東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道・番外編
ハロウィンということで、幽霊坂セレクト?
渋谷宮益坂のラケルで桑田佳祐さんメニューを見つけるの巻
ドラえもんとマリオと道玄坂
SMAPのメンバーが走った東京の坂道
目黒雅叙園の百段階段をぶらり
ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる
明治公園の高低差のある場所
山王まつりのついでに坂道ぶらり
東禅寺今昔
渋谷坂道雪景2014
歌舞伎座のゴエモン階段
坂の舗装あれこれ
ロケ地散歩
富士見坂からのダイヤモンド富士も最後かも?
九段坂の標高と燈明台
池上本門寺界隈の坂道高低差くらべ
標高が測れるサイト
坂道ぶんきょう展
西麻布の富士見坂こぼれ話
御茶ノ水の富士見坂いろいろ
南郭坂いろいろ
霊南坂とはとバス
神田明神裏参道
十七歳の地図
江ノ島の階段散歩
またまた古地図散歩
東京の古地図が・・
土地の精霊
真夜中の表参道ヒルズ
キラー通り3

なんとなく日本では幽霊ときくとあまりにもあっち系の想像をするかたも多いとは思いますが、今回は、せっかくのハロウィンということなので、お化けつながりで過去の記事で書いた幽霊坂についてセレクトしてみようという思いつきエントリーです。(笑)
まあ、ハロウィンで日本の幽霊のコスプレする人もいないとは思いますが。(と思ってネットで調べたら、普通にありましたよ。。)


まず過去に取り上げた幽霊坂といえば、御茶ノ水にある「幽霊坂(NO.208)」でしたかね。
まさに名前がドンピシャ。
少し前に行った時は、周りの再開発工事もおわり、すっかり雰囲気の違う坂道となっていましたけど。


次は「ゆ嶺坂 (NO.44) 」ですね。
神楽坂からすぐの場所にある坂道ですよ。
ゆれい→幽霊と想像しがちですが、ブログにも書いてあるとおり、ここの坂名は梅の名所の名からきているのですよ。
ただ、この坂道には別名があり、それが幽霊坂というわけなのです。


ハロウィンということで、幽霊坂セレクト?1
写真1

ちなみに、こちらは今年の8月頃に撮った「ゆ嶺坂 (NO.44)」の様子ですね。(写真1)
見た感じ、2006年とあまり変わってないようですね。(ひと安心。)


あとは、「紅梅坂(NO.207)」。
御茶ノ水にある坂ですが、一説によると、はじめに取り上げた幽霊坂(NO.208)とは昔、ひとつの坂道だったという話もあるため、ここも別名で幽霊坂と呼ばれているのですよ。

そして、最後は、「乃木坂 (NO.132)」です。(乃木坂 (NO.132)その2
メトロの乃木坂駅そばの坂道ですね。
ここは、今でこそ乃木坂と呼ばれていますが、かつて乃木大将が殉死した大正元年9月以降、なぜか幽霊坂という名前だったのが乃木坂と改名されたそうですよ。
しかもあの坂の途中にあるトンネルでもいわゆる都市伝説てきな話がちらほらきかれるので、じつはこの坂道が一番、"らしい"坂道といえるかも。

ということで、都内には幽霊坂とついた坂道はまだありますし、すでに歩いているところも多くあるのですが、記事にしているのはこれのみです。
幽霊と坂道の関係などについては、今回、まったくとりあげませんでしたが、それについては幽霊坂などをまわった都度、気にして調べて書いてみようと思っています。

ちなみに、この幽霊坂については、夏に民俗学的な視点で幽霊坂などをとらえて、おばけや幽霊、妖怪に関係する坂道をまわり、写真も撮っておいたのですが、夏が終わってしまい(汗)、それでも取材した分をブログで取り上げるかどうか、もんもんとしていたのですよ。
なので、とりあえず今年のハロウィンがちょうどいいガス抜きになったかも。(笑)

あと、すでにまわった分をカテゴリー分けしておきましたので、今後はこのブログの幽霊坂カテゴリーをみてもらえれば、幽霊坂などの話は都度まとめて見れると思いますので、よろしくです。

そんなわけで、Trick or Treat 。

今回は、ちと坂道つながりではありますが、ふたたびの時事ネタです。


7月のなかばくらいですかね、テレビの歌番組に、歌手の桑田佳祐さんがゲストで出ていて、当時の新曲「大河の一滴」を歌っているのを聴いていたら、なんと「宮益坂」という言葉が、歌詞にでてきたのですよ。
それでびっくりして、歌詞を調べてみるとですね、やはりあったんですよ。
しかも、記号的というよりも、現にある渋谷の宮益坂を想像させるものでした。
その証拠と言ったらなんですが、歌詞には、宮益坂の途中のある「ラケル」というオムレツ屋やら「御嶽神社」がでてくるのですよ。(なお「ユートピア」は調べてみると違う場所のようでした。)

いちおう、歌詞を掲載しているサイトがありましたので、リンクしておきますよ。
→ 大河の一滴 - 桑田佳祐 - 歌詞 : 歌ネット

該当部分は、歌詞の後半のほうにあります。

ちなみに、宮益坂とは?という人のために、過去にこのブログでも取り上げた宮益坂 の記事のほうもリンクしておきますね。
→ 宮益坂 (NO.1)  、宮益坂 (NO.1) その2
2005年のものなので、だいぶさらりとした感じではありますが。
御嶽神社についても、写真でとりあげているとおりなので、おそらくこの坂道を初めて歩くという人でも気がつく神社ではないですかね。


渋谷宮益坂のラケルで桑田佳祐さん
写真1

そんなこんなで、これなのですよ。(写真1)
その後、8月になり、気になっていた宮益坂の途中にある「ラケル」に行ってみるとですね、なんと、はじめに書いた「大河の一滴」の歌詞に登場するお店ということで、復刻メニューと題して、桑田さんが学生時代の頃のオムレツを再現したメニューがあるとの看板が大々的に店の前に置かれていたのですよ。
いやはや。(笑)

ちなみに、オムレツ専門店の「ラケル」は、都内にもいくつかチェーン店があり、僕もよくよく思い出してみたら、この宮益坂店ではないですが、食べた記憶はありましたかね。
もちろん、当日は、店で食事もしましたよ。(このメニューを頼んだかはご想像におまかせします。笑)

それにしても、この宮益坂の「ラケル」は40周年とのことですか。
これも記憶をたどると、あーここにオムレツ屋あったよなあ、とうる覚えですがあることはあるのですよね。
でもそんな前からあったんですね。
なお、この桑田さんの復刻メニューは、8月31日までとのことなので、今はやってないと思いますので、あしからず。
(食べログに関連コメントというか口コミありました。このブログでは食のことについてはつっこまないので、おまかせします。(笑)あえていえば、店内の雰囲気もわかるのはいいですね。→ 『あの桑田佳祐も食べた!ラケル宮益坂店で復刻ベーコンエッグオムレツを食べてきた』)


あ、あと最後にですが、桑田佳祐さんの「大河の一滴」の公式動画がyoutubeにありましたよ。
ただ、これはショートバージョンなので、宮益坂の歌詞の部分は登場しないのですが、まあ曲の雰囲気はこんな感じですよということと歌の公開時期もわかるということで。(汗)
→ 桑田佳祐「大河の一滴」×UCC BLACK無糖 WEBムービー 

ということで、脱線話ではありましたが、今回はこんな感じです。


住所
渋谷区渋谷1-12

リオデジャネイロオリンピックの閉会式での2020年の東京大会プレゼンテーションよかったですよ。いろんな意味で。
ただ、今回はその中身についてというより、タイトルにもあるとおり、ドラえもんとマリオが共演したシーンの背景のことですね。

もちろん印象的なシーンで、東京にきたことあるかたならすぐにわかる場所でもある渋谷の交差点がメインだったのですが、実は道玄坂の坂下でもあるのですよね。(笑)
気がついたかたも多いとは思いますが。
(SNSでも坂道マニアではないような方でも坂道ネタとしてとりあげているかた、ちらほら見かけました)

しかもカメラアングルが、渋谷109のほうをむいていたので、まさに坂下から坂上方向をみているアングルとなり、坂道上でのシーンともいえて、そういう視点でみても楽しいですかね。
そして、ドラえもんとマリオと道玄坂のコラボ風景。
たまらんかったです。
まあ、交差点からの109の景色は、あまりにあたり前の渋谷の日常風景すぎてスルーしがちですが。。(汗)

念のため、このブログを訪れて、渋谷の道玄坂を知らないというかたは、少なめだとは思いますが、道玄坂に関する過去の記事もいちおうリンクしていきますので、よかったらどうぞ。
→ 道玄坂(NO.191) その1道玄坂(NO.191)その2


そんなこんなで、今回は、こんなうれしいことというか、坂道史的にもきちんと記録しておく意味でも、このブログに書いておくことにしましたが、最後に、せっかくなので、NHKのyoutubeにて東京大会プレゼンテーションの模様が全編公開されていますので、リンクしておきますね。(見た方多いとは思いますが。)

→『【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショー』
https://youtu.be/sk6uU8gb8PA

なお、ドラえもんとマリオが共演した該当のシーンは、4:45くらいからみれます。
(ただ、このNHKのyoutubeの動画が、いつまで公開されているかは不明なので、もしみれなくなったらそのときはすみません。)



ドラえもん
写真1

こちらはおまけです。(写真1)
最近六本木ヒルズにて撮ったドラえもん(の像)です。
「ドラえもん」て何?という方は少ないと思いたいですが、念のため。(笑)


ということで、今回はさらりとこんな感じです。

このブログは、江戸時代、もしくはそれより昔からある坂道もとりあげているわけですが、よく考えてみたら、昔の殿様や著名人(政治とは縁遠い人も含む)などもこの坂道を歩いたとか、ほにゃららしたとか、よく坂の碑に書かれている割には、大昔の史実とあわせてこの数十年(ひろく見れば戦後)のことについて取り上げている坂道系のブログはほぼないことに気が付きまして、まずはそのきっかけにでもなればなと思い、今回は坂道における芸能史という意味もこめて参考資料がてらということで。
(これは、民俗学者の宮本常一さんが、「日本の民俗学が本当に完成するには、芸能史にも本格的にとりくまなければならない」と生前言っていたことに影響を受けて、坂道についても同じくいくつかの視点でとりあげて記録しておいてもいいんじゃないのかなというところからもきているのですが。。)

とにかく、SMAPの解散報道がでたときに、ふと思いつき、SNSでちらっとSMAPのメンバーが走った東京の坂道についてとりあげてみたのですが、その後、この坂道ブログを見なおしてみたところ、ブラタモリのほうは坂道記録として記事にしていたのですが、さすがにSMAPのほうについてはとりあげている記事がなかったのですよ。

なので、こんな機会に取り上げるのはすこし寂しい気もしますが、逆に言えば、このタイミングでしか書けないような気もしたので、タイトルにもあるように、SMAPさんのメンバーが走った東京の坂道について、さらりとまとめておくことにしましたよ。
(本当は、SMAPさんの番組が放送された頃に、このことに気がついていればよかったんですけどね。ただこれを書いていて、ブラタモリの初期のころとこのSMAPさんの番組の時期がかぶっているのは、今思えばなかなかおもしろいことだなあと思ってみたり。)


そんなわけで、肝心の番組内容については、2009年と2010年に放映されたもので、SMAPさんのメンバーの中で、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが、テレビ朝日の『SMAPがんばりますっ!!』の1コーナーのなかで、2009年に木村拓哉さんが港区の坂50か所を1日で全力で登りきるという企画(第1弾)、そして、2010年には草剛さんが同じく1日で目黒区49の坂を走りきる企画(第2弾)があり、彼らが走ったわけなのですよ。

