東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道[No101〜140]
乃木坂 (NO.132)その3  / 乃木坂今昔
乃木坂 (NO.132)その2
弾正坂 (NO.140)
牛鳴坂 (NO.139)
丹後坂 (NO.138)
薬研坂 (NO.137)
新坂 (NO.136)
稲荷坂 (NO.135)
円通寺坂 (NO.134)
三分坂 (NO.133)
乃木坂 (NO.132)
檜坂 (NO.131)
本氷川坂 (NO.130)
山臥坂 (NO.129)
転坂 (NO.128)
氷川坂 (NO.127)
愛宕新坂 (NO.126)
葵坂 (NO.125)
南部坂 (NO.124)
榎坂 (NO.123)
愛宕坂[女坂] (NO.122)
愛宕坂[男坂] (NO.121)
新榎坂 (NO.120) / 港区赤坂1丁目
江戸見坂 (NO.119) /港区虎ノ門2丁目
汐見坂 (NO.118) /港区虎ノ門2丁目
霊南坂 (NO.117) /港区赤坂1丁目
雁木坂 (NO.116) /港区赤坂1丁目
鼓坂 (NO.115) /港区赤坂1丁目
桜坂 (NO.114) /港区赤坂1丁目
長垂坂 (NO.113) /港区六本木3丁目

今回は、たびねすで記事を書いていて、いろいろ追記したい事柄がでてきたこともあり、乃木坂 (NO.132)の続編でも書いてみたいと思います。


乃木坂今昔1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
坂の途中で、乃木坂トンネルにもぐる道と左に曲がり新しい部分の乃木坂に向かうところの写真ですね。

トンネルの上の部分は乃木坂陸橋とも呼ばれていて、昭和49年3月に完成したとのことです。
昭和49年?あれ?けっこう最近という感じですよね。


乃木坂今昔2
写真2

そこでこれなのですよ。(写真2)
たびねすの記事では、こういう昔の写真やら浮世絵を説明に使うことがNGなので、載せれなかったのですが、こんな風なかつての乃木坂の写真が、「江戸の坂 東京の坂」という本の中にあり、ちょっと拝借。
おそらく写真2は、写真1と同じ方向で、坂の途中から坂上方向を見てみたものと推測されます。
要はトンネルできる前の乃木坂ですね。
時期的には、「江戸の坂 東京の坂」の巻末に、これらの写真は昭和35年から42年にかけて著者が撮影したものと書かれていますので、だいたいそれくらいの時期のものだと思われます。

また今の乃木坂はかつて、幽霊坂という名前だったことはたびねすの記事でも書きましたが、「江戸の坂 東京の坂」の説明によると、実はそれ以前、行合坂やら膝折坂とも呼ばれていたそうですよ。
なので、本の説明部分を抜粋させてもらうとですね、
『『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記してある。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近吾堂版)には、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』
とありました。

ということは、「幽霊坂」の前の名前が「行合坂」で、別名で「膝折坂」とも呼ばれていたという感じなのですかね。

あとは、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」という本には、『『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。』なんてことも書かれていて、新撰東京名所図会は、明治時代の書物なので、これを加味すると、行合坂→幽霊坂→なだれ坂→乃木坂、という具合の名前変更の歴史があるのかもしれないですね。(汗)


乃木坂今昔3new
古地図1

せっかくなので、古地図も見てみましょうかね。(古地図1)
画像の部分で、赤く塗った部分が乃木坂で、今も昔も変わらない位置にあります。
で、青でうすく塗った部分が、現在の外苑東通りということになりますかね。
古地図を見ると乃木坂の西側つきあたりに「八幡宮」というのがありますよね。これがまさに『竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。』の部分なのではないですかね。


乃木坂今昔4new
古地図2

さっきのは「東都青山絵図」のほうだったのですが、こちらは「赤坂全図」のほうですね。(古地図2)
地図でいえばちょうど端っこのかぶっているエリアに乃木坂はあるみたいで、こちらの地図はどちらかといえば、乃木坂の東側エリアが詳しく記録されているもののようですね。
そして、これをみると赤くぬった部分の乃木坂のちゅうど真ん中あたりに「妙福寺」と書いてあります。なので、これが『この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』の部分で、幽霊坂と命名される元となったお寺もちゃんと地図に残っていて、実際にあったということですよね。


乃木坂今昔5

地図

そんなわけで、現代の地図(Googleさんの地図を拝借)に江戸時代の乃木坂の位置を描いてみるとこんな具合になりそうでした。
ちなみに、ちょうど今のギャラリー間のあるTOTO乃木坂ビルのあるあたりを緑で囲ってみました。古地図1を振り返ってみると、お寺があった位置とかぶりそうですね。
まあだからなんなんだという話でもありますけど、僕としてはギャラリー間に訪れるたびにいつも、ビルの前の道がへんなつくりだなあと思っていたのですが、こうして古地図で振り返ってみると、かつての古道は紫の色で塗った部分であったわけで、そういう意味では、このローターリーみたいになっていた場所(乃木坂駅への入口もありますよね)もそういう歴史があったのだなあとちょっと納得したわけだったのですよ。

あとは、写真2では坂道が二手に分かれていて、かつての乃木坂が、どちらかなのかは今でもわかりかねますし、この風景だって江戸時代の時とは違うのかもしれませんよね。
ただ、なんとなく今の乃木坂のトンネルと右側の階段、左側の坂道のつくりをみるとその名残りもあるのかなあと思いつつも、こればかりはもうちっと調べないとわからないところですかね。

ということで、今回はこんな感じです。


住所
港区赤坂8あたり

そういえば、だいぶ前に歩いた乃木坂 (NO.132)ですが、実はまだ坂上のほうの写真を撮っていなかったことを急に思い出して、このまえちょうど六本木界隈をぶらつくついでに行ってきました。


乃木坂 (NO.132)その2_1
写真1

以前のエントリーみてもらうとわかりやすいかもですが、前はここから坂下(奥へ)へとくだる場所を乃木坂と思っていたので、そこまでしか調査してなかったのですが・・・。


乃木坂 (NO.132)その2_2
写真2

今回はそこから外苑東通りへと合流するまでの乃木坂の風景をぱちぱちと記録してみたわけです。
そして、写真2が坂の中腹からの様子ですよ。
ちょうど右側の橋の上を外苑東通りが走っていて、この高さの分がイコール高低差ということになりそうですかね。
見た目的にも坂の途中で左にギュッとカーブしていて、アイストップの位置に外苑東通りにも隣接している樹木が見えていて、その奥にはヒルズもという感じのなかなかの雰囲気の場所だったかもです。


乃木坂 (NO.132)その2_3
写真3

次は、坂をのぼりさっき遠くに見えていた樹木がすぐ間近に見えるあたりまでやってきて坂上のほうを眺めてみました。
いい感じでカーブしながら上っていますね。
またよくよくじっとこの景色をみると、実は左のビルのファサードもこの坂のカーブにあわせるようにギュニューと曲がっていましたよ。
なんていうかなかなかのお心遣い。(笑)


乃木坂 (NO.132)その2_4
写真4

見上げてみるとこんな感じ。
そして、ここのビル名は「SME NogizakaBuilding」というそうです。(写真3でもちらりと見えているんですけどね。)
ということで、実はここ、最近は乃木坂で検索すると必ずぶちあたる(笑)、乃木坂46というアイドルグループの名前の由来にもなったビルだそうですよ。(ただ建物の箱自体は特に関係はなさそうですけどね。)


乃木坂 (NO.132)その2_5
写真5

さらに坂を上り、坂下のほうをみるとこんな感じでした。
こうして見ると道が赤というかオレンジというか。。
そっちのほうが気になったりしました。


132)その2_6
写真6

そして最後は坂上のほうからぱちりと一枚。
もうここまでくると左側を走る外苑東通りともほぼ同じ高さレベルというのもわかりやすんいじゃないですかね。
車でここ通るとおもしろそうなカーブ具合かもですね。

ということで、乃木坂 (NO.132)の続編はさらりとこんな感じです。


地図
港区赤坂8あたり

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所在地:港区赤坂4と元赤坂1


だんじょう坂と呼ぶそうです。
場所は、牛鳴坂 (NO.139) のある道沿いをさらに坂上とつたつらと歩いていくと、弾正坂の坂上あたりにやってきます。


弾正坂 (NO.140) 1
坂上より

坂上からのものですが、見た感じはそれほど勾配具合もない感じでしたが、左側には建物がまるでないので、なんだか落ち着かない感じだったのですが、本来ここにあった赤坂署は、現在、建替えの真っ最中みたいで、なーにもないのっぺらな土地でした。
あと、正面には青山通りが見えていましたが、普通なら、今回の坂道は青山通りにぶつかった時点でおわり・・・、ということになりそうなものなのですが、今回の弾正坂は、写真でもすこし見えていますが、さらに通りの向こう側まで続いていたりするんですよ。


弾正坂 (NO.140) 2
坂の途中より

そんなこともあり、いっきに青山通りを渡り、そこから坂上のほうを眺めたものですが、やっぱり青山通りは幅が広い道路ですね。
しかも、歩いていると、ふと見つけてしまったのですが、なんと高級和菓子(僕の中ではようかんのイメージが強いですが)で有名なとらやの本店が、坂の途中にありましたよ。
いちおう、写真でも、左手に大きく「やらと」と書いてあるので、わかりやすいかもしれませんが。。


弾正坂 (NO.140) 3
坂の途中より2

今度は、2枚目の写真の位置あたりから、ふりかえり坂下の方をみたものですが、ちょうどこの道は、左側に赤坂御用地、右側に豊川稲荷にはさまれており、そこをぬけていく坂道だったりします。(実は、とらやのあたりから青山通りとあわせて坂下のほうを撮れば一番わかりやすくて印象的な感じだったのですが、どうやら、とらやに気をとられて、その一枚は撮り忘れたみたいです(汗)。なので、また機会があれば撮ってきますね。)


