東京坂道さんぽ

2016年04月

今年も月が変わらないうちに、4月初めに千鳥ヶ淵に桜見物に行った時のことでも。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵1
写真1

千鳥ヶ淵とは書きましたが、こちらは九段坂の中腹あたりからのものです。(写真1)
始めに千鳥ヶ淵に桜見物と書きましたが、実は、こちらのほうをまず見たくて今回は、ここにやってきたのですよ。
とりあえず、このアングルからだと左側のほうに桜が見えているという感じですかね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵2
写真2

次はこのアングルから。(写真2)
本丸や武道館に向かう時に通る場所ですが、実はここも坂道になっていて、奥には九段坂、手前左には、このブログでも過去にの記事(九段坂の標高と燈明台)で取り上げた、常燈明台が見えておりましたよ。(しかも点灯状態!)

それにしても改めて、写真で見直してみるといい感じですね。
またそのうち、明るい時で人が少なめな時にでも来れれば、ここは取材しておきたい場所というか隠れ坂道でもありましたが、今回はそういうわけで軽くスルーです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵3
写真3

こちらは写真2の正面にも見えていた歩道橋からの九段坂の坂上方向の景色です。(写真3)
いい感じですねえ。
いちおう時期的には満開の時だったので、九段坂と桜のコラボ的にも一番良い時だったのかなと。
ただ、もうすこし夜景モードで坂道ばかりでなく桜のことも気にしながら撮ったほうが、両側の夜桜がわかりやすく写ってくれたかなと軽く後悔しつつも、実は、このブログで九段坂の桜を取り上げるのは初めてなので、散歩当日はそんなこともあり、すこし興奮状態で、しかも手持ち撮影でいろんなアングルから桜を見物することばかりに気がいっていたので、カメラまかせの撮影になってしまったかも。(笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵4
写真4

そして、やっと千鳥ヶ淵の夜桜の様子でも。(写真4)
場所的には、写真3の左側の歩道橋を下りたあたりからも、千鳥ヶ淵の桜を見れるポイントがあって、しかもその奥には東京タワーまでもが、ということでパチリと一枚という感じだったのです。
ちなみにこちらも手持ち撮影です。(というか今回の写真すべて、三脚は使っておらず手持ち撮影です。)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵5
写真5

こちらも千鳥ヶ淵で撮ったものです。(写真5)
ちょうどイタリア文化会館(例の赤いファサードで有名な)の裏側あたり(千鳥ヶ淵側)にある高級マンションなのですよ。
ここは、学生時代(ずいぶん前ですが・・・)、このマンションの一室の間取りを提案するコンペがあってですね、このブログでも前に登場してくれた大学時代の後輩のむとう君と組んでコンペに出したというなんとも思い出深いマンションなのですよ。
そんなわけで、マンションをぼんやりと眺めていると、コンペのために周辺状況やらこのマンション自体のことやらいろいろ調べた記憶がよみがえりました。(気分的には場所的なこともあり黄泉・・・。遠い目、笑)


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵6
写真6

散歩当日は、こんな場所からも千鳥ヶ淵の夜桜を撮ってみました。(写真6)
千鳥ヶ淵の南側、首都高速をはさんだ対岸からのものですね。
左上のほうには写真5で取り上げたマンションも見えていたりします。
ちなみに、正面のピンク色にライトアップされた桜ですが、実は時間ごとに色が変わるライトアップになっていたのですよ。
白になったり、写真6のようにピンク色になったりという具合にですね。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵7
写真7

そして、これなんですよ。(写真7)
実は(なんか今日の記事は実は・・が多いですが)、散歩当日は、東京駅から千鳥ヶ淵まで歩いて、皇居沿いの夜桜見物もしてしまおうという自分なりの企画を立てて歩いてみたのですが(特に他意もなくただ夜桜見物をしたかったのです)、そのスタート地点である東京駅で、偶然にも出会ってしまったのです。


