り、つつじヶ丘などの舌状台地を作りながら世田谷区の砧地域、玉川地域南部を通り、大田区の田園調布を経て同区の嶺町付近に至る。高低差は20メートル近くになる。なおこの国分寺崖線は、古多摩川(関東ローム層下に存在)の浸食による自然河川堤防と考えられている』
とのこと。

今回は細かい説明は省きますけど、ひとつだけ上げるなら”崖の高低差は20メートル近くになる”という記述、今回歩いた無名階段にあてはめてみると、坂上と坂下でだいたい建物6階分くらいの高低差があったわけなので、1階分を3.5mで計算すると21mということで、だいたいあっているという感じですかね。

ということで、そのうち国分寺崖線沿いにある他の坂道もまわると思うので、他の説明はその都度おこなうということにして、今回はこんな感じです。


住所
世田谷区瀬田1-2と9の間あたり

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