東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道[No141〜180]
新富士坂(NO.180)その2 //渋谷区恵比寿南3丁目
新富士坂(NO.180) /渋谷区恵比寿南3丁目
初台坂(NO.179)
切通しの坂(NO.178)
日蔭坂(NO.177)
ネギ山坂(NO.176)
八幡坂(NO.175)
榎坂(NO.174) 
観音坂(NO.173)
勢揃坂(NO.172)
ネッコ坂(NO.171)
妻恋坂(NO.170)
清水坂(NO.169)
傘谷坂(NO.168)
樹木谷坂(NO.167)
新妻恋坂(NO.166)
明神女坂(NO.165)
明神男坂(NO.164)
明神坂(NO.163)
昌平坂(NO.162)
相生坂(NO.161)
金王坂(NO.160)
羽沢坂(NO.159)
南平坂(NO.158)
上村坂(NO.157)
天狗坂(NO.156)
ビール坂(NO.155)
目切坂(NO.154)
衆楽坂(NO.153)
代官山坂(NO.152)

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前回の新富士坂(NO.180)の続きです。
おそらく、前回の坂道記事だけでは、あれれ?もうおわり?と思ったかたもいたかもしれないですけど、あまりに話が長くなりそうだったので、今日の第2段ということにしてわけみたわけですよ。



新富士坂(NO.180)その2_1

それで、まずはこれ。
新富士坂(NO.180)の坂下からの眺めをおさめた一枚目の写真でも見えていたのですが、「道しるべ」なる道しるべです。(笑)
道しるべなので、他に言いようがないのですけど、隣に案内看板があったので、そのまま書き写してみると、
『江戸時代中期の安永八年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀沸、その左側にゆうてん寺道、右側には不動尊みちと書いてあります。ゆうてん寺道とは、目黒方面から別所坂を登リ麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道のことです。そして台座には道講中と刻まれています。このことから、単に道路の指導標というだけではなく、交通安全についても祈願し造られたものであると考えられます。この地域は江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれた小規模な町並みが存在していただけでした。町並みから外への道は、人家も少ない寂しいところであったため、このような宗教的意味をもった道しるべが必要だったのでしょう。』
と書いてありました。
まあ、ここに書いてあることをそのまま理解すればいいんじゃないですかね。
ただ、「1779年に建てられたこの道しるべ」というのはすごく気になりますけどね。
(それと、これはお地蔵さんとは、また違うみたいですね。なんだか調べてみたくなってきましたが、それはまたいつか・・・。(汗))



新富士坂(NO.180)その2_2

これも坂の途中にあったものです。
「馬頭観世音」というらしいですよ。
後ろのハイソな塀(壁?)とのコントラストがなかなかいい感じかもです。

そして、ここにも、なにやら案内看板が設置してあり、
『このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(1719)年、このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が、馬頭観音に祈って悪病を退散させました。そのお礼に石で観音をつくり、祐天寺の祐海上人に加持祈祷�偃を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程へ安置した、と伝えています。そして村の人は毎年二回、百万遍念佛を唱え祈願をしたので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福に暮らしたとのことです。
 この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂をおりると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には、庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。』
とありました。
なるほど、なるほど。。

とりあえず、こまかいことはおいておいて(汗)、気になることといえば、この坂道が、「目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道」という記載のところですかね。
道しるべの説明のほうでも、似たようなことが書いてありましたけど、この新富士坂(NO.180)は昔の主要道路だったんですね。
あとは、別所坂だったり、目黒新富士なんていう気になる名前がでてきますけど、このあたりのことは、目黒区の坂道めぐりを、またそのうちに始めたときにでも、取り上げてみようかなと思っていますので、少々お待ちください。



新富士坂(NO.180)その2_3

最後はおまけです。
これも坂の途中で見かけた教会です。
閑静な住宅街のなかに、とりたてて目立つ感じでもなく、かといって、あまりにひっそりいうわけでもない、ちょうどいい感じでたたずんでいる姿におもわずぱちりと。



住所
渋谷区恵比寿南3

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所在地:渋谷区恵比寿南3


しんふじ坂とよぶそうで、別名で観音坂ともいうそうです。
場所は、ちょっとわかりにくいのですが、恵比寿駅から西へ歩いて数分のところにあり、駒沢通りよりすこし南側にある坂道です。



新富士坂(NO.180)1
坂下より

恵比寿駅のほうから歩いてくると、このあたりにやってきます。
そして、この新富士坂は、さらに西に向かって上っている坂道のようでしたよ。
このあたりから見る分には、写真でみてもわかりやすい感じで、勾配具合が見えていますかね。
ちょうど、このあたりから恵比寿駅前の雑踏が薄れてきて、落ち着いた雰囲気になってくる場所みたいでした。



新富士坂(NO.180)2
坂の途中より

すこし坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。
現地では、手前の坂道のほうばかりに目がいってしまっていましたが、この風景をじっと見ていると、坂のむこうに見えている、恵比寿駅前のビルやら駅ビルなんかのほうが、気になってしまうんですが、どうでしょうかね。。



新富士坂(NO.180)3
坂の途中より2

さらに坂を上り、同じく坂下のほうを見たものです。
このあたりまでくると、坂下あたりほどの勾配具合ではなくなりましたが、基本的に、ここの坂道は、それなりに高低差はあるのかもしれませんが、道自体が長いので、勾配具合が感じにくい坂道なのかもしれないなあと思ったりしましたよ。
あと、ここからだと、恵比寿駅というか駅ビルの異様な大きさがわかりやすく見えていますね。。



新富士坂(NO.180)4
坂の途中より2

そして、3枚目の写真とだいたい同じ立ち位置から、坂上のほうを眺めたものです。
なかなかいい具合に、上りながらカーブを描がいてます。



新富士坂(NO.180)5
坂上あたり

最後は、カーブを曲がりきり、さらに坂上のほうを見たものです。
なんていうか、閑静な住宅街というかマンション通りというべきかはわかりませんけど、坂上にきても、ここは坂下の雰囲気とはあまり変わらず、落ち着いた感じの空気が流れていましたよ。


ちなみに、ここには、いつもの坂の碑はなかったのですが、「歩いてみたい東京の坂(下)」にて坂の由来に関する記載があり、
『江戸時代、北海道探検で有名な「近藤重蔵」がこの坂上に屋敷を構え邸内に富士山を模した小山を築造した。それ以降、茶屋坂上(目黒区三田2丁目12番)に築かれてあったミニ富士山を「元富士と呼び、近藤邸内のものを「新富士と呼ぶようになった。坂名はこの「新富士による。「新富士」は安藤広重も描いている。』
とありました。

(あと、余談ですが、この坂道から実際に富士山が見えたかどうかはわからないのですが、いちおう、今回は富士見坂カテゴリのほうにふりわけてみましたので、あしからず。)



地図
渋谷区恵比寿南3

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所在地:渋谷区初台2

はつだい坂と呼ぶそうです。
場所は、坂上あたりは京王線初台駅からそれほど遠くない場所にあり、坂下は山手通りに面している坂道です。



初台坂(NO.179)1
坂下より

これは坂下から見たものです。
なんていうか、ここから見るぶんには、ちょっときついですかね(汗)。
別に整然としているのがいいとか、そういう問題でもなくて、なんというか右側の山手通りの工事中の荒れた風景もあわせて、なんだか写真映りは微妙かもですね。。
(とにかく、山手通りの風景は早くなんとかしてほしいなあなんて、思っている今日この頃ですが、それもいつになることやら。。)



初台坂(NO.179)2
坂の途中

ただ、坂道をすこし上ってくると、こんな感じでした。
このあたりまでくると、坂下の雰囲気がうそのように静かになり、左側に見えている大きな樹もなかなかいい感じで育っていました。
坂道自体は、ふつうに車どうしが十分すれ違えるくらいの道幅もあり、勾配具合もきつくもなくゆるくもなくといった感じでした。



初台坂(NO.179)3
坂の途中より2

そして、もうすこし坂道を上り、坂上のほうを眺めてみました。
途中から、坂道がゆるやかにカーブしだしていて、しばらくすると、こんな感じで、坂のむこうに東京オペラシティーの高層ビルが見えていましたよ。



初台坂(NO.179)4
坂上あたりより

最後は、坂上あたりから、坂下のほうを見たものです。
ここからだと、坂道のカーブ具合もわかりやすいんじゃないですかね。
しかも、このあたりまでくると、坂下からかなり歩いてきたこともあってか、ほんとうに坂下の雰囲気とは一変していて、閑静な住宅街といった具合で、坂の両サイドに高層マンションもほとんどみられず(あってもかなりバックしています)、ほんと空が広く見えていましたよ。


ちなみに、ここにはいつもの坂の牌はありませんでしたが、江戸東京坂道事典によると、
『地名や坂名の起源になった初台の局は、二代将軍秀忠に仕えた奥女中で、その墓は、彼女が開基した浄土真宗正春寺(代々木三丁目二十七番)の境内にある。』
とのことです。


地図
渋谷区初台2

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所在地:渋谷区代々木4


きりとおしの坂というそうで、切通坂という呼び方もあるみたいです。
場所は小田急参宮橋の北側にあり、甲州街道よりは南側にある坂道です。



切通しの坂(NO.178)1
坂下より

坂下からの風景です。
けっこうな高低差がありそうなのですが、距離が長いのか、道自体はふつうの舗装道路でした。
坂道自体も微妙にカーブしながら、登っていっている感じで、左手にも見えているとおり、坂の途中にはいくつか背の高い建物もありましたが、なぜだかそれほど圧迫感みたいなものは感じなかったです。



切通しの坂(NO.178)2
 
そして、だいたい同じ立ち位置から、左側(北西)をみると、東京オペラシティのビルが見えていましたよ。
しかも正面に見えている道も坂道になっていて、実際に歩いてはいないので、なんともいえませんが、なかなかよさげな感じには見えたかもです。



