ブログネタ
地域文化 に参加中!
前にすこし話しましたが、今回は、坂道の坂上と坂下における社会文化の差という、タイトルにしてみました。


これは、今はそんなに感じることありませんし、もうそんなこともありませんが、はるか昔、それも江戸時代の江戸の町づくりを徳川家康がおこなっていたころ、江戸城を中心にプランをつくっていったのは、よく知られているかもしれませんが、その際、東京独特の地形からうまれる坂上と坂下のわずか標高差20mの坂道を境目とし、坂上には大名・旗本などの武家屋敷と神社・仏閣などを、坂下には江戸経済の拠点である町家を配置して、坂道を境に都市の機能の色分けというか差別化を行ったことに由来しているそうです。

そして、これらの江戸時代の家康の計画は、今の都市の構造にもずいぶんと継承されているというか、まったくなくすわけにもいかないので、残されていて坂上は緑地を十分にとりこんだ良質な住宅、宗教施設、学園、外国公館、ホテル、公園などに、坂下は商工業の混在する産業空間にと土地利用され、生活文化をとくに追求した山の手社会と産業文化に特化した下町(川の手、水辺)へとわかりやすくというかはっきりと分化されていったそうです。

(「東京を地誌る」より一部参照しました。)


これは、すこし地図などで調べてみたり、散歩しているとなんとなくですがわかります。

さらに区役所なんかでもらえる都市計画図などをみると、都市計画を定める地域の都市計画区域内では、土地利用を細かく規定した用途地域を必ず定めなければならないことになっているのですが、坂道界隈では、主に、「住居系」、「商業系」、「工業系」の3つの地域にだいたい分かれていることが多く、それでみても、なかなかおもしろいことに、今でも、かっての坂下と坂上の地域では、それなりに用途がわかれていて、坂上は「住居系」のいろあいが多い場合が多く、坂下の地域は「商業系」、「工業系」の場合が多かったようにみえました。(ただ、これはいくつかの坂のある地域の用途地域を見ただけの感想ですので、実際に統計をとったわけではありませんので、あしからず。)

でもいまはかって工業地域だったウォーターフロント地域でも高級高層マンションなんかもありますし、そんなところからも、現在はあいまいになっていますよ。ということで、最近のような高層マンションの登場で、どっちが坂上文化なんかなのかは、今の時代はわからなくなってしまったといえますかな。