九段坂の夜桜と千鳥ヶ淵8
写真8

こちらは綺麗に撮れているものもありましたが、わざとぼけた写真を選んでみました。(写真8)
これ見るとだいたい想像出来るんじゃないですかね。
そうなんですよ。
なんと、天皇皇后両陛下が、東京駅から皇居へ帰られる時に、偶然出くわしてしまったのですよ。
それで、写真7のような公用車の大行列、大勢の人だかり、というわけだったのです。
いやはや、なんとも大興奮でした。
僕自身は天皇陛下万歳とかそういう人ではありませんが、それでもこれだけ近くでお二人を見れたのは初めてだったもので。
ちなみに、今回は、天皇皇后両陛下をうまくおさめることができた写真も撮れましたが、ここではUPしないことにしましたので、あしからず。


ということで、今回はこんな感じです。



住所
千代田区九段南2あたり

今年は覚えておりましたよ。(笑)

2005年4月26日にブログを始めたので、11年目に突入ということになりますかね。

なお10年目突入から年末までの主な動きなどについては、2016年の新年のあいさつで、書いたとおりですので、気になる方はそちらのほうを読んでください。

とりあえずは、昨年あたりから都内のあちこちで様々な工事が行われていたり、オリンピックを見据えてなのか大型施設が次々とオープンするなどして、あまり散歩しない人でもわかるくらい東京という街がどんどん様変わりしている中、それにともなう形で坂道界隈も景色なども含めてけっこう動きがあるので(なんか変な言い方ですが)、この点は見逃さないように記録しつつ、自分もいろんな意味で楽しみながらブログ書いていければなあと。

あとは、肝心の坂道の記事のほうが実はこの1年で少なめだったような気がするので(現段階でもまだ、NO265という坂道ナンバリングからみても)、これはなんとかしないとなあと思いつつも、坂道のことは知れば知るほど、気になることがたくさんでてきて、記事書くのにも調べることが多くなり時間がかかるという状況になっているので、こればかりは気長につきあうしかないのかなと、最近では思うことにしていますよ。

ということで、今シーズンもよかったら気楽におつきあいください。

べっしょ坂と呼ぶそうです。
場所は、東急の中目黒駅の東側にあり、こまかい場所は説明しにくいのですが、目黒川よりは北にあり、恵比寿駅の南西側にある坂道といえば、だいたいの場所がわかりそうですかね。


別所坂 (NO.265)1
写真1

ではまず、坂下あたりの様子から。(写真1)
このあたりは、ちょっと道幅が狭めで、閑静な住宅街の中の坂道といった感じでした。
ただ勾配具合は、あとでもでてきますが、この坂道は全体的に急坂で、その雰囲気がこのあたりからもでてきているようでした。
ちなみに、この坂道にも、坂の碑があり、写真では写っていませんが、写真1のすぐ左側にあってですね、いつものように抜粋するとですね、
『この辺りの地名であった「別所」が由来といわれる。別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所であった。』
と、ありました。
もうここで、坂名の由来がわかってしまいましたが、どうやらここは地名由来の坂道みたいですね。
なお、新富士については、後でも触れますので、ここでは軽くスルーです。


別所坂 (NO.265)2
写真2

すこし坂を上り、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
ここからだと、勾配具合もすこしわかりやすいかもですね。
しかも、写真1では写っていなかった坂の碑も道の右側のほうにちらりと見えていますかね。


別所坂 (NO.265)3
写真3

写真2とだいたい同じ位置より、今度は坂上方向を見てみました。(写真3)
このあたりから、急坂具合が出てきましたね。
坂道によってこれくらいの勾配でも道路の舗装が滑り止めタイプのものになる場合もありますが、ここではまだ普通のアスファルトタイプでした。
道幅具合もあいかわらず狭いままでしたね。


別所坂 (NO.265)4
写真4

そんでもってこの階段ですよ。(写真4)
この階段は別所坂とは別ものですが、位置的には写真3の右側あたりから、このような急階段がどどんとあるのですよ。
これみるだけでも、これから上る別所坂の高低差具合が想像できそうですかね。(汗)


別所坂 (NO.265)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向を眺めてみたものです。(写真5)
写真4の階段は、道路の左側に黄色のネットが見えていますけど、そのすこしむこうあたりにあるようでした。
(あ、そうそう、それで思い出したのですが、当日は、階段と別所坂を一緒に写そうとすると、あの黄色のゴミ置場があまりにも写るのでやめたのでしたよ。(笑))


