東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道[No21〜60]
スペイン坂(NO.23) その2 /渋谷区宇田川町
西久保八幡の男坂と女坂 (NO.60) /港区虎ノ門5丁目
三年坂 (NO.59) /港区麻布台1丁目
雁木坂 (NO.58) /港区麻布台1丁目
榎坂 (NO.57) /:港区麻布台1丁目
土器坂 (NO.56) /港区麻布台2丁目
永井坂(榎坂?) (NO.55) /港区芝公園3丁目
市谷八幡の女坂 (NO.53) /新宿区市谷八幡町
市谷八幡の男坂 (NO.52) /新宿区市谷八幡町
左内坂 (NO.51) /新宿区市谷左内町
長延寺坂 (NO.50) /新宿区市谷田町2丁目
浄瑠璃坂 (NO.49) /新宿区市谷田町2丁目
芥坂 (NO.48) /新宿区市谷鷹匠町
鰻坂 (NO.47) /新宿区市谷砂土原町3
歌坂 (NO.46) /新宿区市谷砂土原町3丁目
逢坂 (NO.45) /新宿区市谷船河原町
ゆ嶺坂 (NO.44) /新宿区若宮町
新坂 (NO.43) /新宿区若宮町
瓢箪坂 (NO.42) /新宿区白銀町
朝日坂 (NO.41) /新宿区横寺町
弁天坂 (NO.40) /新宿区箪笥町
袖摺坂 (NO.39) /新宿区箪笥町
地蔵坂 (NO.38) /新宿区袋町
三年坂 (NO.37) /新宿区神楽坂3丁目
軽子坂 (NO.36) /新宿区神楽坂3丁目
神楽坂 (NO.35) /新宿区神楽坂2丁目
三百坂 (NO.34) /文京区小石川3丁目
今井坂 (NO.33) /文京区春日2丁目
荒木坂 (NO.32) /文京区小日向1丁目
庚申坂 (NO.31) /文京区小日向4丁目

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気がつけば2005年に書いたスペイン坂(NO.23)の続きというかなんというか。
前は坂下からテクテク歩いたパターンだったので、今回は坂上からなんとなく足元を気をつけながら2005年の時には載せていないアングルで写真を撮りつつ、坂道を下りながら、スペイン坂を歩くなら冬より今頃から夏にかけての時期がなんとなくいいだろうなあということで、ぶらりと散歩してみました。


スペイン坂(NO.23)その2_1w


見てのとおりスペイン坂の坂上の風景です。
まあどちらかというと「渋谷スペイン坂」と言ったほうがピンと来る場所かもしれません。
おそらく現地では、右側に派手に見えているシネマライズというミニシアターの建物のほうばかりに目がいってしまい坂道のほうは気がつけばあったのねという感じで、道幅も狭く、坂下とのあまりの高低差(ウィキペディアによると3.5mくらいあるらしいです)のためか、ここから坂道の様子はほとんど見えず、人の流れや姿がずんずんと現れては消える様子から、なんとかここは階段なんだなあと感じる場所なのかもしれませんね。




スペイン坂(NO.23)その2_2w


それで、人の流れに吸い込まれるように坂上あたりまでやってくると、こんな景色が広がっていました。
坂上から見えるのはビルの壁ばかりだったので、自然と坂下のほうへと視線がいくのですが、そうすると坂下から階段を上ってくる人と目があったりとどこを見ていいのかわからない感じでした。
そんなこともあり実際に歩いている時は、道の狭さと人の行き来の多さにまわりの景色をあまり楽しむことはできなかったんですけど、こうしてあらためて写真で見ると、この階段てS字にくねくねとカーブしていていたんですね。
あっ、ということは、案外、スペイン坂の頭のSとこのS字カーブの階段のSという文字は見えない何かでつながっているんですかね。。
でも実際のところは、この坂道の名を命名した方がスペイン好きだったことから名付けられたみたいですけどね。


ということで、今回の話は“とある街の風景”シリーズにまわそうかとも思いましたが、やっぱり坂道カテゴリーのほうで、ひさしぶりにさらりと取り上げてみることにしましたよ。



地図
渋谷区宇田川町

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所在地:港区虎ノ門5


西久保八幡と書いて”にしくぼはちまん”と呼びます。
前に取り上げた、三年坂 (NO.59) や 雁木坂 (NO.58) もすぐそばにある坂でもあります。


西久保八幡01
坂下より

見てのとおり神社の境内にある坂というか階段とスロープです。
右側の階段が男坂で左側のスロープが女坂ですね。


西久保八幡02
男坂の坂上より

男坂の坂上というか階段をのぼりきったところからのものです。
坂下であり神社の入口は、桜田通りに面していたりいます。
なので、正面の道路が桜田通りですね。
それにしても、ここの神社の階段もかなり急でした。


西久保八幡03
西久保八幡神社

坂上の神社です。
詳しく書くと坂道話というより神社話になってしまいそうなので書きませんが、なにやらここも歴史深い神社のようでしたよ。
しかも、公式HPもありました。
http://www.hachimanjinja.or.jp/index.html

そういえば、写真では見えていませんが、この写真のちょうど神社の向こう側にあのかわった建物である霊友会の建物があったりしましたよ。

ちなみにここには、いつものような坂の碑はありませんでした。


西久保八幡04
女坂の坂上より

車が一台やっと通れるくらいの幅の坂道でした。
右手のビルがやたらと近くに感じて気になりましたが、意外と雰囲気はわるくなかったです。


西久保八幡05
女坂の坂下より

坂下からみるとけっこう普通ですね。(笑)
あと、この西久保という名は、この近くにある愛宕山の西方にある窪地という意味からきているらしいですよ。




地図
港区虎ノ門5

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所在地:港区麻布台1


その名のとおり、さんねん坂と呼びます。
別名で雁木坂ともいい、また三念坂ともいうそうです。

前回とりあげた雁木坂とは、坂上でつながっており、三年坂のとなりに霊友会の建物があることからも、歩いてすぐの場所にありました。


三年坂01
坂上より

写真のように、右手に霊友会の建物が見えていますね。
この坂は、しっかりと整備されていました。


三年坂02
坂上あたり

そして、うしろを振り向くとこんな感じでした。
霊友会の建物の風変わりな壁と高い塀にかこまれた道という感じで、けっこう印象にのこる道だったかもしれませんね。


三年坂03
坂の途中より

坂上からの眺めですね。
坂上からの道に対して直角に曲がるとこんな景色が広がっていました。
坂の勾配ぐあいと、景色のひらけ具合は、すごくちょうどよい感じで、道の整備もかなりしっかりされていましたよ。
それにしても、なかなかきつい勾配な階段ですね。


