東京坂道さんぽ

2016年02月

気がつけば、けっこう時間が経ってしまいましたが、年末に、ひさびさに東京ドームそばの文京シビックセンターの展望台に行って、定点観測してきた時のことでも。


文京シビックセンターから富士見1
写真1

いきなりドドンと。(写真1)
富士山ですね。
見てのとおりですが、ここは文京シビックセンターの25階というけっこう高い場所にある展望ラウンジからのものです。

しかも、過去にも(2012年2006年)ブログで取り上げていたわけですが、今回が一番よく見えていて、冬らしく頂上には雪もしっかり、という感じだったのです。
もしかしたら、カメラの性能の違いかも?とも思いましたが、たぶんそれよりは、時期はもちろん、行った時間がよかったからなのかなと。(2012年のほうは、逆行気味ですしね。)


文京シビックセンターから富士見2
写真2

今度は、引き気味の視点で。(写真1)
これだとちょっとわかりにくいですかね。
この写真2の感じだと、すこし富士山が遠目にみえているかなと。
現地で見た感じでは、これと、写真1の真ん中あたりの距離感で見えていました。


毎回こういう場所で富士山が見えるたびにブログの記事にしていてなんですが、やはりこのような高層階で見る富士山は、地上でみる富士山とはまた違った感じで見てしまいますかね。
ただ、その感じが、どいうものなのかは、好き嫌いも含めて、まだいろんな要素がありすぎるので、おいおい気持ちの整理でもしていきたいとは思っていますけど。


ちなみに記事の内容とは関係ないですが、今日(2月29日)は4年に1回というめずらしい日なのですよね。
ということは、2012年にシビックセンターでの定点観測記事を書いた年も2月29日があった年ということになるんですかね。(そういう意味ではちょっとだけつながりましたかね。。)

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
文京区春日1‐16‐21

今回も関西編です。

大阪の大丸心斎橋店が閉店するというニュースは昨年、流れていたと思いますけど、実は閉店日に見に行けたのですよ。
あの建物をですね。

そんなわけで、今回は、こっそりと・・・。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと1
写真1

まずは外観から。(写真1)
手前が、御堂筋です。
久しぶりに来てみたのですが、やっぱり広い道路でしたね。
そして、奥に見えているのが、ウイリアム・メレル ・ヴォーリズによる設計のいわゆる百貨店であり、大丸心斎橋店の本館で、目的の建築物です。
建てられた年は、第1期(1922年)、第2期(1925年)、第3期(1932年)、第4期(1933年)とあるようですね。
第4期からの年月を計算してみても83年という月日が経っているとは思えない外観でしたかね。
なんでこれを壊すんだろ?というのが、やっぱり第一印象だったかもです。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと2
写真2

まずまわりをぐるりとしてみると、ありましたよ。(写真2)
心斎橋側の入口に大丸のシンボルの孔雀の装飾がですね。
細かい説明は他の方にまかせるとして、ここでは写真のみをぱちりと。
やはりすごすぎです。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと3
写真3

こちらは、御堂筋側の入口のエントランス天井です。(写真3)
もう言葉がいっぱい頭のなかに浮かんでしまい、どれを選んでいいのかわかりませんので、ここでも写真のみをぱちりとです。
今でさせ、こんな思いになるのですから、建てられた当時の人たちへのインパクトを想像すると、もうなんていうか。。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと4
写真4

こちらは1階フロアの天井です。(写真4)
むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ・・・・・・。



建替前の大丸心斎橋店をぶらりと5
写真5

そんなわけで、店内については、いろいろな方が、ネットに写真をあげているので、ここではそれくらいにして、今度は、屋上にきてみました。(写真5)
さすがに店内ほどの驚きはないものの、いつものアンテナを立てて見てみると、やはり面白いところがたくさんあったのです。
ここはチューダーガーデンという名がつけられていて、中央の星形に配置された植栽を幾何学模様とアーチを組み合わせたトレリス(要はフェンスみたいなもの)で囲んでいる回廊があるという面白いつくりになっていましたよ。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと6
写真6