別所坂 (NO.265)6
写真6

さらに坂を上ると、今度は右にカーブしていました。(写真6)
勾配具合もかなりすごくなってきました。


265)7
写真7

これは、写真6の正面に見えていたマンションですね。(写真7)
なかなか渋くて、高低差のものすごい階段の先にどうやら入口があるみたいです。
こういう場所に一度は住んでみたいなあと思ってみたり。


別所坂 (NO.265)8
写真8

再び坂道に戻りまして、さらに坂をすこし上り、今度は坂下方向をみてみました。(写真8)
このアングルからの左へのカーブ具合もいいですねえ。
ちなみに、この別所坂、こんな感じで、蛇道といってもいいくらいS字が続いている坂道なのですよ。
なので、坂を歩いている途中は、坂全体を見渡せるこれといったポイントはありませんので、あしからず。


別所坂 (NO.265)9
写真9

こちらは、写真8とだいたい同じ位置からの坂上方向の景色です。(写真9)
歩くたびに景色が変わるのでおもしろいですね。
そして、このくねくね感に、あいかわらずの急勾配具合、いいですね。


別所坂 (NO.265)10
写真10

こちらは、写真9での道路が左に曲がる直前の場所からの坂下方向の景色です。(写真10)
このあたりからやっとドーナッツ型の滑り止め舗装が登場。
遠くには中目黒駅前にある、なんか地震がきたら倒れそうな感じのつくりというか細長くて背の高い形をしていて前から気になっていたアトラスタワーなる高層ビルが見えておりましたよ。


別所坂 (NO.265)11
写真11

道がくねくねカーブしていて、全体が見えないのでちょっとわかりにくいかもですが、今度は、写真10でいえば、写真右側方向を見ると、これまたかなりの急勾配の坂道が続いていました。(写真11)
右側の擁壁と左側の建物に囲まれていて狭苦しい感じがしなくもないですが、道自体がすこし幅が広がっている分、それほどの圧迫感はないのかなと。


別所坂 (NO.265)12
写真12

こちらは、写真11で見えていた坂上の踊り場のような場所まで上り、坂下方向を見てみたものです。
しつこいですが、かなりの急坂でした。(写真12)
ここは坂下側からと坂上側からの景色が全然違った感じに見えるのが、おもしろいところではあります。
ちょっとした高低差マジックとも言えますかね。
ちなみに、ここの部分をスマホのアプリで傾斜具合を計ってみると14.2度でした。
またこれを、よく道路標識などで表示されている%に換算してみると、だいたい25.3%みたいですね。。
どうりできついわけですな。(笑)


別所坂 (NO.265)13
写真13

写真12とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみると、ここからは階段になっていました。(写真13)
どうりで車の通りが散歩中まったくなかったわけな。(と言いつつもこういうつくりになっていることは散歩前から知っていたのですが。。)


別所坂 (NO.265)14
写真14

ちなみに、写真13の左側には、こんな具合に庚申塔がありました。(写真14)
しかも、説明が書かれているプレートもありましたので、こちらもいつものように抜粋しておくとですね、
『「庚申塔」は、庚申を信仰する庚申講の仲間たちが建てたものである。仲間達は60日に一度くる庚申の日に、眠ってしまうと、「三尸」という虫が体から抜け出し、天の神に日頃の悪事を報告され、罪状によって寿命が縮められるので、集まってその夜は眠らずに過ごしたという。
江戸時代には、豊作や長寿、家内安全を祈るとともに新陸や農作業の情報交換の場ともなり盛んに集まりがもたれた。庚申講の仲間たちは3年、18回の集まりを終えると共同で庚申塔を建てた。形や図柄は様々だが多くは病気の悪い鬼を追い払うという青面金剛像、その他に三匹の猿や日月、二羽の鶏が掘られている。
別所坂庚申塔の昭和51年の調査では、紀年銘、寛文五乙巴天〜昭和元年(1665〜1764)である。平成九年七月吉日 設置』
とありました。