切通しの坂(NO.178)3
坂の途中より

もうすこし坂を上り、坂下のほうを見てみました。
坂下のあたりはどうやら谷になっているようで、向こうに見えている道をそのまま上って道なりに行くと、山手通りにいけるようですよ。



切通しの坂(NO.178)4
坂の途中より2

今度は、もうすこし、坂を上り、さらに坂上のほうを眺めてみました。
もうこのあたりまでくると、坂上のほうがほとんど見えていました。
それにしても、この切通しの坂は、まわりの建物の新旧、高さなんかにバリエーションがあって、歩いていると、高低差もあいまって、かなり直線的な坂道なのですが、それでもいろんな風景の変化が楽しめて、なかなかいい感じでしたよ。



切通しの坂(NO.178)5
坂上あたりより

そういうわけで、写真が続きます。。
これは、さらに坂上まで歩き、坂下のほうを見たものです。
遠くのほうに、山手通り沿いにある感じのマンションも見えていますが、おそらくそんな超高層ビルではなさそうなので、見た感じでは、ここの位置よりちょっと高い位置に山手通りやマンションがあるのかもしれませんね。
それにしても、なんだか空が広く見えるのは気のせいですかねえ。。
ただよくみると、写真では見えていませんが、たしか左右の建物はそれなりの高さのマンションだったと思うのですが、道に対して一歩も二歩もさがったつくりになっていて、坂の真ん中あたりは、背の低めの建物になっているせいもあるかもですね。
あと左側の家々が坂なりにくいーんと軒を連ねているのが見えてますが、こういうのをひさしぶりに見るとちょっとほっとしますかね。



切通しの坂(NO.178)6
坂上より

最後は、坂上のかなり平坦になった場所からパチリと。
「ああ、この場所かあ」なんていう方もいるかもしれませんね。(実際、現地で同じことを思ってしまったもので。。)
なので、上を走っているのが、首都高速4号新宿線で、正面に見えている道を奥にいくと今回の切通しの坂が見えてくるということになります。


ちなみに、ここには、いつもの坂の碑があり、坂下あたりのは木製で、坂上には石づくりのものがあり、その内容は、
『画家岸田劉生は、大正三年(一九一四)から五年(一九一六)にかけて代々木に住んでいたので、このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に、名作「切通しの写生」(重要文化財)があり、大正四年(一九一五)に発表しました。』
とありました。

それで、岸田劉生さんの名でさらりと検索してみたら、「切通しの写生」もウィキペディアにそのまま画像で掲載されていましたよ。
切通しの写生



地図
渋谷区代々木4

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所在地:渋谷区代々木1


ひかげ坂と呼ぶそうです。
場所は明治神宮の北隣にあり、首都高速4号新宿線と併走して小田急参宮橋駅のほう(西)にむかって上っている坂道です。



日蔭坂(NO.177)1
坂下より

これは坂下より眺めたものです。
かなりいい感じでカーブしながら上っている坂道で、ちょっとわかりにくいですが、高低差もけっこうありましたよ。
あとこの左手には首都高速やら明治神宮があったりします。
歩道はせまく、車がひっきりなしに通っている道で、ちょっとふらりと坂道散歩するには、あまりに騒々しいのですが、なんといっても隣に明治神宮敷地内の大きな樹々がちらちらと見え、坂道自体もかなりいい具合なので、いちがいにどう捕らえたらよいのかむつかしい坂道だったかもです。



日蔭坂(NO.177)2
坂の途中より

すこし坂道を上ると、ちょうど坂上のむこうのほうに、西新宿にある新宿パークタワーが見えていましたよ。
なんていうか、下のほうばかり向いているより、ちょっと上のほうを見ながら歩いていると、けっこういろいろな変化があっておもしろい坂道のようでした。



日蔭坂(NO.177)3
坂上より

そして、一気に坂上のほうにきて、坂下のほうを見てみました。
ここまでくると、右側の神宮外苑内の巨木もよく見え、首都高速も都内にありがちな道路の真上を走っているわけでなく、すぐ隣にあるわけで、そんなこともあり空もすごく広く感じることができて、このあたりまでくると、日蔭坂の日蔭という雰囲気はほとんど消え、なかなか気持ちのよい感じでしたよ。

ちなみにここには、いつもの坂の碑はなかったです。
ただ、江戸東京坂道事典には、『江戸時代は坂下に高札場があり、甲州街道につながる裏街道で、日蔭坂という名も、小暗い裏街道の意味であったろう』とありました。


地図
渋谷区代々木1

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所在地:渋谷区広尾1


過去の坂道写真を整理していたら、またまたありましたよ。
もう気がつけば、こちらは一年くらい前のものですが、坂道本をぱらぱらとしていたら、ちゃんとした坂道みたいだし、ちょっと記憶があやふやですが(汗)、これ以上期間があくと、ほんとに取り上げられなくなりそうなので、とりあえず。。
(もしこの一年でなにか変化があったかなにかありましたら、どなたでもいいですので連絡してくださるとありがたいかもです・・・。)

ということで、ねぎやま坂と呼ぶそうです。
場所はだいぶ前に書いたビール坂(NO.155)の北側にあり、明治通りから細めの道をちょっとはいると、坂下あたりにやってきます。



ネギ山坂(NO.176)1
坂下より

坂下から見たものです。
距離の短い坂道だったのですが、上のほうでカーブしているので、ここからだと坂上のほうは見えていませんね。
坂道自体もドーナツ型のすべり止めがついていることからも、けっこうな勾配具合で、幅は、一通の標識があるとおり、車一台がふつうに通れるくらいの坂道だったと思います。



ネギ山坂(NO.176)2
坂の途中より

そして、坂上近い場所までくると、やっと坂上の様子が見えてきました。
カーブの具合もいい感じです。



ネギ山坂(NO.176)3
坂上より

坂上まできてみると、もう坂下のほうは見えませんでした。
ただ、まわりが閑静な住宅街ということもあり、落ち着いた感じだったことは覚えていますよ。
それで、地図で再確認しても、坂道のまわりにお寺がいくつかあるようで、そんなことも関係しているのかなと。



ネギ山坂(NO.176)4
坂上あたり

最後は、3枚目の立ち位置から、さらに坂上のほうをみると、こんな感じで、東北寺の敷地内の墓地が見えていました。
それで、墓地のむこうは、また谷になっていて、今回、写真はないですけど、東京タワーや六本木ヒルズ、ミッドタウンなんかが見えていましたよ。(この写真みて思いだしました。。)


ちなみにここには、いつもの坂の碑はなかったのですが、「歩いてみたい東京の坂(下)」によると、『このあたりにネギ畑があったことに由来するらしいが、江戸切絵図(嘉永四年版)によると、このあたり一帯は畑になっている。』とのことです。
まあ、ネギ山坂なんてカタカナがはいっているぐらいだから、それほどは古くない坂道なのかもしれないですね。



地図
渋谷区広尾1

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所在地:渋谷区千駄ヶ谷1


はちまん坂と呼ぶそうです。
場所は、榎坂(NO.174)の坂下の道をすこしばかり北上すると、神社前の五叉路にぶつかる場所があるのですが、そのあたりが八幡坂の坂上あたりということになります。



八幡坂(NO.175)1
坂下より

まずは坂下からの風景です。
この道沿いを坂上のほうに歩いていくと、東京体育館の横を抜けて、JR千駄ヶ谷駅にいけたりします。
いちおう正面に、東京体育館の建物が見えているんですけどね。。



八幡坂(NO.175)2
坂の途中より

今度は、すこし坂道を上り、坂下のほうを眺めたものです。
坂道自体は、車通りも多く、そんなこともあり、周辺の道と比べても道路の道幅もそれなりに広かったです。
また、勾配具合も坂道がほぼ直線だったこともあってか、歩いているときはあまり気にするほどの感じではなかったですけど、あらためて写真でみる分にはそれなりにあるみたいでね。



八幡坂(NO.175)3
坂上より

そして、あっというまに坂上まできてみました。
隣に鳩森八幡神社の鳥居も見えたので、せっかくなので、一緒にパチリと。
それにしても、神社の敷地内の樹木、大きいです。。
もうちょっと違う角度(もっと引いた位置)から撮れば枠内に入ったかもしれませんね。(汗)
あっ、そういえば、一枚目の写真でちょっと見えていたりしますよ。
でも、やっぱりでかい・・・。(笑)
(それで、ちょっと気になり、世界で一番大きな生物はなんだろう?と、ちょっと検索してみると、なんとクジラでも、樹でもなく、一番はキノコなんだそうですよ。。(汗))

と、脱線はこれぐらいにして・・・、ここにはいつもの坂の碑はありませんでした。
ただ、おそらくこの坂の名は写真でも見えている鳩森八幡神社の名からきているとは思います。

また、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に鳩森八幡神社のことがすこし書かれており、
『鳩森八幡神社は千駄谷八幡もよばれ、江戸時代には千駄ヶ谷の総鎮守で、境内もひろく水茶屋がもうけられ、宮芝居や相撲の小屋がしばしばかけられていたという。明治になって、神仏分離のために別当の瑞円寺と分離し、村社に列せられた。』
ということだそうです。

ちなみに、今回僕は見損ねてしまいましたが、鳩森八幡神社の境内には、富士塚もあるみたいです。

そうそう、あと鳩森八幡神社でちょこちょこと調べていたら、このすぐ近くに村上春樹さんがかつて経営していたジャズ喫茶(ピーターキャット)もあったらしいことがわかりましたよ。



地図
渋谷区千駄ヶ谷1

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所在地:渋谷区千駄ヶ谷2

えのき坂と呼ぶそうです。
場所は、観音坂(NO.173)の坂上あたりから、南のほうへと抜ける道があり、そこから瑞円寺の横をぬけると、榎坂の坂上あたりにやってきます。