三年坂04
坂の途中からの眺め

でも、そのおかげかさっきの場所からふと横を見てみると、これまたなんともいえない景色が見えていました。
普通の住宅にはじまり、高層マンションあり、左手にはインテリジェントなビルも見えたりと、ほんと、なかなかおもしろいです。
しかも、なんだか懐かしさも感じさせてもらえる風景でした。

ここにも坂の由来が書かれた坂碑のような標識があり
『いつのころよりこの坂がそう呼ばれたのか、誰に名づけられたのか定かではありません。しかし、東京が江戸と呼ばれていた時代には無名ではあります。すでにこの坂がありのち石段になったようです。また、三年坂は別名三念坂などとも呼ばれ、同じ名前の坂が他に数箇所あります。
京都清水寺のそばに同名の坂があります。昔の人が遠くふるさと京都をしのぶ気持ちを坂の名前に込めたとしたらロマンでしょうか。』
とありました。

また、「新撰東京名所図会」にもこの坂のことがきちんと書かれてあり、昔からそれなりにこの場所は、有名だったのかもしれませんね。


三年坂05
坂下より

坂下より見上げると、またまた坂のさらに上に印象的な霊友会の建物とその壁が見えていました。
なんだか建物の壁もだんだんなので、そのまま空まで歩いていけそうな感じでしたよ。


三年坂06
坂下あたり

坂下あたりのものですが、道は普通な感じなのですが、やっぱり正面の高層マンションがやたらと気になりました。



地図
港区麻布台1

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所在地:港区麻布台1あたり


がんぎ坂とよぶそうです。
別名で岩岐坂とも書くそうです。
坂下をちょっとだけ歩くと桜田通りにでることができ、また坂上からもこの麻布界隈らしい細目の道を少し歩くと前回の榎坂の坂の途中あたりにでてきたりします。


雁木坂01
坂上より

ここは、坂道なんですが実際は階段ですね。
しかも見てのとおり急階段でした。
また坂にちょうどうまく覆いかぶさるように緑が青々と生い茂っていたのもなかなか雰囲気がよかったです。


雁木坂02
坂の途中

坂の途中には、こんな感じで小さな抜け道もあり、まわりの建物の雰囲気とあいまってなかなか良い感じになっていました。


雁木坂03
坂下より

坂下からの様子ですが、なかなかバランスのいい階段ですよね。

そして、ここには、例のごとく坂の碑があり、
『階段になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角に組まれていたから等ともいい、当て字で岩岐坂とも書く。』
とありました。

また、「江戸東京坂道辞典」によると、島崎藤村の「江戸繁昌記」に
『この附近には新開の町なぞにないやそうな特色の深い小路もある。飯倉二丁目の裏手に隠れてゐる路次、飯倉三丁目にある熊野神社の近くから旧天文台の方へ登らうとする細い坂になった小路なぞは、私の好きなところだ。旧稲葉邸の角から我善坊の方へと通ふ静かな横町も悪くない。就中、この辺の昔を語ってゐるのは飯倉二丁目の雁木坂であらう。坂の中をガンキといふそのいはれはよく分らないが、駕籠で往来した時代の名残をそこにありありと見ることが出来る。足を踏みしめ?昇降したらしい駕籠かきの歩いた道は、あの刻んであるやうな古い石畳みの階段に残ってゐる。』
とありました。(かなり長くなってしまいました。(汗))

ということで、この文からも昔は今以上に風情のある坂だったのかもしれませんね。


雁木坂04
坂下全景

あと坂下にものすごい建物がありましたよ。
写真右手にすこし見えているのが、それです。


雁木坂05
霊友会釈迦殿

正面からみるとこんな感じ。
”霊友会釈迦殿”という建物で、要は宗教施設のようですね。
なんだかよくわかりませんが、すごい迫力です。
遠くからでも見えるので、このあたりを通ったかたなら一度くらいは目にしているかもしれませんね。
ちなみにこの建物、あの竹中工務店の設計とのことですよ。
しかも、検索していたら、竹中工務店のHPに、英国の人気ロックバンド''デュラン・デュラン''のジョン・テーラーさんとサイモン・ル・ボンさんが、東京タワーから眺めた「霊友会釈迦殿」のデザインに惹かれ、1987年にぜひその設計者に会いたいと、実際に会社に訪問までしてしまったというエピソードなんかもあったそうですよ。

ということで、だいぶ話がそれ気味になってしまいましたが、このコジンマリとした坂をおりると、この建物がば〜んと現れたときには、さすがにえ〜という感じでした。(笑)




地図
港区麻布台1あたり

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所在地:港区麻布台1あたり


えのきざかと呼ぶそうです。
まえにも、同名の榎坂がありましたが、ここも同じ名前のようですね。
前回の土器坂ともうひとつの榎坂とは、坂下でつながっています。


榎坂 (NO.57) 01
坂下より

なかなかいい感じでカーブしている坂でした。
ちょうどこの左手には、土器坂でも取り上げたノアビルがあったりします。
また、正面に、豪華な塀のむこうにモコモコと生い茂った木がたくさん見えていますが、ロシア大使館のようでした。
そのためか、警察の方もけっこうまわりにいましたよ。


榎坂 (NO.57) 02
坂の途中より

坂の途中より坂下を眺めたものです。
正面にS字を描くように榎坂とつながっており、またそのちょうど真ん中あたりに交差点がみえていますが、それが桜田通りです。
なので右手には土器坂があることになりますね。


ちなみにここには、坂の碑はありませんでしたが、例のごとく”江戸東京坂道辞典”に
『「続江戸砂子」は「榎坂 かはらけ町四辻より六本木へ上る坂なり、大木の榎ありしゆへとぞ、古江戸図に榎町とあり」とし、・・・(略)・・・』
とありました。(略の部分はあまりに長いし、かなり古い文体だったため省略してみました。)

また、このあたりは、島崎藤村の「大東京繁盛記・山手篇」という本でもでてくるそうですよ。


榎坂 (NO.57) 03
坂上あたり

左手には、ロシア大使館が見えています。
そして、いい忘れていましたがもうこのあたりの道は外苑東通となっているようです。
道路の両サイドに生い茂った木が印象的でした。