なるほど。


別所坂 (NO.265)15
写真15

写真13で見えていた階段の全景はこんな感じでしたよ。(写真15)
また、今回の別所坂の坂上は、この階段上ということにもなります。
これはこれでなかなか良い感じの階段ですかね。
これだけ急勾配の坂道を上ったあとにこの階段というのも、坂道的にも珍しい部類のつくりだと思います。


別所坂 (NO.265)16
写真16

そして、これですよ。(写真16)
写真15の階段右側のほうにちらりと見えていましたが、こんな感じでまたまた案内看板があったのですよ。
始めのほうの坂の碑の説明でもでてきた、新富士についてですね。
まずは、写真16からでも読めるかもしれませんが、こちらもいつものように内容を抜粋しておくとですね、
『この辺りは、昔から富士の眺めが素晴らしい景勝地として知られたところ。江戸後期には、えぞ・千島を探検した幕臣近藤重蔵が、この付近の高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造。目切坂上の目黒”元富士”に対し、こちらは”新富士”の名で呼ばれ、大勢の見物人で賑わった。
平成3年秋、この近くで新富士ゆかりの地下遺構が発見された。遺構の奥からは石の祠や御神体と思われる大日如来なども出土。調査の結果、遺構は富士講の信者たちが新富士を模して地下に造ったとわかり「新富士遺構」と名づけられた。今は再び埋め戻されて、地中に静かに眠る。』
とのこと。

そうなんですよ。
この坂上あたりからは、かつては富士山がよく見えたらしいですね。
近藤重蔵については、「高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造」とありますが、これは、山野さんの大江戸探訪でもさらりとふれられていて、近藤重蔵のwikipediaのページにも書かれていますが、重蔵は、このあたりに広大な土地を所有していて、文政2年(1819年)に富士講の信者たちに頼まれて、富士山を模した富士塚をつくり、目黒新富士、近藤富士、東富士などと呼ばれて参詣客で賑ったそうですよ。
ただ、その賑わいがいろんな意味で災いして文政9年(1826年)にこの場所の管理を任せていた長男の近藤富蔵が、屋敷の利害問題に憤慨して隣家の7名を殺害したという大事件もあったという場所でもあったみたいですね。
近藤重蔵の目黒新富士のあった土地はwikipediaのページによれば、現在の中目黒2-1あたりとのことです。
また、目黒新富士なる富士塚についても、昭和45年(1965)に取り壊されKDDIの研究所となり(これはマルハナバチのつぶやきなるサイトさんの記事「木曽呂富士と安藤広重の「目黒新富士」」の情報です)、今はその研究所も地図で見た限りはなく、マンションになっているようですね。
むむー。
あと、目黒区の解説サイトによれば、「文政二己卯年六月建之」の碑石なるものが今でも残されているとのことが書かれているので、また機会があれば調べてみたいと思います。
ちなみに、屋敷跡がKDDIの研究所となっているいうことは、タモリさんの坂道本にも書かれていて、タモリさんが調査した時は、まだKDDIの研究所だったとも記しているので、今のマンションになったのはけっこう最近のことなのかもしれないですね。

あとは、新富士遺構も気になりますね。
今は、マンションになってしまった場所の地下でひっそりと眠っているんですかね。


目黒新富士
広重の浮世絵

写真16の案内看板の上のほうにも浮世絵が掲載されていますが、ここでは違うほうの浮世絵を紹介してみますよ。
広重による名所江戸百景の「目黒新富士」ですね。
要は、浮世絵の左に描かれているのが、かつて存在した目黒新富士ですね。
人の大きさと比べてみてもかなりの大きさだったようですね。
まあデフォルメされているのか、実際にこれだけの規模だったかどうかは、今のところきちんと調べていないので不明なのですがね。。
あと、別所坂については、いつからここにあったのかは不明ですが〔古地図みてもよくわからんのです)、この浮世絵でいうと、右側の人が歩いている坂道が、今の別所坂の位置と合致するので、そうなのかもしれないですし、そうでないかもしれないです。。