弾正坂 (NO.140) 4
坂の途中より3

そして、さらに坂道をくだり、坂上のほうを見たものですが、青山通りのあたりから見た時には、坂上と坂下でけっこうな高低差があるように思えたのですが、そのぶん道がけっこう長いようで、以外と勾配具合はゆったりしているようでした。
また、左側には、豊川稲荷の立派な石垣が見えていました。


弾正坂 (NO.140) 5
坂下より

そいでもって、やっと坂下までやってきました。
ここからみると、坂上から見たときは若干並び方がぱらぱらして見えていた感があった右側に見えている街路樹が赤坂御用地内の木々とまざりあってけっこう印象的な風景に見えたかもです。
また、途中でなんども見えていたミッドタウンのビルが、ここから見るとやたらと気になったりもしました。

ちなみに、ここにはいつもの坂の碑があり『西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた。』とありました。



地図
港区赤坂4と元赤坂1

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所在地:港区赤坂4


うしなき坂とよぶそうで、別名で牛啼(うしなき)坂とも書き、皀角(さいかち)坂とも言うそうです。
場所は、丹後坂 (NO.138) の坂上をつらつらと北上していくと、ちょうど牛鳴坂の坂上あたりにぶつかる坂道です。


牛鳴坂 (NO.139) 1
坂上あたり

坂上あたりの様子ですが、このあたりはほとんど平坦で、坂道自体は、ここから左にカーブするように下っていっています。
あと正面に見えている電話ボックスのあたりを右に曲がる道があるのですが、ここをそのまま道沿いにまっすぐ南下すると丹後坂 (NO.138) の坂上ということになります。


牛鳴坂 (NO.139) 2
坂上より

そして、すこし歩き、坂上まできてみると、正面に青山通りが見えていることからも、ここからはすでに坂全体が見えていました。
ここから見る分には、勾配具合も適度な感じでしたが、ちょっとばかり空を見ようと思うと、なんだか道路いっぱいまでせっかちにつくられた近代的なビルが左側に見え、あれれと思い、道のほうへ視線を戻すと、今度は右側に立派な石垣を配したゆったりとしたつくりの白い建物が気になったりと、ちょっとした抜け道と一言では片付けられないような、なにかがあるような気がした風景だったかもです。

ちなみにここには、いつものような坂の碑があり、『赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう。』とありました。


牛鳴坂 (NO.139) 3
坂下より

そんな感じであっという間に坂下まできてみました。
とりあえず、坂道の幅や勾配具合のバランスはいい感じかなあと思いつつも、右側のビルのあまりの背の高さが気になる感じでしたが、まあこのすぐ後ろが青山通りだし、仕方ないのかなあと思いつつも、ちょっと歩いていて気になったことが・・・。


牛鳴坂 (NO.139) 4
謎のガードレール

ちょうど3枚目の写真の坂の途中の歩道のさらに左側に、ちょっと人が数人歩いていて見えにくいのですが、なんだか気になるガードレールを発見しました。
写真はそれを拡大したものです。
なんかここだけ立派なガードレールがあったのですが、はっきりいってなぜこんなものがあるのか”?”でしたが、まあ軽く考えれば壁と歩道のあいだにちょっとした隙間があり、坂を上るほど、その深さが増していたので転落防止のためだとは思いますが、坂道を歩いていて全体の景色というか流れからこのガードレールをみるとどうしても不思議さがぬぐえず、やっぱり、あれれ?という感じでした。


牛鳴坂 (NO.139) 5

あっ、そうそう、3枚目の写真でもちらりと見えていますが、坂上あたりにかわったものがあったので、ぱちりと。
まあ、なんていうか、金色のラクダ(目立てばOKという意味ではなく、なんだかあまりにもふつうにそこにあったオブジェのようなものという意味なのですが、やっぱり目だっていますね・・・)と坂の碑、そして、その奥に見える一面緑に覆われた建物があったもので。。
あと、このあたりにあったのかどうかわかりませんが、江戸時代にこの坂道は定火消組屋敷前の坂道だったらしく坂上に火の見櫓がそびえ建っていたらしいですよ。



地図
港区赤坂4

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所在地:港区赤坂4


たんご坂と呼ぶそうです。
場所は、ちょっと入りくんだ場所にあるのですが、わかりやすい地点で言うと、赤坂サカス前から一ツ木通りを北へと向かい、さらにその通りから左折してすこしばかり西へ歩くと今回の坂下あたりにくる階段坂です。


丹後坂 (NO.138) 1
坂上あたりより

坂上あたりの様子ですが、ここから見える感じではなにも坂道が見えていないのでなんですが、今回は(上の説明とは違うのですが・・・)坂上のほうからテクテクと歩いてきたこともあり、このあたりにくると、なにやら木がたくさん茂っていて、おっ、なんか抜け道があるぞ、という感じでした。
あと、正面に見えている高層ビルは、ちょっとぱっと見た目ではわかりにくいですが、地図で確認してみると赤坂サカス内にあるBIZタワーのようでした。


丹後坂 (NO.138) 2
坂上より

ここから見ると、坂道というか階段が一望できたのですが、まあなんというか、こんな路地がたくさんある地域にこのようなきれく整備された階段が忽然とあったことには、なんだか不思議な気分になったかもです。
それにしても、高低差もかなりある階段ですね。


丹後坂 (NO.138) 3
坂の途中より

そいでもって、階段をゆっくりと下りつつ、その途中でなにげに見えたものです。
遠くにBIZタワーが見えるのですが、その手前に一般住宅の瓦屋根やらお寺の屋根などが見えたりしていて、そのあまりのコントラストが気になり、思わずぱちりと。。


丹後坂 (NO.138) 4
坂下より

そして、坂下まできてみました。
なんとも坂下にくるほど道幅が拡がっているというつくりになっていて、ここから撮るとなんとも絵になる階段といえるかもです。
しかも、真ん中の木もなかなかいい味だしているといえますし、この時期になると木に緑がたくさんついて、ほんと木が大きく感じてしまいますよ。(笑)


丹後坂 (NO.138) 5
坂下あたり

あと、これはおまけですが、ちょっと4枚目の写真の右側を見てみたのですが、となりの敷地にも緑がいっぱいあって、いい感じで住宅を覆っていて、その奥にはうまい具合に視線もぬけてビルが見えていたりと、階段の風景とあいまってなかなかいい感じでした。

ちなみに、ここには、いつものような坂の碑があり、『元禄(一六八八〜)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。』とありました。


追伸:だいぶ前にとりあげた”とある街の風景167(丹後坂かもしれない名もなき坂)”の丹後坂はこの坂のことですので、あしからず。




地図
港区赤坂4

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所在地:港区赤坂4

やげん坂とよぶそうで、別名、何右衛門坂ともいうそうです。

場所は、稲荷坂 (NO.135) や円通寺坂 (NO.134) の坂上の道を、TBSとは反対方向の北側へとすこし歩くとそのまま薬研坂の坂上あたりにやってくるという坂道です。



薬研坂 (NO.137) 1
坂上その1

TBSの方から歩いてくると、この場所にやってくるのですが、見てのとおり、この坂道はいったん下って、また上がるという、ちょっといままでにはないタイプの坂道でしたが、景色はなかなかいい感じでひらけていて、奥には赤坂御用地の木々もなにげに見えていました。

あと、ここには、いつものような坂の碑があり
『中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。』
とあり、昔から、こんな感じの地形になっているようですね。



薬研坂 (NO.137) 2
坂の途中

とりあえず、坂をすこしくだり、さっき歩いてきた、坂上のほうを眺めてみました。

まあ、この写真はすこし前のものなので、今はすこし変わっているのかもしれませんし、以前は道路脇に建物が建ちならんでいたため、おそらく、それほど気にはならないものだったのかもしれませんが、道路左側に建っている電柱と電線がやたらと気になったかもです。



薬研坂 (NO.137) 3
坂の途中2

そして、今度は、坂道をさらに北(赤坂御用地)のほうへ歩いていくと、一枚目の写真でも見えていたとおり、一転して登り坂となっていました。

ちなみに、この坂をのぼりきると、青山通りです。



薬研坂 (NO.137) 4
坂上その2

そんな感じで、もうひとつの坂上まできたところで、さっき歩いてきた坂下のほうを眺めてみました。

こうして、あらためて見ると道もいい具合にカーブしているし、道がのぼったり下ったりしていることもあり、歩くたびにいろいろな景色が楽しめて、そんなこともあり、坂上からはかなりダイナミックな風景が、坂下からみればふつうな感じの坂道の風景が楽しめるという具合に、いろんな見方で楽しめそうな坂道だったかもなあと思いました。


地図
港区赤坂4

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所在地:港区赤坂7あたり


しん坂とよぶそうで、”しんざか”という言い方と”しんさか”というふたつのよび方があるそうです。

場所は、稲荷坂 (NO.135) のすぐ近く(北西)にあり、地図でみると赤坂7丁目と8丁目のあいだを北西に上がり、そのまま道沿いに行くと、青山通りまで通じている坂道です。



新坂 (NO.136) 1
坂下より

坂下からの様子ですが、車一台がふつうに通れるくらいの道幅といった感じで、勾配具合も緩やかな坂道というのが、ここの第一印象でした。

それと、写真では、左側からせり出している立派な木々のおかげで、すこし暗い感じに見えていますが、実際に歩いている時には、あまりそんなことは感じず、それより周辺の落ちついた雰囲気が、気になったかもです。

ちなみに、ここには写真でも見えていますが、いつもの坂の碑があり
『できた当時は、新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄十二年(一六九九)である。しんさかとも発音する。』
とありました。



