東京坂道さんぽ

〚Category: ★坂道[No221〜260]
望雲坂(NO.260) /群馬県吾妻郡草津町
座頭ころがし坂  (NO.259) /世田谷区
新坂(NO.258) /世田谷区
岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257) /世田谷区
堂ヶ谷戸坂(NO.256)/ 世田谷区
無名坂(NO.255) /世田谷区
おんな坂(NO.254)/ 世田谷区
馬坂 (NO.253)/ 世田谷区
まむし坂(NO.252) / 世田谷区瀬田1丁目
行火坂(NO.251) / 世田谷区瀬田1丁目
行善寺坂(NO.250) /世田谷区瀬田1丁目
高尾山の女坂(NO.249)
高尾山の男坂(NO.248)
洞坂(NO.247)
さくら坂(NO.246)
柘榴坂(NO.245)
いちょう坂(NO.244)
八ツ山の坂(NO.243)
一番坂(NO.242) / 神奈川県足柄下郡箱根町
公園坂(NO.241)/ 神奈川県足柄下郡箱根町
御殿山の坂(NO.240)
南坂(NO.239)
馬込坂(NO.238)
富士見坂(NO.237)/目黒区目黒1丁目
二本木坂(NO.236)
花抜坂(NO.235)
六郎坂(NO.234)
大尽坂(NO.233)
右近坂(NO.232)
臼田坂(NO.231)

 
所在地:群馬県吾妻郡草津町草津390あたり


前に、とある街の風景237(草津温泉湯畑の高低差めぐり)で群馬県にある草津温泉を取り上げてからすこし時間が経ってしまいましたが、今回は、東京を離れて草津温泉で歩いた坂道を取り上げてみたいと思います。
ただ、散歩当日は、前にも書きましたけど、車酔いしていて、すこし頭がくらくらしながらの中での散歩と撮影でしたので、写真がどうなっているか不安でしたが、それなりには撮れていたみたいです。(笑)


名前は、ぼううん坂と呼ぶそうです。
場所は、前にこのブログでも取り上げた湯畑から西へすこし歩いたところにあります。


望雲坂(NO.260)1
写真1

まずは坂下からの様子でも。(写真1)
見た感じでもわかりやすいですが、けっこうな勾配具合の坂道でした。
冬にきたことはありませんが、雪が積もると以外とたいへんなのではといらぬ想像をしてみたり。
道幅的にも、車は無理そうな感じでした。


望雲坂(NO.260)2
写真2

写真1でも見えていましたが、すぐそばには坂の名前を記した石碑がありました。(写真2)
わかりやすくてありがたいですね。(笑)
ちなみにこの坂道は、坂上にある望雲というホテルへ向かう坂道ということで、この名前がつけられたそうですよ。(※以上、坂学会さんのHPを参考にしました。)
またこのホテルは、小林一茶(江戸時代後期に活躍した俳人)が訪れて、「湯けむりにふすぼりもせぬ月の」という句を残したことでも有名らしく、このエピソードからも古くからある旅館(HPには慶長4年(1599年)創業とありますね)で、以前は湯畑のそばにあったらしいですよ。(これ以上の詳しい史実を知りたい方は、ホテルの公式HPでも見てくださいな。)
あと、石碑には、昭和39年9月とあるので、この坂道も昭和39年から昭和40年頃にできたものかもしれないですね。(なにげに撮影したものですけど、この写真では見えていませんけど、元画像は一眼クオリティだったおかげで拡大して文字が読めたのですよ。(笑))


望雲坂(NO.260)3
写真3

いちおう写真1の背後あたりの街並みなどもぱちりと。(写真3)
温泉街の情緒がそのまま残っていて良い感じでしたよ。
位置的には、奥の白い車の左側あたりが坂下あたりのはずですよ。
とにかく次回行く時は、冬に泊まりがけできたいものですな。


望雲坂(NO.260)4
写真4

そして、坂道に話をもどしまして、坂をすこし上り、坂下方向を見てみたものです。(写真4)
こうして見ると、坂下の柵の様子からも人しか歩けない坂道ということがわかりやすいかもですね。(じゃあ、写真1で写せばいいのにと思った方もいるかもしれませんが、写真的には手前に柵が写っているのもどうかと思いまして、ここでの登場となったわけなんですよ。)


望雲坂(NO.260)5
写真5

写真4とだいたい同じ位置より坂上方向を眺めてみました。(写真5)
やっぱり坂上を見る方が傾斜具合がわかりやすいですね。
(というか、これはカメラの水平垂直の問題で、坂下方向を写す時は、どうしてもレンズが下向き気味になるからこう見えてしまうのかもとうすうす感じてはいますが、やはり坂道自体を写さないとどうしようもないですからね。。)


望雲坂(NO.260)6
写真6

これまたいちおう、写真5で見えていたホテルの看板をアップでぱちりと一枚。(写真6)


望雲坂(NO.260)7
写真7

次は、看板のあったあたりから、坂下方向を見てみたものです。(写真7)
ここからだとけっこうくねくねした道のつくりになっているのがわかりやすかったです。
しかも遠目には樹木が高くそびえていて、どうやらむこうのほうも崖かなにかになっているのかもしれないですね。


望雲坂(NO.260)8
写真8

今度は写真7とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみました。(写真8)
まさに散歩路といった感じで、左右の樹木も都内では見かけない種のようでその点でもけっこう新鮮な感じだったかもです。


望雲坂(NO.260)9
写真9

さらにずんずんと坂を上ると、坂上あたりがすこし見えてきました。(写真9)


望雲坂(NO.260)10
写真10

そして、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下方向を見てみました。(写真10)
こうしてみるとけっこうカーブしていたようで、ここから坂下あたりの様子は確認できませんでした。
ちなみに、いつもお世話になっているマピオンで高低差を見てみるとですね、坂下あたりは海抜1156mで、坂上あたりは1165mとのこと。
海抜が1000m台ということにあらためて驚きつつも、ここは高地なので、そのあたりは軽くスルーしてですね、高低差でいえば、9mということになりますかね。
というか、坂道自体をみただけでも、なかなかの高低差があったのですね。


望雲坂(NO.260)11
写真11

実は写真10の右側はさらに坂道になっていまして、奥には今回の坂の名前の由来ともなったホテルが見えていましたよ。(写真11)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
群馬県吾妻郡草津町草津390あたり

ざとうころがし坂と呼ぶそうです。
場所は、前回とりあげた新坂(NO.258)からすぐそばで高速道路を隔てた北側にあり、坂上には大蔵運動公園がある坂道です。


座頭ころがし坂 (NO.259)1
写真1

まずは、坂下からの景色など。(写真1)
このあたりからの景色は細めの道で車がすれ違うのもたいへんそうなまさに抜け道といった雰囲気だったかもです。
ただ、ここはその割に、坂上のほうに行けばわかりますが、車の行き来はけっこうある坂道なのですよ。
あとは、ここも国分寺崖線の一部で、坂上に大蔵運動公園があるため、園内の緑がここからも見えていて、樹々のトンネルに向かうかのような感じが印象的でした。


座頭ころがし坂 (NO.259)2
写真2

ちなみに、すぐ右側にやってるのかどうかわかりませんでしたが、なかなかおもしろい雰囲気の喫茶店もありましたよ。(写真2)


座頭ころがし坂 (NO.259)3
写真3

いちおう、だいたい同じ位置より、写真1の背後をみるとこんな感じでした。(写真3)
手前には仙川が流れていて、奥には高速道路という具合に坂上方向とはまったく違った雰囲気の景色が広がっていました。
ちなみに、この高架を抜けると、新坂(NO.258)がすぐ目の前にあるというわけですね。


座頭ころがし坂 (NO.259)4
写真4

さらに坂を上り、坂下方向をみてみたものです。(写真4)
両サイドの樹木具合などのせいかわかりませんが、農道がそのまま道路になったような雰囲気だったかもです。


座頭ころがし坂 (NO.259)5
写真5

すこし坂を上がり、坂上方向を見てみたものです。(写真5)
奥に見えているあたりが、坂道本(東京の坂風情)によれば、坂上あたりということになるみたいです。
しかもあいかわらずまわりに樹木が多いですね。


座頭ころがし坂 (NO.259)6
写真6

そして、坂上あたりにやってきました。(写真6)
ただ、見ての通りなのですが、この座頭ころがし坂はここでいったん、終わるらしい(坂の碑もないので本の情報だけがたよりです)のですが、地形的にはさらにここから高低差があり、左と右にはさらに坂上に行くための坂道があるのですよ。
しかも、右側の坂道は、今回は取り上げませんけど、あの全力坂ではここから上の公園に行ける坂道を「座頭ころがし坂」として例のごとくアイドルの女の子が坂道を走っている映像がyoutubeに上がっていましたよ。


座頭ころがし坂 (NO.259)7
写真7

また、写真6の右側のほうにもちらりと見えていましたが、打越辻地蔵尊なるものがまつられてあり、立派な屋根まで建てたということが長々と書かれている案内板もあわせてこんなところにありました。(写真7)
これらの像は1715年に建てられたみたいなことが案内板にあるので、この坂道も実はかなり古くからあるとは思われるのですが、大蔵運動公園が1962年にできたそうなので、その前に、かつての座頭ころがし坂の地形具合はかなり変わってしまったのでしょうかね。

ちなみに、「座頭ころがし坂」の”座頭”は”ざがしら”ではなく”ざとう”と呼ぶそうですので、その意味を「盲人」ととらえると、目の不自由な人、および「ころがし」という言葉から、かつては勾配なども含めて険しい坂道だったのだろうと想像できそうなのですが、今の坂道の雰囲気からするとちょっと想像できないかもですね。


座頭ころがし坂 (NO.259)8
写真8

そして、最後は、坂上からの風景でも。(写真8)
こうして名前の由来も想像しながら改めて、この景色をみるとまた違った雰囲気に感じられてしまうのは気のせいでしょうかね。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区大蔵4-1あたり

しん坂と呼ぶそうです。
場所は、前回とりあげた岡本三丁目の坂(NO.257)の西側にあり、仙川と野川と東名高速道路に囲まれたエリアにある坂道で、坂の途中には永安寺というお寺があります。


新坂(NO.258)1
写真1

まずは東名高速道路側(北側)のほうからからの様子でも。(写真1)
写真1をみて、東名高速道路側??書き間違い?と思ったかたもいたかもしれないですが、いくつかの資料から、今回の坂道は、いったん上がってまた下がる場所すべてを新坂としているようですので、見ためてきには坂上方向なのですが、こんな説明にしてみました。
ここから見える分には、カーブしている坂道と正面にみえる階段が鑑賞ポイントといえるかもですね。


新坂(NO.258)2
写真2

次は、もうすこし坂を上り、南側(坂上方向)を見たものです。(写真2)
とりあえず、いつもお世話になっているマピオンでは、このあたりの海抜は27mとしているようで、しかも坂道上のいくつかのポイントを計測してみてもすべて27mとでてきてしまったため、地図上では平坦な道ということになっているようでした。
ただ現地では写真2のようななかなかな勾配具合の景色がひろがっていたわけなのですよ。


新坂(NO.258)3
写真3

写真2とだいたい同じ位置より、さっきとは反対の北側(坂下方向)を見てみたものです。(写真3)
奥には、東名高速道路の高架が見えていて、坂上方向ののどかな様子とはまた違った感じの景色がひろがっていました。


新坂(NO.258)4
写真4

さらに坂を上り、南側方向(東名高速道路と反対方向ですね)を見てみたものです。(写真4)
いちおう目の前に見えているあたりが、歩いた感じでは今回の坂道の最高地点の場所のようでした。(マピオンでは、あいかわらず海抜27mと示されていますが・・・。)


新坂(NO.258)5
写真5

すこし写真4の位置から、南側(東名高速道路と反対方向)に歩いて、北側(東名高速道路のある方向)の景色などでも。(写真5)
こうしてみると、ちょっとわかりにくですが、さっきまで歩いてきた場所とはけっこうな高低差があるのがわかりますかね。
あと、遠くに森のようなものが見えてその上に茶色の建物が見えていますが、あのあたりは砧公園のようですね。
マピオンでは、公園内の海抜は40mくらいになっていましたので、見え方的にはまあ正しいかなと。
なので、この坂道はここまで歩いてきた感じでは国分寺崖線とはあまり関係のない坂道なのだろうと思われます。


新坂(NO.258)6
写真6

そして、写真5とだいたい同じ位置より反対方向の南側(東名高速道路と反対方向)を見ると、見てのとおりですが、また下り始めていました。(写真6)


新坂(NO.258)7
写真7

さらに坂を下って、坂下方向の南側(東名高速道路と反対方向)に進む)を見てみました。(写真7)
このあたりは、マピオンによれば、海抜で5mくらい下がる場所のようですが、見た感じではさすがにそれはないだろうと最初は思ったわけですが、まわりの家をよく観察してみると手前と奥では1階分くらいの高低差はありそうですので、距離が長くて錯覚してしまいましたが、実は正しいのかもなあと認識をあらためたわけですが。。


258)8
写真8

そして、坂下まじかのあたりに永安寺というお寺があり、坂から見えるところに、こんな感じで、文字が刻まれる前の墓石がたくさん置かれていましたよ。(写真8)
なんかこれだけ並んでいると、ちょっと不思議な感じだったので、おもわずぱちりと。


新坂(NO.258)9
写真9

そんなこんなで、やっと坂道南端の坂下あたりにやってきて、坂上方向の北側(東名高速道路側)を見てみたのがこちらです。(写真9)
ここからみると、写真7よりも高低差感がすごくわかりやすいかもですね。
あと写真8ででてきた永安寺は見ての通りですが、写真右側に見えていました。

ちなみに、今回の新坂は、いつものような坂の碑はないことから、新しめの坂道だと思われますし、世田谷ののどかな一面をすこしばかり感じれる坂道だったかもです。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区大蔵6-12あたり

やっときましたよ。
タイトルに「岡本三丁目の坂 」とつけているのは、通称というわけでなく、世田谷区の国分寺崖線発見マップにも、岡本三丁目の坂ということで載せているようでしたので、ここでは坂名として「岡本三丁目の坂」と呼ぶことにしますので、あしからず。

