東京坂道さんぽ

〚Category: 地震
阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント。そして22年
また大きな地震が、今度は熊本で発生してしまいました。
東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年
神戸ルミナリエの悲喜こもごも。
あれから20年。そして今の神戸のこと。
19年
防災フェア2013@六本木ヒルズ
東京タワーの光のメッセージ
18年
9.11から3.11そして防災の日
そなエリア東京に行ってみた。
After 3.11
17年
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はや12年
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もうすぐ11年。
防災の日
地震のこと
地震への準備

今年もこの日がやってきました。
昨年は、熊本地震が起きてしまったり、東京近郊でも中程度の地震が頻発していたこともあり、例年になく、この1.17のことを思い出すことも多かったです。

そんななか、2017年を迎え、今年もこれまで同様、阪神淡路大震災で被災し、その後復興をとげ、今はその記憶を留めるために当時の様子を復元・保存されている場所(震災遺構ともいいますかね)を見てきました。

昨年は、神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地にあるモニュメントに訪れたわけですが、今年はその近くにひっそりと存在している「阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント」のある場所を中心に歩いてきました。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント1
写真1

それがこちらです。(写真1)
三宮駅からほど近い東山遊園地のさらに海側(南側)に、阪神高速3号神戸線が通っているのですが、今回のモニュメントはそんな高速道路の高架のそばにひっそりとありました。
見てのとおりですが、地震で被災した阪神高速道路の鉄筋コンクリートの橋脚などが当時のまま残されているモニュメントです。
鉄筋がむき出しになっていて、なかなか生々しいかったです。

そばには、これらのモニュメントについての案内板がありました。
なので解説もかねて一部抜粋してみます。
『(略) 中でも、2号浜手バイパス、2号ポートライナー、43号岩屋高架橋および171号門戸高架橋の4箇所においては、橋脚が傾いたり、橋桁が落橋あるいは大きくくずれるなどの大きな被害を受けました。
(略)
こうしたことから、「被災の姿」を後世に残すことを望む声や、防災意識の高揚に資するため、ここに被災した浜手バイパスの「RC橋脚、伸縮装置、支承」を保存することとしました。』

要は、写真1でモニュメントの奥に見えているのが現在の阪神高速道路で、さらにその高速道路の奥には浜手バイパスも走っているわけですが、目の前にあるモニュメントは、その浜手バイパスを支えていた橋脚を復旧後にここへ持ってきたということのようです。
はじめは、この真上をかつて浜手バイパスが通っていて、そのままの場所に保存したのかと思ってしまいましたが、どうやらそうではないみたいです。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント2
写真2

近くでみるとこんな感じでした。(写真2)
折れるまではいかなかったみたいですが、地震のすさまじい力が感じられますね。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント3
写真3

橋脚のそばには、伸縮装置のモニュメントもありました。(写真3)
これはよく、橋梁の路面端部に設置されるものの一部のようです。
車で高速道路走っていたら、「ガタンガタン」と小さな段差を乗り越えたような揺れが一定間隔でよく起きますが、それはこのジョイントというか伸縮装置を通ったときにおこるものです。
それにしてもすごい曲がり方ですね。
どうなったらこうなるんだろ。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント4
写真4

あと、支承のモニュメントもありました。(写真4)
説明が、難しいですが、ウィキペディアによると橋梁において、上部構造(主桁・主構)と下部構造(橋台や橋脚)の間に設置する部材ということです。(詳しくはウィキペディアの説明みてください。ああ、あれね!とおもいだすと思いますので)
こちらは上部のほうがぽっきりと折れていますね。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント5
写真5

はしっこの方にあった案内板をそのまま撮ってみたものです。(写真5)
ちょっと写真では見にくいかもしれませんが、これまでに出てきたRC橋脚、伸縮装置、支承の被災時と復旧後の写真ものせてありました。
ただここには、「ほにゃららモニュメント」などという言葉は書かれていなかったので、実はこの場所についての正式名称はわからないのですよ。
なので実際のところはどのように呼んでいいのかは不明ですが、今回はとりあえずタイトルのような感じでまとめてみたというわけなのです。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント6
写真6

そして、ここからは場所を移して、東山遊園地のそばには神戸市役所があるのですが、今回はその24階に展望ロビーがあったことを思い出し、寄ってみました。(写真6)
写真6では、海というか港の手前にさきほど登場した阪神高速3号神戸線の高架橋が見えているのですが、橋脚モニュメントについては、ビルが邪魔してやはり見えませんでした。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント7
写真7

もうすこしズームしてみたものです。(写真7)
ちょうど昨年訪れた東山遊園地のモニュメントも俯瞰できました。


阪神高速道路の橋脚メモリアルモニュメント8

写真8

最後は、地上にもどり、昨年、訪れたときは閉まっていて入れなかった東山遊園地内のモニュメント「COSMIC ELEMENTS」の地下瞑想空間に入った時のものです。(写真8)
中には神戸市内外の震災犠牲者の名前が多数掲示されてありました。
写真8は、瞑想空間の天井を撮ってみたものです。
さすがに室内をそのまま撮ったものを掲載する気にはならなかったもので。
というか、これを載せること事態かなり迷いましたが、やはり思い切ってのせておくことにしました。


ということで、今年は昨年の訪問からの続きのような記事ともなりましたが、これからも引き続き震災遺構の旅(散歩?)については続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。


地図
神戸市中央区新港町など

まずは、今回の熊本や大分での地震により被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。


4月15日から始まり、16日の本震(公式発表ではということですが)、そして、これまで何度となく続く大小の余震と、僕自身、神戸での大地震を経験しているのですが、神戸でも本震の前後にこれほど大きな地震が何度も続いた記憶はないので、やはり各ニュースでも話題になっている国内を横断している活断層である「中央構造線断層帯」に関連して起きている地震かもしれないのかなとは思っています。

なので、あくまでこれは個人的な感想なのですが、これまでの大地震とは違った考えで対応にあたることも必要なのかなという思いが、日々増幅されている次第ではあります。

ちなみに、中央構造線断層帯関連についてはネット検索してもすぐにいろいろな方々がサイトで説明してくれているページが見つかりますので、詳しくは自身で調べていただければと思いますが、このブログではグーグルマップにマッピングしてくれていてわかりやすいページをひとつ見つけましたのでそのページをリンクしておきますので、今後の防災対策などにどうぞ。 
→『中央構造線マップ』
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zrVDaszp7X6Q.kCAgt2rMc_fQ&hl=en_US


あとは、過去のブログ記事でも書いていて、今では当たり前のように言われていることなのですが、2005年に書いた「地震への準備」の記事は、1.17の当時のことを10年経った後に絞り出すようにして思い出して書いてみたものですので、今後の心構えとしても、今読んでみても役立ちそうですので、こちらもよかったら。
→『地震への準備』
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/24750263.html


そして、東京防災のこともこの機会にすこしふれておきたいと思います。
東京防災とは、都内在住の方は知っていると思いますが、東京都が昨年作成した防災ブックです。


熊本地震01
写真1

これがその冊子ですね。
こんな感じの小さな冊子が、都内在住のものには、無料で、しかも各家々に郵便で届けられるという、事業というかサービスが昨年ありました。
実際に届いてから読んでみると、内容も本のデザインもちゃんとしていて、東京都の本気度が感じられる防災ブックとなっていました。
僕自身、まだ知らなかったこともけっこう載っていて参考になりましたかね。

ちなみに、この東京防災、HPでも公開されています。
→『東京防災』
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/book/



熊本地震02
写真2

また、こちらは、先日、新宿の東急ハンズの売り場にあったものですが、この店舗でも都内在住者以外のかたに向けて、東京防災の冊子が買えるコーナーがありましたので、遠方でここに買いに行くのは無理だけど、冊子がほしいというかたは東京都に問い合わせるといいのかなと思います。

そして、先月末からは、AmazonのKindleストア、AppleのiBooks Storにて無料の電子書籍として配信が始まっているそうです。
Kindleストア内で”東京防災””と検索すれば、ぱっとでてきますが、詳しい解説などについては、以下のリンク先の記事がいい感じです。
→『災害に備えてDLしておきたい1冊 KindleとiBooksで無料配信中の「東京防災」』
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1604/15/news166.html


あとは、ライオンデマ(「ライオンが逃げ出した」「川内原発で火事」Twitterでデマ拡散【熊本地震】→ http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/15/kumakoto-earthquake-dema-tweet_n_9700622.html
なども話題になりましたが、これも、過去に大きな地震が起こると、デマの種類は違えど、似たような話がでてくるようですので、注意が必要ですかね。
ちなみに、震災関連のデマについて取り上げているブログ記事も過去に書いていますので、今後の参考にでもなればと思い、こちらもリンクしておきますね。
→『地震それとも怪文書?』
http://blog.livedoor.jp/kf7654/archives/23329174.html


ということで、今回の熊本地震についての記事は、自分の意見でもすこしまとめて記録しておこうかなと書き始めたのに、なにか書き進めているうちに違う方向にいってしまいましたが、それでもなにかの参考にすこしでもなれば幸いと思い、このまま公開してみることにしました。

ただ、最後にひとこと心境をいうとすれば、被災地の状況がニュースで刻々と流れてくるにつれ、過去の記憶が次々にフラッシュバックしてきて、心がしめつけられる思いであることはたしかです。

そして、被災されました皆さんについても、なにか相談ごとでもあれば、このブログにあるメールフォームから連絡していただければ、僕自身の過去の経験や地元神戸などにも同じく被災経験のある親や知人友人もおりますので、お答えできることもすこしくらいはあるかとは思いますし、特に若い時にこういう地震を経験すると震災直近は気分的にわけがわからなくなることもあるとは思いますので、よかったら気楽にどうぞ。

今年もこの日がやってきてしまいました。
毎年言ってますが(もう諦めてこれからも何度も言わせていただこうと思います)、早いもので、もうあれから21年ですか。

そして、昨年の1月17日のブログでも「これからも今まで同様、震災遺構の旅(散歩?)を続けよう」と言ったこともあり、今年も年始に引き続きいくつかまわってきましたが、今回はその中のひとつだけを紹介してみたいと思います。

今年の年始は、久々に地元のいつもの同級生のメンツに加えて、すこし疎遠になっていた小学校から同じ学校だった近所の同級とも一緒に会うことができて、変わらないところ変わったところ、参加メンツを通じて聞く、今回はきていなかった他の同級のうわさ話などから、自分たちが過ごしてきた年月の長さを感じた年始めのなか、今年はどこをまわろうかな?と思っていたところ、ふと昨年のブログの記事で「神戸ルミナリエの悲喜こもごも。」という神戸ルミナリエに関する記事を書いたこともあり、そんなことからも神戸ルミナリエの会場のひとつでもある東山遊園地を選んでみることにしました。

ただ、東山遊園地といえば、今日の新聞やテレビなどでも報じられているとおり、午前5時から「1・17のつどい」が開かれている場所でもあり、自分の中でも心理的ハードルが高く、いつか1・17のつどいに参加して、その様子を書こうと思っていた場所でもあったのですが、今回、いろいろと調べているうちに、公園内に「慰霊と復興のモニュメント」という震災関連のモニュメントがあることを知り、20年も過ぎたことだしという心理も働いて、今回、思い切って行ってみることにしたというわけなのです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年1
写真1

