東京坂道さんぽ

2017年01月

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『ジブリ映画「耳をすませば」の聖地、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂を歩いてみよう』
 http://guide.travel.co.jp/article/24090/


今回は、映画の聖地巡礼と言ってもいいかもしれないですね。とにかく取材していても楽しかったです。映画には坂道以外にも、月島雫が暮らす団地もでてきて、実存する団地もあるようなのですが、今回は坂道中心に話をすすめています。

ちなみに、今回のいろは坂については、ブログ初登場です。
まえにラジオにちょこっと出させていただいた時に、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂をおすすめ坂道として紹介してから、いつかちゃんととりあげねばと思っていたところに、先週金曜に映画が放送されることを知り、ちょうどいいんじゃないということで、行ってきた坂道でもあるんですよ。


あとは、いつものようにおまけ写真をいくつか。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。1
写真1

まずは、京王線聖蹟桜ケ丘駅の西口広場にあった地球屋をモチーフにしたモニュメント「青春のポスト」ですね。(写真1)
どこぞやのテーマパークかというくらいのつくりでした。
いいですねえ、こういうのが駅前にあるのは。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。2
写真2

そして、こちらは高台のロータリーに店を構えている洋菓子店のノアさんの店構えですね。(写真2)


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。3
写真3

さらに、当日は店内にも入りました。(写真3)
許可をもらってぱちりと。
バロン人形がたくさんありましたよ。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。4
写真4

店でおみやげに買った「耳すまロータリークッキー」です。(写真4)
手作り感いっぱいの基本をおさえた味でおいしかったです。


耳をすませばの聖地でもあるいろは坂についてです。5
写真5

そして、最後は、うわさの「耳すま思い出ノート」です。
店内でクッキーを買うと、店主の方が奥からだしてきて、記帳させてもらえることに。

もちろん記帳いたしました。(笑)
いやはや、いい記念になりましたかね。


ということで、たびねすの記事のお知らせとあわせて、今回もいろいろ考慮したうえで載せなかった現地写真も含めて紹介してみました。

では、よろしくです。

今年もこの日がやってきました。
昨年は、熊本地震が起きてしまったり、東京近郊でも中程度の地震が頻発していたこともあり、例年になく、この1.17のことを思い出すことも多かったです。

そんななか、2017年を迎え、今年もこれまで同様、阪神淡路大震災で被災し、その後復興をとげ、今はその記憶を留めるために当時の様子を復元・保存されている場所(震災遺構ともいいますかね)を見てきました。

昨年は、神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地にあるモニュメントに訪れたわけですが、今年はその近くにひっそりと存在している「阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント」のある場所を中心に歩いてきました。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント1
写真1

それがこちらです。(写真1)
三宮駅からほど近い東山遊園地のさらに海側(南側)に、阪神高速3号神戸線が通っているのですが、今回のモニュメントはそんな高速道路の高架のそばにひっそりとありました。
見てのとおりですが、地震で被災した阪神高速道路の鉄筋コンクリートの橋脚などが当時のまま残されているモニュメントです。
鉄筋がむき出しになっていて、なかなか生々しいかったです。

そばには、これらのモニュメントについての案内板がありました。
なので解説もかねて一部抜粋してみます。
『(略) 中でも、2号浜手バイパス、2号ポートライナー、43号岩屋高架橋および171号門戸高架橋の4箇所においては、橋脚が傾いたり、橋桁が落橋あるいは大きくくずれるなどの大きな被害を受けました。
(略)
こうしたことから、「被災の姿」を後世に残すことを望む声や、防災意識の高揚に資するため、ここに被災した浜手バイパスの「RC橋脚、伸縮装置、支承」を保存することとしました。』

要は、写真1でモニュメントの奥に見えているのが現在の阪神高速道路で、さらにその高速道路の奥には浜手バイパスも走っているわけですが、目の前にあるモニュメントは、その浜手バイパスを支えていた橋脚を復旧後にここへ持ってきたということのようです。
はじめは、この真上をかつて浜手バイパスが通っていて、そのままの場所に保存したのかと思ってしまいましたが、どうやらそうではないみたいです。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント2
写真2

近くでみるとこんな感じでした。(写真2)
折れるまではいかなかったみたいですが、地震のすさまじい力が感じられますね。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント3
写真3

橋脚のそばには、伸縮装置のモニュメントもありました。(写真3)
これはよく、橋梁の路面端部に設置されるものの一部のようです。
車で高速道路走っていたら、「ガタンガタン」と小さな段差を乗り越えたような揺れが一定間隔でよく起きますが、それはこのジョイントというか伸縮装置を通ったときにおこるものです。
それにしてもすごい曲がり方ですね。
どうなったらこうなるんだろ。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント4
写真4

