今年もこの日がやってきました。
毎年言ってますけど、あの地震から24年ですか。
ひさびさに過去の関連記事読み直してみたら、この1.17になにか地震について書くということはブログ始めた頃からやっているんですよね。
当初は、その時の自分の気持ちを書いていましたが、地震から15年が経った2010年より震災遺構めぐりを始めたわけです。
ということであれば、この震災遺構めぐりも今回で10回目ですか。
そして1995年に生まれた子でも24歳。。
ただそうはいっても、やはりこの日になるといろんな方々が神戸に助けにきてくれたのだなあということを思い出す日でもありますね。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。1
写真1

今年は、正月に帰省した際に関連箇所を2つまわりました。
まず、ひとつ目はひさびさの「人と防災未来センター」です。(写真1)
というのも今年はここのエントランスで震災関連の写真展をやっていると聞いたからです。

ちなみに人と防災未来センターの壁面には写真1にも写っていますが、1995年1月17日の地震発生時刻である5時46分という文字が刻まれています。
おそらくこれまでにも目にしてはいたはずですが、今年は後で出てくる場所とすこしばかり関係のある内容だったこともあり、気になりました。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。2
写真2

今回の目的のひとつだった「人と防災未来センター」での写真展の様子です。(写真2)
写真展のタイトルは「振り返る1.17 阪神・淡路大震災写真展2019」でした。
写真OKとのことだったので、パネル見ながらメモ写真も撮っていたのですが、思っていたよりも当時の生々しい写真が展示されていてすこし驚いてしまいましたね。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。3
写真3

なんといっても、これですかね。(写真3)
高速道路の倒壊の様子です。
もしかしたら、以前このブログでも紹介したネットで一般公開されている震災アーカイブでも同じような写真を見たかもしれないですが、やはりこのアングルからのものは生々しいですね。
しかも視点が高いんですが、どこから撮ったんだろ?

ちなみにここは東灘区なので、言うなれば芦屋市と神戸市の境界あたりなので、僕としてもかなり身近に感じてしまう震災風景でもあります。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。4

写真4

芦屋市での被害状況を写したものもありました。(写真4)
奥に山並みが見えているので、北側の六甲山のほうを向いて撮っていそうです。
当時は、瓦屋根も多かったのでこういう倒れるような崩れ方している家も多かったのは覚えています。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。5
写真5

こちらは宝塚市の仮設住宅の俯瞰写真ですね。(写真5)
当時としては当たり前の風景だったとは思いますけど、今見ると殺風景ですね。
ここ数年くらい他の地域でも自然災害が多かったこともあり、仮設住宅も室内外の環境が見直されるようになってきましたが、この当時はほんとお粗末なところが多かった記憶がありますね。(ただしここが殺風景以外にそうだったのかはこの写真だけからではわかりかねますが。)


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。6
写真6

そんなわけで、「人と防災未来センター」でのことはこれくらいにして、今年訪れた2つめの場所がここです。(写真6)
三宮駅の北側にあり、北野坂からもかなり近い場所にある一見なんの変哲もないビルです。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。7
写真7

ただし、よくみるとビルの2階部分には写真7のような時計があります。(写真7)
しかも時間は5時46分を指しています。
実はここの時計、地震が発生した5時46分のまま止まっており、ビル側のほうでも当時のまま残しているということだそうです。
だからこそ時計の上に「MEMORIAL」と書かれているのですね。


今年は三宮の麒麟ビルとひさびさの場所へ。8
写真8

ちなみにビル1階部分には、そのことを説明しているプレートも設置されてありました。(写真8)
プレートには「2階バルコニーの時計は阪神淡路大震災で止まったままです。」と書かれてあります。

僕自身、ここは北野坂からなら西へ歩いて100mほどの場所にあり、しかも生田神社に行くにはこのビルの横を通って行くコースが一番の近道でもあるので、見つけた時はこんなところにあったのかという気持ちでした。
ほんと今まで知らなかったので、残しておいてくれた方には感謝です。

ということで、今年も例年どおり1.17の日に記事を書いてみました。
そして今回のように自分の中での新たな発見は続いているので、来年以降も震災遺構の旅(散歩?)は続けていくと思いますので、よろしくお願いします。


地図
三宮の「麒麟ビル」と「人と防災未来センター」