東山遊園地の場所ですが、三宮駅からフラワーロードという大通りをすこし南下すると、神戸市役所があるのですが、今回の公園は、市役所のすぐ南側(海側)にあります。
そして、この写真ですが、これが「慰霊と復興のモニュメント」です。(写真1)
東山遊園地のフラワーロード側の公園中央あたりにあり、規模も大きめでした。
見た感じはまさに地形模型といった感じでしたが、もちろんそこにはいろいろな思いが込められているようでした。

この「慰霊と復興のモニュメント」は、地震で亡くなった方々の慰霊と、復興を願い、市民の募金によって2000年1月17日につくられたものだそうです。
またこのモニュメントを計画するにあたって、指名コンペがおこなわれ、安藤忠雄氏、植松奎二氏、楠田信吾氏、福岡道夫氏らの応募作品の中から、造形作家の楠田信吾氏の作品が選ばれたそうです。
作品名は、あとでも軽くふれますが、「COSMIC ELEMENTS」というそうです。

そして、この作品のコンセプトも神戸市の公式サイトには書かれていて、それによると、このモニュメントのコンセプトは、「地、太陽、空、水、風、石、ガラス」にわかれているそうです。
まず写真1の黒い石の説明碑の手前の正方形のタイルが敷き詰められた地面の部分が、「地」にあたるそうで、白い大地=新しく生まれる神戸の街、を意味しており、写真1の左に見えている木の部分が、「風」にあたり、草木=風の流れ、時の流れ、となり、レンガ色の地形模型の段差の部分が、「太陽」で赤い丘=生命と力の源・生命の暖かさ、永続性、を意味しているとのこと。
なるほど。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年2
写真2

もうすこしアングルを変えて見てみました。(写真2)
この真ん中の割れ目のところは、意味のある通路になっていて、奥にある地下の瞑想空間へとつながっています。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年3
写真3

取材当日は、写真2の通路を奥に行ってみたのですが、ご覧のとおり、年始のため入ることができませんでした。(写真3)


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年4
写真4

ただ、さっきの格子ごしに奥をみてみると、中がすこしだけ見れました。(写真4)
奥には、地下瞑想空間とよばれる震災で亡くなられた方々の名前が刻まれた空間があるようです。
今回は、見れませんでしたが、ある意味、気持ちが整理できたので、逆によかったのかもしれませんが。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年5
写真5

こちらは、写真2でも見えていたさっきの通路の上、要はモニュメントの頂上あたりの様子です。(写真5)
正面に見えているガラスの部分ですが、これはコンセプトの「ガラス」にあたり、未来を映し出す、ということを意味しているようです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年6
写真6

また、写真5にもちらりと見えていますが、モニュメント作成者の名前などもきちんと残されいました。(写真6)


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年7
写真7

さらにアングルを変え、写真1と写真2の中央右あたりに見えていた滝のように水の流れている場所がよくみえるところにきてみました。(写真7)
位置的には、ちょうど写真2の背後ということになりますかね。
ここは、作品コンセプトでいえば、「水」にあたり、落水=水は新しい命の象徴。復興へのエネルギー、という意味を込められており、その上にある黒い石にも「石」、地球上の物質の象徴=巨石を宙に浮かせる事で人間と自然の儀式的な舞台装置となる、という意味が込められているそうです。
そうですか、意味的にはこの黒い石は浮いているということになっているのですね。
たしかにこのくらい遠目でみるとそう見えなくもないかもです。


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年8
写真8

こちらは、写真7の場所から奥のほうへ少し歩き、振り返ってモニュメントを見てみたものです。
なので、先の滝の部分は右側に見えていますよね。(写真8)
また奥には神戸市役所の高層ビルも見えていました。
偶然なのかどうかわかりませんが、軸線がちょうどあっているのはやはり狙ってなのですかね?


東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年9
写真9

そして、最後にこちらです。(写真9)
位置的は、写真8の中央左あたりにもちらりと見えていますが、これが、「1.17希望の灯り」です。
うしろにコンセプトの太陽にあたる地形模型のような段々が見えていることもあり、これも慰霊と復興のモニュメントと一体に考えてもよいかなと思い、今回、紹介してみることにしました。

これについては、自分で説明してもよいのですが、写真左側の銀色のほうにこの1.17希望の灯りについての説明が書いてありましたので、最後にそのまま抜粋させていただいて、今年はおわりたいと思います。

『 1.17希望の灯り

この碑文には、阪神淡路大震災で奪われたすべてのいのちと
生かされた私たちの思いが凝縮されています。

あの震災から15年、街の復興は進みましたが・・・
愛する家族を、友人を、仲間を奪われた方々のこころの傷はまだ癒えてはいません・・・

マグニチュード7.3を記録したあの大地震の時、
私たちはかけがえのない「いのち」を失うと同時に
国籍や宗教、肩書きなどの違いを超えて、家族や隣人、地域で
お互いに心を結び助け合いました。

電気もガスも水道もない中、手をたずさえて支えあったあの「こころ」は
まさに暗闇を照らす小さな灯火だったのです。

被災地の公園や街角、学校や会社には、亡くなられた方々の「生きた証」として
多くの「慰霊碑」・「追悼碑」・「モニュメント」がつくられています。
これらは失われた多くのいのちを、「個人の死」・「一人の死」としてではなく
「みんなの死」として受け止めた被災した方々のごく自然の営みでした。

ここに点されている灯りは、2000年1月17日午前5時46分
被災10市10町と全国47都道府県から届けていただいた種火をひとつにして、
「生きている証」として点しました。

2010年1月17日記す


1.17 Flame of Hope

5.46am, 17th January 1995
The Great Hanshin Earthquake

This earthquake took many things,
Lives, Jobs, Communities, Our Cityscape, Our Memories,
These things appear safe , permanent,
Even moments before, we cannot know

This earthquake left many things behind,
Kindness, Compassion, Human Bonds, Friendship

This flame links the lives which were taken away,
With our thoughts, the survivors.

Inscribed by Masami Horiuchi




東山遊園地の慰霊と復興のモニュメント。そして21年10
写真10

1.17希望の灯り

1995年1月17日午前5時46分 
阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・・たった1秒先が予見できない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの 
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 
奪われた 
すべてのいのちと

生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ




地図
兵庫県神戸市中央区加納町6-4

神戸ルミナリエが、今年も、12月4日から開催されるようですね。
しかも、今年は21回目だそうです。

そこで、つい最近の神戸新聞のウェブサイトにて、ルミナリエ関連のとある記事を読んだのですよ。

ルミナリエ、規約から「復興」削除 地域活性に主眼
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201511/0008539532.shtml

タイトルだけでも、かなり内容はわかりますけど、記事にはやはり、「阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂と復興を願う「神戸ルミナリエ」を主催する神戸ルミナリエ組織委員会は4日、同会の規約の一部を変更し、設立目的から「復興」の文字を削除したことを明らかにした。」とあったのです。

これ読んだ時は、やはりびっくりしました。

ちなみに、神戸ルミナリエの公式HPのこのイベントに関する説明を読む(というか抜粋ですね)とですね、
『「神戸ルミナリエ」は、1995年1月17日に兵庫県南部地方を襲った阪神・淡路大震災の記憶を次の世代に語り継ぐ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する行事として開催しています。大震災が起こったこの年の12月、年初の悲しい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まりました。未だ震災の影響が色濃く残り、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯った、イタリアからやってきた荘厳な光の芸術に連日感嘆の声があがり、震災で打ちひしがれた神戸のまちと市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。そして、会期終了直後から継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、翌1996年の開催が決定しました。』

ルミナリエの公式HPにも書かれているとおり、僕自身、復興行事としてのルミナリエ、と言う感じで今まで思っていたこともあり、復興とルミナリエを切り離して考えることは、すでに20年経ったとはいえやはり僕の中ではまだ気持ちの整理ができていなかったのですよ。

しかも、神戸新聞の記事には、タイトルでも触れているとおり「復興から一歩進め、神戸をさらに活性化させる事業に育てていきたい」という意向もあるとのこと。。

そうか、そうなんですね。
とうとうそういう時期にきたのですかね。
これで、東京などでもやっているライトアップイベントと規約上は同じものとなったという感じなのですかね。

でもやっぱり、「送り火」としての役割も忘れず、経済がなんちゃらとか広告がどうとか、そういうことに振り回されないルミナリエも残ってほしいかもですね。

なんとも悲喜こもごもなところではありますが、なんだかんだいって震災から20年が経過した後に開催されるルミナリエはめでたいし気になるところではありますので、開催時期が12月の初旬から中旬頃ということもあり、今年も過去同様に見に行くことはできませんが(泣)、すこし離れた場所から見守っていたいと思います。

ということで、このことは、ブログに残しておくほうがよいニュースかもと思い、今月は更新頻度も低めの中でなんですが、忘れないうちに、記事を見て感じたことをさらりと書いておくことにしました。


KOBEルミナリエのHP
http://www.kobe-luminarie.jp

とうとう20年ですか。
もちろん、阪神・淡路大震災と呼ばれている地震が1995年1月17日におきてからということですが。

あの年に生まれた子供でも、もう二十歳なのですね。
忘れたこともあるけれど、やはり忘れられないことも多いあの地震で体験したいろいろなことについては、他の方々が、当時のことやその後のことなどを語っているので、僕自身、この時期が近づくと、もうそろそろいいのではないかと思うことが何度もあったわけですが、時が経てば経つほど色々と気になること、知りたいことが増えていっているというのが今の状況ということもあり、やはり今回もこれまでと同様に気になったことを自分なりというかこのブログなりに振り返ってみたいと思います。

2015年は震災後20年ということで、神戸市が、それに先駆けて阪神・淡路大震災の記録写真約1000枚をオープンデータとして提供するサイト「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」を昨年の12月9日に公開したというニュースを知り、さっそく、「阪神・淡路大震災『1.17の記録』の公式サイトで、写真を調べてみると、やはり今までに歩いたことのある場所の写真がちらほらと見られ、いろいろと当時のことを思い出すよい機会になったとも言えるので、今年は、このオープンデータを使わない手はないという考えから、公開されている写真の場所が特定できたところを年末年始に実家の神戸に帰省したときに現地取材してきました。

関連リンク:
「神戸市:「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」を公開しました」
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2014/12/20141209070301.html 

「阪神大震災の写真約1000枚、神戸市がCCライセンスで公開 2次利用OK - ITmedia ニュース」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1412/10/news073.html 

「阪神・淡路大震災『1.17の記録』公式サイト
http://kobe117shinsai.jp



01_阪急会館前moto
画像1 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c047.php

まずは、こちらから。(画像1)
これは、「阪神・淡路大震災『1.17の記録』からの写真(以下紹介する震災直後の写真はすべて同じですのであしからず)で、1995年(詳しい日時は不明ですが、明らかに直後のものです)に撮影されたものだそうです。
最初から、なかなかきつい感じですが、ご容赦を。
場所は、阪急三宮駅の駅前にあったターミナルビルがあったあたりで、左側が阪急会館という名のビルで、右側がサンキタ通りという商店街ですね。
どこからでてきたの?というくらいの瓦礫がビルの横の地面に散らばっているのが印象的な写真ですかね。