榎坂 (NO.57) 04
坂上より

坂上から坂下を眺めたものですが、この位置からならばっちり東京タワーが正面に見えていますね。
またノアビルもけっこう印象的にみえていますね。




地図
港区麻布台1あたり

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所在地:港区麻布台2あたり



かわらけ坂と呼ぶそうです。
また別名で、“かわら毛坂”(このかわらは漢字で変換できなかったためひらがな表示になっています。)や“河原毛坂”ともいうそうです。

前回の榎坂とは坂上でつながっている坂です。


土器坂01
坂下より

かなり幅ひろいですがこれが土器坂ですね。
しかもこの道は桜田通りそのもので、正面右手の白いビルの向こう側が前回の榎坂です。

なんか正面にへんな建物も見えていますね・・・。


土器坂02
熊野神社

坂の途中には、ビルの合間に、写真のような熊野神社という神社がありました。

大通りで背の高いビルが建ち並ぶなかほっとするようなたたずまいの神社があったものでなんとも気がひかれてしまいましたよ。


土器坂03
タワー

また坂の途中にふとビルの合間から東京タワーも見えていました。(喜)
やっぱり近いですね。


坂の碑のようなものはなかったようでしたが、“江戸東京坂道辞典”には、
『「江戸砂子」はこの坂を「むかし渡辺綱三田にありし時、此所を過るに馬五郎の引ける馬を見て求めたり。此馬かわら毛にて類なき名馬なり。それよりかわら毛坂といへり、いつの程にか、器(かわらけ)坂と云ふ。町もかはらけ町といふなる」としている。坂下の赤羽橋の赤羽は「赤埴」の転化で(赤土)で焼物をつくる人々が住んでいたのが土器の起源だという説が有力で、・・・・(略)・・・。』
とありました。


土器坂04
坂上より

坂上からのものです。
とにかく広い坂道で、遠くまでビルに囲まれた感じのする道でした。

また写真からもわかるかもしれませんが、周辺のビルひとつひとつの建物の壁の色がみごとなほどに違っているのがなんだか歩いていてすごく気になりましたよ。(汗)


土器坂05
ノアビル

また坂上からの写真のちょうど右手に、なかなか変わったビルがありましたよ。
ノアビルといって、建築家の白井晟一氏と竹中工務店の共同設計によるものらしいです。
しかも低層部の茶色い部分はショールームなんだそうですよ。

現地では気づきませんでしたよ・・・。(汗)




地図
港区麻布台2あたり

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所在地:港区芝公園3あたり



えのきざかと呼ぶそうです。(※下記の追伸参照。)
坂上をつらつらと歩くと東京タワーわきの道へとつながる坂で、前回の“東京タワーの坂”とは同じ道ともいえますね。


榎坂01
坂下より

坂下あたりは、かなり広々としていて、桜田通りと面していることもあり交差点と化していました。
また右手には東京タワーも見えているのがこの場所の特徴のひとつかもしれませんね。


榎坂02
坂の途中より

坂の途中には、写真のように、聖アンデレ教会や聖オルバン教会というのが立て続けにあり、坂の雰囲気を盛り立てているようでしたよ。

手前の建物が聖アンデレ教会で、その奥の茶色の建物が聖オルバン教会ということですね。


榎坂03
聖アンデレ教会

あとこの教会は、建築家の香山壽夫氏による設計なんだそうです。

ちなみにこのかた大学時代、僕の母校で先生をやっておられた方だったもので、直接の指導教員ではないのですが講義はまじめに受けた方なので、かなりなじみの深いかたでもあるんですよ。

HP:聖アンデレ教会  



榎坂04
聖オルバン教会

またこの建物も、なかなかおもしろい建物でアメリカ人建築家であるアントニン・レイモンド氏の設計による教会のようですね。

HP:聖オルバン教会  


また、この坂道のことについて“江戸東京坂道事典”によると、
『「紫の一本」に、「榎坂 増上寺裏門通り、切り通しより金地院の前を通り、牧野飛騨守殿屋敷前より下の坂を云ふ。此坂を下れば四辻あり」と書かれている。 ・・・(略)・・・   坂下の交差点、つまり飯倉の四つ辻を渡れば、さらに同名の榎坂があるが、こちら側の榎坂の名はいまでは忘れさられているようだ。』
とありました。


榎坂05
坂上より

坂上からみると、まあ坂下ほどのインパクトはありませんが、適度な道幅と微妙にカーブしている感じやほどよい勾配ぐあいにくわえて遠景にみえているビルの様子などが、うまくあいまって良い雰囲気をかもしだしいるように思いました。



地図
港区芝公園3あたり


追伸(2013/0324):はじめにまわった時は坂の碑はなかったので書籍からの引用でしたが、現在は坂の碑があり、ここは「永井坂」というのが正しい坂名らしいです。)

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所在地:新宿区市谷八幡町


前回の男坂のとなりにある坂で、街の高台にある神社には、男坂があれば、それにあわせて女坂があることはよくみられる組合せの坂なのですが、ここにも女坂はありました。
おんな坂と呼べばよいそうです。


市ヶ谷八幡の女坂1
坂上あたり

見ての通り、スロープになっていて神社と隣地との間をぬうようにあり、男坂にくらべたら明らかに緩やかな坂ですね。


市ヶ谷八幡の女坂2
坂下より

車も通れるようになっていました。
となりは一般の民家ですね。

またこの市谷亀ヶ岡八幡宮は、あの広重の絵にも描かれている神社だそうです。


市ヶ谷八幡(広重画)
市ヶ谷八幡(広重画)

せっかくなので、“財団法人 東洋文庫”というサイトにあった広重の絵をお借りして、載せてみました。
この絵は今の市ヶ谷駅あたりから外濠方向をみたものですね。
おそらく右上あたりにみえているのが、市谷亀ヶ岡八幡宮なんじゃないでしょうかね。




地図
新宿区市谷八幡町

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所在地:新宿区市谷八幡町


場所は市ヶ谷駅からすぐの場所で、外堀通りと靖国通りがぶつかるあたりのそばの市谷亀ヶ岡八幡宮の境内にあります。

おとこ坂、おんな坂といって、街の神社によくみられる組合せの坂ですね。

前回の左内坂のすぐとなりに位置し、だいぶ前に書いた、市ヶ谷の防衛庁・陸上自衛隊駐屯地内にある富士見坂もすぐ近くにあったりします。
ということで、今回は、男坂のほうです。