榎坂(NO.174) 1
坂上より

坂上からの風景です。
瑞円寺横の平坦な道をぬけるとこのあたりにやってきます。
見てのとおり、道がけっこうな割合でカーブしていて、道幅もそれほどなく、まわりにお寺や大使館なんかがあるためか、けっこう静かな感じで、この坂道自体抜け道なのか、車の行き来も少なかったです。



榎坂(NO.174) 2
坂の途中より

すこし坂を下り、坂上のほうを眺めたものです。
勾配具合も適度で、カーブの具合もよく(トラックで見えにくですけど。。←とまりっぱで、すこし待ってみたのですけど、なかなか動いてくれなかったもので・・・。)、それはそれでいいのですが、ちょっと気になったのは、一枚目の写真もそうなんですけど、ここではカーブする道の外側(この写真なら右側です)に、車が駐車している場合が多く(仕方ないんですけどね)、やたらと目に入ってしまい、けっこういい感じでカーブしている道なのになんだかもったいないなあなんて思ってしまいましたよ。
あと、どうでもいいといえば、それまでなんですけど、写真左側に見えている、鉄柱に竹らしきものが巻き付けられているみたいなものはなんでしょうかね?
いちおう一枚目の写真でも見えているんですけどね。。



榎坂(NO.174) 3
坂の途中より

そして、さらに坂道を下ると、坂下あたりの様子が見えてきました。
現地を歩いている時は、坂道のカーブ具合と右側のマンションの石垣や左側に見えている蔦におおわれた家に、おお〜、という感じだったのですが、あらためて帰ってから写真を見直してみると、なんと、左側の家の蔦が電線まで伸びているじゃありませんか。(驚)
いやはや。(笑)



榎坂(NO.174) 4
坂下より

最後は坂下からの風景です。
こうしてみるとかなりの勾配具合の坂道だったんですね。
しかも、電線に巻き付いている蔦もよく見えます。(笑)

ちなみにここにはいつもの坂の碑があり、
『「榎坂」とは、ここから右手に瑞円寺の門前へ向かって登る細い坂道のことです。
かつて、榎の巨木があったことから「榎坂」と名づけられたといわれており、現在は鳩森八幡へ向かうこの道の右手に商売繁盛・縁結び・金縁・子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集める榎稲荷があります。』
とありました。
“現在は、この榎はなく、瑞円寺の地続きに日蓮宗仙寿院があり、その地境に榎の古木があったそうで、今は、その跡に「江戸名所お万榎」の石碑と稲荷の小祠が建っています。”(江戸東京坂道事典より)
詳しいことにはふれませんが(ちょっと検索すればわかりますけど)、このかつての榎は“「千駄谷の例の榎」といっただけで誰もにやっと笑う。”(江戸東京坂道事典より)という地域ではちょっとした有名な榎だったらしく、稲荷は坂の碑の説明にもあるとおり、榎坂の坂下の大きめの道をすこし北上すると、榎稲荷神社という名で実際にあるみたいです(今回は写真に納めてませんけど)。



地図
渋谷区千駄ヶ谷2

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所在地:渋谷区千駄ヶ谷1あたり

かんのん坂と呼ぶそうです。
場所は、国立競技場の西側でもあり東京体育館の南側に位置し、坂下あたりは、外苑西通り(キラー通り)につながっている坂道です。



観音坂(NO.173)1
坂下あたりより

外苑通りから西方面へと抜ける道をすこしばかり歩くと、この場所にくるわけですが、ここから、さらにの左側(写真の)の道を上っていくほうが、今回の観音坂ということになります。
なんとなく雰囲気的には、右側のドーナツ型滑り止め舗装されている方がなんだか、坂道っぽいですけどね。。
でもこの二股道にも見えなくもないこの見え方は、なかなか悪くなかったかもです。(実際は、メイン道路の左折道だとは思います。)



観音坂(NO.173)2
坂の途中より

今度は坂道をすこし上り、坂下のほうを眺めたものです。
一方通行の道ということもあって、道幅は狭かったです。
あと、坂下からの写真だと、それなりに勾配具合があるように見えていたのですが、ここからの写真だと、あまりその感じがでていませんね。。(というか、写し方というか視点が下向き加減だったからかもしれないので、今度、坂道さんぽするときは、そのことを意識して撮ってみようと思いますよ。)



観音坂(NO.173)3
坂上あたりより

そして、ぎゅいーんと大きくカーブしている道をさらに上って、道自体は、さらにここからもうすこし上っていく感じでしたが、いちおうここに坂の碑が見えていたので、このあたりから坂下にむかってパチリと。
見た目は、静かな住宅街の抜け道という感じですが、実際は、散歩中も車が何度も通りすぎるといった具合でした。

ちなみに、ここには写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり、『坂名は、真言宗観谷山聖輪寺の本尊であった如意輪観音像に由来します。観音は当寺の開山とされる行基の作と伝えられていましたが、残念ながら戦災によって焼失してしまいました。「江戸名所図会」によると、身の丈は三尺五寸で、両眼は金でつくられていたといいます。』
とありました。



地図
渋谷区千駄ヶ谷1あたり

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所在地:渋谷区神宮前2


せいぞろい坂と呼ぶそうで、別名、源氏坂とも言うそうです。
場所は、外苑西通り(キラー通り)と明治神宮外苑にはさまれている場所にある坂道です。



勢揃坂(NO.172)1
坂上より

坂上からの風景です。
見てのとおり、ゆるやかな勾配具合の坂道で、道幅も適度にある感じでしたが、地図でみると、すぐ西隣がキラー通りということもあってか、車の通りはあまりなかったです。



勢揃坂(NO.172)2
坂の途中より

そして、すこし坂道を下り、坂上のほうを眺めたものです。
こうして見ると、距離が長いのでゆるやかに見えていただけなのかどうかわかりませんが、意外と高低差はあるみたいで、しかも微妙にカーブしていたので、なかなか雰囲気は悪くなかったです。
また、写真右側には龍巌寺というお寺があり、その敷地内の樹々がたくさん見え、さらに、左側も都営アパートの敷地のものかどうかわかりませんが、大きな木が数本立派に育っており、このあたりだけ、やたらと緑が多く、なんとなく淡々とした感じの坂道の雰囲気の中で、やたらと気になったかもです。



勢揃坂(NO.172)3
坂下あたり

最後は、坂下あたりの様子です。
もうこのあたりまでくると、道の勾配もほとんど感じられなくなっていました。

ちなみに、ここには、いつものような坂の案内標識があり、
『ここのゆるい勾配の坂を勢揃坂といい、渋谷区内に残っている古道のひとつです。
後三年の役−永保三(一〇八三)に八幡太郎義家が奥州征伐にむかうとき、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残されております。
このとき従軍した武士のなかに坂東八平氏(平氏の一族)のひとり河崎重家(渋谷の領主)がおり、手柄をたてたという伝説があります。
真偽についてはもちろんわかりませんが、区内に伝わる源氏に関する伝説のひとつとして注目されます。』
とありました。

要は、この坂の名は、すごく淡泊な言い方をすると、戦にむかう武士たちがこのあたりで勢揃いした場所だからということみたいですね。



地図
渋谷区神宮前2

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所在地:渋谷区神宮前5
(住所のとおり、今回から、ちょっと気分転換がてら、原宿界隈の坂道をぶらりとしてみますので、あしからず。)

ネッコ坂と呼ぶそうで、場所は、表参道の南側にあり、明らかに抜け道といえる道沿いというか路地裏にある坂道です。


ネッコ坂(NO.171)1
坂下あたりより

見た感じは、なんてことのない住宅街のようにも見えますかね。
ただこのあたり、地図がないとほんとわかりにくいのですが、実は、このすぐそばに、キャットストリートなる通りがあり(最近とりあげた“とある街の風景(キャットストリート)”のすぐそばです)、そこから、ちょっと奥に入ったあたりだったりします。


ネッコ坂(NO.171)2
坂の途中より

そして、すこしばかり坂道を上り、坂下のほうを眺めてみました。
坂道自体は、道幅も狭く、車が一台通れるくらいで、勾配もそれほどはきつくない感じでした。


ネッコ坂(NO.171)3
坂の途中より2

今度は、2枚目の写真とほぼ同じ位置から、坂上のほうを見てみました。
このあたりから、坂下のどちらかというと普通な感じの佇まいから、なんとなく、原宿あたりを歩いているかなあ(笑)という雰囲気の、ちょっとしゃれた感じでもあり、高級感ある住宅が、両サイドに見えだしてきたかもです。
それとあわせて、坂道自体も、勾配具合が増し、坂上のほうでカーブしていて、なかなかいい感じ。


ネッコ坂(NO.171)4
坂の途中より3

これは、さらに坂を上り、さきほど見えていたカーブを曲がったあたりから坂上のほうを見たものです。
あと、左側に見えている、レンガあり木柵あり、大粒の石あり・・・といったいこれは何種類の素材でつくっているんだあ〜、という具合の擁壁みたいなものが、あまりに気になったかもです。。


ネッコ坂(NO.171)5
坂の途中より4

今度は、4枚目とだいたい同じ立ち位置から、坂下のほうを眺めてみました。
個人的には、カーブする坂道とあわせて、変わった擁壁があったり、新旧の建物がちょうど両サイドにあったりと(左側のナウなコンクリ建築もそうですが、右側の古い建物も実はけっこう変わったつくりだったんですよ)、こうしてあらためて写真で見てみると、なかなか他の地域では出会いにくい雰囲気があるような気がしてしまいました。


ネッコ坂(NO.171)6
坂上あたり

やっと最後です。。
さっきのS字カーブをぬけた後に、見えた風景です。
この道沿いに、さらに坂上方向に歩けば、青山通りにぶつかることになります。
なんというか、このあたりもそうですが、坂下から坂上まで、かなり狭い抜け道なのにもかかわらず、人通りはなかなかのもので、ちょっと、写真は撮りづらかったです。。