別所坂 (NO.265)17
写真17

そんなわけで、やっとこ、坂上からの景色でも。(写真17)
ちなみにこの左側が、KDDIの研究所の跡地であり、今はマンションになっている場所のようですね。

別所坂 (NO.265)18
写真18

こちらは地図をみながら富士山の方向を調べてみると、だいたいこの位置かなという場所からの景色です。(写真18)
なので、やはりこの感じ(正面の大きな建物があるので)からすると、目黒区の解説サイトに書かれている、「冬から春先にかけての朝のうちなら、今でも坂上から富士が見える」というのは厳しいかなというのが歩いてみての感想になりますかね。
(と言っても、目黒区のサイトの説明は、「月刊めぐろ」という1970年代から80年代に発行されていた雑誌の抜粋らしいので、仕方ないのかもしれないですけどね。)

ただ坂道自体はおもしろい坂道ですし、隠れ富士見坂としても見ることができる坂道であり、おすすめランキングはかなり高い坂道なので、ここに行ったことない坂道好きの人はぜひ歩くように。(笑)


ということで、長くなってしまいましたが、今回はこんな感じです。


地図
目黒区中目黒2-1あたり

まずは、今回の熊本や大分での地震により被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。


4月15日から始まり、16日の本震(公式発表ではということですが)、そして、これまで何度となく続く大小の余震と、僕自身、神戸での大地震を経験しているのですが、神戸でも本震の前後にこれほど大きな地震が何度も続いた記憶はないので、やはり各ニュースでも話題になっている国内を横断している活断層である「中央構造線断層帯」に関連して起きている地震かもしれないのかなとは思っています。

なので、あくまでこれは個人的な感想なのですが、これまでの大地震とは違った考えで対応にあたることも必要なのかなという思いが、日々増幅されている次第ではあります。

ちなみに、中央構造線断層帯関連についてはネット検索してもすぐにいろいろな方々がサイトで説明してくれているページが見つかりますので、詳しくは自身で調べていただければと思いますが、このブログではグーグルマップにマッピングしてくれていてわかりやすいページをひとつ見つけましたのでそのページをリンクしておきますので、今後の防災対策などにどうぞ。 
→『中央構造線マップ』
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zrVDaszp7X6Q.kCAgt2rMc_fQ&hl=en_US


あとは、過去のブログ記事でも書いていて、今では当たり前のように言われていることなのですが、2005年に書いた「地震への準備」の記事は、1.17の当時のことを10年経った後に絞り出すようにして思い出して書いてみたものですので、今後の心構えとしても、今読んでみても役立ちそうですので、こちらもよかったら。
→『地震への準備』
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/24750263.html


そして、東京防災のこともこの機会にすこしふれておきたいと思います。
東京防災とは、都内在住の方は知っていると思いますが、東京都が昨年作成した防災ブックです。


熊本地震01
写真1

これがその冊子ですね。
こんな感じの小さな冊子が、都内在住のものには、無料で、しかも各家々に郵便で届けられるという、事業というかサービスが昨年ありました。
実際に届いてから読んでみると、内容も本のデザインもちゃんとしていて、東京都の本気度が感じられる防災ブックとなっていました。
僕自身、まだ知らなかったこともけっこう載っていて参考になりましたかね。

ちなみに、この東京防災、HPでも公開されています。
→『東京防災』
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/book/



熊本地震02
写真2

また、こちらは、先日、新宿の東急ハンズの売り場にあったものですが、この店舗でも都内在住者以外のかたに向けて、東京防災の冊子が買えるコーナーがありましたので、遠方でここに買いに行くのは無理だけど、冊子がほしいというかたは東京都に問い合わせるといいのかなと思います。

そして、先月末からは、AmazonのKindleストア、AppleのiBooks Storにて無料の電子書籍として配信が始まっているそうです。
Kindleストア内で”東京防災””と検索すれば、ぱっとでてきますが、詳しい解説などについては、以下のリンク先の記事がいい感じです。
→『災害に備えてDLしておきたい1冊 KindleとiBooksで無料配信中の「東京防災」』
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1604/15/news166.html