02_阪急会館前
写真1

そして、こちらが、現在の様子です。(写真1)
見てのとおりですが、サンキタ通りのアーケードの部分はそのまま残っていました。
左側のかつての阪急会館は、神戸阪急ビル東館として前とおなじく駅ビルとして建替られていましたが、外観については赤を基調としたシンプルなものになっていて昔の面影はまったくない感じでした。
あと、ここは、本当に三宮の駅前北口という場所なので、たいていの人はこの場所を通ったことがあるんじゃないかとは思いますし、僕自身、あまりに今の神戸阪急ビル東館の赤のビルが普通に感じてしまっていたのですが、かっての阪急会館の写真を見直してみると、ああそういえば、たしかにあれあったよねと思い出してしまったことも事実ではありました。


03_下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺moto
画像2 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c010.php

次は、さきほどの駅前から西側へすこし歩くと生田神社があるのですが、その近くでの当時の写真です。(画像2)
撮影日は、1995年1月17日というまさに震災当日のもののようで、撮影場所として、下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺という説明が加えられています。
道の両側で、かなりはげしくビルが崩壊している様子が記録されています。



04_下山手通2丁目12 ワシントンホテル周辺
写真2

こちらが、現在の様子です。(写真2)
正面に見えている茶色のビルは、画像2でも写っていて現在も残っているので、場所はすぐ特定できましたが、ビル名はワシントンホテルではなく、ザ・ピー神戸という名前に変わっていました。
ちなみに、この写真に写っている通り沿いには震災前からあった東急ハンズもあり、通りを奥のほうにすこし歩くとお店があるので、このあたりは三宮界隈でもけっこう有名な場所(繁華街)だったと思います。


以上、これまでの分は、三宮駅の北側エリアについてだったのですが、今度は南側エリアのことも取り上げておきたいと思います。



05_神戸交通センタービルmoto
画像3 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c016.php


こちらも撮影日は、1995年1月17日とのことで、場所は神戸交通センタービル周辺とあります。(画像3)
当初、この写真を見たときはどこどこ?という感じで、わからなかったのですが、よくよく回りの景色や神戸交通センタービルという名前から思い出してみると、この場所は、三宮駅の南側の国道2号と接しているあの大きな交差点の場所だということが分かりました。
ちなみに、この写真では、道路にビルから落ちてきたであろうものが散乱しているだけで(というかそれだけでも本当はすごいことなのですが・・・)、建物自体に大きな損傷が写っていませんが、神戸交通センタービルの公式HPによると「1995年1月17日、阪神淡路大震災に被災、旧ビルは5階部分で座屈倒壊しました。幸い2階部分以下は致命的な損傷を受けていなかったため、残存部分を補強し、上部に8層を積み上げ10階建ての耐震性に優れたビルに生まれ変わりました。」という記載がありました。
とにかく、この写真を見て思うのは、東京に限らず、一見頑丈そうに見える10階建てくらいのビル(要は背の高いビル)でもあれほどの地震の揺れになると、建物ががらりと壊れなくても、これくらいのガラスなどが空からふってくるかもしれないということも意識しておかないといけないということかもですね。
そういう意味では、地震が起きたとき、建物側のへこんだ部分(入口など)に逃げ込むのか、道路側に逃げるのか、こういう写真を見てしまうとどうすればいいのか迷ってしまいそうなところではありますかね。
もちろん、画像1のような状態になるともうどうしようもないのですし、ああいう時はたいてい前もって予測して気をつけようといっても限界があり、気がつけば、いつのまにか怪我をしていたということが多いとは思いますが・・・。


06_神戸交通センタービル
写真3

そして、こちらが現在の様子を撮ってみたものです。(写真3)
この感じだと、ああここね!と思える人も多いんじゃないですかね。
人がわらわらと横断歩道を渡っているところとそのむこう側が、三宮交差点(地図見てはじめて名前を意識したのですが・・・)ということになり、右側の道路が国道2号線ということになります。


07_小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望むmoto
画像4 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c075.php

次は、もうすこしさきほどの場所から2号線沿いに東へ移動すると、上空に三宮のポートアイランドに行くためのポートライナー(電車のような交通機関)が走っているのですが、画像4は、その高架がよくみえる場所にて撮影した写真のようでした。(画像4)
撮影場所は「小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望む」とあり、1995年1月21日という地震から4日後の写真のようです。
高架はたいへんなことになっていて、よくまわりのビルに倒れこまなかったなあというのが、正直な感想だったかもです。


08_小野柄通6丁目 御幸通6丁目 南北道路の南東を望む
写真4

こちらが、似たようなアングルから撮ってみた現在の様子です。(写真4)
よくよく見てみると、震災当時のものは、もうすこし奥の場所で撮ったもののように見えますが、現地ではちょっとそこまで気がつかず撮影してしまいました・・。
でも、高架の補強具合や、奥のビルの変わり具合はわかりやすいと思いますので、ご容赦を。


09_御幸通6丁目1 太平ビルmoto
画像5 (http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c021.php


最後はこちらです。(画像5)
ここは、画像4の場所からすぐ近くの場所なのですが、これまで紹介した中で、ビルの崩壊具合が半端なく写っていることからもこの写真を選んでみました。
撮影日は、1995年1月18日とのことで、撮影場所は御幸通6丁目1 太平ビルという記載になっていました。
おそらく左側の崩壊しているビルが太平ビルと思われます。
とにかく、このビル内に当時どれくらいの人がいたかと思うと、心が締め付けられる思いですが、立地がらここはオフィスビルのはずで時間帯も早朝なので、人はほとんどいなかったことを願うばかりという感じです。



10_御幸通6丁目1 太平ビル
写真5

そして、こちらが現在の様子です。(写真5)
左側に写っている茶色のビルが現在の太平ビルらしいです。
また正面奥には、ポートライナーの高架が見えているので、ここが写真4とかなり近い場所だということもわかりやすいんじゃないですかね。

なお、これまでに紹介したポイントを地図上にめもしたものをGoogleマップにてつくっておきましたので、もしよかったらどうぞ。
地図→https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=zKBG4az99qPw.kTMLfQOldmfs


ということで、今年は三宮界隈に絞って過去と現在の状況を見てきたわけですが、やはり僕自身もこれだけ当時の写真を見てると(もちろんこれらは防災館などで展示されているつくりものではないわけなので、特に壊れたビルの中に震災当時、人がいたかもしれないなどと想像すると)かなり気が滅入ってきてしまい、ここまで記事を書き進めるまでに予想していたよりけっこう時間がかかってしまいましたが、今年はあの地震から20年、そしてそれにあわせてオープンデータの写真が公開されたことから、今回のような記事を書いてみました。
また今後も、今回のようなことをするかはわかりませんが、またこれとは違った形での震災遺構の旅(散歩?)についてはこれからも続けていきたいとは思っていますので、よろしくお願いします。

今年もこの日がやってきてしまいました。
毎年言っているような気がしますけど、早いもので、もうあれから19年ですか。

さすがにこれだけ期間が過ぎると、時々、当時のことを忘れてしまう時もあるのですが、やはりこの日(1,17)が近づいてくるといろいろと当時のことを思い出してしまうという感じです。

そんなわけで、今年も去年までと同様、正月に実家の神戸に帰省したこともあり、番外編という形でここ数年続けている阪神大震災関連の震災モニュメントや遺構巡りの話でもしてみたいと思います。

今年は去年および一昨年とけっこう重い雰囲気のところを回っため、すこし軽めの場所をと思っていたところ、昨年、ふととある情報から派生して知った場所に震災関連施設があることを知り、満を持して帰省の時に訪れてみました。


19年_1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
いきなりでなんでしたが、これはJRの六甲道駅のすぐそばの場所にある「イタリア広場」と呼ばれる場所です。
芝生の向こうになにやら滑り台のようなスロープ風のオブジェが見えていますが、それが今回の目的地ですね。


19年_2
写真2

近くに寄ってみるとこんな感じでした。(写真2)
まさにスロープ。
でも右側にはベンチもあって休憩所のような場所も見受けられました。


19年_3
写真3

そして、裏側にまわってみると・・・。(写真3)
なんと坂道になっていました。
そうなのです。
昨年、この場所の情報を知ったときは、心底驚いたわけですが、こんな場所があったとは。
ただ、この裏の芝生広場では、写真1でもちらりと見えていましたが、地元の子供たちが楽しそうにサッカーなどをしていて、正月ということもあり、けっこうな人がいたんですけど、この場所にいたっては、ご覧のとおり、坂道内(というか広場内)には人がほとんどいませんでした。


19年_4
写真4

そして、なにか手がかりがないものかと、だだっ広いこの広場内を探索してみると、やはりというべきか、写真4のような説明プレートがありました。
そこには、『イタリア広場/
この広場を1995年阪神・淡路大震災の犠牲者に捧げます。
設計:ラウラ・マッシーノ建築士、バルバラ・アニョレット建築士
イタリア建築協会、外務省、イタリア文化省建築および現代美術局発起による日本におけるイタリア2001年記念広場国際設計競技優秀者』
と書かれてありました。

なので、このことから、ここが阪神・淡路大震災関連の場所ということがわかったわけですが、正直、こんな広場があったことも、国際コンペがあったことも知りませんでした。
ある意味、今頃になってちょっとショックを受けてしまいました。


19年_5
写真5

その後、すこしまわりをぶらつき、坂の部分から坂下方向にこの広場を眺めてみたものが写真5です。
広場は写真5の奥のほうで突然終わっています。
これは広場の向こうに国道2号線という大きな道路が走っているためで、逆にいえば、目の前に見えているスロープは、実際のところ坂道というよりは広場のオブジェという扱いとして捉えたほうがいいのかもしれないです。
(だからこんなところでスケボーなどしたら、国道に飛び出てしまい危険なのですよ。もちろん広場内にもそういう行為は禁止と書かれてありますけど。)


19年_6
写真6

せっかくなので、広場に入って、スロープ部分にも注目してみました。(写真6)
軽くこの広場について解釈してみると、やはりこのスロープは、神戸の海から六甲山へと続く斜面をオマージュしたものだと思われ(写真6の遠くに見えているのが六甲山です)、この広場の思いが天に向かってのびていくということもイメージできるのではないかとも思いました。
そして二つのスロープの真ん中の、抜け道のような隙間は、その向こうにかつては現実の神戸の痛々しい姿が見えたのではないかとも想像しています。

とにかく、坂の頂上あたりが山のほうを眺める展望台にもなり、写真2に写っていた休憩場所が展望台の下にあるように、この広場のスロープは海(南側)に向かって下る形をしているのでちょっとした日よけになったり、天気が悪いときは雨宿りなどができるのかもしれないですけど、やはり今の寂しい状況をみるとこの立地においての広場という役目をはたしているのかは疑問がつくものではありますかね。(ここよりだだっ広くて人のいないところもたくさんありますが、あくまでこのJRと阪神の2駅が隣接している駅前の人通りの多い立地での話です。)


19年_7
写真7

次は、スロープオブジェの裏側(山側=北側)に再びまわって、さっきすこしふれたふたつのスロープの隙間の通路から坂下方向(南側=海側)を眺めてみたものです。
見た目はすごくかっこいいのですけど、ほんとこの隙間はどういう意味でつくられたんですかね。