市谷八幡の男坂1
坂下より

まさによくある神社へののぼり階段ですね。
この階段の坂のことを一般的に男坂とよぶことはご存知のかたも多いとは思います。

かなり急な坂というか階段ですね。(汗)


市谷八幡の男坂2
市谷亀ヶ岡八幡宮

神社のようすです。
ここは、文明年間(1487年くらい)に江戸城を築く際に、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請して創建された神社のようですね。

ちなみにここには、坂の碑はありませんでした。


市谷八幡の男坂3
坂上より

坂上からのものですが、ほんと高低差がすごいですね〜。
ちょっと奥まったところにあるので、両サイドのビルが気になる点ではありますが・・・。

なので正面にみえている道路が靖国通りで、そのむこうが外濠ということになりますね。



地図
新宿区市谷八幡町

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所在地:新宿区市谷左内町


さない坂と呼びます。
市ヶ谷駅からすぐの場所で、前回の長延寺坂のとなりにある坂です。
坂下は外堀通りにめんしているので、なんとなく、ああ、あの坂〜と記憶している方もいるかもしれませんね。


左内坂1
坂下より

見ての通りかなり急な坂です。
勾配といい道の幅といい、いい感じでした。


左内坂2
坂の途中より

正面にみえている道路が外堀通りですね。

ここにも坂の碑があり、
『この坂は、江戸時代初期に周辺の土地とともに開発されたもので、開発名主島田左内の名に因み左内坂と呼ばれるようになった。島田家はその後明治時代まで名主をつとめ、代々島田左内を名乗ったという。』
とありました。

かわった名前の坂だなと思っていたら、人名が由来だったんですね。


左内坂3
坂上より

これなら、かなりこの坂が急勾配だということがわかるんじゃないですかね。
でも、坂下に信号があることからもわかるかもしれませんが、ここは以外と車の通行も多かったです。

それにしても、2枚目の写真右側に見えていたキリンビールの看板がはるか下にみえていますね。(汗)



地図
新宿区市谷左内町

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所在地:新宿区市谷田町2



ちょうえんじ坂とよびます。
場所は、前回の浄瑠璃坂のすぐとなりで、坂下のすぐ近くにはJR市谷駅があります。


長延寺坂1
坂下あたり

写真のように、正面には、外濠と外堀通りがみえていますね。
現在は工事中でした。

ただ、写真の撮ったあたりから外堀通りまでの、この写真にある道は、実のところ長延寺坂と呼ぶかどうかは、はっきりしません。(汗)


長延寺坂2
坂の途中より

一枚目の写真の右側にあたる場所です。
ここから上は、長延寺坂と正式によんでもだいじょうぶみたいですよ。

また、ここにも坂の碑があり、
『昔、この坂の上に長延寺という寺があった。そこに参詣する人々が、この坂を通ったことから自然にそうよばれるようになったという。』
とありました。


長延寺坂3
坂上より

まわりの雰囲気は、市ヶ谷駅から近い場所のわりには普通な感じでしたが、坂下あたりの工事がおわったあとに、また見ると違った印象になるのかもしれませんね。

あとは、この長延寺坂の坂下がどこまでなのかということがわかればよかったのですけどね。




地図
新宿区市谷田町2

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所在地:新宿区市谷田町2



じょうるり坂とよびます。
前回の芥坂の坂上をつらつらと外堀方向へ歩いていくと、この坂の坂上とつながっています。


浄瑠璃坂1
坂上より

写真のように閑静な住宅街のなかにあり、ほぼまっすぐな坂道ですね。
道の幅も適度な感じで、勾配も良い感じでした。


浄瑠璃坂2
坂の途中より

ここにも坂の碑があり、
『坂名の由来については、あやつり浄瑠璃が行われたため(「紫の一本」)、かって近くにあった光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主であるため(「再校江戸砂子」)、などの諸説がある。江戸時代、坂周辺は武家地であった。この一帯で寛文十二年(一六七二)に「浄瑠璃坂の仇討」が行われ、江戸時代の三大仇討の一つとして有名である。』
とありました。

また、坂碑の最後の一文にあるように、このあたりで宇都宮藩士たちによる“浄瑠璃坂の仇討”と呼ばれた事件があったそうで、“新宿区商店会連合会”さんのHPによると「かつて元宇都宮藩奥平家の家老奥平隼人の屋敷も、この坂の途中にあった。寛文12年(1672)2月2日の明け方、総大将奥平源八(15才)は、41名を引きつれて屋敷になだれ入り、ついに牛込土橋付近で隼人(42才)を討ちとる。子が父の恨みを晴らしたわけであるが、父とは、やはり元宇都宮奥藩奥平家の家老であった内蔵充で、隼人とはいとこ同士である。およそ30年後の赤穂浪士の事件がおこるまでは、源八の美少年ぶりもあって、仇討ちといえば「浄瑠璃坂の仇討ち」を指すほど有名な事件であったという。(そのまま抜粋させていただきました。)」
とあり、かなり驚きの歴史を知ってしまいました。

あと、実はこの「浄瑠璃坂の仇討ち」という本までありましたよ。


浄瑠璃坂3
坂下あたりより

そして、坂下あたりの風景ですが、なかなかいい感じですね。
ここをもう少し下ると、外堀通りにでることができる場所ですね。




地図
新宿区市谷田町2

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所在地:新宿区市谷鷹匠町



ごみ坂とよびます。
前回の鰻坂からけっこう近い場所にあります。


芥坂1
坂上より

坂上からのものですが、見ての通り道幅もせまくちいさな坂道ですね。
というか、階段なんですが。


芥坂2
坂下より

坂上からみるとなんてことない感じでしたが、坂下からみるとけっこういい感じの坂ですね。
ここには、坂の碑はありませんでした。


芥坂3

ただ写真のようなプレートがあり、ここが芥坂であることがわかりました。

いろいろ調べてみると、「神楽坂まちの手帖」さんのHPに
「百万の人口を抱える頃の江戸は、各家がゴミを埋めようにも穴を掘る場所などすでになくて、ゴミ問題は、現代と大差はなかったらしい。この坂下に集積所である芥溜ができ、毎朝、専任の人足が来て揚場町あたりのゴミ取り舟まで運んでいたのだろう。(そのまま抜粋させていただきました。)」
とあり、この坂の名前も、このあたりからつけられたのだろうと書かれています。