場所は、前に取り上げた「堂ヶ谷戸坂(NO.256)」の北側にあり坂上でつながっているところにあります。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの様子など。(写真1)
見てのとおりですが、坂下あたりよりすこし離れた場所から、今回の坂道を眺めてみたものです。
これだけみても、高低差がものすごい坂道ということはわかるんじゃないですかね。
普通に6階か7階分くらいはありそうかも。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)2
写真2

写真1と立ち位置がだいたい同じ場所なのですが、すぐそばを仙川が流れていました。
このあたりには、この仙川だったり、野川やこれまでに登場した丸子川だったりいろいろな川がありややこしいですが、まあそのあたりは地図でも見て確認してみてくださいな。。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)3
写真3

次は、坂下あたりからの風景です。(写真3)
なにか独特の雰囲気を感じてしまいましたが、気のせいでしょうかね。
とりあえず、坂上の頂上あたりは見えているのにはるか遠くという感じだったかもです。

あと、この右側には写真では見えていませんが、玉川幼稚園があり、今は建て替えられておもかげはないそうですが、かつての岡本幼稚園の建物は政治家の高橋是清の別跡だったそうですよ。(参考サイト:せたがや百景 No.69 岡本玉川幼稚園と水神橋


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)4
写真4

すこし坂をのぼり、勾配が急になり出すあたりから、坂上方向を見てみたものです。(写真4)
やはりこのあたりにくるとかなりの急坂でした。
だからか右側には階段もありましたよ。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)5
写真5

写真4とだいたい同じ場所から、今度は坂下方向を見てみました。(写真5)
まあ、このアングルだと、よくある感じの坂道という感じですかね。。


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)6
写真6

でも中腹あたりまできて、同じように坂下方向をみてみると、さっきとは全然違う景色が広がっていましたよ。(写真6)
しかも、左側は空き地になっているので、ひらけ具合が半端なかったです。
(ということで、ここはぜひ公園に!(笑))


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)7
写真7

いちおう、写真6と同じ位置より、坂上方向を見てみました。
あいかわらずの勾配具合でした。
あと、このあたりで、スマホの傾斜を計れるアプリで何度か計測したところ、だいたい13度前後の値がでてきましたよ。
なんとなく体感では20度くらいあるかなあと思っていましたので、ある意味びっくりだったかもです。
(でもまあ、無料のおもちゃアプリなので、多少の誤差はあるかもしれないですけど。)


岡本三丁目の坂 [東京富士見坂](NO.257)8
写真8

そして、やっと坂上あたりまでやってきて、坂下方向を見てみました。
やはり坂上からの景色も、国分寺崖線による高低差とその向こうも住宅街ということで低層の建物が多かったので、遠くのほうまで街を見渡せてかなりよかったですよ。
ちなみに、この坂道、タイトルの中に”東京富士見坂”と入れているとおり、このそばに「関東の富士見百景」という国土交通省関東地方整備局設置の標識もあり、国公認の富士見スポットとしても有名なのですが、散歩した当日は、富士山は見えませんでしたよ。


ということで、この岡本三丁目の坂については、これからも定期的に訪れて、そのうち富士山が写った写真を記録しておこうとは思っていますので、またその写真がとれ次第報告してみたいと思いますが、今回はこんな感じです。



地図
世田谷区岡本3丁目あたり

どうがやと坂と呼ぶそうです。
場所はおんな坂(NO.254)で登場した岡本八幡神社の南側を流れる丸子川沿いに西へすこし歩くと、今回の坂道の坂下あたりにやってきます。


堂ヶ谷戸坂(NO.256)1
写真1

まずは坂下からの様子でも。(写真1)
ちょうど今、立っているそばを丸子川が流れていて、そこから一気に上る形の坂道でした。
もちろんここも、国分寺崖線を上り降りするために通された道のようでかなりの勾配具合でしたよ。


堂ヶ谷戸坂(NO.256)2
写真2

いちおう、写真1の右側を見てみると、丸子川が見えていました。(写真2)

あと、ここにはいつものような坂の碑はなかったため、正式な坂名の由来は、わかりませんでしたが、ネット情報では東京の坂風情という本に、谷戸というのは崖地の入り込んだところで,堂ヶ谷は文献のうえで“西の方にあると書かれているそうです。
ちなみに、今、僕が立っている丸子川を渡るための橋には”堂ヶ谷戸橋”という名前がつけられているそうで、この橋は1971年にできたとのこと。
そういうわけですので、この坂道は1971年以前にできたものなのか、橋の名前からそう呼ばれるようになったのか、古地図とか見てみないとよくわからんですが、とりあえず手元にはありませんので、このあたりは今後の宿題にして軽くスルーということで。。


堂ヶ谷戸坂(NO.256)3
写真3

次は坂の中腹あたりまで上り、坂下方向を眺めたものです。(写真3)
かなり直線的なつくりの坂道かもですね。
高低差てきには建物3階分くらいでしょうかね。


堂ヶ谷戸坂(NO.256)4
写真4

写真3とだいたい同じ位置より坂上方向を見てみたものです。(写真4)
こうしてみるとやはり急勾配な坂道ですかね。


堂ヶ谷戸坂(NO.256)5
写真5

そんなこんなで、一気に坂上あたりまでやってきました。(写真5)
結局、坂下から坂上までカーブのない直線の坂道で、こうしてみると、やはりここは新しめの坂道なのかなあと思ってみたり。
ちなみに、この右側あたりには、かつてアルジェリア大使館があったそうですが、今はサイト見ると目黒区のほうに移転したみたいで、ないようですね。

あとは、右側の樹木と建物がなければ、ここも地形具合などにより遠景に富士山が見えるかもしれないですが、それを許容するときりがないですので、とりあえず樹木が少ないときに見える場合のみ隠れ富士見坂としてこのブログではカテゴリー分けすることにしてみますので、今回は、普通の坂道ということにしてみましたので、あしからず。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
世田谷区岡本3-30あたり

むめい坂と呼ぶそうです。
場所は、馬坂 (NO.253)の坂上、または坂下を北に向かってすこし歩くとある坂道です。

ちなみに、なぜ馬坂 (NO.253)の坂上と坂下を北に歩くと、今回の坂に合流できるのかは、地図をみてもらうと一発でわかりやすいのですが、前に登場した岡本静嘉堂緑地の南側を丸子川、北側を谷戸川が流れていて、実は緑地の東側で合流しているのですよ。
なので、丸子川が坂下でそこから国分寺崖線の崖になっていると思い込んでいると、実は谷戸川が坂下と坂上と予想していた間に流れているという構造になっていて、あれ?となってしまう場所だったので、ここで地形図を見ればわかるかもなのですが、とりあえず手元にないので、マピオンで標高をぽちぽち押して調べてみると、どうやら丸子川のあたりはたしかに崖線の坂下あたりであり、そこからいったん岡本静嘉堂緑地のあたりまで一気にのぼり、谷戸川のあたりで踊り場になるかもしくは少し下がって、今回の無名坂や馬坂 (NO.253)の坂上あたりで、頂上あたりになるという地形具合になっているみたいでした。


無名坂(NO.255)1
写真1

そんなこんなで、まずは坂下あたりの様子でも。(写真1)
坂道もなかなかいい感じでしたが、なんといっても右側の擁壁とその上の樹木がすごい感じでした。
現地ではへえすごいなあというくらいで通りすごしたのですが、帰ってから調べてみると、右側は多摩川テラスと呼ばれるマンションの敷地らしいです。
またこの多摩川テラスは、第1回「せたがや界隈賞」を受賞したという地元でも人気のあるマンションらしく、Googleマップにも記載がありますが、マンションの管理棟が武家屋敷門(伊木家下屋敷門)とのことみたいですね。



無名坂(NO.255)2
写真2

また、写真1の左の方には、勾配具合を示す案内板もありました。(写真2)
これは「見た目より傾斜あるよ」ということを注意してくれているのかどうなのか、今になっても実はどういう基準でこれがおかれているのかわかりかねているので(汗)、またいつか調べてみないといけないかもですね。


無名坂(NO.255)3
写真3

次はすこし坂をのぼり、坂上のほうを見てみたものです。(写真3)
写真1ではわかりにくかったかもですが、右側には階段も併設されていました。


無名坂(NO.255)4
写真4

あと、写真3の左下あたりにもちらりと見えているのですが、なんとも奇妙な舗装具合にひかれてパチリと一枚。(写真4)


無名坂(NO.255)5
写真5

さらに坂を上り、今度は坂下方向を見てみました。(写真5)
ここからだと、すでに坂下とは建物3階ぶんくらいの高低差になっているのがわかり、勾配具合もわかりやすいかもですね。


無名坂(NO.255)6
写真6

すこし坂を上り、坂上方向を見てみたものがこちらです。(写真6)
とにかく、このあたりから一気に勾配具合がゆるやかになっているのですが、たまに坂道を上っていると勾配具合が緩やかになる場所での空の抜け具合がとても気持ちのいい場所に出くわすことがあるのですが、ここがその地点だったみたいでかなりよかったです。
それにしても、坂下からそうでしたが、ここの道幅は、近くのどの道よりも広かったです。
あとから開発された道とかそういうのなのですかね。


無名坂(NO.255)7
写真7

いちおうだいたい同じ位置より、坂下方向も見てみました。(写真7)
よく見てみると、左側の階段の幅がさらに広くなってました。
あと、坂の奥にも樹々がたくさんある場所がなにげに見えていたんですけど、あれは岡本静嘉堂緑地の緑なのですよ。


無名坂(NO.255)8
写真8

こちらは、さらに坂を上り、わかりにくいですが、坂上方向を見ているものですね。(写真8)
ちょっと都内でもなかなか見ないつくりの雰囲気というかそんな感じの道路とまわりの閑静な住宅街という感じの風景が広がっていました。


無名坂(NO.255)9
写真9

同じく、写真8とだいたい同じ場所から坂下方向を見てみたものです。(写真9)
こうしてみると写真8ではまわりが樹木ばかりでわかりにくかったですが、しっかり坂道になっていることがわかりやすかったです。


無名坂(NO.255)10
写真10

そして、一気に坂上あたりまでやってきました。(写真10)
そこで、やっとこの坂道につけられた「無名坂」という名前の由来にふれたいと思いますが、実はこの坂道の名前は、昔からあったわけではなく、なんと写真10の右側にレンガつくりの住宅ぽい建物が見えていますが、ここは俳優の仲代達矢さんの無名塾という稽古場なのだそうですよ。そして、写真10にもちらりと見えていますが、実は壁に銅製のプレートが嵌め込まれていまして、そこには、
『若きもの 
名もなきもの 
ただひたすら駆けのぼる

ここに青春ありき 
人よんで無名坂

一九七五年始まる 無名塾  
仲代達矢 隆巴』
と記されているのでした。

そんなわけで、無名塾の公式HPのアクセス図にも、ここの坂については急坂としか書かれていませんが、とりあえず、このプレートで宣言していることもあり、やはり坂道好きのものとしては、この急坂を”無名坂”という坂名として認識していいと思いました。


無名坂(NO.255)11
写真11

最後は、イメージがわきにくいかもということで、そのプレートのアップです。


ということで、今回はこんな感じです。

地図
世田谷区岡本1-7あたり

再び世田谷区の坂道です。
場所は、前に「とある街の風景235(岩崎家玉川廟への階段)」の記事でも登場した岡本静嘉堂緑地の西側に岡本八幡神社という神社が隣接しているのですが、今回の坂道は、その境内にある坂道です。


おんな坂(NO.254)1
写真1

いきなりですが、坂上あたりからの風景がこちらです。(写真1)
おんな坂という名前からも、ここに緩やかな坂道があることを想像していたのすが、実際にきてみると写真のような階段になっていました。
しかもここが岡本八幡神社の境内の一部と言われても・・・、という感じの場所だったかもです。


おんな坂(NO.254)2
写真2

ちなみに、写真1の背後には、こんな具合に、岡本静嘉堂緑地への裏門もありました。(写真2)


おんな坂(NO.254)3
写真3

次は、坂道というか階段をさらに下った場所から、坂上のほうを見てみたものです。(写真3)
なかなか自然味あふれる坂道でした。
しかも階段ということもありなかなかの勾配具合。


おんな坂(NO.254)4
写真4

さらに坂を下り、今度は坂下方向を見てみました。(写真4)
もうなんだか、ここが神社の境内ということを忘れるくらいの山道具合でした。
でもまあ、よく考えてみると、左側が岡本静嘉堂緑地なので、この一体が緑地の延長のような場所と考えてみれば、これでもよく整備されていたのかもなあと思ってみたりもしましたが。


おんな坂(NO.254)5
写真5

すこし階段を下りると、さらにワイルドな雰囲気に見える場所があったので、とりあえず様子見ということで。(写真5)
左側の階段は、神社の本堂のほうに向かう階段のようだったので、実は、この神社のおんな坂はこの左の階段のほうが正しいのかもという可能性もありますが、とりあえず今回はさらりとスルーです。(汗)


おんな坂(NO.254)6
写真6

さらに坂をくだると、やっと階段はなくなり見てのとおりの坂道となっていました。(写真6)
ただ、この場所、本当に境内なのかという疑問は消えませんでしたけど。


おんな坂(NO.254)7
写真7

そんなこんなで坂下あたりまでやってきました。(写真7)
あと、右側はあいかわらず緑地(ただこのあたりは岡本静嘉堂緑地ではなく丸子川浸水公園ぽいみたいでしたけど)ということもあり、右側と左側の景色のコントラストがなかなか面白かったです。


おんな坂(NO.254)8
写真8

そして、さらに坂下方向に行くと、丸子川を渡る橋も目の前に見えていました。(写真8)
なので、このことからも、このおんな坂は、国分寺崖線を上り下りするためにつくられた坂道でもあったということもわかったわけなんですよ。(と言いつつも、はじめに地図で確認しているので、だいたいは予想していたんですけどね。。)


ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区岡本2-22あたり

住所:世田谷区岡本1-1あたり


(ちょっと前から時間が空いてしまいましたが、世田谷区の坂道の続きです。)