あとは、ライオンデマ(「ライオンが逃げ出した」「川内原発で火事」Twitterでデマ拡散【熊本地震】→ http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/15/kumakoto-earthquake-dema-tweet_n_9700622.html
なども話題になりましたが、これも、過去に大きな地震が起こると、デマの種類は違えど、似たような話がでてくるようですので、注意が必要ですかね。
ちなみに、震災関連のデマについて取り上げているブログ記事も過去に書いていますので、今後の参考にでもなればと思い、こちらもリンクしておきますね。
→『地震それとも怪文書?』
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/23329174.html


ということで、今回の熊本地震についての記事は、自分の意見でもすこしまとめて記録しておこうかなと書き始めたのに、なにか書き進めているうちに違う方向にいってしまいましたが、それでもなにかの参考にすこしでもなれば幸いと思い、このまま公開してみることにしました。

ただ、最後にひとこと心境をいうとすれば、被災地の状況がニュースで刻々と流れてくるにつれ、過去の記憶が次々にフラッシュバックしてきて、心がしめつけられる思いであることはたしかです。

そして、被災されました皆さんについても、なにか相談ごとでもあれば、このブログにあるメールフォームから連絡していただければ、僕自身の過去の経験や地元神戸などにも同じく被災経験のある親や知人友人もおりますので、お答えできることもすこしくらいはあるかとは思いますし、特に若い時にこういう地震を経験すると震災直近は気分的にわけがわからなくなることもあるとは思いますので、よかったら気楽にどうぞ。

坂道の話もしないとなあと思いつつも、今回もひさびさの場所にて。


新宿サザンテラス定点観測1
写真1

いきなりの写真でなんですが、ここからですよ。(写真1)
新宿南口のサザンテラスからのドコモタワーの見える景色ですね。

ブログを始めた当初は、ここから定点観測的に写真を撮ってブログに上げていたのですが、いつからか記事にしなくなってだいぶ経ってしまったみたいですね。
それで、前はいつ取り上げたのかな?と調べてみたのですが、「とある街の風景55(サザンテラス)」の2005年に書いた記事以降、この場所を取り上げている記事がみつからないんですよね。。
もっと最近にも取り上げていたような気がしていたんですが。。

ただ、いちおう変則的に2006年の雪の降った日にもここを取り上げている記事「とある街の風景65(新宿雪景色)」もあるにはありましたけど、あくまでこれは例外ですかね。

それにしても、昔の記事は今のSNSに投稿する感じで書いていたので、どちらもさらりと書いてますね。(笑)
なので、これからブログとかしようと思っている人は、まず始めは文の長さなどよりも軽めに流して更新頻度をあげる方が、後々、ブログを書く要領みたいなことが見えてきて、長いものでも苦になくなるんじゃないんですかね。(と脱線してみる。)

そんなわけで、このサザンテラス、この場所自体には変化はないのですが、そのお隣、といっても写真にもろに写っているとおり、左の場所に、バスターミナルとJR新宿ミライナタワーが3月末から4月始めに次々にオープンしたこともあり、ひさびさの定点観測を復活させたというわけなのですよ。

とりあえず、多くは語りませんけど、とある街の風景55(サザンテラス)の記事に載せた1枚目の写真と、写真1を見比べてみると、いかにこの場所からの景色が変わったかがわかりやすいかもですね。


新宿サザンテラス定点観測2
写真2

定点観測については気長にこれからも行うとしてですね、こちらは、甲州街道に面した部分のミライナタワーを撮ってみたものです。(写真2)
このブログでも散々、この界隈のことを取り上げつつも、いつ工事終わるんだろ?とか書いていましたけど、ようやく形が見えてきたという感じですかね。
ただ写真のほうは、写真1、写真2ともによくみてもらうとわかるかもですが、3月末の商業施設部分(NEWoMan)が完成した時に、行って撮ったものなので、まだ工事中の部分も多いものとなってはいますけど。
あとは、ミライナタワーができる前の、このアングルからの昔の写真もブログにあげていたような気がするんですけど、ちょっと今回は見つからなかったです。。

ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
渋谷区代々木2あたり

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