いまでいうかっての坂下は、ゴミ処理場のような場所だったんですかね。


芥坂4

ここの坂道のすこし変わったところといえば、この写真のように坂下に歩道橋が直結しているところですかね。


芥坂5

歩道橋からちょっとまわりをみると、こんな感じでした。
これらの写真から想像できそうというか、ちょっと思ったのは実はこの坂って昔はもっと長かったのかなあと。

今は歩道橋になっていますが昔はこの階段(というか坂道)が歩道橋の下まで通じていたけど、私有地なので道を通すことがゆるされず、苦肉の策で歩道橋がついたのかもなあと、地図と写真みながら思ってしまいました。

まああくまで推測のお話ですけどね。



地図
新宿区市谷鷹匠町

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所在地:新宿区市谷砂土原町3丁目



うなぎ坂とよびます。
前回の歌坂とは、坂下を牛込中央通りをつらつらとすこし歩くとあるというかなり近い場所にあります。
住所は、新宿区市谷砂土原町3丁目あたりで、これまた歌坂と同じですね。


鰻坂1
坂下あたり

写真のように普通な感じですね。

ここにも坂の碑があり、
『坂が曲がりくねっているから鰻のような坂だ、という意味から鰻坂とよばれた。「御府内備考」の払方町の項に「里俗鰻坂と唱候、坂道入曲り登り云々・・・」と記されている。』
とありました。

この写真の正面あたりはわかりにくいですが、S字にクランクしておりそのあたりのことが由来となっているようですね。

ただ、そこのクランクの写真は、今回は撮っていませんです・・・。

実は、この坂にあった新しい坂の碑が、上の写真の左側に写っていますが、行ったときは撮った側も坂になっており、道路をへだてたこちら側が本当の鰻坂か、はたまた向こう側が本当なのかわからずクランクのある場所(写真でいう正面奥のことです。)までいかなかったためですね。

でも、写真をよくみると本当の鰻坂側の道の両サイドは、どうやら立地的に坂の碑がたてにくそうな感じですね。
そんなことから、今の位置に坂の碑ができることになったんでしょうかね。(わかりませんが・・。)



地図
新宿区市谷砂土原町3

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所在地:新宿区市谷砂土原町3



うた坂とよびます。
場所は、東京メトロの市ヶ谷駅から外堀通りを歩き、牛込中央通りにはいりしばらく歩いたところにあります。
住所は、新宿区市谷砂土原町3丁目あたりです。


歌坂1
坂下より

坂下に隣接して、写真のように写真右側に法政大学62年館の校舎があります。
見た感じはいたってふつうな感じで、ここが名のある坂と感じれるのは、坂の碑がわかりやすいところにあるというくらいでしょうかね。

ということで、ここにも坂の碑があり
『雅楽坂ともいう。一説には「善告鳥(うとう)(海鳥の一種)」の口ばしに似た地形であることからともいう。つまり「うとう」が「うた」になり、歌坂に転じたものであろう。』
とありました。

かなり地形的な要素からいろいろ発展して名前があてられたというわけですかね。


歌坂2
坂の途中より

このあたりは、坂下のなんとなく業務ビルらしきものが多く閑散としている感じと住宅街がまざったような雰囲気をもつ場所で、坂上にいくほど純粋な住宅街になっていくといった感じでした。

まあしいていえば、大学の校舎へとつづく通路と一体になって坂道がつかわれている感じがあり、ふつうの道にある坂とは一味ちがって、学生のときにもどった気分でふらりと歩ける坂道かもしれませんね。




地図
新宿区市谷砂土原町3

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所在地:新宿区市谷船河原町



おお坂とよぶそうです。
別名として、大坂、美男坂という名もあるそうですね。

この坂は、前回のゆれい坂からすぐ近くの場所で、坂下は、外堀通りに面している坂です。

また、坂上をつらつらと歩いていくと、これまた前に記事にした新坂の坂上にいくこともできます。


逢坂1
坂上より

この坂の坂上あたりの写真ですが、ここはみてもわかりますが、かなり高級な住宅が道の両サイドにならんでいたりします。
左側の立派な塀の奥には、地図でみるかぎりは、最高裁長官の公邸らしくお屋敷住宅でした。

まあこのあたりは、ほんとの高級住宅街といえるかもしれませんね。


逢坂2
坂の途中より

もうすこし坂をくだると突然急な坂となってきます。
そして、いい感じでカーブしていますね。(喜)

あと、この右手には、東京理科大学薬学部の校舎が見えています。


逢坂3
坂の途中より坂上をみる

写真の右手(2枚目の写真でいうと左手になります)には、日仏学院がありました。
このあたりから坂上にかけては、ほんとうに美坂といっていいくらい感じのよい坂でしたよ。

ここにも坂の碑があり、
『昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになったという。』
とありました。


逢坂4
坂下あたり

外堀通りから入ったあたりのものですが、坂下あたりはどちらかといえば普通な感じで、すぐ左にはガソリンスタンドがあります。
ただ、道すがら日仏学院へとむかう人たちがけっこういてなんとなく、あたりの雰囲気もそれっぽくなっているような感じがしました。

また写真中央のちいさな神社あたりから、坂上へと向かうあたりから雰囲気はかなりよくなってきます。

ということで、東京の坂道らしい坂のひとつに出会えたという気持ちにさせてもらえた坂でした。




地図
新宿区市谷船河原町

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所在地:新宿区若宮町



ゆれい坂と呼びます。

(「ゆ」という漢字がブログでは、文字ばけしてしまうためひらがなにしています。)