もともとのきっかけは、全力坂のウィキペディアにも書いてありますが、木村さんが、どうしても理解できない番組と評していた全力坂について、タモリさんから「やればわかると思うよ。今やっておかないとダメ!」と促されて坂道を走ることになったからだそうですよ。
ちなみになぜ50箇所なのかについては、放送当時、テレビ朝日が開局50周年ということで50箇所に決まったみたいですね。
放送されてからだいぶ時間が経っていますし、忘れているかたや知らない人も多いと思いますので、番組自体のこまかい内容について、ウィキペディアのページから抜粋してもいいのですが、長くなりそうですし、それよりなによりこのブログはバラエティー番組の紹介サイトではないので、気になるかたは全力坂のウィキペディアのページもみてもらうとSMAPさんの回のこともくわしく書いてくれてますので、そちらを見てください。

なお本家の全力坂については、今でもやっていますので、番組をみるなりサイトを見るなりしてどんな番組なのかは自身で判断してくださいな。

というわけで、ここでは、せっかくの自分のブログですので、木村拓哉さんと草なぎ剛さんが実際に走った坂道をリストアップしつつ、あわせてこのブログで取り上げた坂道もリンクしておくことにしますので、気になるかたはよかったらどうぞ。



木村拓哉さんが走った港区の坂50か所
1:霞坂 
2:笄坂
3:牛坂 
4:さくら坂  
5:暗闇坂 
6:七面坂 
7:大黒坂 
8:鳥居坂 
9:一本松坂 
10:内田坂 
11:仙台坂 
12:木下坂 
13:新富士見坂 
14:薬園坂 
15:奴坂 
16:新坂  ※複数あるため調査中。
17:青木坂 
18:狸坂 
19:釣堀坂 
20:愛宕坂(男坂)
21:桂坂 
22:魚籃坂
23:日吉坂 
24:雁木坂
25:三年坂 
26:江戸見坂 
27:スペイン坂 
28:道源寺坂 
29:南部坂  
30:狸穴坂 
31:鼠坂 
32:植木坂 
33:日向坂 
34:綱坂 
35:幽霊坂 
36:いちょう坂  
37:天神坂 
38:柘榴坂 
39:氷川坂 
40:転坂
41:本氷川坂 
42:檜坂 
43:円通寺坂 
44:牛鳴坂 
45:土器坂 
46:永井坂 
47:三分坂 
48:サカス坂 
49:乃木坂 
50:けやき坂



草なぎ剛さんが走ったが目黒区の坂49箇所
1:権之助坂
2:富士見坂  ※複数あるため調査中。
3:三折坂
4:石古坂
5:金毘羅坂
6:十七が坂
7:馬喰坂
8:行人坂
9:小川坂
10:松見坂
11:相ノ坂
12:蛇坂
13:大阪
14:謡坂
15:なべころ坂
16:稲荷坂
17:けこぼ坂
18:鶯坂
19:半兵衛坂
20:鉄飛坂
21:名無し坂
22:名無し坂
23:名無し坂
24:名無し坂
25:谷畑坂
26:しどめ坂
27:太鼓坂
28:化坂
29:天神坂
30:氷川坂
31:どぜむ坂
32:柿の木坂
33:睦坂
34:名無し坂(きゅうり坂)
35:名無し坂(横抜け坂)
36:蜀江坂(しょっこうざか)
37:兵庫坂
38:寺郷の坂
39:名無し坂(ひょうたん坂)
40:名無し坂(出会い坂)
41:名無し坂(たき火坂)
42:名無し坂(水アメ坂) 
43:名無し坂(鈴音坂)
44:茶屋坂
45:新茶屋坂
46:上村坂
47:目切坂
48:新道坂
49:別所坂



いやはや、この作業なかなか疲れましたな。
やっぱりこうしてみるとまだ記事にしてない坂道もたくさんありますねえ。(汗)
もちろん、これらの中には、すでに歩いていたり、調査したけれど記事にしていないだけの坂道もあるんですけどね。

なお、これらの坂道リストは、僕自身、前に坂道リストをつくったような記憶もあるのですが、その肝心なメモがみつからないため、今回は「テンメイのRUN&BIKE」というブログの記事を参考にさせていただきましたので、確実にリストの内容があっているとは言えないところでもありますので、あしからず。



追記:このリストからのリンクは、記事を新しく書いた時は、なるべく更新するようにしたいとも思っていますのでよろしくです。

追記2:坂道リンク追加しました。(20160831)

こちらも気がつけば、8月に訪れてからすこし時間が経ってしまいましたので、忘れないうちにということで。

といいつつ、いつものように写真で始めてみても、ふつうの木造住宅の階段みたいに見えてしまっているところも多いですの、まずは百段階段についてさらり説明でも。

場所については、JR目黒駅の西側に目黒雅叙園なる「昭和の竜宮城」ともよばれている内装の宿泊、結婚式場などがある施設があるのですが、そこの施設内に百段階段はあるのですよ。
なぜ竜宮城と呼ばれているのかは、今回は雅叙園内の写真はのせませんので、実際に行ってみて感じるのが一番いいかもです。

ただ、実際のところ、百段階段というのは、通称で、目黒雅叙園の敷地内には大きなビルと古くからある木造建築が混在しており、今回の百段階段は、その木造建築の中にある階段のことをいうらしいのですよ。
しかも、この木造建築の建っている場所が、目黒駅から目黒川へと下っているあの高低差の半端ない傾斜地(高低差具合などは、富士見坂(目黒区三田2あたり)の記事がわかりやすいかもですね。)にあり、建物内には趣の違う内装の7部屋が階段状に坂上から坂下に配置されていて、それらの部屋を99段の長い階段廊下が繋いでいるという構造をしているそうなのですよ。(俯瞰できる場所がなかったので、わかりやすい写真はありませんが。)
そして、当日は、普段は建物内に入ることができないのですが、その7つの部屋に展示物が置かれてイベント(しかも、撮影もOK)がやっていたおかげで、階段も見学できたというわけなのです。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり1
写真1

そんな感じで、説明はそこそこにして、さっそく百段階段の様子など。(写真1)
まず建物内に入ると、まずやってくる坂下あたりにあたる場所で階段の足元をみると、写真1のような感じで番号がふってありました。
なのでこれが100まで続くということになるのですかね。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり2
写真2

次は、6段目あたり(番号振ってくれていると説明しやすいですね、笑)までやってきて坂上方向を見てみました。(写真2)
とにかく、ここからみるとどこかの温泉旅館の通路のように見えたりもしなくはないですが、こんな感じで、階段がなんと一直線で坂上まで繋がっていたのですよ。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり3
写真3

次はもうすこし階段を上り、25段目あたりから、坂下方向を眺めてみたものです。(写真3)
おそらくこのあたりで、建物2階半くらいの高低差はあったと思います。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり4
写真4

せっかくなので、7つの部屋のうちのひとつを紹介。(写真4)
たしか、これはいちばん坂下側にある部屋で、「十畝の間」なる部屋だったと思います。
目黒雅叙園のパンフレットから抜粋させてもらうとですね、『天井には前室に八面、本間に一五面、合計二三面の襖仕立ての鏡面に荒木十畝による四季の花鳥画が描かれています。黒漆の螺鈿細工が随所に見られる重厚な造りの部屋です。』とのこと。
ちなみに、散歩当日は、「和のあかり×百段階段」なるイベントが催されていて、各部屋にはアートな照明(器具)がたくさん展示されており、写真4でも右と左に照明作品が置かれていました。
ただ今回はイベントレポートではないので、これ以上はあまりふれません。(汗)


目黒雅叙園の百段階段をぶらり5
写真5

こちらは、頂上の部屋から2つめの部屋(清方の間)の壁に描かれていた「目黒名所風景図 行人坂」です。(写真5)
美人画の大家、鏑木清方さんによるものだそうです。
行人坂といえば、目黒雅叙園そばの坂道ということで、おもわずぱちりと。(まわりは暗くて、さらに手持ち撮影だったのでわかりにくいですが。。)


目黒雅叙園の百段階段をぶらり6
写真6

そんなわけでいっきに坂上というか階段の頂上ちかくの92段目までやってきて、坂上方向を見てみました。(写真6)
とにかく、当日は、イベント中だったこともあり、この写真のように人のいないタイミングをみつけるのがとにかくたいへんだったのですよ。
写真6でいえば、撮影中に階段上の右側にある部屋(頂上の間)から人がでてくることが何度もありましたかね。。
あとは、階段をふくめて、この百段階段のある建物は、1935年(昭和10年)に建てられたものらしいのですが、さすがに国の登録有形文化財に指定されていることもあり、手入れはかなり行き届いていて良い感じでした。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり7
写真7

そして、記念に階段の頂上にて。(写真7)
99段しかないのに100段階段とはどうしてなの?なんてことは考えないようにしておきますかね。(汗)


目黒雅叙園の百段階段をぶらり8
写真8

最後は、階段頂上からの眺めです。(写真8)
途中、長めの踊り場があるので、下の方は見えませんでしたけどね。


目黒雅叙園の百段階段をぶらり9
写真9

こちらはおまけです。(写真9)
どこの踊り場だったのかは忘れましたが(たぶん写真8の下のほうに見えていたものかも?)、窓から光がけっこう差し込んでいて、窓枠の形も面白かったので、思わずぱちりと。
窓枠をすこしいじるだけでも、今の既成窓にはない違ったイメージになるのだなあとしみじみ、そしてこの窓のあかりのおかげで、百段階段も活きてくるのだなあと思ってみたり。


ということで、これ以上の百段階段の各部屋などのことについては、公式サイトにおまかせして、今回はこんな感じです。

住所
目黒区下目黒1-8-1

タイトルそのままですね。
今回は、2015年8月31日をもって建て替えのために閉館してしまったホテルオークラ東京の本館についてのことについて取り上げてみたいと思っています。
ただこのブログではやはり、建物自体というよりは、せっかくまわりに著名な坂道たちに囲まれた場所でもあるとおり、高低差にめぐまれた立地にあることから、他の方とはちょっと違った視点でもあり、このブログでは定番の視点で振り返ってみたいと思います。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる1
写真1

まずはこちらから。(写真1)
ホテルの北側にはこんな具合に広々とした場所があるのですよ。
撮影した時期は、ホテルの建て替えのニュースが流れ始めた頃に、直前になるとマークが厳くなるかもと思い、昨年の11月のなかばに散歩してきたものでありまして、この時点では、ホテルが閉館になったらブログにアップしようと思いながら歩き、こっそり撮影していました。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる2
写真2

写真1のうしろには、若干傾斜しているように見える道路が接しているのですが、実はここ、汐見坂なんですよ。(写真2)
ちなみにこの坂は、前にこのブログでも取り上げてますのでよかったらどうぞ。
→ 汐見坂 (NO.118) 


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる3
写真3

そして、肝心の坂道がここですよ。(写真3)
場所的には、写真1の右側のスロープを奥へすこし歩くとここにやってきます。
要は、写真1の側から入る側とは別の場所から入ってきた車が通る場所なのですが、現地で歩いていると、目の前の高低差具合と左に見えているオークラの外観が一緒に鑑賞できてかなり楽しかったです。
しかも、手前と奥の高低差具合もオークラの外観をみると、一発でわかりますよね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる4
写真4

すこし坂を上ってみて、坂上方向を見てみました。(写真4)
坂は右に曲がる形で、まだ上っているようでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる5
写真5

いちおう、写真4とだいたい同じ位置より、坂下方向も見てみました。(写真5)
まだまだ坂下あたりという感じですかね。
ただ奥の道もスロープになっていることから、写真1の場所と比べると建物1階分くらいの高低差はある場所ということになります。



ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる6
写真6

あと、写真5の左側には、こんな場所がありました。(写真6)
通常は、こういうところまでは気にして撮影しないのですが、さすがに見納めかもと思うと、やはり撮らずにはいられませんでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる7
写真7

奥を覗くと、これまたかなりの高低差の階段が。。(写真7)
見た感じ建物1階分以上の高低差がありそうですね。
この道路の下にも、オークラのなんらかの施設があるということですかね。
ということは、取り壊しの際は、やはり今回取り上げた坂道も無くなってしまう可能性が高いということなのかも。。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる8
写真8

坂道にもどりまして、さらに坂を上り、坂上方向をみてみました。(写真8)
この位置から坂道をみると、カーブしながら上る感じとか建物の関係とかが面白いですね。
やはりこの写真も通常なら、写真4でまとめて説明をすませてしまうところなのですが、見納めということで今回は載せてみたのですが、坂道の曲がり具合とか坂道と建物の関係部分なども含めてあらためてじっくりと写真で見るとかなり良い感じですね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる9
写真9

せっかくなので、写真8の位置からの坂下方向の景色なども。(写真9)
こうしてみると、坂道はもちろん、右側のオークラの外観の庇の飛び出し具合が比べられて、これはこれでまた楽しい写真なのかも。(そして、そういう視点で、写真3とか写真4を見直してみると、これまた感慨深いですね。)


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる10
写真10

そして、もうすこし坂を上り、坂下方向を眺めてみたものです。(写真10)
もうこれは、個人的には絵はがきにしたいくらいのものかもですよ。(今、思えば、三脚たててきちんとここから撮っておいてもよかったかもと後悔しておりますが。。)
こうしてみるとオークラの外観ておもしろいですね。(もちろん坂道との関係もです。)


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる11
写真11

次は、写真10とだいたい同じ位置より、坂上方向を見てみたものです。(写真11)
さっきまでと同じくかなりの急勾配の坂道でした。
ここからのも坂道景色的にはおもしろいかもですね。
ちなみに奥に見えている高層ビルは、ANAインターコンチネンタルホテルのようですね。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる12
写真12

さらに坂を上り、坂下方向を見てみました。(写真12)
こうしてみると右側の擁壁のようにみえていたものもオークラの施設の一部だったということがわかりやすいかもですし、高低差具合もしかりという感じ。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる13
写真13

こちらは、写真12の左のほうに見えていた車が止まっていた砂利の駐車場からのホテルオークラの外観です。(写真13)
今回の坂道散歩では、坂道景色と同様に、いかにオークラの建物もいい位置で見れる(撮れる)かも気にしながら歩いていたのですよ。
ただこの位置からだと、太陽光のおかげで、ファサードがこれまで見てきたような色とりどりな変化のある感じとは違い、あまり変化のない(のっぺりとした)ように見えていたのはおもしろい発見だったかも。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる14
写真14

再び坂道にもどりまして、さらに坂を上ってみました。(写真14)
こんなところで車が駐車するのかとも思いましたが、地面には「駐停車禁止」という表示が書いてありました。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる15
写真15

そんなこんなで、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下方向を眺めてみました。(写真15)
もうここまでくると、途中、いろいろと景色的にも楽しめるポイントが多くあったためか、坂下ははるか下という感じでした。


ホテルオークラ東京の坂道を歩いてみる16
写真16

ちなみに写真15の右側にはこんな景色が広がっていたのいたのですよ。(写真16)
坂道好きなら知っている方も多いとは思いますが、右に見えている道路は霊南坂の坂上あたりなのです。
こちらも過去にブログなどで、坂道を取り上げてますので、気になる方はどうぞ。
→ 霊南坂 (NO.117) 
→ アメリカ大使館と霊南坂
なので、今回の無名坂(そう、ここでいきなり登場しましたが、ここは名前のない坂道なのです)も実は霊南坂と同じ高低差具合のはずなので、そのあたりのことも想像しながら歩ければ最高ですが、そうもいかなそうなので、過去のブログ記事を見ながら、今回の無名坂と比べてもらえれば、違った感覚が味わえるかもですね。


ということで、これから取り壊されてしまうであろうホテルオークラ本館(特に内部)についてはいろんな方々が独自の視点で書かれているものも多々ありますので、そちらをみていただくことにして、今回の坂道散歩は長々となってしまいましたがこんな感じです。



住所
東京都港区虎ノ門2-10-1

前回の「国立競技場横にある明治公園と遺跡」の記事に引き続き、明治公園の話です。

前置きだけで中断した話の続きですが、明治公園の四季の森なる、あの不思議な雰囲気の国立競技場に隣接している細長い場所に、気になる階段があったのですよ。


明治公園の高低差のある場所1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
ひっそりとした場所なのに(今は)、立派なつくりの階段でした。
しかもこの背後に、ばばんと現在の国立競技場が見えていたんですよ。
なので、ここは見た感じでは国立に入るために演出も兼ねて人工的に高低差をつけられた階段のように見えますが、実はこの階段、僕がまわりを歩いて調査した結果ではおそらくここは地形的な要因で、このような形になったと思われ、そんなことからもこの階段をまずは取り上げてみたわけなんですよ。


明治公園の高低差のある場所2
写真2

もうすこし近寄って見てみました。(写真2)
遠くからみると、階段の真ん中にある花壇がけっこうかっこよく見えたのですけど、近くでみるとなんか荒れてますし、階段上のほうには謎の柵がつくられていたので、見た目てきにも悲しい感じではあります。。
しかも手前の地面やら階段自体もなんか草ボーボーで、世田谷の駒沢公園なんかと比べてみても手入れが行き届いてないなあと、いらぬことを考えてみたり。(まああまり人が通らなそうなところではあるんですが。。)
ただ、上空のほうを見ると、そんな場所にもかかわらず国立競技場の外観のカーブ具合が、写真1と同様にかっこよく見えてちょっとびっくりしました。


明治公園の高低差のある場所3
写真3

こちらは見てのとおり、階段上からのものです。(写真3)
鳩と雀がタイミングよく一緒に階段で休んでいたので、おもわずぱちりと。
あと、写真3の左上になにげにオレンジの柵が写っていますが、これは前回の記事の写真5でもとりあげた遺跡からの石がたくさん置かれているかもしれないと予想してみた場所だったりします。
あんな感じでごろごろと置かれていたのですよ。
しかも、この明治公園の四季の森には、この石を小さくしたようなものがいたるところでオブジェのように配置されて使われているんですよ。
なんか関係あるんですかね。


明治公園の高低差のある場所4
写真4

そして、こちらです。(写真4)
これは、写真1に戻って見てもらうとわかりやすいのですが、階段上のさらに国立側(上)のほうに設置されていたものです。
しっかりと1964年と刻まれてましたよ。


明治公園の高低差のある場所5
写真5

隣をみるとこんな感じでした。(写真5)
各種目の優勝者の記録が刻まれているみたいでした。


明治公園の高低差のある場所6
写真6

また階段下の道路近くにも、こんな感じで東京オリンピックを記念した石碑が置いてありました。(写真6)
なので、この公園もつくられた当時はオリンピックに関連してしっかり計画してつくれた場所だったということがこの石碑からも想像できそうですね。


明治公園の高低差のある場所7
写真7

そして、階段からさらに北側(千駄ヶ谷駅)方向に歩いていくと、明治公園の最北端の場所にもこんな無名の坂道もありました。(写真7)
こちらは、明らかに地形的な高低差による坂道というのがわかりやすいかもですね。
ただここは、知る人ぞしる無名坂というよりは、手前の外苑西通りから千駄ヶ谷の駅前あたりに行こうとするとかなりの確率で通る坂道なので、知ってる方も多いとは思いますけど。


明治公園の高低差のある場所8
写真8

写真7の右側をみるとこんな感じで、外苑西通りと、前回の記事の写真3と4でも登場した明治公園の四季の森(写真7の左側)から東京体育館のあるほうへと渡れる歩道橋が見えていました。(写真8)


明治公園の高低差のある場所9
写真9

無名坂の坂上からの景色です。(写真9)
見てのとおり外苑西通りの向こうには東京体育館がででんとそびえたっていました。
そして、どうやらこちら側から体育館を見ると千駄ヶ谷駅からの様子とは違いかなり大きな建物のように見えるので、その謎を軽く調査してみるとですね。


明治公園の高低差のある場所10
写真10

ここから最後までは違う日にちょっと気になって立ち寄った際に携帯カメラで撮影したものになりますが、ここは右側に外苑西通りが見えていることからも、ちょうどさっきの写真9の坂の向こうに見えていた東京体育館の壁のように見えていた場所を、同じくさっきの写真8で見えていた橋の上から見てみたものです。(写真10)
右側に見えている道路が外苑西通りなので、写真1の四季の森内の階段の場所とこの道路はほぼ同じ高低差のレベルなので、そう考えると同じ明治公園内なのにかなりの高低差があったんですね。
しかも左側に見えている東京体育館側の歩道はずっと奥のほうに向かうと千駄ヶ谷駅のほうに行くことができ、じつはこの歩道、千駄ヶ谷駅前の海抜というか高低差とほぼ同じなのですよ。
なので、このあたりはかつてはちょっとした崖だったのではないかなどと想像してみると、なぜさっきの場所から東京体育館が大きく見えたのかもすこし納得できるかもですね。


明治公園の高低差のある場所11
写真11

いちおうさっき立っていたあたりもぱちりと。(写真11)
奥には国立競技場もちらりと見えていましたよ。
ただ暗くなりだしていたのでかなりぼけた写真ですが、記録ということでご容赦を。。


明治公園の高低差のある場所12
写真12

こちらは、道路のむこう側の明治公園がちょうど見える場所がありましたので。(写真12)
こうみるとかなりの高低差でしたよ。


明治公園の高低差のある場所13
地図

そして、最後は周辺地図にめもしてみたものなど。
赤の点線の場所がはじめにでてきた階段と坂道ですね。
で、オレンジの点線の場所が、写真10〜12に登場した場所で、だいたい高低差の違いはなく千駄ヶ谷駅も同じくらいの海抜の場所にあるということをめもしています。
あと、ブルーの点線もわかりにくいですがめもしているのは、実はこのラインに沿って、渋谷川の本流がかつてこのあたりを流れていたそうなんですよ。
いちおう古地図でも確認してみると、このあたりはたしかに川があったようですし、昭和毎日のサイトにある昭和31年の地図にも記載があるので、このことはどうやらほんとみたいです。
しかもですね、昭和毎日の池田信「1960年代の東京」のページにて、1962年10月(1964年のオリンピック直前ですね)に撮影された隠田川(渋谷川上流の本川)の千駄ヶ谷2丁目付近(要は今回の場所あたり)の写真と解説が掲載されていましたよ。
一部抜粋させていただくとですね、『隠田川の千駄ヶ谷2丁目付近。川は埋立てられ、流路は「オリンピックサービス道路」の外苑西通りに変身した。』と書いてありました。
なるほど。
あとリンク先の当時の写真を見てみると、どっち側から撮影したのかはわかりませんが、川の右側が崖みたいになっているようにもみえませんかね。
しかも、さっきの”千駄ヶ谷2丁目”という記述で気がついたんですが、この明治公園の四季の森なる場所、かつての渋谷川の川跡をなぞるように公園内に渋谷区と新宿区の区界が走っていたんですよ。。
たしかに意識してみれば、もっと前に気がついていたことかもしれなかったですが、僕自身はこの記事書いていて気がつきましたよ。。(だから公園の管理具合も中途半端になっていたんですかね?わかりませんけど。。)
そんなことからもこのあたりは元々あった川を底部とした高低差がある場所だった思われ、しかも現在の区界でもある場所に国立競技場(新宿区)やら東京体育館(渋谷区)やらができてしまったということで、なんか不思議なスキマの場所ができてしまったのかなと思うと、なんかいろいろおもしろいかもと思ってしまいましたよ。