うま坂と呼ぶそうです。
説明しにくいのですが、東急田園都市線の二子玉川駅から北西に少し歩いた場所(徒歩ならけっこう遠いです)にあり、区指定の有形文化財に指定されている小坂家住宅のある敷地や岡本静嘉堂緑地に隣接している坂道です。


馬坂 (NO.253)1
写真1

まずは、坂下あたりの様子など。(写真1)
右側には、区指定の有形文化財に指定されているという小坂家住宅のある敷地が隣接していることもあり、その敷地内の樹木がかなり印象的に見えていました。


馬坂 (NO.253)2
写真2

次は、すこし坂を上り、写真1でも見えていたいい感じに左側にカーブしているあたりのところまできて、坂上方向を見てみました。(写真2)
ちょうどアイストップとして、大きな樹々が見えていて、こちらもなかなかの景色でした。
左側のマンションとのコントラストがなかなか印象的な場所かもですね。
あと勾配具合は、写真1の場所よりは緩い感じでした。


馬坂 (NO.253)3
写真3

こちらは、写真2とだいたい同じ位置より、坂下方向をみてみたものです。(写真3)
こうしてみると、道の両側に大きな樹木が見えていて、坂下にはおそらく岡本静嘉堂緑地内の大きな樹木も見えていて、見えるところの緑率多いし、回りに建物も少ないのでスケール感もなんだかくるってきてしまいそうでしたよ。


馬坂 (NO.253)4

写真4

さらに坂を上り、今度は坂上方向を見てみました。(写真4)
とりあえず、坂下あたりから、同じ勾配具合の坂道がさらに上まで続いているという感じでした。


馬坂 (NO.253)5
写真5

こちらは、写真4とそれほど変わらない場所から、さっきとは逆の坂下方向を見てみたものです。(写真5)
この感じでは、あまりにもわかりにくいですが、実は、奥のカーブしているあたりの道路左側に、坂の石碑が写っているのですよ。(といいつつ写真1や2にも写っているのですが・・・。)
ちなみに、この馬坂の坂の碑については、今回、散歩の途中では残念ながら気がつかなかったのですが、帰ってから他のいくつかの坂道サイトの情報から坂の石碑はあるらしいという情報を得て、もしかしたらと思い探してみたら、今回もまた一眼カメラ特有の解像度のおかげで、石碑を発見できたというわけなのですよ。(汗)
ただ、その碑には、坂の説明までは書かれていないらしく、坂名の由来についてもいつもお世話になっているいくつかの坂道系のサイトでもわからないままだったのですが、「世田谷区玉川地区とプラス付近の名所紹介」というサイトにて、この馬坂のことについて、区などの資料から由来を探してくれていたようで、それによると、かつて、このあたりは道の勾配が国分寺崖線を横断する場所のためかなり厳しく、馬ではどうしようなかったことから、新たに馬でも歩くことができるこの坂道をつくったことから、馬坂と呼ばれるようになったとのことみたいですね。


馬坂 (NO.253)6
写真6

そんなこんなで、なかなか距離の長い坂道で写真5あたりからはだいたい同じような景色だったので、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下方向を見てみたのがこちらです。(写真6)
あいかわらず緑率多いですね。
あと、写真6の左側中央あたりに、区指定の有形文化財に指定されている小坂家住宅のある敷地(瀬田四丁目広場)への入口があったのですが、今回散歩した時は閉まってて入れませんでした。
なので、また近いうちに、今回の坂道散歩の記事書きの仮定で新たに発見したいくつかの坂道をめぐろうと思っていますので、その時にこの施設が開いていれば、ついでに回ってみようと思っていますので、その時まで、少々お待ちくださいな。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区岡本1-1あたり

所在地:世田谷区瀬田1-5あたり


この坂道は、漢字ではなく、ひらがなで”まむし”と書いてまむし坂と呼ばれているようです。
場所については、東急大井町線の上野毛駅の北側に多摩美術大学があるのですが、その大学の敷地の北側を駒沢通りが東西に通っていまして、今回の坂道はまさにその駒沢通りが坂道自身という具合のところであります。


まむし坂(NO.252)1
写真1

まずは坂下からの様子など。(写真1)
(はじめに多摩美術大学のことにふれましたが、大学は坂上のほうにありますのであしからず。)
このあたりはかなり緩やかな勾配具合の坂道でした。
まわりの雰囲気もなんとなくゆったりとした感じで、奥に見えている東急の線路とその右側に五島美術館の敷地があるためか、背の高いマンションが視界にはいらずかなり空が広く見えていました。(その分、電線が目立ちますけど。)


まむし坂(NO.252)2
写真2

あと、写真1のそば、坂下あたりには、やはり行善寺坂(NO.250)などでも出てきた丸子川が坂を横切っていて、勾配具合などの見た目はかなり違いますが「国分寺崖線の崖具合を楽しめる階段」と同じくここも国分寺崖線に由来する坂道だということがこの川のおかげでわかりやすく視覚化されていたかもです。(写真2)


まむし坂(NO.252)3
写真3

すこし坂を上り、坂下方向を見たものです。(写真3)
ここからだと、ただの平坦な道という感じでしたが、微妙にS字に曲がっている具合や数種の街路樹などのせいか、はたまた奥の視線の抜けている方向に多摩川があるためか(ふつうなら家なりビルが見えるものですが)、ちょっと他の場所とはなんか違う景色に感じてしまいました。

ちなみにこの道は、駒沢通りと言いましたけど、実は今の段階では(地図をみてもらうとわかるのですが)、奥のほうにある多摩川沿いの道路(多摩堤通り)と駒沢通りとは現在つながっていないのですが、どうやら地元の人らしき方々のブログの情報から、二子玉川ライズの再開発により新しい道ができるみたいですね。


まむし坂(NO.252)4
写真4

次は、写真1でも見えていた東急の高架が間近に見える場所まできてみました。(写真4)
このあたりから坂道らしい勾配具合が続いていくようでした。


まむし坂(NO.252)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向をみてみました。(写真5)
高架を渡る電車もそうなのですが、左側の五島美術館内にあると思われる大きな樹々がえらい高さになって見えているなあと、帰ってから写真を見直して不思議に思ったのでGoogleマップの航空写真の45度バージョンで確かめてみたら、まさにあのあたりは崖の上に樹々が育っていて、五島美術館の建物自体も崖の上に建っているという感じでしたよ。
なので、このことから(あとで地図を確認してもらうとわかりやすいのですが)、この坂道は、まむし坂という名がつけられてますが、実際のところ駒沢通りなので、20m以上の高低差のある国分寺崖線に対して一気に最短距離で横切る道をつくってしまうとかなりの急勾配な道となってしまうので、このように道を蛇行させて勾配具合を押さえたのだろうと思われ、そのため坂下にいくほど、道の両側が崖になっており、目の前に見えている東急の高架やらものすごく背の高く見える樹木やらやたらと高い擁壁(右側にあるやつです)などが目の前に広がっていたのだなあと。


まむし坂(NO.252)6
写真6

すこし坂を上り、今度は坂上方向を眺めてみました。(写真6)
良い感じで道が右にカーブしながら上っているわけですが、やはり左側には背の高めの擁壁がちらちらと見えていましたよ。


まむし坂(NO.252)7
写真7

また途中には、こんな階段もありましたよ。(写真7)
まさに崖地を上り下りするための階段という感じですかね。


まむし坂(NO.252)8
写真8

さらに坂をのぼり、背の高い擁壁が印象的な場所にて、坂下方向をみてみました。(写真8)
このあたりは坂の中腹なのですが、この擁壁の高さ具合を見る限り、まだ坂上との高低差はありそうでした。



まむし坂(NO.252)9
写真9

さらに坂を上っていくと、坂道はまだ続いていて、しかもいままでの中で一番勾配具合の急な場所が見えてきました。(写真9)
それにしても右側の樹木が大きいですね。


まむし坂(NO.252)10
写真10

あと写真9の右側あたりに、なかなか渋いつくりの標識があったんですよ。(写真10)
マヤ遺跡っぽいというか、建築学的には、フランク・ロイド・ライト風というか。
内容は、「おもいはせの路(国分寺崖線散歩道)」というもので、『坂を巡る  穏やかに伸びる坂道は、まだ見ぬ光景を予感させる。一見、平板な印象を与える都市が、実は多くの傾斜、多くの坂道の集積であることに気付くとき、人々の持つ都市のイメージは、一変する。』
と書かれてありました。
いわゆる坂道ポエムというやつですかね。
ただ、肝心のまむし坂のことについての説明はなくて、地図上に”まむし坂”という記載があるのみでした。


まむし坂(NO.252)11
写真11

さらに坂を上りまして、今度は坂下のほうを眺めてみました。(写真11)
なぜここだけ、左側のような立派な街路樹が植えられていたのかは謎でしたけど、景色的にはなかなかいい味だしていたかもです。


まむし坂(NO.252)12
写真12

そんなこんなでやっと坂上あたりまでやってきました。(写真12)
もうこのあたりまでくると、道はほぼ平坦になっていました。


まむし坂(NO.252)13
写真13

また写真12の左側は、多摩美術大学の敷地で、ちょうどこんな感じで大学の出入口なんかもありましたよ。(写真13)

ちなみに、この坂道には、いつものような坂の碑はありませんでした。
なので、このまむし坂の名前の由来もわからなかったのですが、おそらくこの界隈にまむしが多く出没したとか 長くくねくねと蛇行しているその形がまむしと似ているからとかそういうことから、この名前がついたのだろうと思われます。

ということで、今回は写真だけでもけっこうな数になり長くなってしまいましたが、こんな感じです。


地図
世田谷区瀬田1-5あたり

所在地:世田谷区瀬田1-8あたり


坂名は、あんか坂と呼ぶそうです。
場所は前に登場した行善寺坂(NO.250)とつながっていて、行善寺坂(NO.250)の中腹あたりから東側へと上っていく坂道です。


行火坂(NO.251)1
写真1

まずは坂下から坂上方向を眺めてみたものなど。(写真1)
樹木に覆われた坂道といった感じで、ここから見る分には勾配具合といい左右の擁壁といいなにか不思議な空気感を醸し出している坂道だったかもです。
またここには、写真1の右下にちらりと写っていますけど、坂名を記した石碑がありました。
ただ、ここの石碑には、坂名が書かれているのみで、いつものような坂名の由来が書かれたものではありませんでしたよ。

そんなわけで、この「行火坂」という坂名については、坂学会さん(のホームページ)がここの坂名の由来のことを調べてくれていたようで、それによると『勾配が急なため,土地の人はこの坂を上るだけで身体が熱くなるので「あんか坂」と呼んでいた。(「てくたくぶっく」による)』
とありました。
ちなみにこの「てくたくぶっく」とは、世田谷区の役所に行けば買えます。(というのも、僕もこの本を昔、学生時代に授業でこのあたりの地誌を調べるときに役所で買ったのですけど、なぜか今、見当たらないのですよ。。)

あと、この坂の由来の説明よんで、なぜ体が温かくなるのであんか坂?と思った若い人もいると思いますけど、これは”行火(あんか)”で辞書(今回はyahoo辞書を使用)を調べてみるとですね、「炭火を入れて手足を温めるために用いる暖房器具。普通,丸みを帯びた箱形の土器で,床(とこ)の中に入れたり,置きごたつとして用いる。」ということなのですよ。
まあ、説明のとおりですが昔の暖房器具ですね。(ただ僕もあまり絵がうまく頭の中ででてこなかったので、今度は”行火”でグーグル画像検索すると、イメージでてきますよ。こんな感じで。


行火坂(NO.251)2
写真2

ではまた、坂道のほうに話はもどりまして、ちょうど写真1の背後にはこんなお店があったのですよ。(写真2)
前の行善寺坂(NO.250)でも登場した写真ですが、あまりに良い感じだったので再び登場です。


行火坂(NO.251)3
写真3

次は、坂道をすこし上り、坂下方向を見てみたものです。(写真3)
正面に写真2で出てきたお店が見えていますけど、それとあわせてやはり坂下との高低差具合ですかね。
すこし上っただけなのに、かなりの高低差が坂下とでてきていました。
あとは、左側の擁壁が奥から手前に向かってぐぐんと高くなっている感じは、以外と坂道風景的には新鮮だったかもです。


行火坂(NO.251)4
写真4

もうすこし坂を上り、一息がてら坂上方向を眺めてみました。(写真4)
左右の立派な擁壁といい、坂下あたりほどではないですがなかなかの勾配具合の坂道景色を楽しむことができました。
また、舗装に目を向けて見ても、ドーナツ型に加えて、きざみ型のハイブリッドな舗装が、これは道幅が広がったため新旧の舗装がみられるのだろうか?とか、たまたま予算の関係上の時差工事でこうなったのだろうか?など、いろいろと想像がふくらむつくりが興味深かったです。


行火坂(NO.251)5
写真5

そして、最後は坂上からの景色など。(写真5)
たぶん、学生時代だったら、このあたりに座ってとりあえずスケッチでもしていたかも。(笑)
とにかく、勾配具合はもちろん、左側の樹木も年月が経ち良い感じで道側にせり出してきていてるなど、いろんな要素が時間の経過とあわせてうまく混ざっていて、距離の短い道でしたけど興味深い坂道風景を見ることができたかもです。


ということで、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区瀬田1-8あたり

所在地:世田谷区瀬田1丁目12あたり


とりあえずこれまでの品川駅界隈の坂道探索は、いったん中断して、今回からは、そういえば今住んでいる地元の世田谷区の坂道をこのブログではまったく取り上げていなかったことを思い出しまして、ちょっとふらりと行ってきましたよ。


坂名は、ぎょうぜんじ坂と呼ぶそうで、場所は、東急田園都市線の二子玉川駅から北側へ徒歩10分くらいの場所にあり、坂下を流れる丸子川から北へと上っている坂道です。


行善寺坂(NO.250)1
写真1

まずは坂下からの眺めなど。(写真1)
見た感じは、両サイドに緑が満載で、まさに閑静な住宅街といった感じでした。
勾配具合は、写真で見た感じではそれほど急な感じには見えないですが、実は、この坂のまわり(界隈)は、知っている方も多いとは思いますが、国分寺崖線と呼ばれるかの有名な崖線エリアで、実は坂上と坂下でけっこうな高低差があり、この坂も例にもれずの場所だったので、歩いているときはなかなかしんどかったです。