こちらは、写真5の左側のほうの場所で、トレリスの向こうには、鐘やら、写真1の右側にも見えていた丸に大とある看板も見えていました。(写真6)
しかも、あの鐘、僕は聴いたことないですが、いくつかのブログによると、1時間ごとにきちんと鳴らしているとのこと。(ただ不思議に思って調べてみたら、youtubeにその様子を上げている方がいましたので、気になる方は調べてみてくださいな。)


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと7
写真7

写真6でも見えていた、丸に大とある看板(大丸看板)のほうに向かうと、こんな橋がありました。(写真7)
要は、看板のある南館と手前の本館をつないでいる橋みたいですね。
これはこれでなかなか趣がありました。
建替したら無くなるんですかね。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと8
写真8

写真7の左側あたりに、懐かしい感じの消火栓看板もありましたよ。(写真8)


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと9
写真9

次は、南館側からの看板と橋(そして階段)の様子など。(写真9)
個人的には、本館屋上と南館屋上の高低差が視覚化されている写真右下の階段もおもしろいと思い、写真も何枚か撮りましたが、ここではこれのみを載せてみました。
それにしても左の看板も近くでみると、さらにおもしろいですね。


建替前の大丸心斎橋店をぶらりと10
写真10

こちらは、南館より本館のほうを見てみたものです。(写真10)
左側の橋が、写真9でも見えていた橋ですね。
なんと、こんなところにまで、しっかりと装飾が施されていたのですよ。
これにはびっくりでした。
経年劣化も見られますが、屋上という野ざらしの場所にしてはなかなかの保存状態なのではないですかね。



建替前の大丸心斎橋店をぶらりと11
写真11

そして、店内に再びもどり、このブログらしく階段写真でも。(写真11)
シンプルなつくりですが、細かいところをよく見ると、なかなかすごい階段でしたよ。
しかも右側のドアのつくりが、なんとも懐かしい感じでこの建物の年月がいかに長かったかを伝えてくれているかもですね。



建替前の大丸心斎橋店をぶらりと12
写真12

最後は、地上部に近いところにあった階段です。(写真12)
こちらは、かなり豪華な装飾が施されていました。
それにしても、手すりのガウディをなんとなく思い起こさせる電飾、どうなるんだろ。
残されるんですかね。。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-7-1

いやはや、気がつけば前回更新してからけっこう時間が経ってしまいましたが、もうしばし関西の話でも。

今回は、再び芦屋にもどってなのですが、年始に、青空文庫に谷崎潤一郎が登録されたという記事を見たこともあり、そういえば、市内に谷崎潤一郎記念館があったよなあ、ということで、ふらりと行ってみたのですよ。
ただ、行った日は正月で記念館は休みだったので、まわりをぶらりとしてみると、ちょっと気がついたことがあったのでそのことでも。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
ちょうど谷崎潤一郎記念館を見下ろせる階段があったのですよ。
右側の手すりにも、記念館はあちらという矢印が見えていますが、写真1でいえば、右側の建物がそれですかね。
高低差的には、建物2階分くらい。
この高低差は大事なので、覚えておいてくださいよ。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館2
写真2

ただ、写真1だけでは、どこ?という感じもありますので、写真1と同じ立ち位置より右側を見てみたものがこちらです。(写真2)
最近、大山さんの記事でも取り上げられていて、知った方もいるとは思いますが、これが防波堤跡の場所ですね。
今でこそ写真のように埋め立て地となり、道があり奥には高層団地も見えていますが、昔はここから右側は海だったのですよ。
昔は、ここでも、ざざ〜んと、波の音が聞こえていたんですねえ。
そりゃあ、その時代を知っている人からすれば、空き缶ひとつでも投げたくなりますよね。。



芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館3
写真3

それはさておき、再び、写真1で見えていた階段にもどりまして、こちらは階段途中から、真横方向を見てみたものです。(写真3)
なんか真ん中あたりに道のようでもあり溝のようでもある場所が見えていますが、ここを歩いている人をいまだかって見たことないですし、それ以前に写真1を見ると、手すりがあって入れない場所ですので、おそらく雨水を逃がす溝だと思われます。
このときは、注意深く斜面一体にきちんと石が敷き詰められているのを見たわけですが、よく思い出してみたら小さい頃からあった風景だったのですよ、ここ。
そういう意味では、改めて驚いてしまいましたかね。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館4
写真4

そして、階段下からの様子です。(写真4)
なんてことない階段(と、言いつつも蹴上げの部分の石のつくりがおもしろいですが)なのですが、要はこの高低差なんですよ。
始めに、この高低差を覚えておいてくださいと言ったように、階段上にはかつての堤防がそのまま残っていて、その奥は埋め立て地なわけなのですが、実はこの埋め立て地の地表レベルが、階段上の高さと同じなのです。
なので、今僕が建っている場所は昔からある場所ですが、実は海側の埋め立て地のほうが、この場所より高い、しかもその高低差が建物2階分ということだったのですね。
こういうのは全国的にみても珍しいんじゃないですかね。

なんというか、この堤防といいこの高低差といい、小さい頃はそんなことも知らず当たり前のようにこの高低差を上り下りしたり、自転車で堤防跡沿いの道を走っていたりしていたとは。。
ちなみにこの堤防跡のことを初めて知ったのは、ずいぶん前に、村上春樹さんの小説(羊をめぐる冒険、ですね)を読んで、あれ?これはあそこのことを言っているのでは?えー!びっくり〜、という感じだったのであります。(笑)


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館5
写真5

こちらは、写真4の背後方向(山側)を見てみたものですね。(写真5)
右側には谷崎潤一郎記念館の建物が見えていますが、塀が高めなので、階段途中から見えていた時よりは見えていなかったですね。。
この記念館は、1988年に開館、設計したのは富家建築事務所なる建築家事務所みたいですね。


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館6
写真6

また写真5の左側には、谷崎潤一郎記念館に隣接してある芦屋市立美術博物館の建物も見えていました。(写真6)


芦屋浜埋め立て地の階段と谷崎記念館7
写真7

そして、最後は、左側に谷崎潤一郎記念館の入口を望みながら、奥に例の階段が見えるポイントでぱちりと。(写真7)

あ、そうそう。
左側に銀色のプレートとその奥に巨石が見えていますが、じつはこれも谷崎潤一郎記念館の重要アイテムみたいなのですよ。
いつものように、プレートに書かれていた内容を抜粋するとですね、
『この重さ十五トンもある巨石は、神戸市東灘区岡本の旧谷崎邸にあったものです。 この家は昭和三年に谷崎潤一郎が建て、約三年間住み、「蓼食う蟲」などを書いたところです。
昭和十三年、六甲の山津波が起こり、芦屋川をはじめ各河川が氾濫して、芦屋も大きな被害を受けました。その情況は潤一郎の名作 「細雪」に見事に描かれていますが、当時梅の谷と呼ばれた旧邸のあたりもすざまじい土石流に襲われました。
この石は、その山津波で旧邸内に流入し、そのまま庭石として置かれ、五十年の星霜を経ました。そして、阪神大水害五十周年に あたる今年、谷崎潤一郎記念館の竣工に際し、旧邸の所有者文箭智行氏のご好意により、この地に移されました。
この石が、文豪のゆかりと、自然の脅威や治山治水の大切さを後世に伝えるよすがとして、末永く記念館を見守ってくれることを 願うものです。
昭和六十三年七月 芦屋市・芦屋市観光協会』
とのこと。

ちなみに、細雪で書かれている災害や当時の様子などについても、今回取り上げようかなとも思いましたが、それはまた来年以降、詳しく調べてからということにして、とりあえず今回は「No.135 阪神大水害(その2)  「細雪」に見る災害」という防災情報新聞なるサイトの記事が詳しいですので、そちらをリンクしておきますので、気になる方はどうぞ。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
兵庫県芦屋市伊勢町12−25あたり

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