19年_8
写真8

そして、こちらが現地にあった案内地図です。(写真8)
上からみるとこんな配置だったわけですね。
広場の隣には灘区役所ですか。
なるほど。


そんなわけで、今回の現地体験もあり、僕自身、このような場所で、なんというか人を寄せつけない空気が漂う広場に出会ったのはひさしぶりだったので、気になってしまい、ネットなどでこの広場ができた経緯などをすこし調べてみました。

すると、「EXPO 2005 AICHI,JAPAN」のサイト(http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.6/N1.6.564/)にて、このイタリア広場のことが取り上げられていて、それによると、阪神大震災のために壊滅的な被害を受けたこの六甲道エリアの再開発のため、神戸市は再開発をまかせる建築家を選ぶ国際コンテスト(たぶんプレートにあった日本におけるイタリア2001年記念広場国際設計競技優」)を開催したそうで、そこで選ばれた2名のイタリア人女流建築家(ラウラ・マッシーノさんとバルバラ・アニョレットさんかな?)とその依頼を受けたアッソピアストレーレ社が、エミリアロマーニャ州の協力をへて「イタリア広場」を建築し、神戸市へプレゼント(寄贈でいいのかな?)することにしたそうです。
ただ、ここに書いてあった内容だけでは、このエリア全体においてイタリア人の建築家の方々が関わったかどうかまでは不明でした。
あと、この六甲道エリアは阪神大震災のために壊滅的な被害を受けたと書きましたが、実際のデータは、震災時、660世帯約1400人が住んでいて、家屋276棟のうち65%が全半壊したとのこと(ブログ: 越澤明(越沢明)と都市政策、歴史・文化のまちづくり、日本再生http://blog.goo.ne.jp/cityplanning2005/e/3f7b50d15da7b8f9050d75d079122f47より)。

ちなみに、「日本1000公園」(http://nippon1000parks.blogspot.jp/2012/07/651000.html)というブログに、このイタリア広場が計画された当時の経緯などが記録された神戸新聞の記事の抜粋を載せていらしたので、すこし引用させていただきます。
『2002/02/18
 神戸市灘区で進められているJR六甲道駅南地区震災復興再開発事業(五・九ヘクタール)で、防災公園の一角に、イタリアの都市のイメージを取り入れた広場がつくられることになった。「日本におけるイタリア年」を記念し、日伊の建築界が協力。基本デザインは、両国の若手建築家から、国際アイデアコンペ方式で公募している。 コンペは、昨年の「イタリア年」を機に、「日本におけるイタリア2001年財団」が日本側に呼びかけ、神戸市の協力で実現した。 駅南地区では、超高層ビルなどに囲まれる形で、芝生や樹木を中心とした〇・九三ヘクタールの公園をつくるプランが、まちづくり協議会などの参加で決まっている。広場予定地は公園の南端で、国道2号、移転予定の灘区役所に面し、南の玄関口にあたる約〇・三ヘクタール。 イタリア側は現代的な都市広場をイメージ、石材などを提供する用意もある。だんじりが集まる空間や、バリアフリーなども条件という。 公募の対象になるのは、一九六五年以降に生まれた日伊の建築家。審査には、建築家の槇文彦氏、安田丑作神戸大教授、オルセー美術館を設計したガエ・アウレンティ氏らが当たる。発表は六月。最優秀作に一万ユーロ(約百二十万円)が贈られるほか、神戸、東京などで開く「イタリア建築展」で作品展示する。 イタリア建築フォーラム日本実行委の理事を務める井口勝文京都造形芸術大教授は「有望な若手建築家を見いだすチャンス。イタリア側は神戸に親近感を持ち、復興に貢献したいと期待している」と話す。募集要項はホームページhttp://www.piazza-italia.org/』
(注意:参照先のブログで取り上げている神戸新聞のホームページでは、すでに該当する記事が削除されていたため、この抜粋がきちんとしたものかどうかを知るには、当時の新聞をあたるしかないので、あしからず。)

そうなんですね。
今、東京の国立競技場で話題の人でもある槇文彦氏も審査員だったのですね。


19年_9
写真9

最後に、もうすこし俯瞰的な絵もあればと思い、イタリア広場の北側にある六甲道南公園からの眺めを納めたものなど。(写真9)
こうしてみると坂道オブジェ、なんかかっこよかったです。
しかもこの手前の芝生公園自体が微妙に坂道というか傾斜しているのもまたこの場所らしいなあというか。
でも実はこの傾斜だけが当時の場所の記憶みたいなものを伝えているのではないかとも思ったのでした。


ということで、今年の六甲道の「イタリア広場」への訪問、実際に歩いてみて思ったのは、なぜここに「イタリア広場」だったのか?という疑問が先行して、もしかして理屈で震災関連施設(モニュメント)と呼んでいるだけのような気もしたのですが、ある意味、こういう場所もあるんだと学ぶこともできたわけだし、今後この場所が地域にどうなじんでいくのかも見所のひとつなのかもしれないので、それはそれで意味のある貴重な震災遺構の旅(散歩?)だったかもです。

さる9月1日に六本木ヒルズで防災フェア2013なるイベントがやっていることを知り、かなり後半部分だけでしたけど、見てきました。

今回は夕方に現地に到着したので、イベントのタイムスケジュールによれば前半部分にヒルズカフェなどで興味深いシンポジウムなどもいくつか行われていたようですこし残念でしたが、それでも短い滞在時間にいくつかの体験ができました。


防災フェア2013_1
写真1

まずは一番目立つ場所ともいえるヒルズアリーナではピンポン玉で雪崩、津波を再現してみようというアトラクションのような体験教室をやっていました。
子供たちがそれを体験すべく説明を必死で聞いていましたよ。
そしてこのあと、ピンポン球が実際に子どもたちに降り注がれるところも見ましたけど、現実的には粒子(かなりマクロな言い方で申し訳ないですが)の広がり具合を体験するに近い感じだったかもです。


防災フェア2013_2
写真2

そして、次はこちら。
実は今回、これが会場にあるということで、気になっていたものです。
見た感じからも想像できると思いますが地震体験ができる車両だそうです。
テーブルなどが設置された室内らしき場所のあるところが体験施設なのですが、そこでレベル7の揺れを体験できるとのことらしいです。
それで、実際に体験してみた結果、体験する前はあの阪神の時の記憶がフラッシュバックするかもと戦線恐々だったのですが、揺れている時もやはりこういったら失礼な言い方になるかもしれないですが、なんか揺れ方が違うなと。
やはり大地が大きく揺れるあの感覚は正直体験できませんでした。
もちろんまわりの家具類も子供が体験することも考慮に入れられていてきっちりと固定されていたこともあったのかもしれませんが。


防災フェア2013_3
写真3

ただ、地震体験施設に反して、びっくりしたのがこちらでした。
煙体験ハウスなる名前そのままのものですけど、ビルなどの火災時に施設内に煙が充満したことを想定してつくられた体験施設なのですけど、こちらは僕自身これほどまでに煙に巻かれた経験がなかったため、ほんとびっくりしました。こんなにも視界が悪いのかと。
もちろん煙はダミーのものなので、全然息苦しくはなかったですけどね。
いやはやこれはいい体験ができたかもです。


防災フェア2013_4
写真4

そして、最後はヒルズカフェ内に展示してあった「関東大震災を歩く」というパネルです。
写真ではちょっと見にくいですけど、これはまたそのうちこの案内に沿って歩いてみたいなあと思いました。

ちなみにこのそばでは非常食の実演をしているコーナーもあったんですけど、味気ない非常食をおいしくいただくための料理の実演をしていましたよ(僕も実は試しにいただいたんですけどね。)
そういう意味では、このなんとも味気ない非常食をうまく調理して楽しむように、防災のためにつくられたあじけない建築や街の施設を同じように楽しむ発想がなにかできたらなあとちょっと思ってみたり。

あとほかにはテレビ朝日の施設内でも関連イベントやっていたんですけど、こちらはテレビ局らしく子供向けのエンタメ系防災イベントをやっていたので、今回はとりあえず写真には納めていませんのであしからず。


というわけで、今回はこんな感じですが、はじめにも書いたとおり、この防災イベント、個人的には以外にも興味深い体験もできたりとなかなかのものだったかもですよ。


防災フェア2013_5

今日は3.11にちなんで東京タワーで光の文字「KIZUNA ARATANI」が復興支援のメッセージとして点灯されるというので、行ってきました。


東京タワーの光のメッセージ1
写真1

3.11の今日は東京タワー下まできて上空を見上げるとこんな感じで「KIZUNA ARATANI」というライトアップというか光文字が点灯していたんですよ。
もちろんこれははじめにも書いたとおり復興支援のメッセージとして特別に点灯されるものだそうです。
ただひとつ問題だったのは、この光文字の方向が、僕が行った時間帯はなんとタワーの東側エリアからしか見えない位置(もしかして時間帯によって東西南北とかわるのかもしれませんが・・・)にあって、西側エリアからは見れなくて僕のような西側エリアを行動範囲にしているものはかなりタワー下までこないと見えないということで、けっこうあせりましたが、なんとかここまでやってきてパチリと一枚撮れたというわけなんです。


東京タワーの光のメッセージ2
写真2

またタワー下では、震災関連の追憶イベントもやっていました。
とにかくどういう気持ちで参加していいのか整理がつかなかったので、今回は遠目からぱちりと。


東京タワーの光のメッセージ3
写真3

あと、そばには寄せ書きができる場所もありました。
ただ、場所がらなのかどうかわかりませんが、どちらかといえば、日本語よりも各国の人たちからのメーセッジが多い感じでした。


東京タワーの光のメッセージ4
写真4

そして、最後はタワーのすぐ東隣にある富士見坂の坂上からの「KIZUNA ARATANI」の光文字など。


ということで、3.11に関しては自分自身1.17のように当時者ではないこともあり、あれこれ言うのもなんですし去年同様どうブログで対応していいか迷いましたが、今回も関連イベントを取り上げることで自分なりに3.11のことを思いだせればなあと思い、今日行われたイベントのことをさらりとですが取り上げてみることにしましたのであしからず。


※メモ
東京タワーで光のメッセージ「KIZUNA ARATANI」−太陽光発電で光文字(六本木経済新聞)

もう気がつけば18年ですか。
神戸の震災直後に生まれた子ならば高校卒業くらいの年齢・・・。
(なんか去年と同じこといってますけど。)

でも最近は東京でも3.11のあの地震以後もたびたび大きめの地震の揺れがあったせいか、18年前の当時の記憶をたびたび思いだしてしまうこともあり、そんなに月日がたったようには思えないんですけどね。

そんなわけで、今年も例年どおり正月に神戸に帰省したわけなんですけど、今回は去年の高速道路に引き続き、いくつかの候補の中からちょっと気になった場所に行ってみることにしました。


18年_1
写真1

今回訪れたのはHAT神戸というJRでいえば、三宮のお隣の駅の灘駅からアクセスできる場所にある神戸市の東部新都心として開発された地区があり、その地区内にあった「人と防災未来センター」なる施設です。
写真1はその施設の外観ですね。
見た目はかなりモダンなつくりのようでした。


18年_2
写真2

入口はこんな感じ。
おそらく昨年訪れて、このブログでもとりあげた「そなエリア東京」と一部似たような役割をになっている施設(ただし、ここはそなエリア東京ができる前からあったようですけどね)なのかなーと思いながら入ってみることにしました。