あと、支承のモニュメントもありました。(写真4)
説明が、難しいですが、ウィキペディアによると橋梁において、上部構造(主桁・主構)と下部構造(橋台や橋脚)の間に設置する部材ということです。(詳しくはウィキペディアの説明みてください。ああ、あれね!とおもいだすと思いますので)
こちらは上部のほうがぽっきりと折れていますね。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント5
写真5

はしっこの方にあった案内板をそのまま撮ってみたものです。(写真5)
ちょっと写真では見にくいかもしれませんが、これまでに出てきたRC橋脚、伸縮装置、支承の被災時と復旧後の写真ものせてありました。
ただここには、「ほにゃららモニュメント」などという言葉は書かれていなかったので、実はこの場所についての正式名称はわからないのですよ。
なので実際のところはどのように呼んでいいのかは不明ですが、今回はとりあえずタイトルのような感じでまとめてみたというわけなのです。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント6
写真6

そして、ここからは場所を移して、東山遊園地のそばには神戸市役所があるのですが、今回はその24階に展望ロビーがあったことを思い出し、寄ってみました。(写真6)
写真6では、海というか港の手前にさきほど登場した阪神高速3号神戸線の高架橋が見えているのですが、橋脚モニュメントについては、ビルが邪魔してやはり見えませんでした。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント7
写真7

もうすこしズームしてみたものです。(写真7)
ちょうど昨年訪れた東山遊園地のモニュメントも俯瞰できました。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント8

写真8

最後は、地上にもどり、昨年、訪れたときは閉まっていて入れなかった東山遊園地内のモニュメント「COSMIC ELEMENTS」の地下瞑想空間に入った時のものです。(写真8)
中には神戸市内外の震災犠牲者の名前が多数掲示されてありました。
写真8は、瞑想空間の天井を撮ってみたものです。
さすがに室内をそのまま撮ったものを掲載する気にはならなかったもので。
というか、これを載せること事態かなり迷いましたが、やはり思い切ってのせておくことにしました。


ということで、今年は昨年の訪問からの続きのような記事ともなりましたが、これからも引き続き震災遺構の旅(散歩?)については続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。


地図
神戸市中央区新港町など

数日前に、たびねすへの寄稿記事が公開されてますので、よかったらどうぞ。

→『メトロ永田町駅の富士見坂と赤プリ跡地界隈史跡めぐり』
http://guide.travel.co.jp/article/23524/


今回は、記事見てもらってもわかるかもですが、富士見坂沿いにおもしろそうなポイントがいくつかあり、さらに新たにできた散歩スポットもあるなど、盛りだくさんな感じになったのが特徴ですかね。
下手すると、永田町の富士見坂だけでも記事にできてしまうほどでしたが、そこに無理やり諏訪坂をねじこんだという感じです。(笑)

ちなみに今回の記事で紹介した坂道については、富士見坂のみですかね。

富士見坂 (NO.10) /千代田区永田町2丁目
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/50058235.html


あとはいつものようにおまけ写真をいくつか。


永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について1
写真1

これは、東京ガーデンテラス紀尾井町敷地内にある赤坂プリンスクラシックハウスですね。(写真1)
東京ガーデンテラス紀尾井町ができるときに、あわせて改修され、写真1のようにきれくなったみたいです。


永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について2
写真2

こちらも同じく、東京ガーデンテラス紀尾井町敷地内にある場所です。(写真2)
「空の広場」と名付けられたまさに広場ですかね。
そして、ここから見るとまったくわからないのですが、記事にも書いた説明のとおりで、赤坂御門の古い石垣をうまく再利用した広場でもあったんですよ。



永田町の富士見坂と赤プリ跡地界隈について3
画像1

最後はいきなりですが、たびねすの記事は、オリコンニュースでも転載されているのですが、ちょうど僕がページを開いたときにでてきた画面です。(画像1)
なんともびっくりというか、綾瀬はるかさんのCMに坂道記事が囲まれるという事態に思わず、記念にスクリーンショットしてみたものです。(笑)
とにかく、こんなことに反応してしまうのもどうかと思ったのですが、記事のマニアなタイトルに対しての、このまさに凹凸な感じというか違和感がなんとも面白かったもので。。

ただこの時は、次に開いたとき、普通の画面になっていたので、今でもオリコンニュースのサイトでこれが見れるかは運しだいかもですね。(試す人もいないとは思いますが。笑)


ということで、これ以上脱線してしまわないうちに今回の記事おわります。

では、よろしくです。

今年の正月は、関西の坂道もかなり散歩して写真も撮ったこともあり、名前のついた関西の坂道では、このブログ初となる場所を取り上げてみたいと思います。(みちくさ学会の記事ではダイジェストで書いていますけど、今回の坂道は取り上げていませんよ。)