ということで、今回はこんな感じですが、明治公園の話はもうすこし続くかもです。


住所
渋谷区千駄ヶ谷1あたり ‎

このまえ、江戸三大祭りのひとつと言われている赤坂の日枝神社界隈で行われる祭り、山王祭を見てきたのですけど、実はあのあたり、このブログではまだ取り上げていない坂道がいっぱいあるエリアなんですよ。
なので、今回は、坂道散歩しながら、まつりを見てみるというすこし変わったことをしてみました。
(そして、すこしばかり前回の七夕祭の絵とまつりつながりの記事ということで。。)

ちなみに、山王祭とは、公式HPによると『徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」 として盛大をきわめ、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられているお祭りで、例年6月に開催されます。』とのこと。
ただ個人的には、日枝神社界隈の場所が、官庁街ということもあってか、お祭りとは行っても警備が厳しそうでなんとなく気楽な雰囲気はうすいかなあと、見に行った日の感じではちょっと思ってみたり。(ただ別の日には、東京駅ちかくや有楽町界隈も練り歩いているみたいなので、感想は変わるかもしれないですけど。)


山王まつりのついでに坂道ぶらり1
写真1

そんなこんなで、まずは、山王坂の風景を織り交ぜながら。(写真1)
山王坂については、実はまだこのブログではきちんと取り上げていないので、またそのうちということでなんですが、やはり結構な勾配具合の坂道にこの祭礼行列の感じはなかなかのものでしたよ。
ただこの坂道、両サイドが議員会館なので、警備の警察官も多く、見る人もちょっと緊張(と自分が感じただけですが)という中でのものだったかもです。


山王まつりのついでに坂道ぶらり2
写真2

次は同じく山王坂で、坂下からのものです。(写真2)
ここから坂上方向をみると、高低差具合もわかりやすいかもですね。
しかもさすが東京の官庁街、電柱(および電線)もなくて坂上のほうまではっきり見渡せますかね。
ちなみにこの祭礼行列の人たちは、もちろん写真2の背後方向にある日枝神社の境内に向かって歩いているのですよ。


山王まつりのついでに坂道ぶらり3
写真3

せっかくなので、写真2のすぐ右側をみると、行列の向こうに、超高層ビルが。。(写真3)
馬もさすがに小さく見えます。


山王まつりのついでに坂道ぶらり4
写真4

今度は同じ場所から行列の女性陣をパチリと。。(写真4)
やはりなんか不思議な光景ですかね。


山王まつりのついでに坂道ぶらり5
写真5

次は場所を日枝神社境内に移して、山王女坂に来てみると・・・。(写真5)


山王まつりのついでに坂道ぶらり6
写真6

さきほど山王坂を歩いていた祭礼行列の一団が、坂上の社殿にむかうために、坂道を駆け上っていました。(写真6)
これはなかなか珍しい景色かもですし、女坂はこういう時のためにつくられたものでもあるのですね。


山王まつりのついでに坂道ぶらり7
写真7

そして、最後は、同じく境内にある山王男坂の坂下からの風景です。(写真7)
とにかくすごい人でした。


ということで、山王祭とあわせてとりあげた山王男坂、山王女坂、山王坂については、またそのうちこの界隈の坂道を取り上げるときに復習することにして、今回はさらりとこんな感じです。


住所
千代田区永田町2-10あたり

洞坂(NO.247)で、ちらりとでてきた東禅寺なるお寺、実は「東禅寺事件」と呼ばれているたいへんな事件がおきた場所だったんですね。
でもこのブログでは、そういう史実のある場所のそばを今までもたくさん歩いてきたわけで、今回も軽くスルーしようかなと思っていたんですけど、ふと気になることがありましてですね。
というのも、今の慶応大学そばの綱坂の幕末の写真を撮ったことでも知られているフリーチェ・ベアトさんというこれまた幕末に活躍した写真家の方がいたんですけど、その方が当時の東禅寺の写真をいっぱい残されているみたいなのですよ。
それで、ちょっとその紹介がてら、今回はめずらしくお寺の話などもまじえながら。


01_東禅寺今昔
写真1(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

まずは、ベアトさんが撮った幕末の東禅寺の山門の様子を撮ったものです。(写真1)
門のまえに武士が3人いるのがなにやらぶっそうな感じですかね。



02_東禅寺今昔

写真2

ちなみに今の山門のまえには、こんな感じで「最初のイギリス公使宿館跡」と書かれた石碑が設置されていましたよ。(写真2)
(今回は、門の全景をおさめた写真はないので、後ろにちらりと見えている門の様子で想像してもらうしかないですのであしからず。)
あと、せっかくなので、このすぐ横に(写真2にもちらりと見えてますけど)こういう場所によくある案内板があったので一部を抜粋するとですね、
『東禅寺は、幕末の安政六年(1859)、最初の英国公使館が置かれた場所です。
幕末の開国に伴い、安政六年六月、初代英国公使館(着任寺は総領事)ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(1865)六月まで七年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(1861)五月には尊王攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが著した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。
幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝える唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。』
と、いくつか省いてますが、こんな感じで書かれていました。
なるほどー。



03_東禅寺今昔
写真3(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

だからこそ東禅寺事件の現場を写したという、”東禅寺事件の現場”というタイトルの写真をベアトさんは残してしておいたんですね。(写真3)


04_東禅寺今昔
古地図(goo古地図より拝借)

こちらは見ての通り、東禅寺界隈の江戸時代の古地図です。
この地図をみてみると一目瞭然、右の大通りから東禅寺と書かれた場所に向かう道の途中に、写真1のような景色が広がっていたと思われます。


05_東禅寺今昔
写真4(wikipediaより)

またベアトさんはこんな写真も残していました。(写真4)
東禅寺の庭を撮ったもののようですね。
写真3のアングルと似てますけど、こちらは休日のひとときという感じがすごく伝わってくるもののようでした。
でもなぜこの視点で撮影できたんですかね


06_東禅寺今昔
写真5

あと東禅寺の境内には、なんと今も三重塔が残っており、おそらく幕末当時もあったものと思われますが、ベアトさんの写真には写っていないようですね。(写真5)


07_東禅寺今昔
写真6(長崎大学付属図書館データベースから拝借)

そして、こんな写真もありましたよ。(写真6)
”外国人の江戸散策”と呼ばれている写真で、どこで撮られたものかは諸説あるようなのですが、いくつかのネット情報によると、どうやらこの写真も東禅寺境内で撮られた可能性が高いということでした。
であれば、写真の外国人はイギリスの人ということになるんですかね。


08_東禅寺今昔
写真7

ちなみに現在の東禅寺境内の写真はこちらで、おそらく写真6と見比べてみても、やはり同じ場所である可能性が高いかなと。(写真7)
(断定はしませんけど。。)


09_東禅寺今昔
地図(グーグルマップより)

最後に現在の東禅寺界隈の地図なども。
今の山門の場所は、”港区役所高輪保育園”と地図の下のほうに書かれている場所あたりになるので、そのあたりから過去の写真と古地図を見ながら想像してもらえればなあということで、ここでは多くを語らず。

でも、最後にもうひとつ。
実は、この東禅寺、だいぶ前にこのブログで取り上げた霊南坂 (NO.117)と深い関係がありまして、霊南坂のページの最後のほうでもすこしふれているとおり、この東禅寺は元々、霊南坂の名前の由来にもなった嶺南和尚が開山した霊南庵が元々の起源で、場所も江戸時代のはじめは今の霊南坂のそばにあったものが、その後この地に移って東禅寺になったということみたいですね。



地図
東京都港区高輪3-16



追記2014/3/21:
写真5の東禅寺の三重塔のことですが、こちら、ある方にメールでご指摘いただいて(そのあと自分でも軽く調べてみたところ)、この三重塔は昭和になってからできた新しいもののようでした。失礼いたしました。(汗)またさらりと訂正してなにもなかったかのように更新というのもなんでしたので、修正前の文も残しておくことにしましたのであしからず。

20年ぶりの大雪が都内に降った次の日、こんなことはめったにないことであると自分に言い聞かせて、というか興味津々で、でもあまりに家から近すぎるのもなんなので、適度に場所が離れている渋谷界隈の坂道をぶらりと歩いてみることにしてみました。


渋谷雪景2014_01
写真1

そんなわけで、家のまわりは雪国かと思うくらい、道路などに雪が積もっていたので、渋谷はどんなことになっているのだろうと思いやってきたわけですが、さすがに道玄坂は写真1のように除雪もかなり進んでいて、まあこんなものなのかなという感じの坂道風景だったかもです。
でも昼前にもかかわらず、人通りが朝のようなこの閑散とした感じは、やはりというべきなのですかね。


渋谷雪景2014_02
写真2

次はヤマダ電機の西側にある抜け道の途中にあった無名の坂道です。(写真2)
坂上のほうは百軒店(ひゃっけんだな)とよばれるかの有名な場所なのですけど、そこに向かう坂道が急傾斜だったのを思い出したので、ちょっと寄ってみるとこんな感じでした。
特に写真2の右下のあたりがかなりの傾斜になっているのですが、さすがにここも除雪されていました。(なんだか除雪されてないことを期待しているかのような書き方ですが、そうではありませんのであしからず。)
しかも、ここの舗装具合をよくみると、ドーナツ型ときざみタイプのハイブリッドタイプ。
これは日本広しといえども、なかなか出会えない可能性が高いかもですよ。


渋谷雪景2014_03
写真3

それからオルガン坂も歩いてみました。(写真3)
ここは写真ではちょっとわかりにくいですけど、けっこう勾配具合が急な坂道だったので、期待していったら予想どうりでしたよ。


渋谷雪景2014_04
写真4

オランダ坂を上りきりさらに西方向(山手線の内側方向)へ歩いていくと、公園通りとよばれる通りにぶつかりました。’(写真4)
そしてここも実は坂道だったりするのですよ。
この坂については思っていたより雪があったかもです。
ここは、また雪が溶けて時間があるときにでも、無名坂扱いで探索にきてみたい場所ですかね。


渋谷雪景2014_05
写真5

いちおう公園通りから東に一歩奥に入った場所にある無名の坂道も歩いてみました。(写真5)
またもやここはどこ?という感じで雪が積もっていました。
ちなみにこの坂も、個人的にはまわりの建物と坂道との関係がおもしろくていつかきっちりと取材してみたいなあと思っている坂道だったりします。


渋谷雪景2014_06
写真6

その後、スペイン坂のことはすっかり忘れて代々木公園にきてしまいました(写真6)。
あたりは真っ白。


渋谷雪景2014_07
写真7

ふりかえって、渋谷の街を眺めてみたり。
とにかくこのあたりの景色も東京オリンピックが開催される頃までには激変しているかもしれないので、忘れないようにぱちぱちシャッター押しまくりましたよ。


渋谷雪景2014_08
写真8

そして、一気に代々木公園をぬけて原宿駅あたりまでやってきました。(写真8)
写真8は、先日お台場のカルカルで僕も見に行った「かわ*いいビル・ナイト」なるイベントが開催されたのですが、そこで大々的にとりあげられたこともあり気になっていたので思わずぱちりと。
ビル名はコープオリンピアというそうです。
ただこの写真みて、あれ?と気がついたかたもいるかもしれないですけど、このマンションの手前に以前は歩道橋があったんですけど、すでになくなっていましたよ。


渋谷雪景2014_09
写真9

で、最後は、雪に覆われた明治神宮をぶらぶらして、本堂では人工の虹を堪能した後、そのまま神社内をぬけ原宿駅にはもどらず代々木駅まで歩いてみたわけですが、写真9はその途中でみつけた無名の坂道です。
ここも雪のおかげで見た目にもだいぶわかりやすくなっているのですけど、坂上と坂下とではけっこうな高低差になっている場所だったんですよ。