前回の新坂とは坂上でつながっている坂です。
坂上には、若宮八幡神社があり、坂下は外堀通りとつながっています。

また、地図をみて気づいたのですが、すぐとなりには、東京理科大学の校舎があったりします。


ゆれい坂1
坂上あたりより

このあたりは、いたってふつうな感じですが、このすぐ左側に若宮八幡神社があります。


ゆれい坂2
若宮八幡神社

住宅街のすきまにあるのですが、けっこう立派なつくりをしていました。

また、この神社は、鎌倉幕府の将軍源頼朝が平泉の藤原氏を平定して凱旋する途中に建立したと伝えられているそうで、なかなか有名な神社らしいですよ。


ゆれい坂3
坂の途中より

写真のようにこのあたりより、いきなり坂道の勾配が急になってきており、このあたりから坂道としてもいい感じになってきますよ。


ゆれい坂4
坂下より

この写真のとおり、坂下の外堀通りから坂にはいるとこんな感じにみえていて、道もカーブしていて坂下あたりはかなりいい感じの坂道といえるのかもしれませんね。

またここにも坂の碑があり、
『江戸初期この坂のあたりが美しい梅林があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をとったと伝えられるが、他にも坂名の由来は諸説あるという(「御府内備考」)。別名「行人坂」「唯念坂」「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。』
とありました。


ゆれい坂5
坂下あたりのようす

正面にみえているのが、外堀通りで、そのむこうが外堀、そのまたむこうにビルがみえて、なんだかこのあたりらしい風景だなあと感じたりしました。



地図
新宿区若宮町

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所在地:新宿区若宮町


前にとりあげた、地蔵坂の坂上からすぐの場所で、住所は、新宿区若宮町ということになります。


新坂1
坂上より

この坂道は、住宅街の間になにげにある感じでした。
しかし、場所が場所だけに閑静な住宅街でしたよ。

ただ日本の住宅街のさがで、写真だけではそれが感じれないかなしさはあったりしますが・・・。

でもまあ歩いてみるとわかるんですけどね。(汗)

あと、この坂上のすぐ近所に宮城道雄記念館があったりします。


新坂2
坂の途中より

ここにも坂の碑があり、
『「御府内沿革図書」によると、享保十六年(一七三一)四月に諏訪安芸守(戸田左門)の屋敷地の中に新しく道路が造られた。新坂は新しく開通した坂として命名されたと伝えられる。』
とありました。


新坂3
坂下あたりより

坂下あたりは、地図をみてもわかりますが、くねっとS字の道になっており、けっこうな勾配の坂でした。

このまま坂下のほうへ歩くと若宮八幡神社があり、しかもまたまた庾嶺坂という坂道の坂上とぶつかるということで、なんとも2つあわせればかなりの坂道といえるかもしれまんね。




地図
新宿区若宮町

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所在地:新宿区白銀町



ひょうたん坂と呼びます。
場所は、東西線神楽坂駅近くの、新宿区白銀町あたりで、白銀公園に面している坂道です。
また、坂道を坂下方面へつらつらと歩くと、大久保通りにつながっていたりします。


瓢簟坂1
坂上より

坂上あたりは、写真のようにすこし幅がせまめで、公園と閑静な住宅街にはさまれた感じでありました。


瓢簟坂2
坂の途中より

とりたててエピソードはない坂のようですが、坂の途中あたりからけっこう坂道の勾配がきつくなり坂道としてみるとなかなか悪くなかったです。

ここにも、坂の碑があり、
『坂の途中がくびれているため、その形から瓢箪坂とよばれるようになったという。』
とありました。


瓢簟坂3
坂下あたりより

それと、坂の雰囲気も以外と悪くなく、住宅街に自然とある感じで、道の幅も写真でもわかるかもしれませんが、ちょうどいいあんばいだったように思います。



地図
新宿区白銀町

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所在地:新宿区横寺町



この坂は、前にとりあげた袖摺坂の坂上をすこし歩くと、この坂の坂上あたりとぶつかります。
住所は、新宿区横寺町あたりです。

坂下のすぐそばに、東西線神楽坂駅があったりします。

朝日坂01
坂上あたり

ここにも現地に行ったときは、気づかなかったのですが、(“東京23区の坂道”さんのサイトによると)坂碑があるらしく、
『この坂の近くに泉蔵院という寺があり、その境内に朝日天神があったため、このあたりは朝日町とよばれていた。坂名はそれらに因むものである。』
とあるそうです。


朝日坂02
坂の途中より坂下をみる

この坂もいたってふつうの道で、閑静な住宅街にあります。

しかも、地図をみて気づいたのですが、この坂周辺には神社が多く点在していますね。

数えただけでも、7つもありました。
(この最後に周辺地図へリンクしているので確かめてみてください。)

またこの朝日坂は、かつて尾崎紅葉泉鏡花正宗白鳥らの近代作家が通った歴史をいまにとどめる坂でもあるそうです。(“神楽坂まちの手帖”さんのHPから参考させていただきました。)
 
 
朝日坂03
坂下より

ちょっと写真では、わかりにくいかもしれませんが、坂上は閑静な住宅街ですが、坂下にいくほど神楽坂駅に近いこともあってか道の両サイドにお店が多くでていましたよ。

なのでこの坂は、坂上と坂下でけっこう様子のかわる坂なのかもしれませんね。



地図
新宿区横寺町

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所在地:新宿区箪笥町



べんてん坂と呼びます。

この坂は、前回の袖摺坂の坂下に接している場所にあり、大久保通り上にあるという坂道です。
通り沿いにには、都営大江戸線牛込神楽坂駅の入り口があり、この通りの真下を都営大江戸線が走っているようですね。(地図をみたかぎりですが。)


弁天坂01
坂上あたりより

写真の正面やや左に、前回の袖摺坂の坂下への入り口があったりします。
また坂下をずんずんいくと神楽坂の坂上ともぶつかります。

ご覧通りこの坂は、大久保通り上にあるという以外は、見ため的にはとりたててめずらしい感じはしませんが、よく考えてみると大久保通りと一体となっている坂道っておもしろいかも。

なんでこんな風に通りと坂道が一体となってしまったか?なんて考えてみると以外と想像が膨らみそうです。

現地に行ったときは気づかなかったのですが、(“東京23区の坂道”さんのサイトによると)ここにも坂碑のようなものがあり、
『坂名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には南蔵院門前にあまざけやおでんを売る屋台が立ち、人通りも多い様子が描かれている。坂上近くの横寺町四十七番地には尾崎紅葉が明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。門弟泉鏡花、小栗風葉らが玄関番として住み、のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、誌星堂または紅葉塾と称した。』
とあるそうです。


