というわけでやっと本題です。
そして今回も同じく神田明神つながりの話です。


神田明神曙之景と坂道風景1

まずは神田明神男坂の坂上からの眺望など。
とりあえず、この坂のこまかいことについては、過去の記事を見てもらうとして、この景色を見てもわかるとおり、この神田明神は湯島台地の東端にあるので、こんな具合に急勾配な崖に近い高低差のある坂道があるわけですけど、やっぱり遠くを見るとビルばかりです。

でもこの前、神田明神の公式HPを見てたら、実はこの神田明神男坂についての記載があり、『天保年間に神田の町火消4組が石段と石灯籠を奉献した。眺めがよいことから、毎年1月と7月の26日に観月(夜待ち)がおこなわれた。又、当時の江戸湾を航行した船の灯台の役割も果たしていたといわれる。』
とありました。

それでいちおう神田明神男坂の過去記事を改めてみてみても灯籠らしきものはなかったですが、石段は多少の改良工事はあったとはいえ、写真で見た感じでは、おそらくそれほど変化してないのではないかと考えらます。
そして、もうひとつが江戸時代は眺めがいまよりもよくて観月が行われ、さらには灯台の役目もはたしたとのこと。
まあこれはもちろん坂道の話というより、神田明神のことだとは思いますけど、やっぱりそれほどまでに景色がよかったんですかね。


神田明神曙之景と坂道風景2

そこで、当時の風光明媚具合を知りたかったので、こんなものを見つけてきました。(笑)
広重さんの「神田明神曙之景」なるタイトルの浮世絵です。
こちらは神田明神境内から東の海側方向を描いたものらしいのですけど、こうしてみると当時はほんとうに景色がひらけていたんですね。
しかも早朝の朝焼け具合もすごく良い感じで描かれてます。
これなら、ここが昔、灯台の役目もはたしたということもなんとなくわかるかもですね。

なので、おそらくこのすぐ隣にあったであろう神田明神男坂も似たような景色が坂上ではひろがっていたのかもしれないですね。


神田明神曙之景と坂道風景3

ちなみに、絵の雰囲気から、現代の境内の場所を推測してみるとたぶんこのあたりかなあという場所で、同じく東の海のある方向を眺めながらぱちりと一枚。

そんなわけで、もしかしたら、浮世絵に描かれているようにゆっくりすわって景色を眺められる眺望場所が境内からなくならず昔からずっとここに残っていたなら、現代のここから眺めることができる風景もちょっと違ったものになっていたかもなあなんて妄想もしつつ、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区外神田2