東京坂道さんぽ

〚Category: 富士見坂
岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257) /世田谷区
日暮里富士見坂からの富士山が・・・
富士見坂 (NO.2)その2 /港区芝公園4丁目
富士見坂(NO.237)/目黒区目黒1丁目
新富士坂(NO.180)その2 //渋谷区恵比寿南3丁目
新富士坂(NO.180) /渋谷区恵比寿南3丁目
富士見坂(NO.148) /港区元赤坂2丁目
藤坂 (NO.20) /文京区小日向4丁目
富士見坂 (NO.19) /豊島区高田1丁目
護国寺不動坂 (NO.18) /文京区大塚5丁目と2丁目の間 
御殿坂 (NO.17) /文京区白山2丁目
不二見坂 (NO.16) /豊島区目白1丁目
横見坂 (NO.15) /文京区湯島2丁目
富士見坂 (NO.14) /大田区鵜の木1丁目
富士見坂 (NO.13) /文京区本郷2丁目
富士見坂 (NO.12) /新宿区市ヶ谷本村町
富士見坂 (NO.11) /千代田区富士見2丁目と九段北3丁目の間
富士見坂 (NO.10) /千代田区永田町2丁目
新富士見坂 (NO.9) /港区南麻布4丁目
青木坂 (NO.8) /港区南麻布4丁目
富士見坂 (NO.7) /港区西麻布3丁目
富士見坂 (NO.6) /大田区田園調布1丁目
富士見坂 (NO.5) /千代田区神田小川町3丁目
南郭坂 (NO.4) /渋谷区東2丁目と3丁目の間 
富士見坂 (NO.3) /荒川区西日暮里3丁目
富士見坂 (NO.2) /港区芝公園4丁目
宮益坂 (NO.1) その2 /渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間
宮益坂 (NO.1) /渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間

やっときましたよ。
タイトルに「岡本三丁目の坂 」とつけているのは、通称というわけでなく、世田谷区の国分寺崖線発見マップにも、岡本三丁目の坂ということで載せているようでしたので、ここでは坂名として「岡本三丁目の坂」と呼ぶことにしますので、あしからず。

場所は、前に取り上げた「堂ヶ谷戸坂(NO.256)」の北側にあり坂上でつながっているところにあります。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの様子など。(写真1)
見てのとおりですが、坂下あたりよりすこし離れた場所から、今回の坂道を眺めてみたものです。
これだけみても、高低差がものすごい坂道ということはわかるんじゃないですかね。
普通に6階か7階分くらいはありそうかも。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)2
写真2

写真1と立ち位置がだいたい同じ場所なのですが、すぐそばを仙川が流れていました。
このあたりには、この仙川だったり、野川やこれまでに登場した丸子川だったりいろいろな川がありややこしいですが、まあそのあたりは地図でも見て確認してみてくださいな。。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)3
写真3

次は、坂下あたりからの風景です。(写真3)
なにか独特の雰囲気を感じてしまいましたが、気のせいでしょうかね。
とりあえず、坂上の頂上あたりは見えているのにはるか遠くという感じだったかもです。

あと、この右側には写真では見えていませんが、玉川幼稚園があり、今は建て替えられておもかげはないそうですが、かつての岡本幼稚園の建物は政治家の高橋是清の別跡だったそうですよ。(参考サイト:せたがや百景 No.69 岡本玉川幼稚園と水神橋


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)4
写真4

すこし坂をのぼり、勾配が急になり出すあたりから、坂上方向を見てみたものです。(写真4)
やはりこのあたりにくるとかなりの急坂でした。
だからか右側には階段もありましたよ。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)5
写真5

写真4とだいたい同じ場所から、今度は坂下方向を見てみました。(写真5)
まあ、このアングルだと、よくある感じの坂道という感じですかね。。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)6
写真6

でも中腹あたりまできて、同じように坂下方向をみてみると、さっきとは全然違う景色が広がっていましたよ。(写真6)
しかも、左側は空き地になっているので、ひらけ具合が半端なかったです。
(ということで、ここはぜひ公園に!(笑))


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)7
写真7

いちおう、写真6と同じ位置より、坂上方向を見てみました。
あいかわらずの勾配具合でした。
あと、このあたりで、スマホの傾斜を計れるアプリで何度か計測したところ、だいたい13度前後の値がでてきましたよ。
なんとなく体感では20度くらいあるかなあと思っていましたので、ある意味びっくりだったかもです。
(でもまあ、無料のおもちゃアプリなので、多少の誤差はあるかもしれないですけど。)


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)8
写真8

そして、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下方向を見てみました。
やはり坂上からの景色も、国分寺崖線による高低差とその向こうも住宅街ということで低層の建物が多かったので、遠くのほうまで街を見渡せてかなりよかったですよ。
ちなみに、この坂道、タイトルの中に”東京富士見坂”と入れているとおり、このそばに「関東の富士見百景」という国土交通省関東地方整備局設置の標識もあり、国公認の富士見スポットとしても有名なのですが、散歩した当日は、富士山は見えませんでしたよ。