行善寺坂(NO.250)2
写真2

すこし坂を上り、坂下のほうを見てみました。(写真2)
写真2の奥に見えている信号のあたりにさきほどの話でもでてきた丸子川が横切っていたりします。


行善寺坂(NO.250)3
写真3

次は写真2とだいた同じ位置より、坂上のほうを眺めてみました。(写真3)
坂道はまだまだ続いており、実はこのあたりからの坂道景色も良い感じだったのですが、左側の場所で住宅の新築工事中だったため、散歩時には工事車両が止まっていて、ベストアングルからの撮影ができなかったのはちょっと心残りだったかもです(天気もよかったので。。)。


行善寺坂(NO.250)4
写真4

そんなわけで、工事車両がぎりぎりに写らない場所まで坂を上り、坂下方向を眺めてみたのがこちらです。(写真4)
坂道のカーブ具合と左の大きな樹木がかなり良い感じでしたよ。


行善寺坂(NO.250)5
写真5

そして、しばらく坂を上っていくと、坂の途中になかなか良い感じのお店を発見。(写真5)
僕が行ったときは店は休みだったので中には入れませんでしたけど。
また、この向かいには、次回以降に話す、坂道もあったりと。


行善寺坂(NO.250)6
写真6

写真5で出てきたお店の場所から、もうすこし坂を上ってから坂下方向を眺めてみたのがこちらです。(写真6)
ここから見た感じだと勾配具合もほんと緩やかに見えていますね。。
しかも左側の石垣やら樹木もかなり良い感じだったのですが、現地では宅急便の車両が止まっていて(しかもけっこう待ったのですがなかなか動かずでした・・・。)、ちょっと残念な感じとなってしまいました。
でも、まあ、これもとある街の生活風景と考えればいいかもですし、車の通行が少ない道路なのかなということもこれから想像できそうですしね。


行善寺坂(NO.250)7
写真7

さらに坂は続きまして、このあたりはすこし勾配具合がちょっと急な感じでした。(写真7)
おそらくこのあたりで一気に高低差を稼ぐ感じの場所だったかもです。


行善寺坂(NO.250)8
写真8

さらに坂を上りまして、次は坂下のほうを眺めてみました。(写真8)
いわゆるここは地域のなんてことない生活道路みたいだったのですが、なにやら改めて整備されたかのように坂道景色はなかなか良い感じでしたよ。


行善寺坂(NO.250)9
写真9

とまあ、そんな感じで距離の長い坂道を上り終えた頃に、やっとこの坂道の名前の由来ともなった「行善寺」の門が見えてきました。(写真9)
ちなみに、ここにはいつものような坂の説明を記した碑はなく、坂上のこの門のところに(写真9では見えていませんけど)、「世田谷百景 瀬田の行善寺と行善寺坂」と書かれた標識があるのみでした。
ただこの奥にある行善寺についての説明を記した案内板も同じ場所にあるのですが、ここに、『この地は展望にめぐまれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。』という一文がありましたよ。
なので、昔からここは高低差があり景色が開けた場所だったと読み替えることもできそうですね。
あと、この坂道は、大山道なる古道でもあったそうですよ。



行善寺坂(NO.250)
写真10

こちらはおまけです。(写真10)
実は、写真8の場所からすこし坂を上ったあたりに「瀬田貝塚跡」なる石碑がありました。
ネットで軽く検索してみたところでは、どうやらこれは縄文時代前期の頃の貝塚跡という情報が多かったです。(文献をきちんと調べたわけではないので、これくらいでぼかした言い方してます。。)
まあ、古道沿いの坂道なのでそういう場所があってもおかしくはないかもですね。

ということで、いろいろと話を広げたくなる史実もけっこうありましたけど、今回はこんな感じです。


地図
世田谷区瀬田1丁目12あたり

ということで、今回は、前回の高尾山の男坂(NO.248)に続いて、女坂のほうのことでも。


高尾山の女坂(NO.249)1
写真1

坂下あたりで、男坂とわかれて、すこし歩くとこのあたりにやってきます。(写真1)
見てのとおりですが、坂下あたりからの女坂の風景です。
男坂の、あの高低差をスロープでつなごうとしていることもあり、かなり道はグネグネしていました。


高尾山の女坂(NO.249)2
写真2

こちらは、写真1で奥に見えていた左にカーブして先が見えなくなっているあたりから、坂下方向を見てみたものです。(写真2)
こちら側から見るとかなり平坦な感じに見えていました。
そして、高尾山とはいえ、このあたりまでくるのにはケーブルカーとか使えてしまうこともあるためか、登山者の服装もけっこうカジュアルな人多かったです(もちろん訓練がてらの重装備の人もいましたけど)。


高尾山の女坂(NO.249)3
写真3

さらに坂を上り、坂上方向を見てみたものです。(写真3)
左の擁壁が坂下からずっと続いているのにはちょっとびっくりしたかもですね。
しかも境内ということを示すためか、赤い灯籠が、男坂同様、坂道に沿って設置されているのもなんか不思議な感じでした。


高尾山の女坂(NO.249)4
写真4

坂道はまだまだ続き、このあたりは写真3の場所同様、勾配がちょっと急な案配が続いていました。(写真4)


高尾山の女坂(NO.249)5

写真5

さらに歩いていくと、やっと坂上らしき場所が見えてきました。(写真5)
ちなみに正面に見えている店は、権現茶屋という食事処です。(帰りに寄ってみましたけど、特製ラーメンうまかったですよ。)


高尾山の女坂(NO.249)6
写真6

そして、最後は坂上からの風景など。(写真6)
結局、右側の擁壁と灯籠、ここまでちゃんと切れずにあったみたいでしたよ。


高尾山の女坂(NO.249)7
写真7

あと、写真6の右側にも気になるスロープがちらりと見えていましたけど、近くにこんな感じで案内看板がありました。
どうやら、この先に仏舎利塔なるものがあるみたいですね。
ただ今回は、この塔には訪れなかったのですよ。
なので気になる方は高尾山高尾山薬王院のサイトで、説明でも読んでみてくださいな。
→ 高尾山有喜苑仏舎利宝塔

あ、そうそう、あとこのサイト見てたら、今回の男坂と女坂、どうやら別名もあるらしく、男坂=百八階段、女坂=馬道、ともいうみたいですね。


ということで、今回はさらりとこんな感じです。


地図
八王子市高尾町

気がつけば、年末に高尾山に登ってからけっこう時間が経ってしまいましたけど、実は高尾山の山頂近くの場所には、男坂(あと女坂もありますが、これは次回)なる坂道があったので、山歩きついでにまわってきてしまいましたよ。


高尾山の男坂(NO.248)1
写真1

いきなりですが、坂下あたりからの景色など。(写真1)
男坂といえば、階段ということで、やはり目の前の坂道も階段坂道でした。
しかもかなりの高低差。
見た感じは都内にもありそうな感じですが、ここの標高は490m(マピオン地図より)とのことみたいですよ。

ちなみにこの男坂は、高尾山の山頂へ向かう登山コースとして現地の案内地図には1号路から5号路まであるのですが、今回の坂道はどのコースにも属してない道のようで、実はそれらとは別にケーブルカーの高尾山駅から薬王院を通るコースというのがあり、そのコース上にこの階段があり、現地の案内板にもこの坂道のことが記されているのですよ。
なので、この男坂(&女坂)、実は登山コースではなく山頂近くにある高尾山薬王院の本堂へ向かうための参道の一部という捉え方をしたほうがいいかもしれないですね。


高尾山の男坂(NO.248)2
写真2

こちらは写真1の階段下右側あたりにあったものです。(写真2)
修行大師と書いてありますね。
これは、弘法大師・空海さんということでいいんですかね?(知ってる方いたら教えてください。)
あと、右下のボーリング玉みたいなもの、こちらは軽く調べたところ、六根石(ろっこんせき)というものらしいです。
なんでも、この薬王院の境内をはじめいたるところに、これと似たようなものが18カ所設置してあるとのこと。


高尾山の男坂(NO.248)3
写真3

やっと坂を上りだし、坂の途中から坂上方向を見てみました。(写真3)
ちなみに、この男坂、僕も後で知ったのですが、階段数が108段ときっちり決められているとのことみたいですね。(108という数字は、仏教ではよく使われる人間の煩悩の数。わかりやすいところでは除夜の鐘を108回衝くとかは有名ですよね。)


高尾山の男坂(NO.248)4
写真4

さらに坂を上り、中腹あたりから坂下方向を眺めてみました。(写真4)
しつこいですが、この時点でかなりの高低差ですね。


高尾山の男坂(NO.248)5
写真5

写真4と同じ場所から、今度は坂上方向を見てみました。(写真5)
坂上あたりもちらりと見えだしていました。


高尾山の男坂(NO.248)6
写真6

そして、最後は、坂上までやってきて、そこからの景色など。(写真6)
さすがにこのあたりの樹木は立派に大きく育っていたため、景色は開けていなくて(いい意味で)、ここが高尾山の山頂あたりということはわかりにくいかもしれないですね。
しかも、階段全体の形もかなり整然としているので、なんとなくつくってしまったというより、やはり108段にこだわってしっかりつくられたものなのかなーとか思ってみたり。



地図
八王子市高尾町

所在地:港区高輪3-16あたり


ほら坂と呼ぶそうで、別名で「法螺(ぼら)坂」や「鱣(ぼら)坂」と書く場合もあったそうです。
場所は、前に取り上げたさくら坂(NO.246)の北側エリアに東禅寺というお寺があるのですが、今回の洞坂はその敷地のすぐ東側にある坂道です。


洞坂(NO.247)1
写真1

まずは坂下あたりの様子から。(写真1)
東禅寺の正門から細めの路地をすこし北側に歩くとこのあたりにやってきます。
坂道自体は、正面の壁のところを左にくいっと曲がる形になっていました。
ちなみに東禅寺は、現地の案内板にもあったのですが、幕末にイギリス公使館が置かれていたところとして有名な場所なんだそうですよ


洞坂(NO.247)2
写真2

次は、坂をすこしのぼり、坂下方向を眺めてみたものです。(写真2)
車1台がやっと通れるかなという道幅がこの坂の急勾配具合を際立たせていたかもです。
奥の地面にマンホールの見えるあたりで一度、道が曲がっているので、すでにここからは坂下の様子を見ることはできませんでした。


洞坂(NO.247)3
写真3

すこし坂を上り、今度は、坂上方向を見てみました。(写真3)
いちおう正面に見えている場所が、この坂の頂上あたりになるみたいでした。
とにかく高低差はけっこうある感じでしたよ。
また見ての通りの立派な塀が右側にあるのですが、地図で確認してみると東芝山口記念会館なる施設があるみたいですね。


洞坂(NO.247)4
写真4

そして、坂上までやってきて、今回の坂道的には今さっき歩いてきた方向とは反対にあたる道をみてみると、今度は下り坂になっていましたよ。(写真4)


洞坂(NO.247)5
写真5

いちおう俯瞰てきに、坂上あたりを眺めてみました。(写真5)
写真左側に行く道がさっきまで歩いてきた坂になりますかね。
しかもよく見ると、写真右上には防犯カメラもあったりして、なんか物々しいというかなんというか。

そして、見てのとおりですが、ここにもいつものように坂の碑がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから、洞という等様々な説がある。』
とありました。

あと、興味深い史実として、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に『(略)、途中また凸地になってさらに石段坂を上がると桂坂の途中に出る。』という説明がこの洞坂の項にあったのですよ。
ここにでてくる桂坂は、写真4の奥(北側)に道が見えていると思いますけど、実はそこが桂坂なのですね。
だから、この江戸東京坂道事典の記述では、写真5の場所から北側にある桂坂へ行くには”階段を上る”と書いてあるわけですが、現在は写真4をみてもらえれば一目瞭然、下り坂になっているのですよ・・・。
しかも古地図と見比べてみても、どの道が洞坂かどうかわかりませんでした。
いちおうネットで見れる昭和22年の航空写真を見てみてもあまり今と変わらない感じなので、この地形の変わり具合についてのことは、どこら辺でどう変わったかということも含めて今後の宿題ということにするしかないみたいですね。


地図
港区高輪3-16あたり

所在地:港区高輪3-23あたり


読み方はそのままですので、まずは場所ですが、ここもJR品川駅から西へすぐの場所にあり、位置的には前回取り上げた柘榴坂(NO.245)のすぐ北側を、ホテル群の敷地の境界線上をたどるように西側へと上っている坂道です。


246)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
品川駅方面から第一京浜を超えてすこし歩いてくるとこの場所にやってきます。
このみちは、坂の途中に、sinagawagoos(このすぐ左側にあります)やザ・プリンスさくらタワー東京、グランドプリンスホテル高輪が坂道の途中にあり、各ホテルに車で向かおうとするとこの道を通るのが一番早いためか、道幅も広く樹々に囲まれ落ち着いた雰囲気でした。


246)2
写真2

写真1と同じ位置より、坂下方向もちらりと見てみました。(写真2)
正面のが第一京浜なのですが、歩いていると平らな感覚しかなかったので、じっくり観察してみると国道から微妙に傾斜しているみたいでしたよ。
また両サイドの立派な石垣も気になってみたり。
やはりこの坂道はすでにここから各高級ホテルへの入口という感覚で計画されたものなのかもしれないですね。


246)3
写真3

すこし坂を上ると道が急カーブしてました。(写真3)
正面に見えている建物は、ザ・プリンスさくらタワー東京というホテルみたいでした。


246)4
写真4

写真3のすぐ左側には、ホテルの車寄せのロータリーがありました。(写真4)
気になったのは、やはり雨よけオブジェでしたよ。
なのでぱちりと一枚。
どうやら、このザ・プリンスさくらタワー東京、軽く検索してみると、敷地自体やら建築物的にもインテリア的にも興味深いことが多いみたいですけど、それとりあげていると長くなりそうですので、ここでは軽くスルーしてまた機会があればということで。