18年_3
写真3

そして、館内に入ると、受付の女性の人に「映画が始まりますので急いでください」と急かされつつ(ただし関西弁なまりの標準語なので雰囲気はおだやかでしたけど)、エレベーターを使い4階にある震災追体験フロアの阪神・淡路大震災の地震破壊のすさまじさを映像と大音響で体験できるというシアターに入ると、その映画がはじまったのですが、今あらためて当時の映像をいろいろみるとやはりひどかったです。
ビルは簡単に崩れ、高速道路もあっというまに、そしてそれに伴う火災。
まるでおもちゃのトランプタワーがくずれるように簡単に古い建物や建造物が壊れていくさまは、やはり3.11を体験した人ほど見ておくべきだと思いました。
そして僕がそこで思い出したのは、3.11の時に東京で体験したあの地震とは比べ物にならない直下型の揺れが1.17の時にあったのだなあということでした。
うまいたとえが思い浮かばないですけど、個人的には洗濯機の中に入れられたような強い縦揺れが当時ほんとにあったんです。


18年_4
写真4

映画がおわると、別のフロアにすぐ行ってくださいとの指示があります。(笑)
写真4は震災の記憶なるフロアでとりあえず室内を撮ってみたものです。
さすがに年月が過ぎているのでコンテンツというか震災関連の資料も満載でした。


18年_5
写真5

写真4でもちらりと見えていたのですが、こんな模型もありました。
おそらく当時の避難所での様子を再現したものだと思います。
さすがに18年前ということだけあって、避難者のプライバシー無視具合やら空間的な使い方とかほんと今の視点でみるとひどいかもですね。


18年_6
写真6

あと気になったのが、こちらの地図です。
震災モニュメントマップなんてのもあったんですね。
というかそういうモニュメントがけっこうまわりにあること自体知りませんでした。
なのでまた今度、機会があればまわってみれればなあと。


18年_7
写真7

そんなこんなで閉館時間まであいだがなかったこともあり急ぎ足で館内をまわったあとは、外にでてHAT神戸内を散歩してみることに。
写真7はだいぶ前にもきたことがある兵庫県立美術館です。
震災前は王子公園にあったそうですが、ここに移転する際に安藤忠雄さんの設計によって新しくなったみたいですね。
あと、ここ以外にもショッピングモールなんかも地区内にできていたりしてちょっとびっくりという感じでした。


18年_8
写真8

そして最後はハーバーウォークなる水辺公園をぶらりと歩きながら、三宮まで当時のことを思い出しながら歩いてみたのでした。

ということで、今回の「人と防災未来センター」への訪問、実は1.17の震災後初だったのですが、自分なりに貴重な体験をさせていただけたかなあと思いました。

9月11日のテレビニュースなどでは、あの3.11からちょうど一年半をむかえるということで、けっこう被災地の特集くまれていましたが、そういえば3.11とは直接関係ないですが、ほんの一週間ほど前の9月1日の防災に日に前にもブログ記事(そなエリア東京に行ってみた。)でとりあげたそなエリア東京に再びぶらりと行ってみたわけですが、そこででちょっと気になるパネルが期間限定で展示されていました。


11そして防災の日1
Web171

まずは、こちらですかね。
ネットの災害伝言板の説明パネルです。
携帯各社の災害伝言板があることは知っていたのですが、NTTが運営しているものもあったんですね。
いちおうサイトも確認してみましたが、こちらは当たり前ですけど、災害時になるまではサービスを提供しないことになっているみたいです。
→ 災害用伝言板(web171)


11そして防災の日2
火災による被害

そして、次はさらりと描かれてますが、中身はけっこうインパクト大のパネルもありました。
関東大震災当時の火災による被害状況をパネル化したものでした。
延焼動態図と左上に書かれてますが、まさに火災の延焼の広がり具合やら動き、そして規模などが描かれていて愕然としてしまいました。
今でも都内には消防車も通れないような幅の狭い道もあいかわらず多いのに、昔ならもっとあっただろうし(そもそも消防車があったのかという話もありますが)、木造の建物も多かったのでこうなってしまったのでしょうが、これはひどいですね。
しかも最近、文庫化されたばかりの、田山花袋の「東京震災日記」を読んでいたので、当時の状況がすこしばかりですが想像もできたので、目の前にあるのは矢印だらけの地図パネルなのですが、ほんと見ててつらくなってきてしまいました。


11そして防災の日3
復興と公園

ただ現在は、そういう過去の教訓もあってか延焼をふせぐ公園が都内にはたくさんつくられているようで、そういう公園が焼失エリアにどれくらいあるのかという公園マップというか分布図がパネルに描かれていました。
ですので、さっきの「火災による被害」のパネルなどで、火災の時に風向きや延焼具合も記録されていることからも、普通に考えればこれらの史実も考慮にいれてこれらの公園がつくられているのかもしれないわけですよね。
というかそうあってほしいわけですが・・・。


というわけで、今回もさらりとこんな感じなのですが、実はこれらのパネルは、東京臨海広域防災公園(そなエリア東京)のサイトを見てみると、「防災の日〜関東大震災を忘れない〜」というタイトルで紹介されていて、9月23日まで展示されているそうですよ。
ただブログでとりあげておいてなんなのですが、現地では見た目的にはパネルがさらりと横に並んでいるだけですので、これ目当てで施設に行くと、けっこうがっくりするところはあるかもしれないので、お台場になにか用事があるかたで防災に興味があるかたなら行けばいいんじゃないのかなあという感じですかね。
そんなわけで今回は、これらのことを記録しておく意味も兼ねてのエントリーでしたのであしからず。

そなエリア東京?
と、思ったかた多いと思いますが、こちらはお台場にある東京臨海広域防災公園内にある防災体験学習施設のことなんですよ。

そんなわけで、先月のことですが、いつか行こうと思いつつなかなか行けてなかったわけですが、やっと見にいくことができました。


そなエリア東京に行ってみた。1
写真1

とりあえず、すこしさびしげな駅前をぬけ、防災公園内に入りそなエリア東京と園内の地図に書かれた施設に向かい、中に入るとまずはこんな感じでいきなり気になるコーナーありました。
なんとなくキャラデザインされていてテーマパークっぽいアトラクションという感じですが、なんといってもここは公共施設でもありますので内容はいたってまじめなようでした。

その内容てきには、どうやら、東京で直下の大地震(7.2とか)がもし起こったとして、そのあとの72時間をどうすごすかということを防災体験ツアーできるとのこと。


そなエリア東京に行ってみた。2
写真2

で、実際に体験してみると、ツアコンの方の説明をうけつつ、DSをつかって防災クイズに答えながらロールプレイングする形式で施設内を進んでいくという、やっぱりというかなんというか、どうしてもテーマパークぽくはなってしまうわけですが、そういう体験学習をしながら安全な場所に脱出を試みるという体験ができるというわけですよ。
ちなみに写真2は、被災地を実際に歩くというコーナーでこっそりパチリとしたものです。
以外とリアルな感じ。
でもそのせいで当時のこと(阪神大震災の被災経験です)がすこし頭の中でオーバーラップしてきましたが、それでも入館する前に心配していたほどひどい混乱には陥らずにすんだかもです。


そなエリア東京に行ってみた。3
写真3

そなエリア東京に行ってみた。4
写真4

そして、被災地コーナー(変な言い方ですが・・)をぬけると、つぎは避難場所コーナーなるところがあり、写真3と4のようなパネルがいくつかありましたよ。
写真3が消化器の使い方で写真4が空き缶の再利用方ですね。
文字小さいかもですが、いちおうなにかの参考にでもなればと思いまして、いちおうぱちぱちと。


そなエリア東京に行ってみた。5
写真5

次は体験コーナとは別の場所にある防災学習ゾーンにあったパネルの一部をぱちりと。
地震がおこるまえに準備しておけばいい、10のそなえなる教訓みたいなことが書かれていましたよ。

いちおう絵は違いますが、同じ内容のものが東京消防庁のHPにありましたので、リンクしておきますのでよかったらどうぞ。
→ 地震に対する10の備え

そんなわけで、施設内にはほかにもいくつかの防災学習コーナーがあったわけですが、このあたりを見て体験しておけば、実は楽しくもあり、今後のための予習にもなるかもなあというわけでセレクトしてみました。


そなエリア東京に行ってみた。6
写真6

ちなみに、この施設、外からみるとこんな感じでした。
建物的にもけっこうかっこよかったですよ。(笑)


そなエリア東京に行ってみた。7
写真7

また入口あたりはこんな具合。
一面ガラスで見た目はかっこいいですが、地震きたら大丈夫なの?と思っちゃいましたが、地震防災施設なので大丈夫なんでしょうね。


そなエリア東京に行ってみた。8

写真8

あと、実はこの施設の屋上は、ちょっとした屋上庭園になっていました。
でも潮風がすごいのか、写真の場所にあった樹は風になびいてかたむいたまま固まっていましたよ。。


そなエリア東京に行ってみた。9
写真9

で、最後は屋上庭園から海のほうの景色など。


ということで、最近は東京でも地震なにげに多いことですし、もし近くに寄ることでもあれば気持ちがちょっとひきしまると思いますので、見学にぶらりと立ち寄ってみるのも悪くないかもですよ。


東京臨海広域防災公園


地図
江東区有明3-8

今日であの震災から1年です。
この震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈り致します。

都内では家近くの京王や東急をはじめいくつかの電車で、追憶の気持ちをこめてなのだと思いますけど、今日の14時46分に電車がいっせいに運行を一時停止して黙祷をよびかけるということが行われたようです。
(一種の災害訓練とも言えるのかもしれないですね。)

そんなわけで今回は、14時46分前後にちょうど新宿に立ち寄ったこともあり、そんな3.11の日の街の様子をさらりと。


After-3.11_1

とりあえず都庁周辺に行ってみることにしたわけですが、とりたててなにか行事が行われていたわけではなかったですけど、いちおう都庁内で写真のように震災関連写真のパネル展示やってました。
ただこちらは説明にもあるとおり、都庁内ということもあり、やはり都内における震災当時の記録写真を展示しているみたいでした。
(個々の写真については興味あるかたは現地行ってみてみてください。)

それで、その後、けっこう空いていたのでお決まりの展望台にも登ってみました。。


After-3.11_2

かっこつけていえば、あの地震から1年経った東京の今景色です。
手前のビル街のむこうにスカイツリーもみえていたりします。
いつもの風景が違って見えるのは気のせいですかね。



After-3.11_3

せっかくなので富士山探しもしてみましたが、今日は残念ながら見れずじまい。
でもやはりこの日に富士山(方向)とこの空景を見ていると、これからいつおきてもおかしくない首都直下の地震について考えざるをえませんでした。
「本当にこの景色がそのまま無事でいてくれるのだろうか?」



After-3.11_4

また駅前に戻ると西口地下でもパネル展やっていました。
天井がやたらと低い例の場所ですね。
こちらでは、当時の東京のものから東北地方の被害の大きかった場所の写真が展示されていました。
それとあわせて、なんか気を使ってくれたのかどうかわかりませんが、神戸での地震のときの被害写真に加えて、関東大震災当時の写真まで展示されていました。