ちなみに、ここには、いつものような坂の碑などはなかったです。
ただ、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」には、
『天理教東中央大教会の西裏を屈折して北へ下る坂で、その形が木の根っこのように曲がっているのでネッコ坂といったらしい』
とのことでした。


(ということで、もうおわかりのかたもいるかもしれませんけど、最近、記事にした“ とある街の風景(ハナエ・モリビル) ”or“ とある街の風景(キャットストリート) ”もちょうどこのネッコ坂の坂上・坂下あたりに偶然あるので、実は、坂道散歩のついでに回っただけなんですよ。。)


地図
渋谷区神宮前5

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所在地:文京区湯島3と千代田区外神田6


つまごい坂と呼ぶそうで、別名で、大超坂または大潮坂、大長坂、大帳坂とも言われていたそうです。
場所は、蔵前橋通りの北側に位置し、前回の清水坂(NO.169)の坂の途中より東へと下っていく坂道です。



妻恋坂(NO.170)1
坂上より

坂上から坂下のほうを眺めたものです。
いちおう写真でも、ドーナツ型のすべり止めの舗装(かなり雑な道路工事の跡もみられますけど・・・)が見えているとおり、けっこうな勾配具合の坂道で、このあたりは完全に裏道っぽい感じで車の行き来も少なくこのあたりから坂道を眺める分には悪くない感じでした。

ただ・・・。



妻恋坂(NO.170)2
坂上あたり

一枚目の写真と同じ位置から、今度は坂上のほうを眺めてみると・・・・。
まあ、こまかいことはあえて言いませんが(笑)、いちおうひとこと加えておくと、正面のつきあたりの道路が、清水坂(NO.169)ということになりますかね。


妻恋坂(NO.170)3
妻恋神社

あと二枚目の写真にもちらりと見えていたのですが、実は妻恋神社なる神社の入口もあったんですよ。(この写真は鳥居ですけどね。。)
妻恋神社についての詳しいことは公式HPもあるみたいなので、そちらをどうぞ。
妻恋神社のHP




妻恋坂(NO.170)4
坂の途中より

そして、もうすこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
なんていうか、このあたりは住宅街なのか、都内の駅前によくあるビル路地(?)のような道なのかわかりませんが、この坂道を歩いていると、どちらかというと、後者のような印象があったかもです。

ちなみにこの坂道にはいつものような坂の案内板はなかったです。
ただ、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に、
『「新撰東京名所図会」に、「妻恋坂は妻恋神社の前なる坂なり、大超坂ともいふ。本所霊山寺開基の地にて、開山大超和尚道徳高かりしを以て一にかく唱ふといふ」と記している。大超が開基した霊山寺が明暦の大火で類焼して浅草へ移転し、その跡に湯島天神町にあった妻恋稲荷社が移ってきて、以後、妻恋坂と呼ぶようになったのである。』
とありました。



妻恋坂(NO.170)5

最後は、坂の途中から以前にもとりあげた神田明神の裏参道がなにげに見えてたりしたので、ぱちりと一枚。

ということで、いちおう今回はこんなところですが、実は坂道自体はもうすこし続いているみたいで、このまま坂下のほうへ、道沿いに歩いていくと、途中から(地図で見ると)文京区から千代田区になり(これはこれで興味深いですね)、そこをさらに下っていくと、ちょっと大きめの通りにでて、そこのすぐそばの蔵前橋通り沿いにある交差点が“妻恋坂”という名になっており、おそらく、そのあたりまでが妻恋坂ということになるのかもしれませんが、今回は坂の途中までの分しか撮ってなかったので、また機会があれば、坂下あたりの風景も取り上げてみることにしますよ。



地図
文京区湯島3と千代田区外神田6(けっこう境界がややこしいです。。)

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所在地:文京区湯島3あたり

しみず坂と呼ぶそうです。
場所は、坂下が蔵前通りに面しており、以前にもとりあげた横見坂 (NO.15)のちょうど東側にある坂道です。



清水坂(NO.169)1
坂上より

坂上あたりから坂下のほうを眺めたものです。
見てのとおりけっこうな急勾配具合の坂道で、道幅とのバランスもなかなか悪くない感じでした。
まあ、しいて気になったことといえば、左側にある茶色系のマンションの敷地内からにょきにょきと元気よく育っている樹が、マンションの壁にはりついているように見えていたのが、なんともいえず、思わずにっこりしてしまいましたよ。
ただ、高低差はけっこうある坂道でしたが、まわりはけっこうな高さのマンションが建ち並んでいたので、景色を楽しむという感じではなかったです。



清水坂(NO.169)2
坂の途中より

そして、坂をすこし下り、坂上のほうも見たものです。
すこし歩いただけなのに、もう自分の背丈以上の高さを下りてきたみたいですね。



清水坂(NO.169)3
坂の途中より2

さらにすこしばかり坂を下り、坂下のほうを眺めたものです。
いちおう正面の坂を下った交差点のあたりが、蔵前橋通りということになります。
しかもここの交差点名は“清水坂下”というみたいですよ。



清水坂(NO.169)4
坂下より

最後は坂下からの風景です。
(ほんとうはもうすこしひいた場所(もっと坂下方向の交差点のあたり)から眺めたほうがいい感じに見えたんですけど、とりあえず、今回はこの写真しか撮ってませんのであしからず。。)

ちなみにここには、いつものような坂の案内板があり、
『江戸時代、このあたりに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。
この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田神社(神田明神)にかかる広大なものであった。嘉永6年(1853)の「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になってその敷地は清水精機会社の所有となった。
大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備した。
そこで、町の人が、清水家の徳をたたえて、「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。』
とありました。

あっそうそう、この案内板の説明にもあるとおり、坂下に石柱があるとのことですが、これ、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」にも写真つきで載っていたのですが、現地では散歩当時それがあること事態知らずに歩いていたので、まったく気がつきませんでしたよ・・・。
なので、また機会があればみてこようかなと思っていますよ。



地図
文京区湯島3あたり

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所在地:文京区本郷3と湯島2の間


からかさだに坂と呼ぶそうで、別名、かさだに坂とも言うそうです。
場所は前回の樹木谷坂(NO.167)の坂下からさらに蔵前橋通り沿いに西へと歩くと本郷通りと合流する地点があり、今回の坂道は、ちょうどそこの交差点あたりが坂上あたりになっており、そこから北へと下っていく坂道です。



傘谷坂(NO.168)1
坂上より

交差点からすこし奥に入ったあたりから坂下のほうを眺めたものです。
裏道てきな雰囲気のわりには、以外と6階以上のビル(たぶん)がにょきにょきと両サイドにならんでいるなあという感じでした。
しかも街路樹とみていいのか、敷地内の樹なのかちょっとわかりにくいものが道路から見えていたり。。



傘谷坂(NO.168)2

あと、一枚目の写真にもちらりと見えていましたが、(この奥が地図では幼稚園らしいのですが)道路沿いの壁にこんな絵が。。
しかも、偶然、坂の由来なんかが書かれている坂の案内板の裏側も見えているし。(笑)

ということで、その案内板には、
『傘谷をはさんで、向き会う二つの坂をいう。改撰江戸志という書物によると、傘谷は、金助町(旧町名)の北の方にあって、傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで傘谷、傘坂の名がついた。
金助町に生まれた歌人・岡麓は、大正12年の大震災で家が焼け、その焼け跡で、
“あさはかに 家居移しし 悔心 このやけあとに 立ちて嘆かゆ” とよんだ。』
と書かれてありました。



傘谷坂(NO.168)3
坂下より

そして、すこしばかり坂道を下ると、坂上からはすこしカーブして見えていなかったのですが、もうこのあたりまでくると勾配具合もゆるやかになり、坂下あたりにやってきたみたいだったので、坂上のほうを眺めてみました。
坂道自体は普通な感じですが、よくよく眺めてみると、街路樹はないかわりに、歩道の手すりあたりになんだか青々としたものがあるなあと。。



傘谷坂(NO.168)4

最後は、なぜ話題にしないのか(見えているのに!)と思われたかたもいたかもしれませんが、今までの写真でもちらちらと写っていたものです。
というか、写真そのままなんですけど、サッカーミュージアムがありましたよ。

しかも、坂上あたりには、 “サッカー通り”と書かれた立派な案内標識まであったりして、実はここサッカー通りという名の道でもあるんですよ。(ただ昔は金花通りと呼ばれていたこともあったみたいですけどね。)


地図
文京区本郷3と湯島2の間(地図でみると本当にまっぷたつです。。)

所在地:文京区湯島1


じゅもくだに坂と呼ぶそうで、別名、地獄谷坂ともいうそうです。
場所は、東京医科歯科大学の北側にあり、坂上は本郷通りに、坂下はこの前からたびたび登場している蔵前橋通りに面しており、さらにこの通りをはさんで、ずいぶん前にとりあげた横見坂 (NO.15)の坂下もみえていたりする坂道です。



樹木谷坂(NO.167)1
坂下より

まずは蔵前橋通り側の坂下より坂上のほうを眺めたものです。
見てのとおりすでにここからも坂上の様子がみえるほど、距離の短い坂道でした。
ただそのぶん高低差もそれなりにあり、道幅もそんなに広くないためか、坂道らしい坂道というかなんというか、それらしい雰囲気は歩きながら感じられたかなと。



樹木谷坂(NO.167)2
坂上より

そして、いっきに坂上まできてみました。
これといって思いつくことはありませんが、なんとなく落ち着いた雰囲気の坂道だったかなあ
というのが、歩いたときの印象だったかもです。

ちなみにここには、いつものように坂の案内標識があり、
『地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下る坂である。そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。
尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・並びに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武藏のゝ遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。』
とありました。

また、Wikipediaには、本郷通りのことを「本郷通りは江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、徳川将軍家が日光東照宮へ社参する際に利用された街道である。」なんてことが書いており、このことと重ね合わせると、樹木谷という名の由来もすこし納得という感じです。