ということで、この岡本三丁目の坂については、これからも定期的に訪れて、そのうち富士山が写った写真を記録しておこうとは思っていますので、またその写真がとれ次第報告してみたいと思いますが、今回はこんな感じです。



地図
世田谷区岡本3丁目あたり

そういえば、つい最近、「今日も日暮里富士見坂」というブログがあるのを知り、そちらの投稿で知ったのですが、とうとう6月22日に新築のマンションのために日暮里富士見坂から富士山が見えなくなってしまったとのこと。
2013年6月22日の日暮里富士見坂からの富士山(今日も日暮里富士見坂より)

うーん。
残念ですねえ。(といっても僕は保存活動とかそういうのには参加していなかったので偉そうなことは言えないのですが。。)

しかも、「今日も日暮里富士見坂」のブログの写真を見てみると、富士見坂から見える方向に”seiwa”という広告が足場を覆っているシートらしきところに堂々とかけられていますし。・・・。(汗)
(ちなみにどうでもいいことですが、この看板に書かれているseiwaとは生和コーポレーションという不動産業者(元々は建設業者)のようですね。しかもここ、今は本社が東西にあるようですが、たしか関西系の会社だったような。ということは地元企業にあたる会社ということではないですか・・・。(汗、なんかもうこんなどうどうとやってしもうている感じが恥ずかしいですなり・・・。))

あ、あとこれは備忘録ですが、今回のニュース、地味に朝日新聞デジタルでも取り上げられていましたよ。
日暮里富士見坂から富士山が…「眺望遺産」消える(朝日新聞デジタルより)


まあ、それはそれということで備忘録としてひと段落して、話はすこし前になるのですが、さる2013年1月の終わり頃にダイヤモンド富士が見られるという日が数日あったのですが、実はその日、現地に僕もいまして、天気もよかったのでみることができたんですよ。
ただ、そのことをこのブログでもそのうち記事書いて取り上げようと思っていたらあっというまに半年が経ってしまったわけでして、この機会だからせっかくなので、当日撮った写真をいくつか載せておきたいと思います。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・1
写真1

まずは、まだまわりが明るくて富士山がほとんど見えない時のものです(うっすらですがいちおう見えていますが)。
この時間は、左の方に謎のバルーンが見えていました。
(あとで確認してみたところ、地元の人が抗議のために打ち上げたもののようでした。要は富士見坂から見られること意識したものらしいです。)


日暮里富士見坂からの富士山が・・・2
写真2

写真1の時から30分くらいのち、いよいよ夕日がちょうど富士山と重なる時間帯に近づいてきました。
もちろん、まわりは見物客でいっぱい。
ただこの時は、あまりの逆光状態で富士山はまったく見えず。。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・3
写真3

そして、こちらが(待望の)ダイヤモンド富士直後のものです。
山頂の位置からはすこしずれてますが・・・。(そこはご愛嬌。。)


日暮里富士見坂からの富士山が・・・4
写真4

それから5分くらいであっという間に太陽はこんな位置に。
(なので今の現況からいうとこれが最後のダイヤモンド富士ということだったのですね。(泣))


日暮里富士見坂からの富士山が・・・5
写真5

写真4の時から、5分後の世界です。
富士山のシルエットがきれいに見えていました。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・6
写真6

で、最後は、そのまた30分後の世界です。
いちおう、このままでは、なんかあれでしたので、富士見坂と一緒にですね。
とにかくこの時間になっても富士山のシルエットはよく見えていましたよ。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・7
写真7

あと、こちらは同じ日に富士見坂でこんなこともやっていましたよ。
坂の途中の両サイドの壁や柵などに路上写真展と称して写真がいっぱい貼ってありました。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・8
写真8

中にはこんなものまで。。
建築模型みたいでしたよ。


日暮里富士見坂からの富士山が・・・9
写真9

そして、在りし日の坂からの富士山の写真も。


ということで、今回はなんかいろいろ詰め込んでしまった感ありますが、富士見坂の番外編でもあり、備忘録というか記録もかねてこんな感じです。

もう気がつけば8年ほど前に書いた記事(富士見坂 (NO.2))ですが、ここでとりあげた富士見坂がどうやら場所がすこしずれているらしいということに気がついてからはや数年・・・。


2)その2

そんなわけで、最近、まじめにこの富士見坂 (NO.2)に再度訪れることにして、やっとみちくさ学会の記事を通じてとりあげることができました。
それがこちらです。 →東京タワー下の富士見坂

ちなみにこのみちくさ学会の記事ではのせなかったのですが、実はこのブログでは初登場の本「東京の坂道」というけっこう古めの本に大正12年の富士見坂の頂上あたりの写真(もちろん観音堂も写ってます)が載っていたりしますので、興味があるかたは調べてみてくださいな。
とにかくまわりは今とはだいぶ違った感じですけど、観音堂まわりはそんなに変わってない感じがちょっと印象的でした。