場所は、京都市内にある八坂神社近くの知恩院の境内にあります。
三門から御影堂の方へと上る急階段で、坂名は男坂と名付けられています。


知恩院の男坂1
写真1

では、いきなりですが、坂下からの様子でも。(写真1)
知恩院に行ったことあるかたならわかると思いますが、大抵の人はここを歩くんじゃないですかね。
手前に2段、それから普通な感じの石段に踊り場。そしてその奥に急階段。
とにかく写真だけだと、わかりにくいですが、いい階段でしたよ。


知恩院の男坂2
写真2

次は階段を上り、踊り場まできて後ろを振り返ってみました。(写真2)
これみれば、あ!ここかあ、と思う人もでてきそうですかね。
奥に見えているのは、知恩院の三門で、公式HPによると「元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。」とのこと。
国宝ですよ。国宝。
よく考えてみたらすごいですね。
しかも現存の木造建築としては最大級の二重門だそうですよ。

ちなみに、この門は徳川時代につくられたもののようですが、知恩院自体は(公式HPみてもわかりにくいので、ウィキペディアのほうを参考にしてみると)承安5年(1175年)創建らしいです。
なので、この坂道というか階段については、すこし現地などで詳しく調べなおしてみないと、江戸時代にできたものなのか、それより昔のものなのかちょっと判断しかねますかね。
でもまあ、この階段はおそらく三門がつくられたときよりは整備されていなかったとはいえ、江戸時代より前にはすでにあった可能性は高いとは思いますけどね。(ほんとは江戸時代よりずっと昔にあった坂道なのですよねー、ほほー。と、きっぱり言いたいところなのですが。笑)


知恩院の男坂3
写真3

写真2と同じ位置より、今度は坂上方向を見てみたものです。(写真3)
かなりの急階段ですねえ。
一段一段の段差もけっこう大きいですね。

しかも、左右の擁壁も歴史感じますねー。


知恩院の男坂4
写真4

さらに階段を上り、急階段の途中からです。(写真4)
急勾配すぎて坂上のほうは見えませんね。


知恩院の男坂5
写真5

いちおう、階段の勾配具合もぱちりと。(写真5)
なんかこうしてみるとそんな感じはしないですが、現地ではかなりの急勾配感があったのですよ。


知恩院の男坂6
写真6

そんなわけで、坂上までやってきて坂下方向を見てみました。(写真6)
これだと急勾配具合わかりやすいんじゃないですかね。(汗)
そして、高低差具合もすごいです。


知恩院の男坂7
写真7

ちなみに、坂上そばには「七百五十万霊塔」なる立派な建造物も見えていましたよ。(写真7)
公式HPの年表を見ると、1959年落成とあるので、こちらは新しいもののようですね。


知恩院の男坂8
写真8

あと、奥にはだいぶ前にきたときは中に入った記憶もある御影堂ですが、現在は写真8のように大改修中でありましたよ。(写真8)
なんかすごい囲いですね。


知恩院の男坂9
写真9

ここからはおまけです。(写真9)
写真2でも登場した三門を、階段でいえば坂下方向側の知恩院の敷地外から見てみたものです。
僕自身、知恩院といえば、この風景を思い浮かべていたわけですが。
ちなみに、門手前の階段は、境内の案内看板によれば男坂ではないみたいですね。


知恩院の男坂10
写真10

最後は、三門にある賽銭箱のあたりから、坂下方向を見てみました。(写真10)
門の向こうには、知恩院道なる広々とした道路があり、なんか軸線概念ぽかったので、思わずぱちりと。


ということで、京都市内の坂道については、今回の男坂をみてもらっただけでもわかるとは思いますが、周辺の歴史的レイヤーがありすぎますし、写真についても空いている時期に坂道を歩くのもなかなか難しそうなので、一気に調査という感じにせず、今後ぼちぼちと定点観測していければなあと思っていますのでよろしくです。



地図
京都府京都市東山区林下町400

おめでとうございます。

昨年は、2015年同様に更新頻度が落ちたままとなってしまいましたが、そんな中、ラジオにもちょこっと出させていただいたり、たびねすでライターとして記事を書かせていただくなど、今後につながりそうなことが起きた一年だったかもです。
とにかく、前も言ったことあると思いますが、これもブログを書いていなかったらなにもおこらなかったことだとも思っていますので、以前のようなペースではなくてもぼちぼちと続けていければなあとは思っておりますよ。(とは言いつつも、義務的な感じにしないのをモットーにしたいとも思っていますが、笑)

ということで、今後も正統な名前のある坂道やこのブログらしい気になったなんてことない坂道に加えてちょっと脱線気味の(笑)時事風景などについても定期的に取り上げていきたいとは思っていますので、気楽にお付き合いいただければ幸いです。


あけまして2017


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