住所
渋谷区あたり

すこし前のことになりますが、リニューアルされたばかりの歌舞伎座に行ってきたんですよ。


五右衛門階段1
写真1

で、歌舞伎座といえば、まずはなんといっても、ここですよねということで、ぱちりと一枚。
写真1は、いろんなメディアで報じられてもいた有名な正面ファサードの部分のものです。
でも今回、このブログでは軽くスルー、です。


五右衛門階段2
写真2

まずは館内をうろうろしていたら、屋上庭園なる場所があることを知り、そこへ向かっている途中に、なんと五右衛門階段なる場所があるという案内を発見。
ということで急遽、建築散歩から坂道さんぽに気持ちを若干切り替えてみますかねというわけだったんです。


五右衛門階段4
写真3

とりあえず、屋上庭園についてはファサード同様軽くスルーしてしまうことにしまして、写真3は五右衛門階段の坂上から見えた大屋根部分の様子です(いちおう屋上庭園のはしっこが見えていたりはするんですが。)。
ようは正面ファサードからもすこし見えていた屋根瓦の部分ですね。


五右衛門階段5
写真4

そして、やっと五右衛門階段の階段上からの眺めです。
なんともみた目具合はただの建物内によくある感じの階段だったのですけど、やはりここは階段名がかなり気になったというわけで、公式サイトとかもみてみたんですけど、とりあえずわかったのは、五右衛門階段の五右衛門というのはやはりあの石川五右衛門のこといっているということだけでしたよ。。


五右衛門階段6
写真5

次は、中腹あたりよりさらに階段下を眺めてみたものです。
やはりここは朱色に塗られた柱などが印象的だったかもです。


五右衛門階段7
写真6

いちおう階段下までやってきて上階のほうもみてみました。
ちなみにこの階段は屋上庭園のある5階から今僕が立っている4階に移動するために計画されたもののようですね。


五右衛門階段3
写真6

そして、最後はおまけです。
屋上庭園からの歌舞伎座の高層棟部分の様子です。

ということで今回はこんな感じです。



住所
中央区銀座4−12

そういえば最近は前よりも坂道の舗装具合も気にして見るようになったんですけど、この前のテクテクさんのイベントのコースの下見がてらぶらりとした時にちょっと気になったことでも。


坂の舗装あれこれ1
写真1

まずはこちら。
狸穴坂 (NO.61)の途中にあった舗装です。
この矢印タイプのオレンジ色と黒のアスファルト舗装、最近の坂道散歩では見なかったタイプですかね。
たいがいはオレンジならオレンジ一色のパターンが多いのですが、ここは違っていて、もしかしたらこのほうがコスト安いとかそういうことなんですかね。
とにかく謎の舗装タイプでしたが、見た目にはけっこうかっこいいので、細かいことは軽くスルーしますかね。


坂の舗装あれこれ2
写真2

あともうひとつはこちら。
永坂 (NO.99)の途中にあったけっこう高級な感じのマンションの駐車場が外の道路から見えていたのでちらりと観察してみると、なんと手前はまあすこし勾配があったのですが、奥はほぼ平坦にもかかわらずのジャノメタイプの舗装でした。
ちなみに坂道でいえば、ジャノメタイプの舗装といえば急坂なのですよ。
ただここ、当たり前ですけど私有地の中なので建て主の好みやメンテナンスのことなども関係あるかとは思います。
でもやっぱり気になりますねえ。
しかもこういうマンション内の駐車場もたまに気にして見てるとこういうパターンけっこうあるんですよ。
そういうわけですので、またこのことについても軽く宿題ということにしてまたそのうち詳しく調べてみたいと思います。


住所
港区麻布永坂町あたり


※今回の写真は携帯のカメラで撮ったものですのであしからず。(おそらくこれからはたまにこういうことあると思いますので携帯で撮ったものがある時は最後にお知らせしますね。)

忘れないうちに書いておこうと思うのですが、前にみちくさ学会やこのブログの記事でもとりあげた皀角坂、昨年のドラマでも登場してましたよ。
しかもなんとあのフジテレビのドラマ「プライスレス」でですよ。

とりあえず、あのキムタクさんがホームレス?というのが気になってなんとなく見はじめたわけなんですが、ドラマの途中(しかも突然、あたり前ですが)あの坂道を香里奈さんが歩いている映像が流れたときはピクピク・・・!という感じでしたよ。
とにかく、すぐに「あそこだー」と。(笑)
まあ、ほんのすこしのちらり登場ではありましたけど。

もちろんあとでドラマのロケ地を調べてくれているマニアックなサイトがいくつかあるので、そこで確認してみたんですが、やはり場所あってましたよ。

20130102
皀角坂


あ、あとロケ地でいえば、なかなかタイミングがなくて報告できなかったのですが映画の「八日目の蝉」(DVDのほうしか見てないのでテレビ版のほうはわかりません)、で、このブログでもだいぶ前に取り上げた富士見坂が登場していて、井上真央ちゃんが坂を下るシーンも印象的だったんですよ。
こちらもちらりと流れる感じのものでしたけど、ぴくぴくもの(←なんという言い方!)でしたよ。

ということで皀角坂の新情報はこんな感じですが、富士見坂のほうは、同名の坂が都内にいくつもあり、今回のはたまたま映画観てて気がついただけで、皀角坂のように気軽には調べられませんので、このロケ地ネタについてはまたおいおいということでお願いします。

今日はひさしぶりに気になったニュースネタでも。

昨日、日暮里の富士見坂についてのニュースが毎日jpに掲載されていましたよ。

→都心では唯一:息をのむ最高の輝き ダイヤモンド富士観測11月12日/毎日jp)
http://mainichi.jp/select/news/20121113k0000m040028000c.html

『東京都荒川区西日暮里(にしにっぽり)の「富士見坂」で12日、富士山の山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」が観測された。夕日が山頂に沈む瞬間、訪れた大勢の人たちから大きな歓声が上がった。』
とのこと。

そうですかー。
で、もうひとつ記事の最後のほうにちょっと気になる情報が。。
『次回観測可能な来年1月下旬の3日間を最後にこの地からはダイヤモンド富士が見えなくなる可能性が高いという。』
これはどういうことでしょう?

それにはまず、このニュースを見ないといけないかもです。
ただ富士見坂に関心がある方ならある程度、わかることかもしれないですが、いちおうです。

→都内「最後」の富士見坂、眺望の危機新たに−高層ビル計画浮上(2012年09月03日/上野経済新聞)
http://ueno.keizai.biz/headline/1155/

てな具合に、こんな計画が浮上しているのですよ。
ちょうど日暮里の富士見坂と富士山のビスタラインというか軸線上に、とうとう高層マンション建設計画が浮上してしまったというわけですね。
なので見えなくなると。。

しかも富士見坂と名のつく江戸時代からある坂道からこれだけくっきりと富士山だけでなく、ダイヤモンド富士も見れる場所といえば、ここだけだったような・・・。

むむー。
僕自身もけっこう前にマンション建設に係わる手伝いに小遣い稼ぎというか生活のためにというか仕事でというか、そんな感じですこしばかり関わったことがあるので(あ、この問題のマンションではないですよ、もちろん、汗)偉そうなことはいえませんが、やはりこういうニュースがでると悲しいですよ。
でもまあなかなか難しい問題ですよね。

そして話はもどり、ダイヤモンド富士の観測が1月下旬の3日間で最後になるかもという話。
ということは、1月の3日間がもし雨や雪などで天候悪ければ、今回の富士見が最後になるということですか!
むむむむむむ。

そういうわけで、もしかしたら・・・という心配もあったので、実は現地になんとか時間の都合をつけて行ってきたんですよ。
ですので、またその時の様子は後日、報告したいと思いますのでよろしくなりです。

ちなみにまわりの人の話(しゃべっているのが聞こえてきただけですが)では、明日まではなんとか(ダイヤモンド富士が)見えるかもという情報ですので、ぜひ肉眼で見てみたいとかいうかたがいれば、どうぞ行ってみてくださいな。(見れるかどうかは天候しだいですが・・・。)

ということで、最後は他のニュースサイトでも富士見坂からの「ダイヤモンド富士」の写真つき記事がいくつか見られましたので、とりあえずメモもかねてリンクしておきますので、こちらのほうもよかったらどうぞ。


今年で見納め?富士見坂の「ダイヤモンド富士」(2012年11月12日/YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121112-OYT1T00840.htm?from=ylist


日暮里・富士見坂で「ダイヤモンド富士」−今季で見納め?眺望の危機(2012年11月09日/上野経済新聞)
http://ueno.keizai.biz/headline/1202/


23区内最後の… 富士見坂からのダイヤモンド富士(2012年11月13日/TOKYO MX NEWS)
http://www.mxtv.co.jp/mxnews/news/201211137.html


※こちらはおまけです。路上富士ならこの人と僕も思っている田代さんのHPにこんなページがありましたよ。なにかの参考にでもなればと思い、こちらもリンクしておきますね。
→西日暮里富士見坂から今も富士山が見えることの意義(2011年10月)
http://yamao.lolipop.jp/fujimi/nishinippori.htm

最近、また九段坂についての気になる史実が書かれた本を見つけたので、今回はちょっとその話でも。


九段坂の高低差と燈明台1

いきなりですが、こちらは『色刷り明治東京名所絵・井上安治画』という本にあった九段坂の名所絵です。(ただしデジカメで、風景を撮る感じでぱちりと絵を撮ってみたものを加工したものですので、絵が一部歪んでますのであしからず。)

で、この名所絵ですが、参考本のタイトルにもあるとおり井上安治なる絵師によるものだそうですよ。
(前に、「九段坂・今昔メモ」という記事で登場した明治時代の九段坂の写真と見比べてみてもおもしろいかもですね。)
ただこの上の絵を見る限りでは、常燈明台も今の位置になる前の坂の北側(靖国神社側)にあり、ほんとうに坂の上の頂上からのもののようで、見た感じかなりの丘の上の風景といった感じが誇張しているのかなあとすこし思ったわけなんです。

でも、実はそうでもなさそうなんですよ。

そこでまずは絵の解説文として本に書かれてあった一文をすこし抜粋してみますね。
『戦前には、陸軍将校クラブであった偕行社があり、構内に常燈明台が建っていた。(略)。明治三年招魂社として創建された靖国神社のために献燈として明治四年(一八七一)建てられたという。標高二五メートルという東京の最高所だから品川沖を航行する船の唯一の目標になるというので評判になったのも無理はない。』

ふーん。そうなんですね。
そして、抜粋分ではちょっとした常燈明台の史実とともに“標高二五メートルという東京の最高所”なる一文があるんですよ。
要は標高25メートルといえば、あの都内の自然の山としては最高峰の標高でもある港区にある愛宕山でも(だいたいの標高が測れる地図サイト)マピオンによれば海抜25m(ウィキペディアでは標高25.3m)ということなので、江戸から明治時代のころであれば、ここから海方面にかけては愛宕山に負けないくらいの高低差があり、かなりの高所だったということになりそうなんですよ。
いちおう愛宕山と同様にマピオンで九段坂の海抜を計ってみると坂上のほうはたしかに海抜25mという表示がでてきました。
そんなわけもあり、前にみちくさ学会の九段坂の記事でもこの坂は潮見坂であると予測はしてみたものの、あんな立派な常燈明台が九段坂の坂上あたりにありきちんと本来の役割もはたしていたというのは現在の景色をみると想像しにくいこともあり、やっぱり気になるなーと不思議に思っていたんですけど、この史実やデータをみるとやっぱりそうだったんだなあーとちょっと納得してしまいました。