それで、このパネル展で遭遇したこともあって関東大震災当時の写真についてちょっと気になったので、家帰ってからネットで検索してみるとけっこうあるものなんですね。
たとえば神田ニコライ堂周辺のものとか→http://mainichi.jp/select/jiken/graph/kantodaisinsai/23.html

ということで、今の気分でしか書けない新宿周辺(だけで恐縮ですが)の2012年3月11日の様子を今日撮ってきたばかりの写真も加えてメモがてら記録してみることにしました。
とりあえず、今日はいろんな思いが交錯する日なのかもしれませんが、見た目的にはイベントとかデモとかそんな騒々しい感じもなくいたって普通な感じの新宿だったかもです。


ちなみに話変りますけど、去年の地震の直後に渋谷にいくつかある坂道周辺を歩いた時の話というかレポート記事をみちくさ学会で書いた記事ありますので、この機会なのであわせてよかったらどうぞ。
→ 坂道から地震後の渋谷を眺めてみる。
あの当時はほんと、東京の夜は暗かったんですよね。

もう17年ですかあ。
阪神大震災の年に生まれた子ならもう高校生。
しかもいろんな意味で将来のことをちらちらと考えだすおとしごろ。
でもやっぱり僕の中では昨日のことのように思い出すことも多いです。
(知らない方には突然な話で恐縮ですけど、毎年1.17の日には、僕の生まれ故郷である神戸の阪神大震災の追憶記事を書くことにしていますので、ご了承ください。)

去年はあの3月11日の地震もあり、過去の記憶ばかりに注意を払うだけにもいかず、今だから言いますけど、そんな中過去のいろんなフラッシュバックと現実の世界の光景とがオーバーラップして、かなりの精神的なダメージ感みたいなものを受けてしまいまいってしまった時期もありました。
あの当時は僕もまだ21歳だったのでまあいろいろと影響受けやすいしいろんな選択技もありけっこうまじめに考えてしまう時期でもあったわけで、これがもうすこし年齢を重ねていれば社会的なポジションもある程度決まっていたりいろんな意味で諦めたりとまたそれなりの精神的な対処もできたかもしれないですし、逆にもっと若ければそれはそれで他人ごとのように振る舞えたかもしれないですしね。
そういう意味では、現在二十歳前後の人たちも同じような境遇にあるのかもしれないですね。

そんなわけで、今回はそんなことを思いながら、ふと実家に帰省したときに突然思い立ち、過去の記憶をたどる意味もかねて、とある場所にでかけました。


17年1
写真1

こちらは高速道路の橋脚です。
見てのとおりなんですけどね。。
下の道路は国道43号線で、上のは阪神高速です。
場所的には、神戸市東灘区と芦屋市の境あたりになります。
また、ここは僕の実家からも徒歩10分もかからないくらいでこれる場所でもあります。


17年2
写真2

そしてこちらは、17年前の1・17当時の写真で、神戸キッズページのサイト内にあった写真を拝借したものです。
当時はよくこの映像が流れてたと思いますので知ってるかたも多いと思いますけど、高速道路が地震で横倒しになってしまった時の記録写真で、ちょうど芦屋市側から西側方向(神戸市内方面)を望んだものです。
当時はネットなんかなかったので、まわりの状況を把握するのにも時間がかかり、こんな光景が近所でおこってるなんてことを知ったのもおそらく数週間後か一ヶ月くらい後になってからだったような気もします。
ただテレビでそういうのが近所にあるとは見聞きしてもすぐに見に行く元気もなく、たまたま用事で近くを通ったときに一度ばかし見たくらいの記憶しかありません。

そんなこともあり、今回あらためて、この場所がそういう記憶をとどめた場所であるということを再確認する意味で、歩いてみたわけです。
ただよくよく昔の記憶を思い出してみると数年前にもこのあたりを正月に歩いたような記憶があるんですけど、その時はなぜかこういう気持ちにはならずただ素通りしただけだったので、今回なぜこんな気持になったのかは不思議ですけど、まあそのあたりは3.11の影響もあるのかもなあと。

それで話をすこし写真のほうに戻しますと、写真1の左のほうにちょこっと写っている白い外壁のマンション、実は写真2の左上に写っている白い外壁の高層マンションなんですよ。
なので写真1で見えている橋脚は震災当時、ぽっきりと折れていた場所ということになるみたいで、地震の時ここにいれば間違いなく高速道路の下敷きになっていたわけですが、現在は当たり前ですが御覧のようにがっちりと造り直されていてその痕跡らしきものはまったくわからない状態になっていました。


17年3
写真3

またこちらはグーグル画像検索でヒットしたもので、元ネタは朝日新聞『報道写真全記録 阪神大震災』の書籍からの拝借画像のようですが、今回あえて使わせていただきました。(問題あればご連絡ください。)
こちらも同じ場所で、芦屋市側から神戸市方面をとらえた写真です。
ただキッズサイトの画像と違い、高速道路上の車の様子なども写っていてかなり生々しいですが、今年の3.11のいろんな生々しい映像と比べればそれほどえげつないこともないかなあとも思われます。(でも心臓はバクバクとしてきますけど・・・。)


17年4
写真4

そして、最後は神戸市と芦屋市のちょうど境目あたりの高速道路の様子です。
もうおわかりかと思いますけど、ここにみえている4本の柱は震災当時すべてぽっきり折れていた場所のはずで、その証拠といったらなんですけど、いちおう写真4で右から2番目と3番目の柱の間に「鉄」と壁に書かれた三角断面のプレハブ工場ぽい建物が見えているんですけど、これ写真3で探してみると、高速道路の右側に「ぼんち」と書かれた看板のちょっと下あたりにあるんですよね、わかりますかね。
そういうわけで、この時期になると特にうまくはいえませんけど自分の精神を保護するために現実と妄想と過去の世界をいったりきたりしてしまうわけですが、現実世界はなんだかんだといってちゃくちゃくと再構築されていくわけなんですね。


17年5


ということで、去年の3.11があった中でなんですが、やはり1.17の記憶も忘れないようにと思い、ここに書かせていただきました。

全国避難場所一覧
http://animal-navi.com/navi/map/map.html
通信各社の災害用伝言板は以下の通り。

【関連記事:「災害用伝言板」横断検索、携帯・PHS各社が導入へ】
▼NTTドコモのiモード災害用伝言板サービス
→http://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/110311_01_m.html
 伝言板にメッセージ登録が可能なのは青森県、秋田県、宮城県、山形県、福島県。
 PCからメッセージを確認する場合はhttp://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi 。
▼KDDIの災害用伝言板サービス
 EZWEBトップメニューかauoneトップから災害用伝言板へ。
 安否情報の確認はhttp://dengon.ezweb.ne.jp/ 。
▼ソフトバンクモバイルの災害伝言板
→http://mb.softbank.jp/mb/information/dengon/index.html
 Yahoo!ケータイの災害用伝言板メニューかMy Softbankからアクセス。
 安否情報の確認はhttp://dengon.softbank.ne.jp/ 。
▼NTT東日本
→http://www.ntt-east.co.jp/saigai/index.html
 災害用伝言ダイヤル「171」と災害用ブロードバンド伝言板「web171」。
▼ウィルコムの災害用伝言板
→http://www.willcom-inc.com/ja/dengon/index.html
 ウィルコム端末からのアクセスはhttp://dengon.clubh.ne.jp/ 。
 他社携帯やPCからのアクセスはhttp://dengon.willcom-inc.com/ 。
▼イー・モバイルの災害用伝言板
→http://emobile.jp/service/option1.html#saigai
 アクセスは、ブックマーク(お気に入り)→EMnetサービス→災害用伝言板→災害用伝言板トップページ。
 安否確認はhttp://dengon.emnet.ne.jp/ 。


ツイッター等で災害情報が流れています。

正確に近い情報を与えてくれるツイート発信者です
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適当な情報やデマなどは流さないで下さい。

USTです。NHKの中継を放送しています
http://www.ustream.tv/channel/foxtokimekitonight


できれば、拡散を御願いします。

焦らずに行動してください。

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ドコモ、災害伝言サービス開始 iモード・PCでも http://bit.ly/ema5JK



追加です。

グーグル 安否確認サイト
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html


追記
東京都内避難場所 by googleMAP
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&gl=jp&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=215507572864740295322.00049e31ae027259c4dda


追加

各被災地県ごとの人々の情報ツイートを細かく分類し、そこで何が起こっているのかを届けてくれているサイト
SAVE JAPAN!
http://savejapan.simone-inc.com/

とうとうおこってしまいました。
東北では震度8以上。東京都内でも震度5から6の揺れがあり、かなり僕もあせりました。
しかも今電話や携帯メールつながりません。。(汗)
なのでネットです!

というわけでいろんな情報がとびかっていますけど、ここではラジオやテレビなどとはすこし違う視点で書いておきたいと思います。

身の回りのことで注意することはテレビやラジオで言っているのでそのあたりのとおり気をつけてください。
あとは特に古そうな建物(ビルや家その他)の近くを通るときは、余震がおこることも考えて、今回の地震でなんともなかったように見えても、見えないところもしくは見えるところでも建物にダメージをうけているかもしれませんので、気をつけて通ってください。

そしてそこに住んでいる方はとくに、壁や柱などのヒビやダメージの耐震チェックをいまのうちにしておくことをおすすめいたします。
もちろんそれ以外の建物に住んでいるかたも同様ですけどね。
もうあのニュージランド地震のときのような人災による被害はごめんです。

もしダメージが見られれば、すぐに対策をねって建物にはちかずかず、別の場所で対策をねることをおすすめします。

なので、すこしでもおかしいということであれば、知り合いにそういう人がいなければ区役所(市役所)などに相談するなどして建築関係者を紹介してもらうなり、もしくは僕のブログの連絡欄に直接連絡してくださってもかまいません(僕なりに友人知人にきくなりしてどこに相談すればいいか調べてから返信したします)し、近所の建築関係〈設計事務所や工務店、ゼネコン系などなど)の会社なり事務所のHPを見つけて連絡してみるなりして相談してみるのも手だと思いますのでよろしくお願いいたします。

あと天井なんかも、おおきなひろい吹き抜けとか会議室とかあるビルの天井の場合、いろんな意味でダメージもあるとおもいますので、チェックをおすすめします。そしてそのあたりの妄想というか想像力を働かせてビルの中でも歩かれることをおすすめしますよ。

要は僕の経験からしても、建物が壊れなければ、それだけで多くの人命が助かりますし、精神的にもダメージがすくなくなると思いますので、みなさんの身近な場所のチェックをしてみてください。

今は大丈夫でも、もしこれから余震がきて壊れてしまっては悲しすぎます。
古すぎる建物に住んでいる方は、とにかくすぐに逃げれる心の準備をしてください。
そしてそれ以外の人も水は最低限用意してさらに自分の住んでいるマンションや地域のどこに避難場所があって、消化器がどこに備え付けられているかも気にしてみてください。
道路だって陥没するかもしれません。

今はSF小説なみの妄想力を働かして、地震対策にはげんでみてください。

それでは僕もこれからどうなるかすごく怖いですけど、みなさんがんばりましょう!