新坂 (NO.136) 2
坂上あたりより

いきなり、坂上まできてしまいましたが、もうこのあたりまでくると、勾配具合もほとんどなくなり、ほぼ平坦な道となっていましたが、やっぱりここからも、坂の途中あたりからちらちらと姿をあらわしていたミッドタウンが遠景に見えていました。

あと、坂下を歩いたときにも感じたこの坂道にただよう落ち着いた雰囲気は、ここまできてもそれほど変わらず、やはりこのあたりは閑静な住宅街なのだなということは、あらためて感じることができましたし、周辺の坂道と比べてもこの坂道はそういう雰囲気を持った場所なのかもと思いました。
(というか、あとで書きますがすこしばかり先入観もあったので、こう感じた部分も多かったかもしれません。。しかも、今回は写真を撮りそこねましたが、地図をみてもらうとわかりやすいのですけど、僕の立っている位置の左うしろのほうにカナダ大使館があったんですよ。。)


あと、余談ですが、この坂下あたりで生まれた三宅艶子の”赤坂新坂町”という回想記の一文に「私が生まれたのは、赤坂新坂町八二番地である。(略)私の家は新坂という坂の下にあった。何という名前か今は忘れたが、すぐそばにあと二つ坂があり、三つの坂の下のくぼみのようなところであった。 新坂町は、坂の途中から上にかけては屋敷町で、今でもそこは閑静な住宅地だが、昔は何候爵、誰子爵というような家が多く、華族でないまでも、大きな家が並んでいた。(略)」と、このあたりのかつての描写が書いてありました。ちなみにこれは、いつも参考にしている”江戸東京坂道事典”に書いてあったことで、なるほどー、と思ったので、書き留めておいたのですが、実際に歩いたあとで、この文をあらためて読むと、ああそうだったのか、うーん納得、という面も多かったです。



地図
港区赤坂7あたり

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所在地:港区赤坂7


いなり坂とよぶそうで、別名で掃除坂ともいうそうです。
場所は、円通寺坂 (NO.134) の坂上のすぐそばというか、坂上とつながっている道路をすこしだけ北のほうへ歩き、その途中で南西へとぬける道をつらつらと道沿いに歩くと稲荷坂の坂上あたりへとつながる坂道です。


稲荷坂 (NO.135) 1
坂上より

坂上あたりのようすですが、もう坂道を下る前から、なかなかの急勾配具合が感じとれていましたが、坂道自体は車一台くらいが通れるかなという感じの道幅で、ちょうどこのあたりから遠景に東京ミッドタウンと六本木ヒルズが見えていました。
あと、右側のマンションもいい具合に、上にいくほど、道路に対してセットバックしていたので、すこしだけ空もひろく感じれたかもです。


稲荷坂 (NO.135) 2
坂の途中より

こんどは、すこし坂道を下り、坂上のほうを眺めたものですが、ここからみると、かなりの急勾配な坂道というのがわかりやすいんじゃないですかね。
しかも、道自体がカーブしていたので歩くたびに景色が変化してくれて、なかなかよかったです。


稲荷坂 (NO.135) 3
坂の途中より2

そして、だいたい同じ立ち位置から、坂下をみたものですが、やはり、けっこうな勾配の坂道でうまいぐあいに坂下まで一直線の道になっていたこともあってか、遠景にみえる街の景色が以外と印象的でした。


稲荷坂 (NO.135) 4
坂下より

そんな感じで、坂下まできてしまいましたが、こうしてみてみると、2階か3階分くらいの高さを一気に下ってきていたのだなあと。
でも、そのわりには、道の舗装が赤茶色のざらざらしたもので、いつもの急勾配の坂道には定番のドーナツ型のすべり止め舗装ではないので、実はそんなには傾斜のない道なのかたまたまだったのか、よくわかりませんが、そのあたりはちょっと気になったりはしました。
あと、やっぱりここから見ていちばん気になるといえば、なんといっても正面にぽつねんと一本だけある立派な木(それにしても、うまく育っていますね〜)かもしれませんが・・・。
(それと坂道の左側にある幅のせまい歩道ですかね。電柱にじゃまをされてあんまり意味をなしていないような気が。。でもまあこんな感じのところはさがせばけっこうありそうなので、いちおうカッコ書きということで。)

ちなみに、ここには、写真でも見えていますが、いつもの坂の碑があり、
『坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。』
とありました。




地図
港区赤坂7

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所在地:港区赤坂4あたり


えんつうじ坂と呼ぶそうで、別名、円通坂とも言うそうです。

場所は、三分坂 (NO.133) の坂上の道をさらに北西へと進み、その途中で右折すると、円通寺坂の坂上あたりとなり、そこから北東へと下っている坂道です。



円通寺坂 (NO.134)1
坂上より

TBSのあたりから、このあたりまで高台になっているのかもしれませんが、この坂道もけっこうな高低差があり、写真で見えている以上に景色がひらけている感じで、道幅といい勾配具合といいなかなかバランスのいい坂道だったかもです。

また、すぐ右手には、この坂の名前の由来にもなったであろう円通寺がありました。

あとは、遠くに見えている、あまりにも孤立して建っている一棟の高層ビルがかなり印象的というかなんというか、そういうまわりの風景とあわせてみていると、なんだか映画のワンシーンに迷い込んだような気にさせてくれたかも、なんておおげさに思ったりもしました。



円通寺坂 (NO.134)2
坂の途中より

そして、坂道をすこしくだり、坂上の方をみたものですが、今回はいつもと感じが違い坂上から見たときはかなりの急坂のイメージだったのですが、以外とゆるやかに下っているなあという感じもしました。



円通寺坂 (NO.134)3
坂下より

そんな感じで、あっというまに坂下まできてみましたが、やはり高低差はけっこうあるようでしたが、道自体が長いため、さっきいったように思っていたよりは緩やかな坂道だったなあという感じでした。

ただ道の両サイドにそれほど高い建物がなかったので、空がひろいです。



円通寺坂 (NO.134)4

しかし、すぐ左手には写真では見えていませんでしたが、こんな感じで高層ビルがそびえ建っていましたよ。

ちなみに、ここにはいつものように坂の碑があり、『元禄八年(一六九五)に付近から坂上南側に移転してきた寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。』
とありました。



地図
港区赤坂4あたり

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所在地:港区赤坂5あたり


さんぷん坂と呼ぶそうです。
場所は、東京メトロ赤坂駅のすぐそばにあるTBSの裏手(南側)にあり、そこから南東にくだっている坂道です。


三分坂 (NO.133)1
坂下より

坂下からの様子ですが、ドーナツ型のすべり止めが見えていることからもわかるかもしれませんが、かなりの急坂で、坂上は直角に左にカーブしているため見えていませんが、ここから見えている坂上がほぼ坂上と見ていいと思うので、かなり距離の短かい坂道でした。
また、ちょうど正面の坂上にTBSの近未来的な外観の建物がで〜んと見えており、そのコンストラストがなかなか印象的だったかもです。


三分坂 (NO.133)2
坂下あたりより

せっかくなので、今度はすこしひいた位置から坂道全体を眺めてみました。
ここから見ると、坂の碑があったあたりからみるより、なだらかにS字を描いて途中まではゆったりと上がっており、道の右側の工事中のものさえなければ、けっこういい感じに見えていたかもしれません。
なんでも、江戸東京坂道事典によると、あまりに急坂だったため、四十数年前に改修して傾斜をゆるめて延長した経緯があるらしいですよ。
あっ、そうそう、あとこの工事中の場所なんですけど、過去の坂道の写真(これは”三分坂”で検索するといくつかでてきますよ)をみると、かつてはかなり立派な石垣が坂道に沿ってあったみたいなのですが、現在は写真のようになくなっているみたいでした。
どうせ、坂下のほうとのつながりばかり考えて、坂道のことなんかてんで、無視されたのかもしれませんが、やはり、ちょっと、ショックかもです。。


三分坂 (NO.133)3
坂の途中より

そして、てくてくと坂道をのぼっています。
坂の延長線上にちょうどみえているTBSはもちろん、その手前に見えている木がすこし気になりました。


三分坂 (NO.133)4
坂上あたり

さらに坂道をのぼり、今度は坂下のほうを見てみました。
さすがに高低差のある坂道ということもあり、視界がかなりひらけていました。
ただ以前は、石垣がありその上に木々もあったようなので、今のように視界はひらけていなかったかもしれませんね。


三分坂 (NO.133)5
坂上より

そして、さらに坂上まできてみると、直角に右にカーブして坂道が下っていました。
なので、この左側に、TBS放送センターがあることになります。
ただここからみると、道を曲がったあとにあんな風景がひらけているとは想像しにくいかもしれませんね。

あと、よくみると正面に石垣が見えていますね。
(あれれ?)もしかしたら、まだ石垣部分だけ残しているんですかね。
う〜ん、わからなくなってきました。
まあ、こればかりは、できてからのお楽しみということで。。
(もし、残っていたら、上記のショックのことは撤回ということでお願いします。(笑))

ちなみに、ここには、写真にも見えていますが、いつものように坂の碑があり、
『急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん:百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。』
とありました。
どうでもいいことなのですが、昔あった坂の碑には「さんぶでは四分の三両になるので誤り。」という項がないみたいで、なんだか後でつっこみの文がはいったようで、ちょっとおもしろいなあ、なんて思ってしまいましたがどうでしょ。



地図
港区赤坂5あたり

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所在地:港区赤坂8あたり


のぎ坂と呼ぶそうで、別名で、なだれ坂、行合坂、膝折坂、幽霊坂など、いろいろとよびかたがあるそうです。
場所は、東京メトロ乃木坂駅のすぐそばというか真上あたりにあり、北東へ下る坂道です。


乃木坂 (NO.132) 1
坂上あたりより

坂上あたりの乃木坂駅のほうから坂下のほうを眺めたものです。
ゆったりとしたカーブになだらかな勾配が印象的で、道幅の具合や建物の高さのバランスもなかなか悪くない感じでした。
いちおう、この通りは赤坂通りというらしく、この道をまっすぐにいくと赤坂のほうへ行くことができます。
なので、遠くのほうには赤坂の高層ビル群も見えていたりします。