246)5
写真5

また坂道にもどりまして、さらに坂を上ると、さきほどもちらりとみえていた急カーブの場所にやってきました。(写真5)
見方によっては高級ホテルが並ぶ場所そのものの雰囲気といえるかもしれないですし、自然にあふれた気持ちのいい景色がひろがっている場所ともいえるかもしれないですけど、僕自身は、隣接するホテルが高級ホテル群だということをすっかり忘れていて気持ちのいい場所だなーと現地ではのんびり歩いていましたよ。。

ちなみにこの坂道には、いつものような坂の碑はありませんでした。


246)6
写真6

写真5と同じ場所でちらりと後ろを振り返ってみると、坂道の向こうに品川駅の東側エリアに建ち並んでいる高層ビルもしっかり見えていました。(写真6)


246)7
写真7

さらに坂を上り、坂上方向を見てみました。(写真7)
写真では勾配具合がわかりにくいですけど、けっこうな傾斜具合でした。
まわりの雰囲気も、軽井沢か箱根あたりの山道を歩いている気分というかなんというか。とにかくここが品川駅からすぐの場所ということを忘れてしまうくらいの感覚だったかもです。


246)8
写真8

再び、後ろをふり返ってみました。(写真8)
正面の建物がザ・プリンスさくらタワー東京ですね。
こうしてみると高低差具合もわかりやすいかもですね。


246)9
写真9

さらに坂を上っていくと、今度はものすごい急カーブの場所が現れました。(写真9)
あとは左にみえている街灯のデザインが気になってみたり。


246)10
写真10

そして、急カーブの坂道を上りきると、やっと坂上あたりまでやってきました。(写真10)
なので正面に見えるのが、グランドプリンスホテル高輪ということになりますかね。


246)11
写真11

いちおう、近くまでよってみてパチリと一枚。(写真11)
むむむ。
ちなみに、グランドプリンスホテル高輪は1982年に営業を開始したそうですよ。


246)12
写真12

さらに写真11の左側に、なんともしゃれた洋館がありましたよ。(写真12)
こちらはかつての旧竹田宮邸とのことで、1911年竣工、1972年に建築家の村野藤吾によって改修・復元されたらしく、現在はグランドプリンスホテル高輪の貴賓館として使われているみたいでした。

ということで、この坂道、あまり下調べせずに現地を歩いたこともあり、帰ってからいろいろ調べているとなんかいろいろとおもしろそうな史実の場所もでてきたので、またそのうち再訪問できればなあと思いつつも、今回はこんな感じです。


地図
港区高輪3-23あたり

所在地:港区高輪4-10あたり


ざくろ坂と呼ぶそうで、別名で新坂ともよぶそうです。

場所は前に取り上げた「いちょう坂(NO.244)」のすぐ北側にあり、JR品川駅から第一京浜を渡り、大規模なホテルが建ち並ぶ間を通って、メトロ高輪台駅のある西側に抜けることができる道路があるのですが、その道が今回の坂道となります。


柘榴坂(NO.245)1
写真1

まずは坂上からの景色でも。(写真1)
さっき、この道は大規模なホテルのあいだをぬってふぬふぬと書きましたけど、ここから見る分には、坂の両側にちょうどいい高さの街路樹が植えられ、両側のホテルも建物部分においては坂に対してセットバックしている形になっているようで、地図で見る感じよりは圧迫感はないようでした。


柘榴坂(NO.245)2
写真2

すこし坂を下り、さらに坂下を見てみました。(写真2)
左側に坂に沿って長く隣接している建物が見えてますけど、こちらはグランドプリンスホテル新高輪のレストラン棟のようですね。
けっこうできてから時間が経過しているのか手前の街路樹ともけっこうなじんでいるような雰囲気かもですね。
あとは、坂道自体は見た感じは緩やかな傾斜具合ですけど、左のレストラン棟の地面部分を見てもらうとわかりやすいのですけど、実は坂上と坂下でけっこうな高低差具合だったりするみたいでした。

また、この写真の左側に坂の碑もちらりと見えていたりします。
なので、そのまま坂の碑の文を抜粋させてもらうとですね『坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲り、明治に直通して新坂と呼んだ。』とのこと。
とりあえず、「江戸時代はカギ形に曲り」というのが気になったので、古地図で確認してみると、たしかにカクカクと曲がっていましたよ。
坂上から坂下に歩いた場合、下りながら坂道はいったん右にほぼ直角に曲がり、ほんのすこし歩くと、今度は左に直角にまがるとまた長い坂道が現れるというつくりだったようですよ。


図1:古地図との比較(柘榴坂)
図1

そこで、今回の柘榴坂(NO.245)と前回とりあげた、いちょう坂(NO.244)の位置関係をわかりやすくするため、グーグルマップに絵を描いてみました。(図1)
図のオレンジと赤の点線が、現在の柘榴坂(NO.245)といちょう坂(NO.244)です。
そして、赤線で描いたものが古地図を見ながらだいたい現在の地図にあわせるとこんなかんじだろうなと予測しながら描いてみたものです。
そうすると、みごとに位置関係があてはまるんですよ。
どう説明したらいいかわかりませんけど、とにかく、いちょう坂(NO.244)がかつての柘榴坂の場所の痕跡みたいなもの(記憶)を残した坂道の可能性が高くなったかもですよ。
そんなわけで、いちょう坂(NO.244)の記事の中で、「このすぐ北側にあるかつての柘榴坂が今のいちょう坂の場所にあったという説もあったりするのですが」と書いたのですが、どうやら古地図と見比べてみると、その説もあながち仮説というだけではとどまらないものなのかもしれないですね。


柘榴坂(NO.245)3
写真3

また坂道にもどりまして、今度は坂をすこしくだり坂上方向を眺めてみたものです。(写真2)
右はちょっと懐かしい感じのつくりレストラン棟に対して、左側にガラス張りの無機質な感じの建物があるのが、人によって善し悪しの意見が別れるところかもしれないですが、とにかく東京らしいかなと思ってみたり。


柘榴坂(NO.245)4
写真4

さらに坂を下り、坂下方向を見てみました。(写真4)
このあたりから今の品川駅前っぽい大規模なホテル棟が視界に入ってきだしました。

ちなみに、このあたりの昔のことが、いつもお世話になっている本「江戸東京坂道事典」に書かれてまりましたので、すこし抜粋させてもらうとですね、
『このあたりは旧高輪南町で、「東京府志科」の同町の条に「明治二年仲町を合せ五年又もと鹿児島久留米其他三四藩の邸地を併す」とあり、この坂道については無名坂としている。坂の北側はむかしの鹿児島(薩摩)藩下屋敷で当時は薩摩藩の高輪屋敷とよばれていた。明治維新後は官収され宮内省の用地となり、北白川宮、竹田宮、東久邇宮の三宮の御殿がつくられた。戦後、北白川宮邸宅は衆院議員宿舎、竹田宮邸は高輪プリンスホテルとなり、さらに東久邇宮邸跡は阪急系の高層ホテル「ホテルパシフィック」が建っている。』
とのこと。
なお、ここででた「高輪プリンスホテル」はグランドプリンスホテル高輪に名称変更、「ホテルパシフィック」は今はなくなり(でも建物は残っているようです。設計は坂倉建築研究所とのこと。wikipediaによるとですが。)、SHINAGAWA GOOSなる複合商業施設になっているみたいですね。
なので、写真4で左側に見えている大きなビルがSHINAGAWA GOOSということみたいです。


柘榴坂(NO.245)5

写真5

いちおう、写真4とだいた同じ位置より、坂上のほう見てみました。(写真5)
坂上あたりのほうも遙かかなたといった感じでしたよ。


柘榴坂(NO.245)6
写真6

そして、やっと坂下あたりまでやってきました。(写真6)
正面を横切っている道路が第一京浜で、その奥が品川駅ということになりますかね。


柘榴坂(NO.245)7
写真7

最後は、写真6でも見えていた歩道橋から坂上方向を眺めてみたものです。
こうしてみると、高低差具合もわかりやすいかもですね。
しかも昔とは違い、ほんとまっすぐな坂道ですね。


地図
港区高輪4-10あたり

所在地:港区高輪4-9-16あたり


名前はそのままなので、まずは場所なのですが、品川駅から西へ徒歩数分の場所に品川プリンスホテルがあるのですが、今回の坂道はなんとそのホテル内にある坂道です。


いちょう坂(NO.244)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
品川の駅前からビルの合間をぬけてくるとここにやってきます。
坂道自体は、ホテルの敷地内ということもあり、このあたりは基本的に車が通ることはほとんどないようで、ほぼ歩行者専用の抜け道という感じでした。
あとは勾配具合もなかなかいい感じでしたよ。
またこのすぐ左側に、いつものように坂の碑があるにはあったのですが、「いちょう坂」と大きく書かれてあるだけで、坂名の由来などは書かれてありませんでした。
うわさでは、このすぐ北側にあるかつての柘榴坂が今のいちょう坂の場所にあったという説もあったりするのですが、とにかくこの説とあわせて、この”いちょう”という名がどこからでてきたのかは不明です。


いちょう坂(NO.244)2
写真2

坂をすこし上り、坂下方向を見てみたものです。
こうして見ると、ホテル内にある坂道というのがわかりやすいかもといいたいところなのですが、実は坂下にあるのは商業施設だったりするので、どこまでがホテルなのかというのがわかりにくい場所でもあるんですけどね。


いちょう坂(NO.244)3
写真3

さらに坂を上り、坂下方向を再び見てみました。
まわりの凝った意匠の手すりやら右側の品川プリンスホテルの窓群などがとにかく坂道におもしろい影響を与えていたかもです。


いちょう坂(NO.244)4
写真4

今度は、写真3とだいたい同じ位置より、坂上方向を眺めてみたものです。
このあたりから景色がぐっと開けてきていましたよ。
どうやら坂上に駐車場があるためか、ここからは車が通るために舗装もよくみるタイプのものになり、道幅も車が楽にすれ違えるくらいの大きな幅の道になり、勾配具合もすこし急になっているようでした。


いちょう坂(NO.244)5
写真5

さらに坂を上り、坂下方向を見てみました。
勾配具合が急なためか、このあたりからでも坂下あたりとはけっこうな高低差具合になっていました。
あとは、あらためて道幅を確認してみるとかなり広いですね。(車、3台分くらいはありそうかも。)
とにかく坂下あたりの様子とはまったく違う風景が楽しめるのはおもしろいですね。


いちょう坂(NO.244)6
写真6

そして最後は、坂上からの景色など。
坂下のほうをみると、なんかはるか彼方という感じでしたよ。
高低差も坂下のビルで確認してみるとわかるのですけど、6階か7階くらいの高さにはなっている模様。
いやはや、なんともおもしろい坂道を残していただいて、僕はうれしい限りでしたよ。(笑)


いちょう坂(NO.244)7

ということで、新年初の坂道話でした。
では今年もよろしくお願いします。


地図
港区高輪4-9-16あたり

所在地:品川区北品川4-7あたり


今回はひさしぶりに都内に戻りまして、品川編の続きです。

やつやまの坂と呼ぶそうです。
場所は京浜急行の北品川駅から線路を越えて西側にある坂道です。
また坂上の北側には三菱開東閣というかつての旧岩崎家高輪別邸がある場所だったりもします。


八ツ山の坂(NO.243)1
写真1

まずは坂上からの様子です。
片側2車線のけっこうゆったりとした坂道でした。
ただここは、右側に交番があるため、あまりのんびりと景色を眺めていると不審がられるのでさらりと歩きながらぱちりと。


八ツ山の坂(NO.243)2
写真2

坂上からさらに坂上方向を見てみると、左側に立派な樹々のある場所が見えていますけど、こちらが始めにも書いたとおり、三菱開東閣がある場所ですね。
今回は見てないですけど、ネット情報から推測するには中の建物はなかなかいい感じのもののようですよ。


八ツ山の坂(NO.243)3
写真3

さらに坂を下り、坂下方向を見てみました。
街路樹がいい感じで植えられいましたよ。
そしてなによりも道路右側に見えている装飾チックなビルが坂道にかなりのインパクトを与えていましたよ。(地図で確認するとガーデンシティ品川御殿山というマンションみたいですね。しかもネット情報では建築主は積水ハウスとのこと。ちょっとびっくりでした。)


八ツ山の坂(NO.243)4
写真4

気がつくと、もう坂下あたりまでやってきてしまいました。
写真4は坂下あたりからさらに坂下方向を見たものです。
そして、写真の左側にソニーと書かれたビルがありますけど、ここにはロゴどおり会社があってですね、実はこのあたりがソニーの創業地だったそうですよ。なのでこの通りにも「ソニー通り」という別名もついているみたいなんです。

あと、ここには、いつものように坂の碑もありましたよ。
『このあたりは武蔵野台地の突端にあたる丘陵で、海岸に突き出た州が八つあったところから八ツ山と呼ばれた。この地にある坂のために、いつしか八ツ山の坂という名がつけられた。この道は、もと三間道路と呼ばれ、道幅は三間(約六メートル)で、あたりには人家も少なく、夜はさびしい通りであったという。』
ということだそうです。

また品川区のHPにも坂の説明がありまして、こちらも参考になるので抜粋しておくとですね、
『品川宿のはずれ、芝高輪との境に位置する丘を「八ツ山」と呼んでいました。名前の由来については、この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説や、八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、この地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説がありますが、いづれも定説ではありません。この山は、江戸期に道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸整備のために切り崩され平地となってしまいました。』

いろいろ説はあるようですが、とりあえず、この碑の一文「海岸に突き出た州が八つあったところから八ツ山」とか聞くと、昔なら「ふーん。なるほどー」で終わったのですけど(笑)、今やいろんな(余計な)知識やデータが身についてしまっているので、では地形俯瞰図や古地図なども貼り付けて、と、実はしてみたいところでもあるのですが、今回は最近読んだ本「風景を創る(中村良夫)」の中に書いてあった『言葉による風景デザインという方法を私たちは忘れかけていた。いや、忘れていたわけではないが、そんな古ぼけた習慣は一顧の値打ちも無いと考えていた。だから、全国の城下町で由緒のある町名が惜しげもなく捨てられていったのである。言葉や地名もまた、空間に意味を与える立派なデザイン手法であり、文化であるという認識をすれば、こんな蛮行が易々と行われるはずもない』という一文を読んではっとしてしまったこともあり、単純すぎてなんですが今回は以前の感覚にもどり、のんびり坂名の由来と坂道散歩の記録くらいだけを載せといてあとは各人のご想像におまかせするということにしておきますね。