九段坂の高低差と燈明台2

ちなみに現在の常燈明台はこんな感じです。
位置は坂の南(日本武道館側)に移動していますけど、上の絵と見比べてみてもそれほどつくりというかデザインの違いが感じられないので、今の常燈明台はほぼ昔と変わらない形で残っているのかもしれないですね。


あと、この他にも、参考本には、
『この常明燈は、漱石の「三四郎」のなかでは、広田先生に「時代錯誤」と批評されている。ヨーロッパ留学で、本場の建築になじんできた漱石としてはもっともな意見ではあっても、いまの時点で明治初年の混乱期のモニュメントとしてみえれば珍重に値する。』
という一文もあり、ちょっと気になったので小説「三四郎」の本文ではどこの部分なんだろうと思い調べてみたらありましたよ♪♪

『「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。』
(以上は青空文庫からの引用です。)

なんとも路上観察学的な会話というかタモリ倶楽部でぱらりとでてきそうな会話のやりとりというか。。(笑)
なんかいい感じですね。


住所
千代田区九段北1あたり

ふと気になったので、ちょっとした復習もかねて、これまでにとりあげた池上本門寺界隈の坂道の高低差を標高が測れるサイト(以外と好評でした)の記事でも登場したmapion地図でぽちぽちして標高計測してみることにしました。


紅葉坂(NO.226)7
写真1

まずは池上本門寺の大堂のあたりの標高を計測してみると、海抜34mでした。
まあこれがとりあえずの今回の池上本門寺境内の標高基準にしてみますね。


紅葉坂(NO.226)1
写真2

そして次は紅葉坂(NO.226)
こちらは、坂上あたりが海抜26m、坂下あたりが海抜19m。
なんだかんだといって高低差7mもあるみたいですね。
建物でいえば、2階か2階半くらいの高さです。


ちなみに、紅葉坂(NO.226)の坂上と実は直結している階段坂で大坊坂という名の坂も本門寺境内にあるのですが、こちらはすでにみちくさ学会の記事で取り上げてますの、よかったらどうぞ。
池上本門寺の富士見スポット

で、その大坊坂もぽちぽちと計測してみると。
坂上が海抜21mで、坂下が海抜10mということみたいです。
なので高低差は11m。
建物でいえば3階か4階分くらいの高さくらいですよ。
うーん。
けっこうな急階段だったわりには、思っていたより数値少ないかもなーという感じです。


松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂1

写真3

そして、境内を飛び出して、松涛園の隣にある大田区池上1丁目の坂で取り上げた無名坂もいちおうぽちりとしてみると。
坂上が海抜20mで、坂下が海抜13mでした。
こちらも高低差は7m。
ちなみ隣の松涛園のあたりを計測すると、海抜16mとのこと。


貴船坂(NO.225)4
写真4

そして次はお隣の貴船坂(NO.225)をぽちりとしてみると。
坂上が海抜21mで、坂下が海抜10mでした。
高低差11m。
だいたいさっきとりあげた大坊坂と同じくらいの高低差ですね。

ということは、上でとりあげた大坊坂が池上本門寺の西側にあり、この貴船坂(NO.225)が東側にあることからも、この池上本門寺界隈は境内の大堂あたりを頂上とするちょっとした小山になっているということなんですかね。
どうりで境内にむかって上る感じの坂がおおいわけなんですね。


大田区中央5丁目のとある坂3
写真5

そして最後は、大田区中央5丁目の眺望坂ででてきた無名坂。
ここは写真では緑に隠れて見えてなかったのですが、勾配具合を記した標識が坂下のほうにあり、そこにはなんと勾配20%という表示があり、これはかなりの急勾配の部類なので、やはりぽちぽち計測してみました。
そしてでた結果は、坂上が海抜20mで、坂下が海抜8mとのこと。
高低差は12m。
そしてそして、このmapion地図、距離もさらりと測れるので、坂下と坂上の距離を計測してみると直線距離でおよそ90m!
ということは、およそ13%の勾配具合ということになりますね。。

むむー。
どういうことなんでしょう〜。
標識が違うのか、mapionが違うのか。
うーん。。

ということで、どのデータが正しいことやら、どうもわけわかんなくなってきたので、今日はこれくらいでご勘弁を・・・。(汗)

最近、「標高がわかるWeb地図」という名前そのままの国土地理院のサイトがあることを知ったのですが、いざ使ってみると詳細な場所までは拡大できないことに気がつき、使いにくいなーなんて思ってたら、なんと「mapion」でも標高調べることできたんですよ・・・。


標高地図

やり方はふつうに地図上で調べたい場所に移動して、右クリックするだけ・・・。
いくつかの情報とあわせて「この地点の標高:海抜10m」というふうに表示されます。

ああ、なんということでしょう〜。(驚)


そんなわけで、いくつかの場所を調べてみたのですが、けっこうおもしろいですね。

江戸時代には江戸随一の山といわれた港区にある愛宕山の標高は海抜25mとのこと。(ウィキペディアでも、標高25.7mとかかれてるので、これはだいたい正しいかもですね。)
で、次はなんとなく新宿都庁そばの新宿中央公園でぽちりとしてみたら、なんと海抜36m!
ふつうに標高高いんですね。新宿って。
そして、最近知った都内でもおそらく一番の高さともうわさのある学習院大学の南にある戸山公園内の箱根山。
こちらはぽちりとすると海抜38mでした。
ただここ、ウィキペディアによると、「山頂にある水準点の標高は44.6mである。」と書いてあるんですよね・・・。

ちなみに、お台場のフジテレビあたりは海抜6m、ぐっと西に移動して、JR吉祥寺駅の北口ロータリーのあたりをポチリとしたら海抜55m!
もうよくわからんですよ。

で、気をとりなおして、坂道の高低差も調べてみました。
いちおう松本さんの階段本(東京の階段)に、御茶ノ水の男坂(NO.218)の高低差のデータがあったのでそれをみてみると、高低差13.1mと記載されています。
そしてmapionで坂上をぽちりとしてみると、海抜20m。
次に坂下あたりをぽちりとしてみると海抜9m。
高低差は11mになりますかね。
なので、誤差はおよそ2m!
けっこうありますね。。

いやはや。(汗)

ということで、興味あるかたはどうぞ試してみてくださいな。

なるイベントがこのまえ文京ふるさと歴史館なる場所でやっていたので行ってきました。


坂道ぶんきょう展1

場所的には東京ドームの北側、メトロ本郷三丁目駅が一番近い駅となる場所でまわりにはまだこのブログで取り上げてない坂道もたくさんあったのでそちらに足が向きつつも気持ちでなんとかおさえて(笑)こちらの展覧会に訪れてみることにしたわけですな。
そしてエントランスあたりには、写真のようにけっこう本格的なポスタ―が設置されていて、ふーむふーむ。


坂道ぶんきょう展2

また会場入口あたりにはおそらく記念撮影用のパネルらしきものもありました。
ここ来る前はもっと閑散としたものかなあと予測していただけに、会場もきちんとしていて図録もあったりと、けっこうな力の入れようだったのでちょっとびっくりという感じでした。

また展覧会の内容も文京区の坂道をこのブログでとりあげたのはおそらく半分いったかいってないくらいだったので、なんだかんだとといってまだ歩いていなくて名前だけしかしらない坂もけっこうあり、かつての坂道浮世絵なんかでも知らないものもあったりとなかなか参考になったかもです。
あとは会場内で黙々と黙って展示物を見る若者に対してご年配の方々(団体客や夫婦)が口々に昔歩いた坂のコーナで立ち止まり長々と思い出話を語り合っていたのはなかなか印象的でしたよ。

なんていうかとにかく学術的に坂道を調査して、その成果を展覧会でみせるとこんな感じになるのかなあと思いつつ、僕ならここはこうするかなと思うところも多々ありましたし、30代の今しか見えない風景やものことだってあるはずなので、そのあたりは今後のブログの記事をお楽しみにということでお願いします。

あっ、あと展覧会の内容に感動してしまっておもわず会場のスタッフのかたにこの坂道ブログのことをお知らせしてしまったんですけど、そういうのってまずかったですかねえ(笑)。
とりあえず見てくれてるとうれしいなあ。

ということで、今日はさらりとこんな感じです。


住所
文京区本郷4

やっとですが今回は、前にみちくさ学会で書いた「西麻布の各国大使館が密集している富士見坂」の記事でのせきれなかった話でも。


西麻布の富士見坂こぼれ話1
写真1

まずは西麻布の富士見坂の坂下あたりにかつて笄橋という橋があったらしいのですが、写真1は古地図で見た感じのかつて笄川があったであろう道路です。
ブラタモリでいえばシュワーと正面を走っている車にあわせて川の風景CGがでてくる感じだとは思いますけど、ここでは無理です。。
そしてちょうどそれと直角に道が走ってますけど、おそらくこの交差上に橋があったのかもしれないですね。
そして道を左に行くと現在の外苑西通りに、右に行くとちらりと(実は)坂の碑が見えているんですけど、「牛坂」がありこのあたりからぐいぐいと登リ坂となっていたりします。

ちなみに笄川は、上の写真1では南の方向を見ているのですけど、写真とは反対の北側にてくてくすこし歩くと六本木通りとぶつかり、ここの坂は「笄坂」と呼ばれています。

あと、実はこの坂、MINATOあらかるとなる区のサイトによると、別名で「大横丁坂」と呼ばれていたらしいです。
ただ今回は、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」の分類を参考にして、別物の坂ということで扱ってますのであしからず。
(でも古地図にはそれらしき道がないんですよね・・・。(汗))

そんなわけで、残りは軽く富士見坂周辺の散歩写真などどうぞ。


西麻布の富士見坂こぼれ話2

やっぱり今話題のギリシャ大使館は外せません。。
しかも建物自体は前から建っていたマンションの再利用ぽくて、なかなかお金かかってなさそうで良い感じです。(笑)


西麻布の富士見坂こぼれ話3

そしてこちらは坂下のほうにあったルーマニア大使館。
門が半開きですけど・・・・。
いいんですかね。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


住所
港区西麻布3

前回、御茶ノ水の坂道の話がでたついでに、今回は前にみちくさ学会で、同じく御茶ノ水にある坂「日本一の古書店街を見守り続ける富士見坂」の記事を寄稿したついでのこぼれ話でも。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ1
写真1

短くて勾配もゆるくて、けっこうつっこみどころない坂なんですけど、とりあえず坂上の明大通りから富士見坂を眺めたものです。
こちらは寄稿した記事にはのせなかったものなんですけど、散歩の時は、通り沿いの手前のビルが坂道に対してやけにアンバランスに背が高かったので思わずぱちりと。
しかも僕が写真撮るために立っているこの明大通りと呼ばれる道も実は坂道になっていて、写真1の左右でけっこう複雑な高低差具合になってました。
なので右側のビルに入居しているはなまるうどんの店舗への入口もなぜか階段になっているという具合で、これはこの道路が右側へ上り傾斜になっていて、そちらの高い側を一階レベルにしたのでこんなややこしいつくりになってしまったようですね。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ2
写真2

あと、坂上からすこし下って坂上のほうをみると、なにやら変わったつくりのビルがふたつ見えていますけど、こちらは(寄稿した記事ではほにゃららと流してしまったんですけど)、左側が「お茶の水スクエア」といい、右側が「明治大学・紫紺館」というそうです。
なんていうか使い勝手はどうなのかわかりませんけど、どちらも知る人ぞ知る建物で、建築散歩する際には見学コースにいれてみると玄人の人(=マニア)ならほほ〜と喜ぶという感じのものですかね。(笑)