樹木谷坂(NO.167)3

最後は、おまけがてらです。
これは本郷通り側から撮ったもので、実は今回の坂道の坂上のすぐ真横にでーんと建っており、坂下からの写真でも右側になにげに見えていた「東京ガーデンパレス」というホテルで、見てのとおり正面の見た目(ファサード)が、けっこう凝ったつくりになっていたことから、現地でちょっと気になりぱちりと。(いちおう帰ってからしらべてみると、詳細についてはよくわからなかったですが、やっぱり有名な建築みたいでしたよ。)



地図
文京区湯島1

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所在地:文京区湯島3あたり

しんつまごい坂とよぶそうです。
場所は神田明神の北側にあり、この前取り上げた神田明神裏参道からも見えていた蔵前橋通り沿いにある坂道です。



新妻恋坂(NO.166)1
坂下より

坂下あたりより坂上のほうを眺めたものです。
道の両サイドには10階建てくらいのビルがずらりと軒をつらねていて、坂道自体もそれほどの勾配具合ではないため、なんだかふつうの幹線道路といった感じの坂道でした。
ただ、ちょっとわかりにくいのですが、写真の左側の消火栓とかかれた赤い標識の向こうあたりに神田明神裏参道の坂下あたりが見えていたりするんですよ。
(写真がかぶるので、今回は載せないですけどね。。)



新妻恋坂(NO.166)2
坂上より

そして、一気に坂上あたりにきてみました。
坂上から見るとなおさら勾配具合がわかりにくいですね。。
そんなこともあり、坂道周辺に目をむけてみると、なんというか、よくもまあビルごとに色がまったくちがうもんだなあと思いつつも(まあこれはそういうルールみたいなものはないはずなので、つくる側の自由選択(わるくいえばやりたい放題)になるので仕方がないのですけどね・・)、よくよくじっとみると、現地ではほとんど気にしなかったと言ってもいいかもしれないですが、街路樹もきちんと植えられていたんですね。
なので、すこしばかりの統一感みたいなものが感じられる道なのかもなあなんて思ってみたりしましたよ。

ちなみに、この坂道の通り名でもある蔵前橋通りは、ひさしぶりに登場の「歩いてみたい東京の坂/上」によると、
『関東大震災ののち、当時の東京市長後藤新平が、帝都復興院土木局長太田圓二に計画させた新道の一つであり、昭和四年に開通したものである。』
ということらしく、昭和四年といえば、1929年だからこの道はできてから今年でちょうど80年ということになるんですかね。
まあ、新しめの道といえば、そうなりますが、なかなかにきりがいいですな。。

ということで、今回は写真が少ないですが、こんな感じです。


地図
文京区湯島3あたり

所在地:千代田区外神田2

みょうじんおんな坂と呼ぶそうです。(写真データ復活しました。。)
場所は、明神男坂(NO.164)の南側にあり、東へと下っている階段坂です。
今までこのブログでとりあげた女坂と名のつく坂は、すべてスロープになっていたと思いますが、今回はなんと階段なのに女坂となっているようでしたよ。


明神女坂(NO.165)1
坂下より

坂下から眺めたものです。
見てのとおり狭い路地に坂道もあるという感じで、両サイドの建物がすぐ横までせまり、ぱっとみただけで高低差もわかるので、なんだかえらいきつい勾配の階段だなあというのが、第一印象だったかもです。


明神女坂(NO.165)2
坂の途中より

階段をすこし上り、坂下のほうを見たものです。
すこし階段を上ったとはいっても、実は建物でいうと3階くらいの高さからみたものなんですけどね。。


明神女坂(NO.165)3

そいで、ちょっと同じ位置から、右側を見てみると、こんな光景が・・・。
シートがかけられているのにもかかわらず、雑草が元気よく生えていましたよ。
まあそれだけなんですけどね。(笑)


明神女坂(NO.165)4
坂の途中より2

さらに階段を上ると、こんな感じでした。
さすがに、このあたりにくると、階段の両サイドに建物がキチンと建っていて、道幅は狭いけれど、坂下のほうとは違い、すこし落ち着いてきている印象でした。
あと気になったことといえば、右側にぽつねんと見えている木、しかもけっこう元気よく青々としている樹木ですかね。
こんな狭い路地階段でも見れるんだあという感じでした。


明神女坂(NO.165)5

坂上より

そして、最後はやっとこ坂上まできて、ぱちりと。
もうこのあたりまでくると、階段坂もいちおう途中で曲がっているため、ここから坂下の様子を伺うことはできませんでした。
しかも、ここから昔は明神男坂(NO.164)同様、海も見えたであろう場所だったはずで、そういう意味では階段歩きも楽しいものだったかもしれませんが、いまは大小のビルが建ちならび、どこに視点をもっていっていいやらわからない感じになってしまっていて、なんというか、これほどの高低差のある場所にもかかわらず、結局、階段ばかり見て歩くという感じで、そういう点でいえば、ここは坂下から坂上コースで歩くほうが楽しい坂道なのかもしれませんね。

ちなみにここには、いつものような坂の碑はありませんでした。


地図
千代田区外神田2



所在地:千代田区外神田2


みょうじんおとこ坂と呼ぶそうで、別名、明神石坂とも言うそうです。
場所は神田明神のすぐ東隣にあり、神田明神の境内から東へと下る階段坂道です。



明神男坂(NO.164)1
坂上より

見てのとおり坂上からの風景です。
言葉で説明するまでもなく、かなりの急坂で、階段という選択以外にはありえないくらい坂上と坂下での高低差(例のごとくまわりのビルと見比べてみてください・・)があり、まさに崖につくられた階段という感じでした。

ちなみに、ここには写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり、
『この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。「神田文化史」には「天保の初年当時神田の町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。』
とありました。

ただ、ここからの景色は、この坂道の名前や歴史的なイメージ、かつてここからの景色が絶景だったというからすると、なんともあまりありがたみがないというか、電線やら形も色もばらならなビルが建ち並んでいるのが見えているだけで(ひさしぶりに建築的視点で・・・(笑))、遠くをみてもビルばっかりで(おそらくあの秋葉原の)、う〜ん(汗)という感じだったかもです。

いちおう、この神田明神あたりから海の見える方向が絶景だったことをしめすものとして、広重さんの描いた名所江戸百景の「神田明神曙之景」(ウィキペディアのページへ→go)でこのあたりの景色が取り上げられているみたいでしたよ。



明神男坂(NO.164)2
坂の途中より

次は、すこし階段を下り、坂上のほうを眺めたものです。
なんというか正面の赤と白の壁がなんとなくこの場の印象を神聖なものにしているようにもみえますけど、それ以外はふつうの階段といった感じですかね。

あとちょっと一味違う視点でみると、階段の一段の高さ(蹴上げ)をだいたい20cmとして計算してみると、すでのこの段階で18段くらいありそうなので、坂上とは3.6mくらいの高低差があることになりますかね。。(ようは建物約一階分ですよ。)



明神男坂(NO.164)3
坂下より

そして、あっというまに坂下まで下りてしまい、坂上を見たものです。

男坂という名前からして、なんとなく坂道の坂下にある鳥居をくぐって神社の境内に入るというイメージが僕の中にはあったのですが、どうもここはそのようなものではないみたいで、しかも、ちょっと今回は行った時期があまりよくなくて、坂道の両サイドで建物が工事中だったため、すこし違和感のある風景になってしまっていたかもです。



地図
千代田区外神田2

所在地:文京区湯島1


みょうじん坂と呼ぶそうで、別名、湯島坂、本郷坂とも言うそうです。
場所は、神田明神と湯島聖堂の間を通り、坂の中腹あたりで昌平坂(NO.162)の坂上と合流しつつ、東へと下っていく坂道です。


明神坂(NO.163)1
坂上あたりより

坂上からの風景です。
道幅もひろくかなりゆったりとした感じに見えますが、実際はけっこうな勾配具合の坂道でした。



明神坂(NO.163)2
神田明神

1枚目の写真を見て、あれ?と思ったかたもいたかもしれませんけど、あれはわざとあの位置から撮ってみたんですよ。。
はじめに“神田明神と湯島聖堂の間を通り”なんてことを書いているとおり、1枚目の写真の立ち位置のすぐ左側を見ると、見てのとおり神田明神と参道が見えていました。
まあ、なんていうのか、いまでこそ、この神田明神の歴史の深みのようなものを知りつつあるので(かも?)、“おお”と思ったりもしますけど、以前(かなり前です、このブログを書くかはるか前、学生時代に近くの母校のメイン校舎に用事で訪れたついでに、ぶらりとこのあたりも散歩したことがあったんですけど、当時は、ぱっと見た時“おっ、奥になんかあるなあ、中華街でもあるのかな・・・”なんてことを恐れ多くも想像してしまったことを思い出してしまいましたよ。(汗)



明神坂(NO.163)3

今度はその道路向かいに、湯島聖堂(の裏側)が見えていましたよ。
こうみると意外と大きい建物だったんですね。



明神坂(NO.163)4
坂の途中より

また坂道のほうに話をもどしまして、これは坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
道幅がひろくて左側の湯島聖堂の塀が立派なため、あまり目だっていませんけど、まるで、ジオラマ模型かなにかに飾られているつくりものの木のように、均等に規則ただしく植えられている街路樹も意外と気になったというかいい味だしているなあと。
しかも、電柱もないので、樹ものびのびしているような。。


明神坂(NO.163)5
坂下より

そいで、最後は坂下からの風景です。
ここから見ると坂上からみたときより、さらにゆるやかな勾配具合の坂道に見えてしまっているような気がしますけど、気のせいですよね。。
おそらく建物の3、4層分くらいの高低差はあるはずなんですけどよ・・・。(かなり適当でもうしわけないです。)

ちなみに、この明神坂、今回は人も少なくてゆっくりと歩けましたが、これが神田祭がある時などはすごい人手(身動きできない状態)になるんですよ。
(その祭りの日の様子なんかも神田明神のサイト見えるみたいなので、よかったらどうぞ。→神田明神 )