弁天坂02

一枚目の写真より、さらに坂上に行き撮ってみた大久保通りの様子です。
ほんと普通の通りですよね。

でも以前中野に住んでいた時は、ここをたまに通ることもあったのですが、そのときはいい感じの街だなあという印象がありました。

なんとなく車やスクーターでこの大久保通りを新宿方面からぬけてくると、この牛込神楽坂駅付近ではなんか違った印象(いい意味で)を感じる場所でしたよ。





地図
新宿区箪笥町

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所在地:新宿区箪笥町



そですり坂とよぶそうです。

都営大江戸線の牛込神楽坂駅からすぐの場所で、坂下は大久保通りに面しています。


袖摺坂01
坂下より。

写真を見る限りはなんだかいい感じですよね。
たしかに雰囲気は悪くない感じでしたよ。


袖摺坂02
坂下あたり。

まあ実際にいってみると、大久保通りを歩いていると、突然写真のようにひょっこりと坂というか階段への入り口があったりします。

ここにも、例のごとく坂の碑があり、
『狭い坂道でお互いに袖を摺り合わせるほどだったという。そんなことから、誰いうとなく袖摺坂というようになったという。』
とありました。


また、“歩いてみたい東京の坂”によると、「新撰東京名図会」にも「(略)崖地に雁木を設け、折廻したる急峻の坂なり。しかも坂路は狭隘往来の人互ひに袖を摺り合わす故に名づく」と書いてあり、「府内備考」の箪笥町の町方書上や「続江戸砂子」にも、その名が記されているそうです。


袖摺坂03
坂上より。

坂上からみれば、なにげにわかりますが、かなり強引(笑)に残された感じのする坂道のようであり、階段としてみればよくありがちなぬけみち階段といった感じにも見えてしまいます。
しかし、よく見ると階段部分もきちんと整備されているのが見れますよね。

ただ、左側のトタン板のような目隠しがどうもいただけませんが・・・。(笑)


袖摺坂04
坂上あたり。

でも実際に坂というか階段をあがると、坂上はふつうの道で、住宅街なんですが、そこも袖摺坂かなと思っていちおう写真も撮っておいたのですが、すこし調べてみると階段の部分のことを袖摺坂と呼んでいるみたいですね。




地図
新宿区箪笥町

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所在地:新宿区袋町


この坂も、前回の坂とはすぐ近くで、坂下で、神楽坂の坂上あたりと合流している坂道でもあります。


地蔵坂1
坂下より

坂下あたりの雰囲気は、わるくはなく坂の勾配具合もちょうどいい感じかのように思いました。

道じたいもゆるやかにカーブしているなあと思い、坂下から歩いていくと、なにげにどんどんと曲がっていく感じで、坂をのぼっていて、楽しい感じでした。


地蔵坂2
坂の途中あたり

ここには、例のごとく坂の碑があり、

『この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。』

と、ありました。


地蔵坂3
坂上より

坂下から坂上にいくにしたがって住宅街になっていくという感じで、坂上あたりは、閑静な住宅街となっていました。



地図
新宿区袋町

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所在地:新宿区神楽坂3



前回とりあげた、軽子坂とは、ちょうど坂の途中あたりでクロスしていて、坂上では、神楽坂とつながっている坂でもあります。


三年坂1
坂上あたり

ここには、坂の碑らしいものは見当たりませんでした。

三年坂という名前ですが、これは、べつに京都にある有名な三年坂とは、関係なくですね、23区の坂道さんのサイトで知ったのですが、『江戸の坂東京の坂』という本において、ここらあたりには、寺や墓地の近くにあり、「その坂で転んだものはすぐにその土を三度なめないと三年以内に死ぬ」という迷信があったとされていたことに由来することからきているとのことです。

なんだかすごい迷信ですね。(汗)


坂上あたりは、本多横町というと通りになっていて、飲食店が建ちならんでいる通りになっています。

写真では、ふつうな感じの飲食店街という感じですが、実際はもうすこし赴きがあり、通りから路地などをみると、神楽坂らしい路地がちらりとみえたりしていました。


三年坂2
坂下あたりより



地図
新宿区神楽坂3

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所在地:新宿区神楽坂3



“かるこ坂”と呼ぶそうです。

この坂も、坂下あたりで、外堀通りとつながっていて、前回の神楽坂とは、となりどうしの位置にあります。


軽子坂1
坂下より

坂下あたりには、スタバがあるので、場所的には、みつけやすい場所ですね。


軽子坂2

またすぐ近くには、ギンレイホールという名画座がありました。

まあ今で言う、ミニシアター系の映画館といえばわかりやすいですかね。

なかなかおもむきがありますね。


軽子坂3
坂の途中より

どこからどこまでが、この坂かわかりにくかったのですが、とりあえず坂の途中にもなにげに、いろんなお店がありましたが、そのあたりのことは、地図からリンクしてもらうとして、ここにも、坂の碑があり、

『この坂名は新編江戸志や新撰東京名所図会などにもみられる。軽子とは軽籠持の略称である。
今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられた。』

とありました。


軽子坂4
坂上あたり

そして、坂上あたりには、この坂も、実は神楽坂のすぐとなりということもあり、ひょっこと路地へはいると・・・。


軽子坂5

こんな感じの景色が目にはいってきました。


軽子坂6

そして、この路地をつらつら歩くと、神楽坂の途中のお寺あたりにでてくるというわけです。

また、この坂も、神楽坂と同様、小説などでもとりあげられる坂のようですね。
(有名なところでは、夏目漱石の『硝子戸の中』みたいですね。検索したらけっこう、ひっかかってくれましたよ。)



地図
新宿区神楽坂3

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所在地:新宿区神楽坂2



文京区あたりの坂は、一休みにして、今回は、都内でもかなり有名な坂であり、一度は聞いたことあるかたもおおいであろう神楽坂をぶらりと。



ちかくには東京メトロ(地下鉄)神楽坂駅があり、駅名にも使われている坂道でもあります。

でも実際は、JRや東京メトロの飯田橋駅のほうが、坂道に近いというか直結していたりします。(笑)


神楽坂01
坂下より。



この写真のすぐ近くに各線の飯田橋駅や外堀通りがあります。

またみてのとおり、坂道ですが、ふつうの商店街のように、両サイドには、たくさんのお店が軒をつらねていました。

ここから、大久保通りにぶつかるまでを、神楽坂というそうです。



神楽坂02
坂の途中より

けっこう坂下に近い場所は、勾配もけっこう急でした。



そして、ここにも坂の碑はありました。
しかも坂の途中にいくつかありましたが、坂上と坂下にあったものによると

『坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。』

とありました。




神楽坂03
坂の途中より


この時期は、けやき並木がいい感じで生い茂っていますね。



神楽坂04


坂の途中には、写真のような毘沙門天があり、またちょっと坂道からわき道へいくと、なんとも神楽坂らしい路地がこまごまとあったりします。

うわさどおりちょっとした、小京都気分にもさせてもらえます。




神楽坂05
坂上あたり


このあたりが坂上で、信号のあたりが大久保通ですね。

今回は坂上から坂下をみても、この坂全体はみれないくらい長い坂道でした。
なので、その写真はありませんよ。(笑)