追記(3/12+3/13)
地震数時間後であせって書いた感がありますけど、要は(やわらかく言うとですね)、人ならばマラソンしたあとにはかなりの疲労がたまるのと同じで地震でひと仕事した建物もドライブやレースしたあとの車のように点検や掃除をしてみるといいかもという趣旨で書いたのだと思います。なのでもちろんすぐつぶれるとかそういうことではなくて(そういうところもあるかもしれませんけど今言っているのはこれからも住み続けることができる建物の場合です)、古い車ほど次のドライブorレース(=地震)の前までにメンテナンスをちゃんとしないとあとでたいへんなことになる可能性は多いから気をつけてねという感じだったと思います。建物(および公共物)は人のように自然治癒はしませんしね。そして自分が無事であればその分多くの人の助けを借りることもないし悲しませることもなく、もしかしたらその分多くの人を助けることができる可能性もひろがりますからね。
追記(3/19)
ちなみに、こういう事件もすでにおきているみたいですので、やっぱりなんかあればそういう系の相談は知り合いなどがいなければ、まずは地元自治体にしてみるのがいいかもですよ。
http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY201103190387.html

またこの日がやってきました。
さすがにここまで月日が経ってしまうと、震災を経験した人も神戸には半分くらいしかいなくなってしまったというニュースもありましたけど、それはそれで仕方のないことなのかもなあと。
地震での経験を伝えたり、地震の経験を何かの形でライフスタイルに活かしていくのは大事なことなのかもしれないですけど、なんというかその考えに縛られてしまって身動きがとれなくなってしまうのもいけないかもなあと、最近というかこの1年くらいはよく考えるようになりました。
でも今日だけはその考えに縛られて(笑)いろいろと今後のことについて考えてみたいと思います。

あと地震とは直接関係ないですけど、この数ヶ月のあいだメディアでも騒がれているタイガーマスクさん系の贈り物の話、あれいいですよね。
僕自身、震災の時は神戸に日本中からボランティアの方々がきてくださっていろいろと助けてもらったり、支援物資を寄付していただいた側の身でもあるので、すごく気になっていました。
これからもこういう感じの活動はあってほしいですし、いろんな賛成反対の意見もあるやもしれませんがやっぱりそういう話題も報道し続けてほしいかもなあと。

そして、これは私事で恐縮ですけど、最近、みちくさ学会で神戸の坂道の記事を書かせていただきました。
記事には書いてないですけど、おそらく坂から見える風景や神戸のまちなみも16年まえとは全然違うものになってしまったんだろうなあという感慨が深く、なんていうか今回は新たな発見というよりもしみじみと過去の思い出を掘りおこしながらまわった感じの坂道散歩だったかもです。
また、この記事を書くときに村上春樹さんのエッセイ『辺境・近境』の「神戸まで歩く」を読み返してみました。
個人的には、このエッセイの文中に、
『それからもうひとつ、二年前のあの阪神大震災が自分の育った町にどのような作用を及ぼしたのか、それを知りたかった。』
とあるように震災への思いみたものも同時に綴られているような気がしてならないんですよ。
なんていうかこの村上さんの描いた風景を通して過去を知るというか、そういうある意味過去の神戸の景色がありありと心に浮かんでくる感じがよくてこのエッセイは何度も読んでいるんですよ。
そういうわけで、よくもまあ西宮から三宮まで歩いたものだなあと毎回のごとく感心しながらも、今回僕はエッセイの中や写真編でも登場した香櫨園の浜にぶらりと行き、エッセイに書かれた風景描写を思い出しながらあらためてその景色を眺めてみました。
下の写真はそのときのもので、位置はかなりちがいますけどアングルだけは似せたもので(汗)、手前の池のような水辺(海)のむこうに見えているのが芦屋の海辺の埋立地にある高層団地の群です。
地震当時はあのあたりも液状化現象などで大きな被害を受けましたが、今は見てのとおりの状態です。
ちなみにこのエッセイや写真篇でもでてくる村上さんの通った中学校は僕も通った中学なので、いちおう中学の先輩ということになります。だからというわけではありませんが、エッセイなんかを読むときは特に、(失礼かもしれませんけど)近所にかつて住んでいたとあるおじさんの日記を読むという具合のへんな気楽さを感じてしまったりと、やっぱりいろんな意味で気になる人でもあり影響はうけるかもですよ。
ただ村上さんの他のエッセイではたしか中学時代はあまり良い記憶がないみたいなことを書かれていたと思うのであまりそういうことを強く言えないですけど、僕自身も中学校の校舎内でとある事故にあって、右耳の聴力がほとんどなくなり今でもほとんど音がきこえない状態の続いている怪我をした過去があるので、どちらかというとネガティブイメージの強い場所かもしれませんけど。。
でも地震のときはそれがさいわいしていろんな大音響があまり聞こえなかったんですけどね(←きこえる方の耳を下にして寝るとほとんど物音がきこえなくなるためですね。。笑)。

ということで、この1月17日が近くなると、いつもそうなのですけど、このブログで地震関連の話を書くかどうかで迷ってしまうのですけど、やっぱり今年も書いておくことにしました。


20110117

今日で、とうとう15年ですか。
この日が近くなると、テレビやら新聞、ネットやらで、震災後の神戸なんていうことで、地元の神戸の様子がとりあげられるので、やっぱり意識してしまいます。
(というか、忘れません。)

15年といえば、1995年の震災の年に生まれた子なら、15歳。
義務教育もこの歳までだし、働くことだってできる年齢ですよね。
しかも、15歳といえば、個人的な興味で恐縮ですけど、だいぶ前に読んだ「ソフィーの世界」なる本を家の本棚の奥の方からひっぱりだしてパラリとみかえしてみると、この物語では、14歳から15歳になる時期であることにも、なにか意味があるようにも書かれていて、自分自身どこかひっかかることも多く、地震とはなんにも関係ないんですけど(汗)、この15年という月日を経たということには、なにか考えないといけない時期なのかなとも思ったりしました。

ただよくよく考えてみると、いま僕が暮らしの中心としている東京だって、戦前ではありますけど、今から87年前の地震(関東大震災の16年後に第二次世界大戦がはじまってます・・・)で被災しているわけであって、その点は、忘れないようにしなきゃいけないなあと思いつつも、この関東大震災の教訓がすこしでも残っていたら、もしかしたら、神戸での地震の被害ももうすこし小さくできた可能性もあったのかもと思いつつも、やっぱり戦争が間に入っているので、無理な願いだったんですかね。
そんなこともあり、この1月17日前後の日になると、いつもそうなのですが、地震のことなどについて書くか書かないかで迷ってしまうのですけど、やっぱり今年も記録がてら書いておくことにしました。



メリケンパーク1

最後にこの写真ですが、今年も例年どおり神戸に帰省したわけですが、写真は、三宮界隈の海沿いにあるメリケンパークという海辺の公園内の「神戸港震災メモリアルパーク」という地震当時の被災状況のまま一部を保存している場所を歩いた時のものです。
近くには広々とした広場や神戸メリケンパークオリエンタルホテルとホテルオークラ神戸が海側と山側にあったりと、なかなかいい感じの雰囲気で、僕自身はずかしい話ですが、震災前にきたきり訪れたことがなかったので、ちょっと驚きの場所でした。


メリケンパーク2


もうこの時期がきたんですね。
いつもながら2度目の正月がきた気分であります。

実は今年も正月には実家の神戸に帰省(節約モードで)していました。
正月のエントリーでは書きませんでしたけど。
そいで、やっぱり東京とは違う雰囲気、自分の生まれ育った場所で落ち着いてじっくりとまわりをあらためて眺めると、神戸のことはもちろん、東京のことまでも、年末までの絞りがきいていたような視点や思考みたいなものが、ふわりと広く軽くなる感じがあって、いろんなことを思ってしまいましたよ。
でも、東京にもどると、またキューとなってくるわけで。。

そして、この1月17日になり、またふわりとなるわけです。

それにしても、もう14年が経ってしまいましたか。
なんというか、ここ数年はもうこのブログで書く必要もなくなってきているんじゃないかという自問自答の中、1月17日だけは地震のことを書いてきたという感じです。
でもまあ、やっぱりこのブログを続けている限りは、書き続けるんだろうなあとは思っていたりします。



14年_1

この写真は、いちおう今年の正月に地元をぶらりとしたときに撮ったものです。
震災当時はほとんど更地だった埋め立て島(地)から神戸の中心街の海辺にある人工島(埋立地)のほうを眺めたものです。
なんというか、ここにくると、地震の時は、ほとんどが更地で人もいない場所だったのがこの島も含めてこの数十年であっという間にどんどんできているという戸惑いみたいなものや当時のなんともいえないやりきれなさやくやしさみたいなものが、急によみがえってくるという感じで、実家に帰省するとなにかその気持ちを確認するかのようにだいたい毎年訪れる場所だったりします。(ただ海を見たいだけということも含まれますけど・・。)
でもそんなことをしているうちに当時の感情的な気持ちは年月が過ぎるごとにうすくなり、それはそれとしてどこかにまったく形をかえて数十年かけて記録していこうかなあと思いながらも、今はとりあえずもっと冷静になり、できあがってしまったものもうまく活用して、その土地に関わるひとたちが幸福になる方法(変な言い方ですが)みたいなものを考えることも大事なのかなと。
もちろんこのブログもそのうちのひとつかもしれませんし、この気持ち自体もいつ変わるともわかりませんけどね。。


14年_2

過去のこのブログの記事を見ると、国内での大きな地震はほぼ一年ぶりのようですが、今度は宮城で14日に地震が発生してしまいました。

おりしも、都内では地下鉄(東京メトロ)副都心線が同じ日に開通して前日からすこしお祝いモードになっていた感があったので、僕自身、14日もなにか副都心線関連のニュースでもやっているかなと思いなにげなくテレビをつけた時に、この地震での現地の様子が刻々と伝えられているのを見てあっけにとられた思いがあったかもです。

ただ、そのほかになにかコメントを残すには、あまりにいろんなメディアで、いろんなことが書かれているので今回はこれ以上あまり書かないことにしようと思います。

でもちょっと気になったニュースもあったりもしましたが(まあ偶然だったということにしてそのことについてはあまりふれないようにしつつ)、それはさておき今回もけっこう早くから義援金の受け付けが始まっているようで、ヤフーに義援金の受け付けのページがありましたので、とりあえずそのリンクを張っておきますのでよかったらどうぞ。

ということで、今回はかなり独り言のようになってしまいましたが、やはりここに記録しておきたいと思い書いておきました。

連日テレビなどでも、現地の様子が報道されているので、あらためて書くかどうか迷ったのですが、中国での四川大地震の被害がどんどんと大きくなっているようですね。

いちおう、かなり違う場所といえばそれまでですが、それでも大きく、くくって見てみると、中国という場所にいったことがある身でもあり、そんなことからなんとなく現地の雰囲気を思い出しながら、さらに過去の地震の体験などから、どうも他人事ではないような気がして、やっぱり書いてしまいました。

ただ、あらためて今思うのは、現地は、これからもたいへんな状況が続き、今後どういう展開になっていくのかは、いまの段階ではあまりに被災者の数が多すぎて、想像できませんが、救助や支援はもちろんのことだとは思いますが、今のあのような現地の状況をしっかりと記録していくこともすごく大事なことなのではないのかなとも思うようになっている自分がいたりします。といっても、自分ではどうしようもありませんが・・・。