八ツ山の坂(NO.243)5
写真5

というわけで最後は、坂下からの風景です。
左のマンションがやや圧迫感を煽っていますけど、その分、街路樹がいい感じの高さで並んでいる具合がわかりやすくなっているかもですね。




地図
品川区北品川4-7あたり

所在地:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり


すこし間が空いてしまいましたが、今回は前に取り上げた公園坂(NO.241)に続く箱根の坂を歩いた時のことでも。

坂名は一番坂といいまして、場所は、公園坂(NO.241)の南隣を並行して走っている坂道です。
ただここは坂上がどこまでかということがわからなかったので、かなり長い距離を歩いてしまいました。
なのでまたまた写真多めです。


242)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
公園坂(NO.241)の坂下あたりから、左に箱根登山鉄道の線路を眺めながら南方向に歩いてくるとこのあたりにやってきます。
もうここから見るだけでもかなりの高低差具合が確認できました。
どんな坂なのか期待が膨らみます。


242)2
写真2

ちなみに写真1のすぐ右側には、この坂道と同じ名前の一番坂というバス停もありました。
ただこれ以外に、いつものような坂の碑などはありませんでした。


242)3
写真3

次はすこし坂を上がった場所から坂下方向を眺めてみたものです。
ちょうど撮影していた時に、坂下を箱根登山鉄道が通り過ぎたので思わずぱちりと。
あわせて、まわりの雄大な山々の景色の割には道自体はしっかり整備されている具合がなんとも印象的でした。


242)4
写真4

さらに坂をのぼり坂上方向を見てみたものです。
このあたりはかなりの傾斜具合でした。


242)5
写真5

さらに坂を上っていくと、すこし傾斜具合も緩くなり道路の舗装もよくあるアスファルトのものになっていました。
ちなみに場所的には、このあたりの右側に強羅公園があったと思います。


242)6
写真6

さらに(しつこいですが勘弁)坂を上っていくと、段々と道幅がせまくなってきました。
あとは遠くに見えている箱根の山が段々近くなってくるのも隠れた楽しみだったかもです。


242)7
写真7

黙々と坂を上り続けていると段々と舗装の具合も荒れだしてきました。


242)8
写真8

ちなみに右側のキザミ舗装の部分が気になったのでアップでぱちりと。
なぜこんなつくりにしたのかは謎でした。


242)9
写真9

いちおう写真7,8とだいたい同じ位置より坂下方向も見てみました。
もちろんここから坂下あたりの景色は望むべくもありませんでした。


242)10
写真10

坂道はまだまだ続いていたので、さらに上り、坂下方向を眺めてみました。
このあたりはすこし景色がひらけていたので、坂下の写真3でも見えていた遠くの山に刻まれた大の字の文字が再び見えていました。


242)11
写真11

そしてこのあたりは、これも擁壁といってもいいと思いますが、かなりワイルドなつくりしていましたよ。


242)12
写真12

写真11の擁壁を含めた坂の風景はこんな感じでした。
このあたりにくるとまた勾配具合が急になっていました。


242)13
写真13

そこからちょっと渋目のS字カーブの坂をのぼり。


242)14
写真14

さらに山道のような坂道を歩き。
(といっても右側にはなにやら宿泊施設らしき建物はありましたけど。)


242)15
写真15

さらに坂を上り。


242)16
写真16

そこからさらに数分上ると、やっと坂上あたりにやってきました。
いちおうここで道路は突き当りになり左右に分かれる道になっていましたのでここが一番坂の坂上ということにしてみました。

ちなみにこの場所、実はこの坂の北側(写真16で言えば左方向)を箱根登山ケーブルカーが並走しているのですが、坂上近くの駅がなんと上強羅駅だったんですよ。
なので気がついてみると、強羅駅→公園下駅→公園上駅→中強羅駅→上強羅駅の距離を歩いていたことになっていたんですよ。(驚)
念のため、マピオン地図で高低差を調べてみると、坂下の海抜541m、坂上の海抜が686m、ということで高低差はなんと145m!
マンションでいえば40階建てくらいですかね。。
ほんとですか?という感じですが、そうなんですよ。
そして地図上での直線距離は884mとのこと。
ということは歩いた距離はもっとあるということですよね。
いやはやどうりで汗だくになるわけですね。
とにかく今回はよく歩きました。

ということで今回はこんな感じです。


地図
神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり

所在地:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり


ちょっと今回は、品川の新シリーズが始まったばかりでなんですが、夏休み遠征ということで(といっても行ったのはすこし前なので、勝手にこじつけですが・・・)、箱根にある坂道をすこしばかりとりあげてみたいと思います。


坂の名は「こうえん坂」と呼ぶそうで、場所は箱根登山鉄道の強羅駅のすぐ近くにある坂で、名前のとおり駅前の通りから坂上にある箱根強羅公園へと上る坂道です。


公園坂(NO.241)1
写真1

まずは坂下の様子です。
写真1でいえば右側に駅前のお土産物屋さんが建ち並ぶエリアがあり、そこから坂上にある公園へと向かう道に公園坂という名がつけられたみたいですね。
そして坂上のほうをみると坂道の向こうに箱根の雄大な山々がちょうど目に飛びこんでくる場所でもあり、なかなかいい感じでしたよ。

ちなみに、ここの海抜は(マピオンによると)、545mとのことです。
なので余談ですけど都内でいえば、スカイツリーの展望台の場所よりはすでに高い場所にあったりするんですね。


公園坂(NO.241)2
写真2

あと現地では、こんな感じで坂の案内がありました。
ただこれ、都内での坂の碑のように坂の説明は書いていないようでしたよ。


公園坂(NO.241)3
写真3

次はすこし坂を上り、坂上のほうを眺めてみました。
左側は季の湯雪月花という旅館、右側は土産物屋さんや食事処ということで、これまた都内ではなかなかみられない坂道風景が広がっていました。
しかも勾配具合もなかなかのもの。


公園坂(NO.241)4
写真4

いちおう坂下のほうも見てみした。
坂下にちらりと見えているのが箱根登山鉄道の線路ですね。


公園坂(NO.241)5
写真5

さらに坂を上り、坂上のほうを見てみました。
まだこのあたりは写真3と同じく旅館とお店が両側にあって、なんだか箱根にいるなーという気分がまだ続いていました。
またこのすぐ右側には八代亜紀さんのお店(みた感じで確定ではないですが写真がバシバシ張ってあったので)ありましたよ。
(どうりですこし前にネットでもちょっと話題になった(かも?)、エヴァの曲を彼女が歌っててなかなかいい感じだったというニュースがあったと思うのですが、おそらくここともすこしばかりは関係していたのかなーとちょっと想像してみたり・・・。)


公園坂(NO.241)6
写真6

それはさておき、さらに坂を上ると、突然まわりを樹々に囲まれました。
しかも道の舗装もドーナツ型になるくらい、ちょっときつくなってきました。
あとこの道の曲がり具合はすごくいい感じかもですね。


公園坂(NO.241)7
写真7

そして、樹々のトンネルをぬけると、また坂道は直線になっていました。


公園坂(NO.241)8
写真8

さらに坂を上り、今度は坂下のほうを見てみました。
むむむ。なんかうまく説明できないですけど、いい感じでしたよ。
左側の樹々といい、右側のお店といい。
しかもこのあたり、けっこうな勾配具合だったんですけど、ただの舗装道でした。
都内であれば、ドーナツ型すべり止め舗装になりそうなくらいの場所だったんですけどね。


公園坂(NO.241)9
写真9

そして、やっと坂上までやってきました。
坂名の由来ともなった強羅公園もこのすぐ坂上側にあります。
もうこのあたりまでくると、途中の樹々のトンネルエリアのおかげで坂下のほうはまったく見えなかったので、またまたマピオンでここの海抜を調べてみるとですね、ここは573mとのこと。
ということは高低差28m!
なんとマンションでいえば8階分くらいの高さということになるみたいですよ。。
いやはや。


公園坂(NO.241)10
写真10

またこのすぐそばには、写真10のように坂の案内板が設置されていました。
なのでここが公園坂の坂上ということで大丈夫みたいですね。
あとはこの坂道が箱根の古道とどういう関係にあるかということを調べればすっきりするのですが、それはまた別の方におまかせするとして、今回はこんな感じです。



地図
神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300あたり

所在地:品川区北品川5-20あたり



大田区馬込界隈の坂道散歩からだいぶ時間が経ってしまいましたが、このまえやっと品川駅界隈の坂道をいくつかまわることができましたので、今回からはそのあたりの坂道を取り上げてみたいと思います。
(というわけで。)


ごてんやまの坂と呼ぶそうです。
場所は、品川駅からはすこし遠いので、大崎駅の東側にあると言ったほうがいいと思いますが、そこに御殿山と呼ばれる高台があるのですが、そこを上り下りするためにつくられたであろう坂道に御殿山の坂という名がつけられています。


240)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
なんとなく右側の建物(これ、上に電車でも走ってそうな感じですが、違うんですよ)のせいかすこしごちゃごちゃしているように見えますが、それでも現地では坂道のまわりの雰囲気は落ち着いた感じでした。

またこの坂道はいつ頃から「御殿山の坂」と呼ばれたのかは不明ですが、坂の途中には、区が設置した坂の案内板があり、さっそく抜粋しちゃいますが、
『このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。もとは急な坂であったが、何回かの修理でゆるやかになった。』
とのこと。
とりあえず、そのままという感じなのですかね。

ちなみに坂の名にもでてくる御殿山、こちらも坂の途中に案内板があったので、せっかくなのでこちらも抜粋しておきますとですね、
『御殿山は、長録年間に大田道灌の館があったと伝えられています。また江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢滝和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文期頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、亨保6年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客で賑わったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が堀崩され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼き討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。また、縄文時代前期の貝塚として知られる「御殿山貝塚」では、最近の調査で御殿山台地縁辺より弥生時代後期と古墳時代前期の住居跡が発掘されています。』
ということでした。
いろいろな歴史もあっておもしろそうな山(でいいのかな?)みたいですね。


240)2
写真2

また左側をみると、川の向こうにゲートシティ大崎のビル群が見えていました。


240)3
写真3

そして、坂をすこし上ってみました。
このあたりで坂はぐぐんとカーブしていました。
またこの位置からだと左側の例のものが建物だということもわかりやすいかもですね。


240)4

写真4

さらに坂道を上り、今度は坂上のほうを見てみました。
このあたりから坂道は直線になり、街路樹がとても印象的なアクセントになっているようでした。


240)5
写真5

こちらは写真4の位置よりすこし坂を上った場所のものです。
このあたりまでくると坂の頂上もちらりちらりと見え出してきていました。
また坂の舗装も例のドーナツリング型の舗装にふさわしく、歩いていてもけっこうな急勾配具合でした。


240)6

写真6

そして、しばらくとことこと歩くと、坂の頂上あたりにやってきました。
このあたりまでくるとまわりは閑静な住宅街といった感じでした。


240)7
写真7

最後は、坂上からの景色など。
ただここからだと、街路樹が元気良すぎて、さらに坂下にある背の高い会社ビルなどのおかげで、景色は見てのとおりで、坂下からはけっこうな高低差具合のはずなのですがひらけていませんでした。
でも江戸時代の頃にもこの道があったならば、今よりはもっと景色がひらけてて海も遠くに見えただろうなということは想像できる場所だったかもです。



地図
品川区北品川5-20あたり

所在地:大田区南馬込5-6あたり


みなみ坂と呼ぶそうです。
場所は馬込坂(NO.238)の坂下あたりから東の方向に上っている坂道です。


南坂(NO.239)1
写真1

まずは坂下より。
この背後が馬込坂(NO.238)であり第二京浜なのですが、そこからこんな感じで上り坂となっていました。
道幅はけっこう狭めで車同士がまともにすれ違うのはけっこう厳しいかなという感じ。


南坂(NO.239)2
写真2

さらに坂をすこし上って坂下あたりの様子も見てみました。
さすがに坂下に面している道路は第二京浜ということもあり車がバンバン走っていましたが、この坂道に入るとかなりひっそりとした雰囲気に変わるのがなんとも興味深かったです。

あと正面の信号を抜けてそのまま直進すると、これまた前にブログでとりあげた二本木坂(NO.236)の坂下あたりに行けるという場所でもあります。

ちなみにここにも、写真2にも見えているとおり、坂の碑がありましたのでそのまま抜粋しておくとですね、
『馬込の中心にある八幡神社からみて、南側にあるので南坂といわれている。昔の坂は、道幅も狭く急な坂で、今の第ニ京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り、池上の根方に通じた古い道である。』
とありました。

また大田区のHPにも、坂の碑よりすこし詳しい解説ありましたので、こちらも載せておきますね。
『南馬込五丁目2番の八幡神社脇を西へ行き、すぐ南へ下る坂道。坂名の由来は、馬込の氏神である八幡神社から見て南にあるため、この名となったといわれています。昔の南坂は、道幅も狭く急な坂道で、今の第2京浜国道の中央あたりまでありました。そこから西へ下って二本木(西馬込一丁目付近)を通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。』

軽く補足しておくとですね、ここででてくる八幡神社とはちょうど坂上あたりにある馬込八幡神社のことを言っているようです。
あと「耕地整理で新しい坂道」がなんちゃらというところは、馬込坂(NO.238)なのかこの南坂のことなのか、ちょっと迷うところですね。
まあ変に周りをまわったからもしれませんが・・・。
でもこの一文だけで想像してみるとやはりこの南坂のことのような気がします。


南坂(NO.239)3
写真3

そしてもうすこし坂を上り、道がきゅっと曲がるあたりから坂上のほうを眺めたものがこちらです。
歩いているときは結構な勾配具合に感じたのですが、地面の舗装をみるとアスファルトタイプなので、実はそれほどきつくないのかもしれないですね。
でも右側の古そうな擁壁みるとその上にある家とはかなり高低差あるみたいなので、なんともいえないところはあるのですが。。