あっ、あとこの坂道にはいつもの坂の碑などはありませんでしたよ。


地図
文京区湯島1


おまけ


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所在地:文京区湯島1あたり


しょうへい坂と呼ぶそうです。
場所は相生坂(NO.161)の坂下あたりから北へと上っていく坂道で、地図で確認すると坂下から坂の半分くらいまでは千代田区外神田2で、そこから坂上までは文京区湯島1という具合になっているようです。



昌平坂(NO.162)1
坂下より

坂下からの風景です。
見てのとおりここからも坂上の様子がうかがえるほど短い坂道でした。
ただ、なんとなくゆるやかに見える坂道ですが、右側の建物の位置を坂上と坂下で見比べて見ると建物一層分くらいの高低差はありそうなので、おそらく2mから3mくらい(かなりおおざっぱですけど・・)あるんじゃないですかね。
こうやって写真でみると、やっぱり左側の樹々が印象的なのですが、実際歩いている時は、そこまで上空を見上げて歩かないからかもしれませんが、それほど気になる感じではなかったかもです。



昌平坂(NO.162)2
坂上より

そして、あっというまに坂上まできてしまいました。
なんかここから風景をじっくりとみていると、けっこういろんなものが見えていますね。
あえてあげてみると、正面のとてつもなく大きな塀のようにそびえたっている工事中のビルやら坂下には電柱があるのに、坂上には電柱がないとか(これはあとで地図で確認したところ、坂上の文京区の部分には電柱がないみたいですね)、右側の塀がやたらとレトロというか風情があるというのかわかりませんが、そんなものが見えていたりと、なかなかおもしろい景色だったかなあと。。

ちなみに、ここの昌平坂については、相生坂(NO.161)のほうでも若干ふれていたりしますが、さらに、写真でもちらりと見えているとおり、坂の案内板があり、

湯島聖堂と東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂をひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。
 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次のような和歌に詠んだ。

   萬代の秋もかぎらじ諸ともに
      まうでヽ祈る道ぞかしこき

とありました。
(しかも案内板には、昌平坂の所在地は湯島1丁目1と4の間であると書かれていましたよ。。でも坂下の千代田区内にあるであろう部分に昌平坂と彫られた石の小さな標識らしきものもあったんですよね・・・。うーん。まあ余計なおせっかいですけどね。(笑))



昌平坂(NO.162)3


昌平坂(NO.162)4

最後は、おまけがてら。
2枚目の写真の右側に見えていた立派な塀の石垣のすきまからたくましくというべきかなんというかわかりませんが、ぺんぺん草(おそらく)なんかも含めた名無し草が数種ほど生えていてなんだか気になりぱちぱちと。。



地図
文京区湯島1あたり

所在地:文京区湯島1


あいおい坂と呼ぶそうで、別名で昌平坂や団子坂とも言うそうです。
場所は、御茶ノ水駅そばにあり、駅からも実は見える坂道で、聖橋(このブログでも何度か登場していますが)のあたりがちょうど坂上になっている坂道です。



相生坂(NO.161) 1w
坂上より

坂上からの景色です。
見た感じはなだらかな坂という感じですが、実際歩いている時は、もうすこし体に感じるくらいの勾配具合だったかもです。
坂道自体は道幅も広く、整備も行き届いているかんじで、すぐよこにはJRや神田川が並行に走っています。
あと、坂道の途中から街路樹がなくなっているのが、なんでかなあと、ちょっと疑問に思ったりもしましたけどね。。



相生坂(NO.161) 2w
坂の途中より

今度は坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
なので正面に見えているのが聖橋です。
坂と橋が一緒に楽しめるなんてなかなか、いままでの坂道散歩でも数少ない場所だったような気が・・・。
しかも、電柱がないので空が広く見えますね。



相生坂(NO.161) 3w


そいで、せっかくなので、JR御茶ノ水駅のほうもちらりと。
なんだか後ろの高層ビルがなければ、ここはどこ?というくらいレトロな雰囲気が漂っているような気がしてしまいましたよ。
ただ現地では、高層ビルの左側あたりにニコライ堂の建物がチラリと見えるはずなんですけど、この写真では緑で隠れてしまっていて見えていませんね。




相生坂(NO.161) 4w

坂下あたり

そうこうしているあいだに、あっというまに坂下あたりまできてしまいました。
この写真はさらに坂下のほうへと続く道を眺めているものですが、ちょうどこれをそのまま道沿いに行くと秋葉原へと行けたりします。
またこのちょうど左側には湯島聖堂への入口もありましたよ。
(湯島聖堂については、また機会があれば散歩するかもしれませんが、今回は最後のほうでちょこっとふれるのみにしておきますよ。)

ちなみにこの坂道にはいつもの坂の碑みたいなものはありませんでしたが、坂の由来がかかれた案内板があり、

神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。
「東京案内」に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛政中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
 昌平とは聖堂に祭られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。

  これやこの孔子の聖堂あるからに
     幾日湯島にい往きけむはや   法月歌客  

とありましたよ。

また、はじめにちょこっとでてきた団子坂という別名は、ここが悪路で転ぶと団子のように泥まみれになる(江戸東京坂道事典より)という意味から名付けられたらしいです。

あっ、そうそう、そういえば広重さんの名所江戸百景の「昌平橋聖堂神田川」に、かつての相生坂(昌平坂)や湯島聖堂も描かれていたみたいなので、ウィキペディアのページもリンクしておきますね。
→「昌平橋聖堂神田川


地図
文京区湯島1


おまけ

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所在地:渋谷区渋谷2


こんのう坂とよぶそうです。
場所は本当に渋谷駅近くの場所で、六本木通りと国道246号が交差するあたりが金王坂の坂下ということになり、坂上のほうで宮益坂 (NO.1)と合流している坂道です。



金王坂(NO.160)1
坂下より

坂下からの風景です。
ちょうど真上に見えているのが首都高速で、写真右手に行くと六本木通りということになります。
また、正面に見えている金王坂は国道246号ということにもなりますかね。
とにかくここから見える風景はダイナミックな感じでした。




金王坂(NO.160)2
坂の途中より

今度は坂道沿いから坂上のほうを見たものです。
両サイドには背の高い高層ビルが門のようにそびえ立ち、これまたふつうのつくりとは一味ちがった立派な歩道橋(屋根つきで両サイドが四角錐ですね・・)が見えていたりと、なにかちょっと考えてみたくなるような景色が広がっていました。
しかも、歩道橋には青山通りと書いてありましたよ(青山通りって明治通りと交差するところまでのことを言うんですね)。




金王坂(NO.160)3
坂上あたりより

そして一気に坂上あたりまでやってきました。
こうしてみるとけっこうな高低差があるんですね。
さっき見えていた立派な歩道橋も明らかに下のほうに見えてますしね。。



金王坂(NO.160)4

そして最後は坂上にある歩道橋(こちらはふつうのデザインのものでしたよ)から坂下(渋谷駅方面)のほうを眺めてみました。
まあここから見るとあんまりありがたみがない感じではありますが、坂の全貌がわかりやすいかなということで、いちおう記念にぱちりと。。

ちなみにこの坂道にはいつものような坂の碑(でも木じゃないです)があり、
『明治、大正、昭和と波乱万丈の過程を経て市区改正、町名変更に伴ない先輩諸氏の築かれた幾多の功績をたたえ由緒ある金王の地名を保存しここに金王坂と命名する。』
とありました。



金王坂(NO.160)5
おまけです。
これは先の歩道橋から今度は青山方面を見たものです。
なので、ちょうどこの左側に宮益坂の坂上もあることになりますかね。
まあほんとは金王坂と宮益坂がいっしょに見える場所からも一枚撮ればよかったんですけどね。。
(あと、これは余談ですけど、正面の青山通りの一番右側の三車線(特にその中の一番左側)のほうから宮益坂のほうへ行こうとすると、サイレンがたぶんなると思いますますのでご注意を・・・。(汗))



地図
渋谷区渋谷2

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所在地:渋谷区広尾3と港区南青山7の間あたり


はねざわ坂とよぶそうです。
場所は、ちょっとわかりにくいのですが、六本木通りを渋谷からスタートすると、その途中に青山トンネルなるトンネルがあるのですが、そのあたりから南東へテクテクとすこしばかり歩いたあたりにあり、ちょうど坂下には五差路というべきなのか六差路といっていいべきなのかわかりませんが、そういう場所があり、そこから東のほうへと上る坂道です。



羽沢坂(NO.159)1
坂下あたりより

けっこう幅のせまい道路で、まわりも見てのとおりの閑静な住宅街といった感じでした。
ただ、坂上のほうに、赤十字医療センターや大規模マンションなんかもあるためか幅のせまい道路のわりに人の行き来もそれなりにあり、車も以外と走っていたかもです。
あとは、現地ではけっこうゆるやかな坂道だなあと思っていましたが、写真であらためてみると、以外と高低差もあったみたいですね。

またこの背後には、六差路(坂道の路地もいれると)があり、地図であらためてみると、なかなかおもしろい形をしていましたよ。
(う〜ん、写真に納めとけばよかったです。。)



羽沢坂(NO.159)2

ちょっと横を見ると、階段というか坂道というべきか判断がつけにくい六本木通りのほうへと向かう抜け道なんかもありましたよ。
なんだか今回の羽沢坂よりもおもしろそう。。



羽沢坂(NO.159)3

そして坂道をだいぶ上り、坂下を眺めたものです。
なんていうか狭い道なのに電柱が道の両サイドにあったり(仕方ないですけどね)、その電柱からあちこちにのびている電線がやたらと気になったかもです。