乃木坂 (NO.132) 2
坂上より

こんどは、ふり返り、さらに坂上のほうを見たものです。
もしかしたら、坂道はこの左にカーブしているので、外苑東通りに合流するあたりまでかもしれませんが、今回は、とりあえずこのあたりを坂上あたりということにしてみました。
あと、正面にみえているトンネルは、乃木坂トンネルというそうです。


乃木坂 (NO.132) 3
乃木坂トンネル

さらに奥にはいりパチリと。
そういえば、このトンネルはテレビなどのロケ地としてもよく使われていると聞いたような気がします。(あくまで、うる覚えなので確実ではありませんけど。)

それにしても、いつきてもここのトンネルのオレンジの照明やトンネルそのものの雰囲気が印象に残る場所だなあ、なんて思ったりしますがどうでしょ。

それと、写真の向こう側というかトンネルをぬけると青山霊園というのもなんだか気になりつつも、そのせいで幽霊坂なんて名前がついているのではないかと思ってしまったのですが、いつもお世話になっている東京23区の坂道のサイトによると、僕は見のがしてしまったのですが、坂の途中に東京赤坂ライオンズクラブ設置の看板があるらしく、そこに「乃木大将の殉死された大正元年九月以来幽霊坂が乃木坂と改名された。」とあり、もともとは幽霊坂の名のほうが古いみたいなので、ますますその考えを深めてしまったりしてしまいました。
ただ、その他にもいろいろな別名があるみたいなので、なんともいえませんが。。


乃木坂 (NO.132) 4
坂下より

そんな感じで、坂下あたりまできてみましたが、道がカーブしているからなのかどうかわかりませんが、坂上からの風景とはまた違った雰囲気のように感じてしまいました。

ということで、坂道名が駅名になっているくらいだから、ここも神楽坂くらいのポテンシャルがある場所なのかもしれないなあと思いきてみたのですが、たしかに、なんとなくそういう風な雰囲気もなくはないような気がするのですが、いかんせん坂道の名前の由来にひっかかるものがあるのか、はたまた、たまたまなのかわかりませんが、思っていたよりは周辺も落ち着いた感じの坂道だったかもです。


乃木坂 (NO.132) 5
乃木神社

あ、そうそう4枚目の写真の右側にもすこし見えていましたが、この坂道の名前の由来にもなったであろう乃木神社がありました。
ちなみに、僕が行った時は、境内で骨董市もやっていましたよ。


地図
港区赤坂8あたり

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所在地:港区赤坂6あたり


ひのき坂と呼ぶそうで、別名で清水坂ともいうそうです。
場所は、どこどこの坂のそばというより、東京ミッドタウンに隣接しており、詳しくいうと檜町公園の北側を北西へ下る坂道です。
また、勝手に坂道と決めつけ歩いてみた”ミッドタウンわきの名もなき坂 (NO.105)”の坂下と今回の檜坂の坂下はつながっていたりします。


檜坂 (NO.131) 1
坂上より

坂上からの風景ですが、一直線な坂なため、すでに坂下の様子もうかがいしれますが、道幅や勾配具合もなかなかいい感じの坂道でしたが、僕の行った時間帯だけだったのか、いつもそうなのかわかりませんが、車の行き来がかなり激しかったです。
あと、みた感じでもわかると思いますが、左側が檜町公園ということになります。


檜坂 (NO.131) 2
檜町公園

このアングルからミッドタウンを眺めてみるのは、はじめてだったのでかなり新鮮に見えたこともあり、せっかくなので坂道から見える檜町公園とミッドタウンを撮ってみました。
それにしても、ここからこんなに景色がひらけていたとは、すこし驚きでしたが、昔はもっと六本木全域が眺められたのかもしれませんね。


檜坂 (NO.131) 3
坂上あたり

いちおう僕の立っているあたりに坂の碑があったので、檜坂の坂上はこのあたりということにして、今度は、さらに坂上のほうも見てみると、さらに坂道が続いており、ここから見えるマンションは、歩いていてもちょっと緊張感ただよう感じの高級感満載な建物ばかりが連なっていたように思いましたよ。
ただ、坂道だけを見てみても、ここから見ると、けっこうな勾配具合だということがわかりやすいんじゃないですかね。


檜坂 (NO.131) 4
坂の途中

坂をすこし下り坂下のほうを見ていたのですが、ほんと僕が行ったときは車の通行が多く、しかも、この左側のすぐそばに檜町公園のトイレがあり、ここを運転手が使うためにタクシーが一時駐車をしているパターンが多いみたいで、写真のようなことになっていましたよ。。
おかげで、なかなかシャッターチャンスが得られずけっこう坂道でじっと待っていることが多かったかもです。(といってもたいした時間ではないのですが、こんなところでなにすることもなく立っていると不審人物と間違われないかという不安があったもので・・。(笑))


檜坂 (NO.131) 5
坂下より

そして、いっきに坂下まできてみました。
写真をみて、おやっ?と思ったかたもいたかもしれませんが、ちょうど坂上のさらに遠くのほうをみると、なんと東京タワーの上の部分がひょっこりと見えていました。
あと、ここには写真でも見えているとおり、いつものような坂の碑があり『江戸時代には、檜の木が多いため檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂であった。』とありました。



地図
港区赤坂6あたり

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所在地:港区赤坂6


もとひかわ坂とよぶそうで、元氷川坂とも書くそうです。
場所は、氷川坂 (NO.127) に隣接する氷川神社の南側を北西へ下る坂道です。


本氷川坂 (NO.130) 1
坂上より

坂上から坂下を眺めた様子ですが、車が一台とおれるかなあというぐらいのちょっとした広めの路地という感じで、さすがに2台同時にすれ違うにはすこし厳しい道幅のようでした。
ただ、道の両側に立派な石垣があったり、立派な木があったりとなかなかで、氷川坂 (NO.127)とはうってかわって赴きのある坂道のように感じました。


本氷川坂 (NO.130) 2
坂上あたり

せっかくなので、坂上のほうを見てみると、左側に氷川神社の敷地があり、その境内の立派な木々が道まではみだし、なんともいえないまるで地面から生えてきたような色合いの塀が両サイドに見え、不思議な雰囲気をつくりだしていたかもです。


本氷川坂 (NO.130) 3
坂の途中より

そして、すこし坂道を下り、坂下のほうをみたものですが、すこしカーブして、坂上からは予想できなかった展開で、道自体も急勾配に下っていました。


本氷川坂 (NO.130) 4
坂の途中より2

すこし下り、今度は坂上のほうを見てみると、これまた違う場所なのではないかと思えるくらい雰囲気が違っていて、写真だけ見ているとちょっと違う時代にきたんじゃないかと思ったりもして・・。


本氷川坂 (NO.130) 5
坂の途中より3

そんでもって、さらに坂道をくだり、坂下の方を見てみると、異様に高い塀(おそらく3階分くらい)が左側にそびえたっていました。
元々から、ここはこういう崖だったのか、あとで開発してこうなってしまったのかどうかわかりませんが、3枚目の写真の左側にも、この塀の坂上あたりの様子が写っていますので、この塀の上にあるものはなんとなくそこから想像してもらってもいいかもしれません。


本氷川坂 (NO.130) 6
坂の途中より4

さらに坂道をくだり坂上をみると、またまた違った風景に。。
それにしても、正面に見えている壁(?)は、建物なのか塀なのか??、とりあえず、小さな窓や入口が見えるので、建物なのかもしれませんが、あの高い塀との一体感がものすごく気になります。


本氷川坂 (NO.130) 7
坂の途中より5

とりあえず異次元の世界をぬけて、6枚目の写真の立ち位置から、坂下のほうを眺めたものですが、歩いているときは、ここで道が二手に分かれていて、どっちなんだろう?という感じでしたが、これは6枚目の写真のちょうど左側をみたものです。
ちなみに、正面にみえている白いマンション(地図で見るとソフトタウン赤坂とあります)のあるあたりは、かつて勝海舟の邸宅があったそうですよ。(詳しくは、”勝海舟邸跡”などで検索するといろいろでてくるみたいなので、ここでは書きませんが。)


本氷川坂 (NO.130) 8
坂下あたり

そして、やっとこ、坂下あたりにやってきました。
ということで、かなりうねうねした長い坂道でしたが、いちおう写真にもちらりと見えていますが、ここにはいつものような坂の碑があり
『坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。』
とありました。



地図
港区赤坂6

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所在地:港区赤坂2あたり


やまぶし坂とよぶそうですが、いまは現存しない坂道です。
場所は、転坂 (NO.128) の坂上あたりにある氷川公園より北側の地域にかつてあったようで、いまは衆議院議員宿舎のあるあたりといえばわかりやすいかもしれません。


山臥坂 (NO.129) 1
衆議院議員宿舎のまわり

とりあえず、近隣地域を歩きながら、衆議院議員宿舎もみえたので、とりあえず写真におさめてみました。
写真でいえば、右下に写っているのが議員宿舎ですが、そのまわりにも同じくらいの高層ビルがそびえたっていました。
ちなみに、ちょうどこの真下あたりに、かつて、福岡藩主松平筑前守の屋敷があったらしく、山臥坂はこの邸内にあったといわれているらしいです。

あと、いつものように江戸東京坂道事典に、この坂道のことが書かれており、『「東京案内」に「山臥坂は同邸内の南に在り、旧の吉兆門ありし所即ち東の方より西に向て登る坂なりし由、その名の由来詳かならざれども、昔此の坂に小祠あり何れの山伏なるか、時々来りて祈禱をなせりと古老の言ひ伝あり、これに因りて名付けたるものにや」と記されている』とありました。