そして、ついでに富士山ネタつながりで、今日のニュースでもかなり取り上げられていたと思いますけど、とうとう富士山が世界遺産への登録を勧告されたそうですよ。
富士山:世界遺産へ-ユネスコ諮問機関、登録を勧告 (毎日jpより)
めでたいことです。
この富士見坂もなんか相乗効果ないものですかね。(笑)


ということで、今回はお知らせもかねたエントリーでした。

さっそくですが、実は昨年、みちくさ学会の記事(「目黒千代か池と富士見坂」)でもとりあげた目黒区目黒1丁目1と2の間にある富士見坂をぶらりと歩いていたらちょうど時期がよかったのか富士山が見えたんですよ。

みちくさ坂道記事

(上の写真がその時の様子です。たまたま工事の方も一緒に写ってますけど、そのあたりはご愛嬌ということでお願いします。)

そして今回はせっかくなので、この富士見坂の大発見(おおげさ・・・)の報告をみちくさ学会の記事ですこし詳しく書いてみましたのでよかったらどうぞ。

目黒の富士見坂からも見えました!


とにかくこのことは、他の坂道本や坂道サイトでも発表されてない(というか調べてないだけだと思いますけど、笑)ことで、しかも現在でも富士山が見えるということは、昔はもっと大きくはっきり見えていただろうということになるのですよ。

というわけで、この目黒区目黒1丁目1と2の間にある富士見坂は、このブログではまだナンバリングしていなかったと思いますので、このエントリーで「富士見坂(NO.237)」として記録しておきたいと思います。


地図
目黒区目黒1-1あたり

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前回の新富士坂(NO.180)の続きです。
おそらく、前回の坂道記事だけでは、あれれ?もうおわり?と思ったかたもいたかもしれないですけど、あまりに話が長くなりそうだったので、今日の第2段ということにしてわけみたわけですよ。



新富士坂(NO.180)その2_1

それで、まずはこれ。
新富士坂(NO.180)の坂下からの眺めをおさめた一枚目の写真でも見えていたのですが、「道しるべ」なる道しるべです。(笑)
道しるべなので、他に言いようがないのですけど、隣に案内看板があったので、そのまま書き写してみると、
『江戸時代中期の安永八年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀沸、その左側にゆうてん寺道、右側には不動尊みちと書いてあります。ゆうてん寺道とは、目黒方面から別所坂を登リ麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道のことです。そして台座には道講中と刻まれています。このことから、単に道路の指導標というだけではなく、交通安全についても祈願し造られたものであると考えられます。この地域は江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれた小規模な町並みが存在していただけでした。町並みから外への道は、人家も少ない寂しいところであったため、このような宗教的意味をもった道しるべが必要だったのでしょう。』
と書いてありました。
まあ、ここに書いてあることをそのまま理解すればいいんじゃないですかね。
ただ、「1779年に建てられたこの道しるべ」というのはすごく気になりますけどね。
(それと、これはお地蔵さんとは、また違うみたいですね。なんだか調べてみたくなってきましたが、それはまたいつか・・・。(汗))



新富士坂(NO.180)その2_2

これも坂の途中にあったものです。
「馬頭観世音」というらしいですよ。
後ろのハイソな塀(壁?)とのコントラストがなかなかいい感じかもです。

そして、ここにも、なにやら案内看板が設置してあり、
『このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(1719)年、このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が、馬頭観音に祈って悪病を退散させました。そのお礼に石で観音をつくり、祐天寺の祐海上人に加持祈祷�偃を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程へ安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願をしたので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
 この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂をおりると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には、庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。』
とありました。
なるほど、なるほど。。

とりあえず、こまかいことはおいておいて(汗)、気になることといえば、この坂道が、「目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道」という記載のところですかね。
道しるべの説明のほうでも、似たようなことが書いてありましたけど、この新富士坂(NO.180)は昔の主要道路だったんですね。
あとは、別所坂だったり、目黒新富士なんていう気になる名前がでてきますけど、このあたりのことは、目黒区の坂道めぐりを、またそのうちに始めたときにでも、取り上げてみようかなと思っていますので、少々お待ちください。



新富士坂(NO.180)その2_3

最後はおまけです。
これも坂の途中で見かけた教会です。
閑静な住宅街のなかに、とりたてて目立つ感じでもなく、かといって、あまりにひっそりいうわけでもない、ちょうどいい感じでたたずんでいる姿におもわずぱちりと。



住所
渋谷区恵比寿南3

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所在地:渋谷区恵比寿南3


しんふじ坂とよぶそうで、別名で観音坂ともいうそうです。
場所は、ちょっとわかりにくいのですが、恵比寿駅から西へ歩いて数分のところにあり、駒沢通りよりすこし南側にある坂道です。



新富士坂(NO.180)1
坂下より

恵比寿駅のほうから歩いてくると、このあたりにやってきます。
そして、この新富士坂は、さらに西に向かって上っている坂道のようでしたよ。
このあたりから見る分には、写真でみてもわかりやすい感じで、勾配具合が見えていますかね。
ちょうど、このあたりから恵比寿駅前の雑踏が薄れてきて、落ち着いた雰囲気になってくる場所みたいでした。