羽沢坂(NO.159)4

最後は、さらに坂上のほうまで歩くと、ここで道はおわり、T字路になっていました。
なので、ここからみると道の左側が港区で右側が渋谷区ということになりますかね。

ちなみにここにはいつもの坂の碑はなかったのですが、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」には、
『もと羽沢町の坂道で羽沢坂の名がついた。』
とあり、さらに今回、このブログでは初登場の「江戸の坂 東京の坂/ 横関栄一(著)」の坂道リストに、
『港区南青山七丁目五番9号と渋谷区広尾三丁目五番三十三号の間を、東へ赤十字病院の方へ上る坂。坂の頂上右側にタバコ屋がある』
とありました。
坂の右側のタバコ屋というのはおそらく、写真で言うと、渋谷区側には東京女学館という昔からある学校があるようなので、港区側にあったものと思われます。
ただ、この著者が“タバコ屋がある”なんてことをなぜいちいち書いたのか、なんてことのほうが気になったんですけどね。。
それほど印象的なタバコ屋だったんですかね。(笑)



地図
渋谷区広尾3と港区南青山7の間あたり

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所在地:渋谷区南平台町


なんぺい坂と呼ぶそうです。
場所は、わかりやすいところで言うと、渋谷駅からでも見えるセルリアンタワーの西側あたりにあり、坂上のほうは国道246に通じており、坂下は、前に取り上げたかめやま坂の坂下と場所を同じくしている坂道です。



南平坂(NO.158)1
坂上あたりより

これは国道246からてくてくとしばらく平坦な道を歩いているときに、道路におおいかぶさるように、右側の敷地内にある樹木が元気に育っている様子が気になり、パチリと一枚。
坂道らしき雰囲気になるのは、正面に見えている車のいるあたりからみたいでしたが、このあたりから道の両サイドには渋めの建築物や樹木がちらほらと見え出していました。



南平坂(NO.158)2
坂上より

ここからやっと坂道らしい風景になり、それほど急な感じではなく、ゆったりと下っていく坂道のようでした。
それにしても、この季節にもかかわらず道の両側には緑がたくさん見えていますね。




南平坂(NO.158)3
坂の途中より

そして、もうすこし坂道を下ってみました。
坂道によっては坂上と坂下でかなり雰囲気の変わるところもあるのですが、ここの場合は、あいかわらず閑静な高級住宅街といった具合でした。
あと坂下のほうを見ると、また上がっている道が見えていますが、それが、はじめにも書いたかめやま坂の坂下あたりです。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はなかったのですが、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に、この坂道のひと昔前のことが書かれており、
「南平台は北端に道玄坂上の玉川通りに接しているがこの坂の両側は上流階級の人々のきわめて静かな住宅地帯で、植え込みの木立が坂をおおうように茂って特殊な雰囲気をたたえている。このあたり特記すべきこともないが、向かいの丘の鉢山は法道仙人の鉢が飛んできた山だという伝説がある。」
とありました。
まあ上流階級の人と書かれてもピンとこないところではありますが、かつては特にその要素が強かった場所なのかもしれませんね。(いちおう“上流階級”という言葉をヤフー辞書でひいてみると「経済力・地位・教養の点で、社会の上層にある人々によって構成されている階級。」なんてことが書いてありましたよ。なるほど、なるほど。。(汗))
それと、“向かいの丘の鉢山”とあるのは、おそらくさっきから何度もでてきている“かめやま坂”のある地域のことを指していると思うのですが、正確なところは不明です。



南平坂(NO.158)4
坂下より

とまあ、すこし脱線気味になりましたが、やっと坂下までやってきました。
ここから坂上のほうをみると、適度な坂道の勾配具合とその上に見えるハリネズミのようにツンツンとしている背の高い木の枝とその間から透けてみえる青空との混ざり具合というか見え具合がなんとも印象的だったかもです。


地図
渋谷区南平台町

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所在地:目黒区青葉台1

かみむら坂というそうです。
場所は、旧山手通り沿いにある代官山ヒルサイドテラスのあたりから、北へすこしばかりテクテクと歩いた場所に上村坂の坂上があります。



上村坂(NO.157)1
坂上より

これは旧山手通り側から見た坂上からの風景です。
この写真ではうまく伝わらないかもしれませんが、坂道自体はかなりの急坂で、ヒルサイドのほうから坂上の旧山手通りの洒落た街並みを歩いてくると、いきなり景色がひらけて遠くの街が見え、道のほうをみると崖でもあるのか、という具合の場所がここです。。(これはここを歩いたことがある方しかわからない感覚かもしれませんです。)
とにかく、坂上からの景色はなかなかのものかもです。

あと、数値だけ言ってもわかりにくかもしれませんが、写真でもちらりと標識が見えていますが、ここの坂道の勾配は17%とのことですよ。
まあ言ってみれば1m進むと17cm上がるという具合みたいですが、あまりピンときませんですな。。(笑)
でも都内にはさらにツワモノの25%という坂道もあるようなので、これぐらいではなんとやらという感じなのですかね。。

あともうひとつですが、坂道をすこし下ったあたりでクキっと道が曲がっているあたりにエジプト大使館が見えていたりしますよ。



上村坂(NO.157)2
坂の途中より

そして、すこし坂道を下り、坂上の方を見たものです。
ここからだと、かなりの急勾配具合がわかりやすいんじゃないですかね。
しかもすでにこの時点で、坂上とは建物一階分以上の高低差がありそうな感じです。
坂上の車も見えていないし。。

ちなみにここにはいつもの坂の碑があり
『上村坂という名前の由来は、明治時代の軍人で海軍大将・男爵まですすんだ上村彦之丞(かみむらひこのじょう)の邸宅が、この坂の上にあったためといわれている。』
とありました。

ということは、写真で見えている左右の建物か坂上に見えている建物あたりが、かつての上村彦之丞の邸宅ということなんですかね。



上村坂(NO.157)3
坂の途中より2

さらに坂道をちょこっと下り、今度は坂下のほうを眺めたものです。
このあたりまでくると、坂道の勾配具合もいくぶんかゆるやかになり、そのためか道路の舗装もドーナツタイプではなく普通のアスファルトタイプになっていました。



上村坂(NO.157)4
坂下より

最後は坂下あたりよりです。
もうここまでくると、坂上のほうはまったくみえず、なぜだか坂上の雰囲気とはまたひとあじ違った景色に見えたかもです。
あとこの坂道を歩いていて気がついたことといえば、道の両サイドには大小さまざまな塀が見られ、建物はその一歩奥にある感じが、けっこう気になったかもです。(だいぶ記憶がぼんやりしていますけど。。)

ということで、目黒区の上村坂を今回はぶらりとしたわけですが、実はかつて、坂上の旧山手通りをへだてた渋谷区側(このあたりは通りのこっちとむこうで目黒区と渋谷区という具合になっているようです)の猿楽町と鉢山町の境の道も上村坂とよばれていたことがあったみたいですね。
(※これは“江戸東京坂道事典”を参考にさせていただきました。)


地図
目黒区青葉台1

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所在地:渋谷区猿楽町5

てんぐ坂と呼ぶそうです。
場所は以前に書いた代官山坂(NO.152)の坂上を通っている八幡通りを渋谷方面へと歩くと、山手線と交差する場所があるのですが、今回の天狗坂はその近くにあり、八幡通りから北西に下っている坂道です。(ちょっと説明しにくいのですが・・・。)



天狗坂(NO.156)1

これは坂上からの風景です。
八幡通りからちょこっと歩くと天狗坂の坂上にやってきます。
なんとなく天狗という名前がついていたことから、ここに来る前はなにかふわふわとした浮遊感がどこかに漂う坂道だったらおもしろいのになあ、なんて思いながらきてみたわけですが、実際はすでに坂下まで見えているほど短く、抜け道といった感じの坂道のようでした。
ただ写真では坂道だけしかのせていないので、なんですが、周辺はおしゃれでこじんまりとした店も多く、なんだかこの道だけが、和のにおいみたいなものを他の場所よりただよわせているような気がしてしまいましたよ。

あと、写真でも見えていますが、坂上にはいつものような坂の碑ではないですが、坂の由来がかかれた案内標識があり、
『この坂を、天狗坂といいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永二年〜大正九年1849〜1920)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に、紙巻煙草岩谷天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の一世を風靡しました。
煙草の製造に家庭労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
明治三八(1905)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業始めるなど、国家的な事業に貢献しました。晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。』
とありました。

なので、いうなればここも、前回の坂道話ででてきたビール坂(NO.155)と同じような流れで名付けられた坂なのかもしれません。

ちなみに、「たばこと塩の博物館」のHPに当時の岩谷商会(岩谷天狗商会)の宣伝ポスターなんかみれるみたいですよ。
(→天狗煙草



天狗坂(NO.156)2

そして、いっきに坂下までやってきました。
ここからみると坂上からの風景とは一変して、けっこうな勾配具合であることがわかりやすいんじゃないですかね。(よくみると、一階分くらいの高低差があるような・・・。)
どうりで、急な坂道によくあるドーナツマークのすべりどめがあるわけですな。
あと、坂上と坂下に石杭が見えていますが、坂上のほうだけひとつというのが妙に気になってしまいましたよ。
もしかしたら、以前は坂上のほうもペアであったのかもしれないなあとしょうもないことを考えてみたり。。
ただ、この石杭については妄想とは別に、実際いろいろと過去の道路補修のたびに迷惑をこうむっているみたいですけどね。。
(そのあたりのことは他の坂道サイトでも書かれているようですので、そちらを見てくださいね。)


地図
渋谷区猿楽町5

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所在地:渋谷区恵比寿4あたり

ビール坂という名前からもそれほど極端に古い坂道というわけではないのですが、いちおう明治時代に名付けられた坂道のようです。
場所は、JR恵比寿駅の東側のエリアにあり、明治通りから渋谷川に架かっている恵比寿橋を渡り、坂上にある恵比寿ガーデンプレイスのほうへと続く道を上っていく坂道です。