ということで、今回はこんな感じですが、いちおう地上部分の写真も撮ってみたのですが、どうもうまく地域の雰囲気が伝えきれないような気がしたので、写真はこの一枚のみです。



地図
港区赤坂2あたり

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所在地:港区赤坂6


ころび坂とよぶそうです。
場所は、氷川坂 (NO.127) のすぐそばというか、坂下どうしでつながっており、氷川坂の坂下から北西へとのぼっていく坂道です。


転坂 (NO.128) 1
坂下より

坂下からの風景で、このすぐ後ろあたりが氷川坂 (NO.127) です。
すでにここから坂上のほうが見えるほど短い坂道でした。


転坂 (NO.128) 2
坂上より

ということで、あっというまに坂上まできてみました。
坂下でのちょっと乾燥した雰囲気とはちがい、ここからみるとまわりの雰囲気もなにか違うもののように見えてしまいました。
しかも、坂道をよくみると、勾配具合が急な道によくあるドーナツ型の舗装になっており、そんなに急な坂道だったかなと思いつつ、坂道全体をあらためて見渡してみると、遠景にミッドタウンや六本木ヒルズもみえていました。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑があり、『江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時成徳寺横の元氷川坂もころび坂といった。』とありました。


転坂 (NO.128) 3
氷川公園より

これは、すこし余談ぽくなりますが、2枚目の坂上からさらに道沿いを北にむかってすすむと、氷川公園なる公園が隣接しているのですが、その公園あたりまでの坂道を転坂という説もあるみたいだったので、いちおうのせておきました。
写真は、手前が氷川公園で、目の前の道を写真右側のほうへいくと、坂の碑がちゃんとある転坂の坂道(現地では、1・2枚目の写真の坂上と坂下に坂の碑がありました)があるということになります。




地図
港区赤坂6

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所在地:港区赤坂6


ひかわ坂とよぶそうです。
場所は、南部坂 (NO.124) の坂上をあがりきり、すこし南西に歩くと、氷川坂の坂上あたりに合流し、氷川神社の東側を北西へ下る坂道です。


氷川坂 (NO.127) 1
坂上より

ここからみると緩やかな坂道という感じですが、道が長いので見た目よりは、勾配具合のある坂道で、そんなにひろい道ではないのにもかかわらず車がひっきりなしに通っていました。


氷川坂 (NO.127) 2
坂の途中より

すこし坂道をくだり、坂上のほうをみたものですが、坂上の立派な擁壁のうえの一段高いところになにげにアメリカ大使館宿舎がまじかに見えていましたが、やはりここから見ると宿舎よりも、その下の石積み風の擁壁が、やたらと印象的だったかもです。

ちなみにここには、写真でも見えていましたが、いつものように坂の碑があり、『八代将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である。』とありました。



氷川坂 (NO.127) 3
氷川神社の入口

2枚目の写真のちょうど右側に、坂の碑の説明にもあった氷川神社への入口が、こんなところに忽然とありました。
さすがに氷川坂と名づけられている坂道だけあって、かなり唐突な感じにもかかわらず、昔からあるものなのかもしれませんが、なかなかおもむきのある入口でした。


氷川坂 (NO.127) 4
氷川神社

せっかくなので、境内にも入ってみたのですが、思っていたよりは、中は広く落ち着いた雰囲気でした。
正面が本堂で、この右手のほうに氷川坂があることになります。
(氷川神社については、公式HPがあるみたいなので、詳しくはそちらをどうぞ。)


氷川坂 (NO.127) 5
坂下あたり

そんな感じで、また坂道にもどり、さらに坂下のほうまで下り、坂上のほうを眺めてみました。
坂上を歩いていたときは、なんてことないふつうの道だなあという感じでしたが、氷川神社にいったあとにこの坂道を歩き、ここまでくると、なにか違った印象を持ってこの風景をみることができたかもです。



地図
港区赤坂6

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所在地:港区愛宕1


あたごしん坂と呼ぶようで、別名で新坂ともいうそうです。
場所は、これまた以前にとりあげた愛宕坂(NO.121NO.122)のすぐそばにあり、愛宕山の北西を巻いて下る長い坂道です。


愛宕新坂 (NO.126) 1
坂上より

坂上あたりの様子ですが、この右側あたりに愛宕神社があり、写真でもわかるかもしれませんが、どうやら現在のこの坂道はこの愛宕山の頂上へ車でくるためのゆるやかな長い坂道となっているようでした。
でも、やっぱり坂道の舗装がドーナツ舗装になっていることからもわかりやすいかもしれませんが、けっこうな勾配具合でしたよ。


愛宕新坂 (NO.126) 2
坂上あたり

今度は、坂道をすこしくだり坂上の方をみたものですが、真冬ということもあり木々には緑もなくすこし寂しげでしたが、その分、ちょうど愛宕グリーンヒルズ内にある2本の高層ビルがよく見えていました。


愛宕新坂 (NO.126) 3
NHK放送博物館

あっ、そうそう、2枚目の写真でもすこし見えていますが、坂上にNHK放送博物館なる施設がありました。
いちおう、僕も中を見させてもらいましたが、ここでは詳しく書きませんが、なかなか興味深い内容の博物館でしたよ。


愛宕新坂 (NO.126) 4
坂の途中より2

そして、てくてくと坂道を下っていますが、さすがに愛宕山に沿って下っている坂道なので坂下が見えてきません。
でも、なんだかいい感じ。
しかも、この日は車も通らず快適、快適・・・。


愛宕新坂 (NO.126) 5

そんな感じですこし坂道を下っていると、坂上にも実は看板があったので、気にはなっていたのですが、こんなひっそりとした坂の途中に、あの田崎真也さんのお店がありました。


愛宕新坂 (NO.126) 6
坂の途中より3

とりあえず、さらりとワインサロンをあとにして(もちろん中には入っていませんよ・・)、すこし坂道を下り、坂上のほうを眺めてみました。
このあたりは、すこし勾配もゆるやかになり、右側の木々やゆるやかなうねり道がなんともいい感じで、左側の和風な建物(軽く調べてみると食事処らしく豆腐屋という話もでていたのですが、僕がいったときは休みみたいだったのでほんとうにそうなのかはよくわかりません)が、ふつうにあったりして、さっきのなにげにあるワインサロンといい、この坂道(というか愛宕山)って何者?という感じでした。。


愛宕新坂 (NO.126) 7
坂下あたり

そして、すこし坂道を下ると、やっと坂下あたりが見えてきました。


愛宕新坂 (NO.126) 8
坂下より

そんな感じでしつこく写真をのせてみましたが、坂下より坂上のほうを眺めたものです。
ちょうどこのあたりは愛宕神社の北側にあたる場所で、正面左に見えている電柱あたりにワイルドに木々が茂っており、けっこう急な崖でもありました。

ということで、かなり長い坂道だったので写真の枚数が多くなってしまいましたが、景色の変化がはげしかったせいもあってか、歩いていてもあきることなく、なかなかおもしろい坂道だったかもです。
ちなみに、ここにはいつもの坂の碑はありませんでした。




地図
港区愛宕1

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所在地:港区虎ノ門1


今回は、以前に坂道散歩をしたときに見に行くのを忘れていた坂なのですが、あおい坂とよぶそうです。
ただし、いまはもうない坂道です。
場所は、メトロ銀座線の虎ノ門駅のすぐそばで、現在もある琴平神社(地図で見ると金毘羅神社とも書いてありますがどっちが正しいのかはわかりません・・)の西南を旧赤坂葵町へ上がる坂道だったそうです。


葵坂 (NO.125) 1
琴平神社

今回は坂道ではありませんが、なんともおもしろいものが、虎ノ門駅のほうからてくてくと国道一号を歩いていたら見えてきました。
なんと、神社への参道の上にビルが建っていましたよ。。
このあたりを歩いたことがあるかたなら、かなりの確立で見覚えのある場所ではないですかね。


葵坂 (NO.125) 2

境内から国道のほうを見るとこんな感じ。
ここまでやるか〜という感じですが、なかなかインパクトがありました。
まあ、東京らしいといえばそうなのかもしれないような、そうでもないような・・。


葵坂 (NO.125) 3

そして、境内をぶらぶらしていると、神社の敷地の西南部にこんな抜け道を発見しました。
いちおうだれでも通れる道になっているみたいでしたが、なぜこんな立派な抜け道があるのかは、不明でした。


葵坂 (NO.125) 4

最後に、この抜け道の途中で上を見上げてみると、ちょうど同じ敷地内にある高層ビルがうまい具合にみえたので一緒にパチリと。。

ちなみに、ここにはあたりまえですが坂の碑はなかったのですが、「新撰東京名所図会」に葵坂に関する一文があり『葵坂は芝区西久保明船町より溜池町に通ずる道路を云う。此所今も多少の勾配なきにあらざれども、殆ど平坦にして、坂といふも名のみに止まれり』とありました。(※ いつものように江戸東京坂道事典からの抜粋です。)



地図
港区虎ノ門1

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所在地:港区六本木2


なんぶ坂とよぶそうで、難歩(なんぽ)坂とも書くそうです。
場所はアークヒルズのそばにあり、ちょうど六本木通りをはさんで反対側の路地を一歩入ると、南部坂の坂下あたりになります。


南部坂 (NO.124) 1
坂下より

ドーナツ型のすべり止めが見えることからも、けっこうな勾配具合が予測できましたが、見ためは道がカーブしているためかそれほどの感じはうけませんでした。


南部坂 (NO.124) 2
坂の途中より

すこし坂道をのぼり坂下のほうをみたものですが、坂下から見た印象とはちがいふつうのビルが建ちならんでいる感じでしたが、その裏手が六本木通りということもありそれらのビルのほうが数階背が高いようで、さらに奥には泉ガーデンタワーもみえて、ビルの段々畑みたいになっていて、なんだか変な風景でした。