あと、坂上あたりにある緑の看板に「ロシア料理サラファン」とかかれているのが見えているのですが、こちらさらにその横にちょっと写真じゃ見にくいですけど、「御茶ノ水で40年」という謳い文句まで書かれていました。
ということはこの坂道に店を構えてから40年!。
(ごくり。しかも違う意味で・・・。笑)
なんとも、そんなに歴史あったんですね、また今度食べにでも行ってみますかね。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ_03
写真3

そして、この坂道沿いにも(正確に言えばちょっと違うんでけど)、古本屋さんありました。
けっこう前からあったような気もするんですけど、ちょっと記憶が定かではないです。


御茶ノ水の富士見坂いろいろ_
写真4

最後に、あまりこのブログでは登場しませんけど、いちおう坂の碑も記念に毎回撮ってたりします。
でもなぜか過去記事(富士見坂 (NO.5))にはのせていて、10年ほどまえの富士見坂の碑は手描き感いっぱいという感じだったのが、現在のものはだいぶきれいになっていました。

ちなみにこの坂の碑の説明にでてくる「新撰東京名所図会」は1896年(明治29)より発行されたシリーズ本です。(いまさらですけどね・・。)

というわけで、そんな名前のはじまりみたいなことをふつふつと考えていたら、実は「富士山」という名がいつからそう呼ばれていたのかどうか、かなりあいまいに理解していたので、そんなことまでこまかく調べてしまいそうな勢いの今日この頃です。。


住所
千代田区神田小川町3あたり

今回もスピンオフ話です。
あっ、もちろんみちくさ学会で最近書いた南郭坂のことですよ。

南郭坂を歩いたついでにまわりを歩いていると、けっこういろんなスポットに出くわしたりして、これ全部記事にしてるときりがなくて、その中には昔からの名所やら有名スポットももちろんあるわけで、そんなわけで今回はなかでもちょっと気になったことでもさらりと。


南郭坂いろいろ1
広尾小学校

まずは坂近くでこんな建物を発見。
場所で言うと、南郭坂の坂上あたりから南(恵比寿側)にすこし歩いたところにありました。
といってもこちらは小学校だったので外からみただけでしたけど、ちかくというか学校の塀に立派なプレートがとりつけてあり、いろいろと説明があったり、その横には登録有形文化財なるプレートもとりつけられていました。

見た感じでも今のよくある学校の外観にない凹凸やら装飾がほどこされているのがわかりますかね。
プレートによると1932年に竣工、設計者が当時の“東京市土木局建築課”となっていました。
なんというかこれだけまわりの家々が建てこんでいるとあまり目立たない存在なのですけど、かといって広い場所にぽつねんとこの学校があれば、周りの人から「古い」とかなんとかいわれて建て替えなんかされていたかもしれないですね。


南郭坂いろいろ2
写真2

次は、南郭坂の坂上を北(渋谷側)へしばらく歩くと突然姿をあらわしました。
もともとは古地図にも記録があった坂の北側に今もある氷川神社に行こうと思って通った道だったんですけどね。
上の小学校と同じような色の外観で、手前の門には「温故学会」なるプレートも見えていて、ちょっと立ち止まってみてみると、塙保己一資料館という案内板もみつけました。
ということでこちらは“塙保己一資料館”なる建物みたいでした。


南郭坂いろいろ3
写真3

敷地内に入ってみると、こちらの建物にも登録有形文化財なるプレートが張ってあり、ほほーと思いつつ、すぐ隣にあった像をぱちりと。
こちらが塙保己一さんとのこと。
江戸時代の国学者だそうです。
中の資料館には、各地の寺社に保管してあった大昔から江戸時代初期までの史書や文学作品がおさめられた“群書類従”の版木が保管されていました。
しかもかつてここにはあのヘレン・ケラーさんも訪れたことがあるそうですよ。
いちおうWikipediaにも塙保己一さんやら群書類従の説明があったので読みましたけど、なんとこの方が今の原稿用紙の400字詰の基本様式を考えだした人みたいで、別の意味でちょっと驚いてしまいました。

塙保己一さんは、1746年に生まれ1821年に亡くなっていて、南郭坂の服部南郭さんは1683年に生まれて1759年に亡くなっています。
ということは、塙保己一さんが13歳のときに服部南郭さんはこの世からいなくなったということですけど、なんかつながりでもあったんですかね?とりあえず、服部南郭さんの別邸からも場所が近いことですし。

ちなみにこのそばには國學院大學もあって、南郭坂の坂上にも広尾高校やら小学校があるようによく考えれば文教地区なので、このような施設は探せばありそうなんですよね。。
ただ個人的には、資料館で説明していただいたときに聞いた、坂下の渋谷川の氾濫から逃れる意味もふくめてここに資料館(というか群書類従の版木の保管場所)を設置したという話が気になりましたよ。
(このあたりは地形的にみても尾根の部分にあたる場所なので、です。)


南郭坂いろいろ4
写真4

最後はおまけです。
ちょうど南郭坂から塙保己一資料館へ向かう途中の電柱にありました。(笑)
おそらくWi-Fi関連の中継機器だと思われます。
記事書くための取材だったことに加えて、こうして形あるものとして、ロゴやら機器があるのをみるとほほ〜なんだか時代だね〜、ふむふむ・・・、という感じの気分になり、おもわずパチリと一枚。。

またまた補足的な坂道話です。

まずは、みちくさ学会で「アメリカ大使館と霊南坂」という記事がアップされましたのでよかったらどうぞ。


霊南坂とはとバス1
写真1

てなわけで、みちくさ学会の記事では字数オーバーのためのせれなかった写真などをいくつかのせつつ、記録がてら書いておきたいと思います。

まずは写真1ですね。
おまわりさんが見ている目の前で(実は)、あやしい目でみられながら(笑)、はとバス@霊南坂の写真を撮ることに成功。

とりあえず、はとバスのサイトでちょこちょこ調べてみたんですけど、これまでどのコースを通ってきてこれからどこへ行こうとしてるバスなのかまではわかりませんでしたけど、とにかく写真の記録に残っているとおり、この霊南坂もはとバスツアーのコースには入っているのかもしれないですね。
(もし、はとバス乗って、ここでアナウンスきいたよ!とか言うかたでもいればぜひメールください。笑)

そんでもってよく考えてみれば、僕が坂道をぶらぶらしているときに「アメリカ大使館の写真は撮らないでください」と言われたんですけど、このはとバスからなら、さらに高い位置より大使館撮り放題なんですけど、まあそのあたりは深追いしないことにしますよ。。


霊南坂とはとバス2
写真2

そして、この近くにはこんなものがありました。
はて、これは?
トマソン的な、なんというかなにかの計画のあとに取り残されたものなのか、最初からこの形でつくられたものなのか?
うーん、わかりません。(笑)


霊南坂とはとバス3

写真3

さらに、写真2の道路向かいにはこんなものも発見。
もちろん写真まんなかの奇妙な石柱みたいなやつですよ。
右が電柱で、上にのびている方向が垂直な方向だとすると、この石柱もどきはすこしななめに地中からはえでてきている感じ、わかりますかね?
しかも左側のガードレールよりも背が低いみたいで、これまたなんの用途に使われていたものかも不明です。。


霊南坂とはとバス4
写真4

最後は、霊南坂の坂上から徒歩1分くらいの場所に、かの有名な霊南坂教会がありました。
といっても霊南坂側の道路から見える教会は写真4のようにちょっと教会といわれても判断しにくくて、屋根上のほうにある十字架やら壁に「霊南坂教会」とかかれているのを見て、やっとここが、あの教会なのねえという感じでした。
全景をみたいというかたは、教会の公式HPみるとわかるかもです。
あと、過去ログで、霊南坂教会のことにもふれている記事(雁木坂 (NO.116))があったので、よかったらそちらも見ながら比べてみるとおもしろいかもですよ。

ちなみに霊南坂はウィキペデアで調べてみると、おそらく僕より下の世代の人にはぴんとこない話なのかもしれないですけど、1980年に山口百恵さんと三浦友和さんが結婚式を挙げた教会でもあるらしいです。
そして赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」の“ビルに沈む町”という項で、今のアークヒルズができるまえの霊南坂教会がちらりと写っていたりもします。

あと、この霊南坂教会も含めて、霊南坂まわりには、知る人ぞ知る有名建築もあるんですけど、そちらのほうは、4年ほどまえに霊南坂をおとずれた時に書いたエントリー(霊南坂 (NO.117))で書いてますので、こちらもよかったらどうぞ。

ブログネタ
街写真 に参加中!
今回はタイトルそのままです。



神田明神裏参道1

場所はだいたい神田明神裏参道という名前のとおり、表参道とは真反対の神社北側に位置しており、かなりの急勾配というか高低差のある階段坂道でした。
なので、この階段を上りきると、神田明神の境内にすっかり入ることになりますかね。

また神田明神の公式HPを見ても特になにも書いておらず、まあ細かいことはまったく不明です。
ただ、そういう歴史的なことはぬきにしても、なかなか見た目てきにも、けっこう印象的な階段で、傾斜に寄り添うように建てられた建築物のあいだを縫うようにつくられ、坂(階段)下には、石碑といってもいいくらい立派で、おそらく自分の身長より背の高い石に「神田神社 裏参道」と大きく書かれているように、裏参道といっても、坂下に面している通り(蔵前橋通り)を歩いていれば、かなりの確率で気がつく裏参道なのかもしれませんね。



神田明神裏参道2

そして、これが坂上の神田明神側から、坂下である蔵前橋通りのほうを眺めたものです。
なんだか、ここからみると、階段自体のこまかな雰囲気が見えてあれですが、こうして観察してみると、この階段はよほど手入れが行き届いているのか、それとも作られてからそれほど時間が過ぎていないのかどうかわかりませんが、やたらときっちりとしたつくりになっているなあと感じてしまいましたよ。

ちなみに、ここの階段、地図によっては坂上と坂下で区が分かれているみたいですね(どれが正しいかはいまのところ不明です。)。

ということで、今日はあっさりとこんな感じです。。


地図
千代田区外神田2あたり

人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば 
しがらみのこの街だから
強く生きなきゃと思うんだ
ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り
焼けつくような夕陽が
今 心の地図の上で
起こるすべての出来事を照らすよ
SEVENTEEN'S MAP

尾崎豊


いきなりですいません。。
この前の坂道散歩の時に、金王坂(NO.160)の坂下あたりにある渋谷クロスタワーなる高層ビルの地上から見ると2階にあたる場所に、なんと今は亡き尾崎豊さんのメモリアルプレートがあり、上に書いた詩がプレートに刻まれていましたよ。



十七歳の地図1w


実は坂道散歩をする前は、ここにこんな記念碑があるなんて知らなかったのですが、金王坂(NO.160)のエントリーでも取り上げた坂道の途中にある歩道橋があまりにも立派(四角錐のやつですね)だったものでとりあえず階段をえんやこらと上り渋谷クロスタワーのほうへ行くと、これがあったわけですよ。
なんというか尾崎豊さんの熱狂的なファンの方なら知っていて当然の場所なのかもしれませんが、僕の場合それほどではなかった(でも以前は比較的よく聞いていましたけどね)こともあり、あまりに偶然に出会った感覚が強かったので、これを見つけた時はほんとびっくりという感じでした。
ただ、僕がここを訪れた時は、けっこう前だったので、人も全然いなくてひっそりとしていましたが、ここ数日の間はここに来る人も多くなっているのかもしれませんね。




十七歳の地図2w


そして今度は、手摺のむこうの景色を眺めてみてねと言わんばかりの記念碑まわりのつくり(デザイン)に誘われるように、テラスの向こうに見える渋谷の風景を眺めながらぱちりと一枚。

そこには色とりどりの風景が広がっていましたよ。(笑)