新富士坂(NO.180)2
坂の途中より

すこし坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。
現地では、手前の坂道のほうばかりに目がいってしまっていましたが、この風景をじっと見ていると、坂のむこうに見えている、恵比寿駅前のビルやら駅ビルなんかのほうが、気になってしまうんですが、どうでしょうかね。。



新富士坂(NO.180)3
坂の途中より2

さらに坂を上り、同じく坂下のほうを見たものです。
このあたりまでくると、坂下あたりほどの勾配具合ではなくなりましたが、基本的に、ここの坂道は、それなりに高低差はあるのかもしれませんが、道自体が長いので、勾配具合が感じにくい坂道なのかもしれないなあと思ったりしましたよ。
あと、ここからだと、恵比寿駅というか駅ビルの異様な大きさがわかりやすく見えていますね。。



新富士坂(NO.180)4
坂の途中より2

そして、3枚目の写真とだいたい同じ立ち位置から、坂上のほうを眺めたものです。
なかなかいい具合に、上りながらカーブを描がいてます。



新富士坂(NO.180)5
坂上あたり

最後は、カーブを曲がりきり、さらに坂上のほうを見たものです。
なんていうか、閑静な住宅街というかマンション通りというべきかはわかりませんけど、坂上にきても、ここは坂下の雰囲気とはあまり変わらず、落ち着いた感じの空気が流れていましたよ。


ちなみに、ここには、いつもの坂の碑はなかったのですが、「歩いてみたい東京の坂(下)」にて坂の由来に関する記載があり、
『江戸時代、北海道探検で有名な「近藤重蔵」がこの坂上に屋敷を構え邸内に富士山を模した小山を築造した。それ以降、茶屋坂上(目黒区三田2丁目12番)に築かれてあったミニ富士山を「元富士と呼び、近藤邸内のものを「新富士と呼ぶようになった。坂名はこの「新富士による。「新富士」は安藤広重も描いている。』
とありました。

(あと、余談ですが、この坂道から実際に富士山が見えたかどうかはわからないのですが、いちおう、今回は富士見坂カテゴリのほうにふりわけてみましたので、あしからず。)



地図
渋谷区恵比寿南3

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ふじみ坂とよぶそうで、これも赤坂御用地内にかつてあった坂で、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によると、”東京市史稿・遊園篇”の西園記に、
「富士見坂 凌雲道鳳鳴閣へ登る坂路、松林の間に屈曲、千層雲を摩するの思あり」
と、この坂道のことが書かれているそうです。
ただ、これだけ読むとよくわからない感じもありますし、各単語を検索したりしてもよくわからなかったのですが、とりあえず、いまのところ予想できるとすれば、見隠坂(NO.146) の中ででてきた「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、・・・」ということからも、この富士見坂も庭園内に存在した8つのうちのひとつの坂道なのかもしれないということぐらいですかね。

そんな感じで、今回もこれで書くこともなくなってしまったのですが(汗)、とりあえず、なにも写真をのせないのもさびしい限りですので、赤坂御用地まわりの写真(今度は西面を中心に)でも。。


富士見坂(NO.148)1

なんというか、外掘り通りに面してこんな感じの立派でちょっとやそっとのことではつぶれなさそうな塀がずうーと、敷地内の北側にある迎賓館のあたりから続いていて、この写真だけみるとなんてことないようにもみえますが、さすがにこれが数百メートルも続いているとかなりの圧倒感があったかもです。



富士見坂(NO.148)2

ただ、さらに外掘り通りを南下していくと(下っていくと)、紀伊国坂(NO.142) でもちらりと見えていたかもしれませんが、こんな感じで塀が奥のほうにいってしまい、そのあいだに緑地帯みたいなものができて、松林とはいかないかもしれませんが、なんとなく上の西園記ででてきた松林を想像させてくれる松が何本か見えていたりもしました。

ということで、今回(今日の投稿)は、山屋敷坂(NO.147) とあわせて、さらりとそれぞれ流そうと思い、2エントリーをいっきにアップしてみたのですが、いざ各エントリーを書いていたら以外とあれもこれもとなってしまった感じですが、よかったら前回の分とあわせて、どうぞ。。



地図
港区元赤坂2あたり

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富士見坂20


藤坂(富士坂、禿坂) / 文京区小日向4丁目3と4の間 
 
国道254小石川5丁目交差点から西へ下る坂です。


富士見坂20_sakaue
坂上より


坂の標識には
『「藤坂は箪笥(たんす)町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』)藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
 「東京名所図会」には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
 昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
 『続江戸砂子』に、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。』
と書かれています。
 