南部坂 (NO.124) 3
坂の途中より2

今度は、坂上のほうを眺めてみたものですが、なにやら左側にかわった擁壁が見えていますが、下は石壁のようになっており、そのうえもなんだかかなり凝っている感じでした。
あとで、地図を確認してみると、このうえには、アメリカ大使館宿舎の敷地のようでした。


南部坂 (NO.124) 4
坂上あたりより

正確にはもうすこし上あたりが坂上みたいなのですが、このあたりからが坂全体も見渡せる感じで(しかもこの横でなにやら作業されている業者のかたがいたもので)、とりあえず、このあたりから見てみました。
ここまでくると、坂下で感じたような勾配具合はありませんでした。
あと、道幅はかなり狭く、車一台通れるくらいでした。
それと、写真では信じられないくらいの割合で写っていますが、正面にアークヒルズのビルが見えていましたよ。

ちなみにここにはいつもの坂の碑があり(しかも4枚目の写真の立ち位置のすぐそばなのですが)、『江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。』とありました。
ということで、この坂の碑にもあるように、あの忠臣蔵とも縁がある坂道のようで、講談や浪曲で有名な「南部坂雪の別れ」にもでてくるそうですよ。
”南部坂雪の別れ”といわれても、わかるかたにはわかるかもしれませんが、実は僕自身も時代劇ものにはそれほど詳しくないので、江戸東京坂道事典の一文をそのまま抜粋させていただくと、『元禄十五年十二月十四日夕刻、仇討を決意した大石内蔵助が、折からの雪のなかを南部坂上浅野候の屋敷に身を寄せていた亡君の奥方の瑤泉院を訪れて、心ひそかに最後の別れをつげたという。』とあり、これがだいたいのストーリーらしいです。
(それにして、ここ最近ハードな内容というか歴史の坂道が多いですね。。(汗))



地図
港区六本木2

所在地:港区赤坂1

えのき坂とよぶそうです。

場所は、汐見坂 (NO.118) と一本道でつながっている坂道なのですが、汐見坂とは逆に西側へと下っている坂道です。



榎坂 (NO.123) 1
坂上あたり

坂上あたりの様子ですが、実は坂道をすこし下って、そこから坂上のほうを眺めたものですが、ご覧のとおり汐見坂 (NO.118) 方面というか坂上あたりは、この右側にアメリカ大使館があることもあり警備の警察官のかたがあまりにまじかにいたため、ここからの撮影となりました。

見た感じはあまり高低差はない(かなり平坦な)ように見えましたが、なにぶんこのような物々しい状況だったもので、落ち着いて観察するわけにもいかなかったのですが、写真でみえる感じでは勾配具合がそれなりにありそうにみえている気がしますがどうでしょ。



榎坂 (NO.123) 2
坂の途中より

今度は、一枚目の立ち位置とだいたい同じ場所からの坂下のほうの風景ですが、ここからみるかぎりは、ほとんど平坦なふつうの道という感じでした。

ただ、左の高層ビルが、この坂道の途中でつながっている新榎坂 (NO.120) のほうではそれなりに坂道になじんでいる感じがあったのですが、ここからみるとかなり浮いた存在になっているように思いました。

(しかし、写真ではたまたま人通りが多そうにみえますが、ほんとたまたまだったんですよ。この時間帯は。。)



榎坂 (NO.123) 3
坂下あたりより

どこまでが坂下なのかわからなかったので、とりあえずこのあたりから坂上のほうを見てみました。

ここからみると、坂上あたりのわずかばかりの勾配具合がわかりやすく見えていたかもです。

あと、右側にアメリカ大使館の建物も見えていたりします。


ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はありませんでしたが、江戸東京坂道事典には『同名の坂が多いが、むかしは街道の道しるべとして榎が植えられたことが多かった。一里塚のわきには必ず榎があり、芝の二本榎などの名もその一里塚の名残りの地名だといわれている。』とありました。
(いらぬお世話かもしれませんが、 ”一里塚”を辞書で調べてみると「主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに築かれた塚。榎・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。」だそうです。)



地図
港区赤坂1

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所在地:港区愛宕1



前回の愛宕坂[男坂] (NO.121) に続きという感じですが、この愛宕坂にも、男坂のすぐそばに女坂がありました。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 1
坂下より

女坂といえば、なんとなく階段ではなくスロープのイメージがありましたが、ここは写真のとおり階段坂でした。
ただ、なんとなく気になったので、辞書で「女坂」と調べてみたのですが、「高い所にある社寺に通じる坂道が二つある時、勾配のゆるい方の坂。」と書いてあるだけで、実際は階段でもスロープでもどちらでもいいみたいですね。
それにしてもいいS字の階段坂ですね。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 2
坂の途中より

すこし登った坂の途中で坂上あたりを見てみましたが、まだ頂上は見えていませんでした。
しかも、ここまで来るとあんまり男坂と勾配具合はかわらないんじゃないの?という感じでした。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 3
坂上より

そして、やっとこ坂上にきてみましたが、やっぱりここからみるとかなりの高低差でした。
ただ、やはり男坂のほうがあれだけ派手な坂であり、こちらの坂を気にする人は少ないんだろうなあということと、すぐそばにとなりのビル(左側にみえている)があることもあり、途中あたりまでは歩いていてもあまり落ち着かない感じがあったかもです。


愛宕坂[女坂] (NO.122) 4

あと、3枚目の写真の立ち位置から振り返ると、ぱっと見はふつうな感じなのですが、なんとも、じーとみているとスルメのように味のある建物(住居なのか、はたまた違う用途で使われているかどうかわかりませんでしたが)を発見。
なんとなく気になったので、一枚撮ってしまいました。。



地図
港区愛宕1

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所在地:港区愛宕1


タイトルからもわかるかもしれませんが、愛宕(あたご)神社の境内にある階段坂です。
場所は、かの有名な愛宕神社内です、と、いってしまってもいいんですが、以前にとりあげた愛宕グリーンヒルズの北側に神社があり、そこから東へと下りていける階段坂です。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 1
坂上より

神社の側からみたものですが、見るだけでぞくっとするほどの急階段(というか崖)でしたよ。
もう、あきらかにこれは一種の登山かもです。。
ただ、この石段は「出世の石段」とも呼ばれているそうですよ。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 2
境内より

念のため、さらに奥より眺めてみましたが、まわりはうっそうとした木々にかこまれていたため、まわりの景色はあまりみえませんでした。
ただ、この愛宕山は、ご存知のかたも多いとは思いますが、昔からかなり有名な場所で、江戸名所図会にも「当山は懸崖壁立して空を淩ぎ、八十六級の石段は畳々として雲をさすが如くしょう然たり。山頂は松柏鬱茂し、夏目といへどここに登れば涼風凛としてさながら炎暑を忘る」とあり、その挿図もあるようで、いろんな意味でも印象的なところだったのでしょうね。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 3
愛宕神社

うしろをふり返るとすぐそばに愛宕神社の本殿がみえていました。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 4
坂の途中

そして、おそるおそる階段を下りはじめたのですが、その途中で、せっかくなので、勾配具合を記録するためにパチリと。。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 5
坂下あたり

そんでもって、ほとんど坂下に近いあたりまできてみたところで、今度は、坂上のほうを眺めてみました。
下からみると、なんてことないように見えなくもないですが・・・。


愛宕坂[男坂] (NO.121) 6
坂下より

そんな感じで、階段の全景がみえる場所へ。
う〜ん、こうしてみるとあらためてものすごい坂道です。

ちなみに、ここには(あたりまえですが)いつものような坂の碑は、ありませんでしたが、島崎藤村の「新生」という小説のなかで、大正初期の愛宕山を描写しているところがあり『(略)見上げるやうな急な男坂の石段でも登って行くと、パノラマのやうな眺望がそこに展けて居る。新しい建築物で満たされた東京の中心地の市街から、品川の海の方まで見えるその山の上で、岸本の心はよく谷中の空の方へ行った。』とあり、昔は今ほどは木が生い茂っていなかったのかどうか、はたまた幾分かのフィクションがはいっているのかどうかわかりませんが、あきらかに風光明媚な場所として書かれていたようですね。

※上記の江戸名所図会と島崎藤村などの文は、江戸東京坂道事典から抜粋させていただきました。

(そのほかにもいろいろあるようで書いているときりがなさそうですので、詳しくは愛宕神社の公式サイトをどうぞ。。)



地図
港区愛宕1

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所在地:港区赤坂1


しんえのき坂と呼ぶそうです。

この坂道は、桜坂 (NO.114) の坂上から北へとぬけることができる坂道なのですが、どうやら軽く調べてみるとつい最近命名されたあたらしい坂(しかも家にある2002年発行の地図にはこの道はありませんでした)のようで、この近くにある以前にとりあげたスペイン坂 (NO.66) と同じようにこのあたりの再開発によりできたものらしく、この坂下が榎坂(写真の日付の都合上で今度とりあげます・・)という坂道とつながっているということから新榎坂となっているみたいです。

なら、なぜ新桜坂ではないのでしょう?ということは聞かないでくださいね。。(笑)



新榎坂 (NO.120) 1
坂上より

見てのとおりかなり新しい道という感じで、きれいに整備されていましたよ。



新榎坂 (NO.120) 2
標識

また、このすぐそばにこんな坂道名をしるした標識がありました。

これは、”坂道コレクション”というサイトで説明されていたのですが、どうやらこの標識は港区が設置したものではないらしく、一枚目の写真の右側に見えている赤坂インターシティの敷地内の案内標識と同じデザインらしく、そんなことからビルオーナーが設置したものだろうとのことみたいで、実際に僕は赤坂インターシティの中を確認していないのでなんともいえませんが、そういうことみたいです。

まあなんというか森ビルに対抗(これは僕の中ではスペイン坂 (NO.66)のことですが )してうちもつけるぞ〜という感じで名前をつけたのかもしれませんが、どうなんでしょうかね?