地図
新宿区神楽坂2

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所在地:文京区小石川3


さんびゃく坂と呼びます。


三百坂1_坂上



名前は、ものすごい壮大なかんじですが、坂自体は、ほんとふつうの住宅街の道といった感じでした。(笑)



ただ、この坂にも、坂碑というか標識があり、

『 『江戸志』によると、松平播磨守の屋敷から少し離れた所にある坂である。松平家では、新しく召抱えた「徒の者」を屋敷のしきたりで、早く、しかも正確に、役に立つ者かどうかをためすのにこの坂を利用したという。
 主君が登城のとき、玄関で目見えさせ、後衣服を改め、この坂で供の列に加わらせた。もし坂を過ぎるまでに追いつけなかったときは、遅刻の罰金として三百文を出させた。このことから、家人たちは「三貊坂」を「三百坂」と唱え、世人もこの坂名を通称とするようになった。』
とありました。




すぐとなりには、高校や中学があったりしますが、特に文京区の坂の標識がないと、ほんとわからないような坂でした。


三百坂2_坂下あたりより





でも、いろいろ調べてみると、近くには、「伝通院」という徳川将軍家の菩提寺として有名なお寺があり、しかも、この坂、手塚治虫の『陽だまりの樹 (1)』でも、とりあげられている坂だったんですね。




地図
文京区小石川3

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所在地:文京区春日2


この前の坂とは、坂下を通っている巻石通りでつながっているというか、歩いてすぐの場所にあります。

また、坂上からつらつらと歩くと、春日通りへとつながっていました。



今井坂1_sakaue


まわりは、閑静な住宅街なのですが、坂下あたりには、小学校が隣接していたり、坂上のほうには、あとででてくる財務省の宿舎があったりします。



この坂にも、坂碑というか標識があり、
『 『改選江戸志』には, 「新坂は金剛寺坂の西なり、案に 此坂は新に開けし坂なればとてかかる名あるならん、別に子細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711〜16) 開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。
 今井坂のおこりは、『続江戸砂子』に、「坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより 今井坂と呼ぶようになった。」とある。
 この坂の上、西側一帯は, 現在財務省の宿舎になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜が明治34年(1901)以後住んだところである。慶喜は自分が生れた,、小石川水戸屋敷に近いこの地を愛した。慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913)に没した。現在、その面影を残すものは、入口に繁る大公孫樹のみである。 』
とありました。



今井坂2_sakasita





あと、坂の途中に、写真のように丸の内線が、道の下を通っていましたよ。



今井坂3




今井坂4



地図
文京区春日2

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所在地:文京区小日向1



歩いた感じは、閑静な住宅街にある坂だなあという感じでした。


荒木坂1
坂上より



坂上をつらつらと歩くと、切支丹坂にぶつかります。

ここにも坂碑というか標識があり、
『称名寺の東横を、小日向台地に上がる坂である。
 『江戸砂子』によれば「前方坂のうへに荒木志摩守殿屋敷あり。今は他所へかはる」とある。坂の規模は「高さ凡五丈程(約15m)、幅弐軒弐尺程(約4m)(『御府内備考』)と記されている。この坂下、小日向台地のすそを江戸で最初に造られた神田上水が通っていたことから、地域の人々は、上水に沿った通りを”水道通り”とか”巻石通り”と呼んでいる。
 神田上水は、井の頭池を源流とし、目白台下の大洗堰(大滝橋付近)で水位を上げ、これを開渠で水を導き、水戸屋敷(後楽園)へ入れた。そこからは暗渠で神田、日本橋方面へ配水した。明治11年頃、水質を保つため、開渠に石蓋をかけた。その石蓋を”巻石蓋”と呼んだ。その後、神田上水は鉄管に変わり、飲料水としての使用は明治34年(1901)までで、以後は、水戸屋敷跡地に設けられた兵器工場(陸軍砲兵工廠)の工業用水として利用された。』
とありました。

後半は長いですが、簡単に言うとですね、この坂下、小日向台地のすそあたりを日本最古の水道、神田上水路(かんだじょうすいろ)が通っていたということですよ。


この“巻石通り”は、地図みてもわかりますが、今もあるようですね。



荒木坂2
坂下あたりより



地図
文京区小日向1

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所在地:文京区小日向4



前回の切支丹坂のすぐ、というか坂下でつながっている坂です。

こうしん坂と呼びます。


ここは、写真のように階段にしないといけないほどの急勾配の坂です。


坂上で、春日通りというこの地域での大通りから直接つながっているとは、思えないほどひっそりとした場所でした。



庚申坂1
坂上より



例のごとく坂の由来がかかれた坂碑があり、
『「小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂あり・・・略・・・
この坂を切支丹坂というは誤りなり。本名”庚申坂” 昔、坂下に庚申の碑あり・・・」  「東京名所図会」
 庚申信仰は 庚申の日(60日ごと) 人が眠ると 三尸の虫が人の体からでて天にのぼり天帝にその人の罪を告げるというところから、人々は一晩中夜明かしをした。この信仰は中国から伝わり、江戸時代に盛んになった。従ってキリシタン坂はこの坂の地下鉄ガードの向側の坂のことである。
 「・・・両側の藪の間を上る坂あり・・・これが真の切支丹坂なり」  「東京名所図会」 』
とありました。


庚申坂2
坂の途中


あと坂下では、地下鉄丸の内線の高架というか、なんだかわけのわからない抜け道というかトンネルがたくさんあります。

このあたりは、複雑な地形の上にできた道路とともにちょうどこのあたりが谷になっていて、そのままそこに丸の内線やその車庫ができてしまっているようで、いたるところで、トンネルの道ができてしまっていました。



庚申坂3
坂下より




庚申坂4

ちなみにこの写真のむこうが、切支丹坂ですな。



地図
文京区小日向4

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