現在は、かなり短く急な坂で道幅もせまいのですが、車はよく通る道のようですね。


富士見坂20_sakatyu1
坂の途中より

富士見坂20_sakatyu2


周辺は住宅街ですが、坂に隣接する住宅の半分くらいは古びており、坂道自体の雰囲気を良くしているとはいいがたいかも。

新築のマンションもありますが、とくに雰囲気をよくしている感じはなかったです。

また、ここからも富士山はみえず、そのかわりにかって見えた方向には地下鉄丸の内線の車庫がみえるのみです。


富士見坂20_sakasita


(データ:傾斜10.8°、道幅3.9m)


地図
文京区小日向4

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写真 に参加中!
富士見坂19


富士見坂 / 豊島区高田1丁目40
 
目白通りに不忍通りがぶつかる交差点から南下する坂です。


富士見坂19_sakaue

坂上から南下する際、坂が2つに分かれており、右側に富士見坂、左に日無坂となっています。

富士見坂は高田一丁目23と33、40との間を通る坂で、日無坂は高田一丁目23と文京区目白台一丁目15との間を通る坂で、坂の歴史的には、日無坂のほうが歴史が古く、富士見坂のほうは、明治以後に開かれた切り通しの坂ということみたいです。

現在の坂の周辺は住宅地であり、戸建て住宅が多く、また周辺に大学があるため賃貸住宅が多い感じです。
坂からの富士山の眺めですが、遠景に新宿の高層ビル群がじゃまをして、今はみることはできませんが、坂上からの眺めは変化にとんでいて勾配も急なことからけっこういい感じの雰囲気が漂っています。

また、片側がスロープ(富士見坂)でもう一方が階段(日無坂)というのもこの坂の特徴ですね。
そして、この坂は写真展などでも多く取り上げられる坂でも有名らしく、東京では人気の坂であるらしいですよ。

僕にとっても大好きな坂のひとつですよ。

富士見坂19_sakasita


(データ:傾斜13°、道幅4.3m)




地図
豊島区高田1

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富士見坂18


護国寺不動坂 / 文京区大塚5丁目と2丁目の間 
 

文京区大塚二丁目と五丁目の境を大塚三丁目停留所から音羽二丁目護国寺前に下る坂で、護国寺がすぐそばにあり、不動坂ともいいます。


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坂上より

坂下に坂の碑があり、
『富士見坂 坂上から富士山がよくみえたのでこの名がある。高台に立てば富士山の眺望がきいたのが江戸の特徴で、区内でも同名の坂が二カ所ある。むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年10月に、旧大塚仲町(現大塚3丁目交差点)から護国寺まで電車が開通した時、整地されて現在のようにゆるやかに道幅も広くなった。明治以降、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。』
とあります。

現在はこの坂の通りは不忍通りとなり、春日通り、白山通りに接続して道幅も広く自動車の交通量はかなりのものです。

周辺は閑静な住宅と雑居ビル、そしてはじめにすこしふれた護国寺があります。

坂からの富士山の眺めなのですが、いろいろしらべたところ、ここは現在でも空気の澄んでいる時に富士山の一部が見えるとのことです!
坂の碑には記されていないこともあり、西日暮里の富士見坂のように完全に富士山が見える坂だとは確定はできませんでした。

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坂の途中より


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坂下より


(データ:傾斜4.3°、道幅20m) 




地図
文京区大塚5

富士見坂17



御殿坂/ 文京区白山2丁目と小石川植物園の間 
 

文京区の小石川植物園のわきを通る坂です。


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坂上より


坂下に坂の碑があり、
『御殿坂(大坂・富士見坂) 「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり、この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(改撰江戸誌)「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見へし故に、富士見坂ともいへり」(「江戸誌」)白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林侯時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。綱吉の将軍就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に“赤ひげで有名な小石川養成所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。明治になってからは東京大学の付属植物園になった。』
とあります。
 
現在は閑静な住宅街と小石川植物園に挟まれていて、坂の途中はすこしうす暗い印象もあります。しかも、植物園の塀がさらに圧迫感を強めていました。しかし、植物園の木が生い茂っていなければ、けっこう視界はひらけていそうで、印象はいっぺんしそうな感じはありました。

しかし、ここもやっぱり、坂途中から富士山を眺めることはできません。



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坂の途中より


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坂下より


(データ:傾斜4.5°、道幅4.1m)




地図
文京区白山2丁目

富士見坂16


不二見坂/ 豊島区目白1(学習院大学内) 
 

この坂は別名不二見坂とよばれていたそうです。


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現在は学習院大学構内に囲いこまれてしまっていて、よくわかりませんが、かっては目白通りから学習院大学の正門に入り南下すると坂になっていて、そのあたりのどこかに富士見坂があったのだろうといわれています。

もちろん坂の碑のようなものはありませんが、文政五年板行「茗荷集」に「富士見塚 高田新田不二見坂にあり」とされ、「高田町誌」には「下高田の山の手なる富士見台に富士見茶屋珍々亭と云うのがあった。晴天の時は富士山が能く見え、眼下には農田を眺望し、十里の風光一眸に収まり其景筆舌に尽し難きものあり・・・」と記されています。