新榎坂 (NO.120) 3
坂下より

そんな感じでさらりと坂下まできてみました。

さすがに後から計画された坂道だけあって、歴史的な深みはないように見える(といってもかつてこの道のうえにあったであろう建物などのことを思うとすこし切なくはなりますが)この坂道に名前をつけて親しみをかもしだそうとしている点には好感がもてますし、もともとの地形的な特性もあってか勾配具合もよく、カーブの具合といい道幅といいなかなか散歩するには悪くない坂道だったかもです。



地図
港区赤坂1

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所在地:港区虎ノ門2あたり


えどみ坂とよぶそうです。
場所は、ホテルオークラの敷地の南側にあり北側へと下る坂道で、前回の汐見坂 (NO.118) とは坂下でつながっていたりします。


江戸見坂 (NO.119) 1
坂上より

やっぱり江戸見坂といえば、坂上からの眺望を期待したいところだったのですが、現在の坂上からは街を見渡すどころか、まわりにみえるのは同じようなビルが雑然と見えるだけでした。

ちなみに、ここにはいつものように坂の碑があり、
『江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたために名づけられた坂である。』
とありました。


江戸見坂 (NO.119) 2
坂の途中より

すこし坂道をくだりすこしカーブしているあたりから坂下のほうを眺めてみました。
道の両サイドには、これでもかーというぐらいビルが立ち並んでいますが、正面にみえているでっかいビルがさらにこの坂道の雰囲気をなんだかよくわからない感じにしているようにも感じてしまいましたが。。
(正面の信号機とビルのスケールをみればのっぺらりんとしたビルのわりに大きいビルだということがわかりやすいかもです。)
ただ、坂道自体の雰囲気や勾配具合などはかなりよかったですし、今立っている位置も、坂下にあるビルの窓からだいたい比べてみてみると三階の床くらいの高さはありそうで、歩いていてもかなりの急坂でしたよ。


江戸見坂 (NO.119) 3

そんななか、2枚目の写真の道路右あたりにもみえている、不思議な森ビルの看板というか標識らしきものを発見。
これは、たしか赤瀬川源平さんが書かれた本だったと思うのですが(てっきり家にある赤瀬川さんの本にのっていたと思い、さっきから調べているんですけどその書かれたページがみつからないんですよ。。でも本でよんだからこの看板にも気がついたわけなので、もしかしたら家にない本だったかもしれないので、また見つけしだい報告しますね。。)、このあたりにある森ビル所有のビルには、なぜかこの看板がついているらしく、しかも、持っている数をみせたいのかどうかわかりませんが、写真のようにナンバリングまでしてあり、ここだけでなくいたるところで見つけてしまいましたよ。


江戸見坂 (NO.119) 4
坂の途中2

そして、今度は坂上のほうをみたものです。
なんだか、坂道の風情とまわりの高層ビルとのコントラストがなんともいえませんでした。


江戸見坂 (NO.119) 5
坂下より

そんな感じで、やっとこ坂下へやってきました。
こうしてみると、ほんとに高低差がものすごい坂道ですね。
どうりで、かつては江戸の街が見渡せたわけですな。




地図
港区虎ノ門2あたり

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しおみ坂と呼ぶそうで、別名で大和坂ともいうそうです。
場所は、霊南坂 (NO.117) の坂下あたりが、ちょうど汐見坂の坂上となっており、湾岸方面(正確にいえば南西方向です)へ下る坂道です。


汐見坂 (NO.118) 1
坂上より

坂上からの様子ですが、見てのとおり、かなり緩やかな坂道で、坂の名前からもわかるかもしれませんが、かつてはこの坂上から海を眺めることができたらしいですよ。


汐見坂 (NO.118) 2
坂の途中より

すこし坂道をくだり、坂上のほうをみたものです。
ちょうど正面にみえている信号のあるあたりが、坂上であり、そこを左へ曲がると霊南坂 (NO.117) の坂道があるということになります。
ここからみると坂道の勾配具合がゆるやかだというのがわかりやすいんじゃないですかね。

それにしても、この写真では人が写っていないっすね・・・。(笑)
しかも信号機が赤になっているのがみょうに非現実感をかもしだしているようなそうでもないような。。



汐見坂 (NO.118) 3

まあ先の写真は現実の一瞬を切りとっているだけでして、実際には坂の途中の写真の左側にはホテルオークラがあり、いろんな人がホテルに出入りしていましたよ。


汐見坂 (NO.118) 4
坂下より

そんな感じであっというまに坂下あたりにきてしまいました。
ここからみると、実際歩いていても感じたことなのですが、ちょっとしたオフィス街の道をぬけている感じなのだけれど、この坂道は昔からあったのだなあというありきたりな思いもあわせて、ちょっと不思議な気持ちをもってしまったのですが、これってどこの部分からきているのでしょうかね。。
街路樹があるからなのかな、それとも適度な道幅とゆるやかな勾配のおかげ?、はたまたビルのあいまにみえている空・・・?。
う〜ん、わかりません。。(笑)

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑があり、
『江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった。』
とありました。

(あ、そうそうこれは別にいわなくていいことなのかもしれませんが、前回の船の話のあとにこの話をもってきたのは、かなりわざとです。(笑) あまりにわざとらしいので引いてしまったかたもいるかもしれませんが、こうしたほうが、海というか湾岸のイメージとリンクして想像しやすいかなあと思ってみたもので・・。←わからないかたは、日付順で前回のをみてもらえればわかりやすいと思いますので、あしからず。。)

(追記:よみかたは同じですが潮見坂という書き方もあるようです。)



地図
港区虎ノ門2

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所在地:港区赤坂1あたり


れいなん坂と呼ぶそうです。
場所は、鼓坂 (NO.115) の坂上からつらつらと坂道とは逆の方へ歩いていくと、霊南坂の坂上あたりにきます。


霊南坂 (NO.117) 1
坂上より

坂上から眺めたものですが、左側に立派な白い塀が見えていますがこのむこうにはアメリカ大使館があり、いまのご時世を象徴するように警備の警察官のかたが、このそばをいったりきたりしていました。(他のサイトの写真をみさせていただくと、以前はいまほどは厳重な感じではなさそうでしたよ。)
そんなこともあり坂道自体も第一印象ではかなり立派に見えてしまいましたが、あとで冷静にみたところでも勾配具合や道幅など周辺の雰囲気もあわせてなかなかの坂道だなあと。


霊南坂 (NO.117) 2
ホテルオークラ

また、一枚目の写真の右側には、ホテルオークラも隣接していましたよ。
ここは、ある意味オリンピック遺産みたいなホテルであり写真でみるかぎりはすこしふるぼったくも見えなくもないのですが、実際にホテルの前にたってみてみるとやはりなんともいえない空気をかもしだしており、知る人ぞ知る建築家の谷口吉郎氏の設計であり(まあこれは個人的な関心なのですが・・・)公式ホームページの館内の写真の雰囲気からも、やっぱり高級感満載のホテルのようでした。。
あと、ホテルの敷地内(なのかな?)には、今回写真は撮りませんでしたが、大倉集古館なんていうホテルオークラ創始者の父である大倉喜八郎氏が1917年に創立した日本初の私立美術館なんてのもあり、ここも知る人ぞ知る伊東忠太氏による設計の建物で、今回は中に入らなかったのですが、こんどまた行ってみたいなあと思った建物であり場所でした。


霊南坂 (NO.117) 3
坂の途中

そして、すこし坂道をくだり坂下のほうを眺めたものですが、なんとも左側の白い塀にくわえて、こんどは右側の緑の塀、そしてそれにおおいかぶさるようにして生い茂っている大きな木々のせいかどうかわかりませんが、この坂道にはなにかちがった物語が別にあるのではないかという錯覚をおこさせるような、目にみえないなにかがあるように感じさせてくれる雰囲気だったかもです。
しかも、あらためて写真でみると、まわりの建物や道、塀などに使われている色の数などが少ないことも手伝っているのかもしれませんが、なかなか落ち着いた雰囲気もいい感じでした。


霊南坂 (NO.117) 4
坂の途中

今度はだいたい同じ場所から坂上のほうを見たものです。
ここから見ると、まわりに高いビルなどもみえなくて、なんだか空が広くみえましたよ。。


霊南坂 (NO.117) 5
坂下より

そんな感じで、坂下にきてみると、坂の途中でふと感じたなにか別世界にきたような感覚みたいなものもなくなり、坂道を走っている車やまわりの高層ビルの景色が次々と気になりだし、へんないいかたですが、現実にひきもどされたという感じでした。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はあったのですが、写真でもすこし見えているとおり、アメリカ大使館側に坂の碑があり、そのまわりの歩道はなぜか一般の人は歩けないように厳重に警備していたので、今回は残念ながらみれなかったのですが、いつもお世話になっている”東京23区の坂道”さんのサイトに管理人さんが以前に調べた坂の碑の記述内容があったのでそれを参考にさせていただくと『江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつか嶺が霊となった。』と書いてあったそうです。
まあ、簡単にいうとというか手元にある資料(江戸東京坂道事典です・・)を参考にすこしわかりやすくいうと、江戸時代のはじめの徳川家康・秀忠・家光の将軍に尊敬されていた僧の霊南がこのあたりの赤坂溜池の南台に寺を創建して住み、これを霊南庵(いまは高輪に移り東禅寺というそうです)といったことから霊南坂と呼ぶようになったみたいですよ。



地図
港区赤坂1あたり

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がんぎ坂と呼ぶそうです。
場所は、・・・・。
といつものようにいきたいところなのですが、実は、いまは現存しない坂道です。(汗)
ただ、だいたいの場所ですが、前回とりあげた鼓坂 (NO.115) の話でもでてきた霊南坂教会の前から南西に下り、六本木一丁目あたり(今のアークヒルズ内)にいたる崖地の石段坂だったようです。