南坂(NO.239)4
写真4

いちおう写真3とだいたい同じ位置より坂下のほうも見てみました。
ここからだとすでに坂下の第ニ京浜も見えなくなっていたので坂のカーブ具合がけっこう急なこともわかりやすいかもですね。


南坂(NO.239)5
写真5

さらに坂を上り、坂上のほうを見たものが写真5です。
このあたりまでくるとアスファルト舗装のタイプらしいゆるやかな勾配具合になってきているようでした。


南坂(NO.239)6
写真6

そして、一気に坂上あたりまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。
右側にマンションがあるのでわかりにくいですけど、けっこう坂道自体はうねうねしていて、さらにここから坂道は坂上にある馬込八幡神社を避けるように写真6の左側に大きくカーブしていくのですよ。


南坂(NO.239)7
写真7

そいでもって最後は、写真6のすぐ右側にあった無名階段です。
もちろん階段下は馬込坂(NO.238)でもある第二京浜ですね。

なので、坂の碑の説明にもあった「その当時、坂道の両側は高く、下る左側は雑木が繁り、右側の今ではマンションになっているあたりは竹やぶでした。耕地整理で新しい坂道は坂上を削られゆるやかとなりました。」という一文から、これを写真6を見ながらかつての南坂の風景を想像してみると、写真6の左側に雑木が繁り、右側には竹やぶがひろがっていたということになりますかね。
そして、この写真7の階段、かつてはこのような崖のような勾配ではなくもしかしたらもっとゆるやかで、実はこの高低差分くらい耕地整理のため土地が削られ、今の勾配が比較的ゆるやかな馬込坂(NO.238)ができたのかもしれないと予想してみたのですが、その事実やいかに。。



地図
大田区南馬込5-6あたり

所在地:大田区南馬込5-2あたり


ひさびさな感じですが、また大田区は馬込界隈の坂道話の続きなど。

坂名はまごめ坂と呼ぶそうです。
場所は、第二京浜と東海道新幹線が交わっているあたりから東京メトロの西馬込駅の手前あたりまであり、距離も長めの坂道です。


馬込坂(NO.238)1
写真1

まずは坂下あたりからの様子など。
もう見た感じからもそうなんですが、この道路は第二京浜ということもあり道幅も広くいかにも幹線道路といった感じでした。
でもここには坂の名があるんですよね。


馬込坂(NO.238)2
写真2

もうすこし坂を上り、さらに坂上のほうを見てみました。
あいかわらずの幹線道路の風景ですが、ちょっと気になったのは、右側にちらりと見えている長遠寺というお寺の建物とその境内の立派な樹々ですかね。
擁壁の高さもかなりありそうでした。



馬込坂(NO.238)3
写真3

次は、もう少し坂を上り今度は坂下の方を眺めてみたものです。
こうしてみると距離が長い緩やかな勾配なのでわかりにくいのですけど、実は高低差はけっこうありそうです。

いちおう(あまりネタがないので)、軽くですが、海抜測れるマピオンで調べてみると、坂上は海抜20m、坂下は海抜10mでした。
ということは高低差10m。
なのでけっこうありますね。

また、写真3の左に見えている長遠寺の擁壁のところに、いつものように坂の碑がありまして、
『坂名は、第二京浜国道が建設され、昭和二十四年頃より五反田から多摩川際までのバスが通るようになり、馬込坂下、馬込橋のバス停ができると自然に馬込坂と呼ばれるようになった。第二京浜国道ができる前のこの付近一帯は小高い丘や水田で、坂下には内川の清流が流れていた。』
とありました。

また大田区のHPにもすこし詳しい説明がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『馬込橋陸橋あたりから、都営地下鉄西馬込駅方面へ下る第2京浜国道(国道1号線)の坂道。坂名は、第2京浜国道が建設され、昭和24年ごろより五反田から多摩川際間のバスが通るようになり、馬込橋、馬込坂下のバス停ができると自然と馬込坂と呼ばれるようになりました。第2京浜国道は、昭和11年に6か年計画で工事に着手しましたが、日中戦争により中止となり、戦後工事を再開、全面舗装が終わったのは昭和34年でした。第2京浜国道ができる前のこの付近一帯は、小高い丘や水田で、坂下には内川の清流が流れていました。』
ということでした。

なんというか、とにかくこの第2京浜自体が新しい道路のようですので、坂名はもっと新しいということになるんでしょうかね。


馬込坂(NO.238)4
写真4

そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきました。
写真4はさらに坂上のほうを見たものです。
なので、正面に見えている陸橋が、坂の説明にもでてきた馬込橋陸橋であり、東海道や新幹線がここを通過しているというわけなんですよ。


馬込坂(NO.238)5
写真5

そして、こちらは写真4からも見えていた陸橋の手前に見えていた歩道橋からのもので、写真5は西方向を眺めていたりします。
ということは、ここも二本木坂(NO.236)でもふれたと思いますが、この東海道線の軸方向に富士山が見えるという場所柄なはずなので、昔なら富士山見えたんですかね。
でもよく考えてみれば二本木坂(NO.236)の時は、坂上がこの横の線路と同じ高さまであったのに対して、こちらは歩道橋から見てもこの感じなので、やはり現在はもちろん昔も、ここから富士山が見えたとは考えにくそうなんですけど、どうなんでしょうかね。


地図
大田区南馬込5-2あたり

さっそくですが、実は昨年、みちくさ学会の記事(「目黒千代か池と富士見坂」)でもとりあげた目黒区目黒1丁目1と2の間にある富士見坂をぶらりと歩いていたらちょうど時期がよかったのか富士山が見えたんですよ。

みちくさ坂道記事

(上の写真がその時の様子です。たまたま工事の方も一緒に写ってますけど、そのあたりはご愛嬌ということでお願いします。)

そして今回はせっかくなので、この富士見坂の大発見(おおげさ・・・)の報告をみちくさ学会の記事ですこし詳しく書いてみましたのでよかったらどうぞ。

目黒の富士見坂からも見えました!


とにかくこのことは、他の坂道本や坂道サイトでも発表されてない(というか調べてないだけだと思いますけど、笑)ことで、しかも現在でも富士山が見えるということは、昔はもっと大きくはっきり見えていただろうということになるのですよ。

というわけで、この目黒区目黒1丁目1と2の間にある富士見坂は、このブログではまだナンバリングしていなかったと思いますので、このエントリーで「富士見坂(NO.237)」として記録しておきたいと思います。


地図
目黒区目黒1-1あたり

所在地:大田区西馬込1-11あたり


にほんぎ坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会でとりあげた相生坂の坂上からJRの線路わきの高低差がうねうねしている道をてくてくと東方向にすこし歩くと、今回の坂道の坂上あたりにやってきます。


二本木坂(NO.236)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
なんてことない普通の住宅街を抜ける道が坂だったという感じの坂道でした。
道幅も広めで、勾配具合も適度な感じで、てくてく歩くにはちょうどよい距離感と勾配ですかね。

あと、写真でも見えているので、ここで書いてしまいますけど、ここにもいつもの坂の碑があり、
『この坂道は、馬込の八幡神社付近の南坂を通り、旧池上村根方方面に向かう古い道である。坂名は、旧馬込村の小字二本木に由来する。』
とありました。

また大田区のHPにもこの坂の記載があったので、そのまま抜粋しておくとですね、
『第2京浜国道(国道1号線)から、西馬込一丁目4番と19番の間の道を西へ入り、しばらくすると折れ曲がり勾配も変化する坂道が現れます。この坂道が二本木坂です。この付近一帯は、馬込村小字二本木と呼ばれていましたが、坂名はその地名に由来するのだろうと思われます。この坂道は、八幡神社の南の南坂からここを通り、旧池上村の根方(仲池上一丁目付近)に通じた古い道です。付近の新幹線にかかる橋は、二本木橋と名づけられました。』
とのこと。

とりあえず坂名は地名由来のものみたいですね。


二本木坂(NO.236)2
写真2

次はもうすこし坂を上り、坂下のほうをみたものです。
坂の説明にもあったとおり、このあたりからだと、坂道自体が徐々に折れ曲がりながらもなにか不安定にうねうねしている感じもわかりやすいんじゃないでしょうかね。


二本木坂(NO.236)3
写真3

もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てみました。
このあたりは坂下の勾配具合にくらべると、かなり緩やかな勾配になっていました。


二本木坂(NO.236)4
写真4

だいたい同じ場所より坂下のほうを見てみると勾配具合の差が一目瞭然ですね。
でも坂道はまだ続きます。


二本木坂(NO.236)5
写真5

さらに写真3の奥のほうに見えていたあたりまで上り、坂上のほうをみてみると、どうやらこの坂の頂上あたりが見え出していました。
このあたりになるとまた傾斜具合が急になっているようでした。


二本木坂(NO.236)6
写真6

ちなみに写真5の左のほうには、遠くにこのブログでも前にとりあげた丸い給水塔がちらちらと見えていましたよ。


二本木坂(NO.236)7
写真7

で、もうすこし坂を上ると、坂上あたりの様子もはっきり見えてきました。
いちおう道の両サイドに背の高いフェンスが見えてますけど、あのあたりに坂の説明でもでてきた二本木橋があり、その下を東海道新幹線やら東海道線の線路があるというわけですよ。


二本木坂(NO.236)8
写真8

そんなこんなでやっと坂上までやってきたので、いちおう坂上からの景色なども。
坂道自体がくねくねしていたので、現地ではもうここからはどの方向に坂下の場所があるのかということさえ地図みないと確認できないほどだったかもです。


二本木坂(NO.236)9
写真9

そして、最後は坂上の二本木橋のところで今回の二本木坂と直行する形で東海道線が走っている線路の様子など。
いちおう写真9は西方向(写真8でいえば右側)を見ていたりします。
なので、この向こうにある相生坂一連の無名坂の記事を読んでもらった方ならもうおわかりかもしれないですが、ちょうどこの線路の向こう、写真9でいえば線路を渡る歩道橋の上あたりに時期があえば富士山が見えるそうですよ。

まあ、ある意味、隠れ富士見坂っていうやつですかね。
富士見坂という名前はどこにもでてきませんけどね・・・。


地図
大田区西馬込1-11あたり

所在地:大田区東雪谷5-12あたり


はなぬき坂と呼ぶそうです。
場所はみちくさ学会で取り上げた八幡坂の坂下から西へ途中JR線路の下をぬけたあたりに今回の花抜坂があります。
徒歩で言えば八幡坂から10分もかからないくらいの場所にある坂道です。


花抜坂(NO.235)1
写真1

ではまず坂下からの様子など。
見た感じではすごくきつくはないけどなにげに勾配のキツイ坂道かなという雰囲気の坂道ですが、ここも見てのとおり道路の舗装にドーナツリング型の滑り留め加工がされていることもあり、他の坂道にくらべるとやはり勾配はきついということなんでしょうね。
まわりは落ち着いった住宅街といった雰囲気でした。

あと、このすぐそばにはいつものように坂名の由来が書かれた坂の碑があったのですが、今回は大田区のHPにも同様に坂の説明があり、そちらのほうがすこし内容が詳しいのでHPのほうを抜粋しておくとですね、
『東雪谷五丁目12番と13番の間を池雪小学校脇に向けて上る坂道が花抜坂です。坂名は、日蓮が洗足池から池上へと向かう途中、この付近に野花が美しく咲き乱れ、思わず手折ったので以来、花抜(花の木)の地名で呼ばれるようになったという伝説に由来します。伝説のとおり、この坂は古い道で、中原街道から別れて矢口の渡しまで通じる道でした。昔は現在のようなまっすぐな坂道ではなく、曲った坂道で、両側は高い崖になっていたといい、坂下は竹やぶであったようです。』
ということだそうですよ。


花抜坂(NO.235)2
写真2

そんなわけで、すこし長めに歩いて坂の勾配がゆるやかになるところまで上り、さらに坂上のほうを見てみました。
このあたりまでくると説明かぶりますけど坂の勾配も一段落して、坂上の頂上のほうもちらりとですが見えてだしていました。


花抜坂(NO.235)3
写真3

今度はもうすこしばかり坂を上り、坂下のほうを眺めてみました。
たしかに高低差のある坂道ですが(道自体が長めなのでそれほどの高低差感はないのですが・・・)、坂下にある住宅の窓の位置からだいたい推測してみるこのあたりは建物3階床ぐらいの高さの場所のようですかね。
でも遠くのほうをよくみると坂下には背の高いマンションがちょうどないためかなにげに景色が抜けているのはいいかもですね。


花抜坂(NO.235)4
写真4

そして、坂の途中にはこんな場所もありました。
位置的には写真3のちょうど左側に写ってるんですけどね。
地形というか地面というかそんなものがむき出しになっていましたよ。
今時、ありそうでない感じがすごく気になりました。
そんでもって坂名の説明にもあったとおり、ここは大昔からあった古道でかつて日蓮さんも通ったことがあるという坂道ということからも、この土というか石というかこの赤茶けたものはいつの時代のものなんだろうと、ちょっといろんな意味で妄想してしまう自分がいたりしますですよ(笑)。


花抜坂(NO.235)5

写真5

そんなわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきて、坂下のほうをみてみました。
このあたりまでくると遠くのほうの景色もけっこうひらけてますかね。
しかも・・・。


花抜坂(NO.235)6
写真6

こちらは、写真5の位置よりカメラの望遠で遠くのほうを見たものですけど、なんとちょうど坂道の軸線上に池上本門寺の大堂と五重塔がちらりと見えていましたよ。
なんというかこれだけ本門寺が今でもはっきり見えるのだから、大昔ならもっと大きくはっきり見えただろうし、加えてまわりに野花が美しく咲いていたらそりゃあ日蓮さんも記念に花でも摘みたくなるだろうなあと思ってしまったのでした。。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
大田区東雪谷5-12あたり

所在地:大田区仲池上1-13あたり


ろくろう坂と呼ぶそうです。
場所はこの前とりあげた無名坂(大田区仲池上2丁目の眺望坂)の坂下の道を北に徒歩1分くらいの場所にあり、そこから北に向かって上っている坂道です。