ビール坂(NO.155)1
坂下あたりより

恵比寿橋のほうから、テクテクと坂上のほうにすこし歩いたあたりの風景です。
このあたりは、坂道の傾斜もほとんど感じられず(でも写真で見ると微妙に傾斜している様が見えていますけど・・)、都内ではよくありがちな駅前からすこしはなれた場所の風景といった具合で、5・6階建てくらいのビルが、道の両サイドに無秩序に建ち並んでいるなあという感じでした。



ビール坂(NO.155)2
坂の途中より

すこし道沿いを歩き、坂下の方を眺めたものです。
こうして写真であらためてじぃーと見直してみると、ここの景色ってなんかいろんな要素が混じってるような気が。。
たまたま撮ったアングルのせいなのかもしれませんけど。



ビール坂(NO.155)3
坂の途中より2

そしてさらに坂上のほうにきてみると、だいぶ落ち着いた感じになってきているようでした。



ビール坂(NO.155)4
坂の途中より3

このあたりから坂道の勾配具合もぐんぐんと上っている感じ。
しかも、カーブしながら。



ビール坂(NO.155)5
坂上より

そうこうしているうちに、坂上あたりまでやってきてしまいました。
ここまでくると坂下の雰囲気とはまた変わり、いくぶん落ち着いた雰囲気の建物やお店が多くなってきているようでした。
場所的にいえば、加計塚小学校のすぐとなりあたりということになりますかね。



ビール坂(NO.155)6

最後は、ビール坂の坂上よりさらに坂道を上っていくと恵比寿ガーデンプレイスがあり、ちょうどその敷地内にあるサッポロビールの会社のビルが見えていましたよ。

ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はありませんでしたが、ビール坂という名前がつけられているとおり、かつては坂上あたり(今の恵比寿ガーデンプレイスの敷地内)にビール工場があり、そこで恵比寿ビールがつくられていたことから、恵比寿という地名や駅名にもなり、ビール坂もそんな中、名付けられた坂道のようですね。

ということで、ガーデンプレイスにからむことは、あまりに有名な話なので、あまり書きたくなかったのですけど、なりゆき上、書かないといけなかったもので、そのあたりのことはさらりと読みながしてもらえるとうれしいかもです。



地図
渋谷区恵比寿4あたり

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街写真 に参加中!
所在地:目黒区上目黒1と青葉台1の間(地図で見るとほんとうに間をぬっていますよ。)


めきり坂と呼ぶそうで、別名で、〆切(しめきり)坂、くらやみ坂ともいうそうです。
場所は、このブログでもたまに取り上げているヒルサイドテラスのすぐ近くでもあり、旧山手通りと東横線が交差しているあたりのすぐ近くにある代官山交番のあたりから南にのびている道をつらつらと歩くと、目切坂の坂上あたりにやってくるという感じです。


目切坂(NO.154)1
坂上より

まずは坂上あたりからみたものです。
今回は旧山手通りからこの道にやってきたのですが、あまりの雰囲気のちがいにちょっとびっくりしたくらいでしたよ。
また、この坂上あたりで、渋谷区と目黒区にわかれているようで、それも名前の由来に関係しているみたいです。


目切坂(NO.154)2
東京富士見坂

すぐそばには、こんなものがありましたよ。
ということは、ここも富士見坂とよんでいいんですかね。


目切坂(NO.154)3
坂の途中より

そしてすこし坂道を下り、坂上のほうを眺めたものです。
ちょうど緑も生い茂っている季節だったこともあって、両サイドの大きな木のおかげで、いい感じの薄暗さとなんともいえない心地よさがただよっていたかもです。


目切坂(NO.154)4
崖下あたり

あっ、そうそう、2枚目の写真の左側に見えていた立派な石垣の奥のほうをのぞくと、以前に取り上げた旧朝倉家住宅が見えていました(そうなんです、じつはこの坂道に隣接して旧朝倉家住宅の敷地があるのですよ)。
なので、旧朝倉家住宅から見えていた庭の奥(崖下)あたりにこの坂道があるということになりますかね。


目切坂(NO.154)5
坂の途中より2

さらに坂道を下るとこんな感じ。


目切坂(NO.154)6
坂の途中より3

それはさておき、くねくねした道をさらにたんたんと歩いていると、やっと坂下あたりが見えてきました。


目切坂(NO.154)7
坂下より

そんなこんなでやっと坂下までやってきましたよ。
とりあえず、ここからはもう坂上のほうは見えるべくもなかったです。
ただ、あえてここの景色をぼんやり眺めていると、道の両サイドにある一方通行の標識が、なにかやたらと気になってしまいしたよ。
ということは・・・。(あとは想像してみてくださいね。)

ちなみに、ここには写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があり
『江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の上目黒村の項には「メキリ坂」という坂名がみえ、渋谷との境にあり石臼の目を切る職人が住んでいたため目切坂となったと記されています。由来については諸説ありますが、1800年代前半には「めきり坂」と呼ばれていたようです。』
とありました。



地図
目黒区上目黒1と青葉台1の間

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所在地:渋谷区恵比寿西2

しゅうらく坂とよぶそうです。
場所は、代官山坂(NO.152)の坂下から続く道をそのまま西へ、てくてくと歩き、東急東横線をわたると、ちょうど衆楽坂の坂上あたりにやってきます。



衆楽坂(NO.153)1
坂上より

坂上あたりから、けっこうな急坂がはじまり坂下のほうへいくほど緩やかになるといった具合の坂道でした。
坂下のほうは、もうすこし先にあるようで、ここからは道がカーブしていて、まだ見えていませんでしたよ。



衆楽坂(NO.153)2
坂の途中より

今度は、すこし坂を下って坂上のほうを見たものです。
坂上のむこうに通り抜けていくにはすこし不便な道や踏み切りがあるためか、このあたりは、道幅が広いわりに、車の通行はそれほど頻繁ではないようでした。



衆楽坂(NO.153)3
坂の途中より2

そして、さらに坂を下ると、もうほとんど傾斜もないといっていいくらいになり、写真で見る分には、両サイドに雑居ビルが建ち並んでいる、都内ならどこにでもありそうな風景がひろがっていました。(ただ、実際に歩いていた時は、もうすこし変化のある風景のように感じたんですけどね。。)



衆楽坂(NO.153)4
坂下あたりより

でも、やっぱり坂上の方をみると、こんな感じ。
なんだか、ここからみると、ゆるやかで、高低差もあまりない坂道に見えるような気がしますけど・・。

ちなみにこの坂道には、いつものような坂の碑はなかったのですが、(“東京23区の坂道”さんのサイトを参考にさせていただいたところ)『旧衆楽町の真中を通っていた坂であった。そのため、衆楽坂と言われるようになった。』と散策ガイド「えびす」(媒体不明)に記してあったそうです。


地図
渋谷区恵比寿西2

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所在地:渋谷区代官山町

だいかんやま坂とよぶ坂道で(そういえば、前回は書くのを忘れていましたが・・・)、前回の代官坂(NO.151)の南側を同じく並行に走っており、すぐとなりには代官山アドレスがあり北西へと上っている坂道です。



代官山坂(NO.152)1
坂下より

まずは、代官山駅側にある坂下より坂上の方を眺めたものです。
ちょっとここからだと、坂の全景があまり見えず、もどかしい感じですが、道幅もかなり広い坂道らしく、道が二手に分かれているということもあり、このあたりから撮るしかないという感じでした。(できるだけ地上から撮りたいもので。。)



代官山坂(NO.152)2
坂の途中より

そんなこともあり、そそくさと坂道を上り、坂下の方を見てみると、こんな感じの景色がひろがっていました。
なんとなく、左側の柵に囲われた緑地帯(なのかな)が、見えているせいか、すこしのどかな雰囲気に見えていますが、ここはまぎれもなく代官山駅前といっていい場所だったりします。



代官山坂(NO.152)3
代官山アドレスの案内地図

また、2枚目の写真の右側には代官山アドレスがあるのですが、ちょうど坂下あたりに案内地図看板があったので、ぱちりと。
ちょうどこの地図でも、うまい具合というか隣なんだから当たり前なのかもしれませんが、代官山坂がちょうど地図の一番下に書かれていました。
あと、この代官山アドレスあたりは表参道ヒルズなんかと同様に、かつてはこの場所に同潤会アパートがあった場所だったりします。



代官山坂(NO.152)4
坂の途中より2

そして、今度は、だいたい同じ場所から坂上の方を見たものです。
坂道自体はいい感じでカーブしていて、勾配具合もわるくなく、空がたくさん見えていて気持ちのいい坂といった具合でしたが、あいかわらず、僕の背の高さレベルでは、ちょうど道の真ん中にある緑地帯らしきものがあったため、坂道全体を見渡すということはできませんでした。



代官山坂(NO.152)5
坂上より

そんな感じで、坂道を歩いていると、坂上まできてしまいました。
ここから見ると、道の真ん中にあった緑地帯らしきものがどんな感じなのかもわかりやすいんじゃないですかね。

ちなみに、ここの坂道にもいつものような坂の碑はありませんでした。
ただ、東京23区の坂道さんのサイトでも書かれていたのですが、代官山坂(別名で代官坂)と名のつく坂道はこのあたりで1つしかないかもということでしたが、実際に歩いてみると、まるで雰囲気の違う坂道ということもあり、とりあえず今回は、代官山坂と代官坂ということで、2つにわけることにしてみましたよ。

あっ、そうそう、5枚目の写真で気がついた方もいたかもしれませんが、過去のとある街の風景のカテゴリーで、なにげに“とある街の風景127(代官山の不思議な場所)”として、ここからの風景をとり上げていましたよ。(驚)
当時(もう2年前なのですね・・・)は、この道が代官山坂ということなんて、ほんとうに知らずに書いていたもので、現地でここにきた時は、ほんとうにびっくりしましたよ。(笑)
で、今もあいかわらず、真ん中の緑地帯の意味はわからずじまいでしたけど。。



地図
渋谷区代官山町

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