これぐらいしか、ここが富士見坂であったという記録がありませんが、このあたり(目白〜高田馬場)は地形の高低差もあり、まわりにもけっこう坂があるので、当時は上の文献のように景色もよかったのだろうなあということが、想像できる場所ですね。




地図
豊島区目白1(学習院大学内)

富士見坂15



横見坂/ 文京区湯島2丁目9と10の間 

 
御茶ノ水駅を北へしばらく歩き、さらに本郷通りをすこし北上して、湯島一丁目交差点から蔵前通りへ、清水坂下の1本手前から上がる坂です。


fujisaka15sakaue
坂上より


ここにも坂下に坂の碑があり、
『横見坂  「御府内備考」(ごふないびこう)に、「右坂は町内より湯島三組町え上がり侯坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・里浴に横根坂と相唱申侯」とある。坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かって樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台にあがるこの坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は、西横に富士山が良く見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の講師として移っていった。その作品「春」の中に、「湯島の家は俗に大根畠と称されるところに在った。・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で「文政書上」には、百数十軒の麹屋が数えられている。』
とあります。

 現在は、静かな問屋街といった感じで、かって富士山が見えた方向には、やはりビルが建ちならびその面影はありません。


fujisaka15sakatyuu
坂の途中より


fujisaka15sakasita
坂下より


(データ:傾斜7°、道幅8.8m)



地図
文京区湯島2

富士見坂14



富士見坂/ 大田区鵜の木1丁目17と15の間


この坂はいつごろからあるかは不明。
周辺は閑静な住宅街といった場所です。


fujisaka14_sakaue
坂上より


東急目黒線鵜の木駅からすぐの場所であり、細い三叉路を右手方向へ上がるとあります。

ここは、昔の道らしく緩やかにS字を描いており、細い道で標識や案内らしきものはまったくありません。

坂からここも富士山は見ることはできませんが、坂の途中から富士山の方角に開ける地点がありますが、当然のように、駅前のビルなどがじゃまして遠くまでは見渡せません。

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坂の途中より


fujisaka14_sakasita
坂下より




地図
大田区鵜の木1

富士見坂13


富士見坂/ 文京区本郷2丁目3
 
本郷二丁目の坂で油坂の西を掘端に下る坂です。坂下は外堀通りに面しており、御茶ノ水駅からも歩いていける場所で、すぐ近くには順天堂大学などがあります。


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坂上より


坂上東側に東京都水道局の水道給水場があり、坂下の角にはイギリスの建築家ノーマンフォスター設計のセンチュリータワーがあります。

この坂について「新撰東京名所図会」は
“富士見坂 油坂の北にありて東に上るを富士見坂といふ。富士山の眺望に適す”
と記しています。
 
現在は水道橋交差点の工芸高校手側に地区案内図があり富士見坂の表記がありますが、その表記がなければわからないぐらい、小さな坂であり、ここでも今は富士山は見えません。

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坂下より



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センチュリータワー


(データ:傾斜3.5°、道幅6.4m)


地図
文京区本郷2

富士見坂12


富士見坂/ 新宿区市ヶ谷本村町


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旧尾張藩邸にもとあったという坂であり、旧尾張藩邸は明治になってからは陸軍用地として使われ、士官学校、幼年学校などができると、その門から上がる坂を地獄坂と呼ばれたそうです。
終戦後は米国占領軍に使用され、のち返還されて陸上自衛隊東部管区本部になりました。

 この富士見坂は旧尾張藩邸が市ヶ谷に移されたとき、その敷地に囲いこまれ、現在はその自衛隊市ヶ谷駐屯地内にあり、かって坂があったあたりにはおおきな施設のビルがあり、坂の所在は不明です。 



地図
新宿区市ヶ谷本村町

富士見坂11



富士見坂/ 千代田区富士見2丁目と九段北3丁目の間
 

千代田区九段北3丁目と富士見町2丁目の境を、靖国会館の北わきにそって下る坂です。



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坂上より

現在は靖国神社の裏堀と法政大学のビルとにはさまれて、うす暗い裏道といった感じで緩やかな勾配の坂となっています。

坂上に坂の碑があり、「この坂を富士見坂といいます。同名の坂は各地にあり、千代田区でも3カ所をかぞえます。もともと富士見町という町名は富士山が良く見える台地につくられた町ということでしょう。むかしはこの坂から富士山の美しい姿が見えたことによりその名がつけられたということです。坂の下で一口坂と合流します。」とあります。
 
 かっては「新撰東京名所図会」でも取り上げられるくらいであり、外堀の向こうに富士山が眺められたのかもしれませんが、今はビルにじゃまされ、富士山どころか、遠景の景色もみることはできません。


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坂の途中より


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坂下あたり

(データ:傾斜3°、道幅5.6m)


地図
千代田区九段北3

富士見坂10


富士見坂/ 千代田区永田町2丁目
 

永田町2丁目と平河町2丁目の境の国道246号線上にあり、皇居方面から赤坂見附へと下る坂です。


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坂上より


「江戸紀聞」には「富士見坂 松平出羽侯の屋舗の前なり。夕方空の晴れたる時は、はるかに富士の山みゆるによりてしか言ふ。此辺富士を見ること稀なればかゝる名あるべし」とあります。