六郎坂(NO.234)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。
写真1でいえば左側の道が六郎坂です。とりあえず、正面に懐かしいというか古いつくりの家があったので、思わずそれメインで撮ってみたので、こんな具合になったわけですよ。

あとは写真にも写っていますけど、ここにもいつものように坂の碑があり、
『坂名は、江戸時代後期、この村のために尽した海老沢六郎左衛門の屋敷が坂にそってあったことに由来する。坂下の水路にかかる橋を六郎橋という。』
とありました。
なので江戸時代後期の人物の名前が坂名の由来になっていることから、この坂もけっこう昔からあったようですね。


六郎坂(NO.234)2
写真2

次は坂をすこし上り、坂上のほうを見てみたものです。
坂道自体はいい感じで左にカーブしながら上っていっているようで、勾配具合もきつくもなく緩くもなくといった感じの道でした。
でもやっぱり坂の雰囲気が最近取り上げたこの近くにある無名坂や大尽坂(NO.233)など耕地整理によりできた坂道と比べるとなにか違う感じがしてしまうのは気のせいでしょうかね。


六郎坂(NO.234)3
写真3

あと、写真2の右側にも見えていた土むき出しの場所があったので、思わず近くによってぱちりと。
今時の都内の閑静な住宅街に、こんな具合に忽然と土の風景が現れる感じがなんだかおもしろいなーと、意味も無く見入ってしまいましたよ。。
この土はいつの時代のものなんだろーとか・・・。(笑)


六郎坂(NO.234)4
写真4

さらに坂をのぼると道路自体も直線になり、坂上のほうも見えてきました。


六郎坂(NO.234)5
写真5

そして、坂上までやってきたので、坂下のほうを眺めてみました。
写真4までのものだとちょっと勾配具合がわかりにくかったかもしれないですけど、ここからだとわかりやすいんじゃないですかね。
ちなみに、あまりネタがないので(笑)、前にも登場したマピオンで高低差を調べてみると、なんと高低差は11m(坂上は海抜20m、坂下は海抜9m)もあるみたいなんですよ。
建物でいえば3階半くらいですかね。
これはちょっと驚きだったかもです。



地図
大田区仲池上1-13あたり

所在地:大田区仲池上2-5あたり


だいじん坂と呼ぶそうです。
場所は西馬込駅から西へ5分から10分くらいの間の場所にあり、坂上あたりにある馬込中学校のほうから坂下の大森第10中学校へ東に下る坂道となっていました。



大尽坂(NO.233)1
写真1

まずは、坂下からの様子など。
勾配具合もなかなかきつく、道幅も車2台くらいがちょうど通れそうなくらいの道幅の坂道でした。


大尽坂(NO.233)2
写真2

次は坂をすこし上り、坂下のほうを見たものです。
とにかく舗装具合やら歩道のブルーのペンキ舗装などけっこう坂道的には丁寧に整備されているようで、その具合は坂下のほうの道路の整備具合と比べてみても一目瞭然といった感じでした。

またここからも見えていますが、ここにもいつものように坂の碑があり、『昔、大尽(財産をたくさん持っている人)が、このあたりに住んでいたということで名付けられたという。』と書かれてありました。

あと、大田区のHPにも坂名の由来についての説明があり、
『仲池上二丁目2番と5番の間を東へ上がるかなりの急坂。昭和初期に行われた耕地整理によってできた坂道であるといわれています。坂名は、その昔大尽(財産をたくさん持っている人のこと)がこのあたりに住んでいたということで名づけられたと伝えられています。この大尽が誰であったかについては、諸説があり明らかではありません。』とありました。
ですので、ここは江戸からの坂ではなく昭和初期にできた坂道ということのようで、そんなことからも道幅なども住宅街の中の坂道の割に広めなのかもしれないですね。


大尽坂(NO.233)3
写真3

さらに坂を上り、坂の中腹あたりまできてみると、ここからも坂上の頂上あたりが見えていました。
もうこのあたりまでくると、まわりは閑静な住宅街といった感じでした。


大尽坂(NO.233)4
写真4

そして、最後は坂上からの景色など。
坂下からかなりの高低差になっているためか、まわりの景色もけっこうな具合で見えていました。
またこの坂上からの軸線は地図でみた感じでは東に向いていることもあり、ネット情報ではこの坂から富士山が見えたという情報はなかったのですが、やはりここの地形具合や高低差などから想像してみても、もしかしたら写真左側のレンガ色の建物が2階建てくらいのものだったならば、ちょうど屋根のむこうあたりに富士山見えたかもしれないんですよね。
ですので、確定ではないですがこの大尽坂も隠れ富士見坂としてメモくらいはしておいてもいいような気もしますので、この坂もいちおう富士見坂カテゴリーとして扱っておくことにしますので、あしからず。


地図
大田区仲池上2-5あたり

所在地:大田区南馬込3-28あたり


うこん坂と呼ぶそうです。
場所は臼田坂(NO.231)の坂上から西へと向かう道があるのですが、そこをすこし歩くと、今回の右近坂の坂上あたりにやってきます。


右近坂(NO.232)1
写真1

まずこちらが坂上あたりの様子です。
住宅街の狭い抜け道といった感じで、道幅も見てのとおり車一台通れればいいかもといった坂道でした。
あとは、交通看板に12%とあるように、勾配具合は見た目よりはすこし緩やかなかなあと思いましたけど、道路の舗装が例のドーナツリング型の滑り留めになっていることからも、雨の日や雪が降った時なんかは注意を要する坂になるのかもしれないですね。


右近坂(NO.232)2
写真2

坂をすこし下り、いちおう坂上のほうも見てみました。
左側は団地の敷地ということもあって、けっこう立派な樹々が植えてあり道までせり出していました。


右近坂(NO.232)3
写真3

さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
坂道自体は、なんとなく古びた佇まいというかなんというかちょっとなにかがづれているような不思議な雰囲気の坂道風景だったかもです。


右近坂(NO.232)4
写真4

で、写真3よりもうすこし坂を下ったあたりから、坂上のほうをみてみると、なかなか気になる風景がひろがっていました。
個人的には、この坂でスケッチするならこの場所かなと。
まあそんな思いを持ちながらカメラのシャッターをきってみました。


右近坂(NO.232)5
写真5

最後は坂下あたりの様子など。
坂道自体はもう平坦になりこれといったものはなかったです。
ただ、正面に見えている坂の碑のすぐ後ろに橋の手摺のようなものが見えていますが、こちら、この下は川ではないみたいでしたよ。
なので変わった形をしたガードレールなのかもしれないですが、真相は定かではないです。

そして、やっとここにも坂の碑があることがわかったということで、とりあえず坂の由来を抜粋しておくとですね、
『この坂名の由来については、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたからとか、いろいろな伝説があり、明らかでない。』
とありました。
そうですか。
諸説いろいろあるんですね。
でも”右近”とはちょっと風変わりな不思議なネーミングですよね。
ちなみにこの坂は右曲がりで下ってますが、上るときには左曲がりになるので関係ないかもです。。

また大田区のHPにも説明があり、実はこちらのほうがすこし詳しいので抜粋しておきますね。
『臼田坂を上がりきった南馬込三丁目31番を東に曲ったところにある坂は右近坂と呼ばれています。この坂は江戸末期にできたものといわれています。この坂名の由来については、いろいろな説があります。臼田坂の右近くから谷中におりる坂道であるから右近坂と呼ばれるようになったとか、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたという話、うこん色の着物を着た娘がよくこの坂を通ったことによるなどさまざま。今でこそ住宅街の中の坂道となっていますが、大正期から昭和初年頃は辺鄙な人通りのない寂しい所でした。また、坂道の両側は椎の木などの林で、雨の日はどろんこの道になったそうです。』

ということで、この坂、けっこう古くからあったんですね。
どうりで坂の途中のなんともいえない古めかしさというか、そんな感じの新旧入り交じったような場所があったと思うんですが、それもこれも、この坂道自体の歴史の古さに関係していたのかもしれないですね。


地図
大田区南馬込3-28あたり

所在地:大田区南馬込4-46あたり


うすだ坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた汐見坂(NO.223)の坂下から西へ徒歩数分の場所に龍子記念館なる施設があるのですが、今回の坂はそこから東へ徒歩2,3分のところにある坂道です。


臼田坂(NO.231)1
写真1

まずは、坂上あたりの様子です。
閑静な住宅街にある坂道で、このあたりはそれほど勾配はなくなだらかな傾斜道でした。
ただ坂道自体はけっこう長めのつくりなので、坂下のほうまでは見えていませんでした。


臼田坂(NO.231)2
写真2

また写真1の左側をみるとちいさな稲荷らしきものがありました。
ただこの場所については現地でもメモしていなくて写真だけ撮っただけなので詳しいことはわかりませんが、どうやら、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によれば、この稲荷の敷地内かこの写真の左側のほうに磨墨塚なるけっこう有名な塚があるらしいですよ。
詳しくはウィキペディアにも説明ありましたので、気になるかたいればそちらのほうをどうぞ。
→ 磨墨塚

あと写真2でも見えているのですが、ここにもいつもように坂の碑があり、『坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起つたといわれている。』と書かれてありました。

これ以外に、大田区の公式HPにも坂の説明があり、実はこちらのほうがかなり詳しく坂の由来などが書かれていたので、こちらのほうも抜粋するとですね、
『大田文化の森前から北西に曲って荏原町へ抜けるバス通りの坂道です。昔から馬込より大森へ出るには、この坂と闇坂が主な道でした。このバス通りを昔は田無街道と呼んでいました。馬込を抜け、荏原町から三軒茶屋を経て田無へ通じる街道でした。明治4年に東京府制が施行されてからもこの道路は府道第56号大森田無線と呼ばれています。臼田坂の坂名については、坂のあたりに臼田姓の家が多かったので、この名が起ったといわれています。また、坂周辺には大正末期から昭和初期にかけ、萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住み、「馬込文士村」という言葉も生まれました。文士村のメインストリートであったこの坂も、当時は今日と異なり赤土の急坂でした。萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。』
と、ありました。

そうなんですよ。
現地歩いている時は、すっかり忘れていたんですけど、このあたりはかつて「馬込文士村」と呼ばれていた地域で、説明にもあるとおり萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住んでいたそうですよ。
しかもこの坂が文士村のメインストリートだったんですね。
そして、説明には「萩原朔太郎の散文詩「坂」は、この頃の臼田坂あたりを魅力的に描写しています。」なんてことも書かれているので、ちょっと調べてみたんですが、ありましたよ!
かの有名な青空文庫のサイトにですね。→「」(青空文庫のサイトです)
ただこの「坂」という作品。
坂の説明に臼田坂あたりを魅力的に描写していますとあるのですが、この散文詩を読む限りでは直接的に臼田坂とわかる表現はしていませんが、「馬込文士村」のサイトによれば、萩原朔太郎はこの坂のそばに大正15年〜昭和4年のあいだ住んでいたらしく、この散文詩は昭和2年に発表されたものらしいので、おそらくかなりの確率でこの坂を意識した風景描写がされていただろうと思われます。
なので、とりあえずぱっと読んだだけではわかりにくですが、この散文詩を何度もよめば当時の雰囲気もかなり浮かんでくるのかもしれないですね。


臼田坂(NO.231)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみたものです。
風景自体はなんてことないのですが、実はこの写真3の中央右あたりに見えている黄土色ぽい外観のマンションの右奥あたりに、「馬込文士村」のサイトの情報によれば、かつて萩原朔太郎が住んでいた家があったそうですよ。(確認はしていませんので、もしかしたら今もあるのかもしれませんが・・・。)


臼田坂(NO.231)4
写真4

そして、さらに坂を下り、今度は坂下のほうを見てみました。
このあたりから傾斜具合もすこしあがってきているようでした。
またそれほど背の高いマンションもないためか空もひろく見えていました。

またこの坂の軸線方向も実は海方向(南東ですね)に下るかたちでむかっているので、ここも別名で潮見坂と行ってもいいのかもしれませんが、実はこの近くの汐見坂(NO.223)が東方向に向かって下っているのにもかかわらず汐見と坂名ついていますので、潮見(汐見)の指すかつての“江戸の海”の定義がほんとうにわからなくなってきているのが現状ですので、こちらもまた保留ということでお願いします。。


臼田坂(NO.231)5
写真5

途中には良い感じで古くなっている階段もありました。
実はこれ、写真4でも道路左側に見えていたりするんですよ。


臼田坂(NO.231)6
写真6

さらに坂を下ると、これまた良い感じで道がすこし左にカーブしはじめていました。
あとは、道左側に樹々と間違えそうなくらいたくさん蔦のはえた緑の家が見えていて、これまたなんともかんとも。。


臼田坂(NO.231)7
写真7

いちおう写真6とだいたい同じ場所から坂上のほうも見てみました。
風景的にはこれといったものないですけど、高低差具合はわかりやすいんじゃないですかね。


臼田坂(NO.231)8
写真8

で、さらに坂を下ると、やっと坂下あたりもちらりと見えてきました。
また、写真8の左に立派な石垣とその上に大きな松の木などが見えているあたりなのですが、どうやらこのあたりに(「馬込文士村」のサイトによると)川端康成が昭和3年から4年のあいだ、住んでいたらしいですよ。


臼田坂(NO.231)9
写真9

さらに坂を下り、坂上のほうを眺めてみました。
道もゆるやかにカーブしていて、このあたりは勾配具合もけっこうあったのでなかなか良い感じで坂道風景ひろがっていたかもです。


臼田坂(NO.231)10
写真10

最後は坂下あたりの様子です。
このあたりまでくると道も平坦になっていました。
また、写真10の左側あたりに、(これまた「馬込文士村」のサイトによると)石坂洋次郎が大正13年から14年のあいだ住んでいたとのことですよ。

というわけで、散歩当日、ここがかつての文士村のメインストリートであったことを知っていればもうすこしつぶさに調査したんですが、いかんせん今回はこんな具合です。
(なので、そのうちこの史実もあわせてまた調べに行ってみたいと思っている今日この頃ですなり。。)


地図
大田区南馬込4-46あたり

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