なんていうか、今後のための教訓にという当たり前のことに加えて、以外と被災した方たちが後(かなりあと)でその写真などを見たとき、「あっ、当時はももっとすごいことのようになっていたと自分の中では思いを膨らませていたけれど、写真や映像でみるとあんな感じだったんだ」という風にすこしばかりさめた感じで思い起こすこともできるかもしれないなあ、なんてすこしばかり思ってみたりしたからなのですが、やはり、そんな簡単なことでもないとも思いますけど。。
(追記:僕的には、まちの様々な様子がいろいろと記録されていれば(いたましい人ばかりの記録ではあとで見るとさらに気が滅入ってしまいそうなので)、将来、その記録を見たときに、すこしばかり冷静な気持ちになれるのかもしれないなあなんて思ったりもしましたが、どうでしょうかね。)

ということで、いろいろ言ってしまって、もうしわけない感じですが、記録がてら書いておくことにしました。

今年2度目の正月が来た気分です。

と、去年と同じはじめかたをしてみましたが、正月というのは、別になにかの祝いというわけではなく、あらたな気持ちになるという意味でのはじまりをあらわす気持ちで使っているわけですが、あの1995年の地震からもう13年ですか。。

今年も正月に神戸に帰省して近所の様子を見てきたわけですが、やはり地震でダメージをうける前とは、その街並みが変わってきているなあという思いは、年を追うごとにふえるいっぽうで、帰るたびに道路は整備され、立派なマンションや家が次々に建っているといってもいいくらい、あれ?、こんなところに・・・。
という感じでした。
なんというか、そこに住んでいる人にとっては、ただもとどおりにしたいため、なんだかんだといって過去の記憶を忘れるため、はたまたひと儲けするため、または、ただ行政のいわれるまま土地をさしださなければいけなかった人(道路や公園の整備のため)など、様々だと思いますが、こんなに急速に街をつくりかえていって、ほんとうにいいんだろうか?
このスピードに住んでいるひとたちは対応できているんだろうか?
この最近新しくできた道だって、かつてはここに家があり、そこで暮らし、愛しあい、人が生まれそして死んでいき、建物の下敷きになって死んでしまった人もいるんだろうなあ。
なんて、思ったりもしながら、かつて慣れ親しんだ散歩コース中心に歩いていたわけです。

でも、地震当時のままで残っていてもらっても困るわけでそのあたりのバランスは難しいところではありますけど・・・。
そんな中、まちの南と北にある海と山だけは街中とは違いのんびりと変わっていってくれているのは(正確にいえば、海辺のほうは昔から計画されていたであろう開発が実行されているようで、風景はかなり変わってはいるのですが、これは数十年前から聞かされていたことでもあるので・・)、ある意味、僕にとってはほっとできる場所であったかもしれません。

そんなこともあって、正月なりに年に1回は最低でも神戸に帰省するようにして、このことを目と体でたしかめたいことも実はあるわけで、今の僕にはなにもできないしなにかだいそれたことをしようとも願っていませんが、数年帰らなかったら街が跡形もなく変わっていたなんて悲しいことにならないようにも、これだけは今後も忘れないように続けていこうと思っています。
そして、これらの習慣とともに13年前のあの地震のことも。

もう3日前となってしまいましたが、16日に新潟県中越沖地震が起こってしまいました。

そういえば、かなり場所てきにも近い能登でも3月に起こったばかりということで、この地域は地震の頻発地域かもしれないということが言われていますが、なんとか原因がわかないものかとも思いながらも、今回は被害にあわれた方も多いらしく、これからいろいろとたいへんなことが起こるとはおもいますが、ここからは頑張ってくださいという他はどうにもならない感じです。

あと、この夏の時期に水が使えないというのは、かなりきついことだと思いますし、トイレの問題って以外と、普段は気がつかないけど、こういう災害時にはすごくありがたさを感じることだと思いますので、その点でも早く復旧が進めばよいのですが・・・。
そして、もうひとつとして、今回はあの原発があるあたりらしく、地震での被害とあわせて、たしか昨日か今日ぐらいに停止命令が出たはずで、その分の電力不足分が関東にも直撃するかもしれないとのことらしく、今回はかなり広域にわたりいろいろな被害が直接的ではないにしろ、でてしまう地震になってしまうかもしれませんが、こればかりは後になってみないとわからないことではありますけど・・・。

ということで、今回も他人事とは思えないこともあり、いろいろ言ってしまって、もうしわけない感じですが、やはりここに記録しておくべきだと思い書いてみました。

最後にですが、被災地の方々へは心からお見舞い申しあげます。
あと、今回は、いままでと比べて義援金などの受付情報が早くにだされていたみたいで、ヤフーでもそれらのリンク集がありましたので、こちらからもリンクを張らせていただきます。

とうとう大きな地震がおきてしまいました。
(しかも、今回の石川県で地震が起きる確立は、ほとんど予想されていなかったというのを聞いたのですが、これはやっぱり気になることだったりしますが・・。)

詳しいことは、ニュースで流れていたのであらためて掘り起こすこともないかもしれませんが、そんなこととあわせて25日午前に発生してから余震が今も続いているというのは、なんともたいへんなことですし、とにかくはやくひと段落となればよいのですが・・・。
それと、災害募金などをそろそろ開始するとの情報もあるようなので、そういうところで協力できればなあと思っていたりもするのですが、そのあたりはどうなっているのでしょうかね。
ただこういう余震などについては以外と精神的なダメージもじわじわとくるので、見た目ではわかりにくいところもあるし、あとから思い直すとそうだったかもという場合も多いので、そういうケアも大事だとは思いますので、余計なひとことだとは思いましたが、いちおう書かせていただきました。

ということで、こういうことを書くにはすこし抵抗を感じるようにもなったこともあり、あまり書かないでおこうかとは思っていたのですが、今回は僕のひとりごとだと思ってさらっと聞き流していただくとありがたいかもです。

今年2度目の正月が来た気分です。

あの1995年の地震から12年ですか。。
よくよく考えてみると、神戸(というか兵庫)では、震災後に生まれた地震を知らない子どももいるわけで、その子たちも一番年上で12歳くらいになっているのですね・・・。
いやはや。(汗)

去年は、なにかと世間もさわがしかったし、そのせいか僕もテンションがあがりえらいものをお見せしてしまいましたが、今年はぼちぼちという感じです。
でも、この日になると、6434人という膨大な犠牲者のかたが亡くなった意味ってなんだろう?と考えつつも、その中で生き残れた自分というものはなんなんだろうと考えてしまいます。
そして、時々、以前にあった映画”黄泉がえり”のように、あの時、僕は一度死んでしまっていて、今は夢の世界にいるんではないのか・・・なんて思いこむときもあるくらい落ち込むときもあったりします。
(そんな時は、ほっぺをギュっとつねって確かめるんですけどね。 あっ!現実だ〜と。(汗))
でも、神戸という土地には、そういう黄泉がえりみたいなことをしたいと願っている人の霊もたくさんいるのかもしれませんが・・・。

と、突拍子もないことを言ってしまいましたが、12年前に起こったあの自然災害に対する経験や教訓、悔しさは、いまでは僕の中では計り知れないほどの財産にもなっているわけで、このことはけっして忘れないようにしたいとあらためて感じた12年目の1月17日という日でした。

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.気になったニュース に参加中!
『インドネシア・ジャワ島中部で27日朝(日本時間同)発生したマグニチュード(M)6・2の大地震で、同国政府の災害対策本部は同夜、ジョクジャカルタ特別州を中心に少なくとも2914人の死亡が確認されたことを明らかにした。
 負傷者は数千人にのぼるとみられ、インドネシアとしては昨年3月28日に1700人以上が死亡したスマトラ島沖地震を上回る大惨事となった。
 現地からの情報によると、ジョクジャカルタ特別州では民家などが倒壊し、多くの住民が逃げる間もなく壊れた建物の下敷きになった。震源地に比較的近い同州南部のバントゥル市では、大半の建物が全半壊したとの情報もある。』
(5月27日 読売新聞より)
いろんなサイト見てたらあったので、抜粋させていただきました。

インドネシア・ジャワ島中部沖でで27日朝に起こったそうです。
大半が全半壊とのこと。
ということは、建物が壊れなければ、被害はもっと少なかったということかもしれません。

ニュースなんかでも現地の写真みてもかなりたいへんなことになっていました。
現地の緊迫感が伝わってきます。
(GyaOとかの動画サイトでも配信していたので、いまからでも見れますよ。)


こちらのサイトでは、現地の写真もいろいろのっていました。
http://mdn.mainichi-msn.co.jp/photospecials/graph/060527indo-quake/index.html

あと、いろいろなかたのブログやネットみてたら、国際医療援助団体「AMDA」が、募金の受付をしていました。
http://www.amda.or.jp/
いまのところの情報をネットで知ったので、またこれからもこのような団体も増えるかもしれませんね。

他人ごととは、思えなくいろいろ調べてみました。
災害での被害がこれ以上大きくならないことを祈るばかりです。



ブログネタ
今日のニュース に参加中!
かなりインパクトなタイトルにしてみました。

ということで、昨日もすこし話したあの阪神淡路大震災から、11年が経ちました。
そんなに感傷的にならなくてもいいのかもしれませんが・・。(汗)
いまの時間帯は、テレビをかけながら書いてますが、テレビの一方的な情報にながされそうですが、やはり書いてみたいと思います。

せっかくこのブログというものがあるので、当時の写真などを公開してみたいと思います。
あまり気分のよくない写真や話もあるので、ここからはみたいかたのみ見るようお願いします。



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ブログネタ
日々の暮らし に参加中!
世間はいろいろさわがしいですね。
それにしても、いろんな考え方の人がいるもんだなー、とあらためて思ったりしました。
その話題でも、すこしふれようかなとも思いましたが、まあとりあえず。

もうあと数時間で、あの阪神淡路大震災から、11年が経ってしまいます。
毎年この日になると僕にとっては、身のひきしまる思いにさせてもらうというか、なる日でもあります。

今日は、いろいろネット見てたので、あまりかけませんでしたが、のちほど、地震のことでも話をしてみたいと思いますよ。

今日は防災の日ですね。
過去に地震をうけたことを忘れないための日とのことらしいですね。
僕も気持ちを新たに、なるしだいです。
急におきるとなにもできないものですが、せめて水はどこかにたくわえておいたほうがよいかもですね。基本的なことなんですけどね。僕のときは、大阪とか周辺はほとんど被害がなかったので、すぐに水やその他の物資がきましたが、東京は広いし人も多いし、どうなるかわかりませんしね。でも以前にくらべて頑丈な建物も増えているだろうし、あとは普段の備えとそのときの運ってかんじですかね。

ということで、すこしまじめな話をしてみました。

昼に地震ありましたね。
東北では、震度6を超えたらしいですね。(悲)
東京でも震度4だったらしいです。

僕は、幸いなにもなかったのですが、いかんせん現在、引越しのあとかたずけ中でものが山済みだったのでかなりびびりましたよ。(笑)


朝、東京でも地震がありましたね。震度は2くらいだそうです。

ここで備えあればなんとやらということで、前回に書いた一般的にはあまり書かれていない注意するべきことの第2弾です。

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