周辺には赤坂プリンスや参議院、衆議院議長の公邸、赤坂見附駅などがあり、坂道なんだけど国道246号ということもあり、道の上を高速道路が架けられています。


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坂の途中より


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坂下あたりの風景


なので、この坂からの富士山が見えた方向には、高速道路が複雑に立体交差した眺めとビルにより視界がさえぎられていて、ここもやっぱり富士山はみえません。

(データ:傾斜3.5°、道幅38m) 



地図
東京都千代田区永田町2

富士見坂9



新富士見坂/ 港区南麻布4丁目5 
 

富士見坂8の青木坂の一本北側にあり、幅6m程度のやや急なスロープで、S字に折れている坂です。


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坂上より


坂上と坂下に坂の碑があり、「「江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治末期頃に開かれた坂で、富士が良く見えるための名であった。」」とあります。

坂名は、この坂が旧麻布富士見町にあったことに由来しています。
(富士見町の由来は、明治の頃にあった麻布御殿を「富士見御殿」とよんでいたことによるそうです。)
 
周辺は青木坂と同じで、大使館が多く高級住宅街です。また両坂とも外国人の往来が多かったです。

この坂も富士山がかって見えた方向には住宅やビルなどの建物のため視界が妨げられています。

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坂の途中より


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坂下

(データ:傾斜12°、道幅5.7m)



地図
港区南麻布4

富士見坂8


青木坂/ 港区南麻布4丁目 
 

現在は青木坂と呼ばれています。

坂上と坂下に港区がたてた坂の碑があり、
「江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれた。」
とあります。


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坂下より。



すぐとなりはフランス大使館で、道はきちんと整備されていますが、大使館の壁と屋敷の庭に囲まれており、独特の雰囲気で、すこし暗い感じのする坂でした。
 
周辺はフランス大使館のほかにもいくつかの大使館があり、高級住宅街でもあります。

坂上からの富士山の方向の眺めは、遠くに高層ビル、近くは住宅街といった感じで、やはりここも今は富士山は見えません。


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坂の途中より。


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坂上より。


(データ:傾斜8.8°、道幅3.4m)




地図 
東京都港区南麻布4

富士見坂7


富士見坂 / 港区西麻布3丁目
 
坂下の外苑西通りから上がり、途中にルーマニア、ギリシャ、ラオス大使館がある坂です。
 
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周辺は高級住宅街であり、外国の大使館などもけっこうあります。



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また坂上の近くには写真でもわかるとおり六本木ヒルズがあります。

坂下は外苑西通りにつながっており、そこから坂の途中から眺めると、この六本木ヒルズが遠景としてちょうど坂の延長線上に見えます。



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坂上からはここも富士山はみるべくもなく、富士山がかって見えた方向には大きなビルなどが建っているのみです。

(データ:傾斜3.8°、道幅5.5m)




地図 
東京都港区西麻布3


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追記(2011.12.10)
そのうち、このブログにも転載するかもしれないですが、この坂の話をみちくさ学会でも記事にしましたのでよかったらどうぞ。
→ 「西麻布の各国大使館が密集している富士見坂

富士見坂6


富士見坂 / 大田区田園調布1丁目12と30の間


東急東横線多摩川駅のそばにある多摩川園ラケットクラブの南東側にある坂です。


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坂下より


この坂道の坂下と坂上には坂の碑が立てられており、「この坂道は大正末期ごろから行われた耕地整理によって出来た道である。ここから富士山がよく見えるので富士見坂と呼ぶようになったといわれている。」と書かれています。

 

丸子橋を渡って川崎側から東京方面にむかって右にまがり、浅間神社のすぐそばをぬけ、東急多摩川線の線路を越えたところが坂の登り口です。

周辺は閑静な住宅街であり、多摩川がすぐ近くを流れています。


この坂は坂上あたりから、かっては富士山が眺めれましたが、今はS字にカーブしながら下る道ぞいには、ラケットパークの木立、遠景には浅間神社の木立のみでその場所からは富士山は見ることはできません。

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坂途中より



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坂上より



地図
東京都大田区田園調布1

富士見坂5


富士見坂 / 千代田区神田小川町3丁目10あたり



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明大通りから神田駿河台1丁目の明治大学南わきを西にはいってゆくと曲折した坂道があり、そこを通ると三井住友銀行の北わきにでます。これが、かって富士見坂とよばれた坂です。

坂上には坂の碑があり、「「この坂を富士見坂といいます。「東京名所図会」には、“駿河台南甲賀町の内袋町に通ずる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべき地にあらざるもの、遠く富士を望むを得べし。富士見坂の名もこれに基しか”とかかれています。富士見坂という名の坂は千代田区だけでも三カ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町二丁目の間にあります。」と書いてあります。


