じしょういん坂と呼ぶそうです。
成女学園高・中学校の東側を靖国通りから上っている坂道で、安保坂(NO.350)の坂下からもすぐの場所にあります。

自証院坂1
写真1

まずは坂下あたりからの様子など。(写真1)
住宅街の道路と言った感じで、形状的にも直線の坂道でした。

ここには、いつものような坂の碑はありませんでしたが、(日本坂道学会会長でもある、(^^))山野さんの坂道本(大江戸坂道探訪)ではこの坂道のこともセレクトされていて、この本に掲載されているということは江戸時代からある坂道の可能性大ということなので、そういうことだと思います。
坂名については、今も坂上あたりにある自證院(自証院)にちなんでつけられたという説が有力です。

なお自證院(自証院)については公式HPもあり、wikipediaにも説明がありますが、ここではwikipediaのほうが短くてわかりやすいので、すこし抜粋しておくと、『1640年(寛永17年)に開山された。江戸幕府第3代将軍徳川家光の側室で、尾張藩の徳川光友の正室千代姫の生母であるお振の方を供養するために創建された。よって当院はお振の方を開基としている。』とのこと。

また古地図でこのあたりを見てみると自證院(自証院)は、現在の坂下に面している靖国通りまで敷地があったようで、昔の自証院坂は境内の坂道だった可能性もありますね。

あと安保坂(NO.350)の記事でもふれましたが、坂下そばの成女学園高・中学校あたりの靖国通り沿いに「小泉八雲旧居跡」と書かれた案内板もあるとおり、小泉八雲はこの地に1896年から1902年まで住んでおり、坂上の自証院に向かう際によくこの坂道を歩いていたという話も残っていて、小泉八雲の葬儀もこのお寺でおこなわれたそうです。

自証院坂2
写真2

短い坂道だったので、一気に坂上あたりまできて、坂下方向を眺めてみました。(写真2)
奥に見えている道路が靖国通りなので、こうしてみるとけっこうな高低差ありそうでしたね。
写真から判断すると、建物2階分くらいですかね。

ちなみにこの背後すぐあたりに現在の自證院(自証院)があります。
ここも昔は境内の坂道だったという説が正しいなら、当時はビルも建っていなかったでしょうから、この高低差からするとけっこうな眺望だったかもしれないですね。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
新宿区富久町