ちなみにいくつかの熱烈な尾崎ファンであろう方々が書かれたサイトによると、尾崎さんも十代の時にこの景色をこの場所から眺めていたそうで、「十七歳の地図」の歌詞もここからの風景を描写したものというかここの景色を意識して書かれたものだろうということでした。
(まあそうじゃなきゃ、プレートに歌詞なんか刻まないですけどね。。)
そんなこともあり、記念碑が1995年に設置されたということみたいで、プレートに書かれた詩(歌詞?)は、もうお気づきかと思いますけど「十七歳の地図」の一部を抜粋したものみたいですね。


地図
渋谷区渋谷2

ブログネタ
街写真 に参加中!
今回は、番外編です。

このまえ、ひさびさ(たぶん一年ぶり)に江ノ島に行ってきたのですが、さすがに同じような写真を毎年、撮ってもなんなので、今回はすこし視点を変えてみることに。

というのは、江ノ島を歩いてみたかたならわかると思いますが、島内をぶらぶらしてみると、いつもなら、道の途中にお土産もの屋さんが点在していてたりするので、それをみたり、途中の神社などにお参りしたり、まわりの絶景といえる海の景色ばかり楽しんでいる自分がいたのですが、すこし視点を変えて見てみると、島内は以外と各場所での高低差があったりして、坂道はそれほどなかったと思いますが、階段がけっこうたくさんあったので、今回は、江ノ島散歩ついでに、ちょっと気になった階段をいくつか、気にしてみてみました。


江ノ島の階段散歩1

まずはじめは、江ノ島におとずれて、みやげもの屋さんがずらりとならぶあたりをぬけると、まず目に入ってくる階段です。
よくよく見てみると、けっこうかわったつくりの階段まわりというかなんというか。


江ノ島の階段散歩2

とりあえず、さきほどの階段をすこし横から見てみましたが、違う角度でみると、なんだか違う階段を見ているようでした。
ちなみに、左の白い変わったつくりの門は、瑞心門というそうです。


江ノ島の階段散歩3

次は展望台のあるあたりからさらに奥へ行く途中で、ふと気になったので、ぱちりと。
とりあえず、なんともいいがたい瓦屋根の建物のみやげもの屋にはさまれた道のむこうに見える階段と山の緑のバランスが印象的だったかもです。

あと、僕が行った日は、過去に経験したことのないくらい観光客が多くいて、しかも若い人が多かったです(もしかしたら、前日の夜中に全国のFM放送曲で桑田佳祐さんのライヴがオンエアされていたので、もしかしたら関係あるのかもしれませんし、連休中だったので、ただたんに混んでいただけかもなのしれませんし、よくわかりません)。


江ノ島の階段散歩4

そして、最後は、さらに奥へと行き、江ノ島岩屋という洞窟へいく途中にあった、海の見える絶景階段です。
せまい急階段に、景色のいいなんとも味のある食堂、そして、海。
前回来た時は、あまり意識しなかったのですが、今回は、行った時間もよかったのか、いろんな光の具合や景色の見えぐあいが絶妙でした。
そんなこともあり、混んでいる中、むりやり立ち止まりパチリと一枚。。

ということで、いくつか歩いていて気になったものをとりあげてみましたが、いろいろあげていっていたらきりがなさそうですので、今日はこんな感じです。



地図
神奈川県藤沢市江の島

ブログネタ
歴史のお話 に参加中!
前回のニュースでとりあげたヤフーの「古地図で東京めぐり」サイトが期間限定なこともありせっかくなので、またまた古地図などをプリントスクリーンさせていただいて、今度は渋谷の宮益坂 (NO.1) あたりの話でも。


渋谷古地図_今
現代


宮益坂 (NO.1) といえば、地図でみてもわかるようにほんとに渋谷の駅前の目と鼻の先の場所にある坂道で、かつては、ここから富士山も見えたことから富士見坂ともよばれている坂道です。

でも、まあ実際に歩いていると坂道は坂道ですが、どちらかといえば食事処が多いので、僕はお腹がすいた時にふらりと行くことが多いですけどね。。


渋谷古地図_明治
明治

以前に書いた宮益坂 (NO.1) の記事や現代の地図とくらべてみると、道の途中にあった御嶽神社という神社は、今もありますが妙祐寺なるお寺は、今はないみたいですね。

あと、これも前にとりあげた渋谷川(とある街の風景13にてありました)もちゃんとあるんですね。


渋谷古地図_江戸
江戸

そして、江戸時代。
地図では、宮益坂と富士見坂がわかれて書かれてますね。
昔はちょっと場所が違ったのかな?
また、明治の地図にもあった妙祐寺というお寺は、この時代からあったのですね・・。
じゃーなんで、今は妙祐寺はないのだろう?と思い、いろいろ検索してみると、なんと昭和20年のあの戦争の際の空爆に遭って焼失してしまい、世田谷区北烏山へ移転したそうですよ。

そして、渋谷川もこの時代からあったのですね〜。
いまでこそ、てきと〜につくった川みたいになってしまっていますが・・・。

そんなこんなで、ふと思ったのですが、「江戸名所図会」(宮益坂 (NO.1) の記事にも同じ文を載せたのですが・・)にこの坂のことが書いてあり、「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記されていることと、今回の古地図をみて、当時は坂下にきれいな渋谷川が流れていて、道の両側には休憩処がならび、遠景には富士山が見えているというなんとも気持ちのよい場所だったのかもしれませんね。

でもまあ、これはお城側から歩いてきた場合なのですけどね・・・。

ブログネタ
こんなことありました に参加中!
こんなページができていたんですね。
SOUBOU WALKERさんのサイトを見て知ったのですが、ヤフーのサイトに期間限定(3月15日まで)で古地図が見れるサイトがオープンしたようですよ〜。。
古地図で東京めぐり」というサイト名で、なんとその一部に今の地図に明治、江戸時代の古地図が重ねあわされてデータ化されており、グーグルなどのネット地図で航空写真が一緒にみれるのと同じ感覚で古地図がみれるという、なんともうれしいというか驚きというかはうまくいえませんが、そんなことができるサイトでしたよ。
スクロール地図のURLはこちら → http://map.yahoo.co.jp/kochizu/maptop

いやいや楽しいです♪
ちなみに江戸時代の古地図は1856年(安政3年)のもので、明治時代の古地図は1907年(明治40年)のものを使用しているらしいですよ。
それにしても、こうしてあらためて、特に江戸時代の古地図をみていると、過去にとりあげた坂道もいくつか今と場所が違っているものもありましたよ・・・。

でもまあ、僕の参考にしている本は2、3冊なので実際のところはよくわからないんですけど。(ほんと坂道本によって坂道の場所の記述が違っている坂道があったりと、たまにわけがわからなくなるときがあるんですよ。。)
そんな感じなので、ほんとは今回のような古地図も参考にしたほうがいいかもしれないのですが、それをしているとお金がいくらあっても足りない状況になりそうかもなので・・・。(汗)


古地図_現代
現代


古地図_江戸
江戸

ということで、古地図の一部をプリントスクリーンさせていただいて、あらためて見てみると、最近とりあげた芥坂 (NO.80) や大横丁坂(NO.79) などがある西麻布あたりも、江戸時代の地図でみると、今とかなりちがうんですね〜。(あたりまえですが・・。)

しかも、坂道でみても、芥坂 (NO.80) は江戸の地図にも”ごみ坂”とかいてあり今とぜんぜん違う場所で今ある坂は別の名がついていたり、大横丁坂 (NO.79) にいたっては江戸時代には古地図でみるかぎり、ちょっと小道になっているし・・・。

まあ、そんな感じで、たまたま最近とりあげた直近の2つの坂道に疑問をもちつつも、坂道本のとある1冊の一文を信じることにして(汗)、今日は見てみぬふりをして(笑)、終わりたいとおもいます。。

ブログネタ
日記。 に参加中!
アースダイバーの本の紹介なんかでもすこし書いた、土地の精霊というもの。
これってあいまいな言葉なんですが、なんとなく今考えている言葉の具体例なぞを簡単ながら考えてみましたよ。

@たとえば、ある人は、そこの土地の持っている価値を想像する人にとっては、
→ここの土地買うと儲かるかなかなあ?
精霊「買っちゃいなよ〜。マンションにすれば儲かるよ。」

@またある人はそこにあったであろう過去の人々の暮らしを想像する人にとっては、
→ここで過去にどんな暮らしがあったんだろう?
精霊「昔はここで殿様が住んでいたこともあったけど、さらにその昔には戦や地震なんかもあって多くの人がここで死んだのだよ。(汗)でも今は平和だけれどね。」

@またまた違う人は、その場所にあらたなものを想像するためのイメージを膨らませているひとには、
→ここってどんな建物建てたらいいんだろう?
精霊「かっこいいのもいいけど、もっとまわりの人のことも考えた建物がいいよ。ついでにここの木も残してね。そうすれば街もきれくなるかもね。」

などなど・・・。
ほかにもいっぱいありそうです。

まあ、人によって土地の精霊との話題もさまざまかもしれませんね。(笑)
むずかしく語ればいくらでも書けそうですし、もっと神話的というかロマンチックな話もできそうなんですが、今日はこのブログらしくこんなかんじです。

そんなこんなでいろんな土地の精霊の声が、散歩しているとよく聞こえてきますよ。(汗)

ブログネタ
街写真 に参加中!
真夜中の表参道ヒルズ1

ひさしぶりに表参道をぶらぶらと。
しかも夜中というか朝の4時ごろにです。(笑)


真夜中の表参道ヒルズ2

表参道ヒルズのあたりのものですが、車もほとんど走っていないし、ほんと昼の様子からは信じられないような風景が広がっていましたよ。


真夜中の表参道ヒルズ3

明治通りと交差しているスクランブル交差点もこんな感じ。(笑)
なんだか、というか人がいないと、ここも普通な感じですね。

ということで、前に取り上げた真夜中の映画鑑賞の帰りにここを通っていると、なんだか気になり、パチリと撮ってみたくなりましたよ。。

そうそう、そういえばここも坂道なんですよね〜。
いつかはとりあげないとですね・・・。(汗)



地図
渋谷区神宮前4あたり

ブログネタ
街写真 に参加中!
この青山キラー通りのシリーズも今回でラストです。


キラーどおり3_1

前回の場所から、このまま道を下っていくと、忘れてはならないビクタースタジオがありました。
ご存じの通り、あのサザンオールスターズがこのビクタースタジオに面しているキラーストリートにイメージを重ねてアルバムのタイトルにつかったことでも有名ですよね。


キラーどおり3_2

そして、この通りの端っこ(おそらくですが・・・)といえる通りとJRが交差しているあたりから坂上のほうをパチリと。
この方向で見ると、正面右のビルがすごく印象にのこりますかな。
もうこのあたりは、JRの千駄ヶ谷駅がすぐ近い場所ですよね。
もしかしたら、このあたりは、キラー通りではないかもしれませんが・・・。(汗)


キラーどおり3_3

すぐ右手の方には、前にもとりあげた東京体育館があります。


キラーどおり3_4

また左手には、サッカーの聖地でもある国立競技場もみえます。
それに加えて、この通りは神宮球場も近いしほんと、スポーツがすごく身近に感じる場所っていう感じもありますかな。

あっ、そうそう。この写真のすぐちかくにホープ軒というラーメン屋さんがあったりしますよ。
青山通りの雰囲気とは、かけ離れた店がまえですが、このあたりにくると自然と足がむいてしまいますよ。


キラーどおり3_5

学生の時から、ここはよくお世話になっていたりします。
たぶん有名なお店でもあったと思うんですけどね。

とまあこんな感じでキラー通りをふらりと歩いてみましたが、実際には、そのほかにもこの通りらしい有名な建物や著名な方々のお店、事務所もあったと思うのですが、あげてたらキリがなさそうなので、こんなところでご勘弁ということで。(笑)


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