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現在では、神田学生街とスキー街,古書街の交差点に通じており、人の流れが多い坂ですが、地元の人にたずねてもだれ一人坂名をしらない有様となっています。


ここも当然のように、ここからかって富士山がみれたことなどは想像もつかない場所になってしまっています。

(データ:傾斜2°、道幅7.7m)




地図
東京都千代田区神田小川町3丁目10あたり

富士見坂4


南郭坂 / 渋谷区東2丁目と3丁目の間 

 
明治通り東3丁目から東、広尾高校前まで約400mの坂です。

周辺は閑静な住宅街の中にあります。

別名が富士見坂ということです。



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坂上より


坂上の都立広尾高校の向かい側が、むかしの儒学者服部南郭の別荘「白墳野」の跡なので南郭坂とよばれるようになったそうです。

(南郭は京都の人で、十四歳で江戸に出て柳沢吉保に仕え、かたわら荻生徂徠に師事して儒学をきわめ、名を知られた。三十四歳で仕官をやめてこの地に隠居し、もっぱら学問と風流を友としたが、その温厚な人柄を慕う者が多く訪れて、邸前の坂に南郭坂の名を伝えています。)

また、広尾高校前交差点の手前2丁目側に南郭邸の由来の碑があります。


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坂の中央より


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坂下より


現在は坂上から富士山の方向には雑居ビルやマンションなどがじゃまになり富士山は見えません。 

(データ:傾斜3.8°、道幅8.3m)



地図
東京都渋谷区東2

富士見坂3


富士見坂/ 荒川区西日暮里3丁目7と9の間 :花見坂


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坂上より


西日暮里三丁目八番法華宗法光寺の北わきを浄光寺のほうを上がる狭い坂です。西日暮里駅に近いところです。

坂上に坂の碑があり、<「富士見坂  坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」または「妙隆寺坂」と称された。都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことのできる坂である。>とあります。

富士見坂3_2


現在は、石のタイル張りで綺麗に舗装されており、周辺はお寺以外は住宅で、坂は閑静な住宅地を通っており、板碑にもあったとおり、都内の各地に残る「富士見坂」のなかで、現在でも富士山を望むことのできる貴重な坂です。


しかし、富士山は晴れた空気の澄んだときでないと見えず、また、今後マンションなどの建設により、見えなくなってしまう可能性もあるとのことです。


なんとかそれだけは防いでほしいものです。

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(データ:傾斜7°、道幅3.2m)


地図
東京都荒川区西日暮里3

富士見坂2


富士見坂 / 港区芝公園4丁目3


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坂上より

芝公園の東京タワーの東向かいにある観音堂のところは、もとは富士見台と呼ばれて一九号地(現・東京タワーの下辺)のほうから上がっていく台地で、そこへ上がる細い坂道を富士見坂と呼ばれていました。

現在は八段ほどの短い石段が、観音前にあるにすぎません。

「新撰東京名所図会」の芝公園之部には「富士見坂 十九号地切通しの上なる山をいふ。山上に観世音の座像あり」と記されています。


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坂の途中より



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坂下あたり

周辺は公園であったり、オフィスビルなどであり、オフィス街に近いといえる場所です。昭和33年(1958)末に完成した333mの東京タワーは都内でも有数の高さをほこる展望台を売り物としていますが、いまはそこからでも富士山が見えることはまれです。
もちろん坂上から富士山などは周辺の高層ビルにより全く見えません。


地図 
港区芝公園4

宮益坂の碑

昨日のつけたしです。

宮益坂を中心とした公式タウンページを見つけました。

宮益坂の歴史や坂の過去から現在までの写真がたくさんのっており昭和12年ごろのまだ電車が走っていたころの風景の写真なんかもみれます。また、坂の途中の神社の由来なんかも書いてあったり、坂の途中の各お店のHPなどのリンクもあり、意外となかなかおもしろいです。

渋谷宮益ホームページ 
http://www.shibuyamiyamasu.jp/

富士見坂1


宮益坂/ 渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間

 
渋谷駅北東、明治通り側のビックカメラのある宮益坂下の交差点から坂を東に上がる場所です。坂上までの約300m。

 
坂下の坂の碑には「「かって、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。」」と書かれています。


また「江戸名所図会」には「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記しています。

 
この坂の碑にも書かれてある通り、前称が富士見坂であり、今は渋谷駅方面から青山学院前まで上がる有名な坂です。かっては坂上から富士山が見えたであろうが、今は見えずビルが林立し、かって富士山がみえた坂下方向には渋谷109が見えます。


富士見坂1_1坂下
坂下より



富士見坂1_2神社
坂の途中の神社(宮益御嶽神社)



富士見坂1_3神社



富士見坂1_4神社
神社より



富士見坂1_5ビル
べにや工藝ビル 設計者:渡辺明 打ち放しとパンチングメタルが印象深い良い建物です。用途はギャラリーです。



富士見坂1_6坂上
坂上より


(データ:傾斜2.5°、道幅21m)



地図
渋谷区渋谷1

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