雁木坂 (NO.116) 1
霊南坂教会

正面に見えているレンガ色の建物が、霊南坂教会です。
ここからみると、教会っぽくみえませんが・・。(笑)
(ただ、霊南坂教会の公式サイトにスケッチがあったのですが、それを見たところ、ちがうアングルからみると、ちゃんとみえるみたいですよ。)
あと、付け加えておきますが、この写真をとるために僕が立っていた場所が、ちょうど教会に対して南西の位置だったりします。

また、現在の会堂は1985年に建てられたものらしいのですが、それ以前は東京駅を設計したことでも知られている辰野金吾氏の設計による教会堂だったらしく大正時代の名建築として、広く愛されていたそうですよ。


雁木坂 (NO.116) 2

今度は、霊南坂教会の側からアークヒルズ方面を眺めたものです。
せめて、一回くらいは道の写真もいれないとなあと思いいれてみました。。

ちなみに、一枚目の写真を撮った位置はちょうど正面に見えている道路の上に架かっているちいさな橋(ただし、あとでみせますが、これ歩道橋じゃないんですよ(笑))から見てみたものです。


雁木坂 (NO.116) 3

そして、上記ですこしふれたちいさな橋の上を、2枚目の写真の左上あたりの場所から眺めたものです。(今回は、写真をみるためにあっちこっち移動する感じになってややこしくなってしまってすいません。。)
ここからみると、ちいさな橋をわたり、そのむこうまで、そのまま直接地面というか道路になっているようで、2枚目の道とは違う高さのようで、こんなことからもこのあたりの地形の複雑さが見てとれました。
(またまたちなみにですが、写真の道路の奥のほうにみえているつきあたりらしき場所が、前回とりあげた鼓坂(NO.115) の坂上だったりするのですよ。。)


雁木坂 (NO.116) 4

こんなものが3枚目の写真の銀色のバーがあるあたりのちょうど左側にありました。
ちょっと見にくいかもしれないので、ここで書いておくと、「旧霊南坂教会礼拝堂所在地」とありました。
ということは、霊南坂教会の前を走っている現在の道のあるあたりもかっては霊南坂教会の敷地で、なにかの計画上(というか道路の計画がうまくいかないので)アークヒルズをつくる際に掘られてまわりより低くなってしまったということなんですかね?
それとも、霊南坂教会そのものの位置が変わってしまったんですかね・・・。
まあ、とりあえず、いまのところはわかりません。。(汗)

あと、ここには、いつものような坂の碑はありませんでしたが、「赤坂区史」に『霊南坂教会の前を市兵衛町に下る坂は雁木坂と呼ばれてゐる。これは石で雁木にしつらへてゐたので斯く称ばれたものと言はれてゐる』と書かれています。
(ちなみに”雁木”を辞書でひくと”群れて飛ぶ雁の列のようにジグザグの形をしたもの。”だそうですよ。)


雁木坂 (NO.116) 5

また、3枚目の写真のすぐ左側には、アークガーデンなるアークヒルズとそのまわりにつくられた7つの庭があり、そのなかのひとつであるフォーシーズンズガーデンとよばれる場所があり、なんとも宮崎駿さんのアニメのなかにでてきそうな雰囲気のガーデンがあったので、思わずぱちりと。。
あと、写真の左上に電柱というか鉄塔のようなものが見えていますが、あれは霊南坂教会のものらしく、鉄塔のうえにちょこんと十字架がのっていたりするのがなんともいえませんでしたよ。


雁木坂 (NO.116) 6

そんな感じで、アークガーデン内をぶらぶらしてみましたが、実はここ、アークヒルズ内にあることもあり、まわりが高層マンションで囲まれていて、そのあいまをとおりぬけるように緑や広場が配置されていて、なんとも不思議な雰囲気のガーデンというか空間になっていたかもです。




地図
港区赤坂1あたり

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つづみ坂と呼ぶそうです。
場所は、桜坂 (NO.114) の坂上をさらにあがり坂道をのぼりきったあたりに、今回の鼓坂の坂下があります。


鼓坂 (NO.115) 1
坂下より

ちょうど、左側の土地が工事中だったのですこし無表情な感じにも見えなくもないのですが、右側のマンションと見比べてみるとわかるかもしれませんが、いっきに2階レベルの高さまで短い区間をだあだあっと(笑)登る感じの坂道で、しかも道幅もせまいようでした。


鼓坂 (NO.115) 2
坂上より

なかなかの急勾配の坂道をあがり、坂上から見たものですが、まさにとなりのマンションの2階レベルから、まわりの景色を眺めている感覚でしたが、ここも地面というか道なんですよね。(笑)
ただ、まわりは高層マンションばかりだったので、唯一正面にみえている以外は、あまり景色はひらけていませんでした。


鼓坂 (NO.115) 3
坂上あたり

そして、さらに坂上の方向へ歩いていくと、見てのとおり平坦な道になっていましたが、右側には、近代的な雰囲気のコンクリートの塀に囲われた陽泉寺(だと思います。地図でみたところですが・・・)が見えていました。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はなかったです。
ただ、この鼓坂というのは、今はなくなったという説などもあるみたいなのですが、とりあえず僕が参考にした江戸東京坂道事典には、霊南坂教会の北わきを西へ下る坂道とあり、ちょうど写真では見えていませんが、僕が立っているちょうど左手(=南側)に霊南坂教会の入口があったので、ここなんだろうなあと思っています。




地図
港区赤坂1

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所在地:港区赤坂1


さくら坂とよぶそうです。
場所は、アークヒルズ内の全日空ホテルの北側を走っている坂道で、坂下は六本木通りに面している坂道です。


桜坂 (NO.114)1
坂下より

坂下からの景色ですが、ちょうど右側には全日空ホテルが見えていたりもしますが、道自体もけっこう新しいそうで整備されている感じでした。


桜坂 (NO.114)2
坂の途中より

すこし坂道をのぼり、坂下方面を眺めたものです。
なんというか、はじめにきちんと計画されてできたものかどうかわかりませんが、勾配具合といい道幅といいなんともバランスがいい具合の坂道でした。
また、ここから見えている木々は桜の木みたいで、春には桜の街道になるとのことみたいですよ。


桜坂 (NO.114)3
坂上あたり

そして、坂上あたりにきてみると、ここにも坂の碑が見えていました。
ということで、ここの坂の碑には、
『明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからその名がついた。』
とありました。

また、この坂道は、この近くにあるアメリカ大使館の西側あたりから今もある陽泉寺の墓地ぎわを南へとあがる坂道だったらしいのですが、いまはそれもなくなり、その位置から西側にある現在の坂道が桜坂とよばれるようになったらしいです。(←江戸東京坂道事典を参考にさせていただきました。)


桜坂 (NO.114)4
坂上より

最後に、桜坂の坂上あたりよりさらに上にいける道(アーク森ビル方面)を見てみたのですが、おそらくこの坂道はかつてあったもとの桜坂の坂道と場所は違えどほぼ並行な向きにのぼっている(=南へとのぼる)坂道なのだろうなあと思い、一枚撮っておきました。
ちょうどここからみると、街路樹がなかなかいい感じに育っていていい感じでしたが、なにより右手には全日空ホテルやアーク森ビルが高々とそびえ建っていて、けっこうな迫力ある坂道でした。



地図
港区赤坂1

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所在地:港区六本木3


ながたれ坂と呼ぶそうです。
また、別名でなだれ坂、幸国寺坂、幸国坂、市兵衛坂ともいうそうで、市兵衛坂というのは旧市兵衛町にかかることから、幸国寺坂は坂側に幸国寺があったことからそう呼ばれているそうです。
場所は、六本木交差点から六本木通りを北東へむかう坂道をくだったあたりで、坂下が六本木通りに面している場所で、ちょうど市三坂 (NO.89) の坂下あたりが長垂坂の坂下あたりということにもなります。


長垂坂 (NO.113) 1
坂下より

六本木通り側の坂下から見たものですが、ちょっとした感じの路地という具合でしたが、見た目よりも車の行き来が多い坂道でした。


長垂坂 (NO.113) 2

あと、一枚目の写真の左側あたりに案内の看板がすこし見えていましたが、ヴィラフォンテーヌというホテルがすぐそばにあったのですが、実はこのホテル、つい最近まで六本木プリンスという名で営業されていたらしく、また、この建物も今はなき黒川紀章さんの設計したものらしいですよ。


長垂坂 (NO.113) 3
坂の途中より

そして、すこし坂道をのぼり坂下を眺めたものです。
ちょうど正面にみえているのが、六本木通りで、さらに(これはあとで気がついたのですが・・)その上には高速道路が2段になって走っていましたよ。。


長垂坂 (NO.113) 4
坂の途中より2

とりあえず、カーブしている坂道をたらたらとのぼりながら、坂下方面を眺めています。。
それにしても、なかなか長い坂道です。


長垂坂 (NO.113) 5
坂上より

やっと坂上あたりまできてみたのですが、遠くにみえているビルの見え具合をなんとなく見てもらえると、この坂道の高低差ぐあいを感じてもらえるかもしれませんが、道自体がなが〜い坂道だったので見た感じはそれほど急な印象はうけませんが、けっこうな高低差がありそうな坂道でした。

ちなみに、ここには、僕が行ったときはいつものような坂の碑がみあたらなかったのですが、”東京23区の坂道”さんのサイトの写真や説明などをみさせていただくと、この写真のすぐ右側あたりに坂の碑があったみたい(もしかしたら僕が見落としただけかもしれませんが・・)で、「流華・奈大礼・長華などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。」と書いてあったそうです。


※追記(2012/5/22):上記では見つからなかったとありますが、後日、この坂を訪れたときに坂の牌があることは確認済みです。ただ、内容はメモしてないので、またそのうちいアップしておきますのであしからず。



地図
港区六本木3

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